三章−2
「で、今日はどうするか」
口論もすみ、朝食もすみ、朗人が入れた緑茶を啜りつつ本日の行動を決定づけるための指針を決めねばならない。無理に決めるというほどではないが。
「あ、怜奈ちゃん。昨日のドリンク屋はどうかな? 急に帰っちゃったから少し気まずいし」
「あーそれもいいかも。優姉は一回も連れて行ったことないし」
「ドリンク屋さんって、れーちゃんが前から言ってた場所のこと?」
「うん。優姉さえよければ行こうか」
「……そうだね。行こうかな」
少し悩んだそぶりを見せ、ドリンクシャドウに行くことを決定した。
昼食をすませ、三人は目的地まで徒歩で向かっていた。
本日は冷風が肌を刺すものの、比較的に冬場にしては温暖的な気候だった。
ただ、怜奈は違和感を感じていた。
それは、人があまりにもいないということだった。
通るにしてもほんの数人しかすれ違わず、普段の荒谷町とは違う雰囲気を晒し出していた。
元々ドリンクシャドウは人目につきにくい場所ではあるが、それに輪をかけて人気が薄い。
もうすぐ店に着くのだが、一体なにが━━
そう考えた瞬間、嫌な気配を感じた。
ぽつんと、メモ帳を持った小柄な少年がいつのまにか現れていた。
先ほどまで確かに誰もいなかったはずだった。一体何者なのか……
「……上玉、二人。一人、邪魔」
トーンの高い声で淡々とつぶやく。
怜奈の本能が危険を察知し、構えをとった。
同時に少年の姿は『変わった』。
「……なんだオイ」
呆気にとられて思わず怜奈はこぼす。
鋭い眼光、鋭い牙、逆立った髪、強靭な猛獣のような四肢。目前にいた少年の姿は例えるならば擬人化した獅子のように変わっていた。
何者かはわからないが、少なくとも一般人ではない。ただの人間は変身しない。
そしてわずかに思考する間に、獅子になった少年は怜奈の視界から消えた。
直後、怜奈の前には朗人が割り込み、獅子になった少年の両腕を真っ向から掴んでいた。
「!?」
獅子になった少年は驚愕する。まるで自分の動きが見切られるなど信じられないとでも言わんばかりに。
けれどそれは怜奈も同じで、朗人が割り込まなければどうなっていたか……
「怜奈ちゃん、優奈さん連れてドリンク屋に逃げて」
厳しい声音。ただそれには素直に従い、怜奈は優奈の手を引いて素早く、自分でも驚くほどにドリンクシャドウへ走った。
わかることは二つ。ドリンクシャドウへの非難と、怪人とでも形容できそうなあの少年と戦えるのは朗人だけだということだ。
「さて、お前の目的はなんだ?」
感情の薄い声で朗人は獅子のような少年━━信じがたいことだが━━悪魔憑きに問いかける。
恐ろしいことだが、目の前にいる存在は怜奈では手におえない。だから自分が、というよりも無意識で動いていた。
身体が勝手に動き出すとはまさにこのことか、と思わなくもないがまず朗人がするべきことは『制圧』だった。
自分でも驚くことだが、自分ならどうにかできると信じて疑わなかった。
「お前に、言う、必要ない」
少し片言の言葉だが、明確に拒否の意思を見せた。
海外の人間かと考えるが、もう迷うことはない。
乱暴な蹴りが悪魔憑きの少年の鳩尾に打ちこまれる。まともに反応できずに悪魔憑きの少年はもろに入った。
「ゲボァッ!?」
「おっと、離さないぞ」
衝撃で後ろに下がりそうな悪魔憑きを掴んだまま、どこか愉悦を含んだ声。
「な、なめる、な!」
それを挑発ととったのか、悪魔憑きによるローキックが放たれる。一撃の速さは一般人の比ではなく、まともに受ければただではすまない。
だがその一撃を朗人はヒョイと軽く跳んでかわす。と同時に腕を離した。
まるで余裕と言わんばかりに、いや、相手の実力を測るように軽く挑発する。
苛立ったのか悪魔憑きの少年はその爪で切り裂こうと、最初の動きよりもさらに速く動く。
その動きは常人の目ではとうてい見切れるものではない。
だがその動きを、朗人は視認していた。寸分だけ動き、地面が抉れる。
コンクリートで舗装されているはずの道が、まるで飴細工のようにたやすく破壊された。
警察でも対応できないな、と考えながら最速で放たれた突きをかわし、その勢いで一本背負で投げ飛ばした。
悪魔憑きの少年は壁に勢いよく叩きつけられ、壁は倒壊する。
この間、ほんの数分の出来事だった。
結論、朗人の相手ではないと判断した。
「さて、まだやるか」
「う、ゥ……!」
呻きをあげながら悪魔憑きの少年は立ち上がる。今の一撃では多少怪我を与えた程度にしかなっていないだろうが、確実に実力差を感じたはずだ、と朗人は考えた。
根性があるな、と内心でぼやき拳の骨を鳴らす。実力差を感じても立ち上がる精神は見所があるが、今は関係のないことだ。
━━やるなら徹底的に弱らせて警察に引き渡すか。
と、考えたところで突如悪魔憑きの少年は背を見せて逃走を開始した。
虚を突かれ、追いかける思考がとっさに出てこずにそのまま逃がしてしまう。
「っ! しまった……! ここまでやって嘘だろ!」
「朗人さん!」
怜奈の声が聞こえ振り返る。優奈と影山を連れてやってきていた。
「怜奈ちゃん、なんで戻ってきた?」
はぁ、と少しだけ呆れたため息をつきながら咎めるように怜奈に言う。が、直後に三人の後に遅れて警察官がやってきたのを見てすぐに状況を理解した。
ほんの数分間で手際よく警察を呼び、連れてきたのだろう。よくもまぁ機転が回るものだと関心する。
「交番に連絡してから巡回中のお巡りさんが近くにいるの聞いたから連れてきたんだよ。店長はなんでか知らんけどついてきた」
「危険なところに行こうとする女の子を、大人が黙ってるわけにはいかないでしょ……」
影山はやれやれと大げさに手を広げる。
対して、一緒にやってきた警察官も今の現場を見ていたのだろう。動揺が目に見えてとれた。無理もない、普通はこういう反応ものするだろう。
と、ここで多少の違和感を感じるものの警察官が朗人に質問をしてきた。
「い、今のは自分にも見えていたんですが……あ、あれをあなたは一人で相手してたんですか?」
「あ、はい。幸い俺がどうこうできる相手だったみたいなんで……」
とはいえ、それが尋常でないことは自分でもわかっている。現場を見れば地面が削られているのだ。柔らかい地面であればまだしもコンクリートが削られているのはもはや人間業ではない。
「ともあれ、ひとまず解決か」
安心した瞬間に疲れが出る、けれども全員揃って交番に連れて行かれ事情聴取をされる羽目と相成った。




