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話の一 丘のある街 (前編)

この作品は「夏のホラー2013」参加作の『芍薬の部屋 アナザーサイド』の原案になっています。そのため、ストーリーや文章が『アナザーサイド』と似ている箇所があります。予めご了承ください。

 双塚市、と書いて「ふたつつかし」と読むらしい。ずいぶんと語呂が悪い。

 健吾けんごにとって、この街はその程度の認識しかない。


 東京都に隣接し、私鉄も通っているため、都心まで一時間とかからないくらいの利便性はあるし、相応に整備され、住宅街は閑静で商店街には活気もある。さりとて、わざわざ足を運んでまで見るべき観光名所もレジャー施設も、行列ができるようなグルメスポットもないこの街の駅で降りる者といえば、ここの住人か、もしくはここに住む親戚あるいは友人知人に会いに来る者くらいだろう。


 そんな取り留めのない考えを巡らしているうちに、電車のドアが開いた。

 有りていに言えば、何ら特徴のない平凡な街。そこに降り立とうとしている自分自身、たった今考えていた者達の範疇にすっぽりと収まるのだと気づき、健吾は苦笑しながらホームへと足を伸ばした。


 いまさら確認するのも馬鹿らしくなるくらい、当たり前で開けっ広げな晴天と猛暑。梅雨が明けてからそれなりに日数は経ているが、空だけ時計が止まっているのではないかと思えるくらい、同じような天気が続いている。

 いちいち暑さを気にしていても、ただ消耗するだけだ。健吾は改札を出ると、足早に駅前の商店街に向かった。


 目的地の看板は、駅のホームに立った時から既に確認できていた。

 佐藤不動産。

 健吾の叔父が社長の、健吾と同じ名を持つ不動産屋だ。

 駅前の商店街に入ってすぐのところにある五階建ての雑居ビル。その一階を占めている。ビル自体も佐藤不動産の所有だと聞いている。


 入口正面に立つと、自動ドアが開き、中の様子が窺えた。あまり人気が感じられず、閑散としている。

 昼休みと重なってしまったのだろうか。奥にはデスクや椅子がいくつも並んでいるが、四十前後くらいの事務員然とした女性が一人いるのみだった。

 中に入ると、外からは見えなかったが、手前の接客用カウンターの端に、若い女が一人座っていた。距離があってはっきりとしないが、おそらく健吾と同年代くらいだろう。そしてその女の正面には、叔父であり社長の佐藤康則さとうやすのりが座っていた。


 康則叔父はすぐに健吾に気づくも、まだ彼女との話が終わっていないらしく、手振りでそのまま座って少し待つように指示した。続けて奥の事務員さんにどうやらお茶の指示。

 健吾は仕方なく、叔父とは少し離れたカウンター席に適当に座る。ほどなくして、事務員さんがよく冷えた麦茶を出してくれた。


 麦茶をすすっていると、断片的に、康則叔父と女との会話が耳に入ってくる。別に聞き耳を立てているつもりはないが、静かだからしょうがない。

 どうも、賃貸物件を探しに来た若い客と、それに対応する不動産の社員という関係ではなさそうだ。若い女はため口だし、横柄というか、どこかぶっきらぼうな態度だし、それに対する康則叔父もどこか馴れ馴れしい。


「――メゾンシムラはたいしたことないわ。放っておいても、たまに変な音がするくらいよ。やれっていうなら、明日にでもやっとくわ。すぐ終わるし――」

 若い女の声が聞こえる。

「――アオキソウのビートウは、嘘ね。単なる苦情。嫌がらせの類よ。あそこには何もない。ミハラハイツはちょっと厄介だわ。だいたいあそこは場所がまずいのよ。そのうちもっと厄介になっても知らないわよ」


 何かの業務連絡か? 叔父と同じ不動産関係者だろうか。


「あとは、例のニノツカ。またなの? どういうこと?」

「いやあ、どうやら男を連れ込んじゃったようでね。こればっかりは仕方ないよねえ。で、その時に色々と――それからお願いだから、もう少し小さい声で」

 康則叔父が健吾の方をちらっと気にしながら、小声で諭している。だったら別の場所でやればいいのに。


「まあ、いいわ。あそこは未だに訳わかんないし。じゃあ、無駄かもしれないけど、もう一度――」

「いや、それはいいんだ。またの機会で」

「――そうなの? まあ、いいなら、私はどうでもいいけど……じゃあ、今日のところは以上で。それから、私もバイトとか通院とか忙しいんだから、いきなり、しかも一度にたくさん持ち込まないでよ。もっと計画的にお願い」

「すまんな、ちょっと明日からいろいろあってね」


「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らすと同時に、女は右手を大きく挙げた。「澤田さーん、私も麦茶ほしい。今からここでお弁当しちゃうから」

 はーい、と事務員さんが慣れた様子で返事をした。やはり単なる客ではなく、知り合いか何からしい。


「やあやあ、お待たせお待たせ、健吾君」

 ようやく康則叔父が健吾のところにやってきた。


     *


 軽い挨拶と、しばらく見ないうちに大きくなったね、という社交辞令の後は、一転して面倒くさそうな態度を取り始めた。お世辞にも親しいとは言えない康則叔父についての、健吾の中の乏しい記憶によるイメージと見事に合致する。

 健吾は肩をすぼめて委縮した。叔父にとっても迷惑な話だということは承知していた。

 それもこれも、みんなお気楽両親のせいだ。と内心呪いたくなる。


 ――家庭を持った男の夢ってなんだと思う? やっぱりマイホームだよなあ、そうは思わないかい――と、ある時、お気楽第一号の父親は切りだした。

 ――その通りよ、あなた。マイホームは私の夢でもあるの。つまり家族みんなの夢、ということだわ――と、お気楽第二号の母親は受け答えた。

 ――実はいい土地を見つけたんだ、僕はそこに家を建てようと思う。どうせローンを組むなら、早い方がいいだろう。そうは思わないかい。

 ――あらあなた、なんて素敵なの。素晴らしいわ! 早速決めちゃいましょう。


 一分にも満たない会話で、お気楽夫婦のマイホーム新築計画は発動した。

 土地の購入、新居の建築と話はとんとん拍子に進み、全てが上手く運ぶかと思われた。

 しかし、途中で大きな落とし穴が待っていた。いや、単なる両親の勘違いが原因なので、罠の類に例えるのは不適切だ。親が気分と勢いだけで動くからこうなったに過ぎない。

 新居ができあがれば、現在住んでいるマンションは引き払うことになる。だから両親はマンションの解約手続きも早めに着手したのだが、その期日が、新居の完成予定日と大きくずれていたのだ。


 しかもそのことに気づいたのは、つい三日前で、発見したのは健吾だ。

 あと一週間以内に現在住んでいるマンションから出ていかなければならない。しかし、新居の完成はおよそ二カ月ほど先だった。


 ――はははっ、住むところがなくなっちゃうよ。そうだ! いっそのこと、でっかく休暇をとって、マイホームが出来上がるまでのあいだ海外で暮らしちゃうのはどうだい? 家財道具は貸し倉庫にでも放り込んでおけばいいさ。そうは思わないかい――お気楽一号の発想は、それなりに壮大だったと思う。

 ――あらあなた、そんな余裕がどこにあるのか、とっても不思議だわ。でも素敵なお話しね。私、乗っちゃおうかしら――お気楽二号の肝はそれなりに太いと思う。


 そして、お気楽一号、もとい父親は健吾に向かってはこう言った。

「健吾は大学もあるし、一緒に行くのは無理だなあ。そうだ、弟の康則を覚えているだろう。あいつは不動産屋を経営しているんだ。あいつに何とかしてもらうのはどうだい? 兄である僕のお願いならきっと聞いてくれるさ! 話は通しておくから、相談しておいで」


 そんなこんなで、健吾は事実上放り出され、今ここにいる。要するに新居が完成するまでのおよそ二ヶ月間、住む場所を何とかしてほしいと、康則叔父に相談に来たわけだ。


「しかも格安で、ときたもんだからねえ」

 少なからず嫌味の混じった声が真正面から聞こえた。

 健吾は頭を抱えそうになった。自分たちは海外旅行を謳歌するくせに、こちらは格安で頼んでるなんて、自分は何も聞いてないし。


 叔父が不機嫌なのは、面倒事を持ちこんだからだけではない。今回の両親の土地購入や新居建築の事を、叔父はまったく知らされていなかった。

 兄がそういう性格であること、それに甥である健吾に愚痴や小言を言っても仕方ないことはわかっているのだろう。態度には充分現れているが、具体的な文句は口にしない。それは、健吾にとってありがたくもあり、また居心地を悪くもさせた。


「では健吾君。早速本題に入ろうか」

 康則叔父は宣言し、大きく息を吸い込み、溜めを作ってから続けた。

「二ノ塚マンションA棟五〇一。ここでどうだ」


 ……どうだ、と言われても。


「ちょっと! そこは――」

 突然、脇から声が割って入った。先ほどまで叔父と何やら話していた女だ。今はカウンターの隅で弁当を食べていた。

 驚いて女を見ると、叔父を突き刺すような視線で睨んでいる。

 女が言葉を続けようとするのを、叔父の声が遮った。

「たまきちゃーん。そうだ、紹介しておこう。彼は佐藤健吾くんと言うんだ。私の甥だよ」


 女の視線が動く。目が合った、と思った。

「……ふうん、そうなの」

 女はそれ以上何も言わず。食事を再開した。


 叔父が小さく咳払いをして、健吾の注意を促す。

「では話を続けよう。これが間取り図だよ」

 健吾の前に、物件情報が書き込まれた紙片が差し出された。

 駅から徒歩二十分、近くにバス停あり。六畳の和室に、ダイニングが十畳くらいある。エアコン付きでしかも角部屋。駅からは少し距離があるが、大学生の健吾は当分夏休みだから困らない。一人で暮らすには充分すぎる部屋だろう。


 ふと、紙片の片隅に、気になる文言をみつけた。

『女性のみ入居可』とある。


「叔父さん、これは?」

「ああ、まあ、気にしないで。そのフロアは今、独身女性ばかりが住んでてね。物騒だということで、自然とそういう要望が出てくるから、とりあえず条件付けしているんだ。健吾君は男だけど、身元は俺の親戚ではっきりしているし、住むのは二か月程度なんだし、いいだろ」

「格安の理由は、この条件ですか?」

「おお、よくわかるね。その通り。他に、駅からちょっと距離があるのと、建物が古いこともあるな。築二十年だけど、一度リフォームしているから中はキレイだよ」


「実は少し傾いている、とかありませんか?」

「ないない、そりゃあ基礎は立派な工事で」

「別のフロアに、おっかない人たちがいるとか」

「ございませんとも、保証しますよ」

 いつの間にか叔父の口調が営業になっている。


「……わかりました」

 格安物件はここだけ、と言われれば是非もない。

 父親は、敷金やらの経費と二か月分の家賃を、既に康則叔父に前払いしていた。他の物件が良ければ紹介はしてくれるだろうが、差額は別途いただきますよ、という話になることは間違いない。


 健吾は当然断れない。

 つまり、これで成立。


(つづく)


後編に続きます。


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