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話の四 共生 (後編)

 どのくらい時間が経ったのだろうか。

 瑞奈はひたすら黙って「ちょっと見たかっただけ」のテレビを見続けている。ほとんど無表情で、傍から見て番組を面白がっているようには感じられない。


 もういい、と言い出さないので、仕方なく健吾は一緒にテレビを見ながら、ビールを飲み続けた。かなり酔ってきている自覚があった。


「みずな、ちゃーん」

 意味もなく話しかける。退屈というより、何か話していないと眠ってしまいそうだった。

「はーい。なんでしょう」

 瑞奈は気のない声で返事をしてくる。視線はテレビに固定されたままだった。


「テレビ、面白いの?」

「はいー。なんとなく面白いですよお」

 なんとなく、というのも微妙な表現だ。

「好きなタレントとか、いるの?」

「うーん……あまり、そういうのは詳しくないです――あ、この人は知ってます」

 テレビではCMが流れていた。結構ベテランの有名な男優が映っている。誰でも顔くらい知っていそうな人物だったので、あまり参考にならない。


「そうか……じゃあ、テレビはあまり、その……見ないの?」

 一瞬、「見なかったの?」と、過去形にすべきか迷った。

「そういうわけでもないんですけど、芸能人とかは興味ないです」

「そっか……それじゃ、どんな番組が好みなの?」

「どんなって言われても、どう言えばいいんですか?」

「そうだな、例えば、ドラマとかスポーツとか歌番組とか、そういうジャンル的な分け方で言うと?」

「そうですねえ――」

 瑞奈は少し考え込んだ。


「ドラマ、でしょうか」

「ドラマかあ。どんなのをよく見たの? 刑事もの? それともやっぱり恋愛ものかなあ」

「時代劇です」

 予想外の渋い答えに、飲みかけたビールを吹き出しそうになった。


「あれー……、なにかおかしいです、か?」

「いや、そんなことないよ。ちょっと意外で驚いただけ。時代劇かあ――えっと、何だろう、例えば……」

 健吾は具体的なタイトルが思い浮かばなかった。元々あまりドラマは見ないし、時代劇、と聞いても、最近はあまり放映されなくなった、という印象があるだけだった。


「うーん、何て言うんでしょう。歴史ものって言うんですか? 架空のお話しじゃなくて、実在した人が出てくるようなのが好きです」

「おおおー、そうなんだ。じゃあ、もしかして歴史に興味があるの?」

 歴史を学びたくて大学に通っている健吾にとっては、ちょっと嬉しい話題になりそうだった。

「興味があるかと訊かれると、どうなんでしょう、という気分ですけど……」

「なになに、どの辺りの時代が好きなの? ドラマとかでよく取り上げられるのは、戦国時代か幕末期だよね?」

「えっと……ナニジダイ――ですか? えっと、えっと……」

「じゃあ好きな人物は? やっぱり武将とか? それとも女性かな?」

「うーーーー、よく、わからないですっ!」

 瑞奈は困ったように眉間に皺をよせて、声を張り上げた。


「……何か、好きなお話しがあったような気がするけど、思い出せないんです」

「ご、ごめん」

 調子に乗ってたたみ込むように訊き過ぎたようだった。歴史、という言葉を耳にして、つい浮かれてしまい、瑞奈の生前の記憶が曖昧なことも忘れてしまっていた。


「健吾さんも、色々質問するんですね。珠希さんみたいに」

 明らかに怒っている声だった。健吾にとっては単に趣味の領域の軽い会話のつもりだったが、瑞奈は、今のも何らかの調査の一環と受け止めたらしい。

「別にそういうわけでもないんだけど、ほんとうにごめん、謝るよ。あれこれ訊かれるの、嫌だよね」


「嫌というか――」瑞奈はちらっと視線を健吾に向け、微かに頬を染めながら続けた。

「――健吾さんとは、こうしてのんびりと世間話でもしている方が、好きですっ」

 何かに心臓をちょんちょんと突かれるような、軽い刺激が走った。

「お、おう、そうか」

 それ以上何も口から出てこなくなった。


 仕方なく、ビールを呷る。

 その様子を見て、瑞奈は「くすっ」と小さく声を漏らした。

 そのまま会話は途切れ、再び無言のテレビ観賞が続けられることとなった。


     *


 賑やかだったバラエティ的な番組が終わり、ニュースや天気予報が始まろうとしていた頃、健吾の前に並ぶ空のビール缶は六つほどになっていた。普段は二つもあれば充分で、多い時でも四つを超えたことがなかった。


 黙っていると、どんどん瞼が降りてくる。意識もどんどん遠のいていく。

 ウトウトしているうちに天気予報も終わり、何か別の番組が始まった。だが、もうそれがどんな番組であるか判別することもできず、深い眠りに落ちようとしていた。


「……え?」

 微かな声と、急激に冷え始めた空気が、健吾を現実に引き戻した。


 もちろんエアコンではない。瑞奈の感情に何か大きな変化が起きているということだ。

 健吾は頭を振って眠気を吹き飛ばし、瑞奈を見た。彼女はじっと動かず、瞬きもせずにひたすらテレビを見つめていた。


 テレビでは、戦争に関する特別番組が流れていた。毎年この時期には、そういう番組がある。

「瑞奈ちゃん?」

 声をかけても答えない。彼女の両目には限界いっぱいまで涙が溜まり、画面から放たれる光を美しく反射させていた。


 ――もしかして、彼女は何か、戦争と関係があるのだろうか? そう言えばここ「二ノ塚」には昔、軍事施設が建っていたという話を、珠希から聞いている。そのことと関わりがあるのか?


 瑞奈はふー、と細く長い溜息をひとつついた。

「戦後……六十八年?」

 呟きながら、静かに両目を閉じると、止まりきれなくなった涙が、雫となって頬を流れ落ちる。


「健吾さん、今、西暦何年ですか?」

「え? 二〇一三年、だけど」

「そんな、そんな……」

 流れ落ちる涙の量が増えた。


「私、たぶん――やっぱり幽霊、なんですね」

「……」

 って、ずっと生首だけの状態でいながら、今ようやく自覚したんですか――という台詞はぐっと飲み込んだ。


「……何か、思い出したの?」

「いえ、何も」首を振ろうとして、テーブルから落ちそうになるのを慌てて支えた。

 瑞奈の周りには既に涙で水たまりができつつあった。首だけの彼女には拭けないことに気づき、代わりに拭いてやると、小さく鼻声で「ありがどございまず」と言った。


「思い出していないのに、どうして?」

「……年が、あり得ないんです」

「年?」

「もう六十八年経っているって……」


 そういうことか、と健吾は得心した。

 番組の戦争に関する内容ではなく、おそらくどこかでナレーションでも入ったであろう、「戦後六十八年」という言葉で気づいたのか。

 存外あっさりと、シンプルな方法で済んだことになる。が、珠希や健吾が単に「今年は二〇一三年だ、平成二十五年だ」と言っても、瑞奈は「またまたあ、冗談でしょう」と取り合わなかったかもしれない。真面目なドキュメント番組からの情報だからこそ、彼女は信じざるを得なかったのだろう。


「あの」

 瑞奈が恐る恐る、涙声で話しかけてきた。先ほど拭いたばかりの首回りは、再び涙の水たまりとなっていた。

「幽霊ってことは、私は――死んだんです、よね……?」

 健吾は黙って頷いた。

 何か冷たい物が突き刺さるように胸が痛んだ。でもそれは事実であるし、幽霊であると、お前は死んだのだと自覚させようとしたのは、健吾自身だ。


 瑞奈は泣き続けている。

 いつかのように、珠希にいじめられたときのように大声で泣きわめいてくれたほうが、どんなにか楽だろう。しかし、瑞奈はひたすら声を殺し、静かに泣き続けた。


 ――幽霊に詳しくなったと、知った気になるな。

 ――瑞奈に必要以上に入れ込むな。


 珠希の警告の意味が、今なら分かる気がする。

 人は誰でも必ず死ぬ。でも死ぬのは一度きりでいいはずだ。

 なのに瑞奈は、この女の子は一度死んだはずなのに、霊となって、自らの死をもう一度追体験させられている。


 一度死んだはずなのに、もう一度死ねと言っているようなものだ。

 悲しくて、辛くて、残酷な仕打ちだ。


 健吾は声もなく泣き続ける瑞奈の頭を、そっと撫でた。

「うう――」瑞奈はそこでようやく口を開いた。

「――どしゃくしゃにまぎれて、えっちなことはしないで、くらしゃいにぇ」

「うるさい」

 瑞奈は少しだけ表情を和らげて、「えへ」と笑ってみせた。


「あ、そうだ、健吾さんに伝えておくことが」

「どうした?」

「私、死んだんだとすれば、たぶん――いえ、ちょうど十年前です」


「そうか、ありがとう」

 健吾はガシガシと瑞奈の頭を大きく強く撫でた。

「えぐ」と、小さな嗚咽が漏れて、部屋が一段と寒くなる。

 この夜、健吾は朝まで毛布にくるまっていた。





次話に続きます。タイトルは「話の五 憑依」の予定ですが、現時点では仮タイトルで、他にも候補があるため、変更するかもしれません。


後で少し改稿するかもしれません。


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