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話の四 共生 (中編)

「あのう……」

 最近あまり熟睡できていないせいか、じっとしているといつの間にかウトウトしてしまうことが多い。

 誰かに呼ばれたような気がして目を開けると、正面にはつけっぱなしのテレビ画面があった。

 ああ、今のはテレビの音声だったのか――と、再び瞼を閉じかけたとき。


「あ、あの――――っ」

 はっきりと、テレビとはまるで違う方向から声が聞こえた。

 ――まただ。

 また、つい彼女の存在を忘れてしまっていた。


 我に返った健吾は慌てて振り返った。

 瑞奈が、頬を膨らませてこちらを見ている。もごもごさせていないし、ちょっとだけ唇の先端を尖らせていることから、お菓子を食べているのではなく、少し怒っているのだと気づいた。


 どうやら、何度呼びかけても返事がないので、無視されたと思ったらしい。

「ごめん、寝てたみたいだ」

 健吾が謝ると、瑞奈は尖らせていた唇を今度はへの字に曲げて、僅かに潤んだ目を両の拳でぐりぐりと擦った。

「うう、嫌われたかと――」

「ちがう、ちがうって! ホントにウトウトしてただけだよ。ていうか、瑞奈ちゃん何もしてないのに嫌うわけないじゃないか」

 健吾の弁解にも関わらず、室温が下がってきた。

 ――まずい。ここはさっさと話題転換を図って彼女に冷静になってもらおう。


「そ、それで、どうしたの? 何かあったの?」

 よく考えてみると、瑞奈の方から話しかけてくるのは、珍しいことだった。

 二人での会話は、ほとんどが健吾から始められる。大きな声でわざとらしく独り言を呟くのも、健吾の方から話しかけて欲しいからだ。

 ごくたまに、彼女から話しかけてくることもあったが、それはお菓子がなくなった、と訴える場合に限られている。瑞奈の膝元を見ると、まだお菓子は半分以上残っていた。


 今までは、我儘ひとつ言わないので楽なコだ、くらいにしか思っていなかったが、ちょっと返事をしなかっただけで半ベソになったのを見て、健吾の中にまた罪悪感が生まれた。

 瑞奈はここを動くことができない。だから健吾に怒られたり嫌われたりしないよう、黙っていたのかもしれない。本当は色々と話したり、要求したいことがあったのに、ずっと我慢していたのかもしれない。


 健吾は気持ちを落ちつけて、できるだけ穏やかに、ゆっくりと言葉を続けた。

「……何でもいいから、気にせず言ってごらん」

 瑞奈は健吾の目をチラっと見て、俯いてから小さな声で言った。

「あのう……たいしたことではないんですけど」

「うんうん、全然構わないよ。言って言って」

「テレビ――」

「は?」

「私も、テレビ見ていいですか?」

「お、おう。もちろん」

 心の準備をしていた健吾にとってはなんとも肩透かしな要求だったが、ずっこけそうになるのをなんとか堪えた。


「よし、ちょっと待ってて――」立ちあがって、画面を見やすい角度に調整しようとすると、瑞奈が両手をバタバタさせた。

「あ、そうじゃなくて」

「うん、どうした?」

「えっと、ここからじゃ遠くてよく見えないから……」

「そっか――そうだよね。でもそれなら……」

 健吾は困ってしまった。テレビを瑞奈の近くまで運ぼうにも、アンテナケーブルの長さにはほとんど余裕がなかった。


「あのう、もしよければ、なんですけど――」

「うん?」

 首を傾げる健吾と目が合って、瑞奈の顔がゆでダコのように赤くなった。

「わ、私がそっちに行って……いいですか?」

「ああ、別にかまわな――え……?」

 反射的に返事をしようとした刹那、健吾の脳裏に、ある光景と予感が浮かんだ。


「やたー!」

 瑞奈は既に健吾の了解を得たとばかりにはしゃぎながら、両手を持ち上げ、左右から頭部を挟むように支えた。


「まままま待った! ストップ! そのまま!」

 これも反射的に、いや半ば本能的に叫んでしまい、瑞奈は驚いて動きを止めた。

「……やっぱり、だめ、ですか?」

「いや、そうじゃない、そんなことはないんだけど」

 ――その涙目は反則だ、と心の中で訴えながら、健吾はその目力に抗えない自分を呪った。

「その、あれだ。首だけ転がるのはちょっと勘弁――」

「それじゃ、私、どうすれば……」

「ぼ、僕が――」

 ――しまったぁー!


 苦し紛れに出てきた自らの言葉に、健吾の心の声は最早悲鳴と化していた。

 しかし、ここまで言ったらもう後戻りはできない。こうなったら、やるしかない。

 健吾は全身に力を込めて、鼻息を荒くしながら畳部屋に大きく踏み込んだ。

「ぼ、ぼぼ、ぼくが、はきょぶ!」


「え? わわわきゃ――――っ?」

 瑞奈の両手が大きくばたついた。

「暴れないで! 落としちゃうからっ」


 できるだけ直視しないようにしながら、健吾は瑞奈の頭をがっちりと掴んだ。

 たちまち手が震え、肌が粟立つ。幽霊であるためか、人の頭部にしては存外軽そうで、落っことすような心配はなさそうだったが、それでも怖い。

 そしてその恐怖の中には、自分が瑞奈に恐怖しているということを、瑞奈に悟られたくない、それは彼女をひどく傷つけるのではないだろうか、という思いもあった。


「うおおりゃあああああ!」

 気合いとともに、渾身の力を込めた両手で頭部を持ち上げた。音もなくそれは体から離れ、勢いあまって上方に放り投げそうになった。

 バランスを崩して転びそうになるのを、必死になって踏ん張り、つんのめりながらも体勢を変えてなんとか堪えた。が、結果としてそれら一連の動作は、瑞奈の頭部をブンブン振り回すこととなった。


「お、オエエエっ――げ、げんごしゃん、目がまわるう、は、吐きそうでしゅ」

「すまぬ! も、も少しの辛抱だあっ!」


 可能な限り素早くダイニングに駆け込み、テーブルの上に「瑞奈」を、小刻みに震えながらもできるだけ丁寧に、そっと置いた。

「よ、よしっ。これで大丈夫」

 健吾は額に浮き出た冷や汗を右手で拭い、大きく息を吐いた。

 瑞奈は恥ずかしそうに、「うー」と小さく唸った。


     *


 正面にはテレビ。手前には小さなテーブル。そしてその上には首から上だけの瑞奈。

 とても落ち着いて観賞できる状況ではない。

 健吾は気を紛らわすために、ビールを呷りながら瑞奈と一緒にテレビを見た。


「ところで、何か見たい番組でもあったの?」

「いえ、別になんでもいいです」

 映っているのは別段面白いとも思わないバラエティ番組。それを瑞奈はじっと見ている。

「見たい番組があったら、チャンネル変えるよ――」

 健吾はリモコンを操作し、画面に番組表を表示させた。

「わはああ、これすごい。便利だー」

 瑞奈が感嘆の声をあげて喜んだ。


「なるほどね……」

 意外なところで得られる情報もあるものだと、時間経過による慣れとアルコールの効果によって冷静さを取り戻した健吾はしみじみ実感した。

 このリアクションから推察するに、おそらく瑞奈は地デジを知らない。

 

「どうかしたんですか?」

 健吾の視線に気づき、瑞奈は少しぶっきらぼうに尋ねてきた。不機嫌というより、明らかに照れ隠しの態度だった。首から上だけの姿をじっと見られるのは、恥ずかしいのかもしれない。

「いや、なんでもないよ。で、どれ見る?」

「なんでもいいです。ちょっとテレビを見てみたかっただけですから。健吾さんの見たい番組でいいです」

「そう言われても、僕もテレビっ子じゃないしなあ」


 とりあえず瑞奈の年齢も考慮して、あまり固い内容はやめて、アイドルやお笑い芸人などが画面を賑わすような番組を適当に選んだ。

 瑞奈は黙ったままテレビを見続けている。

 番組の内容自体に興味を持てない健吾は次第に退屈になり、空のビール缶を量産していった。


「そうだ、瑞奈ちゃん。たまにはお菓子以外の物も食べてみる?」

 酔いがまわってくると、退屈にも飽きてしまい、何か話したくなってしまう。

 健吾は、手元にあったつまみを瑞奈に見せた。


「なんですか、これ?」

「ビーフジャーキー」

「私、食べたことないです」

「……じゃあ、味見してみよう」


 健吾が差し出すと、瑞奈は素直に口を開け、ぱくっとビーフジャーキーを食べた。

 瑞奈が噛むたびに、頭部全体が大きく揺れる。

「うーーーーおにくうううう」

 わけのわからないリアクションだった。


 ビーフジャーキーを食べたことがないというのは、どういうことだろうか。

 単に年齢的なことだろうか。十四歳の女の子では、確かに食べたことがなくても著しく不自然ということはないかもしれない。


 ――年齢、か。

 瑞奈の年齢については、少し注意しなくてはならない。その幼さを残す外見や言動のせいもあって、つい、ある錯覚というか、勘違いをしてまいがちだ。

 即ち、瑞奈は確かに十四歳なのだろうけど、それは享年十四、ということだ。今現在、生まれてから十四年ではない。


 ビーフジャーキーを知らないもう一つの可能性として、それがまだ一般にあまり普及していない時代の女の子だった、ということもあるかもしれない――。

 そこまで考えて、健吾は苦笑した。瑞奈は今、平然とテレビを見ているし、携帯電話を珍しがることもなかった。何十年も昔の子、ということでもなさそうだった。


 ごくっ。

 と、瑞奈がビーフジャーキーを飲みこむ音で、健吾の思考は中断された。

「はう、アゴが疲れましたあ」

「あまり美味しくなかったかな?」

「そんなことは……でも、チョコが一番ですっ」


 健吾は笑いながら、六畳間にあるお菓子を取ってきて、瑞奈に食べさせてやった。

「うーん。これですこれ。やっぱ『コアラの町』サイコーでふ」

 お菓子を頬張り、もごもごさせながら、瑞奈は満足そうに両の目をカマボコの断面のような形にしていた。


 その様子を見て、健吾はとにかく笑いながら、不意に浮かび上がってきたある疑問を頭から吹き飛ばした。

 ――首と胴が離れている今、飲みこんだビーフジャーキーはどこに行ったのだろう……。



(つづく)




前回の更新から一か月近く経ってしまい、申し訳ありませんでした。

今回も少々長くなってしまったため、「話の四」は前・中・後の三分割となります。

後に改稿するかもしれませんので、ご了承ねがいます。


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