蝙蝠のおはなし
――変な奴だったな、あいつ。
外の光が少しずつ射し込む洞窟の中で、蝙蝠は天井の岩に逆さまにぶら下がりながらそうぼやいた。それは確かに声になっていたが、誰にも聞かれる事はない。同族にしか聞き取る事の出来ない高周波のそれは、今、彼が居る場所では誰にも伝わる事がない。
切り立った崖にぽっかり開いた中程度の大きさの洞窟は、どこまでも静かだった。
蝙蝠はまだ続ける。
――黒が最上の色だとか、幼馴染みが大切だとか、訳が解んねぇっての。結局最後まで敬語を貫きやがったし。つか、俺がコウモリって解ってんのに話すとか、何なんだあいつ。
――会った瞬間殺し合い、くらいは覚悟してたんだがな。予想が外れやがった。能天気過ぎんだよあのフクロウは! ああ、腹立つ!
岩に掴まっていた足を離すと、蝙蝠は空中で身を捻り羽ばたく。苛立ちから体に篭る熱を払うように、さほど広くもない洞窟内をくるくると旋回した。
理不尽な怒りだとは気付かず、蝙蝠は苛々と飛び回る。
――仮にも鳥類だろうがあいつも! 俺はコウモリだぜ? 二枚舌のコウモリだっつうことくらい知ってんだろうが!
くるくる、ぐるぐる旋回しながら高周波でがなる。誰にも聞かれないのを良いことに、蝙蝠は有らん限りの声を上げた。 ――つかよ、何で鳥が夜に飛べんだよ! 鳥目じゃねぇのかよあいつは!
――夜なら誰にも会わねぇって思ってたのによぉ! ちくしょう!
――しかもあんな能天気野郎、俺と合わねぇんだよ性格が!
――あんな性格だから烏の野郎に負けんだよ! しっかりしろよ猛禽類!
もはや文句でも八つ当たりでもなくなった。
ひとしきり飛び回り満足したのか、大分体力を消費した為か、蝙蝠は徐々に失速し始めた。ふらりふらりとよろつきながら、先程までの勢いが無かったかのように天井に停まる。
再び逆さまにぶら下がり、ふぅと一息吐いた。聞こえない声だが、蝙蝠の苛立ちは大分発散されたようだ。
切り換えが早いのか、それとも単に疲れただけなのか、打って変わって冷静な様子で蝙蝠は言う。
――似たような境遇だからって、違うもんだよなぁ……。
ぐったりとした声で、絞り出す様に蝙蝠は呟いた。力の無いそれも、誰かに聞き取られはしないが。
岩肌に引っ掻けた爪以外の力を抜いて、重力に引っ張られる感覚を感じながら蝙蝠は目を瞑った。今は夜明けだ。蝙蝠にとっては、眠りにつく時間である。疲れもあってか、眠気はすぐにやって来た。
しかし、それを防ぐ声が蝙蝠に届く。
「……見付けたぞ、裏切り者」
「裏切り者、裏切り者!」
嫌そうに、蝙蝠は渋々目を開けた。
蝙蝠の同族とは違う音域の声が二つ。低く落ち着いた声と、その言葉尻を山彦の様に繰り返す甲高い声。洞窟の入り口には、大小二つの影があった。逆光で影しか見えないその二つを、目を細めながら蝙蝠はうんざりした様子で眺めていた。
――あんたらも、飽きねぇよな。
思わずそう言って、その後、この声は聞こえないのだったと思い直し、蝙蝠は声を変えた。大抵の動物が聞こえる周波の声にすると、蝙蝠は気だるく言う。
「俺、眠ぃんすけど」
「黙れ。貴様の都合など知るか」
「知るか、知るか!」
二つの影は間髪入れずに返してきた。その内の大きな方を見て蝙蝠はため息を吐いた。
大きな影は鷹、小さな影は鼠だ。どう考えても食物連鎖が働く関係にあって、何故一緒にいるのか。姿がはっきり見える位置まで洞窟に入り込んできた二匹を見て、眠気の取れない頭で考える。
もっと言ってしまえば、鳥と獣という組み合わせもかなり異色だ。
鳥と獣は相容れない。その原因を作ったのは他ならぬ蝙蝠で、どちらも唆し争わせたのは記憶に新しい。それがバレてどちらも敵にまわし、どちらともに狙われる様になったという事実は蝙蝠にとっては忌々しい記憶だ。
蝙蝠にとってどちらも敵ではあるが、その二つが組む様になるほどその争いは昔のものではない。何故か、というのは当然の疑問だった。
「あんたら、何で組んでんの?」
「答える義理はない」
「ない!」
「うわその鼠うぜぇ」
逆さまに鷹と鼠を見下ろす。テンション高く鷹の後を追う鼠を、蝙蝠は嫌った。鬱陶しい奴と貶すと、鼠は一際高い声で言い返す。
蝙蝠が鼠を嫌おうと興味はないのか、鷹は冷静に蝙蝠を見上げた。
「裏切り者、貴様に逃げ場はない。大人しく投降しろ」
感情の篭っていない、事務的な声だった。
キーキー騒ぐ鼠から目を離し、蝙蝠は鷹に言い返す。
「投降しても結果は変わらないっすよねー」
「投降せずとも構わない、その時は私が手を下せる。我ら一族を貶めんとした貴様の罪、その身に受けろ」
「うわぁ、怖ぇ怖ぇ」
逆さま状態で蝙蝠は肩を竦める様な動きを見せた。それには鷹を挑発する意味を込めていたのだが、鷹はあくまで冷静だった。
鷹が特に怒りもしないのに、蝙蝠は不満になる。
鼠は無視されていることで更に怒りを増幅したらしく、届かない天井にいる蝙蝠に向かって声を上げた。怒りが持続する質らしい。
「お、お前、俺を無視するな! するな!」
「あー、ところでタカさんよぉ」
「だから! 俺を見ろ! 見ろ!」
蝙蝠は鼠を見ない。我慢の限界をとうに越えていたのか、鼠は隣にいる鷹の足を叩いた。
「鷹、交渉はもういい! いい! もう殺せ!」
「……言われずとも」
鷹は鼠の叩いてくる足を遠ざけた。感情が無いかのような鷹だったが、声にはやや苛立ちが篭っている風だった。
蝙蝠はそんな二匹を見下ろし、にやりと笑った。
「あれー、タカさん? あんた、そんな鼠に従うんだ?」
「違う。従っているわけでは……」
「だよなぁ。誇りだけは高い鳥類の、しかも猛禽類のあんたが鼠風情に言いなりになるとかねぇよなぁ。単なる餌でしかない鼠に」
鷹は押し黙った。静かに蝙蝠を睨み付けている。
頭に血が上っている鼠は、執拗に鷹を急かす。
にやにやとしたイヤらしい笑いを引っ込めて、蝙蝠は酷く真面目に、静かな声で言った。
「良いのかよ」
鷹の表情が変わる。無表情から、怒りと行き場のない悔しさの入り交じったそれを見て蝙蝠は内心ほくそ笑んだ。
「どうするんだ? 鳥類代表」
蝙蝠は天井から離れ、羽ばたいた。鼠が声を上げる。ゆるりと蝙蝠が一度旋回すると、甲高い声で喚いていた鼠の声は短い悲鳴を最後に途切れた。
――仲間割れかよ、ばーか。
誰にも聞かれない声で呟いて、蝙蝠は悠然と二匹の頭上を飛び越え洞窟の外へ消えた。