第三話 偵察と遊戯
地獄の渓流下りが終わった後。
さすがに疲れたのだろう。
アレクとイザベルは離れの屋敷で休んでいた。
しかし、どちらが先にゴールしたかを未だに言い争っている。
痛む頭をさすりながらの熱弁は、見ていて涙が出そうだった。
そっちに意識が集中してたせいか、二人の包帯の巻き方は非常に適当だったし。
仕方なく俺が代わりに処置してやったのだが――
「あだだっ! もう少し優しく巻くのじゃ!」
「うう……まさかあんな所に倒木があるとは」
と、それぞれ感謝の言葉もあったものじゃなかった。
不機嫌極まりない。
どれだけ勝ちたかったのだろうか。
終いには、目を輝かせ、声を揃えて質問をしてきた。
「それで、どちらの教え方が上手かった?」
その問いに対し、俺は当り障りのない返答をした。
波風立てないための安牌な返事である。
まあ、本音を言うと、二人には感謝の念が尽きないんだけどな。
そこに順位を付けることなんてできない。
おかげでアグレッシブに泳げるようになったのだ。
もし水中戦に臨んでも、それなりに動けそうである。
非常に良い経験になった。
そして現在。
俺はアレクやイザベルが宿泊している屋敷でくつろいでいた。
さすがに俺も疲れてしまった。
日は完全に暮れ、あと少しで深夜に突入しそうな時間帯だ。
アレクは浴場へ行っており、イザベルは大屋敷でジャックル達と会議をしている。
そんな折、一人の少女が俺に声を掛けてきた。
セシルだ。
パジャマ姿で、非常に眠そうな顔をしている。
こんな夜更けに幼女と二人きりになってしまうとは。
非常に犯罪的な絵だな。
しかし、セシルの表情はどこか浮かない。
彼女はジト目で俺を見上げてきていた。
「レジスお兄ちゃん……意地悪です」
「は?」
いきなり意地悪と言われても。
心当たりがありすぎて困る。
「爺様から、川で泳いだと聞きました。
セシルも参加したかったです」
「そうか……約束してたもんな」
なるほど。
今日の水泳授業について言及しているのか。
ジャックルめ、一体どんな伝え方をしたんだ。
俺は遊んでいたわけじゃないんだぞ。
むしろ、水が嫌いになってもおかしくないレベルの苦行だった。
しかし、セシルからすれば、
俺が約束を反故にしたように見えるのだろう。
ここは素直に謝っておくか。
「悪い、忘れてたわけじゃないんだ。
でも、俺にも色々と事情があってな」
「事情、ですか」
「……ああ。過去に類を見ないほど、深刻極まりないことだったんだ。
くっ、まさかあんなことが起きるなんて……」
俺は物々しい口調で告げた。
すると、セシルが『あわわわ』と焦り始める。
なにこれ可愛い。
先ほどとは打って変わって、彼女は心底申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「そ、そうだったのですか……無理を言ってごめんなさい」
ジワリ、と目にうっすらと涙を浮かべている。
いかん、こんな所を見られたら間違いなく殺られる。
急に罪悪感が湧いてきた。
「いやいや、謝るのはこっちだって!」
慌てて否定する。
うぅむ……どうも素直な子の相手は苦手だ。
子供との付き合いなんて、ほとんどなかったからな。
前世では比較的、ワンパク坊主たちと交流があったっけ。
週末の夕暮れ、公園でラジコンレースを繰り広げたものだ。
俺が改造ラジコンカーで無双したら、飛び蹴りが飛んできたからな。
あれくらいアグレッシブで反抗的な方が、むしろ扱いやすいのだが。
セシルは温厚無垢だからな。
対策タイプにはない。
とりあえず冗談少なめに接するとしよう。
「でも、次は一緒に泳ごうな」
「はい! 今度こそ、楽しみにしています!」
楽しみにされてしまった。
今はやることが多すぎて難しいけども。
全部終わったら、バカンスに出かけてみるのもいいかもしれないな。
ただ、セシルの警戒心に少し苦言を呈したい。
「でもなセシル。安易に男の人を川だのプールだのに誘っちゃダメだぞ」
「どうしてですか……?」
「世の中には色んな人がいるんだ。
セシルみたいな年齢の女の子を見て、いやらしい気持ちになる輩だっている」
前世にもわんさかいたぞ。
俺もよく間違われたしな。
コミックL○を買った帰りに職質されたのは良い思い出だ。
俺の説法を聞いて、セシルが驚いたように飛び上がった。
「そ、そんな人がいるのですか! 危険です!」
「いや、妄想に留めておくなら何も悪くないと思うんだけどな」
「――きッ、危険です!」
「セシルの言うとおりだ。許せない話だよな」
2秒で前言撤回とは、我ながら情けない。
涙目で主張されたらさすがに言い返せないって。
前世の部屋を検閲されたら、俺こそが許されない存在になりそうだ。
でも、あれはセーフだから。
ゲーム中に出てきてた女の子、全員18歳以上だったから。
ランドセル背負った20歳とか、一部の業界では珍しくないわけだし。
もっとも俺の場合、実際の女の子となると話は別だ。
幼い少女を見て、不埒な気持ちにはなったりはしない。
それなりに成長した女性が好ましかったりする。
しかし今思うと、人に見せられないもので棚が埋まってたな。
俺の通夜は、さぞ凍りついたに違いない。
遺品整理したら、死にたくなるようなものが大量だよ。
もっとも、本当に死にたくなるのは整理してる側だろうけど。
「まあ、世の中は危険に満ちてるから。気をつけるんだぞ」
「はい、分かりました!」
「良い返事だ」
この素直さが、セシルの愛くるしさに直結してるんだろうな。
ジャックルが過保護になるのも分かる気がする。
セシルがあくびをしたところで、俺は話を切り上げた。
「もう夜遅いから、寝たほうがいいぞ」
「そうですね。それではお先に――」
グーッと背伸びをして目をこするセシル。
相変わらず庇護欲をダイレクトで揺さぶってくるな。
彼女は甘えるように俺の右腰に額をこすりつけてきた。
親愛の体液、という言葉が一瞬脳裏をよぎる。
しかし、セシルはしばらくして俺から離れた。
なんだ、単に甘えてきただけか。
「おやすみなさい、レジスお兄ちゃん」
そう言って、セシルは大屋敷へ戻っていった。
よかったよかった。
親愛の体液を付与されたら修羅場になるからな。
ジャックルに知れて、大槍が飛んでくるのは避けたい。
俺が無駄に頷いていると、背後から声が飛んできた。
「まったく。疲れておるというのに……声が耳に響いて敵わんのじゃ」
アレクが不機嫌そうに部屋へ入ってきた。
帰っていくセシルの後ろ姿を見て、面倒臭そうな顔をする。
風呂上がりなのか、湯気が身体から立ち上っていた。
無茶苦茶な巻き方をしたのか、包帯が荒ぶっていた。
どこのマミーだお前は。
「アレク、包帯ほどけてるぞ」
「む? あー……まだ付けておったか。こんなものは必要ない」
そう言って、アレクは包帯を取っ払ってしまう。
額を軽く切っていたように思うが、跡形もなく傷が消えていた。
「……回復早過ぎないか?」
「鬱陶しい魔力が、身体を『元の状態』に戻そうとするからのぉ」
鬱陶しい魔力。
邪神から呪いで付与された魔力のことを言っているのだろう。
前々から常人でない回復速度だと思ってたけど。
そういう理由もあったのか。
「傷の治りが早いのが、唯一の利点じゃな。
代わり映えしない己に気が滅入るがの」
「そう聞くと、羨ましいとは思えないな……」
500年以上同じ姿にとどまってたら、そりゃあ見飽きるよな。
俺はかつて200日以上、同じチェック柄の服を着て外出したことがあるけど。
まったくもって、何も良いことなんてなかったからな。
コンビニの店員から『立ち読みチェック野郎』というアダ名を頂いただけだった。
今では反省すべきところもある。
アレクは窓から大屋敷を眺めた。
「しかし、偵察はまだ戻って来ぬのか」
「いや、もう帰ってきてるらしい。
イザベルが話を聞きに行ってるよ」
峡谷全体を見まわっていたエルフが、ついさっき帰還した。
色々と報告事項があるらしく、未だに会議が続いている。
人間がいると邪魔になりそうだったので、俺はここで待機していた。
「では、イザベルが戻るまで休んでおくとするかの」
「だな」
ふぅ、とアレクは息を吐いて横になる。
その表情には、どこか疲れが見て取れた。
恐らく、探知魔法の範囲を拡大させているのだろう。
墓場の一件があった後、彼女はさらに注意を払うようになった。
訊いても受け流されてしまうのだが、確実に何かを警戒している様子だ。
少しは――魔力も使わず休息を取って欲しいんだけどな。
俺は肩をすくめ、イザベルが戻るのを待ったのだった。
◆◆◆
結果から言おう。
ものすごく待たされた。
多分、軽く0時を突破した頃だと思う。
イザベルがあくびをしながら、こちらの屋敷に入ってきた。
「おっそいのぉ……何をそんなに話すことがあるんじゃ。
貴族の小娘が談笑しとるわけでもあるまいし」
「話をまとめるのに時間がかかったんだよ。
自分は休んでおきながら、偉そうに」
「なんじゃとぉ?」
いかん。
二人とも疲労の蓄積で凄まじくイライラしてる。
午前中にあれだけ川で暴れておいて、よく争う気力が残ってるな。
俺はヘトヘトで、今にも眠りの大海原へダイブしそうだというのに。
「落ち着けって。
イザベル、聞いてきてくれてありがとう」
「いいよ。峡谷とレジスのためだもん」
イザベルは嬉しそうにはにかむ。
アレクは未だに釈然としない表情だった。
仕方ない、俺は申し訳なさそうに言う。
「アレクも、俺のために気を使わせてごめんな」
「……ふん、言ったじゃろう。
我輩の探知魔法は自衛のため。
別に汝のために使っておるわけではない」
そう言って、アレクも対抗意識を消す。
反応に差異はあるものの、何とか矛を収めてくれた。
俺は一つ咳払いして、改めてイザベルに詳細を聞く。
「で、どうだった?」
「それが……ちょっとおかしなことになっててね」
「おかしなこと?」
やはり何か動きがあったのか。
イザベルの言葉に、アレクがピクリと反応する。
「具体的に話すがよい」
「うん、えーとね。何て言えばいいのか分からないけど……」
ずいぶんと言葉選びに難儀しているようだ。
そんなに摩訶不思議なことが発生したのだろうか。
少し思考した後、イザベルは端的に言った。
「なんでも――帝国兵が消えたらしいんだ。
峡谷の中にもいなくて、外から見る限り、砦も無人だったらしいよ」
消えた、と聞くと妙な話だが。
要するに、兵を引き上げさせたってことかな。
これ以上の調達が無理になったのか。
それとも他の理由があったのか。
「安全圏に生えてる野草や材木を、全部採り尽くしたとか?」
「それはないと思うよ。あの辺りは無尽蔵に野草が生えてるから」
「うむ。こんな短期間で丸坊主にするのは不可能じゃな」
となると、他の要因が考えられるな。
帝国の他所で兵力が必要にでもなったのか。
推測しかできないのが歯がゆい。
俺が首をひねっていると、イザベルが続きを切り出した。
「もう一つ、妙なことがあってね。
見張りが帝国兵から目を離したのは、ほんの数分の間だったんだ。
引き継ぎと交代する一瞬だね」
「その短時間で、気付かれずに忽然と消えたってことか?」
なるほど、そりゃ不可解だ。
お得意の転移魔法で帰還した可能性もあるけど。
あれは魔法陣が出現するから、使用したら流石にエルフが気づくだろう。
「聞けば聞くほど、おかしな話だな」
「うん。不思議なんだよね……」
草がまだいっぱい生えているのに、突然の撤退。
それも、警戒していたエルフに気づかれることもなく、一瞬でだ。
そんなことが可能なのだろうか。
額に手を当てて考えていると、ふと隣のアレクに目が行った。
彼女は目をつむったまま黙っている。
「…………」
少し、深刻な表情だった。
一抹の胸騒ぎを覚えてしまう。
「どうした? アレク」
「……いや、何でもないのじゃ。気のせいじゃろ」
アレクはふぅっと息を吐く。
なんだ、気になるじゃないか。
しかし、訊いても答えてくれそうにない。
「とにかく、翌朝にまた様子を見てみよう。
今も峡谷の入口付近には見張りが付いているから」
「昼夜問わずか……大変だな」
エルフたちの士気の高さには本当に恐れ入る。
「いよっ、さすが意識高い系エルフ」と今度呼びかけてみようか。
冗談でも剣を抜かれそうだし、やめておくか。
「我輩も今夜は寝れる気がせぬ。
めんどくさいが、起きておくかの」
「おいおい、寝とけよ。体力持たないぞ」
頼むからこれ以上、頑張ろうとしてくれるな。
しかし、アレクは全然眠ろうとしない。
それどころか、俺に注文をつけてくる。
「汝は寝ていて良いぞ。
ただし、今日は我輩の部屋で寝るのじゃ」
「…………」
一瞬、言葉を疑った。
次に、心臓がマシンガンを浴びたように拍動した。
しかしアレクはあっさりと続ける。
「何じゃその顔は。他意はない」
「私には他意しか感じられないんだけどね」
「それは汝の心が薄汚れておるからじゃ」
イザベルは、アレクの提案が承知できないものであるようだ。
しかしアレクは相手にしない。
彼女はイザベルの反対を無視して、俺に再度確認してきた。
「まあ、真面目な話。レジスよ、我輩の側にいるのじゃ」
「俺は構わないけど……」
そこまで言うなら、なにか理由があるのだろう。
ここで断って心労を掛けたくない。
素直に聞いておくとしよう。
「じゃあ、私もここにいるね」
イザベルがニコニコした表情で提言してきた。
この折衷案で勘弁してやろう、と言いたげだ。
そんな彼女に、アレクはストレートな罵倒を飛ばす。
「消えよ、じゃじゃ馬」
「断る。テコでも動くもんか」
二人は無言で睨み合う。
しかし、イザベルが引かない様子を見て、アレクはため息を吐いた。
「はぁ……好きにせよ。
まったく、面倒じゃの。いらん輩がひっついて来るとは」
どうやら話はまとまったらしい。
しかし決着点は、微妙な折衷案になった。
アレクとしては不満らしく、イザベルとしても不服であるようだ。
両者とも凄まじいプレッシャーで互いを牽制している。
「…………」
ちょっと待ってよ。
こんな張り詰めた状態で一夜を明かすの?
俺の胃が開通記念セールへ一直線だよ。
さすがにシャレにならない。
「なにか、暇つぶしになる物ないか?」
こんな空気に耐えられるほど強心臓じゃない。
俺が提案すると、アレクが気遣うように言ってきた。
「汝はもう寝た方が良いぞ。
鍛錬の疲れが取れておらんじゃろう」
「平気だ。なんか知らんが、今日は目が冴えててな」
もちろん嘘である。
もう脳が半分寝ている状態だ。
しかし、完徹しようとするアレクを置いて、俺だけ爆睡するのは忍びない。
「ふむ……では、ボードゲームでもするか?」
ほう、そんなのがあるのか。
言っておくが俺、人生ゲームは超強いぞ。
一人で延々とやってたからな。
銀行役すらこなせる俺に、弱点などない。
アレクが懐から取り出したのは、いつのものか分からない古紙。
マス目が振ってあり、盤面であることが分かる。
次に紙の駒を取り出し、アレクは淡々と並べていく。
将棋みたいなゲームなのか。
……って、これまさか。
エドガーと学院でやってたやつか。
嫌な予感しかしないな。
「俺、駒の動かし方とか分からないんだけど」
「ま、やる内に覚えるじゃろ」
「面白そう。私もやってみていい?」
興味を持ったイザベルが、目を輝かせて訊いてきた。
俺が快諾しようとした直前――アレクが意地悪そうに微笑んだ。
「おやー? エルフの姫様が何を言っておるんじゃろうな。
これは人間が生み出した遊戯じゃというのに」
「……うっ」
「一族の姫たる者が、かようなものに手を染めようなど。
他のエルフが聞いたら怒るのではないか? ん?」
「……う、うぅ」
大人げない……。
人を煽らせたら天下一品だよ。
イザベルは言葉を詰まらせていたが、苦しげに開き直った。
「に、人間に罪はあっても、遊戯に罪はないからね」
「……ふん、戯言を。参加したいなら勝手にするが良い」
思ったよりあっさり受け入れたな。実に珍しい。
案外、イザベルには寛容に努めようとしているのかもしれない。
と思ったが、どうも裏があるっぽいな。
「クク、二人がかりで掛かってくるが良い」
「……おいおい、ずいぶんなハンデだな」
というかまず、3人以上でもできるゲームなのか。
駒のセット数を見るに、どうやら4人まで同時に遊べるようだ。
タッグを組んで一人を狙うこともできるわけか。奥が深いな。
友情破壊ゲームの匂いがプンプンしやがる。
「圧勝してもなんじゃしの。
なんなら、追加で手加減してやってもよいぞ」
「いらん。手を抜かずに来いよ」
「同感だね。負けた時の言い訳にされたら嫌だもん」
俺とイザベルは意気揚々と宣戦布告する。
イザベルはどうか知らんが、俺には絶対の自信があった。
一人オセロに詰め将棋、一人チェスに一人囲碁。
思えば前世では、暇に任せて色々な盤上勝負をやっていたものだ。
ことボードゲームにおいては、本気で負ける気がしない。
時代が違えば棋聖や碁聖と呼ばれていた自信がある。
現代の本因坊とは俺のことよ。
勝利を確認した俺を見て、アレクは邪悪に笑ったのだった。
「クク、では始めるのじゃ――」