プロローグ
セフィーナの病が治った。
顔色が良くなったことはひと目で分かる。
身を焼くような激痛もすっかり引いたそうだ。
ただ、ウォーキンスはセフィーナに強く静養を勧めた。
まだ魔力が安定していないらしく、
このまま無理に動くと、心や身体に支障をきたすかもしれないのだそうだ。
セフィーナは残念そうにしていたが、
大事を取って、この日は安静にすることになった。
病み上がりは体力も気力も落ちてるし。
少し余裕を持って休んでいたほうがいいだろう。
というわけで、セフィーナは部屋でゆっくりとお休み。
俺はといえば、王都の出発から今までに至る道中の話を、
シャディベルガやウォーキンスに聞かせていた。
王都を出て妙薬を手に入れる旅に出たこと。
エルフの峡谷で竜を討伐したこと。
大陸の四賢・シャンリーズと相対したこと。
ひと通り話を聞いたあと、シャディベルガは戦慄していた。
「よく命を落とさなかったね……」
確かに。
いったい何度、死を覚悟したことか。
冒険譚は聞く分には胸躍るかもしれないが、
自分が経験する場合、まったく楽しくない。
俺は戦士よりも吟遊詩人の方が向いているようだな。
貴族以外で何か職を選べと言われたら、
リュートを華麗に弾きこなす伝道師になろうと思う。
多分すぐに金欠になって詰むと思うけど。
シャディベルガはひと通り話を聞いたあと、
噛みしめるように呟いた。
「……色々あったんだね」
「それなりにな」
「でも、レジスが無事に帰って来てくれて、僕は嬉しいよ」
無事、か。
俺は右拳をゆっくり手を握ったり開いたりする
まだ少し、ぎこちない。
実は、シャンリーズに砕かれた拳に、まだ違和感が残っているのだ。
アレクが高位の治癒魔法を掛けてくれたため、後遺症は残らないはずだが。
どうにも痺れが引かない。
拳をやられた時、シャンリーズがなにか魔法を使っていたのか。
まあ、そのうち良くなるだろう。
シャディベルガを心配させるのもよくない。
最後に、俺はシャンリーズと戦ったことを詳細に話した。
しかし、シャディベルガはどうも実感が湧かないようである。
まあ、一歩踏みしめたら大地が盛大に裂けた、なんて冗談にしか思えないだろう。
どこの出エジプト記だって話だ。
しかし一転、ウォーキンスは浮かない顔で俺の回顧録を聞いていた。
そしてシャンリーズを撃退した所まで話すと、彼女はボソリと呟く。
「そうですか……あのシャンリーズと」
「知ってるのか?」
ウォーキンスが少し深刻な顔になる。
やっぱり、シャンリーズは良い印象を持たれてないみたいだな。
世間一般の人が見れば、妹ラブな偏執狂だし。
むしろ、この話を聞いて『シャンリーズ様、素敵!』とか言い出す奴がいるとは思えん。
いたら怖い。
俺の問いに対し、ウォーキンスは真面目な雰囲気で答えてくる。
「噂には聞いています。
土魔法で彼女に並ぶ使い手は、神や精霊でもそうはいないでしょうね」
神、そして精霊。
ずいぶんと大仰に聞こえるが、
これらは人智を超えた力を持つ存在のことである。
神は人でもなく、エルフなどの他種族でもない。
古代から現在に至り、この世のどこかに君臨し続ける圧倒的実力者。
メジャーなところだと、黎明の五神がそうか。
そして、精霊。
これも神に近しい存在だが、実力と影響力では一歩劣る。
世界に散らばる英雄譚を紐解くと、必ずといって言いほど出てくる連中だ。
そういえば、どこかの文献に書かれていたな。
大陸の四賢の力は、せいぜい中堅の精霊程度の力であると。
まあ、著者も分かっていない書物だったので、話半分にしか信じていないけど。
さすがに大陸の四賢はもうちょっと強いんじゃないか。
精霊を見たことないから、断定できないのが辛いな。
ウォーキンスの言だと、シャンリーズが魔力を全開放して暴れると、
国一つくらいは簡単に傾いてしまうらしい。
本拠の地盤でも崩されたら敵わんだろうな。
考えれば考えるほど、恐ろしい奴だ。
ふと、ウォーキンスが手を握ってきた。
いきなり何だと思ったが、よく見れば俺の手は震えていた。
無意識に、シャンリーズへの恐怖が蘇ったのかもしれない。
そんな俺に向かって、ウォーキンスは安心させるように微笑んできた。
「ご安心ください。
再びレジス様に危害を加えようとすることがあれば、
このウォーキンスが、大陸の四賢シャンリーズを成敗いたします」
頼もしい一言だ。
しかし、少し疑問に思った。
ウォーキンスとシャンリーズ。
つまり彼女と大陸の四賢が闘ったら、どちらが勝つのだろうかと。
ウォーキンスが計り知れない力を持っていることは、十分理解している。
しかし、アレクと出会い、シャンリーズと戦ったことで、身にしみて分かった。
大陸の四賢は、真の意味で別格なのだと。
「ウォーキンスはシャンリーズに勝つ自信があるのか?」
「どうでしょうねー。
勝てるかは不明ですが、
レジス様を守り通せるという確信はあります」
はぐらかすような返答。
そういえば、こいつは四賢との比較を嫌う傾向があったな。
地雷に触れても困るし、気をつけよう。
ウォーキンスは一つ空咳をして、にこやかに微笑んできた。
「ともあれ、レジス様が帰還なさって、とても嬉しいです」
「ああ、ありがとう」
ウォーキンスと一緒にいると、やはり安心感がある。
久しぶりの再会ということもあり、話題は尽きない。
就寝前まで、俺はウォーキンス達と雑談に興じた。
俺のいなかった間、何をしていたのかが話題に上がったりもした。
シャディベルガは彼なりに、
領地を発展させるために手を尽くしていたそうだ。
荒れ放題だった街道を補修し、街村の連絡を強固にしたという。
これで気軽に外へ遊びに行けるな。
ガタガタの街道に苦い思い出があるので、
整備のありがたみがよく分かる。
そしてウォーキンスはいつもの通り、
ほぼ意識のないセフィーナの世話をしていたそうだ。
たまに時間を見つけては、熾烈な宝探しゲームにも興じていたとか。
まあ、いつも通りの彼女だったということだろう。
セフィーナの病も治り、ディン家の勢力も上向きになりつつある。
あとは、異常に低い爵位を何とかすれば完璧だ。
少しづつ、ディン家の完全復興への道が見えてきた。
もう、何も障害はないはず。
あとは順風満帆に、上り詰めていくだけだ。
俺はそう確信していた。
翌日の朝、あんなことが起きるまでは――
◆◆◆
翌朝。
朝食を摂るため、下の階に降りる。
結局、アレクは昨日のうちに姿を見せることはなかった。
すぐに戻ってくると思ったんだけどな。
まあ、魔獣を森に帰した後、
どこかで物見遊山でもしているのかもしれん。
シャディベルガは領内視察のため、早朝に出て行ったそうだ。
相変わらずの仕事っぷりに頭が下がる。
感心しつつ、俺は一階の食堂に行った。
しかし、そこには誰もいなかった。
はて、この時間はウォーキンスがいるはずなのだが。
調理室を覗くと、朝食自体は小間使いが作ってくれていたらしい。
湯気の立ち上る料理が用意されていた。
まあ、飯は自分でつげるし。
先に食べておくか。
そう思った刹那――背後の扉がギィッと開いた。
「あ、ウォーキンス。おはよう」
爽やかな挨拶をして振り向いた。
しかし、そこにウォーキンスはいなかった。
その代わり、15,6歳くらいの少女が一人。
腰まで伸びた鮮やかな青色の髪。
瞳は深い藍色で、内面を察することが難しい。
全体的に落ち着いた雰囲気で、寡黙な印象を受ける。
昨日見た時は、薄暗い部屋だったため、その容貌に気が回らなかった。
しかし、陽の光が差し込むこの場では、ありありと分かる。
思わず見とれてしまう程に美しく、儚なく感じた。
セフィーナ・ディン。
俺の母親が、扉の前に立っていた。
彼女は小首を傾げ、静かに告げてくる。
人間違いをされたことに拗ねているようだ。
「……私、ウォンじゃない」
少し低めの声。
ウォン、というのはウォーキンスのことか。
一瞬誰かと思った。
ともあれ、間違いは訂正しないと。
俺は改めて挨拶しようとする。
「…………」
が、言葉に詰まった。
意志に反して喉が閉まり、発声を拒否する。
これは恐らく、俺の敬語嫌いが原因なのだろう。
前世からそうだった。
俺は丁寧語や敬語に、尋常でなく苦手意識があるのだ。
他人が使ったりするのを見る分にはいいのだが、
自分が使うとアレルギー反応が出る。
「……どうしたの?」
硬直する俺を心配してか、セフィーナがきょとんした顔で訊いてくる。
いかん、早く何かしら返事をしないと。
だが、その瞬間。
かつて敬語を使って失敗した時の記憶が蘇った。
「――――ッ」
蔑みに満ちた面接官の眼。
他の応募者から向けられる嘲笑。
高校卒業後の空白期間を突っ込まれ、
必死で取り繕おうとしていたのだったか。
しかし、稚拙な敬語を隠せず、緊張するとすぐにボロが出た。
それを面接官に指摘され、苦言を呈され、
落とされ、次の応募先でも同じことを言われ、
あがいても克服もできず、次第にやる気が失せ、
最後には何にも身が入らなくなって――
「…………」
俺は深々と息を吐いた。
就職浪人の時のことは、思い出したくない。
ただ、もう丁寧語は嫌だと、本能が叫ぶように忌避している。
存在価値を否定される原因になった話し方など、誰が好き好んで使うものか。
未来永劫、自発的に話すことはあるまい。
国王に謁見した時などは、
一時的なものだったので不快感はねじ伏せられた。
しかし、相手がセフィーナとなれば話が違う。
屋敷で顔を合わせる以上、
恒常的に丁寧な言葉遣いをする必要がある。
昨日は感極まってタメ口を利いたが、不快に思われたかもしれない。
使わなくてはいけないのだ。
たとえ、どれだけ嫌いな喋り方であろうとも――
と、その時。
顔を俯けていた俺を、
セフィーナがそっと抱きしめてきた。
背伸びをして、俺の頭を胸元に引き寄せる。
「……何か、辛いことがあったの?」
「あ、いや……」
耳元でささやかれ、返答に窮する。
ウォーキンスがしてくる抱擁よりも、若干ぎこちない。
しかし、俺を慮る気持ちは、過剰なくらい伝わってきた。
「……私に、話してみて?」
セフィーナもどこか緊張している様子だ。
そして、この時俺は理解した。
彼女がなぜ奥手になっているのかを――
俺とセフィーナは、実質「初めまして」な仲である。
正直、俺は彼女との距離感を計りかねていた。
しかし、それはセフィーナにとっても同じなのだ。
「畏まった話し方が、少し苦手なだけです。心配なさらないでください」
「……うん、知ってる。気を使わなくて良い。
シャディと話す時は、もっと砕けてるって聞いた」
「誰から、ですか?」
「……ウォンから」
ウォーキンスが話していたのか。
確かに、俺はシャディベルガに対しては素の状態で喋っている。
といっても、あれは俺の幼年時代に強制してこなかったからだ。
「……敬語について、ウォンはあまり教えなかったでしょ?」
「そういえば――」
領内経営を始めとして、貴族としての学問はひと通り学んできた。
しかし、言葉遣いについては、
ウォーキンスは滅多に口を出してこなかったように思う。
「……レジスが敬語を嫌がるのに気づいてたみたい」
「そうだったのか……」
なるべく隠すようにしてたというのに。
見抜いていたのか。
その上で、俺のトラウマを刺激しないよう、配慮してくれていたのか。
普段は適当にやっているようにしか見えないのに。
本当に……ウォーキンスには頭が上がらないな。
俺が感服していると、セフィーナが呟いた。
「……だから、私にも気を遣わないでいい」
「わ、分かった……ありがとな、母さん」
噛みかけたが、何とか言い切れた。
すると、セフィーナは輝くような笑顔を浮かべた。
非常に申し訳ないが、可愛いくて直視できない。
今の俺と同い年くらいに見えるんだけど。
この少女が、実は母親という事実。
これもうわかんねぇな。
しかし、シャディベルガはこんな可愛い娘に……したわけで。
奴の犯罪性が浮き彫りになってくるな。
俺が生まれた当時、シャディベルガは32歳で、セフィーナが15歳だっけ。
通報モノだよ。
誰が見ても光の速さで3つの数字ボタンを押すよ。
と、視線に気づいたのか、セフィーナは首の角度を傾けた。
「……どうしたの?」
「いや、何かすごい若いなって」
「……変、かな?」
変だね、と即答しそうになった。
しかし、デリケートな部分である可能性が高い。
地雷を踏まずに情報を得るにはどうすればいいのか。
思い悩んでいると、彼女がボソリと呟いた。
「……私の時間は、15年前に止まったままだったから」
15年前。
俺を産んだ直後、セフィーナは体調を崩した。
その隙を狙うようにして、最悪の難病に罹患した。
そしてそれ以来、彼女は病床に伏せていたのだ。
「……レジスの薬がなかったら、きっと私は死んでいた」
そう言って、セフィーナは感慨深そうに告げてくる。
「……ありがとう、レジス」
言葉と共に、俺に抱きついてこようとしてくる。
だが、その時。
彼女の足元がふらついた。
「――っと」
慌ててセフィーナの身体を支えた。
危ない、もう少しで倒れるところだった。
「……ごめん」
「いいよ、気にしない気にしない」
セフィーナは十代の前半にして、剣技や魔法がずば抜けていたと聞く。
しかし、さすがに筋力が落ちているのだろう。
いきなり荷重のかかる運動は無理だ。
「とりあえず、座っておこうぜ」
セフィーナを椅子に座らせる。
水差しからグラスに水を注ぎ、セフィーナの前に置く。
彼女はそれ飲むと、幸せそうに息を吐いた。
「……はぁ、生き返った」
さて、どうしよう。
このまま会話を終えて料理の配膳をしても良いのだけれど。
俺としては一つ聞きたいことがあった。
思い悩むのも時間の無駄だ。
彼女の対面に座り、単刀直入に切り出す。
「……ウォーキンス、だよな?」
『何が?』とはセフィーナも言わない。
なぜこの15年間、彼女は歳を取らなかったのか。
要因としては、いつも彼女の傍で看病をしていたウォーキンスしか思い浮かばない。
俺の指摘に対し、セフィーナは困ったように訊いてきた。
「……ウォンのこと、疑ってる?」
「そりゃあな」
ウォーキンスのミステリアスな所は常軌を逸している。
追求しても躱すので、なかなか核心へは迫れないのだが。
恐らく彼女は、何かとんでもない素性を隠している。
そんな気がするのだ。
「ただ――」
疑っているからと言って、不信感を抱いているわけではない。
俺は笑みを浮かべつつ、セフィーナに言った。
「それ以上に、ウォーキンスのことを信じてるよ」
今までの人生で、どれだけ彼女に救われてきたことか。
直接的に窮地から救ってくれたのがアレクだとすれば、
間接的に危機を乗り越える力をくれたのは、他ならぬウォーキンスなのだ。
彼女を大切に想うこの気持ちは、本物だと信じたい。
誤解をしてほしくないと思っているのか。
セフィーナはウォーキンスを擁護する。
「……ウォンがする隠し事は、誰かの幸せを願ってのことだから」
「わかってるよ。俺にだって内密にしたいことはあるし。
そんなことでいちいち疑ったりしない」
人に隠したいことの一つや二つあるものだ。
もちろん、俺にだってある。
黒歴史が服を着て歩いている状態なので、秘密にしたいことは星の数だ。
勝手に詮索して欲しくないこともあるだろうし。
焦らず、ちょっとずつ解きほぐしていけば良いさ。
肩をすくめ、俺はそう結論づけたのだった。
◆◆◆
セフィーナと雑談してしばらく経った頃。
不意に食堂の扉が開いた。
「――おはようございます!」
清涼感のある声。
ウォーキンスが入ってきたのだ。
彼女は済まなそうな表情で厨房へ入っていく。
「申し訳ありません。思ったより手間取りました。
今、朝食の配膳をしますので」
「……平気。朝からありがとう」
「いえいえ、お安いご用です」
む、この感じ。
セフィーナが何かを頼んでいたのか。
俺は料理を運ぶウォーキンスに訊く。
「さっきまで何してたんだ?」
「執務室の壁に隠されていた扉を突破し、
隠し通路を通って錠付きの戸を粉砕し、
天井裏に隠されていたものを運び出していました」
「朝から大冒険だな」
というか、隠してた方も隠してた方だよ。
シャディベルガの隠匿スキルも日に日に向上してるからな。
今回は隠し部屋まで作っていたと見える。
しかし、ウォーキンスの眼は欺けなんだか。
「……それで、あった?」
「はい。三十冊ほど。セフィーナ様のお部屋に運んでおきました」
「……ん、分かった。シャディが帰って来たら話をするから、逃がさないようお願い」
「かしこまりました」
並べられていく朝食。
和やかな朝の風景。
しかし、この先に待っているのは、恐ろしい説教や折檻という事実。
シャディー、そのまま視察から帰ってこないほうが安全だよ。
「……頂きます」
料理が揃ったところで、セフィーナが胸に手を当てて目を伏せた。
忘れていたが、これが正式な食事の儀礼形式だったか。
俺は基本、人前以外では合掌だからな。
セフィーナは笑顔で立っているウォーキンスに告げた。
「……ウォン。あなたも」
「はい、かしこまりました。では、失礼して――」
俺の右隣に座り、ウォーキンスが食事を摂る。
貴族と使用人が一緒に食事を取るのは普通ありえないそうだ。
ディン家では特に気にしてないけども。
ウォーキンスは幸せそうに海鮮料理を口に運ぶ。
「美味しいですね。ディン領の海で獲れた魚は絶品です」
「そういえば、親父の視察って、どこに行ってるんだ?」
「……港町を見に行ってるはず」
ほぅ。海の方か。
でも、俺はあんまり水辺にはときめかないな。
砂の城を作りながらカップルを睨んでいた記憶しかない。
フナムシだけが俺の友達だった。
なぜ海に行ったのかは忘れてしまったのだけれど。
そういえば、シャディベルガで思い出した。
俺は二人に尋ねる。
「二人とも、よく親父の本を探し当ててるけどさ。
別にちょっとくらい持ってても良いんじゃないか?」
そういうブツの10冊や20冊、普通は所持してるものだろ。
頭ごなしにダメと言って封じるのは酷だと思うんだが。
しかし、セフィーナは拗ねたふうに目を背ける。
「……シャディが他の女に目を移すのは、イヤ」
なるほど。
書物と言えど、異性に興味を示すのは好まないと。
ほほぉ……その嫉妬を含んだ情熱、まるで新婚のようだ。
これ以上の口出しは無用だな。
隠し通せるか処分されるか。
当人同士の聖戦に、俺が関与するべくもない。
というか、巻き込まれたくないというのが本音だ。
シャディベルガに黙祷を捧げつつ、続きを見守るとしよう。
ウォーキンスは擁護するように言った。
「あの処置は、シャディベルガ様を愛するがゆえのことですよ」
「その割には楽しそうだよな、お前」
「宝探しは好きですからね」
涼しい顔でウォーキンスは答える。
見つけた宝を燃やすトレジャーハンターがどこにいる。
しかし―― こうやって身内で遊べるのは良いな。
シャディベルガからすると、たまったものではないだろうけど。
俺としては、切羽詰まった時より気楽な方が好きだし。
内心で頷いていると、
ウォーキンスがテーブルナプキンを手に取った。
そして俺に声をかけてくる。
「レジス様、少し口の周りが」
「ん……」
考えこむあまり、動かす手が疎かになっていたか。
いかんな。テーブルマナーを怠るとは。
前世で直食いなんかやってたからこんなことになるんだ。
反省しつつ、ナプキンを受け取ろうと手を伸ばす。
しかし――
「動かないでくださいね」
ウォーキンスはニコニコしながら俺に顔を近づけてきた。
そして、手に持ったナプキンで口の周りを拭こうとしてくる。
いや、それは流石に。
「……いいよ。自分でやる」
「まあまあ、遠慮なさらず」
ウォーキンスは手を伸ばしてくる。
気恥ずかしさが先行して、つい拒んでしまう。
それでもなお接近してくる彼女に困惑した刹那――
視界が光りに包まれた。
尋常でない魔力の奔流。
凄まじい衝撃が、部屋内に響き渡る。
粉塵が巻き上がり、視界が遮られた。
「……なっ!?」
一体、何が起きたんだ。
事態を把握しようとする。
が、激しい塵芥のせいで周りが見えない。
ただ、影の様子でウォーキンスの動きは分かった。
彼女は一瞬にしてセフィーナを安全圏へと誘導。
そして目にも留まらぬ速度で俺の前に立った。
「レジス様、私の後ろに」
ウォーキンスの顔が目に入る。
思わず身震いした。極稀に彼女が見せる、内面を一切察せない表情。
妖しい魔力が、ウォーキンスの身体を包んでいた。
次第に粉塵が晴れていき、侵入者の姿が露わになる。
金色の長髪。
幼さの残る体躯。
開き切った瞳孔。
そう。
アレクが敵意に満ちた眼で、こちらを睨んでいた。
「――動くな」
刺すような忠告。
俺に言ったのではない。
アレクは俺の前――ウォーキンスに殺伐とした視線を注いでいるのだ。
ビリビリと、アレクの怒気を孕んだ魔力が部屋中に充満する。
それを感知したのか、ウォーキンスは俺の前に立ちふさがる。
その上で、安心させるように優しく柔和に微笑んだ。
「ご安心ください。お守りいたします」
その瞬間、アレクの眼が見開かれた。
「……ふざけるな」
彼女は肩を震わせ、憤怒に染まった声を絞り出す。
「……認めぬ」
アレクは拳を構えた。
彼女が誇る拳神直伝の殺人体術。
掠っただけで肉が裂け、骨が砕ける。
直撃すれば、身体に風穴が開くだろう。
完全武装の状態で、アレクは強く宣告した。
「――それは我輩の役目じゃ」
攻撃の構えを見て、ウォーキンスは更に警戒を強めた。
彼女は俺を片手で抱き寄せようとする。
その瞬間、アレクの激高が頂点に達した。
「――レジスから離れよ、外道!」
修羅のような殺意を飛ばし、
アレクが突っ込んできたのだった。
次話→7/3
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