三章−1
翌日、そのまま怜奈の家に泊まっていた優奈が目を覚まして、むくりと起き上がる。
寝ぼけ眼で目をこすれば、すやすやと寝息を立てている無邪気な寝顔の怜奈がいた。
そして反対側に視線を向ければダンボールを敷いて薄い毛布をかけて眠っている朗人が寝息を立てていた。
こうやって見れば、やはり女性にしか見えない。
それは女である優奈の視線から見てもそうにしか見えない。本人も多少なりとも気にしているようだが、それにしたって中性的である。
だが幼いというわけではなく、大人っぽい方向性である。妙な色香を出そうと思えば簡単に出せそうだ。本気でメイクをして声音を多少変えれば女性と言い切ることができるだろう。
それに二組の布団は二人で使えと紳士的なところもあり、自分は帰り際のスーパーでもらってきたダンボールで寝る。別に優奈は怜奈と一緒の布団に寝るから問題はない、と怜奈とともに言ったのだが頑なに受け入れなかった。
優奈はそれならば、とお言葉に甘えて布団で熟睡と爽快な目覚めをいただいたわけだが。
やっぱりよくわからないけど、悪い人ではないのだろうと思う。
「ん……ゆうねえ。おふぁよう」
と、ここで愛しい幼なじみの声が聞こえる。
「おはよう、れーちゃん」
どうやらまだ半分眠っているのか、瞼を重たそうにしておりゴシゴシとこすっている。
相変わらず愛らしい、と思う。同時にとてもではないが昨日華麗な立ち回りを見せた娘と同一人物とは思えない。
考えてみれば彼女の今の身体能力は優奈がいなければある意味では成し得なかったものだから心中は複雑である。しかしその過去があったからこそ今でも仲がいいのは事実。
どちらからともなくハグをする。
「ふにゃあ」と怜奈からは腑抜けた声が漏れ、またすやすやと眠りそうになる。
それだけ優奈は怜奈にとって心を許せる人間であるということがよくわかる。その事実が嬉しくて強めに抱きしめる。
が、ここで二度寝させると怜奈はなかなか起きないので少し強めに揺さぶって「寝ちゃダメだよ」と声をかける。
これで覚醒したのか怜奈はハッとしたのかビクンと反応して身体を起こす。
意識も先ほどよりはっきりしたのか首を回し、コツンと優奈の額に自分の額を当てる。
「おはよ、優姉」
「二回目だけど、おはよう。れーちゃん」
どちらともなく、おかしくなって微笑む。
泊まった時にはいつもやっている日常。ささやかではあるけれども、とても愛おしい時間。
普段とは違って一人だけ違う人間がいるが、その人間は眠っているので今はよしとしよう。
「っと、朗人さん起こしてまた包帯変えとかなきゃ。ほとんど秒殺したって言っても昨日の今日だからな」
「とても重傷を負っていた人とは思えない活躍ぶりだよね」
「ほんとにね。ほら、朗人さん起きなよ」
「ん……ねむ……」
妙に艶っぽい声音で返事をしてきた。
「ほら、そんなこと言ってないで包帯新しいので蒔き直すよ……そういや今何時だ」
「七時半だよ。昨日は十一時にはみんな寝ちゃったからちょうどいい睡眠時間だと思う」
そっか、と怜奈は頷く。
睡眠時間はとても大切だ。さらに質も重要である。
夜十時から午前二時までの時間が睡眠のゴールデンタイムだとかいうが、そのうちの三時間と睡眠時間の長さから疲れも十分に取れているはずだ。
昨今ではそんな当たり前の休息時間すらとらせない企業が後を立たないのはなんでだろう、とふと考える。会社を支えてくれる社員にまともな給与や休みをとらせないのはいかがなものだと思う。
幸い怜奈がバイトしている場所はそういうことはないが。
(いかん、思考が逸れた。今は朗人さんだ)
「ほら、起きないと蹴りいれるよ」
「れーちゃん?」
「ゴメンナサイ。ジョウダンデス」
背後からの威圧に押されてすぐ謝罪する。
確かに朗人もすごく強いし勝てる気はしないが、優奈にもまた別の意味で勝てる気はしなかった。
いじめから守っていたはずなのになぜ優位性を取れないのだろう。
まぁ今に始まったことではないか、と嘆息しつつ朗人はその間に身体を伸ばしながら起きる。
「くぁ……二人ともおはよう」
「おはよ、朗人さん」
「おはようございます朗人さん。ぐっすりだったみたいですね」
「おかげさまで。身体もいい感じになってきたし……全快も近いかな」
よいしょ、と声を出してダンボールから上半身を起こして立ち上がる。
体調はよさそうで前日よりも軽快そうに動いている。重傷を負ってもあれだけの強さを持っているのだ、全快した時の強さは怜奈の想像の範疇には収まらないだろう。
むしろ別次元と言っても差し支えても過言ではないかもしれない。
「さて、それじゃ包帯剥がすよー」
「も、もういいよ? 自分でするからさ。野郎の裸見ても嬉しくないだろ?」
「朗人さん」
「な、なに?」
「怪我人が文句を言うな」
圧される。
怜奈よりもはるかに実力のある朗人が怜奈には気圧されていた。これが家主の力だというのだろうか。
しかたない、とため息をつきながら素直に降参すると先日から使わせてもらっているジャージを脱ぐ。
観念したようで何より、と怜奈は満足そうに頷き包帯を解いていく。
だが、ここで怜奈はおろか優奈も同時に驚いた声をあげる。
背中の傷が、ほとんどもうふさがっていた。
包帯をもう巻くほどでもないくらいであった。完全に傷が治っているわけではないが、それでももう包帯はいらない。
「どうなってんだ……?」
「え、なにごと?」
「朗人さん、もうほとんど傷ふさがってますよ」
「は!? うそでしょ……まさか、昨日のお肉が効いたのか……?」
「いやいや! 確かに肉は栄養とるのに最適だけどこんな回復早くならないって! ええ……信じらんない」
怜奈の驚愕は優奈も同じである。確かに今取り替えた包帯には血が滲んでいる。けれども、それならばまだ傷が深く、怜奈とであった時の時間から考えればまだそうとうの傷は残っているはずだ。
胸につけられた大きな十字傷は未だふさぎきるには時間がかかりそうではあるが、それ以外には細かな傷程度でしかない。
「……人間って不思議な力がやっぱりあるんだなぁ」
しかし怜奈はいたってまじめにそう言い切った。優奈も疑問には思ってはいるものの、回復するにこしたことがないのも事実なので深くは考えないことにした。
本人も驚異的と思っているこの回復力は本当に昨日の肉が効いたのだろうか、とまじめに考えざるを得ない。であればやはりお肉が効いたのかとしか……
あれだけ食べていたのが全部治癒に向けるためのものだと思えば昨日の大食いに納得もいくが、人体とはとかく不思議である。
「ともあれこれならもう包帯必要ないなぁ。でも先にシャワー浴びてきなよ。オレたちが先にご飯の準備するから」
文句は言わせない、という無言の圧力を感じる。
居候の身で先にシャワーを使わせてもらうというのはそれだけでも恐縮ものなのだが、先ほどまでの流れで反抗は許されないのはわかっている。
なので、ここは素直にシャワーを浴びさせてもらうことにした。
「ちゃんと下着は洗濯機にいれてていーからな」
「れーちゃん!?」
「え、なに?」
幼なじみの言動に戸惑いを隠せない優奈。そんな彼女に不思議そうに首を傾げながら怜奈は返答する。
「い、いくらなんでも男の人の下着も洗うのは……」
「えーだって手間じゃん。オレ一回で済む洗濯をわざわざ二回もやりたくないもん」
騒がしく仲良しコンビの口喧嘩が始まる。
その間にのんびりと朗人は温かいシャワーを浴びさせてもらった。
暖かいお湯は身体に染み渡っていき、寝起きの脳によい刺激を与えていく。
「ふぅ……頭の中が軽くなってきた……」
よほど血の巡りが悪かったに違いない、と笑いながら顔にシャワーを当てる。勢いが程よくぶつかり目もドンドンとさえていく。
つい先日まで重傷だった身ではあったが、今ではこうして傷がほとんどふさがっているのには驚愕こそしたが、それはそれ、これはこれと割り切る。
シャンプーも使わせてもらい、汚れを洗い落としていく。そのままシャワーで洗い流し、すっきりとした面持ちで気分を一心させてキュッ、と蛇口をひねってシャワーを止める。
そして用意してもらっていたバスタオルを拝借して、身体の水滴を拭いていく。
いい具合だ、と拭き取ったバスタオルを見て確信する。バスタオルには血のあとがない。
「……自分でも怖いくらいだけど、ま、治ったならいいか」
そうぼやいて着替えをし、下着を着用したあとに服に袖を通す。
「お待たせ。って、まだ口論してんのか……」
未だ口論をしている二人を苦笑しながら見守った。