四章−3=強き者=
「おいおい、思ったより早く来たなぁ」
影山の驚いた声に朗人は「遅すぎるくらいだ」と苛立った口調で返す。
「雑魚相手に手間取っちまった」
「雑魚って……獅子吼やほかの悪魔憑き三人だぞ? いくらあんたでも……っと、この口調じゃわかんないよな。俺は」
「影山店長だろ」
自身の正体を言う前に言い当てられ、思わず影山はわずかばかり驚愕した。
「……驚いた。一発でわかるものかい? こういっちゃアレだけどほぼ別人として演じてるつもりだったけど」
「髪を染めちゃいるし、声音も変えちゃいるけどおおよそ一緒だ」
「それだけでよくわかるもんだ……でもこの位置はどうやって? あいつらに場所は教えてないんだけど」
「怜奈ちゃんの通話が聞こえてたんだよ。耳はいいみたいでね、皿洗いしながらでもよく聞こえた。で、悟られないように少しばかり遅れて出て行ったら襲われたわけでここまで遅れたわけだが」
「勝て、って頼んでないからね。彼らに頼んだのは時間稼ぎだ。アンタの実力は高いと踏んでたからね……少なくとも獅子吼一人じゃ勝てない。だから四人、高い金払って時間稼ぎ頼んだんだけど、まぁここまで早いとは。あんちくしょうどもめ」
「遅延行為は嫌いでな。ったく、時間稼ぎ目的が目に見えてたっていうのに思ったより手間取った。身体が思ったより動かなくってなぁ……」
ボリボリと頭をかきながら朗人は気だるそうに、しかし視線は外さずに。
「で、着いたらお姫様が泣いてるってきたもんだ。テメェ、何さらしてくれた?」
「何、今回の俺の行動の発端は彼女が原因だってことを言っただけだよ」
はぁ? と朗人は意味がわからない、と首をかしげる。
「文字通りの意味だよ。俺はそこのお姉さんをターゲットとして狙うつもりはなかった。鳳さんが写真を見せたから彼女も巻き込もうと思ったわけだよ。少しばかり手間はかかったけど」
「……バカか、お前」
呆れたような、無関心なのか、朗人の言葉は冷たかった。
「本音を言えよ。これだけめんどうくさい事件起こすくらいだ。過去になんかあって、怜奈ちゃんがどうこうって言うのは自分の正当性をとるためだけのダミーなのくらいはわかるぞ」
「んー……何を言ってるのかわからないかな」
「文字通りの意味だ。そこを本当に理解できないなら、壊れてるだけだな、お前。正直言えば、店長としてのアンタは嫌いじゃなかったんだが。あのドリンクにもなんか細工してんのか?」
「とんでもない。アレは俺の趣味と実益を兼ねた『本業』さ」
本業か、と朗人はぼやく。
さて、と一言つぶやき……朗人は駆け出して黒い何かの横腹に加速して体重の乗った蹴りを叩き込んだ。黒い何かはそのまま蹴られた方向に吹き飛んだ。
「……やるぅ」
どこか楽しみを含んだ影山の声。
「あぎ、どざん……」
泣きながら朗人を見上げる怜奈。朗人はジャンパーを脱ぎ、怜奈にかぶせた。
「もう泣くな。俺がなんとかしてやる」
余裕を持った声で、そう断言した。
想定以上の戦闘力だ、と影山は思った。
影山の黒い何かは『黒子』と言っていわば操り人形のようなものだ。戦闘力は影山に及ばないが、それでもこの黒子は以前朗人に襲わせ今回時間稼ぎの依頼をした獅子吼とは五分、あるいはそれよりわずかに弱いくらいだと思っている。
操り人形ゆえに黒子はダメージを負わない。ましてやただの一撃で吹き飛ばされるほどに弱いわけではない。
弱らせて彼女たちとは別の運命を歩ませようと思っていたが、その思考は即座に却下される。捕獲は相手を一方的、あるいはそこそこの実力差があってこそ成立する。今回の場合はそれは成立し得ないということは簡単にわかる。
ならばどうするか。簡単だ。殺せばいい。
死人に口無し、とは有名な言葉だ。重要なのは……
「ゴブッ……!?」
思考は中断され、顔に一撃が入る。朗人の拳がまともに顔面を捉えていた。
「何考え事してんだ、ゴラ」
「こ、の!」
岩肌にまで変異、強化された拳を本気でふるう。
まともに当たれば人間は間違いなく一撃で死ぬ。かすってもその余波で骨折し尋常ではない痛みが襲って動けなくなる。
そんな一撃を、朗人は軽くいなした。
拳の軌道をいともたやすく、自分に傷を負わないようにするりと。
続けざまに放とうとするが、すでに朗人の手が脇腹に触れていた。ほんの一瞬だけ指先が当たった感覚が残り、直後痛烈な衝撃が襲う。
転がり、すぐに起き上がるが久方ぶりの痛みの連続に思わず『笑って』しまった。
実に愉快だった。捕まえた女性を壊すときよりも、絶望した顔で懇願するときよりも、楽しいと思った。
「いい、ねぇ。家族を殺したときよりも、彼女を別の国へ売ったときよりも……ゾクゾクする!」
歓喜。今までにないほどの喜びの感情が影山に走った。
過去、影山は普通の人間であった。けれども一般的な家庭とは言い難かった。
両親は幼い頃から過剰なまでに彼に勉強を強いた。
お前の将来のためだ、いい企業に入れば勝ち組だ、友達などいらない、遊ぶな。
昔の影山はそれを小学三年生頃まで常識として当たり前と思って生きていた。だが、それは四年生になったあたりから変わってきた。
他の同級生はのびのびと遊んで、自由に生きていた。
それは影山にとって特異となって映り、両親に問うたこともあった。だが、その日に強烈なビンタで顔を叩かれ「そんなぬるい考えを持つな! 真面目に勉強していない証拠だ!」と蹴られ、踏まれ、何度も殴られた。その上屋根裏部屋に押し込まれ反省しろ、とさえも言われた。
この日から影山の思考は大きく今までと変わることとなった。
学校では勉強をしつつも周囲に目をやり、たまに同級生と話して家庭の話を聞いていく。それを中学時代まで繰り返し、自分と同じような人間は他におらず、自分が異質な人間側であったことを自覚した。
百点を取れなかったから叱られ、屋根裏部屋に押し込まれることもない。些細なミスでご飯を抜かれることもない。いじめられたことを相談すれば勉強で見返せと言われ蹴られた。そんなことは……他のどの家庭にもなかったのだ。
けれど影山は家からは出れなかった。高校生になっても、束縛された家で生活せねばならずに育った結果だった。
そして大学時代、一人の女性に恋をした。女性は優しく接してくれ、影山も彼女には心を開いた。それは幸せな日々であり、影山の心を癒すのには十分だった。その頃にドリンク作りというものい興味を持ち、生業とする覚悟ができたのもこの時期だった。
しかしその幸せも長くは続かなかった。両親に勇気を持って卒業後にドリンク店で働きたいと言ったその日、容赦なく罵倒され、殴られた。全てを否定され父さんと母さんが言っている道こそが正しいのだと。
我慢ができずに、影山は逃げ出して彼女の元に逃げた。
彼女ならばきっと慰めてくれる。そんな、そんなすがる想いで向った彼女の家で……彼女は同期の男性とまぐわっていた、
情報を理解できず、数瞬だけ立ち止まったが……すぐに理解した。
彼女は、自分を裏切った。
その事実を理解した瞬間、すぐに影山はその場から逃げ出した。
逃げて逃げて逃げて……気がつけば、誰もいない公園で自分の姿が変わったことに気がついた。この時、自分が人ではなくなったと知った。
影山は幸か不幸か、影山は冷静だった。冷静だったからこそ、行動を起こせた。
まずは自分の力を把握し、操る術を学んだ。意識を持たない何か、分身はすぐに思うように動かせた。幸い人目が夜中で少なかったので大きな騒ぎにもならなかった。
そして家へなに食わぬ顔で帰宅し、分身に両親を襲わせた。
両親は叫ぶ間もなく捕まり、無理やり車へと押し込まれそのまま影山の運転で山へと向った。
そしてゲームをした。
━━死にたくなかったら、下山しきってみなよ。
今までの鬱憤を晴らすように、たっぷりと痛ぶりながら影山は両親を殺して、地中深くに埋めた。罪悪感は、微塵もなかった。自由を奪い、夢をバカにして意見を押し付ける両親にかける情けはどこにもなかった。
次に復讐するのは、彼女だった。幸い、すぐに逃げていたため彼女は影山のことには気がつついていなかった。だから、逢引しているところを狙った。
彼女は影山の姿に慌てふためきながらも言った。
『ごめんなさい、許して!』
やれやれだ、と大げさに手を広げて仕方ないなぁ、と以前の自分が許していたような仕草をとった。もちろんそれは、フェイクだった。
彼女に近づき、その髪を乱暴に掴んで手加減をした膝蹴りを顔面に加えた。
本気でやってしまえば、簡単に死んでしまう。そのことを容易に想像できた。
それでは、ダメなのだ。彼女を簡単に殺しては、意味がないのだ。
間男は完全に怯え戸惑っており、一つ思いついたことがあった。この間男を使って、あえて両親を殺したことを知らせるように仕向けようと。
間男は見るからに力にへりくだるタイプだった。ゆえにこう言った。
『俺の言うとおりにしたら、殺しはしないし金も多少なりともくれてやる』と。男は凄まじい勢いで首を縦に振った。
内容は警察に行って両親の死体を埋めた場所を教え、見つけさせるということだった。
わざわざ埋めた意味もなくなるが、その無駄も一興だと考えた。そのついでに、間男をその両親の世話になった人間として演出する。たまたま遊びに行こうとしたら謎の二人組が車に二人をいれこみ、気になって尾行した結果だとすれば、多少は変に思われるかもしれないが死体という現物があれば深くは追求しないだろう。
そして二人組の容姿は適当に、大柄な男二人という設定にしろと言っておいた。
当然このことを他言すれば命はない、という旨はしっかりと伝えておく。もちろん本気だった。住所や本名がわかるものは全て特定しておき、万全の体制を整えた。
さて次は、と彼女をどうしてやろうかということだった。
影山自身は気づいていないが、今までになく信用と信頼を置いていた彼女に裏切られた傷の大きさは、影山が自覚しているよりもはるかに深かった。
そしてその結果として、彼女を他の国への人身売買へと彼を突き動かした。
彼女はいわゆる上玉の部類であったためか、予想以上のお金になった。それが元手となってサイトを設立し、その資金でドリンク店を建て今の生活に至るようになった。
直後に似たような境遇をもった人間が犯罪を犯し、逃走をしたというニュースを聞いたが自分は違うと自信を持っていた。
しかし、今いる相手は彼女を国外へ売りさばいたあの絶望感たっぷりの顔よりもそそられた。楽しんでいるという自分を実感できた。
目前の男はただただ強い。その事実だけでも興味はつきなかった。
黒子を向かわせ、はさみ撃ちの形で突撃する。ワンテンポ遅らせての追撃が狙い。
そんな影山の思考をあざ笑うように分身の攻撃をつかみ、勢いを利用して影山にぶつけ、影山は分身と一緒に後方へ飛ばされる。
(これは、獅子吼じゃ手に負えないわけだ……!)
獅子吼含めた複数の悪魔憑きでも、朗人には勝てない。それほどに朗人は強かった。
店で初めて会った時から、何かが違うとは思っていた。不良を数秒でのしたり、実際に獅子吼を容易にあしらっていたことからもそれはわかっていた。
起き上がろうとしたところ、黒子ごと勢いをつけられたかかと落としが腹部に直撃した。
「は、は……!」
強い。圧倒的だった。
コンクリートをたやすく砕ける拳も、ほとんど同じ性能を持つ黒子を両方使っても勝ちの目など見えなかった。
「あん、た……何者だよ。八神さん」
「通りすがりの記憶喪失者だ」
次の一撃は顔面に向かって振り下ろされた。
「よし……」
いい一撃をいれた、という確信によって影山の元から離れる。
同時に黒子の方も消え、脅威は去ったというべきだろう。それよりも、と怜奈たちの方へ駆け寄った。
「大丈夫……じゃ、ねえな。身体が擦り傷だらけじゃないか。痛みは?」
「あん、まり……ない」
「そっか。優奈さんは?」
「電話中にお腹一回蹴られたくらいですから今は……それよりもれーちゃん! ごめんね、ごめんね……」
後ろから怜奈を抱きしめて、わんわんと泣いて謝る優奈の姿は痛ましかった。
けれども、と怜奈の方をよく見る。怜奈の謝罪にも返事をせず、ただうつむいて泣いていた。
朗人には、かけられる言葉は見つからなかった。
よく頑張ったね、とでも言えば怜奈を傷つけるのは間違いない。かといってフォローしたくてもあいにくと朗人にそのスキルは残念ながらない。記憶が戻ればいい慰め方の一つも知っていたのかもしれないが、ないものねだりをしてもしょうがない。
ギュウ、と一度二人を抱きしめて、もう一人の被害者女性の方へ向く。
(しばらくは悪夢に苛まれるだろうが……仕方ないな。ここから先は俺じゃどうしようもない。生きているってことと売られていなかったことが救いか)
事情は知らずとも、ひどい目にあったということだけはよくわかる。目は死んでいるし、衣服もボロボロだ。間に合わなかったことは彼女にとっての不幸だっただろう、
けれども……
「まぁだ! だ、よぉ!」
影山の叫びとともに振り返る。
再度分身が構成され、怜奈たちの方へ走ってくる。
朗人はすぐさま跳躍し、分身を蹴り飛ばした。わずか数秒にも満たない行動。だが、その隙間をぬって影山は横を通り過ぎる。
目的は、確実に怜奈たち。まだ空中にいる状態ですでに黒子は消されているため足場もない。
━━このままでは、怜奈たちが。
そう考えた瞬間に朗人の目の奥がチリチリと焼けるように痛んだ。
同時に手が勝手に動いて、視界に映る影山を握り潰すように空を掴んだ。
それと同じタイミングで影山の身体が爆発し、吹き飛ばされた。
一回、二回と転がっていき四回転がったあたりで動きを止めた。
「……今の、は」
自分でもわけがわからない。だが、仰向けになった影山から高い笑い声が聞こえた。
「あ、は……ははははは! そりゃそうか! アッハハハハ!」
「……そんだけボロボロになって笑えるのか」
「もう一ミリも動けないけどね。いや、でもさぁ……やっぱりか! 納得するというか、それしか言えないよね……八神さん、あんたも俺と同類だよ……」
楽しげに、苦しげに影山は笑う。そして、朗人もその意味を理解する。いや、半ば認めないようにしていたのだが……こうなってしまっては認めるしかなかった。
「八神……さん。あんた、悪魔憑きだよ」
自身が悪魔憑きであるという事実を。