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エピローグ

 

 激怒したイザベルを止めるのに、多くの労力を費やした。

 まったく、第何次になるか分からない戦争を起こそうとするんじゃない。

 俺の怪我を悪化させるつもりかと。


 アレクが『冗談じゃ、すまぬ』と笑み混じりに謝ったことで、

 何とかイザベルの怒りは収まった。


 しかし、納剣するまでアレクを恨みがましい目で見つめていたな。

 やはりその手のジョークは洒落にならないようだ。

 俺も気をつけよう。


「ところで俺、どのくらい寝てたんだ?」


 そういえば、時間の経過を訊いてなかった。

 エリックと闘った時は丸二日寝込んでいたが……果たして。


「一日と半分じゃな。よく惰眠をむさぼる奴じゃ」

「あぁ……やっぱり長いこと気絶してたんだな」


 体力と魔力が切れたら、数日間も目を覚まさないことがあるそうだ。

 そう思うと、俺は早めに回復した方か。

 ふと、気絶する前のことを回想してしまう。


「むしろ、よく生きてたよ。本当……なんだよ、あいつ」


 大陸の四賢――シャンリーズ。

 奴の嘲笑する姿が、まだ脳裏にこびり付いていた。

 思い出すだけで肩と腹に痛みが走る。


「……シャンリーズは尋常じゃなかった。強すぎだろ」


 魔力が切れてなお、あれだけ暴れまわる魔法師なんて初めてだ。

 連戦と物量で押して、着地点が痛み分けでの撤退。

 一人でどれだけの災害を生み出すつもりだ。


 不死身かと思うくらいしぶとかったし。

 ター○ネーターのテーマが脳内で鳴り止まなかった。

 そんな俺に対し、アレクは気遣うようにして言ってくる。


「アレに歯が立たぬからといって、落ち込むことはない。

 住む世界が違うのじゃ。文字通りの意味でも、実力的な意味でもな」


 それはわかってる。

 だけど、いざ対峙して同じ土俵に立ったら、言い訳なんて通じない。

 強ければ生き、弱ければ死ぬ。

 それだけなんだ。


 アレクは「その対峙自体が稀有なんだから気にするな」と言いたいんだろうけど。

 どうも釈然としない。

 それじゃあ、次にエンカウントした時はどうするんだ、と。


 まあ、今の俺では天と地がひっくり返ってもシャンリーズには勝てないんだ。

 焦っても仕方ない。

 地道に対策を練っておくことにしよう。


「それで、イザベル。峡谷の様子を聞いていいか?」


 俺が尋ねると、彼女は一つ頷いて解説してくれた。


「重傷者や怪我人は何人も出たけど、死者はなし。

 近くの神木には小さい傷が走ったくらいだから、すぐに自己再生すると思うよ」

「そうか。誰も死ななくてよかった」


 やはり、あの開けた場所で闘ったのが効いたな。

 もっと鬱蒼と茂った場所で激突したほうが、エルフとしては有利だったんだろうけど。

 神木に被害が出ては元も子もないからな。


「ただ、あちこちの障壁が壊れちゃったみたい。

 あれは質じゃなくて数で勝負の結界だからね。

 今、多くのエルフを動員して修復してるよ」


 さすがに障壁は砕け散ってしまったか。

 早く塞がないと魔獣が迷い込んできそうだな。


「あと、シャンリーズが侵入に使った経路が分かったから、

 その辺りを重点的に固めてるよ。これで簡単には入ってこれないはず」


 本当に安心なのだろうか。

 シャンリーズの魔力なら、どこからでも侵入してきそうだけどな。

 エルフの匂いを纏ってないと入れないはずなのに、問答無用で突入して来るし。


「地下には対策が甘かったからね。

 そこの脆弱性を突かれたみたいなんだよ」


 なるほど。

 地面の下から入ってきてたのか。

 それなら、侵入経路を全力で封鎖しておけば、突破するのは容易ではないな。

 あとは奴がガードブレイカーでないことを祈ろう。


「まあ、誓約を立てたという話が本当なら、奴はしばらく峡谷には来んじゃろうがな」


 アレクが気になることを口走った。

 その一言で、俺は気絶寸前に聞いたシャンリーズの言葉を思い出す。


「そういえば……あの誓いってなんだったんだ?」

「心配するな、ただの虚勢じゃ。

 不屈の気概を土の守護神に見せるため、ドワーフが行う古臭い儀式。

 時代の流れでとっくに消滅しておるから、今のドワーフで使えるのは奴一人じゃろう」


 シャンリーズもまた、500年の地獄を歩んできた存在。

 アレクの心中に孤独への怯えが巣食っていたように、

 奴の心にも相当な憎悪が蓄積されている可能性があるのだ。

 怖や怖や。


「ちなみに、奴が用いたのは『代償誓約』という古の魔力統御法じゃ。

 己に一つの制約を課すことにより、通常以上の実力を発揮できることになる」


 つまり今回の場合。

 峡谷に立ち入る前に俺を襲撃することで、その誓約は真価を発揮するわけか。

 ……ちょっと待てよ。


「ってことは、あれ以上に手強くなるのか……?」


 ただでさえ歯が立たないのに。

 さらに魔力が増えたら、もう手のつけようがないんだけど。

 なんだよ、誓約や代償って。

 そういうのは緋色の眼を持つ鎖使いだけにして欲しい。


 俺が戦慄していると、アレクが軽やかに言った。


「安心するのじゃ。

 シャンリーズが汝を襲うことがあれば――今度こそ我輩が奴を殺す」


 口調とは反対に、その眼は本気だった。

 アレクは隣にやって来て、俺の首に手を回す。

 そして、痛いくらいに抱きしめてきた。


「今度は不覚など取らぬ。言ったじゃろう。汝は我輩が守ると」


 どうやら、アレクも悔しさが残っているようだ。

 しかし、相手も同じ大陸の四賢だったわけだし。

 多少の想定外は仕方ないと思うんだけどな。


 と、同調するようにイザベルが俺の手を握ってきた。

 そして真摯な表情でまっすぐ見つめてくる。


「微力だけど、私も支えていけたらいいな」

「いや、微力だなんて……」


 どれだけイザベルに助けられたことか。

 学院でも旅の途上でも峡谷でも、彼女の力添えは大きかった。

 しかし、アレクは意地悪そうに微笑む。


「うむ、イザベルには当てはまらんな。

 なにが微力じゃ。汝など無力じゃ無力」

「無乳の人に言われたくないかな」

「あ゛?」

「――ストップ! それ以上、互いを傷つけるな!」


 もはや仲裁にも慣れたものだ。

 深刻化する前に止めることができるようになった。

 前世ではカツアゲに遭っている最中に通行人の仲裁を受け、

 泣きながら逃げていた男とは思えない姿だ。


 人は成長する、これは間違いない。

 しかし、全く嬉しくないのは何でだろう。


「――邪魔をするぞ」


 その時、部屋の入口に大勢の人影が現れた。

 先頭にいるのはジャックル。

 そのすぐ横にはセシル。

 そして背後には、峡谷にいるエルフ全員が列と群を成していた。


「なんじゃ、その大行列は」

「レジスの元に行くと言ったら、ついてきたのだ」

「俺に?」


 それまた意外だな。

 ジャックルとセシルが来てくれるのは分かるけど。

 他のエルフが来訪するのは珍しい。


 彼女たちは俺に奇異な視線を向けてくる。

 何かを言おうとしながらも、踏み出せないような感じだ。


「レジスお兄ちゃん! 大丈夫でしたか!?」


 セシルが焦ったように駆け寄ってくる。

 俺の腰元にタックル――もとい抱きついてきた。

 衝撃が腰から全身へ広がり、鈍痛が到来する。


 しかし、子供がここまで心配してくれているのだ。

 無下にする訳にはいかない。

 セシルは顔を押し付けて匂いを嗅いでくる。


「……あわわ、血の匂いがします」

「大丈夫だよ。もう傷が塞がるのを待つだけだから。

 それよりセシル、一回離れようか」


 お前のお爺ちゃんが拳を握りしめているぞ。

 さらなる武器が出てこないうちに、危機を脱しておくとしよう。

 セシルは名残惜しそうに離れると、そのままジャックルの後ろに下がった。

 すると、ジャックルが何かを俺に差し出してくる。


「採れた全ての草で、これを作っておいたぞ」


 ポンッ、と巾着のような小袋を渡される。

 恐る恐る中を見て見ると、粉末状の薬剤が入っていた。


「これは……エルフの妙薬?」


 感じる。

 この袋の中から、溢れんばかりの魔力を。

 一切の邪気を打ち払う生命の波動。

 エルフの秘宝とされる妙薬が、今この手の中にあった。


「占拠されていた地点で採れる薬草以外は、全て完成状態にしておいたのだ。

 急いで作ったが、効能は通常以上であろう」

「……すげぇ嬉しい。だけど、障壁はいいのか?」


 峡谷内の全てのエルフが集結してるみたいなんだけど。

 俺のために仕事を中断して妙薬を作ってくれていたんだとしたら、

 申し訳ない気持ちが湧いてくる。

 しかし、ジャックルは首を傾げて言った。


「もう修復は終えたぞ?」

「……早くないか?」

「一致団結したのだからな。

 派を超えた協力によって、今まで以上に堅固な障壁になった。

 お前のおかげだ、レジス」


 褒めてくれるのは嬉しいけど。

 それは俺の功績じゃないと思うんだ。

 むしろエルフ達から反感を買うことしかしてなかった気がする。

 俺が戸惑っていると、ジャックルが念を押してきた。


「妙薬は礼だと思い持っていけ。これでどんな病でも治せるはずだ」

「……ありがとう、ジャックル。エルフの皆」


 俺は恐る恐るエルフ達を見た。

 すると、今まで黙っていたエルフが咳払いをした。

 彼女は……竜の討伐の時に俺が正面切って喧嘩を売ったエルフだ。

 ジャックルが土魔法による砕石から庇った女性でもある。


 彼女は複雑そうな顔をしながら告げてくる。


「人間に物をくれてやるのは癪だが……貴様だけは例外だ。代表して礼を言う」


 なんと。

 エルフに礼を言われてしまった。

 人間というだけで憎悪していたというのに。


 この数週間で、俺に対する評価が変わったらしいな。

 しかし、最後に彼女は釘を刺してくる。


「ただし――基本、私たちは人間が嫌いだ。

 貴族を見ると反吐が出る。それだけは忘れてくれるなよ」

「あ、ああ」


 やっぱり、溝が埋まるには程遠いか。

 人間とエルフが互いに見下さないようになるには、長い時間が掛かりそうだ。

 これも、歴史の闇が深すぎるせいだな。

 俺がため息を吐いていると、ジャックルが外を見て提案してきた。


「今、宴の準備をしている。今夜は泊まっていけ」

「……え」


 俺も窓の外を見た。

 真っ暗だ。

 夜9時といったところか。

 時間感覚が狂っていて分からなかった。


 夜が明けるにはまだまだかかりそうだが、どうしたものか。

 俺が悩んでいると、アレクが大きく頷いた。


「いいじゃろう。馳走になろう」

「……おいおい、出発は早い方がいいんじゃないか?」


 俺が指摘すると、アレクは手を窓の外にかざした。

 そして魔力をいずこかへと射出する。

 その後、しばらくして俺に告げてきた。


「足となる暴れ狂牛が入眠中じゃ。

 寝不足で事故でも起こされたら敵わぬからの。

 まあ、翌朝には目覚めるよう楔を打ち込んだから大丈夫じゃ」


 あぁ、暴れ狂牛がお休み中なのね。

 急かしたようで悪かったな。


 まあいい、翌朝には必ず出発できるのだ。

 下手に拙速を選択することもないだろう。

 途中で暴れ狂牛がぶっ倒れでもしたら、それこそ実家まで歩きの旅だ。


「ところで、馳走はあるんじゃろうな?」

「竜の肉や霊峰原産の野菜を豊富に用意しておる」

「わぁい! 肉は大好きじゃ」


 エルフ達がギョッとした表情になった。

 アレクが見たことのない反応をしたからだろう。


 たまに彼女は、外見の年齢相応な所を見せるんだよな。

 和むからいいんだけどね。

 アレクはハッとした顔になり、途端に表情を引き締めた。


「……ふん、竜の肉など大した味ではなかろうがの。

 捨てるのも何じゃ。我輩が消化して有効活用してくれる」




 本当に、素直じゃない奴だった。



 

 

      ◆◆◆



 宴会は、とても熱狂的なものとなった。

 ここ最近苦しんでいた問題がまとめて吹き飛んだのだ。

 エルフ達からすれば、嬉しさもひとしおだろう。


 美味そうな料理があちこち並んでいたが……騙されてはいけない。

 エルフと人間の味覚は恐ろしいほどに異なっている。

 エルフからすれば絶品な食料も、

 人間が食べれば昇天するレベルの不味さに感じてしまうのだ。


 これは両者を理解する時に大きな壁になりそうだな。

 アレクはというと、ジャックルを捕まえてさんざん自慢話をしていた。


「そこで、あの腐れ外道ドワーフ魔法師に言ってやったのじゃ。

 『魔法師は魔法だけではない』とな。

 いやー、汝にも見せてやりたかったのぉ。我輩の勇姿を!」


 非常に気持ちよさそうに語っているが、ジャックルはとても迷惑そうだ。

 酒のお代わりを注ぎに行けないまま、アレクの言葉に耳を傾けざるを得なくなっている。


「まぁ、あそこで銀貨さえ落とさなければ、余裕で――」


 なおもアレクの武勇伝は続いていく。

 シラフで聞くのは辛いだろう。

 俺は小さな酒樽をジャックルの手元に置いてやった。




 そして、イザベルはというと――



「セシルちゃん、何食べたい?」

「大水源で獲れたセラフィムシザー、というのを食べたいです!」

 

 セシルと一緒に食事を満喫していた。

 そういえばイザベルは小さい子供が好きなんだっけな。

 案外セシルと相性が良いのかもしれない。


「はい。一緒に野菜も摂るんだよ」

「う、うぅー……野菜、ですか」


 セシルは微妙な顔で皿を受け取る。

 どうやら野菜が苦手みたいだな。

 わかるよ、俺もピーマンとナスは大嫌いだったから。


 でもね、弱点というのは知られたが最後。

 俺のサボリ就職浪人生活に業を煮やした身内が、

 ピーマンのナス詰めしか食わせてくれなくなったことがある。

 あの時は辛かったな。


 外食に逃げようかと思ったが、我慢して克服したんだったっけ。

 金がなかったと言うこともあるけど。

 あの時は妹がこっそり他に菜食のオカズも作ってくれたりした。

 本当に、彼女には頭の上がらない前世だったな。


「こ、これがセラフィムシザー……の丸ごとソース煮ですか」


 セシルが眼を輝かせてパクパクと食べている。

 というか、その聞いたこともない食材は何なんだ。

 気になったので、通りすがりに全貌を注視する。



 雄々しき巨大な鋏。

 バックするために鍛えられた脚と尾。

 そして、鮮やかな紅色の甲殻。


 それを見て、俺は確信した。




 ――どう見てもザリガニです。本当にありがとうございました。




 その後、色々なエルフと軽く話に興じたり。

 竜の肉などの比較的味の良さそうなものを食べたり。

 充実した宴会を過ごすことができた。


 アレクは酔いつぶれたジャックルを相手に、未だに自慢話をしていた。

 イザベルはセシルを寝かしつけ、隣で寝息を立てていた。

 十分寝たはずなのだが、俺も少し眠気を感じた。


 屋敷に戻る気も起こらず、俺は宴会場のそばにある木に寄り掛かる。

 そして睡眠欲の赴くままに寝て、峡谷における最後の夜を過ごしたのだった――





     ◆◆◆





 翌朝。

 旅支度を整え、俺はエルフ達の見送りを受けていた。


「レジスお兄ちゃん! もう行くのですか?」

「ああ。待ってくれてる人たちがいるからな」


 思えば、ずいぶんと待たせた。

 一年は経っていないはずなのだが、とても濃密に感じる毎日だった。

 セシルは淋しげに俺の裾を掴んだ。


 どこか物足りないような、不満気な様子だ。

 俺はしゃがみ込み、彼女の頭をワシャワシャと撫でた。


「大丈夫だよ。約束、忘れてないから。今度一緒に泳ごうな」

「……本当ですか?」

「もちろんだ。セシルとの約束だぞ。破るわけないだろ」


 今回はちょっと機会と折が悪かった。

 急ぎの旅ということもあり、長居はできない。

 ジャックルの眼もあるしな。


「また来てくださいね! 待ってますから!」

「ああ。俺もそうしたいんだけど……」


 ここはエルフの聖地だからな。

 人間が頻繁に出入りするのは難しい気もする。

 そのへんどうなんだろう。


 俺はちらっとエルフたちに目を向けた。

 すると、エルフの一人が言ってきた。


「別に、見咎めはせん。

 血迷った真似をしなければ、エルフとして貴様を歓迎しよう」


 おぉ、それはありがたい。

 晴れやかな気持ちになった。

 そんな俺に、ジャックルがにこやかな笑顔で忠告してくる。


「うむ、いつでも来るが良い。

 ただし、セシルに手を出したら――」

「分かったから槍に手を伸ばすのはやめろ。

 部屋から持ち出してくるんじゃない」


 抜き身の槍を携行するなと。

 うっかり尻に刺さったりでもしたらどうする。

 俺とジャックルが無言で牽制していると、アレクが切り出した。


「さて、我輩とレジスは行くが……」


 そう言って、アレクはイザベルに視線を向ける。


「汝はどうする?」

「あー、そうだね。レジスとアレクサンディアとは、一旦お別れになるかな」

「……なに?」


 イザベル、ここに残るつもりか。

 学園に入って以来、ずっと一緒だったというのに。

 離れると聞くと、どうにも寂しさが湧いてくる。


 俺の機微を読み取ったのか、イザベルが理由を説明してきた。


「大陸各地の調査に行ってたエルフが戻ってくるんだ。

 王国、帝国、連合国、神聖国……それぞれの里の視察が終わったらしいから。

 意見を統合したり、動向を確認したり、することがいっぱいあってね」


 おおぅ。多忙極まりないな。

 そういえば、大陸全土にエルフの隠れ里があるんだっけ。

 たまに視察をやって各国の情勢を調査しているらしい。


 俺とイザベルの出会いも、里の視察から始まったのだ。

 懐かしい……山賊数人に手こずっていた頃か。

 ふと思い出してしまう。


「そっか……昔からすごい忙しそうだもんな」


 八年前もそうだった。

 山賊を退治した後、イザベルはすぐに立ち去ってしまったのだ。

 峡谷に住まう一族の姫として、エルフのために身を粉にしているのだろう。

 本当にすごいやつだよ。


「あ、でも。仕事が終わったらすぐに顔を出すから。待っててね!」

「ああ。楽しみにしとく」


 少し淋しいが、またそのうち会えるだろう。

 ということは、結局実家に帰る面子は行く時と同じ。

 俺とアレクだけか。


 思えば、あれから色々と経験したものだ。


 ふと、アレクはある方向を見つめた。

 それは、彼女の両親の墓がある場所――。

 数秒の後、アレクがエルフ達に対してからかうように言った。


「それで、エルフ共よ。

 我輩がいなくて大丈夫か? 魔獣に峡谷が荒らされぬか心配でな」


 すると、エルフたちはムッとした表情で言い返した。


「馬鹿を言うな。峡谷くらい、貴様の力なしで守ってみせる」

「此度の件で、仲違いの恐ろしさを実感したからな」

「ああ。今度は意見を冷静に統合し、族長の指示の下、峡谷の繁栄に尽くすさ」


 おお。派を越えてエルフ達が団結しようとしている。

 つい数日前まで論争を繰り広げていたとは思えない。

 良くも悪くも、シャンリーズの襲来が危機感を持たせたんだろうな。


 これで峡谷も、今まで以上に守備が強化されるはず。

 アレクの両親の墓も、荒らされる心配はなさそうだな。


「うむ、良い返事じゃ」


 アレクもご満悦のようだった。

 彼女は俺の背を押し、出発を促してくる。

 しかしあることに気づいたようで、アレクはくるりと振り返った。

 彼女はジャックルに声をかける。


「小僧よ」

「なんだ?」


 経験上、アレクに声を掛けられるとロクなことがなかったのだろう。

 ジャックルは冷や汗をかきながら警戒していた。


「峡谷に着いた時、我輩は汝を見くびっておった。

 まさかここまでエルフに慕われていようとは思わなかったのじゃ。

 汝を石と比べたことを詫びよう」

「その必要はない。儂はただ――己にできることをやってきたまでだ」


 その割には、重みのある一言だった。

 何かを遂行し続けるには、とてつもない精神力が必要。

 それを理解した上で、ジャックルは自分の信じるやり方を貫いてきたのだ。

 アレクはふっと相好を崩し、ジャックルの腰に軽く叩いた。


「族長は汝以外には務まらぬ。

 エルフと、峡谷を任せたぞ――ジャックル」


 アレクが、初めて彼の名を呼んだ。

 今まで路傍の石と変わらない存在として、

 その辺にいる『小僧』としか扱っていなかったというのに。


 それを撤回するかのように、アレクは言い切ったのだ。

 ジャックルはしばらく硬直していたが、アレクに背を向けて声を絞り出した。


「そういうことを、去り際にするのは……やめろ」


 ジャックルは涙を流していた。

 それを見て、周りのエルフが困惑した声を出す。


「族長。どうした?」

「なぜ泣いているのだ……?」


 ああ、多分知らないんだろうな。

 ジャックルがこの数百年、どれだけアレクに認めてもらいたがっていたか。

 族長として峡谷の頂点に立ってなお、なぜ不屈の闘志を燃やしていたのか。

 全ての努力が、ここに来て報われたのだ。


「エルフ達をまとめあげ、あの偏執狂の足止めまで成し遂げた。

 汝は我輩より、ずっと立派な存在じゃ」


 アレクがとどめを刺しにかかる。

 ジャックルは感涙の涙を浮かべ、声にならない咽びを見せた。 

 しかし、ここで素直に褒めまくらないのがアレクだ。


「ま、『エルフとして』だけの話じゃがな。

 魔法師としてはもちろん、他全ては我輩の圧勝じゃからな?」

「……そのくらい、わかっている」


 ジャックルはを目の辺りをぐいっと拭った。

 そして、己の名を呼んでくれた少女に向かって、最高の見送りの言葉を贈った。


「行って来い、アレクサンディア。

 儂は、エルフは――いつでもお前を歓迎する」


 その言葉に、エルフ達も同調した。

 他のエルフまで好印象を持たれるのが予想外だったのだろう。

 アレクは驚き半分の笑みを浮かべていた。


 しかし、なんだろう。

 ちょっとアレクの表情に違和感があるような。

 何ヶ月も彼女の顔を眺めていたからこそ分かる機微。

 悪戯心と罪悪感が同居したような、そんな顔をしていた。


「ほぉ、いいのか?

 我輩は峡谷の石碑に、永久追放者として名が刻まれておるのじゃぞ」

「族長の儂が許す。いつでも戻ってこい」


 おぉ、寛容な対応だな。

 懐の深さがよく分かる。

 そんなジャックルに、アレクが警告を飛ばした。


「ふん、相変わらずじゃな。あまり我輩を信頼するでない。

 その甘さ……いつか足をすくわれるぞ」

「そうだな。以後気をつける」


 ジャックルは肩をすくめ、一歩後ろに下がった。

 これで、もう峡谷に思い残すことはない。

 俺はここにいるエルフ全員に礼の言葉を述べた。


「世話になったな、ありがとう。

 それじゃあ、また――」


 そして、歩き出す。

 ディン家の子息として、家族として、身内の危機を救うために。


 後ろを振り返ると、イザベルが手を振ってきていた。

 また、会いたいな。

 その想いを手の平に乗せ、大きく手を振り返した。


 と、その時――



「……そろそろじゃな」


 アレクが意味深なことを呟いた。


「ん、どういう意味だ?」


 正直、嫌な予感しかしないんだが。

 すると、遠い後ろの方で、何やら不穏な空気が流れていた。


「ぐ……なんだこれはッ」

「なに、お前もか!? ひぐっ、うぅうう……」


 エルフの女性たちが、下腹部を抑えながらうずくまっている。

 なんかすごい苦しそうなんだけど。

 しかも、ジャックルを含む全員が同じ具合になってるんだけど。


「さて、レジス。ちょっと急ぐのじゃ」


 その時、アレクが俺の手を強く握ってきた。

 そして、凄まじい勢いでダッシュしようとする。


「な、何でだよ」


 尋ねながら、再び背後を見る。

 エルフ達の反応は、どこかで見たことがあった。

 顔は赤く紅潮し、まるで襲い来る何かから耐えているかのよう。


 あれは、そう。

 牛車の中で怪しげなキノコを食べた時と同じ――


「お前、まさか……」


 昨日の宴会の食事に、アレを盛ったのか。

 そこまで考えが至った瞬間、怒号が響き渡った。



「アレクサンディアァアアアアアアアアアアアアアア!」



 イザベルが剣を抜き放ち、恐ろしい勢いでこちらに走ってくる。

 それを見て、エルフ達も元凶が誰か理解したようだ。

 目を血走らせながら、アレクを追撃する。


「貴様ぁああああ、私達に何をしたぁあああああ!」

「追え! 捕縛しろ! 吊るしあげて同じ状態にしてやる!」


 やばいよ、全員やる気だよ。

 完全にこっちの魂を殺りに来てるよ。

 尿意に耐えながら、エルフ達が追いかけてきている。

 それを見て、アレクは冷や汗を流した。


「野蛮な奴らじゃのぉ。洒落も通じんとは」

「逆になぜ洒落になると思った!? 俺まで処刑されるだろうがッ!」


 あの怒り……土下座しても収まりはしないだろう。

 なぜ何もしていない俺が逃げなきゃならんのだ。

 類を見ない綺麗な送別になりそうだったのに。

 こいつのせいで全部ぶち壊しだよ。


 ジャックルが槍を構えながら、アレクに罵声を飛ばす。


「撤回だ! 二度と戻ってくるでない、この永久追放者!」

「ククク、じゃから我輩を信用するなと言ったじゃろう」


 ドヤ顔で言うことか。

 信じる方に原因が帰結することも少なくないが、

 一番の問題は確実に騙す側だからな。


 エルフ達の鬼気迫る圧迫感が、徐々に近づいてくる。


「待て、逃げるな! 止まれッ!」

「今しがた、二度と戻ってくるなと言われたからのぉ。

 ――我輩はこのまま進む。大いなる光へ、未来へと向かってな」


 一見、いいことを言ってるように聞こえるのが腹立つな。

 やってることは毒を盛って遁走という、限りなく外道に近い所業なのに。

 限界が近づいてきたのか、エルフの一人が必死に叫んだ!


「せ、せめて解毒剤だけでも置いていけッ!」

「そんなものはない」


 某美髭公のごとく切り捨てて、アレクはさらなる加速を見せた。

 俺の体を抱えたまま、浮遊魔法で空へと逃げる。

 これではエルフも追いつけないだろう。


 案の定、追ってくる人影は完全に消えた。

 温かいお別れ会が、修羅の喧嘩別れへと早変わり。

 これでエルフとの交友関係に支障が出たら恨んでやる。


「酷いことをするな……お前」

「なに、解毒剤の材料は屋敷に残してある。

 毒と言っても、利尿作用だけじゃしの。

 イザベルが気づけば、調合して事なきを得るじゃろう」


 あんな極限の状態では、頭も働かないだろう。

 間に合わない可能性のほうが高いと思うんだが。


「もし、気づかなかったら……?」


 指摘すると、アレクはしばらく考えこみ、ポンッと手を打った。

 そして免罪符にでもなると思ったのか、得意げな顔で訊いてきた。



「エルフの聖水って、何かかっこいい名前じゃと思わんか?」

「最低のネーミングセンスだよ!」



 こうして、アレクの鬼畜の所業により――

 酷い別れを告げ、俺は峡谷を後にしたのだった。





 ちなみに、これは後に手紙で知ったことなのだが。

 イザベルの迅速な薬調合のおかげで、全員間に合ったそうです。

 さすがは姫様。

 





     ◆◆◆





 牛車に揺られること一週間。

 アレクの永続的な治癒魔法により、酔うことはなかった。

 彼女の話によると、途中で野盗が接近してきたそうな。


 しかし暴れ狂牛が一瞬で蹴散らしてしまったため、俺は視認することすらなかった。

 可哀想に、なんて不運な盗賊なのか。

 まさか魔獣を調教して乗りこなすライダーがいるとは思わなかっただろうな。


 そして、長い旅を終え――ついに今日。

 俺はディン領へと帰ってきた。

 竜神の匙とエルフの妙薬を、しっかりと携えて――


 屋敷の近くで、アレクは俺を牛車から降ろした。


「我輩はこの魔牛を森の奥に戻してくる。

 ちと時間が掛かるから、先に行っておるのじゃ」

「分かった」


 今はただ、一秒でも早くセフィーナの苦痛を和らげたい。

 すぐに屋敷へと戻り、この至宝を使わねば。

 アレクは牛車を暴れ狂牛ごと引きずりつつ、確認してきた。


「匙の使い方はわかるな?」

「大丈夫だ」

「うむ。では行って来い」

「了解!」


 全力で頷き、俺は屋敷へと走った。




     ◆◆◆




 一年も離れていなかったというのに。

 久しぶりに帰った気分になる。


 門の前に立ち、取っ手をぐいっと引いた。

 しかし、ガチンと音がして開かなかった。


 そういえば……今日到着することを伝えてなかったな。

 これも間違いなく、アレク道交法によるジェットコースター運転のせいだ。

 微妙に筋の通らない責任転嫁をしつつ、俺は後ろを振り向こうとした。


 裏口から入ろうと思ったのだ。

 しかしその瞬間――背後から誰かに抱きしめられた。

 殺伐とした毎日を経験していたため、一瞬ナイフに手が伸びかける。


 しかし、敵にしてはあまりにも優しい抱擁。

 そして、甘く懐かしいバニラの匂い。

 すぐに誰が後ろにいるのか理解した。


「お帰りなさいませ、レジス様」


 黒と白を基調とした給仕服。

 銀色の髪に、柔らかくも芯の通った肢体。

 ウォーキンスが、落ち着いた声で囁いてきた。


「そろそろ帰ってくる頃ではないかと思っていました。

 見事に当たりましたね。さすがレジス様です」


 いや、それは俺がすごいんじゃなくて、

 お前の予感が常軌を逸してるだけだと思うんだ。

 ドンピシャで帰ってくるタイミングを当てるなんて。

 どこのエスパーだお前は。


 まあ、本当のところは、探知魔法か何かを使ってたんだろうけど。

 ウォーキンスは緩やかに力を抜き、俺から離れる。

 そして俺の身体を眺めると、嬉しそうに微笑んだ。


「少し見ない間に、また成長しましたね」

「そうか?」

「あと、出発前に比べて、服がすごいことになっています」

「……う」


 この一張羅は、替えが効かなかったのだ。

 ウォーキンスが作ってくれたものであるし。

 どれだけボロボロになっても、捨てたくなかった。

 それゆえに裁縫で何とか強度を保っていたが、いかんせん劣化が著しい。


「そこまで使い続けて頂けて光栄です。

 このウォーキンス、嬉しくて胸がいっぱいです」


 パァッと明るい笑顔を浮かべてくる。

 やっぱり、安心感があって癒されるな。


 俺は背も伸び成長したというのに。

 ウォーキンスは全く外見に変化がない。


 久しぶりの再会に思いを馳せていると、彼女はボソリと呟いた。


「――ただ、その魔力だけが本当に残念です」


 俺が纏う魔力を見て、ウォーキンスは複雑そうな顔をする。

 不安になり、すぐに詳細を尋ねた。


「……どういう意味だ?」

「いえいえ。

 私が教えられなくて、悔しかっただけです。深い意味はないですよ」


 とてもありそうなんですが。

 まったく、秘密主義も相変わらずか。

 こいつの底知れなさは、隠密忍者が裸足で逃げ出すレベルだからな。


 ――と。

 話したいことはいっぱいあるが、先にすべきことがある。


「とりあえず、物は揃ってるんだ。母さんの病気、治しに行こうぜ」

「ということは、エルフの妙薬も?」

「ああ、この通りだ」


 妙薬の袋を示した。

 失くさないよう、しっかりと懐に入れてある。

 ウォーキンスは門を魔法でこじ開け、中へと案内してくれた。


「ところで、親父は?」

「領内の視察にいっておりますが、そろそろ――」



「――レジス! レジスじゃないか!」



 今しがた入ってきた門の外から、驚嘆した声が聞こえてくる。

 シャディベルガだな。

 元気そうで何よりだ。


 振り向いた瞬間、彼は俺に抱きついてきた。

 心配していたと言わんばかりに、心の不安を吐露してくる。


「……無事でよかったよ。

 王都が炎上したって聞いて、本当に心配だったんだ」

「見ての通り、ピンピンしてるよ。久しぶり、親父」


 再会の喜びでだろうか。

 シャディベルガは目尻に涙を貯めていた。

 そんな表情をされると、俺も釣られて何かがこみ上げてきそうなのですが。

 ウォーキンスはシャディベルガの肩をポンポンと叩く。


「シャディベルガ様。これよりレジス様が奥様の病を治されます」

「おぉ……ついに。

 というか、僕が邪魔してしまったのか。ごめん」

「いやいや、全然」


 俺も会えて嬉しかったというのが本音だ。

 談笑しつつ、セフィーナの部屋の前へと来る。

 シャディベルガは扉に手をかけつつ、確認してきた。


「そういえば、レジスはセフィーナとは……」

「ああ、物心ついてからは初対面だよ」


 というか、出産時に会ってそれ以来ではなかろうか。

 俺の意識がはっきりしたのは生後一ヶ月くらいからだったし。

 本当に、セフィーナとは初めての邂逅になる。


「寝てると思うから、起こそうか?」

「多分、大丈夫だ。そのままにしといてあげて」


 シャディベルガの提案をやんわりと断る。

 薬に魔力を宿すことができると知ったからな。

 理論上は、自発的に胃へと到達する飲み薬を作ることも可能だ。


「……じゃあ、入るよ」


 シャディベルガが扉を開け放った。

 廊下の窓から入った木漏れ日が、薄暗い部屋の中を照らす。

 品の良い調度品が置かれた部屋だ。


 そして、その最奥。

 少し大きなベッドに、一人の女性が寝ていた。


「――ッ!」


 彼女の姿を見て、思わず絶句してしまった。

 見た目は至って普通だ。

 少し顔色が悪いくらいで、他は何の問題もない。


 ただ、セフィーナの姿は、どう見ても15,16歳にしか見えなかった。

 俺と同い年と言われても十分信じるレベルだ。

 いったい、何が起きたらこうなるのか。


 疑問に駆られたが、今はとにかく治療だ。

 俺はセフィーナの枕元に近づく。


「まずは、竜神の匙……」


 匙を懐から取り出し、魔力を込める。

 あまりたくさんの魔力を注入すると、そろそろ強度がまずい。

 弱めから徐々に強くして、最適の所を見つけよう。

 しばらくすると、匙が強い輝きを放った。


「……よし。次にエルフの妙薬だ」


 粉末状の薬剤になっているため、匙への負担は少ない。

 匙の上に粉末を全て注ぎ、魔力を込めた。

 身体へ浸透する液状の薬品にするために。


 光の中で、徐々に粉末が形を変えていく。

 俺は細心の注意を払いながら、魔力を調節した。


 魔力の込め過ぎだけは絶対にダメだ。

 魔素の濃度を高くしすぎてもダメだ。

 絶対にこれ以上、ヒビは入れられない。

 そう念じすぎたためか――匙の光が揺らいだ。


「……ッ!」


 光が弱くなり、粉末の変化が止まる。

 くそ、魔力が弱すぎてもダメなのか。

 もう一回、何とか魔力を込めなおして――


「レジス様」


 ウォーキンスが、俺の手に人差し指と中指を添えてきた。

 彼女は絶妙の魔力量を放出し、俺の動揺を払拭する。

 匙は一気に安定した光を取り戻し、薬品が姿を現していく。

 ウォーキンスは俺を安心させるように、耳元でささやいてくれた。


「大丈夫です。

 このウォーキンスが、レジス様の傍にいます」


 ああ、そうだ。

 一人で戦っている気になっていたが。

 今ここには、ウォーキンスがいる。

 アレクがいない状況で、これ以上に頼もしい存在があるだろうか。


 もう、心は乱さない。

 絶対に成功させてやる。

 すると――匙がとてつもない量の光を放った。


「……ぐおッ」


 光はすぐに収束する。

 そして、残ったのは匙と少量の薬液。

 これが、エルフの妙薬を竜神の匙で強化した――唯一無二の万能薬。

 一種の神々しささえ感じた。


 俺はそれを、セフィーナの口に注ぐ。

 すると、薬は口内から浸透し、一気に彼女の全身を駆け巡った。

 セフィーナの体内に満ちていた悪しき魔力が駆逐されていく。


 そして輝かしくも美しい、彼女本来の魔力がにじみ始めた。

 病に侵されて止まった時が――今動き出したのだ。

 そして、しばらくした後。


 俺に生命をくれた女性が、ついに目を開けた。

 もう、痛みに顔を歪めることはない。

 血色は完全に良くなっていた。

 セフィーナは俺と目が合うと、慣れない様子で呟いた。


「……レジ、ス?」


 俺は無言で頷いた。

 そして、今度は逆に尋ねる。


「おはよう。身体は大丈夫か?」


 すると、セフィーナはコクリと頷いた。

 俺の心臓は、これ以上ないくらい高鳴っている。


 そう。

 俺は、決めていたのだ。

 セフィーナの病を治そうと誓った時から。

 彼女が目を覚ましたら、まず何を言うのかを。


 思い立ってから数年の時が経ったが、この想いは決して色あせていない。

 むしろ今、最高潮を迎えている。


 だから、俺は言うのだ。

 変哲もなくて、他愛もないけど。

 大切な家族だということが実感できる――この一言を。





「――初めまして、母さん」






 第5章・完



 

 

ご意見ご感想、お待ちしております。


次章→1か月後の予定

進捗は活動報告でお知らせしたいと思います。

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