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第十話 それでも俺は

 


 レジスとイザベルが投げ飛ばされた後。

 地面の砕け散った広場で、二人の魔法師が睨み合っていた。


 一人は、憮然とした表情で浮遊するアレクサンディア。

 エルフの頂点にして、古代魔法のエキスパートである。

 体術において右に出る者はいない。


 そしてもう一人は、不敵な笑みを浮かべるシャンリーズ。

 ドワーフの覇者にして、神に匹敵する土魔法の持ち主だ。

 堅固な障壁を常に張り巡らせ、絶対的な堅守を誇っている。


 種族も得意魔法も、何もかもが違う二人。

 だがしかし、両者には確固たる共通点があった。

 それは――大陸の四賢として、邪神を封印したこと。


 二人はかつて、肩を並べて戦った仲だった。

 邪神を封印しようと、味方として共闘していたのだ、


 しかし終戦後。

 二人を含め、四賢はどうしようもない程に決裂してしまった。

 

 ある者は――孤独に怯えながら魔法の研究を行い、秘密裏に商人としても活躍した。

 ある者は――大結界の生成にすべてを捧げ、そのうら若い生命を散らした。

 ある者は――種族の聖地にて撃墜され、誰に知られることもなく消えた。

 そしてある者は――妹の幻影を追い、幼き少女を囲って充足を得ようとした。


 壮絶なまでの完全分解。

 四賢は全員が行方をくらませ、人々の前から姿を消した。

 それ以降、彼女たちが表舞台に出てくることは、ほぼ皆無になった。

 ゆえに、今まで四賢同士が衝突することはなかったのだ。


 しかし――



 シャンリーズはアレクを見て仰々しく告げた。


「いやァ、驚いたヨ。

 ずいぶん優しくなったんだナ。まさか味方を逃すとハ。

 罪なき魔物を風魔法で細切れにしていた貴様はどこへ行っタ?」


 その言葉に、アレクは不愉快そうに眉根をひそめた。


「汝こそ、落ちぶれたな。

 『アース・クイーン』の毅然とした誇りはどこへ行ったのじゃ。

 未練すら断ち切れぬ、偏執狂の誘拐魔めが」


 今のシャンリーズは、邪神大戦の時とはまるで違う。

 激戦区の最先鋒で、仲間を守っていた英雄ではない。

 今はただ、害悪としてアレクの眼に映っていた。


「はぁ……500年ぶりの再会だというのニ。

 もう少し気の利いたことを言えないのカ?」

「そうじゃな、では――」


 アレクは一つ咳払いする。

 そして鋭い眼光でシャンリーズを射抜いた。


「――二度とこの地に足を踏み入れるな。

 今すぐ霊峰から出て行けば、特別に見逃してやらんこともない」


 常人であれば気絶しかねないほどの気迫だ。

 しかし、シャンリーズは動じない。

 アレクの態度を鼻で笑い、過去を持ち出してくる。


「珍しく好戦的だナ。

 まさか本家のエルフに手を貸すとは、予想外だったヨ。

 幼少の因縁は解けたのカ?」

「さて、何のことやら、じゃ」

「はぐらかすなヨ。

 奴らは貴様の親を見殺しにした一族なのだろウ?」


 シャンリーズは煽りをやめない。

 英雄アレクサンディアの昔を知る者として、痛烈な問いを投げかける。


 シャンリーズの言うとおり、アレクと峡谷の歴史には闇がある。

 かつてアレクの両親は、見るも無惨な死を遂げた。

 人間を助けようとして、エルフと人間の両方に見捨てられて死んだのだ。

 500年前、アレクが峡谷を見限ることになった決定的な事件である。


「いつの話をしておるのじゃ。とっくに恨みなど消えた。

 別に、峡谷の馬鹿共を守るために出てきたわけではない」


 そう言い、アレクは崖の方に意識を向けた。

 レジスとイザベルが無事に着地できたか気になっているようだ。

 しかし、よそ見をして隙を突かれてはたまらない。

 アレクはすぐに視線をシャンリーズに戻した。


「ほゥ? ならば、なぜ峡谷に私を近づけなイ?」

「さぁの。汝の頭では考えが及ばぬかもしれんな」


 アレクは肩をすくめる。

 そんな彼女に、シャンリーズは嘲笑するように言い放った。


「ハッ、分かってるんだヨ。責任を感じているのだろウ?

 峡谷の位置を私に知られているのは、お前のせいなのだからナ」

「…………」


 アレクの表情が曇る。

 それを図星と判断したのか、シャンリーズは得意気に続けた。


「邪神大戦の折、お前は峡谷に四賢を招き入れタ。

 その際に、聖地であるこの位置も割れてしまっタ。

 危機を招いた負い目を、帳消しにしたいというわけカ」


 そう。

 シャンリーズが峡谷の場所を知り得たのは、アレクの決断に起因している。


 邪神大戦の中期。

 邪神の軍勢に押されていた時のこと。

 四賢は今までの陣を捨て、一時退却を余儀なくされた。


 その時、隠れ家たる拠点として選んだ場所。

 それこそが、アレクの故郷――エルフの峡谷だったのだ。


 本来ならば、絶対に他の種族を立ち入らせてはならない聖域。

 そこに、緊急事態ということで他の三人を避難させたのだ。


 ――もっとも、その英断は正解だった。


 これをきっかけに、邪神軍を押し返すことになったのだから。

 しかし、過去の選択が、今になって牙を剥こうとしている。

 シャンリーズの高説を聞き、アレクは大きくため息を吐いた。


「まったく的はずれじゃ。

 頭さえも錆びついたのじゃな。

 嘆かわしい、妹御も泣いておるじゃろう」


 アレクは挑発を返す。

 妹の話をされ、シャンリーズは不愉快そうに眉をひそめた。


「お前に妹のことを語ってほしくないナ」

「奇遇じゃな。我輩も汝に己のことを語って欲しくない」



 牽制の魔力が、虚空で衝突した。


 ペキッ――と。

 両者の魔力が持つ重圧に耐え切れず、周囲の樹木が悲鳴を上げた。

 その衝撃で、木にとまっていた小鳥が一斉に飛び立つ。


 決定的な断絶。

 交渉の余地はどこにもなさそうだ。

 シャンリーズは残念そうに呟いた。


「……はぁ。貴様の持つ永遠の寿命は、他に類を見ぬ貴重な能力だからナ。

 性根を捻じ曲げて『妹にする』ことが可能なら、飼ってやろうとも思ったガ――」


 シャンリーズはアレクの身体を食い入る様に睨め回す。

 まとわりつくような視線だ。


「しかし、駄目ダ。

 お前を見ていると、妹の顔だというのに無性に腹が立ツ」


 シャンリーズは右手をアレクに向けた。

 彼女なりの戦闘態勢なのだろう。

 そこから無限の戦略を生み出す、土魔法の妙技。


 しかし、アレクは決して慌てない。

 静かに浮遊する高度を上げる彼女を見て、シャンリーズが訊いた。


「貴様、私に勝てるつもりカ?」

「――無論じゃ」


 アレクは即答した。

 少なくとも彼女は、シャンリーズに負ける可能性など想定していない。

 己の魔力は唯一無二にして至高。

 その思いが精神を強くし、勝利への確信をより確実なものにする。


 しかし、それはシャンリーズとて同じ。

 彼女も恐らく、自分がアレクに敗北するとは思っていないだろう。

 両者が絶対の自信を持っているからこそ、同一の結論に至る。


「ずいぶんな自信だナ。

 水魔法を奪われたエルフに何ができル?」

「汝も似たようなものじゃろう。

 眼をやられ、接近戦の術すらも奪われたくせして、なお我輩に挑むつもりか。

 そのまま土に引きこもっていればよかったものを」


 『水魔法』と『長時間の歩行』を禁じられた少女。

 『眼の混乱』に、『戦斧術』を禁じられた女性。

 互いにハンデを背負いながらも、怯みはどこにも見受けられない。


「何か勘違いをしているようだガ。

 私は制限の一つや二つで動じる魔法師ではないゾ?」

「たわけ。汝には弱点があるじゃろう。

 妹の姿をした娘を殺せぬという――致命的な弱みがな」


 シャンリーズにとっての鬼門を指摘する。

 実際、500年前の終戦後にアレクもその姿を見ていた。

 邪神に加担した少女の粛清をシャンリーズが任された時、

 彼女は手を下すことができず、その場で激しく嘔吐してしまったのだ。


 少女に危害を加えると、視覚では恐ろしいことが起きる。

 愛した妹シェナに対して、己が攻撃しているように見えるのだ。

 その事件のすぐ後、シャンリーズは両目を包帯で塞いでしまった。


 過去を思い出しつつ、アレクは策を立てる。

 シャンリーズはこう見えて、勝利への布石を一切怠らない奴なのだ。

 妹に見える少女が相手でも、訓練を積んで少しは戦えるようになっているかもしれない。


 だが、それでも――だ。

 たとえ苦悩の末にトドメを刺そうとしても、一瞬の隙が生まれるはず。

 そんな絶好の好機を、自分が見逃すはずはない。


「……ふぅン、弱点ねェ。

 これまた、面白いことを言うものダ」


 シャンリーズに動揺した様子は見られない。

 彼女は髪をかきあげ、愉快げな表情で尋ねてきた。


「――本当に殺せないと思っているのカ?」


 自信に満ちた表情だ。

 そんな彼女を見て、アレクは逡巡する。


 ……克服したというのか?

 邪神大戦直後は、妹の姿を見ることすら怖がっていたというのに――

 一切のためらいなく、攻撃できるようになったのか?


 いや、その可能性は低い。

 未だに妹へ依存している辺り、未練を断ち切れてはいないはず。

 虚言を吐いているだけだろう。


「ふん、虚勢が通用するのは三流までじゃぞ」

「クハハッ、滑稽だヨ。

 いらないことを覚えている割に、一番大切なことを忘れているのだからナ」


 一番大切な、こと。

 アレクは心中で反芻した。

 しかし、シャンリーズの言葉の真意がつかめない。


「思い出セ。狡猾な罠を張ることに関して、

 四賢の中で最も秀でていたのは誰ダ――?」

「汝じゃな。それがどうかしたか?」


 罠の設置。

 確かにシャンリーズが得意としていた戦法だ。

 しかし、アレクにとって脅威にはなりえない。

 浮遊魔法がある限り、地面に設置した罠は無効なのだ。


 邪神大戦中に何度か手合わせしたことがあるため、

 シャンリーズが使う土魔法のパターンは把握している。

 この状況下で、アレクに届きうる罠を設置するのは不可能だろう。


 だがその時、嫌な仮定が脳裏をよぎった。




 ――もしそれが、アレクの知らない、可動性のある罠ならば?




 あの様子。

 明らかに何かを狙ってきている。

 次の瞬間、アレクは空中を疾走していた。


 罠であるのなら、発動前に術者を叩けばいい。

 魔法の詠唱時を狙えば、確実に攻撃を当てられる。

 風魔法の有効範囲まで、あと一歩。


 だが、その時――


「――遅イ」


 シャンリーズが指を鳴らして、腕を振り上げた。

 すると、巨大な魔法陣が辺り一帯に浮かび上がる。

 大地を蠢動させる莫大な魔力が、今にも発動しようとしていた。


「始まる前に、勝負は決していたわけダ。

 土の糧となれ、アレクサンディア!」


 シャンリーズが地面に敷いた魔法陣。

 それは、アレクが見たことのない文様印だった。

 知らない間に、新しい土魔法を編み出したのだろう。

 詠唱から発動までが、あまりにも早過ぎる。


「くッ――『ギルティブロー』ッ!」


 アレクは回避を諦めた。

 風魔法で詠唱後の隙を突くという、カウンターを狙ったのだ。

 塵風は鋭利な刃となり、シャンリーズに襲いかかる。


 しかしその瞬間。

 アレクの真下に、数えきれないほどの土槍が発生した。

 今まで伏せていた土魔法を解放させたのだ。


「発動しロ――『シャドーグランド』ッ!」


 全てを吹き飛ばし、敵を喰らい尽くさんと猛進する疾風。

 全てを貫き、敵を討滅せんと迫り来る土の大槍。

 その二つが交差し、術者に襲いかかる。


 次の瞬間。

 痛々しい肉体破壊の音と共に、鮮血が飛び散った。

 二人の身体から尋常でない量の血潮が流れ出る。


 だが、焦燥の色が濃いのは圧倒的にアレクだった。

 彼女の腹部には、2本の土槍が痛々しく突き刺さっている。

 対するシャンリーズは、右肩と両足に手傷を負っただけだ。


 風魔法を軽減する魔法を、事前に使っていたのだろう。

 シャンリーズは感心したように頭上のアレクを眺める。


「ほォ? よく反応したナ。

 しかし既に、貴様は破滅への階段を上がっている。今の一撃が分水嶺ダ」

「……ちっ、小賢しい真似を」


 アレクは己に強力な治癒魔法を掛けた。

 即効性はないが、戦っている内に少しは回復してくれるはず。

 苦悶の表情を浮かべるアレクに、シャンリーズは凍えた声で言い放った。


「――さて、死ぬ準備はできたカ?」

「ほざけッ。死ぬのは汝じゃ、シャンリーズ!」


 不敵な笑みと、不覚を取った激怒の咆哮。

 初撃を打ち終わり、両者は互いに傷を負った。

 しかし戦意は衰えず、高まっていく一方だ。


 風魔法を撃ち放つアレク。

 土魔法で迎え撃つシャンリーズ。

 四賢同士の喰らい合いが、今始まった――




     ◆◆◆





 ――レジス視点――



 落ちる。

 ひたすらに落ちる。

 目もくらむような断崖絶壁から、俺は転落していた。


 死の危険を感じ、視界に火花が走る。

 この速度で地面に激突すれば、確実に挽き肉になってしまう。

 吐き気をこらえつつ、状況確認のため下を見た。


 鬱蒼と茂る樹木の緑色。

 激しい風圧に煽られ、落ちる位置を調整できない。

 これは、非常にまずい。


 地面ですり下ろされて挽き肉になる前に、

 大樹の枝に突き刺さって死ぬのではないか。

 何とか身体をよじるが、やはり空中。

 思い通りに動けない。


「――くっそ」


 その時。

 空中であるにも関わらず、誰かが俺に抱きついてきた。


 イザベルだ。

 彼女は腕と脚を絡めてきて、完全に固定する。

 その上で、近づいてくる地面に向かって魔法を詠唱した。


「湖畔に浮かぶ慈愛の精霊。

 柔く優しき御心で、渓谷に吹き渡れ――『アシェイドブリーズ』ッ!」


 ぐんっ、と身体を持ち上げられた気がした。

 もちろん、落ちていることには変わりない。

 下からの風によって、落下速度が軽減されているのだ。


 結果。

 2階から飛び降りるくらいの速度で、大木の幹に落下した。

 ベギギッ、と凄まじい音がしたが、これは枝の音なので問題ない。

 何とか着地には成功したか。

 

 そう思った刹那――

 俺とイザベルの重みで、太い幹と枝がまとめてへし折れた。

 当然、恐ろしい勢いで樹下へ落ちていく。 


「わ、わわわ……!」


 想定外だったのか、イザベルが慌てた声を出す。

 いかん、このままでは彼女が下敷きに。

 空中で身体を半回転させ、イザベルの下にもぐりこんだ。

 そして、そのまま落下する。


「――げぶふぉあッ!」


 腰から地面と接触。

 体内を逆流した空気が、飛ぶような勢いで口から出て行った。

 全身を激痛が駆け抜け、ビリビリと痺れが走る。

 しかし、イザベルは無傷だったようだ。


 それが確認できれば十分。

 下敷きになった甲斐があるというものだ。

 鋭い痛みに耐えながら、背中に突き刺さった小枝を引き抜く。

 見事に赤い。畜生め。


「だ、大丈夫っ!? 頭とか打ってない……?」

「平気だ。心配するな」


 高所からの落下はこれが初めてじゃないんでな。

 前世では、二階の部屋から歌舞伎役者のごとく転げ落ちた経験もある。

 受け身はちゃんと取った。

 俺がすぐに立ち上がると、イザベルが訝しむように見てきた。


「レジス……なんか、急に冷静になったね」

「どういう意味だ?」

「落下中、すごい怖い顔してたよ?

 でも今は嘘みたいに落ち着いてるから、ちょっと気になったんだ」


 ああ、そのことか。

 言うまでもなくショックだったよ。

 まさか戦力外通告をされるなんてな。


 危うく、爪が手の平の骨に達するところだった。

 ここまで明確に拒絶されたことは、ほとんどなかったのだ。

 心に深い傷を負ったことは確かだ。


 だが、こんな所で落ち込んでいる場合じゃない。

 落ち込んでいても、事態は打開しないんだ。

 それくらい、前世の失敗でとっくに理解してる。

 だから俺は即座に次善策を見出す。


「気持ちを切り替えただけだよ。

 弱い奴は弱いなりに、できることが必ずある」


 確かに――俺は足手まといだ。否定はできない。

 シャンリーズと直接対決しても、ボロ雑巾みたいになるだろう。


 しかし、だ。

 勝てないからといって、役に立てないわけじゃない。

 持てる力を最大限に駆使して、最善の選択を選べばいいんだ。

 俺はイザベルに指示を出す。


「俺はすぐにアレクの元に戻る。だからイザベルは――」

「――ダメだよッ!」


 イザベルが制するように言った。

 俺も発言を止めざるを得ない。

 彼女は申し訳なさげに


「ど、怒鳴ってごめん。

 でも、あの二人の戦いに巻き込まれたら、ひとたまりもないんだ。

 下手したら死んじゃう可能性もある。

 今までみたいに、助かる保証はどこにもないんだよ?」

「ああ、そうだな」


 どうやら、俺の身を慮ってくれているらしい。

 嬉しくて涙が出そうになるが、今は状況が状況だ。

 俺は相槌を打ち、話しだすタイミング見計らう。

 だが、なおもイザベルは続ける。


「あんまり触れたくないことなんだけど。

 私……一応はレジスより長く生きてるから、

 色々と戦場を経験してきてるんだ。

 あ、でも、そんなに歳は行ってないからね? むしろ全然若いくらい。

 人間の尺度で考えたらの話だよ」


 そこだけは勘違いしないで欲しい、と念を押してくる。

 その上で、彼女は俺に優しく告げてきた。

 

「色んな戦いに、従軍してきたんだ。

 人間の戦士が一生を費やすほどの、数十年単位でね」 


 そう。

 イザベルは大陸の各地を視察し、色んな場所を見てきた。

 それこそ、ディン領のような辺境の地にまで来たりして。

 彼女は指を立てて、険しい表情になった。

 

「だからこそ、一つ言えることがあるんだよ」


 今度は、遠慮や躊躇などない。

 至極当然なことで、しかし残酷な事実。

 それを、イザベルは一切の逡巡なく言ってきた。



「――アレクサンディアは、私達がいない方が戦いやすいんだ」


「…………」


 俺は力なく頷いた。

 ああ、そうだろうな。

 何となく、そう言うと思っていたよ。

 というか、客観的に見れば自明の理だもんな。


 俺の反応を見て、イザベルは柔らかに告げた。


「私達がいると気が散る上に、シャンリーズの標的にされる恐れがある。

 だから、私と一緒に峡谷に戻ろう?

 逃げるわけじゃないよ。これが戦略的に見て一番――」

「ちょっと、聞いてくれるか」


 俺はそこで、口を挟んだ。

 本来は従うべきであろう策に、一つだけ物申す。


「イザベルの言うことは正しい。

 アレクは俺がいなくても戦えるだろうし、むしろ近くにいると邪魔になる。

 これは事実。明らかに、間違ってるのは俺なんだ。

 でもな――」


 言っていて、声が震えそうになる。

 自分が無力であることを認めるのは、ひどく虚しい。

 そして、辛い。


 でも、だけど、だからこそ。

 俺はそれを認識した上で、こう言うのだ。

 

「峡谷に戻るのは――俺にとって最善策じゃないんだよ」


 イザベルは知らないだろうけど。

 前世でも、こういうことがあったんだ。

 愛おしかった奴がいて、そいつに贈った物を、不当な暴力で傷つけられた。

 自転車の事件は、今でも心の深部に根付いている。


 あの時俺は、止められたはずなんだ。

 不良に返り討ちにされるかもしれない。

 下手をすれば、喧嘩で死んでしまうことがあるかもしれない。

 そういう負のリスクを積み重ねて、俺は目の前の壁から逃げたんだ。


 その結果が、アレだ。

 後味が悪く、後悔することになってしまった。

 守れるかもしれなかったものを、保身や妥当性を考えて見過ごす。

 そうやって、俺はダメになってきたんだ。

 じわじわと、メッキが腐食するようにな。

 

 だから、あんなことをもう、繰り返したくないから――


「俺は――アレクを助けに行くよ」


 自信を持って言い切った。

 イザベルは困ったような、呆れたような笑みを浮かべる。

 そんな彼女に、俺は弁明にもならない言い訳をする。


「バカだってことはわかってる。

 無謀だってことも承知してる。

 それでも俺は――行くよ。

 行かないと、大切な何かを失ってしまう気がするんだ」

「――うん」


 イザベルは寛容な面持ちで頷いた。

 反対する様子は、全くない。

 先ほどの高圧的な姿勢が嘘のようだ。


「脅かせば説得できるかなって思ってたんだけど。

 やっぱり、ダメだったかぁ」


 彼女は頬を掻きながら、悔しそうに笑う。

 その上で、俺の手を取って告げてきた。


「でも、仕方ないよね。

 だって、レジスだもん。

 そういう所があるのは分かってた」


 なんだかんだで付き合い長いもんな。

 八年前に出会った時点で、彼女は気づいていたのかもしれない。

 俺のどうしようもない意固地なところに。

 イザベルは俺の頭を撫でながら、文句を言ってくる。


「この死にたがりのおバカさんめ。

 いつも危険な場所に自分から突っ込んでさ。本当に――」


 彼女は言葉を飲み込みかけた。

 しかし、それも一瞬。

 大きく息を吐いて、最高の笑顔で言ってきた。



「君といると、胸がハラハラして、ドキドキして――心臓の音が止まらないよ」



 こんな時であるにもかかわらず。

 じわじわと、燻ぶるような感情が湧き上がってきた。

 一瞬、言葉が詰まりかけた。


 しかし、今は切迫した状況。

 それを察してくれたのか、イザベルは優しく頷いてくれる。


「だからね、今回は何も言わない。

 レジスの好きにしていいよ。

 その代わり、絶対死んだりしないでね」

「当然だ!」


 死んでたまるか。

 俺はまだ何も成し遂げてないんだ。

 必ずアレクと一緒に、生きて実家に戻ってやる。

 俺の断言を受けて、イザベルは切実な顔で訊いてきた。


「私に、なにかできることはない?」


 正直言って、ある。

 とても重要な布石で、これから始めようとする作戦の肝になるだろう。

 彼女にしか頼めない懸案だ。


「じゃあ、一つだけ。

 峡谷に戻って、戦えるエルフを可能な限り連れてきてくれないか」


 いくら地図を持っていても、俺では峡谷まで時間がかかりすぎる。

 その点、イザベルは最短距離で本拠まで帰還することができるのだ。

 彼女の利点を活かさない手はない。


「……エルフを?」

「そうだ。確かに大陸の四賢は強力極まりない。

 でも、人海戦術が無効なわけじゃないんだ」


 もちろん、そのままシャンリーズにぶつけたりはしない。

 万全の彼女に突撃していては、何人いても逆襲を受けるだけだ。

 俺の考えを聞き、イザベルは推察を加える。


「なるほど。

 もしアレクサンディアが撤退したとしても、敵に重傷は負わせるはず。

 弱った所に数でかかれば、鎮圧は不可能じゃない、ってことだね」

「そういうことだ。

 それに、アレクが負ける姿なんて、想像できないしな」


 戦力的には、恐らく実力伯仲。

 俺やエルフ達が到着するまでの間に、勝負が決する可能性は低い。


「でも、レジスは――?」

「遠目でアレクの援護をしつつ、必要があれば時間を稼ぐよ」

「……危険な役回りだね」


 イザベルが心配そうな目で見てくる。

 彼女の不安を打ち消すため、俺は明るく言った。


「でも、その役を今アレクが担ってくれてるんだ。

 あいつは面倒くさがりなくせして、働き過ぎな所があるからな。

 ――そろそろ勤務交代をしてやらないと」


 実際には、彼女の補助以外のことはできないのだろうけど。

 いくらかは、勝率を引き上げる自信はある。


 ここはエルフの領域――ケプト霊峰なのだ。

 アレクが圧勝することはあっても、完敗することはないはず。

 イザベルも確信したように同調してくる。


「なんだかんだで、彼女はエルフの頂点。

 シャンリーズがドワーフの頂点だったとしても、打ち破ってくれるはずだよ」

「よし――それじゃあ峡谷への伝令は任せた」


 できれば迅速に頼むぞ。

 アレクがシャンリーズの体力を削り切ってからが勝負だ。

 対応を誤らなければ、勝てない戦いじゃない。

 イザベルは心配するように俺の手を握ってきた。


「気をつけてね。すぐに私も駆けつけるから……」

「ああ。任せてくれ」


 そう言って、俺とイザベルは別れた。

 彼女の後ろ姿を見守った後、切り立った崖を眺める。

 この上で、二人は戦っているはずだ。


 勾配はキツいが、崖の切れ目を戻れば地図もいらないし到着も早い。

 俺はロッククライミングに近い体勢で、元の場所に戻り始めた。

 必死に戦ってくれているであろうアレクの、助力に向かうために―― 




「無茶するなよ、アレク――!」




 

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