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間話 災厄の出逢い

 


 王都近くの森。

 鬱蒼と茂る森林の最奥へと、暴れ狂牛は去っていった。

 それを面倒臭そうな眼で見つめる少女が一人。

 大陸の四賢・アレクサンディアだった。


「ふぅ……厄介な魔獣じゃの。

 ようやく肩の荷が下りたのじゃ」


 アレクは首を鳴らして息を吐く。

 暴れ狂牛は見た目の割に繊細な生き物らしい。

 特殊な条件下の森しか馴染めないようだったので、

 わざわざ捕獲場所である王都近郊にまで戻しに来たのだ。

 そのせいで時間を食い、既に深夜になろうとしていた。 


 この近辺の森であれば、暴れ狂牛も落ち着くようだ。

 下手に他の場所で置き去りにして、生態系を変えてしまうよりは良いだろう。

 ともあれ、これでシャディベルガから依頼された護衛任務は完全に果たした。

 


「……さて、では行くか」


 アレクは浮遊魔法を使い、滑空するように飛ぶ。

 レジスのいるディン領へ戻るために。

 その速度たるや、地を走る馬車を置き去りにする。


 普通に歩けば相当な日数を要する道も、浮遊魔法を使えば半日で着く。

 ディン領に着く頃には朝になっているだろうが、それでも十分過ぎる速さだ。


 地形を完全無視した移動ができるというのは、やはり大きい。

 空を飛んで行くアレクの顔は、どこか嬉しげだった。


「ふぅ……ようやく追いつけるのじゃ」


 期待で胸が高鳴っているのだろう。

 見た目相応の、可愛らしい笑みを浮かべている。


 衝撃波が発生しかねない速度で直進していく彼女。

 こんな無茶をしていれば、消費される魔力は計り知れない。

 しかし、大魔法師の総魔力は底なし。

 レジスの元へ向かうためだと思えば、何の苦でもなかった。


 アレクが身に纏うマントが風圧ではためく。

 その度に首元のコインが慌ただしく揺れ、小気味良い音を出した。


「……ふふ」


 アレクはそのコインを指で弾いた。

 とても幸せそうに、無邪気に微笑んでいる。

 レジスからもらった、大切な贈り物だ。

 間違ってもなくしては困るため、飛行中はローブの中へ入れておく。


 頭を切り替え、ディン家の訪問に思いを馳せる。

 ちゃんと匙を使えていれば、セフィーナの病は回復しているはずだ。

 今頃は彼女も、レジスやシャディベルガと楽しく談笑していることだろう。


 不安にさせては困ると想い、レジスには言わなかったが。

 正直な話――あと少し遅れていれば、セフィーナの病状は手遅れだった。


 不起の病み床は、激痛や幻視などの症状で心をへし折ってくる。

 しかし逆に言えば、精神が強ければ、五年くらいは持ちこたえられるのだ。

 緩やかに死へと近づいていくため、即座に息絶えることはない。


 だが、アレクの知る限り、罹患して最も長く生きた者で9年。

 それを考えると、15年も命を保ち続けたセフィーナは異常だ。

 他の要因があったのではないかと考えてしまうほどに――


「しかし――」


 アレクは残念そうにため息を吐く。

 セフィーナの境遇を思うと複雑な気分になるのだ。


「十五年を病床の上とは……不運じゃのぉ」


 彼女が不起の病み床に罹ったのは16歳の時。

 そこから15年――セフィーナはベッドの上から一度も動けなかったと聞く。

 青春の時代を無為に過ごしてしまったのだ。


 倒れた時には少女だったというのに、

 再び動き出した時には女性になっていた。

 そんな理不尽な境遇を、セフィーナは受け入れられるだろうか。 


「……まあ、我輩が気にしていても詮なきことか」


 そこを乗り越えられるかは、本人の問題だ。

 今はただ、回復した彼女にどんな声をかけるか考えておこう。


 セフィーナに顔を見せるのは久しぶりだ。

 レジスが生まれる前、彼女には何度か会ったことがある。

 感情の起伏に乏しく、落ち着いた少女だった。


 しかしシャディベルガのことになると話は別で、

 他の女性が夫に接近するのを頑なに嫌った。

 嫉妬深い性質なのだろう。


 たまに遊びに行くと、アレクは彼女から警戒された。

 シャディベルガに手を出そうとは思ったこともないが、

 セフィーナからすると要注意人物に見えたのだろう。


 無論、アレクも性格が良い方ではない。

 突っかかって来られる度に彼女の嫉妬癖を茶化していた。

 もっとも、やり過ぎたせいでセフィーナにナイフを投げられたこともあるが。

 今となってはいい思い出だ。


「さて、もう少しじゃな――」


 そろそろディン領に突入する。

 現在、アレクの頭の中は、これからの希望で満たされていた。

 やりたいことを指折りで数えていく。


 まだまだ、レジスに稽古を付けてあげたい。

 稽古が終わったら、一緒に益体もない話をするのだ。

 たまには旅もして、色々な所に行ってみたい。


 思えば、こんなにも明るい展望を持てたのは初めてだ。

 これから、たくさん思い出を作りたい。

 作っていきたい。


「……楽しみじゃな」


 夢で胸をいっぱいにして、

 アレクは更に加速したのだった――





     ◆◆◆





「……む」


 アレクが異変を感じたのは、ディン領に突入した瞬間だった。

 誰かの探知魔法の網に入っているような感覚がしたのだ。

 しかし、ここまで広い範囲をカバーできる者がいるとは考えにくい。


「……妙じゃな。嫌な気配がする」


 ひとまず、ディン家の屋敷を一直線に目指した。

 するとその瞬間、辺りに立ち込めていた魔力が消えた。

 探知魔法を解除したのだろうか。

 となると、やはり何者かが接近に気づいた可能性が高い。


 反射的に、アレクは探知魔法を唱えていた。


「狭間に潜むは隠遁の徒。

 唸りし探神の光矢にて、其が僻隅を照らさん――『スウォームシーカー』」


 魔力の痕跡を、逆に探知魔法で掴む。

 完全に気配を絶たれる前に、尻尾をつかもうとしたのだ。


 すると、やはり感じた。

 むせ返るような不快感――濃厚な邪神の残り香を。

 アレクの表情が張り詰めたものになる。


「……他の四賢、か?」


 しかし、それは考えにくい。

 シャンリーズは移動速度的に除外。

 他の二人に至っては、死んでいる可能性が高いのだ。

 それに、他の四賢の魔力であれば、すぐに気がつくはず。


 他の何者かが、このディン領に潜伏しているのだ。

 八年前、レジスと会った時に感じた魔力と同じもの。


「……やはり、あれは気のせいではなかったのじゃな」


 正体を確かめねばならない。

 アレクは探知魔法にいっそう力を入れる。


 魔力の痕跡はディン家の屋敷まで続いていた。

 しかし、そこでぱったりと途切れている。

 こちらの探知魔法に気づいて、瞬時に魔力を引っ込めたのだろう。

 

 しかし、ここまで追えれば十分。

 アレクは探知魔法を切り、その魔力を飛行速度に回す。


「――見えた」


 ディン家の屋敷だ。

 遠目からゆっくり窓を見る。

 エルフの視力は人間のそれとは比較にならない。


 よく目を凝らすと、レジスの背中が見えた。

 いつもと変わらない、少年らしい背丈。

 緊迫した状況にも関わらず、嬉しさがこみ上げてきた。


「……ふっ」


 ひとまず、彼に挨拶をするとしよう。

 これは決して、レジスに夢中なわけではない。

 彼を保護するため、仕方なく最優先で近づいているだけなのだ。

 アレクは意味のない照れ隠しで自分を納得させる。


 ゆっくりと屋敷へと近づいていく。

 その時――レジスの対面に座る少女が見えた。


 邪気は感じない。

 先ほどの魔力の主ではないようだ。

 少し薄幸そうな雰囲気を漂わせている。


 そんな少女を見て、アレクは絶句した。  


「……まさか、セフィか?」


 背筋に嫌な寒気が走る。

 記憶の中にあるセフィーナが、そのままの姿で椅子に座っていたのだ。

 目をこすって注視したが、錯覚ではない。

 あれはやはりセフィーナだ。


 昔に会った時から、まったく変わっていない。

 まるで、時を止められてしまったかのように。

 彼女の容貌は、15年の時を完全に無視していた。


「……なんじゃ、あの姿は」


 アレクが呆気にとられていると、レジスが慌てたように立ち上がった。

 どうやらカップの茶を零してしまったらしい。

 酔った拳法家のような動きで熱さから逃れようとしている。


「……何をしておるのじゃ、あやつは」


 相変わらず一人で騒がしい男だ。

 そんなレジスのいつもの姿に、なぜか安心してしまう。

 セフィーナを見て混乱していた思考が、落ち着きを取り戻す。


 と、その時――


 レジスの横に、見知らぬ女性が駆け寄ってきた。

 給仕服に身を包む、銀髪の少女。

 雰囲気は非常に柔和で、大人しげだった。


「……あれは」

 

 普段なら気にも留めないような人物。 

 アレクは見てしまった。

 そして気づいてしまった。


 その少女が、己の宿敵であることに。 


「――――ッ」


 アレクは息を飲み込んだ。

 少女の髪は、肩までの銀髪。

 記憶の中にある”彼女”とはまるで違った。


 しかし、見間違えるはずがない。

 500年前――修羅の如き暴虐で絶望を生み出した少女を。

 突如、血が沸き立つような復讐心が身体を貫いた。


「……つもりか」


 自分でも、何と言ったのか聞き取れない。 

 本能に任せ、アレクは全ての魔力を解放していく。

 その時――視界の中で銀髪の少女が動いた。

 

 右手に何かを持ちながら、

 その手をレジスの喉元に近づけていく。


 それは、アレクがいつか見た光景と重なる。

 血風と命乞いが吹き荒れる戦場。

 死の匂いが充満する中で、同族に止めを刺す少女の姿。

 命を刈り獲る殺戮の右手。

 それを死肉に突き立てる少女の顔は、無機質な殺意に満ちて――





「汝はまだ、その手を血に染めようというのか――ッ!」



 アレクは魔力を四肢に込め、窓へと突っ込んだ。

 流星の落下にも似た爆発的衝撃。

 音速の一撃が、窓ごと壁を粉砕した。


 しかし、なるべく周囲は巻き込まないように。

 アレクは甚大な被害を出しつつ、ディン家の食堂へ着地した。


「……なっ!?」


 レジスの焦った声が聞こえた。

 彼からすれば、朝食中にいきなり襲撃されたようなもの。

 動揺するのも無理はない。

 罪悪感で、アレクの胸がチクリと痛む。


 が、今は見逃して欲しい。

 あとで謝る覚悟はできている。

 今のアレクは――ただ感覚を研ぎ澄ませる。


 目標は右方向。

 そこに少女は立っているようだ。


「――レジス様、私の後ろに」


 はるか昔に聞いた、忌々しい声。

 少女はレジスを身体で隠しているようだ。

 無差別に暴れることができないため、アレクは粉塵が晴れるのを待つ。

 しばらくして、ついに少女の姿が顕になった。


「――ご安心ください」


 忘れもしない、暴虐の限りを尽くした銀髪の戦乙女。

 声も追憶に刻み込まれたものと全く同じだった。

 少女はレジスを片手で抱き寄せ、温かい笑みを浮かべる。


「レジス様は、私がお守りいたします」


 アレクは愕然とした。

 しかし、戸惑いはすぐに怒りへと変わる。

 今、目の前の少女は何と言ったのか。


 ……守る?

 あれだけのことをしておいて。

 すべての種族から、憎悪の念を向けられた貴様が?


 ――レジスを、守る? 



「……ふざけるな」


 無意識に、アレクは呟いていた。

 その声にかつてない怒気を孕ませながら。


「……認めぬ」


 この少女がレジスに近づいていることが許せなかった。

 今までにない怒りがアレクを支配した。

 逡巡もなく、むき出しの憤怒を吐露する。


「――それは我輩の役目じゃ」


 少なくとも、貴様のやることではない。

 アレクは両拳に致死性の魔力を込める。

 

「――レジスから離れよ、外道!」


 そう吐き捨て、

 アレクは銀髪の少女へと襲いかかる。

 そして、万物を消し飛ばす拳を撃ち放ったのだった――





 奇跡的に保たれていた天秤。

 しかし、いつかは崩れるはずであった均衡。

 決して引き合わせてはいけない二人が――出逢ってしまった瞬間だった。

 


 

 

次話→7/2


書籍化作業で遅れてしまいましたが、書き溜めが完了しました。

閑話を一話はさみ、明日から6章を開始します。


 ――告知――


【ディンの紋章】がMFブックス様より出版されます。

発売日は7/25です。

イラストレーターはtoi8様が担当しております。

予約も始まっているそうなので、よろしければどうぞ一つ。


CM終わり。

明日の更新もお楽しみに。

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