第四話 眠る耳と真意の言葉
数えきれないほどの対局。
その結果――わかったことがある。
いや、無理だろこれ。
どうやっても勝てないよ。
何度ちゃぶ台返しをしたくなったか。
この盤ゲームの奥が深いからってのもあるけどさ。
それ以上に、アレクが強すぎるのだ。
「……クク、クククク」
アレクが三流悪役のような哄笑を漏らす。
息をするように俺の大将駒を攻め落とそうとしてくる。
ゲーム性のあるものだけに、負けると悔しい。
チェスと将棋を混ぜて、駒の数を倍にしたようなゲームなのだが。
アレクが常に神の如き一手を指してくるので、まるで歯が立たない。
パチリ、とアレクが最後の駒を打った。詰みだ。
「これで我輩の15連勝じゃな」
勝負の後、アレクは嬉しそうに駒を回収していく。
少しは接待してくれてもいいんじゃないだろうか。
まあ、手加減なしで良いと言ったのだから仕方ない。
イザベルは意気消沈した様子で、アレクに白い目を向けていた。
「真っ先に私を潰しに来るのは、何か理由があるのかな?」
「弱い者から片付けるのは定石じゃろ?」
「くっ……」
本気で悔しそうな様子だ。
俺としても、この結果は不本意だった。
10年にも及ぶ一人ゲームで培ったセンスは何だったのか。
このまま負けるのは癪だ。
誰か本因坊の打ち手でも呼んでこい。
あるいはこのボードゲームに取り付いた怨霊が助けに来い。
俺はため息を吐いた。
「レベルが違いすぎる。これじゃ何回やっても勝てねえよ」
「我輩は過去に2回しか負けておらんからの」
やだ、なにその戦績。
敗戦少なすぎだろ。
逆にそこまで行くと、お前に勝った奴が気になってしまう。
「誰に負けたんだ?」
「一回目は、数百年前の師匠にじゃったかな。
このゲームは師匠に教わったものじゃからの」
「師匠って、拳神か」
「うむ。まあ、師匠も強い方ではなかったのじゃ。
教わった時に一回負けて以来、我輩はずっと無敗じゃった」
それまたひどい話だな。
弟子に一回ゲームを教えたら、二度と勝てなくなったとか。
俺だったら間違いなく泣くな。
それだけアレクの強さがずば抜けていたのだろう。
「二回目はエドガーとか言う小娘じゃ」
「そういえば、一回勝ったって聞いたような……」
そうだったな。
学院でエリックと拳を交えた後、
こいつらは俺が寝てる横で対局してたんだ。
太ももに妙なマークを付けられた恨みは、今でも忘れてないからな。
「我輩も驚いたぞ。
まさか人間に戦術ゲームで土を付けられようとは」
「あいつも謎の才能を秘めてるよな……」
よくアレクを相手に勝てたもんだ。
エドガーの才覚には驚かされてばかりだ。
剣術は超一流。
エンチャント魔法も得意。
商才もあって非常に前向き。
ダウナーで苦手分野の多い俺からすると、羨ましい限りだ。
「占めて、我輩の戦歴は1400勝2敗といったところじゃな」
「アカン……」
そりゃあ勝てないはずだよ。
逆にエドガーの凄さが際立ってしまう始末だ。
駒を集めたところで、イザベルが腰を上げた。
「頭を使ったから眠くなっちゃったよ。
さて、私は先に失礼するけど――」
彼女は部屋の端にある布団を敷いた。
かけ布団にくるまった所で、彼女はアレクを睨みつける。
「――アレクサンディア」
「何じゃ」
「私の寝てる間に、レジスを毒牙に掛けようとするなよ」
強い口調だ。
しかもブロードソードに手を掛けながら言うのが恐ろしい。
部屋の中で刃傷沙汰はやめろよ。
ここは殿中でござるぞ。
「善処するのじゃ」
「まあ、私もこの部屋で寝るから。
発情した所を見つけたら斬りかかるからね」
「好きにせよ」
アレクは素っ気なく答える。
お前のことなどどうでもいい、と言った態度だ。
むっとした表情になるイザベルだが、大きく息を吐いて脱力する。
彼女は俺に「おやすみ」と言うと、目をつむって就寝した。
イザベルも疲れていたようで、すぐに寝息が聞こえてきた。
その様子を見て、アレクが訊いてくる。
「汝も寝るか? さすがに疲れたじゃろ」
「いや、もう一局勝負しようぜ」
このまま負けっぱなしなのは癪だ。
負けず嫌いを舐めるなよ。
俺が闘志を燃やすと、アレクは二つ返事で頷いた。
「ふむ、受けて立つのじゃ」
◆◆◆
16戦目。
イザベルとの連携もないため、更に不利になった。
自然とこちらも長考が増えてしまう。
何とか一回、こいつに泡を吹かせてやりたい。
燃えろ俺のボードゲーム魂。
俺が熟慮していると、アレクがポツリと呟いた。
「しかし、改めて思うと――あれじゃな」
「ん?」
先程までと声調が違う。
俺は反射的に反応してしまう。
「汝は不思議な奴じゃの」
「不思議ちゃんになった覚えはないぞ」
不思議系とドジっ子系はどうも苦手でな。
俺が茶化すと、アレクはすぅっと目を細めた。
あ、これは冗談を言っちゃいけない雰囲気だ。
「真面目に聞いてくれないと困るのじゃ」
「わ、悪かった」
思わず正座してしまう。
アレクがそんなことを言うなんて珍しいな。
しかも、少しすねたような態度だ。
普段はあまり見られない姿に、少し心臓が跳ねてしまう。
これがアレか、深夜のテンションというやつか。
俺もあったよ。
誰に贈るアテもないラブソングを作詞して、
翌朝に仏のような面持ちで消した記憶が。
あれを他人に見られてたら、俺の前世の寿命は更に短かったと思う。
「えと、その……なんじゃ。
むぅ、なんと言えばいいのやら……」
言葉選びに難儀しているのだろうか。
アレクはしばらく唸っていた。
しかし、一つ咳払いをして、神妙に訊いてくる。
「汝は、我輩が怖くないのか?」
「いや、全然」
俺は即答した。
質問の真意がよくわからんぞ。
俺がどんな答えを返すと思ってたんだか。
そりゃあさ。
お前が筋骨隆々の格闘家みたいな風貌だったら、
俺も全力で土下座してたかもしれないけど。
幼女じみた外見もさることながら、特段危害を加えてくることはないし。
話も通じるから、精神的な恐怖もないな。
俺がそのことを態度で示すと、アレクはしみじみと呟いた。
「やはり汝は、今まで出会った者とは違うのじゃな……」
彼女は対面に座る俺に、柔らかく微笑んできた。
しかしその眼の光は、ひどく寂しく感じる。
アレクと眼があった瞬間、胸がチクリと痛んだ。
「少し……我輩の昔のことを聞いてくれるか?」
「なんだよ、急に。別にいいけど」
卑怯な真似を。
そんな眼をされては、断れるはずがないだろう。
アレクが自分の過去を話すのは珍しいし。
いい機会だ。俺は耳を傾ける。
「我輩は大陸の四賢・アレクサンディア。
確かに、紛うことなき英雄じゃ。否定もせぬし謙遜もせぬ」
いきなり自己紹介か。
面白いことをしてくるじゃないか。
謙虚さの欠片も見えない所が、アレクらしくて非常に良い。
お前を含む大陸の四賢は、王国で大人気だしな。
なんたって、建国者が四賢の一人だったんだから。
他の国ならともかく、王国近辺では神のように扱われる。
「じゃが、それはあくまでも大陸の四賢として尊敬していただけ。
実際に我輩と会った者は、みんな我輩を嫌悪し、離れていったのじゃ」
アレクは淡々と話していく。
しかし、その表情はどこか儚く、自嘲的だった。
今までに自分と出会った人のことを――
そして離れていった人のことを――
一つ一つ思い出しているのだろうか。
少し間を置いて、アレクは言った。
「すぐに我輩は悟ったのじゃ。
人々が求めていたのは『我輩』などではなく、
邪神を封印した『英雄アレクサンディア』という存在だったのじゃと」
そういえば……。
俺がアレクと一緒にいた時でも、そういったことはあった。
町の人も、学院の生徒も、リムリスも、そして国王も――
アレクを単なる『英雄』として扱っていた。
「誰も我輩という存在を見てくれぬ。
見てくれたとしても、傲慢にして横暴な我輩を恐れ、一瞬で離れていく。
終戦から500年――気づけば、我輩の横には誰もいなくなってしまったのじゃ」
それが、アレクが孤独になった経緯。
身近に思える人が、誰一人いないという状態への軌跡。
それを聞いていると、心が苦しくなった。
一人の寂しさは――俺も少なからず理解できたからだ。
「もちろん、中には接近してくる者もいたのじゃぞ?
ただ、そういう輩は、みな我輩の威勢を借りようとする者ばかりじゃった」
例えば、大陸の四賢として国に力を貸してくれという要求。
例えば、名声を商売の道具にして、一緒に仕事をしろという要求。
例えば、対立貴族を消したいから手伝ってくれという要求。
そこに個人としての交流はなく、
あったのは冷たい利害関係の交差だけだったらしい。
誠意を持って近づいてきた者も、アレクの気難しさを嫌って離れた。
彼女が有している圧倒的な魔力を恐れ、心を開かぬまま疎遠になった。
本当の意味で、アレクは孤独だったのだ。
――でも、それでも、例外はあったはずだろ?
「シャディベルガは……親父はどうなんだ?」
シャディベルガはアレクとも比較的仲が良かったはずだ。
俺がアレクに出会ったのも、元々はシャディベルガのツテなんだから。
それに、彼は利益を求めて人に近づいたりはしない。
しかし、アレクは黙って首を横に振った。
「確かにシャディとは少なからず交流はあった。
しかし、それも奴が若かった時だけの話じゃ」
シャディベルガの若い頃。
学院に下働きに出ていた彼は、そこでアレクに出会った。
そこから……気のおけない友人になったんじゃないのか?
「シャディは当時から、我輩への怯えが隠せておらんかったからな。
知人以上の付き合いはせず、用のある時だけ我輩が伺う形じゃった」
確かに、心当たりはあった。
シャディベルガはアレクと話している時、少し張り詰めた顔をしていた。
昔からの知己であるはずなのに、警戒心が抜けていなかったのだ。
「ま、そこは我輩が悪いんじゃと思うぞ。
シャディが怯えてしまうのは無理もないのじゃ」
あのシャディベルガでさえ……アレクを無意識に恐れてしまっていた。
大事な知人ではあるが、親密な友人ではない、ということか。
もっとも、シャディベルガに悪気はない。
彼はアレクと会うのを嫌がらず、むしろ歓迎しているのだから。
ただ、防衛本能を刺激するアレクを、
根本的に恐れてしまっているのだろう。
小さく息を吐いて、アレクは弱々しい笑みを浮かべる。
「じゃから――本当に、汝が初めてじゃよ。
こんなにも難のある我輩と、対等に接してくれたのは」
そこに、いつもの皮肉じみた感情はなかった。
ただひたすらに、俺に感謝の念を向けていたのだ。
今まで彼女は、そういうことを何回も口にしてたけど。
俺を気遣うための、単なる世辞だと思っていた。
「いや……そこまで言うほどじゃ――」
そんなに大仰なことか?
思い出してみろよ。
俺はお前のために、何もしてやれてないぞ。
だって俺はただ――
アレクと出会って、当たり前のように過ごしてきただけじゃないか。
何も特別なことなんてしてない。
学院への推薦役として出会って、
学院で色々と修行をつけてもらって、
峡谷に来てからも一緒に馬鹿なことをやって――
何も難しいことは考えず、
普通に接してきただけじゃないか。
だけど、ひょっとして。
――アレクにとっては、それすらも初めてのことだったのか?
俺は言葉を飲み込んだ。
なんて因果だ。
こんなにも強くて、長く生きてて、
色んな経験をしているように見えたアレクが。
これ程までに、隔絶された過去を送っていたなんて。
話を聞いていて、俺も胸が苦しくなった。
「今まで、ずーっと一人じゃったからのぉ。
我輩もどうすれば良いか分からんかったのじゃ」
アレクは力なく笑う。
その笑顔は儚く、強がりにしか見えなかった。
彼女は駒を動かす手を止め、俺に告げてくる。
「じゃから、我輩に気兼ねなく話してくれる汝は、本当に好きじゃぞ」
「そ、そうか……」
ストレートに言われてしまい、言葉を詰まらせてしまう。
いかんな、どうも意味を都合よく解釈しすぎてしまう。
俺が自省していると、アレクが言いづらそうに呟いた。
「じゃが我輩も、つい悪態を突いてしまったり、手が出てしまうこともある」
おお、自覚していたのか。
アレクの生来の気性だからな。
まあ、分からないはずもないか。
「我輩も汝の前では極力止めようと思っておるのじゃが。
それでも、我慢しきれずについ暴発してしまう。
そういう時――やはり我輩を恨むことがあるじゃろう」
「いいや、全く?」
力強く言い切った。
すると、アレクがポカンとした表情になる。
「……え?」
「そりゃあ、殴られるのは嫌だけどさ。痛いし。
でも、そんなことでいちいち恨んだりしないよ」
些細な毒舌や暴力程度でキレてたら、俺の前世はどうなるんだよ。
憤怒の化身じゃないか。
何度「働けニート」と言われて回し蹴りを喰らったことか。
しかし、アレクとしてはまだ懸念材料があるようだ。
「じゃ、じゃが。我輩が怖かったりせんのか?
力の使い方を誤れば、汝を消滅させてしまうかもしれんのじゃぞ」
「消滅させるつもりなのか?」
「い、いや……可能性を言っておるだけじゃ」
「じゃあ、気にすることないだろ」
そんな下らないことで悩んでいたのか。
だいたい、臆病な俺が安心して一緒にいるんだ。
最初から信用してるに決まってる。
楽観的に考えろ、楽観的に。
俺は一つ咳払いして、アレクに語りかけた。
「それに……俺は凶暴な所も、調子に乗りがちな所も含めて――」
一瞬、恥ずかしさが先行して、言葉が詰まりかけた。
しかし、本心を偽る気はない。
この間、墓場で言ったように、俺は言い切ってやった。
「アレクのことが好きなんだからな」
そう言うと、アレクはホッとした笑みを浮かべた。
憑き物が落ちたかのような爽やかさが戻る。
「そう……なの、じゃな」
胸のつっかえが取れた様子だ。
アレクは上目遣いで、コクリと頷いた。
どうやら、暴力的な行為をずいぶんと気にしていたようだな。
はは、可愛いところもあるじゃないか。
そりゃあ俺も、見知らぬ野郎に足蹴にされたら怒るよ。
ピザ配達テロを敢行する所存だ。
でも、アレクに蹴られたくらいじゃ、負の感情は芽生えないな。
むしろ真摯な紳士としては、幼女の蹴りには高評価を付けざるをえない。
「俺の前では、遠慮なんかするな。
別に手や足を出してもいい。いつものアレクでいてくれよ」
「……分かったのじゃ」
よしよし、聞き分けがいいな。
だが、やられっぱなしは俺の趣味ではない。
俺は指を立てて、今の話に追加する。
「ただし――攻撃してきた時は、俺も全力で反撃するからな」
「の、望むところじゃ! どんどん殴り返してくるが良い」
俺はどこかのボクサーか。
お前とスパーリングなんかしたら、2秒でボロ雑巾になるわ。
セコンドがタオル投げ込む前に絶命するぞ。
まあ、アレクの沈んでいたテンションが回復したことだし。
良い提案だったな。
「あと、俺からも一ついいか?」
「何じゃ?」
腹を割って話せるいい機会だ。
俺もアレクに言っておきたいことがある。
「お前、よく俺を戦力外のお荷物として扱うけど。
俺だって、いつまでも守られてばかりじゃないんだぞ。
もっと頼ってくれよ」
「雑用がしたいのか?」
「そういう意味じゃない。戦闘的な意味での話だ」
こいつはいつも一人で戦おうとするからな。
彼女の実力があれば問題ないんだろうが、俺としては不安が残る。
「阿呆、汝などひよっこもいいところじゃ。
汝に頼るくらいなら己の力に頼るわ」
「いや、どうしても誰かの力が必要な時もあるだろ?」
「ない」
即答かよ。
頭で考えるより先に断言したな。
そうやって何でも自分の力でやろうとするから、一人になるんだって。
俺の昔を見てみろ。
誰かがそばにいてくれないと何もできんぞ。
料理もできない。
掃除もできない。
ついでに友だちもできない。
見事なダメ人間だ。
ウォーキンスが親身になって作法を叩き込んでくれなければ、
自己管理能力すら形成することができなかっただろう。
本当に、ウォーキンスには感謝の念が絶えない。
まあ、俺の場合は極論だから置いておくとして。
「もしあったらの話だよ
確かに、俺もまだまだ未熟だけどさ。
お前の助けになれるよう、色々頑張ってるつもりなんだぞ」
「ほぉー?」
半信半疑、と言った様子だ。
しかし、すぐに普段から修行に打ち込む俺の姿を思い出したのか、
アレクは小さく「ふむ」と頷いた。
俺は確認のために、もう一度言っておく。
「ありえないと思うけど。
どうしても助けが欲しい時は――まず最初に俺を頼ってくれよ」
「……そうじゃな。
ありえないということを前提にした上で、汝に頼んでやるのじゃ。
心して返答せよ」
その言葉が聞きたかった。
アレクは一つ咳払いをして、俺に訊いてくる。
「レジスよ。もし我輩が窮地に陥った時は、助けてくれるか?」
「――当たり前だ。任せとけ!」
俺は今持てる最大の力で頷いた。
誰かに頼られることの喜びが、じんわりと広がる。
たとえそれが形式上のものだとしても、これ以上なく嬉しかった。
安心しろ。
俺は約束は違えない。
たとえ冗談の中で言ったことでも、何かを決めたら必ず守ってみせる。
前世の失敗は、もう二度と繰り返したくないからな。
よし、湿っぽい会話はこれで終わりだ。
俺は満足気に首肯し、駒を動かした。
「いい感じに話がまとまってきた所で何だが――詰みだ」
「は……?」
アレクが気の抜けたような声を出す。
なにげに今の呆けた声は貴重だったな。
録音しとけばよかった。
「盤面をよく見てみろよ」
まさか、対局していたことを忘れたわけじゃなかろうな。
アレクは慌てて盤を見つめた。
そこには、勝敗の決した様相が広がっていた。
俺の駒が、アレクの大将を完全に追い詰めていたのだ。
「な……いつの間に!」
「お前が自分語りしてる時にこっそりと」
「ぐ、ぐぬぬ……姑息な真似を!」
「なぁに、勝てばいいのさ。今は悪魔が微笑む時代なんだぜ」
くく、見事に足をすくってくれたわ。
得も言えぬ充実感が湧いてくる。
まあ、相談中に隙を突くという鬼畜な手法での勝利だけどな。
どんな達人でも、心ここにあらずな状態であれば敗北は必至。
いついかなる時でも、油断は禁物というわけだ。
「よし――ちょっと眠くなった。俺は寝るぞ」
俺は腰を上げた。
当然、アレクが不満気な顔をする。
「……むぅ、勝ち逃げとは」
「これ以上やったら絶対負けるからな」
もはやアレクも二度と気を緩めてはくれまい。
勝てない勝負は基本避ける主義なんでな。
眠気もピークになったところだし。
仮眠を取らせてもらうとしよう。
しかし、ここで一つの問題が浮上する。
「布団が二人分しかないじゃないか……」
片方はイザベルが使ってるし。
どうしたものか。
「我輩の布団で寝れば良かろう」
「アレクは?」
「別に眠くないのじゃ。気にするでない」
こいつ、本当に一夜を明かすつもりか。
絶対消耗するって。
でも、言ったところで聞き入れるとは思えない。
一言釘を刺すだけにしておくか。
「じゃあ、お言葉に甘えて……でも、お前も極力休めよ」
「うむ、もちろんじゃ」
あくびをしながら頷くアレク。
どこが眠くないんだか。
俺はもう一組の布団を敷き、寝っ転がった。
しかし、そこであることに気づく。
「アレク。枕がないんだが……」
「こんなこともあろうかと。しっかり燃やしておいたのじゃ」
「どんなことを見越して焼却処分したんだよ……」
勝手に屋敷の備品を燃やすんじゃない。
ジャックルに怒られても知らんぞ。
俺がげんなりしているのと反対に、アレクは妙に嬉しそうだ。
「仕方ないのぉ、これは困ったのぉ。
……ややっ、そういえば我輩には膝があった。これは偶然」
お前の場合、偶然でもなんでもないだろ。
まさかこんな機運があるとは、みたいな顔をするな腹立つ。
アレクは俺の枕元に座ると、俺の肩をクイクイ引っ張ってきた。
「首が疲れるじゃろ。我輩の膝を貸してやるのじゃ」
「いや、いいよ。なんか悪いし」
「遠慮するでない。我輩も膝が寒いと思っておったところじゃ」
「寒いなら服を着ろ」
そのローブ、派手なだけで防寒性は全くなさそうだからな。
中にスパッツ的な服でもつければいいのに。
と思ったが、こいつは露出癖のある変人だったか。
だめじゃん。
「ほれ、早く早く」
「……分かったよ」
俺は恐る恐る、アレクの膝に頭を乗せる。
細い太ももだ。
やはり、幼女の粋から完全には出きっていない。
後ろ暗い背徳感を感じながら、俺は全身の力を抜いた。
「…………」
俺を見下げるアレクと目が合ってしまった。
気恥ずかしさを感じ、目をそらす。
俺の反応に、アレクはクスクスと笑った。
そして、追い打ちをかけるように提案してくる。
「寝れぬようじゃったら、子守唄でも歌ってやろうか?」
「子供扱いするなよ……」
羞恥心で余計に眠れなくなるわ。
文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、睡魔には勝てない。
アレクの太ももの心地よさもあり、すぐに意識が遠のいていった――
俺がもう寝たと思ったのだろう。
しばらくして、アレクがクスクスと笑いながら呟いた。
「……まったく、可愛いやつじゃ」
今にも休眠しようとしていた聴覚が、彼女の声を拾う。
彼女は俺の髪を手荒く撫でながら、独り言を呟いた。
こいつ……男に向かって可愛いとは何事だ。
「本当は、感謝しておるのじゃぞ」
幻聴、か……?
アレクがそんなことを言うなんて。
しかし、考察する力が、もう残っていなかった。
「面と向かって、感謝の言葉すら言えぬ我輩を……許してくれ」
眠い。
ひたすらに、眠気が全てを凌駕する。
しかしそんな中でも、アレクの声だけは、はっきりと聞き取れた。
彼女は俺の耳元で、優しく囁いてくる。
「我輩のような、偏屈な半端者と一緒にいてくれて……ありがとう」
少し、涙声になっていたように思う。
アレクの真意の言葉だったのかもしれない。
それは、俺が言いたいことだというのに。
何か言おうとしたが、声が出ない。
ふと、彼女は慌てて俺の耳元から顔を離した。
眼を開けたら、彼女はどんな表情をしているんだろう。
確認したかったが、瞼が重くて微動だにしなかった。
覚醒していた神経が、ゆっくりと睡眠の渦に巻き込まれる。
完全に意識が飛ぶ寸前――
「……安心するのじゃ」
額に柔らかい感触。
アレクが顔を近づけて、何かをしたのか。
彼女の金砂のような髪が、俺の首に触れた。
「たとえ、どのような敵が来ようとも――」
ここで、すべての感覚が途切れる。
温かく柔らかい感触が、額から離れた後――
夢心地の中で、俺は少女の決意のような声を聞いた。
「汝は――我輩が守る」