エピローグ
激怒したイザベルを止めるのに、多くの労力を費やした。
まったく、第何次になるか分からない戦争を起こそうとするんじゃない。
俺の怪我を悪化させるつもりかと。
アレクが『冗談じゃ、すまぬ』と笑み混じりに謝ったことで、
何とかイザベルの怒りは収まった。
しかし、納剣するまでアレクを恨みがましい目で見つめていたな。
やはりその手のジョークは洒落にならないようだ。
俺も気をつけよう。
「ところで俺、どのくらい寝てたんだ?」
そういえば、時間の経過を訊いてなかった。
エリックと闘った時は丸二日寝込んでいたが……果たして。
「一日と半分じゃな。よく惰眠をむさぼる奴じゃ」
「あぁ……やっぱり長いこと気絶してたんだな」
体力と魔力が切れたら、数日間も目を覚まさないことがあるそうだ。
そう思うと、俺は早めに回復した方か。
ふと、気絶する前のことを回想してしまう。
「むしろ、よく生きてたよ。本当……なんだよ、あいつ」
大陸の四賢――シャンリーズ。
奴の嘲笑する姿が、まだ脳裏にこびり付いていた。
思い出すだけで肩と腹に痛みが走る。
「……シャンリーズは尋常じゃなかった。強すぎだろ」
魔力が切れてなお、あれだけ暴れまわる魔法師なんて初めてだ。
連戦と物量で押して、着地点が痛み分けでの撤退。
一人でどれだけの災害を生み出すつもりだ。
不死身かと思うくらいしぶとかったし。
ター○ネーターのテーマが脳内で鳴り止まなかった。
そんな俺に対し、アレクは気遣うようにして言ってくる。
「アレに歯が立たぬからといって、落ち込むことはない。
住む世界が違うのじゃ。文字通りの意味でも、実力的な意味でもな」
それはわかってる。
だけど、いざ対峙して同じ土俵に立ったら、言い訳なんて通じない。
強ければ生き、弱ければ死ぬ。
それだけなんだ。
アレクは「その対峙自体が稀有なんだから気にするな」と言いたいんだろうけど。
どうも釈然としない。
それじゃあ、次にエンカウントした時はどうするんだ、と。
まあ、今の俺では天と地がひっくり返ってもシャンリーズには勝てないんだ。
焦っても仕方ない。
地道に対策を練っておくことにしよう。
「それで、イザベル。峡谷の様子を聞いていいか?」
俺が尋ねると、彼女は一つ頷いて解説してくれた。
「重傷者や怪我人は何人も出たけど、死者はなし。
近くの神木には小さい傷が走ったくらいだから、すぐに自己再生すると思うよ」
「そうか。誰も死ななくてよかった」
やはり、あの開けた場所で闘ったのが効いたな。
もっと鬱蒼と茂った場所で激突したほうが、エルフとしては有利だったんだろうけど。
神木に被害が出ては元も子もないからな。
「ただ、あちこちの障壁が壊れちゃったみたい。
あれは質じゃなくて数で勝負の結界だからね。
今、多くのエルフを動員して修復してるよ」
さすがに障壁は砕け散ってしまったか。
早く塞がないと魔獣が迷い込んできそうだな。
「あと、シャンリーズが侵入に使った経路が分かったから、
その辺りを重点的に固めてるよ。これで簡単には入ってこれないはず」
本当に安心なのだろうか。
シャンリーズの魔力なら、どこからでも侵入してきそうだけどな。
エルフの匂いを纏ってないと入れないはずなのに、問答無用で突入して来るし。
「地下には対策が甘かったからね。
そこの脆弱性を突かれたみたいなんだよ」
なるほど。
地面の下から入ってきてたのか。
それなら、侵入経路を全力で封鎖しておけば、突破するのは容易ではないな。
あとは奴がガードブレイカーでないことを祈ろう。
「まあ、誓約を立てたという話が本当なら、奴はしばらく峡谷には来んじゃろうがな」
アレクが気になることを口走った。
その一言で、俺は気絶寸前に聞いたシャンリーズの言葉を思い出す。
「そういえば……あの誓いってなんだったんだ?」
「心配するな、ただの虚勢じゃ。
不屈の気概を土の守護神に見せるため、ドワーフが行う古臭い儀式。
時代の流れでとっくに消滅しておるから、今のドワーフで使えるのは奴一人じゃろう」
シャンリーズもまた、500年の地獄を歩んできた存在。
アレクの心中に孤独への怯えが巣食っていたように、
奴の心にも相当な憎悪が蓄積されている可能性があるのだ。
怖や怖や。
「ちなみに、奴が用いたのは『代償誓約』という古の魔力統御法じゃ。
己に一つの制約を課すことにより、通常以上の実力を発揮できることになる」
つまり今回の場合。
峡谷に立ち入る前に俺を襲撃することで、その誓約は真価を発揮するわけか。
……ちょっと待てよ。
「ってことは、あれ以上に手強くなるのか……?」
ただでさえ歯が立たないのに。
さらに魔力が増えたら、もう手のつけようがないんだけど。
なんだよ、誓約や代償って。
そういうのは緋色の眼を持つ鎖使いだけにして欲しい。
俺が戦慄していると、アレクが軽やかに言った。
「安心するのじゃ。
シャンリーズが汝を襲うことがあれば――今度こそ我輩が奴を殺す」
口調とは反対に、その眼は本気だった。
アレクは隣にやって来て、俺の首に手を回す。
そして、痛いくらいに抱きしめてきた。
「今度は不覚など取らぬ。言ったじゃろう。汝は我輩が守ると」
どうやら、アレクも悔しさが残っているようだ。
しかし、相手も同じ大陸の四賢だったわけだし。
多少の想定外は仕方ないと思うんだけどな。
と、同調するようにイザベルが俺の手を握ってきた。
そして真摯な表情でまっすぐ見つめてくる。
「微力だけど、私も支えていけたらいいな」
「いや、微力だなんて……」
どれだけイザベルに助けられたことか。
学院でも旅の途上でも峡谷でも、彼女の力添えは大きかった。
しかし、アレクは意地悪そうに微笑む。
「うむ、イザベルには当てはまらんな。
なにが微力じゃ。汝など無力じゃ無力」
「無乳の人に言われたくないかな」
「あ゛?」
「――ストップ! それ以上、互いを傷つけるな!」
もはや仲裁にも慣れたものだ。
深刻化する前に止めることができるようになった。
前世ではカツアゲに遭っている最中に通行人の仲裁を受け、
泣きながら逃げていた男とは思えない姿だ。
人は成長する、これは間違いない。
しかし、全く嬉しくないのは何でだろう。
「――邪魔をするぞ」
その時、部屋の入口に大勢の人影が現れた。
先頭にいるのはジャックル。
そのすぐ横にはセシル。
そして背後には、峡谷にいるエルフ全員が列と群を成していた。
「なんじゃ、その大行列は」
「レジスの元に行くと言ったら、ついてきたのだ」
「俺に?」
それまた意外だな。
ジャックルとセシルが来てくれるのは分かるけど。
他のエルフが来訪するのは珍しい。
彼女たちは俺に奇異な視線を向けてくる。
何かを言おうとしながらも、踏み出せないような感じだ。
「レジスお兄ちゃん! 大丈夫でしたか!?」
セシルが焦ったように駆け寄ってくる。
俺の腰元にタックル――もとい抱きついてきた。
衝撃が腰から全身へ広がり、鈍痛が到来する。
しかし、子供がここまで心配してくれているのだ。
無下にする訳にはいかない。
セシルは顔を押し付けて匂いを嗅いでくる。
「……あわわ、血の匂いがします」
「大丈夫だよ。もう傷が塞がるのを待つだけだから。
それよりセシル、一回離れようか」
お前のお爺ちゃんが拳を握りしめているぞ。
さらなる武器が出てこないうちに、危機を脱しておくとしよう。
セシルは名残惜しそうに離れると、そのままジャックルの後ろに下がった。
すると、ジャックルが何かを俺に差し出してくる。
「採れた全ての草で、これを作っておいたぞ」
ポンッ、と巾着のような小袋を渡される。
恐る恐る中を見て見ると、粉末状の薬剤が入っていた。
「これは……エルフの妙薬?」
感じる。
この袋の中から、溢れんばかりの魔力を。
一切の邪気を打ち払う生命の波動。
エルフの秘宝とされる妙薬が、今この手の中にあった。
「占拠されていた地点で採れる薬草以外は、全て完成状態にしておいたのだ。
急いで作ったが、効能は通常以上であろう」
「……すげぇ嬉しい。だけど、障壁はいいのか?」
峡谷内の全てのエルフが集結してるみたいなんだけど。
俺のために仕事を中断して妙薬を作ってくれていたんだとしたら、
申し訳ない気持ちが湧いてくる。
しかし、ジャックルは首を傾げて言った。
「もう修復は終えたぞ?」
「……早くないか?」
「一致団結したのだからな。
派を超えた協力によって、今まで以上に堅固な障壁になった。
お前のおかげだ、レジス」
褒めてくれるのは嬉しいけど。
それは俺の功績じゃないと思うんだ。
むしろエルフ達から反感を買うことしかしてなかった気がする。
俺が戸惑っていると、ジャックルが念を押してきた。
「妙薬は礼だと思い持っていけ。これでどんな病でも治せるはずだ」
「……ありがとう、ジャックル。エルフの皆」
俺は恐る恐るエルフ達を見た。
すると、今まで黙っていたエルフが咳払いをした。
彼女は……竜の討伐の時に俺が正面切って喧嘩を売ったエルフだ。
ジャックルが土魔法による砕石から庇った女性でもある。
彼女は複雑そうな顔をしながら告げてくる。
「人間に物をくれてやるのは癪だが……貴様だけは例外だ。代表して礼を言う」
なんと。
エルフに礼を言われてしまった。
人間というだけで憎悪していたというのに。
この数週間で、俺に対する評価が変わったらしいな。
しかし、最後に彼女は釘を刺してくる。
「ただし――基本、私たちは人間が嫌いだ。
貴族を見ると反吐が出る。それだけは忘れてくれるなよ」
「あ、ああ」
やっぱり、溝が埋まるには程遠いか。
人間とエルフが互いに見下さないようになるには、長い時間が掛かりそうだ。
これも、歴史の闇が深すぎるせいだな。
俺がため息を吐いていると、ジャックルが外を見て提案してきた。
「今、宴の準備をしている。今夜は泊まっていけ」
「……え」
俺も窓の外を見た。
真っ暗だ。
夜9時といったところか。
時間感覚が狂っていて分からなかった。
夜が明けるにはまだまだかかりそうだが、どうしたものか。
俺が悩んでいると、アレクが大きく頷いた。
「いいじゃろう。馳走になろう」
「……おいおい、出発は早い方がいいんじゃないか?」
俺が指摘すると、アレクは手を窓の外にかざした。
そして魔力をいずこかへと射出する。
その後、しばらくして俺に告げてきた。
「足となる暴れ狂牛が入眠中じゃ。
寝不足で事故でも起こされたら敵わぬからの。
まあ、翌朝には目覚めるよう楔を打ち込んだから大丈夫じゃ」
あぁ、暴れ狂牛がお休み中なのね。
急かしたようで悪かったな。
まあいい、翌朝には必ず出発できるのだ。
下手に拙速を選択することもないだろう。
途中で暴れ狂牛がぶっ倒れでもしたら、それこそ実家まで歩きの旅だ。
「ところで、馳走はあるんじゃろうな?」
「竜の肉や霊峰原産の野菜を豊富に用意しておる」
「わぁい! 肉は大好きじゃ」
エルフ達がギョッとした表情になった。
アレクが見たことのない反応をしたからだろう。
たまに彼女は、外見の年齢相応な所を見せるんだよな。
和むからいいんだけどね。
アレクはハッとした顔になり、途端に表情を引き締めた。
「……ふん、竜の肉など大した味ではなかろうがの。
捨てるのも何じゃ。我輩が消化して有効活用してくれる」
本当に、素直じゃない奴だった。
◆◆◆
宴会は、とても熱狂的なものとなった。
ここ最近苦しんでいた問題がまとめて吹き飛んだのだ。
エルフ達からすれば、嬉しさもひとしおだろう。
美味そうな料理があちこち並んでいたが……騙されてはいけない。
エルフと人間の味覚は恐ろしいほどに異なっている。
エルフからすれば絶品な食料も、
人間が食べれば昇天するレベルの不味さに感じてしまうのだ。
これは両者を理解する時に大きな壁になりそうだな。
アレクはというと、ジャックルを捕まえてさんざん自慢話をしていた。
「そこで、あの腐れ外道ドワーフ魔法師に言ってやったのじゃ。
『魔法師は魔法だけではない』とな。
いやー、汝にも見せてやりたかったのぉ。我輩の勇姿を!」
非常に気持ちよさそうに語っているが、ジャックルはとても迷惑そうだ。
酒のお代わりを注ぎに行けないまま、アレクの言葉に耳を傾けざるを得なくなっている。
「まぁ、あそこで銀貨さえ落とさなければ、余裕で――」
なおもアレクの武勇伝は続いていく。
シラフで聞くのは辛いだろう。
俺は小さな酒樽をジャックルの手元に置いてやった。
そして、イザベルはというと――
「セシルちゃん、何食べたい?」
「大水源で獲れたセラフィムシザー、というのを食べたいです!」
セシルと一緒に食事を満喫していた。
そういえばイザベルは小さい子供が好きなんだっけな。
案外セシルと相性が良いのかもしれない。
「はい。一緒に野菜も摂るんだよ」
「う、うぅー……野菜、ですか」
セシルは微妙な顔で皿を受け取る。
どうやら野菜が苦手みたいだな。
わかるよ、俺もピーマンとナスは大嫌いだったから。
でもね、弱点というのは知られたが最後。
俺のサボリ就職浪人生活に業を煮やした身内が、
ピーマンのナス詰めしか食わせてくれなくなったことがある。
あの時は辛かったな。
外食に逃げようかと思ったが、我慢して克服したんだったっけ。
金がなかったと言うこともあるけど。
あの時は妹がこっそり他に菜食のオカズも作ってくれたりした。
本当に、彼女には頭の上がらない前世だったな。
「こ、これがセラフィムシザー……の丸ごとソース煮ですか」
セシルが眼を輝かせてパクパクと食べている。
というか、その聞いたこともない食材は何なんだ。
気になったので、通りすがりに全貌を注視する。
雄々しき巨大な鋏。
バックするために鍛えられた脚と尾。
そして、鮮やかな紅色の甲殻。
それを見て、俺は確信した。
――どう見てもザリガニです。本当にありがとうございました。
その後、色々なエルフと軽く話に興じたり。
竜の肉などの比較的味の良さそうなものを食べたり。
充実した宴会を過ごすことができた。
アレクは酔いつぶれたジャックルを相手に、未だに自慢話をしていた。
イザベルはセシルを寝かしつけ、隣で寝息を立てていた。
十分寝たはずなのだが、俺も少し眠気を感じた。
屋敷に戻る気も起こらず、俺は宴会場のそばにある木に寄り掛かる。
そして睡眠欲の赴くままに寝て、峡谷における最後の夜を過ごしたのだった――
◆◆◆
翌朝。
旅支度を整え、俺はエルフ達の見送りを受けていた。
「レジスお兄ちゃん! もう行くのですか?」
「ああ。待ってくれてる人たちがいるからな」
思えば、ずいぶんと待たせた。
一年は経っていないはずなのだが、とても濃密に感じる毎日だった。
セシルは淋しげに俺の裾を掴んだ。
どこか物足りないような、不満気な様子だ。
俺はしゃがみ込み、彼女の頭をワシャワシャと撫でた。
「大丈夫だよ。約束、忘れてないから。今度一緒に泳ごうな」
「……本当ですか?」
「もちろんだ。セシルとの約束だぞ。破るわけないだろ」
今回はちょっと機会と折が悪かった。
急ぎの旅ということもあり、長居はできない。
ジャックルの眼もあるしな。
「また来てくださいね! 待ってますから!」
「ああ。俺もそうしたいんだけど……」
ここはエルフの聖地だからな。
人間が頻繁に出入りするのは難しい気もする。
そのへんどうなんだろう。
俺はちらっとエルフたちに目を向けた。
すると、エルフの一人が言ってきた。
「別に、見咎めはせん。
血迷った真似をしなければ、エルフとして貴様を歓迎しよう」
おぉ、それはありがたい。
晴れやかな気持ちになった。
そんな俺に、ジャックルがにこやかな笑顔で忠告してくる。
「うむ、いつでも来るが良い。
ただし、セシルに手を出したら――」
「分かったから槍に手を伸ばすのはやめろ。
部屋から持ち出してくるんじゃない」
抜き身の槍を携行するなと。
うっかり尻に刺さったりでもしたらどうする。
俺とジャックルが無言で牽制していると、アレクが切り出した。
「さて、我輩とレジスは行くが……」
そう言って、アレクはイザベルに視線を向ける。
「汝はどうする?」
「あー、そうだね。レジスとアレクサンディアとは、一旦お別れになるかな」
「……なに?」
イザベル、ここに残るつもりか。
学園に入って以来、ずっと一緒だったというのに。
離れると聞くと、どうにも寂しさが湧いてくる。
俺の機微を読み取ったのか、イザベルが理由を説明してきた。
「大陸各地の調査に行ってたエルフが戻ってくるんだ。
王国、帝国、連合国、神聖国……それぞれの里の視察が終わったらしいから。
意見を統合したり、動向を確認したり、することがいっぱいあってね」
おおぅ。多忙極まりないな。
そういえば、大陸全土にエルフの隠れ里があるんだっけ。
たまに視察をやって各国の情勢を調査しているらしい。
俺とイザベルの出会いも、里の視察から始まったのだ。
懐かしい……山賊数人に手こずっていた頃か。
ふと思い出してしまう。
「そっか……昔からすごい忙しそうだもんな」
八年前もそうだった。
山賊を退治した後、イザベルはすぐに立ち去ってしまったのだ。
峡谷に住まう一族の姫として、エルフのために身を粉にしているのだろう。
本当にすごいやつだよ。
「あ、でも。仕事が終わったらすぐに顔を出すから。待っててね!」
「ああ。楽しみにしとく」
少し淋しいが、またそのうち会えるだろう。
ということは、結局実家に帰る面子は行く時と同じ。
俺とアレクだけか。
思えば、あれから色々と経験したものだ。
ふと、アレクはある方向を見つめた。
それは、彼女の両親の墓がある場所――。
数秒の後、アレクがエルフ達に対してからかうように言った。
「それで、エルフ共よ。
我輩がいなくて大丈夫か? 魔獣に峡谷が荒らされぬか心配でな」
すると、エルフたちはムッとした表情で言い返した。
「馬鹿を言うな。峡谷くらい、貴様の力なしで守ってみせる」
「此度の件で、仲違いの恐ろしさを実感したからな」
「ああ。今度は意見を冷静に統合し、族長の指示の下、峡谷の繁栄に尽くすさ」
おお。派を越えてエルフ達が団結しようとしている。
つい数日前まで論争を繰り広げていたとは思えない。
良くも悪くも、シャンリーズの襲来が危機感を持たせたんだろうな。
これで峡谷も、今まで以上に守備が強化されるはず。
アレクの両親の墓も、荒らされる心配はなさそうだな。
「うむ、良い返事じゃ」
アレクもご満悦のようだった。
彼女は俺の背を押し、出発を促してくる。
しかしあることに気づいたようで、アレクはくるりと振り返った。
彼女はジャックルに声をかける。
「小僧よ」
「なんだ?」
経験上、アレクに声を掛けられるとロクなことがなかったのだろう。
ジャックルは冷や汗をかきながら警戒していた。
「峡谷に着いた時、我輩は汝を見くびっておった。
まさかここまでエルフに慕われていようとは思わなかったのじゃ。
汝を石と比べたことを詫びよう」
「その必要はない。儂はただ――己にできることをやってきたまでだ」
その割には、重みのある一言だった。
何かを遂行し続けるには、とてつもない精神力が必要。
それを理解した上で、ジャックルは自分の信じるやり方を貫いてきたのだ。
アレクはふっと相好を崩し、ジャックルの腰に軽く叩いた。
「族長は汝以外には務まらぬ。
エルフと、峡谷を任せたぞ――ジャックル」
アレクが、初めて彼の名を呼んだ。
今まで路傍の石と変わらない存在として、
その辺にいる『小僧』としか扱っていなかったというのに。
それを撤回するかのように、アレクは言い切ったのだ。
ジャックルはしばらく硬直していたが、アレクに背を向けて声を絞り出した。
「そういうことを、去り際にするのは……やめろ」
ジャックルは涙を流していた。
それを見て、周りのエルフが困惑した声を出す。
「族長。どうした?」
「なぜ泣いているのだ……?」
ああ、多分知らないんだろうな。
ジャックルがこの数百年、どれだけアレクに認めてもらいたがっていたか。
族長として峡谷の頂点に立ってなお、なぜ不屈の闘志を燃やしていたのか。
全ての努力が、ここに来て報われたのだ。
「エルフ達をまとめあげ、あの偏執狂の足止めまで成し遂げた。
汝は我輩より、ずっと立派な存在じゃ」
アレクがとどめを刺しにかかる。
ジャックルは感涙の涙を浮かべ、声にならない咽びを見せた。
しかし、ここで素直に褒めまくらないのがアレクだ。
「ま、『エルフとして』だけの話じゃがな。
魔法師としてはもちろん、他全ては我輩の圧勝じゃからな?」
「……そのくらい、わかっている」
ジャックルはを目の辺りをぐいっと拭った。
そして、己の名を呼んでくれた少女に向かって、最高の見送りの言葉を贈った。
「行って来い、アレクサンディア。
儂は、エルフは――いつでもお前を歓迎する」
その言葉に、エルフ達も同調した。
他のエルフまで好印象を持たれるのが予想外だったのだろう。
アレクは驚き半分の笑みを浮かべていた。
しかし、なんだろう。
ちょっとアレクの表情に違和感があるような。
何ヶ月も彼女の顔を眺めていたからこそ分かる機微。
悪戯心と罪悪感が同居したような、そんな顔をしていた。
「ほぉ、いいのか?
我輩は峡谷の石碑に、永久追放者として名が刻まれておるのじゃぞ」
「族長の儂が許す。いつでも戻ってこい」
おぉ、寛容な対応だな。
懐の深さがよく分かる。
そんなジャックルに、アレクが警告を飛ばした。
「ふん、相変わらずじゃな。あまり我輩を信頼するでない。
その甘さ……いつか足をすくわれるぞ」
「そうだな。以後気をつける」
ジャックルは肩をすくめ、一歩後ろに下がった。
これで、もう峡谷に思い残すことはない。
俺はここにいるエルフ全員に礼の言葉を述べた。
「世話になったな、ありがとう。
それじゃあ、また――」
そして、歩き出す。
ディン家の子息として、家族として、身内の危機を救うために。
後ろを振り返ると、イザベルが手を振ってきていた。
また、会いたいな。
その想いを手の平に乗せ、大きく手を振り返した。
と、その時――
「……そろそろじゃな」
アレクが意味深なことを呟いた。
「ん、どういう意味だ?」
正直、嫌な予感しかしないんだが。
すると、遠い後ろの方で、何やら不穏な空気が流れていた。
「ぐ……なんだこれはッ」
「なに、お前もか!? ひぐっ、うぅうう……」
エルフの女性たちが、下腹部を抑えながらうずくまっている。
なんかすごい苦しそうなんだけど。
しかも、ジャックルを含む全員が同じ具合になってるんだけど。
「さて、レジス。ちょっと急ぐのじゃ」
その時、アレクが俺の手を強く握ってきた。
そして、凄まじい勢いでダッシュしようとする。
「な、何でだよ」
尋ねながら、再び背後を見る。
エルフ達の反応は、どこかで見たことがあった。
顔は赤く紅潮し、まるで襲い来る何かから耐えているかのよう。
あれは、そう。
牛車の中で怪しげなキノコを食べた時と同じ――
「お前、まさか……」
昨日の宴会の食事に、アレを盛ったのか。
そこまで考えが至った瞬間、怒号が響き渡った。
「アレクサンディアァアアアアアアアアアアアアアア!」
イザベルが剣を抜き放ち、恐ろしい勢いでこちらに走ってくる。
それを見て、エルフ達も元凶が誰か理解したようだ。
目を血走らせながら、アレクを追撃する。
「貴様ぁああああ、私達に何をしたぁあああああ!」
「追え! 捕縛しろ! 吊るしあげて同じ状態にしてやる!」
やばいよ、全員やる気だよ。
完全にこっちの魂を殺りに来てるよ。
尿意に耐えながら、エルフ達が追いかけてきている。
それを見て、アレクは冷や汗を流した。
「野蛮な奴らじゃのぉ。洒落も通じんとは」
「逆になぜ洒落になると思った!? 俺まで処刑されるだろうがッ!」
あの怒り……土下座しても収まりはしないだろう。
なぜ何もしていない俺が逃げなきゃならんのだ。
類を見ない綺麗な送別になりそうだったのに。
こいつのせいで全部ぶち壊しだよ。
ジャックルが槍を構えながら、アレクに罵声を飛ばす。
「撤回だ! 二度と戻ってくるでない、この永久追放者!」
「ククク、じゃから我輩を信用するなと言ったじゃろう」
ドヤ顔で言うことか。
信じる方に原因が帰結することも少なくないが、
一番の問題は確実に騙す側だからな。
エルフ達の鬼気迫る圧迫感が、徐々に近づいてくる。
「待て、逃げるな! 止まれッ!」
「今しがた、二度と戻ってくるなと言われたからのぉ。
――我輩はこのまま進む。大いなる光へ、未来へと向かってな」
一見、いいことを言ってるように聞こえるのが腹立つな。
やってることは毒を盛って遁走という、限りなく外道に近い所業なのに。
限界が近づいてきたのか、エルフの一人が必死に叫んだ!
「せ、せめて解毒剤だけでも置いていけッ!」
「そんなものはない」
某美髭公のごとく切り捨てて、アレクはさらなる加速を見せた。
俺の体を抱えたまま、浮遊魔法で空へと逃げる。
これではエルフも追いつけないだろう。
案の定、追ってくる人影は完全に消えた。
温かいお別れ会が、修羅の喧嘩別れへと早変わり。
これでエルフとの交友関係に支障が出たら恨んでやる。
「酷いことをするな……お前」
「なに、解毒剤の材料は屋敷に残してある。
毒と言っても、利尿作用だけじゃしの。
イザベルが気づけば、調合して事なきを得るじゃろう」
あんな極限の状態では、頭も働かないだろう。
間に合わない可能性のほうが高いと思うんだが。
「もし、気づかなかったら……?」
指摘すると、アレクはしばらく考えこみ、ポンッと手を打った。
そして免罪符にでもなると思ったのか、得意げな顔で訊いてきた。
「エルフの聖水って、何かかっこいい名前じゃと思わんか?」
「最低のネーミングセンスだよ!」
こうして、アレクの鬼畜の所業により――
酷い別れを告げ、俺は峡谷を後にしたのだった。
ちなみに、これは後に手紙で知ったことなのだが。
イザベルの迅速な薬調合のおかげで、全員間に合ったそうです。
さすがは姫様。
◆◆◆
牛車に揺られること一週間。
アレクの永続的な治癒魔法により、酔うことはなかった。
彼女の話によると、途中で野盗が接近してきたそうな。
しかし暴れ狂牛が一瞬で蹴散らしてしまったため、俺は視認することすらなかった。
可哀想に、なんて不運な盗賊なのか。
まさか魔獣を調教して乗りこなすライダーがいるとは思わなかっただろうな。
そして、長い旅を終え――ついに今日。
俺はディン領へと帰ってきた。
竜神の匙とエルフの妙薬を、しっかりと携えて――
屋敷の近くで、アレクは俺を牛車から降ろした。
「我輩はこの魔牛を森の奥に戻してくる。
ちと時間が掛かるから、先に行っておるのじゃ」
「分かった」
今はただ、一秒でも早くセフィーナの苦痛を和らげたい。
すぐに屋敷へと戻り、この至宝を使わねば。
アレクは牛車を暴れ狂牛ごと引きずりつつ、確認してきた。
「匙の使い方はわかるな?」
「大丈夫だ」
「うむ。では行って来い」
「了解!」
全力で頷き、俺は屋敷へと走った。
◆◆◆
一年も離れていなかったというのに。
久しぶりに帰った気分になる。
門の前に立ち、取っ手をぐいっと引いた。
しかし、ガチンと音がして開かなかった。
そういえば……今日到着することを伝えてなかったな。
これも間違いなく、アレク道交法によるジェットコースター運転のせいだ。
微妙に筋の通らない責任転嫁をしつつ、俺は後ろを振り向こうとした。
裏口から入ろうと思ったのだ。
しかしその瞬間――背後から誰かに抱きしめられた。
殺伐とした毎日を経験していたため、一瞬ナイフに手が伸びかける。
しかし、敵にしてはあまりにも優しい抱擁。
そして、甘く懐かしいバニラの匂い。
すぐに誰が後ろにいるのか理解した。
「お帰りなさいませ、レジス様」
黒と白を基調とした給仕服。
銀色の髪に、柔らかくも芯の通った肢体。
ウォーキンスが、落ち着いた声で囁いてきた。
「そろそろ帰ってくる頃ではないかと思っていました。
見事に当たりましたね。さすがレジス様です」
いや、それは俺がすごいんじゃなくて、
お前の予感が常軌を逸してるだけだと思うんだ。
ドンピシャで帰ってくるタイミングを当てるなんて。
どこのエスパーだお前は。
まあ、本当のところは、探知魔法か何かを使ってたんだろうけど。
ウォーキンスは緩やかに力を抜き、俺から離れる。
そして俺の身体を眺めると、嬉しそうに微笑んだ。
「少し見ない間に、また成長しましたね」
「そうか?」
「あと、出発前に比べて、服がすごいことになっています」
「……う」
この一張羅は、替えが効かなかったのだ。
ウォーキンスが作ってくれたものであるし。
どれだけボロボロになっても、捨てたくなかった。
それゆえに裁縫で何とか強度を保っていたが、いかんせん劣化が著しい。
「そこまで使い続けて頂けて光栄です。
このウォーキンス、嬉しくて胸がいっぱいです」
パァッと明るい笑顔を浮かべてくる。
やっぱり、安心感があって癒されるな。
俺は背も伸び成長したというのに。
ウォーキンスは全く外見に変化がない。
久しぶりの再会に思いを馳せていると、彼女はボソリと呟いた。
「――ただ、その魔力だけが本当に残念です」
俺が纏う魔力を見て、ウォーキンスは複雑そうな顔をする。
不安になり、すぐに詳細を尋ねた。
「……どういう意味だ?」
「いえいえ。
私が教えられなくて、悔しかっただけです。深い意味はないですよ」
とてもありそうなんですが。
まったく、秘密主義も相変わらずか。
こいつの底知れなさは、隠密忍者が裸足で逃げ出すレベルだからな。
――と。
話したいことはいっぱいあるが、先にすべきことがある。
「とりあえず、物は揃ってるんだ。母さんの病気、治しに行こうぜ」
「ということは、エルフの妙薬も?」
「ああ、この通りだ」
妙薬の袋を示した。
失くさないよう、しっかりと懐に入れてある。
ウォーキンスは門を魔法でこじ開け、中へと案内してくれた。
「ところで、親父は?」
「領内の視察にいっておりますが、そろそろ――」
「――レジス! レジスじゃないか!」
今しがた入ってきた門の外から、驚嘆した声が聞こえてくる。
シャディベルガだな。
元気そうで何よりだ。
振り向いた瞬間、彼は俺に抱きついてきた。
心配していたと言わんばかりに、心の不安を吐露してくる。
「……無事でよかったよ。
王都が炎上したって聞いて、本当に心配だったんだ」
「見ての通り、ピンピンしてるよ。久しぶり、親父」
再会の喜びでだろうか。
シャディベルガは目尻に涙を貯めていた。
そんな表情をされると、俺も釣られて何かがこみ上げてきそうなのですが。
ウォーキンスはシャディベルガの肩をポンポンと叩く。
「シャディベルガ様。これよりレジス様が奥様の病を治されます」
「おぉ……ついに。
というか、僕が邪魔してしまったのか。ごめん」
「いやいや、全然」
俺も会えて嬉しかったというのが本音だ。
談笑しつつ、セフィーナの部屋の前へと来る。
シャディベルガは扉に手をかけつつ、確認してきた。
「そういえば、レジスはセフィーナとは……」
「ああ、物心ついてからは初対面だよ」
というか、出産時に会ってそれ以来ではなかろうか。
俺の意識がはっきりしたのは生後一ヶ月くらいからだったし。
本当に、セフィーナとは初めての邂逅になる。
「寝てると思うから、起こそうか?」
「多分、大丈夫だ。そのままにしといてあげて」
シャディベルガの提案をやんわりと断る。
薬に魔力を宿すことができると知ったからな。
理論上は、自発的に胃へと到達する飲み薬を作ることも可能だ。
「……じゃあ、入るよ」
シャディベルガが扉を開け放った。
廊下の窓から入った木漏れ日が、薄暗い部屋の中を照らす。
品の良い調度品が置かれた部屋だ。
そして、その最奥。
少し大きなベッドに、一人の女性が寝ていた。
「――ッ!」
彼女の姿を見て、思わず絶句してしまった。
見た目は至って普通だ。
少し顔色が悪いくらいで、他は何の問題もない。
ただ、セフィーナの姿は、どう見ても15,16歳にしか見えなかった。
俺と同い年と言われても十分信じるレベルだ。
いったい、何が起きたらこうなるのか。
疑問に駆られたが、今はとにかく治療だ。
俺はセフィーナの枕元に近づく。
「まずは、竜神の匙……」
匙を懐から取り出し、魔力を込める。
あまりたくさんの魔力を注入すると、そろそろ強度がまずい。
弱めから徐々に強くして、最適の所を見つけよう。
しばらくすると、匙が強い輝きを放った。
「……よし。次にエルフの妙薬だ」
粉末状の薬剤になっているため、匙への負担は少ない。
匙の上に粉末を全て注ぎ、魔力を込めた。
身体へ浸透する液状の薬品にするために。
光の中で、徐々に粉末が形を変えていく。
俺は細心の注意を払いながら、魔力を調節した。
魔力の込め過ぎだけは絶対にダメだ。
魔素の濃度を高くしすぎてもダメだ。
絶対にこれ以上、ヒビは入れられない。
そう念じすぎたためか――匙の光が揺らいだ。
「……ッ!」
光が弱くなり、粉末の変化が止まる。
くそ、魔力が弱すぎてもダメなのか。
もう一回、何とか魔力を込めなおして――
「レジス様」
ウォーキンスが、俺の手に人差し指と中指を添えてきた。
彼女は絶妙の魔力量を放出し、俺の動揺を払拭する。
匙は一気に安定した光を取り戻し、薬品が姿を現していく。
ウォーキンスは俺を安心させるように、耳元でささやいてくれた。
「大丈夫です。
このウォーキンスが、レジス様の傍にいます」
ああ、そうだ。
一人で戦っている気になっていたが。
今ここには、ウォーキンスがいる。
アレクがいない状況で、これ以上に頼もしい存在があるだろうか。
もう、心は乱さない。
絶対に成功させてやる。
すると――匙がとてつもない量の光を放った。
「……ぐおッ」
光はすぐに収束する。
そして、残ったのは匙と少量の薬液。
これが、エルフの妙薬を竜神の匙で強化した――唯一無二の万能薬。
一種の神々しささえ感じた。
俺はそれを、セフィーナの口に注ぐ。
すると、薬は口内から浸透し、一気に彼女の全身を駆け巡った。
セフィーナの体内に満ちていた悪しき魔力が駆逐されていく。
そして輝かしくも美しい、彼女本来の魔力がにじみ始めた。
病に侵されて止まった時が――今動き出したのだ。
そして、しばらくした後。
俺に生命をくれた女性が、ついに目を開けた。
もう、痛みに顔を歪めることはない。
血色は完全に良くなっていた。
セフィーナは俺と目が合うと、慣れない様子で呟いた。
「……レジ、ス?」
俺は無言で頷いた。
そして、今度は逆に尋ねる。
「おはよう。身体は大丈夫か?」
すると、セフィーナはコクリと頷いた。
俺の心臓は、これ以上ないくらい高鳴っている。
そう。
俺は、決めていたのだ。
セフィーナの病を治そうと誓った時から。
彼女が目を覚ましたら、まず何を言うのかを。
思い立ってから数年の時が経ったが、この想いは決して色あせていない。
むしろ今、最高潮を迎えている。
だから、俺は言うのだ。
変哲もなくて、他愛もないけど。
大切な家族だということが実感できる――この一言を。
「――初めまして、母さん」
第5章・完
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次章→1か月後の予定
進捗は活動報告でお知らせしたいと思います。
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