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話の七 刻まれた証 (前編)

(6/3)構成の見直しに伴い、一部タイトルを変更したため、今回が「前編」になりました。内容に変更はありません。

「それにしても、少し見ないうちにあなた達、随分と仲良くなったのね。赤の他人の霊に庇ってもらうなんて、なかなかに貴重な体験だと思うわ」

 運転を再開しながらも、珠希はまだそんな話題を引っ張ってくる。ただ、すっかりと落ち着きを取り戻したのか、その口ぶりには冷やかしや揶揄といった成分は含まれていない。


 車は相変わらずの低速走行。

 越したばかりで土地勘のない健吾には、今どこを走っていて、どこに向かっているか、まるで分からない。

 そんな雑談を振ってくるのは、まだ目的地に着くまでに少し時間がかかるからかもしれない。


「僕には何が貴重で何がそうでないか、区別できないけど。珍しいことなの?」

「生前から親しかったりする場合を除くとね。実は霊と付き合うのはわりと難しいのよ。あなたも経験上理解はできるでしょ? 瑞奈ちゃんはかなりマシなケースだと言えるけど、それでも記憶がとても曖昧だし、話題によっては話が通じない時があったはず」

「うーん、確かに。でも難しいって感じたことはないかな」

「瑞奈ちゃんはあなたを庇うくらい、他人に気遣いできるからね。霊はその人物の全人格がそのまま丸ごと現れるわけじゃないらしいから、融通がきかないことの方が多いのよ。中には恐怖とか恨みとか怒りとかの、感情だけ(●●●●)が霊となって現れることもあって、そりゃあもう、話すどころか言葉も通じなかったりして。そうそう、この前なんかね――」

「ああああ、待った待った。それは今は勘弁。武勇伝はまたの機会がいいなあ」


 健吾が必死になって、会話が「本当にあった怪談」コーナーに移行しようとするのを阻止すると、珠希は口惜しそうに小さく「ちっ」と舌を鳴らした。

「まあ、冷静なコミュニケーションがとれるような状態であれば、あとは性格とかお互いの相性――つまり普通の人づきあいと大差ないわ。その点、瑞奈ちゃんは気が小さそうだから、もっと人見知りすると思ってたのよね」


 瑞奈との共同生活を始めてから、幾日が経っただろうか。その間、健吾の生活は明らかに瑞奈中心に回っていた。それなりに会話もしたし、一緒にテレビを観たりもした。決して変な意味ではなく、情が移るのは至極当然だという気がする。

「初めのうちは緊張もしてたけど……でも、これだけ一緒に過ごしてれば、色々とお互いの話しもするし、それなりに親しくもなりますよ」

「そりゃそうか。唯一の話相手だもんね。しかもお菓子をくれるし」


「そうそう。誰かさんがたまには様子を見に来てくれると思っていたのに、放っとかれちゃったから、僕が唯一の話相手になっちゃったわけで」

「あら、なにげに不満げな――ていうか嫌味?」

 拗ねた子どものようでどうにも情けないが、戸惑いと不安の連続だった日々を思い起こせば、文句のひとつも言っておきたくなる健吾だった。


「でもあなたたち、上手くいってるじゃない。結構楽しそうだし」

「それは結果論で――瑞奈ちゃんがいい子だったからで……」

 珠希はぷっと軽く吹き出した。

「はいはい。悪うございました。瑞奈ちゃんがイイコで、それに可愛くてよかったわね」

「むぐぐ……」

 また茶化される方向に会話が進みそうで、健吾は自らの迂闊さを呪った。しかし予想に反して、珠希は少し神妙な表情となって話を続けた。

「あなたなら任せて大丈夫だと思ったのよ。事実、その判断は間違ってなかったようだし。その分私は自由に動けたから助かったわ」

「動く? 何をしてたの?」

「私だってね、遊んでたわけじゃないのよ」


 赤信号で車を止めた隙に、珠希はダッシュボードに放り投げるように置いてあった、黒くて分厚い手帳を、健吾に渡した。長時間太陽光に晒された合成皮革の表紙は驚くほど熱く、手にした途端落としそうになる。

「これは?」

 今どきの女の子が所持するには少々渋すぎる、というよりも、はっきり言っておっさんくさい。それにこんな炎天下の車内に放置していたせいか、表紙はかなり傷んでいた。あまり大事に扱っているようにも見えない。


 裏表紙を見ると、銀色の文字が刻まれていた。半ば以上擦れて消えかけていたが、辛うじて「佐藤不動産」と読める。

「ああ、叔父さんトコで手帳を作ってるのか」

「そう。社員なんて少ないからそんな支給品作ってもお金かかるだけだし、いつも余っているんだけど、まあご近所付き合いっていうの? 向かいの文具屋さんに毎年お願いしているのよ――って、そんなことはどうでもいいの! それが、一応私のアリバイ」

「アリバイ?」

「そう、私が遊んでなかったことの証拠品」

「ふーん……つまりこの中に何か書いてあって、それを読めば分かるわけだね」

「整理されてないから、見ても理解できないと思うわ。それでも見るなら、付箋を貼ってあるページだけにして。それ以外は絶対に見ちゃダメ」

「はいはい……」


 手帳には数か所、ピンクの花柄の付箋紙――これだけが女の子っぽくて逆にアンバランスだ――が挟まっていた。健吾は言われた通り、そのうちの一つを開いてみた。


「! こ、これは――」

 手帳に書かれたモノに健吾は愕然とした。これを、どう理解しろというのか。


「ね? それだけじゃ分からないでしょ。今からちゃんと説明するから――」

「うん……メモの内容以前に、全く読めない――珠希ちゃん、字がもの凄く下手だったんだね」

「や、やかましいっ!」

 珠希は顔を真っ赤にしながら手帳をふんだくり、ついでに健吾の頭をぱん、と叩いた。


「も、もう二度と見せないもん、見せないからね! 後で後悔しても、知らないからね」

「はい。見なくていいですから、どうか続きを、説明とやらを……」

 はっ、と我に返った珠希は、「こほん」と小さく咳払いし、いつの間にか青に変わった信号を見て慌てて車を発進させた。


     *


「……要するに、調べていたのよ」

 正面を見据え、沈着な態度で語り始めた珠希。まだその横顔にはほんのりと染まった頬が張り付いているが、そのことは黙っておくことにした。

 手帳の中身が解読不能であっても、何について書かれたメモなのか、そのくらいの推測は健吾にもできていた。


「瑞奈ちゃんについて、だよね」

 珠希はこくりと頷いた。それとほぼ同時に、健吾はちらっと後部座席に視線を移した。

 瑞奈は変わらず外の風景を楽しんでいる。こちらの会話は耳に入っていないだろう。


「まずは新聞記事から手をつけたわ。十年前の記事を探すのって、結構骨が折れるわね」

「え? 新聞記事?」

 首を傾げる健吾を横目に、珠希は小さく溜め息を吐いた。

「十年前、十四歳の女の子が死んだ。これってどういうことか、わかる?」

「あ……そうか」


 そうなのだ。十年前なんて、見方によってはつい昨日のようなものだ。今と世の中はほとんど変わらない。

 そんな世の中で、瑞奈は死んだ。

 中学生、十四歳の女の子の死――それには事件や事故が関係している可能性が、確かにある。そしてそうであれば、当時の新聞で扱っている可能性も然りだ。

 そんなことは少し考えれば思いつくはずのことだった。なのに、健吾は考えようともしなかった。もしかしたら、避けていたのかもしれない。瑞奈にどのような現実が直面していたのか、考えたくなかったのかもしれない。


「結論から言うと、該当しそうな記事は発見できなかったわ。瑞奈ちゃんはこの街を『双塚市』だと正しく認識していたから、市内か、あるいは近辺に住んでいたと仮定しての話だけどね。とりあえず、十年前とその前後一年も併せて調べて、この地域での中学生くらいの女の子に関する殺人、自殺、失踪、それに事故死は見つからなかったわ――もちろん、新聞に全部載っているわけじゃないけどね」

「そ、そうか……」


 それを聞いて安心すべきなのか、それとも不安になるべきなのか、そんなことに健吾は迷ってしまう。ただ戸惑うばかりだった。

 記事になっていないことは、即ち瑞奈が、例えば凶悪犯罪の犠牲になったわけではない、ということになるのかもしれない。

 それでも、彼女が死んだという事実は揺るぎようがない。それがどのような理由によるにしても、知ってしまえばきっと悲しくて辛くなってしまうだろう。必要なことと頭では理解していても、これ以上彼女の死を追及することに、少なからず抵抗を覚え始めていた。


「健吾くん」

 思考を無理やり中断させるような、強い珠希の声が飛び込んできた。

「覚えてる? 私が忠告したこと」

「え、忠告?」

「瑞奈ちゃんと親しくなるのは構わないけど、必要以上に入れ込まないように」

「あ、ああ、覚えてるけど、でもそれは――」

「ならいいわ。中途半端なのは気持ち悪いでしょうから、続きを話そうと思うけど?」

「……わかった。えっと、まず新聞には手掛かりがなかったと。で、次の手段は?」

「……」


 自分で促しておきながら、珠希は黙ってしまった。

 不審に思い運転席を覗きこむと、彼女の頬がぷーっと膨れていた。

「ど、どしたの?」

 一瞬だけ健吾と視線を交えた後、ぶはっと息を吐き出しながら、喘ぐように言った。

「行き詰った……」

 全身が脱力し、シートからずり落ちそうになった。


「え――じゃあ、これで話は終わり?」

 珠希はぶるぶると首を大きく振った。

「やりつけないのよ! こんな探偵の身元調査みたいなこと。次に何をしたらいいのか全然思いつかないし。思いついても、調べるスキルが備わってないし」

「えっと……何か思いついたことはあったんだ?」

「うん。次に考えたのが、中学校。瑞奈ちゃんは当時中学生だったはずだから、どこに通っていたか判ればと思って。でもね、これがなかなか辿り着かなくて。瑞奈ちゃんと同年代くらい――今二十四くらいよね――のOBを見つけ出そうとしてもなんのツテもアテもないし。市内の中学を訪ねても、こんな学生相手では取り合ってくれないし……。そもそも幽霊騒ぎのための調査だって言うわけにもいかないしね。ホント疲れたわ」

「あはは、ま、まあ……わかるような気もする」


 ――これは説明じゃなくて、愚痴だよねえ。うん。

 どうしよう。気の利いた慰めでも要求しているのかなあ……。

 なんて不毛な自問を巡らせているうちに、珠希は益々不機嫌な顔になっていく。

 健吾が焦りながら言葉を探し選び取り、声にするより前に、珠希の口から小さな声が発せられた。

「……結局、パパの力を借りたのよ」

「叔父さんの?」

「うん」と、歯を食いしばり、無理矢理首を縦に振る珠希。

 康則叔父に頼ることが相当に悔しいらしい。


 元々は「パパの手伝い」としてこうした事件に携わっているのだし、仕事として割り切ってしまえば、依頼主である叔父に必要な協力を求めるのは当然ではないか――健吾はそんな風に考えてしまう。

 そこを上手く割り切れないところが、この父娘おやこの、いや、おそらくは娘の側の一方的な心情なのだろう。それがどのような思いなのか、当事者ではない健吾には推し量ることは難しい。だが、珠希の康則叔父に対する態度の、どことない一貫性のなさが、その複雑さを物語っているような気がしている。

 自分に何かできることはないのだろうか――ふとそんな事が頭に浮かび、すぐに打ち消した。今はやらねばならないことがある。健吾は敢えて気遣いのない口調で続きを催促した。


「それで、叔父さんの力を借りて、何か進展したということ?」

「……パパは、この辺りでは結構顔がきくのよ。あの会社、実は長いのよね。それから不動産っていう商売柄、この街と近辺の人口動態には常に注意を払っているわ。色んな情報源があるらしくて、いつ誰が越してきたとか、どこどこに転勤になったとか、そういう人の出入りにはとても詳しい。たとえ、それが死者であってもね――」

「は? それって、どういう意味?」

「――それで、見つけたのよ」

「一体何を?」

「もう着くわ」


 珠希はそこで口を閉ざし、アクセルを少し強めに踏み込んだ。車内に響くエンジン音が大きくなるが、その割に速度は上がっていない。

 車は坂を上り始めていた。


「あ、ここは――」

 左右の窓から外を窺っても、道の両側はちょっとした雑木林になっていて見通しがきかない。それでも車が今どこを走っているか、心当たりがあった。


 初めてこの街を訪れた時、健吾は珠希に連れられて、佐藤不動産のビルの屋上から周囲を眺めた。五階建てのビルからでもかなりの遠方までを見渡せるような、平坦で起伏の乏しい街並みが眼前に広がっていたのをよく覚えている。

 そんな地勢にあって、ここまでの坂道が存在する場所は、「双塚」という市名の由来ともなっている、不自然に盛り上がったような形状をした二つの丘以外には考えられない。

 二つの丘――即ち「一ノ塚」と「二ノ塚」は、高さも幅も、外見上は非常によく似た形をしており、「双」の字を当てた者の気持ちもよくわかる。

 が、健吾の住まう『二ノ塚マンション』への道のりと比べて、今現在車が上っている坂の勾配はかなり急に感じられた。おそらく丘のふもとから頂上まで、直線的に道路が作られているのだろう。


 案の定、そのまっすぐ伸びた坂道の先に現れたのは、健吾の部屋の窓からも幾度か見たことのある建物だった。

「あれは確か、病院……じゃあ、ここはやっぱり一ノ塚?」

「そう、正解。よく覚えていたわね。ここ『一ノ塚』の頂上には、『一ノ塚病院』が建っているわ」

 珠希の低速運転で徐々に近づいていくと、彼女の説明と健吾の予測に誤りがないことを示すように、その病棟と思しき建築物の壁面に病院名が刻まれているのを確認できた。


「あの、ここが目的地、なの?」

 困惑気味の健吾の質問には答えず、珠希は病院のゲート手前百五十メートルほどで車を止め、後部座席に向かって声をかけた。

「瑞奈ちゃん、大丈夫?」

 はっとして、健吾も後ろを振り向いた。

 大はしゃぎしていたはずの瑞奈が、いつの間にか黙っていた。

 珠希との会話に気を取られていてはっきりとはしないが、この車が坂道を登り始めた頃には、既に車内は静かになっていたような気がしている。


 瑞奈は口をぽかんと半開きにして、正面を向いたまま固まっている。その顔は表情というものが抜け落ちてしまったように空虚で、青白い人形のようだ。

 ちゃんと見ているのか、見えているのか疑わしくなるような彼女の目線の先を、健吾は念のため確認してみた。正面には今、病院しかない。強いて他に見えているものを挙げようとすれば、道路の両脇の木々と、そこから差し込み、時折微風でアスファルトの上をゆれる木漏れ日、建物の上方に広がる濃くて厚ぼったい青空くらいだった。


「みずなちゃーん、聞こえてるー?」

 珠希が手を伸ばし、瑞奈の長い髪の先端をつまんでちょいちょいと引っ張りながら声をかける。

「はひゅ?」

 ようやく呼ばれているのに気づいたらしく、我に返った瑞奈が驚いて意味不明な声を発する。開きっぱなしだった口の端から、少しだけヨダレが垂れた。

 珠希が苦笑しながら、ティッシュで拭う。


「どうしたの? あの病院が気になる?」

「あれは、病院なんですか?」

 訊きながら、両目をまん丸く開いて珠希を見つめる瑞奈。珠希はその視線を受け止め、「そうよ」と静かに答えた。

 少し間を置き、今度は健吾にその両の眼を向けてきた。取り敢えず珠希に倣って、同じように「うん」と頷いた。


「それで、どうしたの? もしかしたら、何か思い出しそうなの?」

「うう――――……」

 と、唸り声を洩らしながら、困ったように瑞奈は俯いた。

「あのう――」

「なになに? 思いついたことは何でも言ってみて」

「――そ、そんなにぐいぐい迫るように見つめられると、緊張して何も考えられません、です」

「あ」


 珠希は後方に突き出していた好奇心丸出しの顔を、運転席の背もたれの陰に引っ込め、

「あはは、それは失敬」と、笑顔でごまかした。

 それでも瑞奈が喋ろうとしないために出来上がった沈黙が辛かったのか、「ほら、あなたも笑顔笑顔!」と、健吾を八つ当たりのように叱る。

 不承不承、健吾が無理矢理顔面に力を込めて笑い顔を作ろうと苦心している様を見て、瑞奈は微かに「くすっ」と声を漏らした。


「ごめんなさい。思い出したというのでは、ありませんでした――」

 一呼吸置いてから、ゆっくりと、落ち着いた口調で瑞奈は話し始めた。

「――なんか、見たことのある建物だなあって、思ったんですけど……。よく考えてみれば、お部屋の窓から見えますよね?」

「そうだね。瑞奈ちゃんの座っている位置からでも、隅の方に辛うじて見えると思う」

 健吾の同意を受けて、瑞奈は少しほっとした顔つきになった。

「はい、見えますっ。それでいつも、あれはなんだろう、と思っていたんです。病院だったんですね。なんかスッキリしました」

「そうだったのか、それはよかっ――」

 瑞奈と微笑みを交わしながら、正面に向き直ろうとする健吾の視界の隅に、不満全開の珠希の姿が映り込んだ。

「はいはい、それはよござんした。じゃあ、そろそろ車出すわよ」

 仏頂面で珠希はそう告げ、サイドブレーキのレバーに手を掛ける。


「あ、でもその前に――」

 と、手の動きを止め、思い立ったように健吾の方を向いた。

「健吾くん、ここからは念のため、さっきみたいに瑞奈ちゃんを抱えてて欲しいんだけど」


「え? ああ、珠希ちゃんがそうしろと言うなら……でも、どうして?」

「うーん。思い過しならいいんだけど。瑞奈ちゃん静かになったでしょ。事の成り行きでそういう気分になったのならそれは構わないけど、元気がなくなってきた、ということも可能性としてはあるかもしれない」

「それは、どういうこと?」

「疲れてきたのかも――つまり、ノインに憑依していられる時間には限りがあるかもってこと。だから、できるだけあなたの傍にいた方がいいと思う。せっかくここまで来て、今『消えちゃう』のは避けたいわ」


「うん、わかった。もう病院は目の前だしね。まあ、瑞奈ちゃんは何も思い出さなかったみたいだけど」

「あら、病院が目的地だなんて、ひと言も言ってないわよ」

「へ? でも……じゃあ、なんでここで停車してるの?」

「瑞奈ちゃんの様子が変わったから。明らかに興味を持っていたでしょ。何がきっかけで思い出すか分からないんだから、その辺は注意しておかないとね。それに――」

「それに、なに?」

「あの病院が無関係だと決まったわけではないわ」

「え、それは一体……?」

「もう、今日のあなたは疑問符だらけね! まだ未調査ってことよ。どこに瑞奈ちゃんの手掛かりがあるのか分かってないんだから、あらゆる場所に可能性はあるの。あとは……もう、分かるでしょ。少しは自分で考えなさいよ」

「う……ごめん」

 謝ってはみたが、珠希がそれほど本気で怒ってはいないだろうと、これまでの経験が健吾に告げている。

 怒ったふりをして、今の話題を終わらせたのではないだろうか――そんな考えが浮かぶが、それ以上追及することはしなかった。


 健吾は言われた通り、後部座席の瑞奈を、風呂敷とノインごと自分の膝の上にのせた。

 珠希の指摘通り、瑞奈は随分とおとなしくなっている。もう恥ずかしがったり騒いだりせずに、すんなりと言うことを聞いてくれた。

 ノインは相変わらず微動だにせず、こちらも大丈夫なのかと心配になるが、時折くちゃくちゃと舌を舐め回したり、呑気に欠伸やげっぷをしたりしているので、これがこのコの普通なのだろうと理解することにした。


     *


 健吾の膝に瑞奈が納まったのを確認し、珠希はゆっくりと車を発進させた。

「で、また疑問符で申し訳ないけど、どこに向かっているの?」

「この先よ」


 ――進行方向の先には、「一ノ塚病院」があるだけなんだが。

 珠希はそれ以上何も言わずに、病院のゲートのおよそ百メートルほど手前まで近づいたところで、ハンドルを大きく左に切った。


「え、道?」

 左右にある雑木林のために気づかなかったが、そこには細い脇道が通っていた。

 バスや救急車両も行き交うであろう、よく整備された病院への道と比べると、舗装はされているものの、かなり古めかしくて凹凸も多く、車内が揺れる。

 ぐっと狭くなった道幅に、左右の木々の枝が覆いかぶさり濃い影を落とす。猛暑の午後を考えれば涼しげで快適な情景なのかもしれないが、なんとなく今のシチュエーションではそういう気楽な方向に思考が働かない。辺りの薄暗さと見通しの悪さは、不安を掻きたてる材料にしかならない気がした。


 やがて見えてきた「目的地」に、健吾はしばし言葉を失った。

「着いたわ、ここよ。誰もいないみたいだから、風呂敷はなくていいわ」

 珠希に促され、健吾はゆっくりと瑞奈を抱えながら車を降りた。


「ここは――こんな風になっていたなんて」

「ああ、そうね。駅から見てもマンションから見ても、ここは丘の裏側――ちょうど死角になってて見えないわね」

「あの、ここが目的地ってことは、もしかしたら瑞奈ちゃんの?」

「そうよ」


 健吾の両腕に抱えられた瑞奈に視線を移し、少し躊躇いながら珠希は続けた。

「ここに、瑞奈ちゃんの死の証――つまり、お墓があるわ」


(つづく)



お読みいただきありがとうございます。

またまたひと月ぶりの更新で、反省しております。

★予定した所まで話が進んでいないため、一部タイトルを変更しました。

内容に変更はありません。

次回は「後編」の予定です。

今後もよろしくお願いいたします。


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