第一話 教えてイザベル先生
【今までのあらすじ】
(必要なければ、飛ばして本編にお進みください)
主人公・レジスは母親の病気を治そうとしていた。
そのためには『竜神の匙』と『エルフの妙薬』が必要なのである。
レジスは学院において、竜神の匙を手に入れた。
残す所は――エルフの妙薬。
その秘宝があるエルフの峡谷に、アレクとイザベルを伴ってやってきた。
しかし、峡谷は『竜の襲撃』と『帝国兵による侵入』に苦しんでいた。
特に帝国による侵入被害は甚大で、
エルフの妙薬を作るには、帝国兵を追い払う必要があった。
峡谷入りした後、レジスは族長ジャックルの信用を得て、竜を討伐。
あとは帝国兵を追い払うだけとなった――
竜の討伐から一週間が過ぎた。
竜の脅威から解放され、峡谷も和やかになったと感じる。
穴だらけだった障壁も、完全に補修された。
ジャックルの苦労を知ったエルフ達が、我先にと手伝ったのだ。
エルフ以外の者を迷わせる結界で、俺達が峡谷に来た時はガバガバだったらしい。
しかし、今では富士の樹海を超越する迷宮になっている。
もう、半端ない。
間違って足を踏み入れたら、二度と出れないレベル。
俺が一人で下山を試みれば、白骨死体になるのは避けられまい。
対人間の仕掛けに加え、魔物に対しての障壁も補強された。
竜騒動の後、峡谷の脅威はほぼ取り除かれたわけだ。
あとは、一つだけ。
峡谷の入り口に陣取っている帝国兵を排除するだけだ。
そちらの問題を解決するため、エルフの偵察が連日監視している。
今の所、大きな動きはないらしい。
しかし、堅固に薬草の採集場を封鎖しているそうだ。
俺もエルフ達も、さっさと追い払いたいというのが本音である。
ただ、強攻策に出て全面戦争になるのは避けなければならない。
帝国はその気になれば、大量の兵力を投入できるからな。
あんな所とまともに戦うのは無茶だ。
あくまで慎重に、それでいて確実に。
動きがあれば、すぐにでも帝国兵を駆逐する所存だ。
エルフの妙薬の原料を確保するために。
セフィーナの病を、いよいよ治すために――
そして、現在。
俺は近くの小川にいた。
ここは峡谷の中でも、大水源が近い場所。
遠目にドワーフ鉱山が見えるほどに、国境に近い位置だ。
ここの小川で、俺はイザベルと共に水魔法の鍛錬をしていた。
アレクはと言えば、大樹の上であくびをしながら本を読んでいる。
時折チラチラと視線を寄越してくるので、鍛錬の確認でもしているのだろう。
「これが手頃かな」
イザベルが川岸にある石を指さした。
石といっても、俺の腰元くらいまである。
どっちかといえば岩か。
足の上に落ちれば救急搬送は免れまい。
高校時代の物理の授業を彷彿とさせるな。
あの時は実に痛かった。
鉄球が足の上に落ちてくるんだもの。
まあ、これからやるのは簡単な魔法の訓練だし。
怪我なんて負わないだろうけど。
「じゃあ、攻撃してみて」
「了解」
俺は岩をゆっくりと見定める。
息を整えて、イメージとポーズを構築した。
ガンファイアの構えで、手から水を放つ想像。
妄想力なら、常人を遥かに凌駕する自信があるのだ。
一発で成功させてやる。
「滴り落ちるは大海の雫。
清き水は破邪の弾丸。
いざ撃ち出でよ――『ガンウォーター』!」
【ガンウォーター】
よし、修得に成功。
軽微な痛みがこめかみに走ったが、全然問題ない。
指先から放たれた水弾が、岩に直撃する。
派手にギャリッ、という音が発生した。
岩の表面が削れ、水弾の形が跡になっている。
「初めてにしては、威力も申し分ないね」
「そうか……?」
正直、威力不足のような。
イザベルが同じ魔法を使うと、大岩を貫通するからな。
俺のは表面を削りとっただけだ。
まあ、そもそも俺は水魔法の初心者だし。
逆に水属性を得意とするエルフと比べるのが悪いんだろうけど。
「じゃ、次だね。
水魔法の中では、一番使い勝手のいい攻撃魔法だよ」
「水の性質を一番いじりやすいんだっけ?」
「うん。今回は水を極限まで硬化させてぶつけてみて」
イザベルの言っている水魔法。
その名もセーバースワッシュ。
目の前に巨大な水玉を召喚し、刃として撃ち出すことができる。
召喚する際、水の性質を大きく変えることも可能。
例えば、極限まで圧縮して凄まじい水圧を生み出したり。
粘着力を高くして、敵の動きを封じる刃を作ったりと。
上位魔法ではないが、水魔法の中ではダントツの使いやすさだ。
俺は再び岩へと視線を向ける。
右手を前に掲げ、渾身の詠唱を繰り出した。
「聖なる水刃は慚愧を切り裂く。
水の理で敵を打ち払え――『セーバースワッシュ』ッ!」
【セーバースワッシュ】
修得、発動に成功。
同時に、眼の奥に鋭い痛みが走った。
やはり慣れない属性を使うと反動も大きい。
凝縮された水が大気を震わせる。
離れた位置にある岩へ、水の刃が一直線に襲いかかった。
激しい火花が散る。
岩が耐久力の限界を迎え、激しく損傷した。
岩の中央付近まで鋭い亀裂が走っている。
勢いを失った大量の水が、地面に落ちた。
こっちは良い威力だな。
使いこなせれば、十分武器になりそうだ。
「飲み込みが早いね」
「学院にいた時から、一応は魔法書で練習してたからな」
水魔法に関しての書物も、いくつか学院に運び込んでいたのだ。
ラジアス家の反乱で、まとめて消し飛んでしまったがな。
地震で棚のエロ本が雪崩を起こすのより辛かった。
紛失した魔法書の内容をあらかた覚えていたのが、唯一の救いだ。
学院を出てからも欠かさず鍛錬は積んできたし。
熟練と適性は並以上に成長していると信じたい。
「うん、想像以上の出来だね。
攻撃型の水魔法はそんなところで良いと思うよ」
賞賛の言葉を頂いてしまった。
俺は卑屈な人間であるため、褒められると素直に嬉しくなる。
しかし、一つ気になることがあった。
「イザベルが使ってるような上位魔法を覚えるのは難しいのか?」
「うーん……」
イザベルが難しそうな顔をする。
気分を害してしまっただろうか。
私の珠玉の魔法を、お前のような水魔法童貞に使われてたまるか。
なんて思われてたらどうしよう。
「エルフ以外では覚えられない魔法も多いよ?
習得しても使いこなせないこともザラだし」
「その辺りは、種族の差か……」
種族によって、得意属性や苦手属性がはっきりしてるからな。
エルフは水魔法と風魔法が得意。
ただし火魔法が不得手。
ドワーフは土魔法が得意。
しかし水魔法が致命的に苦手。
ドラグーンは火魔法と雷魔法が得意。
しかし他種族に比べて燃費が悪く、長期戦に弱い。
と言った風に、一長一短の特徴がある。
それぞれ弱点をカバーするために躍起になっているのだとか。
「なんか、ジャンケンみたいだな」
「じゃんけん……?」
「あ、いや。なんでもない」
イザベルが首を傾げてしまった。
マジか、ジャンケンという概念がないのか。
兄弟間でドリンクの取り合いになった時とかどうするんだ。
便利な勝負方法がなかったら、殴り合いの闘争に発展しそうなんだけど。
少しカルチャーショックを覚えた。
まあ、俺の場合。
前世においても、ジャンケンの使い所はなかったけどな。
友達いなかったから。
妹と競合した時は、全部譲ってたし。
ただ一回、酔いを覚まそうとした時だったか。
冷蔵庫にあったドリンクを手当たり次第に飲みまくったことがあった。
その夜、親父が秘蔵してた酒がなくなったと大騒ぎになったっけ。
下手人が俺だとバレて、半殺しにされた記憶がある。
飲まれたくないものを冷蔵庫に入れておくなと。
まったく、嫌な思い出だ。
「いっぱい魔法を覚えてるからといって、強いわけじゃないし。
大切なのは何を覚えるかだよ」
「それは言えるな」
「戦略の幅が広がりそうな魔法を、選別して覚えるのが無難だね」
そうか、種族の壁があるなら仕方ない。
風魔法や水魔法でエルフに肉薄しようとするのは土台無理だ。
とはいえ、一応人間にも長所と言える点があるのだ。
それは――根本的な苦手属性を持たないということ。
どんな天才でも、ドワーフが水魔法を極めることはできない。
相当な熟練者でも、エルフが火魔法を一級レベルに使いこなすのは難しい。
ただ、大陸の四賢クラスになると話は違うらしいけど。
例外もあるが――種族によって、使える魔法に大幅な制限がかかるのだ。
その点、人間は個人的な苦手属性があったとしても、訓練で克服することができる。
可能性は無限大というわけだ。
「それじゃあ、次の魔法に行ってみよっか」
散らばった岩の欠片をどかし、イザベルが言う。
そして、俺を樹木の少ない川岸に手招きした。
空が開けた場所に出るということは――
「今回覚えてもらうのは、雨を降らせる水魔法だよ」
やっぱりそうか。
水属性の魔素を上空に放つことで、局地的に大雨を降らせる。
水魔法が得意とする気候変動だ。
遮蔽物が上にあると発動が難しいため、場所を移動したんだろう。
「エルフが集団戦闘で強いのは、こういった補助魔法があるからだね」
「人数集めたら、土砂災害や洪水を起こせるんだっけ。恐ろしいな……」
前世では陰で『存在土砂崩れ』『見た目が雨男』と呼ばれていたからな。
台風で窓が砕け散ったこともあったし。
自然災害の怖さは人一倍知っているつもりだ。
だからこそ言える。エルフに集団戦を挑んだらまず負けると。
まあ、エルフ達を体術でボコボコにする幼女もいるわけだが。
あれは例外にしておこう。
「そういえば、気候変動の水魔法なら既に一つ覚えてるぞ。
ベリアルシャワーってやつ」
「あー、うん……それね」
イザベルは歯切れ悪そうに頷く。
少し困惑している様子だ。
「何か欠陥でもあるのか?」
「うん。確かに気候変動系の魔法なんだけど。
燃費が悪いし持続性がないんだ。使い勝手の悪い下級魔法だね」
「そうなのか……」
でも、心当たりはあった。
炎鋼車と戦った時、ベリアルシャワーを使ったのだが。
少し雨が降り注いだだけで、一瞬で効果切れになったからな。
炎鋼車の機動力を奪った決定打は、エリックの引用魔法だったわけだし。
ベリアルシャワーはいまいち使えない印象がある。
「ちょうど上位互換の魔法があるから、そっちを覚えようか」
「そりゃ良かった」
「ただ、一日で使いこなせるようになるのは難しいかも。
修得のコツだけ教えるから、後は根気よく挑戦してみて」
「分かった」
扱うのが難しいなら仕方ない。
メテオブレイカーも覚えるのに苦労したし。
修得してからも微調整の訓練が必要だったし。
単純に魔法を覚えたからといって、実戦で使えるとは限らないのだ。
イメージとポーズを教えてもらい、ひたすら繰り返した。
水に触れながら、詠唱呪文をブツブツと呟く。
早朝からの訓練の末。
昼を過ぎる頃には、発動できそうな所まで来た。
その間、イザベルは武器の手入れをしていた。
アレクは読書に疲れたのか、本を顔にかぶせて昼寝していた。
あんな不安定な木の上で、よくもまあ寝れるものだ。
木を揺らしたら、カブトムシよろしく落ちてこないかな。
蜂の巣の落下より怖いことになりそうだから試す気はないけど。
魔法練習の仕上げは上々。
ここまで感覚を掴めば、あとは反復練習で魔法を修得できそうだ。
汗を拭っていると、イザベルが声を掛けてきた。
「そろそろ少し休憩する?」
「ああ。でも、あと一回詠唱しておくよ。
どうせ成功はしないだろうが、適性の糧にはなるだろ」
「反動にだけは気をつけてね」
イザベルは心配そうな顔をする。
そこまで無理をする輩だと思われているのだろうか。
あながち否定できないけど。
空を仰ぎ、精神を集中。
大空に魔力をぶつけるイメージで、一気に詠唱した。
「広がり渡れ、蒼穹の天空。
其が慟哭は大地を濡らす――『テミスクライ』」
【テミスクライ】
あれ、修得してしまった。
しかも発動に成功してしまった。
辺り一帯を覆う分厚い雲が浮かび上がる。
そして次の瞬間――凄まじい豪雨が降り注いだ。
「うぉわああああああああああああ!」
耳を突く雨音。
視界を塞ぐ圧倒的な水の落下。
土砂降りってレベルじゃねえぞ。
立っているのさえ辛い。
滝が頭上にあるのかと錯覚するほどだ。
どうやら、驚いたのは俺だけではないらしく。
樹木の上から絶叫が響いてきた。
「な、なんじゃあ! この雨は!」
アレクが慌てて本をローブの中にしまいこんだ。
昼寝をしていた所に、記録的な大雨だからな。
飛び起きるのも無理はない。
しかしこの魔法、やたら制御が難しい。
魔力消費も激しく、目がチカチカしてきた。
相当に反動も強い。
嘔吐感がこみ上げてきた。
苦しむ俺の姿を見て、イザベルが助言してくる。
「レジス! 解除、解除!」
仰るとおりだ。
解除が一番手っ取り早い。
魔力の汲み出しを停止。
魔法を強制的にストップさせる。
すると、重厚な雲が消え去り、元の快晴に戻った。
「恐ろしい魔法だな……」
「レジスは魔力が常人より遥かに多いんだから。
しかも反動無視で使うから余計にね」
「しかし、あんなに雨が降るとはなぁ。
制御の練習をしないといけないな」
とてもじゃないが、今のままでは実戦で使えそうにない。
術者が水圧で潰されては目も当てられん。
俺が修行計画を建てていると、目の前に誰かが降り立った。
アレクだ。
ご立腹といった様子で、俺に文句を言ってくる。
「本が濡れたではないか! 使うなら使うと言うのじゃ!」
「悪い。まさか発動するとは思わなくてな」
「まったく。ローブが耐水仕様じゃからよかったものの……」
ブツブツと文句を続ける。
昼寝を邪魔されたことも不満らしい。
アレクは怒りの矛先をイザベルに向けた。
「汝がついていながら、暴走させかけるとは何事じゃ」
「私なりに全力を尽くして監督してたんだけどね」
イザベルはムッとした表情で反論する。
すると、不機嫌なアレクが眉をひそめた。
彼女は俺を一瞥すると、皮肉っぽくイザベルを笑った。
「残念じゃのー。
我輩が水魔法を奪われてさえいなければのー。
レジスの水魔法を、さっさと最高水準まで引き上げてやれるのじゃが」
「たとえ水魔法を持っていたとしても、貴方より教え方は上手い自信があるよ」
「ほぉー? 言うようになったではないか」
気のせいだろうか。
二人とも、徐々に開放する魔力量を多くしている気がする。
こっちは魔法の訓練でヘトヘトになっているというのに。
高まる両者間の緊張。
するとここで、アレクが思いついたように言い放った。
「同種で血を流すのも本意ではあるまい。
ここはどうじゃ。一つレジスに、どちらの教え方が上手いか聞いてみては」
「望むところだよ」
全然望むところじゃないんですが。
俺に飛び火してきたよ。
何お前ら、炎上商法のプロフェッショナル?
こっちが鎮火しようと水をぶっかけてる所に、
嬉々としてガソリンを投下するのはやめて頂きたい。
「どうじゃレジス。
我輩の方が汝にふさわしい教育者じゃろう?」
「私は水魔法しか教えてないけど。
それでも、教え方の差は歴然だよね?」
二人が不可視の圧迫を掛けてくる。
抑えきれない互いへの敵意が、行き場を求めてさまよっていた。
答え方を間違えると、俺まで害を被りそうだ。
だが、恐れることはない。
この程度の修羅場、前世で学んだ処世術で十分に対応できる。
俺は聖天使のような心持ちで、二人の問いに答えた。
「無理だ、俺には選べない」
「はぁ? 日和った返答は不要じゃ」
「そうだよ。白黒はっきり付けておいた方がいい」
「二人とも、俺にとって大切な師匠なんだ。甲乙は付けられない」
あくまで決めかねる様子を見せるのが大事だ。
選ぶっていうのはとんでもなく残酷なことだし。
選ばれなかった存在が、どれだけ絶望することか。
かつて就活で地獄を見た俺に、選別なんて惨いことはできん。
俺は表面上、爽やかに付け加えた。
「それに、それぞれ違う分野を教えてもらってるんだし。
比較のしようがないだろ?」
後で思えば、この言葉がいけなかったのだろう。
押し通せそうだった論理に、綻びを与えてしまったのだ。
アレクは何かに気づいたようで、意味ありげに微笑んだ。
「……ところで、レジスよ。汝は泳ぎが得意か?」
「いや、別に。泳げないこともないけど、得意とも言いがたい」
25メートルで力尽きるくらいの微妙さだ。
一回授業で遠泳というものがあったのだが。
その時は見事に沈んで、土左衛門になりかけたからな。
近くに発泡スチロールが浮いていなければ危なかった。
しかしその質問が今、何の関係があるのだろう。
俺の返答を受けて、イザベルとアレクが顔を見合わせる。
そして、二人は大きく頷き、俺に語りかけてきた。
「それはいかんのぉ。
時に魔法師は水中での戦いも強いられるわけじゃし」
「水の中で戦うことまでは想定しなくてもいいだろうけど。
河川の横断くらいはできたほうがいいと思わない?」
「お、おう……?」
急に息がピッタリになったな。
さっきまで泥沼の争いをしてたくせに。
二人の豹変から、嫌な予感をひしひしと感じる。
なんだ、お前らは。
一体何が言いたい。
俺がたじろいでいると、二人は自信ありげに訊いてきた。
「つまり。同じことを教えたら、指導者としての差がはっきり出るってことだよね?」
「どうせ偵察が戻るまで暇なのじゃ。
我輩が一日で大河くらい横断できるようにしてやろう。構わんな?」
――やらかした。
このままでは、地獄の水泳訓練が始まってしまう。
俺は慌てて撤回しようとした。
しかし俺の声を待たず、イザベルが屋敷へと戻ってしまった。
何あの人、韋駄天かなにか?
どうやら、泳ぐ用の古着を取りに行ってくるらしい。
こっそり逃げようにも、アレクが監視しているため難しい。
目の前が真っ暗になりそうだった。
しかし、ここで発想の転換を閃く。
確かに水泳に良いイメージはない。
でも、これから先、水泳技術が必要になったらどうする。
そう思っていた所に、アレクが声を掛けてきた。
「実際、水中で動けると強いのじゃぞ。
一部の他種族と水辺で戦う時、圧倒的優位に立てるのじゃ」
「そうなのか?」
「うむ、ドワーフは泳ぎが死ぬほど苦手じゃし。
ドラグーンもほとんど泳げぬ者ばかりじゃ」
ほぉ。水中に引きずり込んだら勝利確定だな。
なんだ、やっぱり役に立つんじゃないか。
それを聞いて、俄然やる気が出てきた。
それに――怠惰な生き方はしないと誓ったのだ。
なるべく弱点は減らしておきたい。
前向きに考えるんだ。
教えてくれるのはイザベルとアレク。
色々と難はあるが、見た目は犯罪級に可愛い。
こんな少女達に教えてもらえるというのは、
ある種の役得なのではないだろうか。
そう思うと、一気に目の前が明るくなった。
なんだ、俺は幸せ者だなぁ。
無理やり暗示を効かせて、心を平穏に保つ。
その時、アレクの冷えきった嘲笑が聞こえてきた。
彼女はイザベルの向かった方を見ながら呟く。
「クク……この機会に乗じて、二度と泳げなくしてくれる。
最低でも三回は沈めてやるのじゃ」
そう言って、アレクは指をバキバキと鳴らす。
完全に殺る気ですわこの人。
イザベルにちょっかい出すのが趣味になりつつあるのか。
いや、貯まった鬱憤を晴らすつもりなのかもしれない。
しばらくすると、イザベルが古着を持って戻ってきた。
彼女は俺に男物の古着を。
そしてアレクに子供用の古着をパスした。
しかし、アレクはもらった服を突き返す。
「我輩は不要。どこのエルフが着たとも知れぬ服など着たくもない」
「ああ……そう? なら、裸で泳ぐのかな」
「阿呆。そんなレジスみたいな真似をするわけなかろう」
「おい、風評被害はやめろ」
根も葉もない事を言うんじゃない。
アレクはイザベルを挑発するように胸を張った。
「我輩は自前の肌着がある。
せいぜい汝は、昔着ていた古臭い服で泳ぐのじゃな」
そう言って、アレクはイザベルに古着を返却する。
こいつ……代えのローブはないくせに。
代えの肌着は持ってるのか。
そんなのがあるなら、普段から身につけていて欲しい。
魔力を開放する度、通報されそうなものが視界に入りそうになるんだから。
イザベルは怒りを沸点ギリギリの所で抑えている。
しかしその時――アレクが動いた。
よせばいいのに、古着を持つイザベルに追撃を加えたのだ。
「おや、汝は成長期ではなかったか?
昔のものが問題なく着れそうではないか。これは滑稽じゃのぉ!」
アレクがおかしそうに笑っている。
しかし、イザベルはピクリとも微笑んでいない。
彼女は少し顔を伏せて、底冷えのする声を出した。
「沈めてやる……絶対沈めてやる。意地でも沈めてやる」
イザベルを溺れさせようと企むアレク。
逆に沈め返すことを企図するイザベル。
はっきり言わせてもらおう。
指導者としては、お前らは二人とも不適切だ。
殺気が辺りに充満している。
舌打ちがめちゃくちゃ聞こえてくるんですけど。
俺は生きて屋敷に戻れるのだろうか。
頭から血の気が引く思いだった。
こうして――凄まじい険悪ムードの中。
突如として、魔の水泳教室が幕を開けたのだった。
――誰か助けてください