第十一話 思い出した声
一筋の風が通り抜けた。
数十数百の樹木が、一瞬にして切断される。
大地の衝撃が走り抜けた。
地面が爆散し、土砂が岩石が全方向に飛び散る。
一発一発が、敵を死へと誘う必殺魔法。
大陸の四賢同士による激戦は、周囲の地形を完全に変えていた。
「ちッ、上空をちょこまかとッ!」
シャンリーズは砕石の弾丸で、頭上のアレクを撃ち落とそうとする。
その度にアレクは華麗に回避し、
離れては魔法を、近づいては体術を叩き込んでいた。
どうやらシャンリーズは、全属性魔法に対する防御魔法を使っているらしい。
火魔法、雷魔法、風魔法――どれを使っても、彼女にぶつかった瞬間に相殺される。
これこそが、シャンリーズが誇る鉄壁の守り。
装備も露出が多いように見えて、急所は最高級の鎧で覆い隠している。
ほとんどの攻撃を回避するアレクだが、彼女も有効打を与えられないでいた。
と、その時。
アレクが上位の風魔法を唱えた。
とてつもない魔力が凝縮され、圧倒的な風力へと変貌を遂げる。
「風神の吐息は大空の墓標。
いざ導かん、天空の霊園――『ゴスペルブレス』ッ!」
上空にすさまじい光が迸る。
それを見て、シャンリーズは両手を空に掲げた。
アレクと同等の魔力が噴き出す。
「大地を守護せし土公神。
邪法を祓うは楽土の天蓋――『ダストテオトル』」
すると、シャンリーズの周囲にあった土が盛り上がった。
おびただしい数の土塊が一つになり、ドーム状となる。
土の壁によって、完全に外界と隔絶されてしまった。
壊れざる絶対的な防護壁である。
アレクの風魔法が土の天蓋に直撃する。
表面の土がめくれ返り、ドリルのように削っていく。
しばらく発光が続き、真空波が壁をズタズタに切り裂いた。
光が収束した後。
シャンリーズを守る壁は、見るも無残な姿になっていた。
あちこちに穴が空き、岩盤も剥がれ落ちている。
もはや二度と防壁にはなるまい。
しかし、中にいたシャンリーズは全くの無傷だった。
「ちッ……面倒なやつじゃ」
舌打ちをするアレク。
彼女が扱う風の上位魔法の中では、比較的威力の低い魔法だった。
しかし、有効打になりえないというのは面倒極まりない。
これより威力の高い魔法を撃てば、辺りの神木を巻き込む恐れがある。
どこか……もっと広いところにさえ誘導できれば。
浮遊魔法を使いながらの風魔法だったため、どうしても反動が残る。
シャンリーズは一瞬動きを止めたアレクを見逃さなかった。
「羽ばたく栄華を地に落とセ。
虜囚を繋ぐ制裁の荷重――『アースシャックル』ッ!」
次の瞬間。
アレクの右手・左手・右足・左足のそれぞれに異変が起きた。
石のリングが現れ、彼女の四肢を拘束したのだ。
単なる腕輪のように見えるその石は――非常に重い。
「……ぐッ!?」
アレクの身体がガクンと落ちた。
鈍重な石による重みが、浮遊魔法による浮力を上回ったのだ。
姿勢を保てず、高度がどんどん下がっていく。
「……チッ。仕方ない――解除」
このままでは無防備な所を狙い撃ちされるだけだ。
アレクは浮遊魔法を解除し、地面に降り立った。
激しい土煙を上げながらの着地。
大地を震わせる衝撃に、シャンリーズは得意気に微笑む。
「これで浮遊魔法も使えまイ?」
「ふん、こんなもの一瞬で破壊して――」
「無理だヨ。私の魔力量が低下しない限り、その石は絶対に壊せン」
アレクは左手首の石を思い切り殴った。
しかし、ヒビ一つ入らない。
どうやら特殊鉱石を使っているらしい。
シャンリーズの言う通り、彼女の魔力を削らなければ破壊し得ないのだろう。
「暴れるなヨ。今なら楽に殺してやル」
じり、じりと一定の距離を保ちつつ、シャンリーズは言った。
手の平をアレクに向けて、さらなる土魔法を唱える。
「憤怒に燃ゆる大地の精霊。
暴れ狂いて土を裂く――『バーングランド』」
アレクの周りの地面や大木が、盛大に砕け散った。
地盤が粉々になってしまいそうなほどの大爆散。
大地は隆起し、植物は魔力の過剰注入で弾け飛ぶ。
荒れ狂う土片や木の破片がアレクへ襲いかかった。
彼女はとっさに後ろへ飛んだが、
石の重みが邪魔で範囲から離脱しきれない。
「……ぐッ、このッ!」
炸裂した瓦礫が、アレクの脇腹や頬に傷をつける。
高濃度の魔力がこもっているためか、彼女の肌をいとも簡単に斬り裂く。
しかし、アレクはそんな物へ注意を向けていない。
なぜなら、彼女の眼は恐ろしい物を捉えていたからだ。
「――なッ!」
はじけ飛んで上空まで達していた岩が、次々と降り注いでくる。
とっさに急所を守ったが、重厚な岩石は防ぎきれない。
尋常でない数の大岩が落下し、広場一帯を覆う土煙を作り出した。
安全圏に下がっていたシャンリーズは、当然無傷。
彼女は晴れつつある煙を見て呟いた。
「フハハッ、潰れたカ。呆気なかったナ。
水魔法を失った時点で、貴様の敗北は確定してたんだヨ」
首を鳴らし、シャンリーズは歩き出す。
念のため死体を確認しておくつもりなのだろう。
しかしその時、土煙を斬り裂くような声が響いてきた。
「――『ハイエンド・ブレス』」
襲い来る風の一閃。
シャンリーズは反応できず、正面から直撃を喰らう。
「……ぐッ、生きていたカ」
右腕を切り裂かれたが、大怪我には程遠い。
風魔法に対する障壁が役に立った。
安堵しかけたのも束の間――
「絶技――風爆掌」
土煙の中から、アレクが凄まじい勢いで突っ込んできた。
風魔法の余波で怯んでいる所に、である。
アレクの掌底が、シャンリーズの左肩を捉えた。
高級鉱石を使った鎧を砕き、生身の肩に衝撃を伝える。
ベギギッ、と骨の砕ける音がこだました。
「ぐ、ぁああああああああああア!」
恐ろしく濃い魔力が、アレクの身体に集中している。
魔力で肉体を強化し、拳や脚を凶器にしているのだ。
その威力は、攻城兵器や並の上位魔法の比ではない。
シャンリーズも後ずさる。
「これは――拳神の体術かッ!」
だが、シャンリーズも痛がるだけでは終わらない。
土魔法を唱え、アレクと己の足元を破裂させた。
血を噴き出す怨敵の姿を見て、シャンリーズは歓喜の声を上げる。
「ハッ、直撃したかッ!」
土の加護によって、シャンリーズは無傷。
しかしアレクはノーガードで土の蹂躙を受けた。
防御行動など一切取らない。
なぜならば――彼女は既に次の攻撃に移っていたからだ。
「崩技――餓刃脚」
「なッ!?」
アレクの鋭い回し蹴りが、鎧に包まれた脇腹を襲う。
鎧を粉砕し、柔らかい脇腹へ容赦なしの一撃を見舞った。
盛大に骨が砕け、シャンリーズは吐血した。
「……ふ、ふざけるナ」
これ以上の連撃は命にかかわる。
シャンリーズの顔に焦燥の色が浮かんだ。
「私から離れロ! ――『ランダミング・ロック』ッ!」
先ほどの比ではない地面の爆散だった。
さすがにアレクも飛びのき、一旦距離を置く。
シャンリーズもアレクも血塗れで、見れた姿ではなかった。
「どうしたのじゃ?
地面に引きずり下ろしただけで、勝った気になっておったのか」
体術の炸裂により、シャンリーズも痛手を負った。
これで戦況は五分。
アレクは更に挑発するように過去の傷口をえぐった。
「――魔法師は魔法だけではない。
我輩は遥か昔から言っておったはずじゃ。それすらも忘れたか?」
「はッ、そんな安い手に乗るカ! ――『フィアスクェイク』!」
シャンリーズが右足を踏み鳴らす。
ビリビリと地面が振動する。
もはや立っていられないほどの大震動。
地面からの接近を封じる、シャンリーズなりの策だった。
しかし――
「はぁッ!」
アレクは空へ跳躍していた。
浮遊魔法を全開にし、一瞬だけ上空へと駆け上がる。
そしてシャンリーズの頭上に来た所で、浮遊魔法を解除。
アレクはボソリと呟き、落下を始める。
「天技――豪落踵」
彼女は足を振り上げ、踵落としの構えを見せた。
あんなものを頭部に喰らえば、一撃死は必至。
シャンリーズは両手を額に当て、土魔法を詠唱した。
「乾く大地は堅守の砦。
我を守りて盾と為せ――『アーマーズロック』!」
次の瞬間。
シャンリーズの上半身が土の甲冑に包まれた。
固く頭を守り、致命傷を避けようとする。
そして――激突。
一瞬で土の甲冑がはじけ飛び、生身の両腕を襲う。
シャンリーズの立つ地面が盛大に凹み、周囲の土がめくれ返った。
「が、ぁああああああああああああああ!」
シャンリーズは力づくでアレクを振り払った。
踵が直撃した右腕は完全に折れている。
しかしそれでも、アレクを吹き飛ばすことに成功した。
アレクは空中でバランスを崩し、追撃を諦める。
すぐに距離を置き、次の攻撃に備えた。
シャンリーズは荒い息を吐きながら、アレクを賞賛する。
「はッ、さすがにやるじゃあないか」
「ふん、さっきまでの余裕はどうしたのじゃ。
――次の技で葬り去ってくれる」
アレクは息を整え、再びダッシュしようとする。
だがその動きを見て、シャンリーズは笑った。
「少しの優勢でまた油断。
なぜ私が土人形を使わないことに疑問を抱かなイ?
だから貴様は――ここで死ぬんだヨ」
「……なに?」
シャンリーズが両手を広げた。
次の瞬間、爆発的な魔力が地面に広がる。
辺りの地表が振動し、アレクの行動の自由を奪った。
そして、シャンリーズは残酷に告げる。
「――喰らいつけ、『ストレイタムフィッシュ』」
地面から、黒茶色の化け物が飛び出してきた。
それは、超弩級の大きさをした土人形。
数百体の土人形を使わぬ代わり、一体の巨大な彫刻を召喚する。
魚の形をした巨岩が、アレクに激突した。
「……が、はッ!?」
しかしアレクも、正面からの衝突だけは避けた。
巨大な岩魚は右半身をかすめ、そのまま地面へ落ちる。
激しい土の噴流。
土煙が晴れると、片膝を付いたアレクが現れた。
彼女はすぐに立ち上がり、口の中に溜まった血液を吐き出す。
「……ちッ、こしゃくな真似を」
「初見の土魔法だろウ?
私とてこの500年、遊んできたわけではないのだヨ」
警戒しながら、アレクは自分の身体に目を落とす。
直撃は避けたが――大量出血が酷い。
治癒魔法を使っても間に合わない損傷だ。
これ以上長引かせてはまずい。
アレクは地面を蹴ると、フェイントを織り交ぜながら突撃した。
それを見て、シャンリーズは牽制の土魔法を撃ちだす。
「大いなる王土は全てを飲み込み、連峰を成す――『インヴァイト・アース』ッ!」
シャンリーズとアレクの間にある地面が爆発。
土の欠片が再び襲い掛かる。
しかし、アレクは超反応で破片を回避した。
「チッ……!」
今のシャンリーズは反動で動きが鈍い。
今度こそ一撃必殺の技を叩き込まれると思ったのか。
シャンリーズは舌打ちをして歯噛みした。
全身の骨を砕かれることを、覚悟したのだろう。
だが、その瞬間――
チャリン、と金属音がした。
シャンリーズは気にも留めない。
ただ、即死の攻撃だけを防ごうとしていた。
しかし、アレクは――
「――あっ」
なんと、その『落とし物』を拾おうとしてしまった。
明らかに無謀。
誰が見ても叱責する愚行だった。
しかし、アレクにとってその落し物は――
「馬鹿がッ、隙だらけダ!」
シャンリーズが最上位の土魔法を詠唱した。
次の瞬間、戦場に赤い鮮血が飛び散ったのだった。
◆◆◆
――レジス視点――
走る。疾駆する。
何よりも速く、一秒でも早く――
俺はアレクの元へ駆けつけようとしていた。
激しい傾斜を素手でよじ登った。
立っているのさえ困難な坂を、無理やりにでも駆け上った。
そして、戻ってきた。
アレクとシャンリーズが戦う、決闘の広場へと。
だが、目の前に広がる光景を見た瞬間。
俺の思考が停止した。
「なんだ……これ」
一瞬、目の前で起こっている光景が理解できなかった。
鮮血で濡れた広場。
えぐれ返った地面。
暴風によって切り刻まれた樹木。
ここで繰り広げられた決闘の凄まじさを、痛々しく物語っている。
そして、広場の中央。
そこには、二人の人物がいた。
一人は、満身創痍のシャンリーズ。
彼女は荒い息を吐きながら笑みを浮かべていた。
「はッ、何かと思えば。王国の通貨カ。
下らん物を拾って致命傷を負うとは――無惨だナ」
吐き捨てて、シャンリーズは地面を踏みにじった。
チャプリ、と水たまりに長靴を突き入れたような音がする。
シャンリーズの足元には、血の海ができていた。
一人分のものであれば、まず確実に死亡している量。
しかし、それが均等に二人分だったのだとしても、失血死の一歩手前だ。
そして、シャンリーズは血の池に倒れた人物を嘲笑する。
地面で気を失っている少女こそ、もう一人の人物。
俺が助けようと願った、大切な師匠――
「アレ、ク……?」
大陸の四賢・アレクサンディアだった。
◆◆◆
どのくらいの間、立ち尽くしていたのだろう。
呆然としていた俺に、シャンリーズが気づいた。
「……ン? なんだ、人間カ」
奴は俺を意に介さない様子で、鎧の修復作業をしている。
しかし思うように直せないらしく、非常にイライラしていた。
俺のことなんか、眼中にないってか。
……ふざけるなよ。
「お前……その、足を……」
――その足を、アレクからどかせ
そう言おうとした。
だが、出てきたのは弱々しい掠れた声だった。
おかしい。
なぜ俺の声は震えているんだ。
怒りに任せて、大声を上げたはず。
いつもの無駄に啖呵を切る姿はどこへ行った。
拍動が早くなり、視界が霞む。
喉が渇いて呼吸が安定しない。
案ずるな、道中を走ってきた影響だ。
「あァ、なんだ。誰かと思えバ。
貴様――峡谷に投げ入れた石に答えた者カ」
やっぱりあれは、シャンリーズだったか。
奴は言葉を発しながら、足元のアレクをグリグリと踏みにじる。
その度、意識を失ったアレクは喀血した。
とっさに、俺は一歩踏み出して叫んだ――
「ゆるさ――ねえぞ」
つもりだった。
絞りだすような声。
精一杯、全力で怒りをぶちまけようとしたというのに。
なぜか、思うように声が出ない。
「ん? なんだ、私とやるつもりカ。
疲弊状態とはいえ、さすがに貴様程度には苦戦しないヨ」
心底おかしい、とでも言いたげだ。
てんで俺を相手にしていない。
腸が煮えくり返りそうだった。
アレクは莫大な魔力を有しているとはいえ、その肉体は少女のもの。
とても細く、魔力が通っていなければ簡単に折れてしまいそうなのだ。
そんな彼女を、脚で蹂躙しようとするシャンリーズ。
許せるはずがない。
奴は俺を見て、一言告げてきた。
「――やめておケ。
そんなに怯えた状態で何ができル?」
指摘されて、初めて気づいた。
俺の全身は震えていたのだ。
カチカチ、と歯の根が合わずに音が鳴っている。
崖から落ちる寸前、奴の魔力の片鱗を目にした時と同じ。
舌は硬直したように動かず、
『余計なことを言うな』と暗に告げているようだった。
目の前に敵として立ちふさがる大陸の四賢。
対して、こっちは未熟者の没落貴族。
この間にある隔絶が、全力で恐怖を煽り立てているのだろう。
そういえば、俺はまだ一回も奴に目を合わせようとしていない。
無意識に、身体が奴に立ち向かうことを拒絶しているんだ。
ようやく状況を飲み込んだ俺に対し、シャンリーズは嫌に微笑んでくる。
「まぁ、怯えるということは、多少なりとも戦力の差が把握できている証ダ。
それなりに鍛えているということは察せるヨ。
だが、それはしょせん人間レベルでの話。
貴様では太刀打ちできないことくらい、十二分に分かっているだろウ?」
奴からの問いかけによって、身体が萎縮する。
その時、自然と目が合ってしまう。
瞬間――ゾワリ、と全身が総毛立った。
正常な呼吸を忘れ、ますます息が浅く荒くなる。
今までに見たことのない、攻撃的な魔力。
敵を殺すためだけに磨いた、と言われても全く違和感がない。
シャンリーズは忠告するように言い放った。
「それでもなお、この私に挑むのであれば、もはや何も言うまイ。
――喜べ、土の生贄にしてやろウ」
思考が凍りつく。
脳内で鳴り響く警鐘が最大のものとなり、防衛本能が顔を出す。
負け犬根性を煽り立て、何としてでも生き延びさせようとしてくる。
闘志を腐食させる甘い囁きが、心中にこだました。
――どうせ勝てない。無駄だ、逃げろ
襲い来る圧倒的な恐怖。
死ぬことが分かっているのに、決断を迫られる焦燥。
脅威が身体を支配し、怯えが弱い心を慈悲なく痛めつける。
「ほら、どうしタ。
今なら逃げても追いはせんゾ?」
脚の震えが止まらない。
異常な怯え方だ。
この世界に生まれて以来、ここまで恐怖したことはない。
今までも、格上の相手を敵にしたことはあったというのに。
だが、よく考えて見れば。
それは今回の場合には当てはまらないのだ。
過去に敵と戦った時は、必ず近くに『自分を助けてくれる』人がいた。
いざとなったら、俺が死なないようにと、守ってくれる存在があったのだ。
しかし今は――その守ってくれる存在が、倒れてしまっている。
もう誰も、俺が敗北した時の保険になんてなってくれない。
負ければ殺され、ただの死体へ変えられてしまうだけだ。
――逃げれば、命だけは助かるかもしれない
臆病な思念が、俺の命を守ろうとする。
必死で生き足掻こうと、情けない選択を強いてくるのだ。
葛藤していると、シャンリーズがしびれを切らしたように言ってきた。
「黙っていては、わからないだろウ?」
シャンリーズの手が、すっと俺に向けられる。
ビクン、と身体が無意識に反応したのがわかった。
殺される。一刻も早く立ち去らないと――殺されてしまう。
防衛本能に負け、一瞬脚が後ろに下がりかける。
だが、その時。
アレクの顔が、俺の視界に映った。
口から血を流し、今にも息絶えてしまいそうな、その姿。
彼女を見て、ある言葉が脳内に蘇った。
『レジスよ』
いつかの会話の中で出てきた、彼女の呼びかけ。
あれは確か、ボードゲームをやっていた時のことだったか。
それを思い出した瞬間、後ろに下がりかけていた脚がストップした。
「……あぁ」
言葉にならない、感情の奔流。
それらが臆病な思念をまとめて吹き飛ばした。
ボードゲーム中、駒を動かしながら彼女が俺を呼んだ声。
それは、ある一言に続くのだ。
誰にも寄りかからなかった彼女が、
助けなんて求めたこともなかったアレクが、
はにかみながら、初めて俺を頼ってくれた一言――
『もし我輩が窮地に陥った時、汝は助けてくれるか?』
「――当たり前だろうがッ!」
俺は思い切り叫んだ。
あの時、アレクの前で誓ったように。
あるだけの力を振り絞り、全肯定した。
この瞬間。
逃げろと囁いてくる弱い本能が、粉々に砕け散った。
恐怖に染まっていた全身が正常になっていく。
「アレクを――助けるんだ」
今の咆哮で、自分の呼吸を取り戻した。
脳内に渦巻いていた愚考が全て吹き飛び、クリアな状態になる。
俺はもう一言、強く断言した。
「相手が大陸の四賢だろうが、関係ない」
視界がはっきりしてくる。
あぁ、やっぱり常軌を逸した魔力を纏ってやがる。
疲弊しているにも関わらず、あの魔素の濃さだ。
だが、もう怯えない。
もう怖がらない。
既に無意識はねじ伏せたのだ。
正面からシャンリーズの姿を見定める。
そして、思い切り言い放った。
「その足を、アレクからどかせよ――シャンリーズ」
――その声はもう、震えていなかった
シャンリーズの顔から笑みが消える。
どうやら、俺を『殺すべき弱者』として認識したらしい。
上等だ。前代未聞の番狂わせを見せてやる。
「アレクの昔馴染みだかなんだか知らんが、
言うことを聞かないなら――鉄拳制裁だ」
最強と謳われる、大陸の四賢。
そんな相手に向かって――宣戦布告をした瞬間だった。
次話→4/10
ご意見ご感想、お待ちしております。