三章−3
「解放されたぁ……」
「拘束時間一時間か。思ったより短かったな」
「私としてはすぐに解放された方が不安だよ……」
解放された朗人たちはドリンクシャドウの店内で休むことにした。元々行く予定ではあったものの、結果的に影山には一時間ほど店を離れさせてしまう結果になったことには申しわけないことをした、と怜奈は謝罪して頭を下げていた。
「悪い、店長」
「いえいえ。うかつに一緒に行ってしまった私も悪いですからお気になさらず。それよりも、朗人さん」
「……なんです?」
「よくあんなの追い払えましたね。ライオンみたいな、というか現場を見たらえげつなかったじゃないですか。まさか近所でこんな事件起きるとは思いませんでしたよ」
飄々とした様子でジンバーレモンドリンクを差し出す。
朗人は頼んだ記憶はないのだが……
「サービスです。すごいもの見れましたから」
ニコリ、と笑顔で言われる。
であれば、断るのも悪いと思い素直にジンバーレモンドリンクに口をつけた。
そして怜奈にも同様にジンバーレモンドリンクを渡す。
「え? オレにもくれるの?」
「ええ。鳳さんは常連サービスと、今日は怖かったでしょうから美味しいもので気分でも切り替えてください。お姉さんにもこの際ですから奢りましょう」
どうぞ、とドリンクを優奈にも差し出す。
優奈は少しポカン、としながらもおっとりとした口調で「ありがとうございます」とお礼を言って慎重に受け取った。
「うん、美味」
怜奈は満足して舌鼓を打ち、朗人はちびちびと飲みながら影山と優奈の様子を見ていた。
影山に見送られ、帰路。
行きはとんでもない事件に巻き込まれたが帰り道にはなにか事件に会うということはなく、無事に怜奈の部屋に三人で戻った。
疲れた、と怜奈は部屋に戻りながら思いつつも、優奈がなにかおかしいな、と首をかしげる。確かに今日は悪魔憑きという規格外の存在に出会ったわけだから気をもむのはわかる。それは普段喧騒とは別世界にいる優奈にとっては非日常すぎた事件だから戸惑うのは容易に想像できる。できるのだが……
(……にしてはそこまで動揺してるように見えないんだよなぁ)
普段の優奈であればこの部屋に入った時点で朗人の目を気にせずに「怖かったよぉ!」と怜奈に抱きついたりするものなのだが、そんな様子は見られない。どちらかといえば落ち着いているように見える。
そして朗人の方もなんだか様子がおかしかった。具体的にはなにかを考え込んでいるような気がする。けれどもなにを考えているかまではわからない。十中八九今日の悪魔憑きのことだとは思うが、超能力でもあるわけではないので人の思考を読めるわけがない。
ならばどうするか、怜奈のやるべきことは決まっている。
「優姉、元気ないよ。大丈夫?」
まずは大切な幼なじみの調子を伺う。少しでも気晴らしになれれば、それが一番だ。
「あ、うん……ちょっとれーちゃんには、言いにくいことかな」
ごめんね、と優奈は謝るも、怜奈にとっては予想外なことだった。怜奈が優奈に言いにくいことは数あるが優奈から、というのは珍しい。
「え、なに、どうしたの?」
思わず言及してしまう。少し珍しいものを見たから、というのが大きい。
「えっと、ね……私、あの店長さん……嫌な感じがして苦手かなって」
「え」
意外だ、と怜奈は思う。彼女の知る限り優奈が直接的に苦手ということはおそらく生まれて初めて聞いたような気がする。店でそんな素振りを見せた様子もなかったし、あっけにとられてしまった。
「別に気にしなくていいよ。でも優姉にしては珍しいね」
「うん、本当になんでかよくわからないんだけど……ごめんね、れーちゃんは店長さんとは仲良しなのに」
「全然気にしなくていいって! むしろ新しい優姉の一面見れて、嬉しいかな」
「れーちゃん、そういうのどこで覚えてくるの?」
不思議そうに首をかしげる優奈。怜奈もその反応に首をかしげる。
考えてもわからなかったので考えるのをやめて朗人に話を向けることにした。
「朗人さんも、考え事?」
「ん、そうだね。考え事だよ。なんか今日の悪魔憑きの事件、違和感があってね」
「違和感? そもそもアレが現れたこと自体が人生の違和感だと思うけど」
噂が真実であった。そして真実は小説よりも奇なり、という言葉だってある。怜奈は今日のことをそういうものだったと思っておくことにした。
事情聴取も嘘偽りなく答えたが、警察の方も初の事態でどう対応したらいいのかわからなかったのだろう、混乱気味だったことは否めない。そのまま報告書に提出しても未解決事件まっしぐら間違いなしだ、と怜奈は思っている。
仮に対策班が設置されたとしても、今日見た限り━━見ることができたのはほんの数瞬だったが、武装した警官でも制圧できるか怪しい。あの速さであればトリガーを引く直前でやられてしまうだろう。痕跡から見ても特殊部隊の装備でもやすやすと貫通、あるいは避けて首を狩られて……
ブルリ、と背筋に悪寒が走る。朗人がいなければ間違いなく怜奈は凶刃にかかっていたことだろう。
「……朗人さん、ありがと」
近づいてちゃんとお礼を言う。それを見て朗人は微笑みながら手を述べて「どういたしまして」と言ってクシャリ、と頭をなでた。
暖かいその手は怜奈に安心感を覚えさせ、少しだけ「ん……」とトロンとした声が漏れる。優奈以外にこんなに安心させられたのはほかに誰かいただろうか? と過去の記憶を探っていく。
父親は、そもそもなでないから論外。むしろぶつかり合うことの方が多々あったので論外でいいだろう。安心感を今なら感じることはあるかもしれないが再会するまではわからない。そして母親を思い出すと、こちらも似たようなものだった。
今みたいに大学までいれてくれているので感謝をしてこそいるが、それは安心感とはまた別のベクトルだ。今度帰国した際に安心感を感じるか試すことにした。
けれども間違いなく朗人に抱いた感覚は安心感で間違いない。自分でも不思議だが、優奈以外にこれだけ心理的に近づけた、親しいと思えるのは意外というほかない。
やはり助けられたから、というのが大きいからだろうか。それとも自分より強いからくる憧れなのか。
自分でもわからない感情を抱きながら「そろそろ恥ずかしいから」と手を剥がしてもらう。そこに少しだけ寂しさを感じるものの、恥ずかしさの方が強いから仕方なし。
「あ、でも怜奈ちゃん。一つだけ」
真面目な口調の朗人の視線にぴったりと自分の視線を合わせる。その顔は真剣であり、余計な茶々をいれるべきではないと強く思わせた。
「君は警察官の人と一緒に、みんなで来てたけど……あれはやめてくれ」
「……でも」
「不満そうだね」
「だって朗人さん心配じゃん……でも警察官連れてくればもしかして、って思って……」
影山と優奈は正直付いてくるとは思わなかった。自分だけ行くつもりだったのだが、計算外だった。
実際に警官を連れて行って正解、とは言い難いが結果的に退散はしたのでいいのだろう。
「俺はそう簡単に負けないよ。ああいう時は、自分を大事にしてくれ。俺だって見目はこうだけど立派な男だしな」
かっこつけさせてくれ、と朗らかに微笑む。
「記憶は相変わらず戻ってないけど、荒事は任せてくれ」
その朗人の笑顔はとても朗らかで、とても優しかった。
どうしてだろうか、胸が少しだけ高鳴った気がした。
「う、うん……」
(やばい、顔がなんか熱い……風邪ひいたかな……)
今まで感じたことのない感情に戸惑いながら怜奈は「うにゅう」と言って自分の頬を軽くひっぱたく。
「れ、れーちゃん?」
「怜奈ちゃん、どうしたの?」
「なんでもないよ! さ、今日は優姉も含めて仮面ナイトリベレイター見よう! これ1クールだからちょうどいいだろ!」
なにがちょうどいいのか、などと野暮なツッコミは二人ともしなかった。
三人はそれから食事休憩を挟みつつ、仮面ナイトリベレイター鑑賞会を行った。
「すぅ……すぅ……」
鑑賞会を終えた後、怜奈は二人よりも先に睡眠をとっていた。
そしてまだ起きている二人、朗人と優奈はそんな彼女を見て微笑んでいた。
「ほんと、いい子だな」
「当然です。れーちゃんはいい子ですから」
「優奈さんの言ういい子の基準はわからないけど、俺から見ても……いや、ほとんどの人から見てもいい子判定受けそうな子だよ。大学では孤立してるっていうのはちょっと信じがたい」
「うーん、多分話しかけてこようとする子もいるとは思うんですけどね。でも、れーちゃん自身がそういうのは正直あまり気にかけないから」
そう言われてなんとなく想像がつく。彼女のように明るくて優しい女性、しかもパッと見ればボーイッシュな見た目もあって話しかけやすそうではあるが、すぐに治安維持のようなこともするし、稀にバイトもするから素早く動くのだろう。
殺気、というかよこしまな気配に対しては敏感そうではあるが、他のことは鈍いのかもしれない。そこがまた可愛いところなんだろう、と朗人は納得する。
今日は予想外の事件が起こったのと、周りを気にしていつも以上に明るく振る舞ったんだろう。鑑賞会の作品内容も比較的明るい、希望を求める作品だった。そして思った以上に精神的にも疲れてしまったのだな、と思考が行き着くのはたやすいことだった。
と、ここで優奈の様子がおかしいことに気づく。どことなく張り詰めているような……
「朗人さん、少し外に出ましょう」
真剣な口調。断る理由もなく、素直に頷いて優奈とともに玄関を出て外に。
吐く吐息は白く、冷風も肌を突き刺す。今でこそ身体の傷はだいぶ治っているとはいえ、以前の傷でよく生きていられたものだ、と自分でも思っているが、その思考はすぐに外す。
優奈の話はきっと朗人が思っている以上にも真剣であるはず、とすでに肌で感じている。
敵意ではないが、恐れは少なくとも抱いているのが表情から見てとれる。
ほんの一分ほど静寂の後、優奈は口を開いた。
「朗人さん、れーちゃんをどう思っていますか?」
「どう、って言われれば……そうだね、人として見るなら間違いなく好きな部類に入るだろうね」
「そうじゃなくて、です」
少しムスッとした表情が浮かぶ。言わんとしていることは、朗人もわかっている。
怜奈を女性としてどう見ているのか、というのが優奈の言いたいことなのだろう。だからこそ、真摯に答えを返さなければいけない。
「悪いけど、記憶喪失の身っていうのも事実なんだ。まだ混乱するところがあるのも事実だ。だから、そういう関係を考えるっていうのは……正直難しい。記憶が戻ってない以上、みだりに答えを出すべきじゃないと思う」
「……思っていたよりも、ずっと真面目ですね」
「そういう君こそ、俺が思っている以上には怜奈ちゃんを心配してるね」
「当たり前です。私は小さい頃かられーちゃんとずっと一緒にいるんですよ。幼稚園の頃からずっと……」
懐かしむように優奈は眼を細め、語り出す。怜奈と優奈の出会いは、それこそ生まれてほんの二年後からの付き合いだという。
家が元々近所づきあいがあり、両親に連れられて優奈が怜奈と出会ってから、物心もつかないうちに可愛がっていた。当初は離されるとわんわん泣いていた、という可愛らしい話もあった。
「……だから、私はれーちゃんが大好きです。少なくとも朗人さんに渡したくないくらいには」
そうやって微笑む顔は、非常にきれいだった。
「しっかりとした笑顔だこと」
思わず朗人もこぼす。それだけしっかりとした信頼関係が二人の間にあることをはっきりとわかった。今回のこれも嫉妬の一つなのだろう、と微笑ましくすら思う。
「でも、私れーちゃんのあんな顔初めて見ました。だから、一応任せてあげます。もしれーちゃんを傷つけたら……わかってますよね?」
そう言う優奈の顔は笑顔だった。笑顔ではあったが、眼が笑っていなかった。
怖い。と心底感じながらも「もちろんわかってる」と答える。この女性は絶対に社会的に殺しにかかってくるだろうというのは容易に想像がついた。目つきが本気だ。
本人がそうであるならば、真面目に向き合わねばそれは人として向き合わねばならない。
これだけ怜奈のことを心配するというのは、それだけ彼女にとっても大切な人間だからだということがよくわかる。
互いにこれだけ思いあえるということは、きっと素晴らしいことだ。非常に恵まれている二人だな、と胸が熱くなるのを感じた。
(これが感動する、ということなのか……)
記憶喪失になってから初めて覚えた感情に、感動という名前をつける。知識はあれど、実際に味わうと味合わないでは意味がまるで違ってくる。そして、それだけの友情、親愛を見せる怜奈と優奈の関係を本当に羨ましく思った。
「ほんと、君らには敵いそうにないな」
「え? 朗人さんの方が強いじゃないですか」
「腕っぷしとかじゃなくて、精神的な意味でっていうことだよ。いやはや、まったく勝てる気がしない」
笑いながらも、どこか胸が気持ちよかった。
「納得いかないなら、それでもいいけど……なんだ、いわば君たちの仲に感動したとでも思ってくれればいいよ」
「私たちの仲に嫉妬してるってことですか?」
「さっきの俺の言葉聞こえてた?」
どうやら多少の壁の隔たりはあるようだ、とため息をついた。
話はここで終わり、二人も中に入ってそのまま優奈は布団へ、朗人はダンボールの上に毛布をかけて睡眠をとった。




