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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕はキチガイじゃありません!

作者: クロスグリ

 菊地先輩、どうもお久しぶりです。

 僕がみんなの前から消えてしばらく経ちますが、やっぱり大騒ぎになってしまっているんでしょうか?

 ここ最近色々とありました。何から話せばいいのやら見当がつかないほどです。

 だけど、僕は菊地先輩にだけは伝えたいことがあるので、こうして手紙を書いています。

 僕は精神異常者ではないのです。それだけは分かってほしいのです。

 とりあえず僕がなぜみんなの前からいなくなることになったのか説明したいのですが、何から説明すればいいでしょうか……。

 どこまでが必要なのか分からないので、最初から最後まで、全て包み隠さず書くことにします。

 僕と紗耶香が出会ったところからです。菊地先輩にも話した部分が含まれていて読むのに退屈でしょうけど、僕の頭の整理ついでに書きたいので、ご容赦ください。

 

 雨が激しい日。僕は文化祭のポスターを作るために学校に残っていました。

 ふと気がつくと日が落ちかけていたので僕は片付けをして昇降口に行くと、外でずっと立ち尽くしている女子を見かけました。

 少しだけぼさっとしたロングヘアー。しかし、端正な顔立ち。

 どこかで見たことがあるなと思いました。しかし、具体的には思い出せなかったです。

 傘を持っていないのかな? と、僕は心配になったので声をかけることにしました。

「君、傘ないの?」

 と僕が尋ねると、女の子は少しだけうなずきました。

「それじゃ、僕の傘に入る? 駅までなら送っていくよ」

 そういう僕の提案に女の子は笑顔で賛成して、土砂降りの雨の中、人生で初めての相合傘を経験することになりました。

 彼女は物静かな人物のように思えたので、僕は沈黙を作らないように色々な話題を振ったような覚えがあります。

 美術部に所属していることや、この高校を志望した理由。好きな音楽とかテレビ番組とか。他人にしてみれば楽しい話題なのか疑問符がつくものばかりでしたが、それでも彼女は微笑みを絶やさずに聞いていてくれて、それがとても嬉しくて舞い上がってた当時の僕に、冷静な判断なんてできるはずもありません。

 小学校の頃から絵を描くこと以外に趣味も興味もなかった僕です。女性の扱いを知らなければ、女性と二人きりで話をする楽しさも想像すらしたことがなくて……この時、人生で味わったことのない快感に頬を赤らめたくらいです。

 終始そんな調子で話し続けていると駅前まで辿り着いたので、僕が別れを告げて立ち去ろうとすると、彼女が呼び止めてきました。

「メアド交換したい?」

 と彼女が言ってきました。今考えると妙な持ちかけ方だけども、女の子にメアドを要求されたと思った僕はその場で踊り狂いたい気分でした。

 心臓がスーパーボールのように体内を飛び跳ねる感覚を悟られないように僕はできるだけ無表情でメアドを交換したところで下り電車がやってきたので、僕はそれに乗って女の子と別れました。

 家に着いてもご飯を食べてもお風呂に入っても興奮は冷めないで、暇な時間はずっとどうやってメールをしようか? 明日からどうやって話しかけようか? 明日も雨かな? ということばかり考えていました。

 ニヤニヤしながらケータイをいじっていると、登録された彼女の名前、長坂紗耶香を見て僕は自己紹介すらしていなかったことに気づきました。自分の失敗に頭を抱えました。

 そんなことをしていると、メール受信の通知が届きました。

 紗耶香からでした。期待に胸を膨らましながらメールの内容を読むと……。

「私のこと、好きでしょ?」

 という文章が書かれていました。

 僕は何がなんだか分からなくて、どう返信しようか定まらずにベッドの中に逃げ込みました。

 肯定も否定もしようがない質問。というよりも、今まで対応したことのないケースに僕は混乱してしまいました。

 昔ドラマで見たように「人として好きだけど恋はしてない」だの「恋愛対象ではない」とでも言えば済む話なのかもしれません。だけど、僕はそれを言えるだけの確証がなかったのです。

 僕は人間の美醜について何も知りません。だけど紗耶香は身だしなみはそれほど気を遣っていないようですが容姿自体は交際しても恥ずかしくないと思います。話していてドキドキしていたし、一日中紗耶香のことを考えていたわけだし。これを恋ではないと断言するには、圧倒的に僕の恋愛経験が不足していたのです。

 僕は好きなのか?

 少なくとも、好きだと思わせる態度をとっていたのか?

 日付がかわり、朝になっても答えは出ませんでした。

 

 僕はそのまま支度をして登校していると、電車の中で紗耶香が話しかけてきました。

 どうやら紗耶香は僕のことを探していたようで、メールを返してくれないのを心配していました。

 突然メールを送って嫌われたんじゃないか、実は好かれていないんじゃないかと紗耶香は悩んで夜も眠れなかったらしいのです。

 彼女がそんなことを考えていたなんて夢にも思わなかった僕は、その事実に混乱しつつも必死に弁解しました。

「ごめん、そういうわけじゃなかったんだ。ちょっと用事があったというか、なんというか。別に君のことが嫌いでメールを返さなかったわけじゃないんだ。なんというか、なんというか、なんというかなんだ。とにかくよく分からないんだよ」

 たしかこんなふうなことを言っていたような気がしますが、自分の言っていることが自分でもよく分からなかったので、もっと挙動不審だったのかもしれません。

 僕がしどろもどろになっているのが面白かったのか、紗耶香は顔を軽く引き締めてうつむきながら許してくれました。

 それからはずっとテストや我が校の教師の話をしながら登校していました。

 心なしか昨日ほど変な会話はしなかったように思います。

 学校に着いてから紗耶香と別れても、僕は紗耶香のことばかり考えていました。

 だけど、恋してるとは思っていませんでした。昨日会ったばかりの人間に心を奪われるなんてことがあるのでしょうか? 童貞の僕にはそもそも恋とは何かすら不明瞭だったのです。

 しかし、なぜこんな気持ちになるのか分からず、ずっと気分が悪い思いで授業を受けていました。

 それに耐えられなくなった僕は、昼休みになるやいなや菊地先輩がいる美術室へと向かったのです。

 そして僕は、予想通りパンを咥えながら自作品を眺めている菊地先輩に悩み事を打ち明けました。僕の記憶が違っていなければ、ここまでの文章と全く同じことを言っていたと思います。

 僕は菊地先輩を頼りにしていました。それは僕より絵が上手かったり、何回も勉強を教えてもらったという理由もありますが、一番の理由は、菊地先輩なら何でも知っていると思っていたからです。学校のことも、恋愛のことも。

 全てを話し終えると菊地先輩は口を開きました。

「紗耶香ってそれ、三組の問題児だったやつ? あぁ、一年の君は知らないか。去年、授業中にイスを黒板に投げたり、女子の髪の毛を掴んで引きずりまわしたりした女子がいたんだよ。最終的には二階から飛び降りて全治何ヶ月だかで入院したらしいよ。だから留年して今は一年生のはずなんだけど、もしかしてその子じゃない?」

 僕は菊地先輩の言うことが信じられませんでした。

 あんなに穏やかそうな紗耶香が? 想像もできません。

 だから僕は直接本人に会って事実か確認しようと思い、美術室から出ようと扉を開けました。

 すぐ目の前に紗耶香がいました。

 僕はびっくりして尻餅をつき、後ろを振り向くと、菊地先輩がゆっくりと頷いていました。

 菊地先輩が言ってた問題児と紗耶香は同一人物だったのだ。そう思うと緊張のあまりに体のどこも動かせなくなってしまいました。

 きっと、今の僕は怖いものを見る目で紗耶香を見てしまっている。

 そんな顔をしちゃいけない。そう思っても、表情を変えるどころか、目をそらすことすらもできないままどうしようか考えていると、紗耶香がにっこりと笑いました。

「ねぇ、お話があるの。ちょっとこっち来てくれる?」

 紗耶香はそういって、僕の左手を掴んで体を起こし、そのままどんどん廊下を進んで、体育館の裏まで連れて行きました。

「ねぇ、さっき美術室にいた女の人、誰?」

 と紗耶香は言いました。おそらく菊地先輩のことを言っているんだと思います。

 話を聞いてみると、紗耶香は僕と菊地先輩が付き合っているのだと思っているらしくて、それに腹を立てているようでした。

 僕は困惑しました。たしかに菊地先輩は美人だと思います。だけど菊地先輩は彼氏がいるということは知っていましたし、そもそも僕にとっては美術の道における憧れの人としか思っていませんでした。なんだか遠い存在の人間と幸運にも話しかけられるという気分でして、例えるならテレビでよく見る有名人と一緒にいるという感覚で毎日接していたのです。

 そのことを紗耶香に伝えても、まったく信用してくれませんでした。

 それどころか僕が隠し事をしていると、勘違いを深めてしまったようで……ついには泣き叫びながら崩れ落ちてしまったのです。

 僕はどうしたらいいのか分からずに立ち尽くしていました。

 とりあえず何か言わなくてはいけない。だけど喉がきゅっと閉まって、口から音を出すだけでも相当な力が必要でした。。

「僕は……泣かせるつもりなんて、なかったのに。そんなに泣くことないじゃないか」

 喉のシャッターを無理やりこじ開けて言えた言葉が、それだけでした。

「本当に? 私が泣くのは嫌?」

 それに紗耶香が反応しました。

「……うん、お願いだから泣かないでよ。何でもするから」

 僕がそう答えると、紗耶香は微笑みながら立ち上がり、鼻をすすって、懐に手を入れました。

 そこからの記憶はありません。

 気がつくと僕は、夕焼けに照らされた、知らない部屋にいました。

 ぼんやりとした意識の中、はじめに感じ取ったのは思わず吐き気をもよおすくらいの異臭。

 そして次に脳髄を刺激したのは、黒い赤色に染まるカーペットでした。

 それが血で、異臭の原因なのだと一瞬で分かりました。

 カーペットに描かれた可愛らしいハートから血が噴き出ているように見えるのが気持ち悪くて、すぐに目をそらしました。

 移り変わった視線の先には勉強机に飾られた生首がこちらを見ていました。

 僕は人生でこれまでにないほど絶叫しました。

 立ち上がって目の前にある扉に向かって逃げようとしましたが、できませんでした。

 何度もイスから離れようとして失敗するたびに焦燥感は積り、それが恐怖心に変換されて、また声を大きく張り上げました。

 今すぐここから出て行きたい。その気持ちばかりが強くなって、体のありとあらゆる部位に力を入れて暴れようとしましたが、結果はイスと共に横倒しになっただけでした。

 床を染めていた血が顔に、肩に、ふとももに……右半身は赤黒く染まってしまいました。

 思わずしかめっ面をするほど鼻腔を刺激する腐臭の原因が直接鼻の中に入り込み、口内に侵入した鉄の味が危険信号となって僕の頭を警告音で満たしていくのです。

 ふと、僕の足とイスの足が一緒になって縄で縛られているのに気がつきました。

 まさかと思い腕を見ると、手を後ろに回されて、これまたイスに固定するように縄で括りつけられていました。

 絶体絶命のこの状況。

 僕も、首だけになってしまうのだろうか?

 抵抗すら許されない僕は、このまま死んでしまうのだろうか?

 大声を聞きつけたのか、誰かが部屋の扉をゆっくりと開けました。

 親切な人が助けに来た可能性など微塵も考えませんでした。

 僕の体内で絶望が蛇のように這いずり回り、締めつけてくるのを感じながら、心の中でひたすら命乞いをしました。

 どうか、命だけは……。目だけは、手だけは健康のままにしてください。他は差し上げますので……。

 目に涙を溜めながら扉の先を見ると、そこには紗耶香が立っていました。

「そんなに大きな声を出しても誰も来ないよ。私、毎日ここで叫んでるから、近所の方々は慣れっこなの。私の言うとおりにしていれば何も怖くないから、そんなに怯えないでね。でも、ねぇ、次叫んだらお仕置きだよ? いい? 次叫んだらお仕置きだからね」

 僕は紗耶香が言っていることがほとんど理解できませんでした。だけど、叫んだら殺されるということだけは分かりました。

 僕は紗耶香に現状で分からないことを全て聞きました。

 どうやらこの血まみれの部屋は紗耶香の自室のようで、血だまりと生首は母親のものらしいのです。

 僕を気絶させた方法や、監禁している理由、そもそもどうやって連れてきたのか、そしてなぜ紗耶香の母親が死んでいるのかまでは教えてくれませんでした。

「僕を……殺すの?」

 僕は、どうやら命だけは助けてもらえることは理解していました。

 しかし、それでも、直接的な回答をもらわないと不安で不安で仕方がなかったのです。

「そんなことしないよ」

 紗耶香がそう答えました。

 それどころか、僕の拘束を解いて、顔を拭き、リビングに連れて行ってくれたのです。

「ごめんなさいね、あんな部屋に閉じ込めちゃって。もう少し眠っていてくれると思ってたんだけど……。リビングの掃除をしていて、どうしてもあそこに貴方を置いておかなきゃいけなかったの。これから二人で暮らせるように、邪魔なものは全部他の部屋にしまいこんじゃった。すごく広々としていて綺麗でしょ?」

 たしかに、紗耶香の部屋とは違ってリビングは清潔でした。ゴミが見当たらないのは当然、余計なものが一切置かれていなくて、あるのはソファ、テーブル、カーペット、大きめな小物入れ、固定電話機、毛布だけでした。

 僕は困惑していました。だって、絶対に怖いことをされるのだと思っていたから。

 しかし、こんなところで何をされるのかも分かりませんでした。

 その疑問を口にしても、紗耶香は無視しました。

「私のこと、好きだよね?」

 と紗耶香は言いました。

 突然の質問に僕はどう返答すればいいのか困っていました。

 好きかどうかなんて、最初のほうに書いたように、答えようがないからです。

「ねぇ、私のこと、嫌いなの?」

 僕は背筋に冷たいものが走りました。

 無意識的にですが、この時から紗耶香が「ねぇ」と言う時は怒っている時なのだと気がついていたのです。

 彼女を怒らせたら絶対に生きては帰れない。それはこの状況を見るだけでも分かりきっていたことでした。

「す、好き……だよ」

 僕が怯えながら答えると、彼女は困ったように微笑んで、僕に顔を近づけました。

 そっと触れ合う唇。ストロベリーの味がしました。それが口に何かをつけていたからなのか、キス自体がこういう味なのかは童貞の僕に判別できませんでした。

「嫌だった?」

 僕は顔に熱を感じながら首を振りました。本当に嫌な気分はしなかったのです。

 むしろその柔らかい感触に、少しだけ落ち着きを取り戻したくらいでした。

「そう、ならよかった」

 紗耶香はそういうと、突然泣き出してしまいました。

「ごめん……ごめんね……私、貴方のことが好きで……でも、きっと両思いだって、そう思っても怖くて……メール返してくれなかったり、他の女の人といたり……だから私、どうしても貴方の気持ちを確かめたくて……こんなこと、しちゃったの。でも、私のことが好きなら、とても嬉しい」

 泣き崩れる紗耶香の言葉を聞いて、僕の中にある何かがチクリと痛みました。

 僕は、こんなにも彼女を不安にさせてしまっていたなんて気づきもしていなかったことに何ともいえぬ罪悪感を感じていたのです。

 女の子は傷つきやすいから、慎重に扱えと母親に言われたことがありますが、今その意味が理解できたような気がしました。

 しかし、それだけでは何も説明できていない気もしていました。

 紗耶香はひとしきり泣いた後、思い出したように立ち上がって。僕にお風呂を勧めました。

 顔は拭いてもらったけど、服は血で汚れたままだったのに気づくと同時に、紗耶香の部屋での光景が脳裏に蘇りました。

「お母さんの話、聞きたい?」

 僕が黙っていると、紗耶香はそう聞いてきました。

 僕はそれに頷きました。

「でも、先に体洗ってね。この状態だと、ゆっくりお話できないでしょ?」

 僕は服が気持ち悪かったのもあって、それに同意してお風呂に入ることにしました。

 お風呂の中も綺麗でした。リビングと同様に、体を洗うのに本当に必要なものしか置かれていませんでした。

 それに若干の不気味さを感じつつ体を洗い終えて風呂場から出ました。

 脱衣所まできてようやく、着替えはどうするのかという疑問が湧き上がってきました。

 当然それらしきものは見当たらなかったので、僕は脱衣所から顔だけ出して、リビングにいるであろう紗耶香に服の催促をしました。

「あー、そういえば着替えどうしよう。でも私は裸でも気にしないよ」

 と紗耶香は言いました。紗耶香は気にしなくても僕は気にする、と言うと女性用の可愛らしい服や下着を持ってこられました。

 こんなのを着るのなら全裸でいたほうがマシだと思いましたが、それもできれば避けたかったので、僕は体を拭くのに使ったバスタオルを腰に巻いてリビングへ向かいました。

「お母さんが怖くてね。このままだと殺されるって思ったの。だから、殺しちゃった。お母さんが死んだことは、まだ私しか知らないの。お父さんはいないし」

 約束通り、紗耶香は母親の話をしてくれました。

 僕は、紗耶香のほうが怖いと思いました。

 だけど、だんだんと話を聞いていく内に、なんだか紗耶香はとても可哀想な境遇にあることが分かってきたのです。

 父親は紗耶香が物心がつく前に離婚していなくなり、母親は紗耶香のために再婚を試みるも、紗耶香のせいで意中の相手から拒絶されてしまったらしく、その出来事が起きてから母親は紗耶香に対して虐待を行っていたようなのです。

 それが耐え切れなくなって母親を殺してしまった。殺した先のことは考えていなかったらしく、紗耶香はどうすればいいのか分からない様子でした。

 だから、そんな自分に唯一優しく接してくれた僕を連れてきたのだとか。

 そんなことがあったなんて知らなかった僕は、今まで我が身ばかりを考えてきた自分がちっぽけなものに感じられました。

 菊地先輩の話を聞いて美術室のドアを開けた時から今まで、僕は紗耶香が非常に危険な人間だと思っていたからです。

 紗耶香が泣いた時はわがままだと思い、血みどろの部屋に置かれた時は快楽殺人者だと決めつけました。

 それらは全て紗耶香が寂しかったから、自分を守るためにしていたことだったのです。

 僕はその気持ちを素直に伝えました。なぜなら、自分だけ正直にならないのは卑怯だと思ったからです。

「いいよ。正直に話してくれてありがとうね。そう思ってくれてるってことは、私のことを見つめてる証拠だから。本当に嬉しい」

 そう言う紗耶香に対して僕は何か力になってあげたくなりました。

 そうだ、彼女は僕が必要だから連れてきたんだ。きっと何かできることがあるのだろう。

 僕が拳を熱く握りながら協力の姿勢を見せると、彼女は笑いました。

「そんな大したお願いじゃないの。ただ、一緒にいて? とにかく今は、ゆっくり休みたいの」

 と紗耶香は言いました。

 こんな僕にできるのなら、お安いご用だ。そう答えると、彼女はテーブルの上にある小物入れからトランプを取り出しました。

「ババ抜きくらいしか知らないけど、やろうよ」

 という紗耶香の提案で、僕たちはババ抜きをすることにしました。

 僕は大富豪のやり方も知っていたので教えようと思ったのですが、とりあえず遊びたいとか、ルールを覚えられる気がしないという理由で却下されました。

 ババ抜きをしながら、僕は紗耶香が話すことを色々と聞いていました。

 中学時代は不登校だったこと、そのせいで人と話すことが苦手になって高校で友達を作れていないこと、それどころかクラスメイトの彼氏に惚れられて女子から集団イジメにあっていたこと、頼れる大人がほとんどいないこと。

 誰も自分を理解してくれない、誰も自分を助けてくれない。そんな気持ちからところ構わず暴れるようになり、去年は相当な問題児として見られていたんだとか。

 またしても僕は心の底から恥ずかしくなってしまいました。

 僕は、菊地先輩の話だけを聞いて、ただ暴れているという事実だけを聞いて、彼女のことを恐れていたのです。

 暴れるには、暴れるなりの理由があるのだ。そんな簡単なことに気づけなかった自分を激しく責めました。

 そんなことをしていると、互いに手札が二枚になりました。

 紗耶香は迷わず僕から一枚引き抜いて、あがりました。

「あらら、勝っちゃった。それじゃ、負けた人には罰ゲームをしなきゃね」

 紗耶香はそう言うと、僕に犬の真似をさせました。

 といっても、僕はただ四つん這いになって、彼女のする簡単な命令を実行するだけでした。

 お手、おすわり、抱きつけ、匂いを嗅げ、離れろ、三回回ってワン……要求は段々エッチなものになっていくかと思いきや、突然犬らしい命令に戻ったり、それからまたエッチな命令をしたり……。僕はいつか一線を越えてしまうのではないかと淡い期待を抱きながら、忠実になっていました。

 そのままずっと犬の真似をしていると、僕のお腹が苦しそうな声をあげました。

 お昼ご飯も食べていなかったということにようやく気づくと、紗耶香は苦笑まじりにキッチンの方へ行きました。

「そういえばそろそろ夕方だね。ちょっと待ってて、今ご飯作るから」

 紗耶香はそう言うと、冷蔵庫から具材を取り出して、カレーを作り始めました。

 可愛い女の子にご飯を作ってもらえる。今までそんなことは夢にも見ませんでしたが、なるほど世の中の男子大多数が欲して止まない理由が分かりました。

 僕のために努力してくれている。それだけでこんなにも嬉しくなれるなんて、まるで魔法にでもかかったようでした。それに、まるで僕が彼氏になったようで気恥ずかしくて心臓の鼓動がテンションを上げていくのです。

 しかし、何もしないのは流石に失礼だと思って、手伝うことはないのかと聞いてみました。

「ううん。いいよ、慣れてるもん。……そうだなぁ、あ、お父さんとお母さんに『今日は友達の家で泊まる』って言ったら? 電話ならそこにあるから」

 僕はリビングにあった固定電話機で自宅に連絡しました。今考えるとどうして泊まることになったのか分かりませんが、その時はとにかく、泊まるのだと思っていました。

 それからしばらくして、紗耶香はカレーを運んできました。

 僕はカレーが特別好きというわけではなかったのですが、今まで食べたどのカレーよりも美味しく感じられました。

 その後は二人で同じ毛布にくるまり、寝ることにしました。

 雨の多い時期なので毛布だけで過ごすのは風邪をひくおそれがある気がしたのですが、とても温かかったです。

 それはカーペットのおかげだったのかもしれません。しかし、僕が一番に感じていたのは、紗耶香の温もりでした。

 彼女は僕が寒い思いをしないようにと体全身で抱きしめてくれて、頭を撫でながら時折ほっぺたにキスをしてくれました。これで冷気を感じるほうがおかしいというくらいに僕の心臓を活発にさせてくれるのです。

 僕のことを何から何まで思ってくれる。どこからどこまで愛してくれる。

 そんな紗耶香に、少しずつ、だけども段々と加速していくように好意を寄せました。

 あまりの心地よさに僕は今日起こったこと全てを忘れる勢いでした。

 新しい順から嫌なことが脳髄からゴミ箱に移されていくみたいで、それが段々過去に戻っていくような気がして……僕は、一つの消去できない疑問に辿り着いたのです。

 母と仲が悪い。

 僕はここに引っかかりのようなものを感じていました。何かおかしいぞ、何かが違うぞ。

 そういえば、僕はどこかで紗耶香を見たことがあるんだ。

 気持ちのいい思いに抵抗して、僕は紗耶香に関する情報を洗いざらい思い起こすことにしました。そして思い出しました。

 スーパーで、紗耶香が母親らしき人と並んで楽しそうに買い物をしているところを。

 僕の心臓がさらに早く動きました。しかし、体は熱くならず、むしろどんどん熱が逃げていくような感覚でした。

 いやいや、もしかしたら母親じゃないのかもしれない。親戚や近所のおばさんなのかも。

 いやいやいやいや、それでも話のつじつまが合わない。だって、紗耶香には助けてくれる大人が存在しないはずなのだから。

 もしかして紗耶香は勘違いをしているだけで、実は頼りになる人がいるのでは?

 だとしたら、それを紗耶香に気づかせなくてはいけない。なぜだかそれが僕の使命のように感じられました。

「そういえばさ、ちょっと前にスーパーで誰かと楽しそうに買い物してたよね? あれってお母さん?」

 と僕は聞いてみました。すると紗耶香はびっくりした表情でしばらく固まってしまいました。

 いけないことを聞いてしまったのだろうか?

 そう思って話題を変えようと焦りはじめたら、紗耶香はもっと強く抱きしめてきました。

「そっか……見ちゃったか……。私ね、誰にでも好かれちゃうの。私のことを嫌っている人でもね、少し仲良くなろうかなって思って話しかけると、すぐに好きになってくれるの」

 と紗耶香は言いました。そりゃそうだろう、特に男なら拒むものはいないと思いました。

「それでね、私、みんなのことが大好きなの。例えば私のことを東京ドーム一個分愛してくれる人がいるのなら、私はその人のことを北海道と同じくらいの大きさで愛してあげるの」

 紗耶香はそう言いましたが、僕は話の意図が見えていませんでした。まぁ、唐突な過去の話の続きなんだろう、気長に返答を待とうかなと思っていました。

「だからね、私、怖いの。いつまで愛され続けられるのかが。だからつい意地悪しちゃうんだ」

 そう言ってから紗耶香は十秒くらい、涙をこらえるようにうつむきました。そして顔を上げて微笑んで……。

「殺しちゃうほどね」

 僕は夕方に見た生首を思い出しました。

 まさか、まさか?

 いや、あの死体は虐待を受けて、それで……。

「今日話したこと、全部嘘だよ」

 そう紗耶香は言いましたが、何が嘘なのか分かりませんでした。全部って、どこからどこまで? 何もかもが?

 今まで作り上げた紗耶香という存在を全て否定されたことに僕の脳内はところどころ脱線事故を起こしたように全ての作業を中止して、何もできない状態になってしまったのです。

「お母さんを殺したのは、私が殺したくなったからなんだよ。好きで、好きで、好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きでたまらなくて、私がお母さんを殺しても、お母さんは私のことが好きでいられるのかなって、心配になって。意地悪しちゃった。お母さん、私のことがずっと好きでいてくれたよ」

 僕は理解すると同時に毛布から飛び上がりました。

 しかし、震えた足では走ることは出来ず、一歩ずつ、後ずさることしかできませんでした。

「私のこと、嫌いになった? ねぇ……、嫌いに、なった?」

 段々と声色を変えて紗耶香はそう聞いてきました。

「す、好きだよ。君のことが好きだよ。好きだから、好きだから」

 僕がそう言うと、紗耶香はリビングの明かりをつけて、小物入れから黒く光るものを取り出したのです。

「この拳銃、偽物だと思う? 偽物かな? 本物の拳銃って見たことある? ないよね。だったら、これが本物かどうかわからないよね。どう、知りたい?」

 紗耶香の問いに僕は小さく首を横に振りました。

 しかし、紗耶香の指は引き金を引いて、小さな爆発音を鳴らしました。

 僕はそれにびっくりして尻もちをつきましたが、どうやら拳銃は音だけ鳴らすおもちゃのようでした。冷静に考えれば当然なのかもしれませんが、その時の僕にはそれを判別できるほど頭を働かすことができなかったのです。

「正解は……はずれ! ここは日本なんだから、普通の民家に拳銃なんて置いてあるわけないよね。でもさ、これはどうかな?」

 そう言って紗耶香はまた小物入れから何かを取り出し始めました。

「これ、このサバイバルナイフ。これはどう? もしかしたら、突き立てたら刃が中に入っちゃうおもちゃかもしれないよね。本物かな?」

 と紗耶香は言って、それをソファに向けて思いっきり振りだしました。

 ソファは破けて、まるで血や内蔵をぶちまけるようにして中身を床にまき散らしました。

「これは本物だねー。……あのさ、私に殺されるとしても、私のこと、好き?」

 紗耶香の言葉を聞いて、僕はそれを否定しました。好きって言ったら殺されることに、ここでようやく理解したのです。

「やめてよ、来ないで、来ないで!」

 僕に近づいてくる紗耶香に対して、目一杯叫びました。

「あーあー、大きな声出しちゃったね。ねぇ、そんなことしたらお仕置きするって言ったよね?」

 それを合図にしたように僕は立ち上がって紗耶香の家から逃げ出しました。

 行く先も考えずに、ただひたすら走って、紗耶香のいない、紗耶香が来ないところを目指して、とにかく呼吸ができなくなるまで足を動かし続けました。

 途中で腰に巻いたバスタオルが道路に落ちてしまっても、そんなのおかまいなしに僕は全裸で駆けました。

 後ろを振り返っても紗耶香はいない。それに安心して、僕は街灯だけが照らすコンクリートの道路にへたりこみました。

 これからどうしよう? 財布と携帯電話を入れた自分のカバンのありかすら分からない。周りを見渡すと、そこは閑静な住宅街。深夜なので民家に助けを求めることもできないし、仮に起きている住民がいたとしても、女子高生に殺されかけたと言ってもたぶん警察ですら信用してくれないと思いました。それに僕は全裸なのです。

 そもそも自分が今立っている場所がどこなのかも分からないのだから、朝まで紗耶香に見つからないように隠れて、なんとか家に帰る以外に道はありませんでした。


 朝になると、どうにか家に帰ることができました。

 明かりがついた民家に飛び込んで駅の場所を聞き、その時に事情を説明したら心配してくれた住民の方から電車代の数百円とパンツまで貰って、ようやく帰ることができたのです。

 早く自室で休みたい僕はそのまま我が家を目指しました。

 自宅の玄関が見えて、何もかも終わったという実感が湧いてきました。

 リビングから明かりが漏れていて、その近くから何かを煮る音が聞こえる。いつもの日常が今ここにあるんだ。もう、長い悪夢から解放されたんだ。そう思って玄関を開けました。

 目の前に広がるのは、毎日見ている自宅の廊下。それを汚す赤い液体。

 僕は嫌な予感に想像を膨らす暇もなく、血が続いているところを線路に全力で走りました。

 終点のリビングには血まみれになった二つの死体がありました。一つは女性の体をした父親、もう一つは男性の体をした母親。

 あまりにおぞましい光景に立ち尽くしていると、後ろから肩を叩かれました。

「二人の体を入れ替えてみたの。どう? とても素敵じゃない?」

 振り返るとそこには紗耶香がいました。

 あまりの恐怖と絶望に叫び声すらあげられず、振動する歯以外は硬直してしまい、もう逃げることすらできない僕に紗耶香は小悪魔じみた笑みを向けました。

「もう、逃げても無駄だよ? 私は死ぬまで貴方を追い詰めるの。だって、好きだから」

 そう言う紗耶香の言葉に嘘偽りは一切感じられませんでした。

 僕は、彼女が死ぬまで苦しめられるのだ。彼女にとっての悪戯で、殺されてしまうのだ。

「もし嫌だったら、殺さないとね。ほら、そこのテーブルに包丁が置いてあるでしょ?」

 僕はテーブルに目をやりました。そこには用意されたようにドス黒い包丁がありました。

 僕はそれを素早く取って、包丁を持った左手が震えるのを右手で押さえつけながら、紗耶香に向けたのです。

「あらら、震えちゃって、可愛いね。そういうところも大好き。でも、私を殺せるのかな? そんな様子じゃ殺せなさそうだけど、ここで私を逃したら、また怖い思いをするかも、だよね。次は菊地先輩? に悪戯しちゃおっかなぁ」

 菊地先輩の名前を聞いた途端に、僕の体は第三者の手によって動かされたみたいに紗耶香へまっすぐ突進していきました。

 細胞と細胞が千切れる感触と、紗耶香の見開いた目を見た時、僕は人を殺したんだと思いました。

 仕方がなかった。そんなことは微塵も考えずに、魂の抜け殻となってしまった紗耶香の体を見て、僕は叫びました。

 何回も何回も、涙を流しながら僕は叫びました。まるで野生動物のように理性が消え失せ、ただただ自分を抑えるためだけに、声を張り上げたのです。

 その後のことはよく覚えていません。

 たしか近所の人が異常に気づいて、それで警察に連れて行かれて、色々とあった後に病院に連れて行かれました。

 そこで僕は入院させられましたが、どうも様子がおかしいのです。

 心療科医の質問が親に対して不満はあったか、紗耶香に性的暴行をしたか、紗耶香の母親とはどういう関係だったのか、といったようなものばかりで、なんだか僕が気が狂って両親と紗耶香とその親を殺したと決めつけているような口ぶりなのです。

 その後僕は正式に入院することになり、そこで生活しています。

 僕の部屋は床が柔らかくて真っ白で、二つのドアによって閉じられています。

 僕は、何か悪いことをしてしまったのでしょうか。

 こうして振り返ってみると、どうも紗耶香は殺されたがっていたようにしか思えません。

 警察から取り調べを受けている時に聞きましたが、なんでも紗耶香は遺書を残していたらしく、僕に殺されるかもしれないことを予期していたようなのです。

 僕は紗耶香の遺書を読んだわけではありません。しかし医者からもこういう対応をされるのなら、その遺書には僕の潔白を真っ黒に塗りつぶしてしまうほどの魔力があったとしか考えられません。

 紗耶香が死してなおそこまでする理由は分かりませんが、僕は紗耶香の思惑にまんまと引っかかってしまったのではないでしょうか?

 紗耶香が僕を拉致した時点……あるいは、昇降口で僕を待ちぶせしていたのかもしれません。

 とにかく最初から最後までが、紗耶香が僕を惚れさせ、そして僕に殺しをさせるために仕組んだ壮大な自殺計画なのではないでしょうか?

 紗耶香が一回嘘を宣言してしまった以上、最早紗耶香の話はどの部分が本当で、どの部分が嘘か見分けるのは難しいです。しかし、これまでの話を都合のいい部分だけ信じれば、何とかつじつまが合うような気がします。

 警察や医者はもうあてになりません。

 それなら、もっと頼りない世間というものも、僕が異常者だと決めつけているでしょう。

 だけど菊地先輩だけは違うと信じています。

 僕は無実のはずなのです。

 菊地先輩、菊地先輩さえ信じてくれれば、もしかしたら僕が気狂いではないということが証明されるかもしれないのです。

 それともこの文章は気狂いの僕が一から創りだした虚構なのでしょうか?

 それを決めるのは、僕が唯一相談した菊地先輩ただ一人です。

 どうか、僕を助けてください。

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