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話の五 憑依 (前編)

 こつん。

 頭に何かが当たった。とても軽い感触で、痛みなどは感じない。

 こつん。

 まただ。一体何なんだ。せっかく気持ちよく寝ているのに。


 安眠を邪魔されてしまった健吾は、不機嫌な眼を周囲に巡らせた。

「……なんだこりゃ?」

 枕元に、お菓子の空箱がふたつ転がっている。


 ――はて、寝る前にお菓子を食べたような記憶はないが。

 などとぼんやり考えているうちに、不意に答えが浮かんできた。脳が覚醒して思い至ったというより、思い出したという感覚に近い。

 この部屋でお菓子とくれば、瑞奈に決まっているではないか。


 健吾は上体を起こし、傍らにあるテーブルを確認した。夕べはそこにあったはずの、「瑞奈」の姿はない。どうやら健吾が寝てしまってから、移動したらしい。

 であればと、六畳間の方に視線を移す。

 そこには、首を本来あるべき場所に戻した瑞奈の、まさに三つめの空箱をこちらに投げようとしている姿があった。


「え、は? ちょっと何してん――」

 状況を把握できず戸惑う健吾の台詞を待たず、小さな「えいっ」というかけ声とともに瑞奈の手から放たれたお菓子の空箱は、ゆるやかな弧を描いた後、見事に健吾の額に命中した。

「…………」

 ぽとりと、目の前に落ちた箱をじっと見つめたまま、リアクションに困る。瑞奈は「やた、また命中」と小声ではしゃいでいた。


 健吾の周囲にはお菓子の箱がこれで三つ。頭にこつんと当たった感触も三回。確かに見事なコントロールではある。が、そんなことを感心する気にはなれない。


「……あのー」

「はいっ」

「何してんの?」

「起きてくださ――――い」

「起きてるよ!」


 えへ、と小さく舌を出して瑞奈は笑った。

 ――いつになく上機嫌だ。何かあったのだろうか?

 人に物を投げつけるなどという、行儀の悪さもこれまでに見たことがない。


 そもそも、ちょっと前まで瑞奈は泣き続けていたはずだ。自らの死を認め、自身が幽霊であると自覚し、悲しみ落ち込んでいた。

 部屋の中は今でも充分すぎるくらいに涼しい。これは瑞奈が泣きやんでからまだそれほど時間が経っていないことを示している。

 なのに、このテンションの高さはどうしたことだろう。


 ――もともとさっぱりとした性格だったっけ? 切り替え早かったっけ?

 健吾はこれまでの共同生活の記憶を探ってみた。確かにお菓子一つ与えればケロっと機嫌が直るが、ここまで極端ではないような気もする。


 ――じゃあ、思い切り泣いて、何かふっきれた、という感じかな?

 それならば、まあ構わないのだけれど。むしろありがたいくらいだ。でも、瑞奈の泣き方は静かで、何かを吐きだすという雰囲気ではなかった。むしろその逆で、昂る感情を必死に抑えつけているようにも見えた。


 ――それともヤケクソになっちゃったとか?

 そうであれば、かなり困った事態だ。どうフォローしていいのか分からない。もし、健吾に気を遣わせないため、無理に笑顔を繕って空元気を振り撒いているのだとしたら、どう慰めればいいのだろう。死を知らぬ健吾が何を言っても、瑞奈の心には届かないかもしれない。


 ――はっ! も、もしかして……。

 次に浮かんできた考えに、健吾は戦慄した。


 ――もしかして、忘れちゃった、とか?

 幽霊は生前の記憶が曖昧な場合が多いことは既に理解している。であれば、今幽霊である瑞奈がすごく忘れっぽいという可能性もあるのでは。

 あまりのショックのため、泣いているうちに混乱し、いつの間にか何故自分が泣いているのかも分からなくなり、結果として死の自覚が吹っ飛んで、心の負担がなくなった分だけ上機嫌に――。


「いやいや、まさかそんなことは――」

 瑞奈が忘れっぽいということはない。先日の「全裸事件」も、彼女はしかりと覚えていたではないか。

 生前の記憶が曖昧だったり欠落しているからといって、今現在も忘れっぽいということにはならないだろう。

 健吾は思い切り頭を振って、飛躍気味の思考を中断した。

 少し頭痛がする。もちろん瑞奈が投げた空箱のせいではない。どうやら少々二日酔い気味らしい。妙なマイナス思考もこの体調のせいだ、と自分に言い聞かせた。


「健吾さーん」

 瑞奈が声をかけてくる。ここはとりあえず、いつも通りに接するのが得策だろう。話しているうちにハイテンションの理由も分かるかもしれない。

「はいはい。何でしょう」

「起きてくださーい」

「だから、起きてるでしょ」

「寝ぼけてるように見えますっ」

「そっ……そうかな?」

 確かに夕べ飲み過ぎたし、起こされたばかりでまだ眠いのは事実だが。


 ふと、視界に入った時計の針を見て、健吾は仰天した。

「なんだよ! 四時半って!」

「朝ですよー」

「……勘弁してください。瑞奈さん」

「あのう――」

「一体どうしたっての」

「お菓子……切れちゃったんですけど」

「…………」


 しばしの沈黙が部屋を支配した後、健吾は無言を貫いたまま、行動を起こした。

 即ち、再び毛布にくるまって二度寝。


「あああーっ、お菓子ぃ――」

「ごめん、もうちょっと寝させて」

 やっぱり少し様子が変だ、という考えを頭の隅に押し込んで、健吾は瑞奈に背を向けるように寝返りを打った。とにかく今は寝てしまおう。充分に睡眠をとってからの方が考えもまとまるだろう。


「うー」背後で瑞奈が不満げな声を発している。

 聞こえない聞こえない。

「う――」

 無駄無駄。もう寝ちゃってるから。

「う……」

 ちょっと、しつこいな。


「うーらーめーしーやー」

「ひぃぃっ」

 健吾は跳び起きた。両手の手首から先をだらりと柳のようにぶらつかせて、お化けの振りをしている瑞奈を見て、頭を抱えて大きくため息をついた。


「えっと、瑞奈ちゃん、そういう冗談は――」

「祟っちゃいますよおー」

 笑いながらそんなことを言われても全然怖くなかった。むしろお化けの仕草も可愛いと思えるほどだった。

「祟るって、どうやって?」

 苦笑交じりに健吾が尋ねると、瑞奈はお菓子の空箱を取り出してみせた。


「これ、また投げます」

「そんなの当たっても痛くもなんともないよ」

「一日中ずっと、一分毎に一個投げ続けます。知ってますかあ? 私、百発百中なんですよ」

「あはは、まさか、そんなの投げるって分かってたら避けるし――」

「試してみます?」


 何か、とても嫌な予感がしてきた。可愛らしく思えていたはずの瑞奈の笑顔も、なんとなく小悪魔のそれに見えてきた。彼女はきっと、嘘をついてはいない。

「――いや、た、試さなくて、いいよ」

 健吾は観念して立ち上がり、この早朝にお菓子を買うべくコンビニへ向かうことになった。


     *


 まだ五時にもなっていないのに、外に出るとたちまち不快な熱気と湿気が健吾にまとわりついた。おそらく夕べは相当な熱帯夜だったのだろう。


 やはり瑞奈は一晩中、もしかしたら健吾を起こす直前まで泣いていたのかもしれない。

 昨日買ったばかりのお菓子がもうなくなっているのも、泣きながらヤケ食いしたに違いない。


「やっぱりアレは、無理に明るく振舞っているのかなあ……」

 健吾は独りごちた。

 瑞奈がギャグのつもりでやったであろう「うらめしやー」のお陰で、期せずして彼女は自分が幽霊であるとの自覚をちゃんと持っていることは確認できた。


 とりあえずは情報を整理し、今後のことを色々と相談しなければならない。

 早朝にたたき起こされたことには不満タラタラだが、ごく自然に外出できたことはありがたかった。買い物の道すがら、夕べからの出来事を珠希に伝えることができる。瑞奈の目の前で連絡を取るのは、少し気が引けていた。


 とは言うものの、今は珠希も寝ているだろうから、直接通話は避けるべきだろう。健吾は携帯を取り出し、メールを打ち始めた。

 瑞奈が幽霊であることを認めたこと。死んだのは十年前だが、死因はまだ思い出していないこと。きっかけはテレビを観て。

 最低限伝えるべき内容は以上だが、今朝のハイテンションの様子と、さらに「百発百中のお菓子箱」の件も気になったので加えることにした。



 どうせまたヤケ食いするだろう、そう思っていつもより多く買い込んだ。

 帰宅してコンビニの袋ごとお菓子を渡すと、瑞奈は大喜びし、早速食べ始める。

「これで満足した?」

「ふあーい」

 お菓子で膨れたほっぺと、満足そうな笑顔を確認して、健吾は寝床に入った。


 変な時間に妙な起こされ方をして、さらに買い物という軽い運動までさせられて、充分に眠気は感じるのに、なかなか寝付けない。

 寝転がったままぼんやりしていると、ポケットに入れっぱなしだった携帯がブルブルと振動した。


 珠希からのメール着信だった。

 時刻はまだ朝の五時半といったところだ。


 これまたずいぶんと早起きな――いや、そうじゃない。おそらく先ほど健吾が送ったメールで起きてしまったのだろう。

「ちょっと迷惑かけちゃったかなあ……」


 きっと、怒りのメッセージにちがいない。緊急でもないのに朝っぱらにメール寄越すな! ――みたいな感じの。

 ――それもこれも、みんな瑞奈のせいだ、ということにしておこう。

 健吾は言い訳の内容を考えながら、恐る恐るメールを開いた。


『百発百中、私も見たい。あとで動画送ってね』


 ……珠希さん。喰いつくところを間違っていませんか。

 なんだか自分だけが色々気をまわして空回りしていたようで、アホらしくなってきた。全身から力が抜けるのを感じると同時に、強い眠気を覚え始めた。


 いつの間にか、六畳間が静かになっている。

 見ると、瑞奈がお菓子を食べかけのまま「くかー」と眠り込んでいた。

 半開きの口からヨダレが垂れるのが可笑しくて、でも笑うのも悪い気がして我慢した。相も変わらず無防備で緊張感のないその姿は、健吾の中に安心感のようなものを芽生えさせてくれる。


 ――きっと大丈夫だ。あのコはそんなに弱くない。起きたらいつもの瑞奈に戻っているだろう。

 それは期待ではなく確信に近い。そう考えることに自分自身で不自然さを感じない。

 健吾は深く、穏やかな二度寝に入った。



(つづく)



また更新に時間がかかってしまいました……

後で改稿するかもしれません。

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