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ディンの紋章 ~魔法師レジスの転生譚~  作者: 赤巻たると
第四章 エルフの峡谷編
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エピローグ

  

 

「ぐっ……おのれぇ!」

「我輩の勝ちじゃな」

 

 地面に倒れ伏す俺の隣で、アレクが楽しげに微笑んでいる。


 別に、勝てる可能性が高いとは思ってなかったけど。

 最近ちょっと修業の成果が出てきたみたいだし。

 先日は見事にラリアットを食らわせることもできたわけだし。

 あわよくば打ち倒せるんじゃないかと思ってたけど。


 甘かった。

 殴ればカウンターを返され、蹴ればすれ違いざまに一撃を喰らう。

 掴めばいなされ、当て身をすれば正面で打ち破られる。

 どこにも隙が見当たらなかった。


 アレクはまだ全然本気を出してないはずなのに。

 全くもって歯が立たなかったか。

 まあ、最初から分かってたけど。

 一秒間に数発も蹴りを繰り出す技法を打ち破るのは、流石に難しかったな。


「おのれ……まだまだ修行が足りんというのか」

「まあ、そう落ち込むでない。よく善戦した方じゃろう」


 治癒魔法を俺にかけつつ、アレクは肩をポンポンと叩いてくる。

 やめろ、中途半端に慰めるんじゃない。

 悲しくなってくるだろうが。


 それにしても、こいつ。

 息一つ切らしてないのか。

 いつも思うが、本当に化け物じみた体力だな。


 しばらく休んだ後。

 俺とアレクは、墓の近くにある倒木に腰掛けていた。

 疲れを吐き出すように呼吸をしていると、アレクが声をかけてくる。


「しかし、汝も良い身体になってきたように感じるのじゃ」

「なんだよ、いきなり」


 俺の身体をジロジロと眺めるんじゃない。セクハラか。

 言っておくが、女から男に対してでも猥褻行為は成立するんだからな。

 あんまり無茶してると、金属の輪っかがオプションとして手についてくるぞ。

 俺が警戒した態度を見せると、アレクは失言したというように空咳をした。


「体術を駆使するのに最適な身体になりつつある、と言いたいのじゃ」

「ああ、鍛えてるって言いたいのか。そりゃそうだよ。

 お前が鬼畜な鍛錬ばっか強いるからな。

 お陰で打たれ強さも前とは段違いだ」


 もっとも、鍛錬を頼んでるのは俺なわけだから、文句を言うつもりはない。

 足腰立たなくなる修練を連日繰り返した結果、余程のことでは疲れなくなってきたわけだし。

 今にして思えば、さっきの実戦組手もかなり粘った方だった。

 着実に力が付いてきているのは感じる。


「体力切れを起こすことも少なくなったじゃろう?

 学院で夜に決闘をした時は、魔力を使い果たして気絶しておったからな」

「恥ずかしい話だ」


 エリックと殴り合いをした後、気絶しそうな状態になったんだっけ。

 アレクから借りてた潜在魔力がなかったら、あのドワーフも撃退できなかっただろう。

 つくづく、アレクに頼りっきりな戦闘だったな。


 だが、今は少しだけ違う。

 まだ実力を信頼されるには至ってないだろうけど、

 依存するだけの戦いはしなくなってきた。


 まあ、もっと欲を言うとすれば。

 いつか、彼女と対等の立場で戦えるようになりたい。

 そのためには、もっと頑張らなきゃな。


「あの時と比肩すれば、体幹の筋力も向上してきたはず。

 人間としては、かなりの高水準の体術を修めておるじゃろう」

「人間として……ね。そういえばお前、体術を教わった人が神様だったって本当か?」

「ああ、師匠のことか。いかにも、『拳神』は黎明の五神の一柱じゃ。

 第四奉神じゃから、五神の中では四番目に強いことになる」


 本当に拳神が師匠だったわけね。

 神様って時点で想像がつかない連中だ。

 第四奉神とか言われても、どのくらいの戦闘力なのか分からんけど。

 スカウターがぶっ壊れそうな相手であることは間違いないだろう。


「その拳神って奴は、アレクより強いのか?」

「無論……と言いたいところじゃが。

 今の我輩ならいい勝負ができるかも知れんな」


 ふふん、とアレクは不敵に微笑む。

 神様と互角に戦える程、腕に覚えがあるのか。

 さすがの自信家だな。

 俺が頷きかけた所で、アレクはあっさり手のひらを返す。


「まあ、さすがに冗談じゃが」

「冗談かよ」

「二度と会うことはないじゃろうから、どっちが強いとは言えんじゃろうな」


 なんだ、不戦勝の理論か。

 その手法がありなら、誰だって最強になれるぞ。

 可能性のない勝負なら何とでも言えるんだからな。


 俺もかつては電脳世界で神と呼ばれたものよ。

 哀れなストレイシープ達に素敵な画像を分け与える、聖なるサンタとして君臨したんだっけ。

 思えば、あの時の俺はドドメ色に輝いてた。

 自演がバレて一瞬で凋落したけどな。


「汝もだいぶ強くなってきたわけじゃし。

 もう我輩がいなくても、大丈夫かも知れんな」

「いやいや、俺の未熟度は目も当てられん状態だぞ。

 もっと鍛錬に付き合って欲しいレベルだ」


 体力切れになることは少なくなったけど。

 まだまだモノにしたい技術がたくさんあるんだ。

 アレクから全ての技を盗みきった時、実力も並んでるんじゃないかと期待している。

 そうすれば、今までに受けてきた理不尽を倍返しにできそうだ。


 もっとも、熟達する前に過労死しそうで怖いけど。

 俺が特訓乞食をすると、アレクは意味深に呟いた。


「我輩もそう願いたいんじゃがな……。

 ま、安心するのじゃ。

 汝がディン領に戻るまで、きっちり役目は果たす」

「妙に含みのある言い方だな。

 戻ったらもう体術を教えてくれないのか?」


 任務だけの関係なんて嫌だぞ。

 お金だけの関係の次くらいに寂しいつながりじゃないか。

 まあ、そういうニュアンスで言ったんじゃないだろうけど。

 誤解を生ませたくないのか、アレクは補足するようにして言う。


「汝が望む限り、いくらでも教えてやるつもりじゃぞ。

 じゃが、我輩もいつ逝くか分からん存在じゃからな」

「……どういう意味だ?」


 逝くって、死ぬってことか。

 おいおい、限りなく死から遠そうなお前が何言ってるんだ。

 巨大隕石が墜落しても、お前だけは飄々と生き残ってそうなのに。

 そして巨大隕石を依り代として、新世界の神にでもなりそうな奴なのに。

 下らん冗談はやめて欲しい。


「最近、邪神の波動が今までの比でなく強まっておる」

「波動って、邪神は封印されてるんだろ?」

「うむ、邪神を封じ込める封印――通称『大結界』が機能しておるからな。

 今の所は安泰じゃ」


 大結界、か。

 なかなか心躍るネーミングセンスだな。

 陰陽師がいそいそと護符を貼って作ってそうだ。

 しかし、そんなものが邪神を500年も封じてきたのか。

 一体、どんな規模での結界魔法だったんだか。


「しかし、『今の所は』じゃ。

 何らかの要因で一気に出てくる可能性がある。

 そうなったら言うまでもなく、大陸は終わりじゃ」

「そんなに深刻なのかよ」


 でも、考えてみれば当たり前かもしれない。

 相手は一回、大陸を滅亡させかけた神なんだ。

 もし再起でもしようものなら、止めることは非常に難しい。

 このことは、アレクと出会った当初に一回話したっけ。


 知れば知るほど、ますます出てきて欲しくない相手だな。

 内心で危惧していると、アレクが不穏なことを言ってきた。


「大結界の有効期限は500年。そろそろ切れる頃合いじゃな。

 これを更に500年延長するとなると、四賢が命を賭した魔力を注がねばならんのじゃ」


 聞き捨てならない情報が転がり出てきた。

 邪神が封印されて、既に500年。

 そして、結界の寿命も約500年。


 ということは、そろそろ結界が朽ち果ててもおかしくはない。

 しかも、今アレクは何て言った?

 ――四賢が、命を賭した魔力を、注がないといけない。

 不意に、不穏な予感が脳裏をよぎった。


「まさか……お前――」

「おかしいと思わんかったのか?

 大陸の四賢は、呪いのせいで年を取らぬようになっておる。

 しかし、四賢の一人――王国の初代国王は、老衰にも似た死に方をしておるのじゃ」

「……自分の命を犠牲に、大結界を補強したのか」

「うむ、正解じゃ」


 正解なんてしたくなかったよ。

 何となく、疑問には思ってたんだ。

 大陸の四賢の一人である初代国王。

 彼女は邪神との戦いが終わった後、すぐに死んでしまった。


 普通、戦中に負った傷の悪化などで死んだのなら、他の言い方をされるはず。

 しかし、その死因は多くの文献で『老衰』や『衰弱』とされている。

 今、ようやく得心がいった。

 初代国王は……大陸の人々を守るために、自分の命を生贄に捧げたのだ。


「我輩たちがのうのうと500年も生きてこられたのは、奴のおかげというわけじゃな。

 いやー、涙が出そうじゃ」


 まるで、何かから話を逸らそうとしているかのように。

 まるで、何かから目を背けようとしているかのように。

 アレクは四賢の死を茶化した風に言っている。

 でも、その内面で思っていることは恐らく――。


 俺は思わず、彼女の名を呼んでしまった。


「なあ……アレク」


 彼女は無言で目を合わせてくる。

 心臓の拍動が耳に痛い。

 言ってしまったら、何かが変わってしまいそうな気がした。

 だが、これだけは確認しておかねばならない。


「もし邪神が復活しそうになったら。

 お前――行くつもりなのか?」


 俺と彼女の間を、一陣の風が通り抜けた。

 いつもなら心地良いと感じるはずのそよ風。

 しかしその風が、今に限っては妙に寂しく感じた。


 俺の質問に、アレクは数秒の間沈黙する。

 そして、悲しい微笑みと共に告げた。


「――うむ、行くつもりじゃ」


 ピキッ、と頭の中で嫌な音がした。

 これは、前世でさんざん感じたことがある。

 あまりにも解決しがたい事態に直面した時。

 俺の頭は現実逃避をしようと、無意味な思考を繰り返すのだ。


 しかし、今回に限っては違った。

 俺とて、いつまでも逃げているわけじゃない。

 アレクの言葉を聞き逃さないために、俺は無理やり正面を向く。

 すると彼女は、嘆息しつつ肩をすくめた。


「他の四賢は志願せんじゃろうしの。

 どうせ500年前に終わっておった命じゃ。

『大陸の四賢』の名前通り、命を捧げて大陸を守ってやるのも悪くなかろう」


 大陸の四賢。

 それは、かつて大陸を守護した伝説にして最強の魔法師。

 その名の冠する通り、大陸の礎となった連中だ。

 礎とは即ち、人柱とも言い換えられる。


 だが、四賢の役目はとっくに終わったはずだろう。

 どうしてお前が昔のことで運命を左右されなきゃならないんだ。

 俺は逸る気持ちを抑えつつ、アレクに尋ねた。


「お前は、それでいいのか?」


 本当に、大結界に魔力を捧げて命を落としてもいいのか。

 500年単位で動かす、無謀とも言える結界なんだ。


 かつて初代国王が命を落としていることから考えても、

 魔力を注いだ後は、間違いなく死んでしまう。

 俺の問いに対して、アレクはため息を吐いて答える。


「我輩が嫌々生贄になりに行くと思っておるのか? 阿呆、むしろ逆じゃ」

「逆、だと?」

「この地もどうせ邪神に狙われるじゃろうし。

 父上と母上の墓を、荒らさせたくないのじゃ。

 これを護る選択肢がそれしかないんじゃったら、仕方あるまいて」


 家族思いのアレクらしい返答だ。

 邪神からすれば、エルフの総本山なんて攻撃目標以外の何物でもないだろうし。

 間違いなくこの辺りを消し飛ばそうとするだろう。


 それに、両親の墓標を穢させたくない気持ちは良く分かる。

 俺だって、もし妹の墓を荒らそうとする輩が現れたら、凄まじい勢いで止めようとするだろう。

 たとえそれで、いかなる害を一身に受けるとしても、だ。


「それに、守りたい奴がおるからのぉ。

 そやつを邪神の餌食にするわけにはいかぬ」


 彼女は困ったように笑みを浮かべながら、頬をポリポリと掻く。

 その挙動に胸のざわめきを感じて、俺は半ば無意識に聞き返していた。


「守りたい……奴?」


 誰だそれは。

 そんなのがいるから、アレクは自分勝手に生きることが出来ないのか。

 その人物を死なせたくないがために、お前は自分の魂を削ろうとしているのか。


「……誰だよ、そいつは」


 誰よりも傍若無人で、奔放に生きる英雄・アレクサンディア。

 そんな彼女の行動を縛っている輩に、やるせない怒りが湧いてきた。

 それほどまでに、俺はアレクに自己を犠牲にしてほしくなかった。

 しかし、彼女は俺にとって予想外極まりないことを呟いた。


「うむ、絶対に守りたい奴でな。

 弱っちいくせに死地に向かって行き、

 人の心配をよそに戦い、

 痛みに強いなどという詭弁で我輩を守るとかほざいておる、

 ダメダメで可愛い、どこかの弟子とか――じゃな」


 じわり、と目から何かが零れそうになった。

 そうか……俺が思い違いをしていた。

 何がアレクの行動を縛ってる輩だ。

 そいつが誰のことか、少し考えれば分かることだったじゃないか。


「……とんだ迷惑野郎だな、そいつは。

 ロクに力もないくせに、言うことだけは大きいって」

「うむ、まったくじゃ。困って奴じゃて」


 しみじみとアレクは頷く。

 その顔が妙に嬉しそうで、なおさら俺の胸が締め付けられた。

 今までに、そんなことを言われたことがないから。

 前世ではずっと、廃棄物を見るような目を向けられ、唾棄されるように罵られてきたから。


 あまりにも、その言葉が優しく感じてしまう。

 温かすぎて――心苦しい。


「相手にしてて、気が滅入るだろ。そんな奴」

「いいや? 何を言っておるのじゃ」


 アレクが即答で首を横に振った。

 彼女は俺の手を取って、優しく握ってくる。

 そして俺の弱い内面を抱擁するかのように、柔らかい笑みを浮かべた。


「そいつは今までに見たことがない大バカ者でな。

 我輩がついておらぬと、危なっかしくて危なっかしくて。

 できるなら、ずっと傍で見守ってやりたいものじゃ」


 思わず、顔を背けてしまっていた。

 恐らく今の俺の顔は、酷く情けない風になっているのだと思う。

 でも、少しだけ心が楽になったような気がした。

 誰かに存在を肯定されたのが、嬉しかったのかもしれない。 


「そやつを守るためなら。

 そして滅亡までの時間を延ばせるなら、我輩は喜んで魔力を大結界に注ぐ所存じゃ」


 アレクは充実したような笑みを浮かべる。

 しかし、その笑顔はどこか儚げだった。


「我輩は行く。

 それが――英雄アレクサンディアの最期になるとしてもじゃ」


 それがアレクの意志なら、尊重すべきなのかもしれない。

 だけど、アレクが大結界の礎になったとして。

 向こう500年は安泰になったとして。


 それで全てが幸せになるのか?

 本当に、心の底から、俺は喜べるのか?


 ――そんなわけがない。

 最初からわかっていたことだ。

 アレクのいない未来を、俺は幸せだなんて絶対思うことはできない。

 ほぼ反射的に、俺はアレクの両肩を掴んでいた。


「……ん、どうしたのじゃ?」


 アレクは不思議そうに首を傾げる。

 そんな彼女に対し、俺は喉の奥から声を絞り出した。


「……俺は、嫌だ」


 アレクが自分の思いを吐露したことがないように。

 俺も、ここまで感情をさらけ出すのは初めてだった。

 アレクは困ったような顔をする。


「何じゃその顔……今にも泣きそうじゃぞ」


 そうだったのか、知らねえよ。

 自分で自分の顔が確認できるなら、寝ぐせで恥をかくことなんてないんだから。

 いつものように、思わず冗談で紛らわせたくなる衝動に駆られた。


 だけど――

 今に限っては、無駄な口答えはしたくなかった。

 冗談が混じると、それだけ想いが希釈されそうな気がしたから。


「……お前が消えるだなんて、絶対に嫌だ」


 アレクの肩を掴む手に、無意識に力がこもってしまう。

 彼女は少し痛そうに眉をひそめた。

 しかし、それでも身体をよじったりはしない。


「上手く、言えないんだけど。

 俺はお前と、離れたく……ない」

「…………」


 舌がもつれる。

 心臓が脈打ち、全身に痺れが回った。

 変な緊張が入り混じって、耳鳴りと頭痛が著しい。


 でも、伝えないと。

 いつも下らないことばっかり言ってるんだ。

 こういう時くらい、本心を言い切ってみせろ。

 引きつりそうな口をこじ開けて、アレクに告げた。


「誤解で喧嘩したり……くだらない事で争ったり……。

 思えば、益体のないことばっかりしてきた。

 でも、俺にとってはそれが凄い嬉しくて、安心するんだ」

「ほぉ。つまり、我輩といっしょにいたいと」


 アレクは俺が冗談で言っているのか確認するかのように。

 小悪魔的で挑発的な笑みを浮かべてきた。

 そんな彼女に対し、俺は本心を吐露する。

 まっすぐで、嘘偽りがなくて、素直な気持ちから出た言葉だった。


「ああ。いつまでもこうして、馬鹿やっていたい。

 俺、こう見えてアレクのこと――結構好きなんだぜ」


 多分、恋慕とかそういう感情ではないんだと思う。

 でも、アレクの奔放な姿を見ていると頼もしく思えて。

 彼女の笑顔を見ると俺まで嬉しくて。


 一緒にいて――本当に楽しいと思えるんだ。

 嬉しくて、心地よくて、ついついふざけたくなってしまう。

 俺にとって、アレクは本当に大切な人なんだ。


 だから。

 こいつを失う未来なんて、絶対に肯定したくなかった。

 俺の言葉に、アレクは慌てたように答えてくる。


「ま、まあ……我輩も汝のことは嫌いではないぞ。

 むしろ好きという想いに近いんじゃろうかな、これは」


 気恥ずかしそうな返事。

 何やら複雑そうな面持ちだ。

 それと反比例するように、俺は心が晴れ渡ったのを感じていた。


 今まで微妙に距離感があったけど。

 初めてアレクと、本音で話し合えた気がする。

 俺は袖で顔をゴシゴシと擦った。

 ほんの少しだけ、水の気配がした。


 どうも涙腺が緩くて困る。

 アレクも恥ずかしさに耐えられなくなったのか。

 話を元に戻して、事の重大さを強調してきた。


「し、しかし。我輩が大結界を維持せぬと、汝も死ぬのじゃぞ?」

「ああ、分かってる。危機が迫ってきて、ようやく気づいた。

 だけど同時に、一つ覚悟ができたよ」

「何を言っておるのじゃ」


 アレクが怪訝そうに見つめてくる。

 またアホな事を言い出すんじゃないか、と警戒しているようだな。

 いい読みだ。


 なら、その期待に応えようじゃないか。

 先ほどアレクが言い放った悲壮な宣言より強く、俺は言い切ったのだった。


「――邪神は俺が倒す。

 だから、アレクが犠牲になる必要なんてない」

「は、はぁ……? 本気で言っておるのか?」

「本気も本気だ」


 アレクの目が点になりかけている。

 邪神の強さを知っているだけに、俺の言葉が戯言にしか聞こえないのだろう。

 だが、見くびってもらっては困る。


 勝算のない戦いに挑みまくってきた俺だぞ。

 詰んだ状態から逆転の一手を導き出すことには定評がある。

 この程度の逆境、簡単に跳ね返してやるさ。


「邪神が復活しそうだって言ったよな。

 上等だ、出てきた所を完全に叩いてやる。

 今度は封印じゃなくて滅殺だ。

 そしたら、アレク達に掛かってる呪いも解けるんだろ?」

「……い、いや。言っておることがめちゃくちゃ――」

「なら、邪神が復活するっていうのは、むしろチャンスとも言えるな。

 危機を好機に変える男。それが、レジス・ディンだ!」


 アレクに反論させることなく、俺は高らかに宣言した。

 彼女は声をつまらせ、俺を恨みがましそうな目で見てくる。

 さて、アレクの返答やいかに……!

 俺の言葉を受けて、彼女は歯切れ悪そうに呟いた。


「……汝はバカじゃ」

「知ってる。それこそ、俺が俺になる前の時点で。とっくにな」


 少し予想と違ったが、概ね想定内だった。

 俺にとって、バカや阿呆というのは悪口に入らない。

 言われ慣れてると、不思議と腹立たしさはなくなる。

 もっとも、それだけ罵詈雑言を受ける人生を送ってきたということだが。


「邪神に勝つ方策なんてないくせに……」

「これから立てればいい。

 アレクを守るためなら、俺はなんだってやるつもりだ」


 どんな無理難題でも聞いてやる。

 それこそ、かぐや姫に求婚を求める男たちの気持ちだ。

 ただ俺の場合、絶対に要求をごまかしたりはしない。

 あくまでも真摯に、アレクの傍に寄り添ってやる。


「だからさ。

 大結界のために命を捨てるとか、そんな悲しいことは言わないでくれ」


 改めてアレクに確認を取る。

 俺を説得するのが不可能だと感じたのか、彼女はため息を吐いて肩をすくめた。

 どうやら、一応了承してくれたらしい。


「はぁ……理屈で従わんのなら仕方ない。

 これ以上言い争っても意味ないのじゃ」

「お前が死のうとか言い出すたびに、今の話を蒸し返してやるからな。

 覚悟しとけよ」

「安心せよ、二度と言わぬ。

 まったく……こんな無茶苦茶な阿呆は、本当に、初めて見たのじゃ」

「お褒めに預かり光栄の至り」


 あまり褒めてくれるな。

 基本的に、どんな罵声でも笑って受け止めてやる。

 たった一つの侮蔑の言葉を除いて、俺は寛容なつもりだ。


 でも、童貞とだけは言ってくれるな。

 それを言われると、芋づる式に色々なトラウマが刺激されちゃうから。

 俺に憎しみの心を植えつけた前世の学生だけは今でも許さん。

 アレクは消え入りそうな声で、礼を言ってきた。


「じゃが、まあ。汝に心配されて、嬉しかったというか。

 その……ありがとう、なのじゃ」

「ん、すまん聞こえなかった。もう一度言ってくれるか?」


 ちょっと今のは何回も聞きたい。

 しまった、録音しておけばよかった。

 どうして録音機材の一つも持ってないんだ俺は。

 こんなことなら変態カメラ小僧になっておくんだった。


 しかし、どうやら羞恥ギリギリの所を刺激してしまったらしい。

 アレクは我慢の限界を迎えたらしく、ついに爆発した。


「き、聞こえておるじゃろう!

 そういう所がバカ者なのじゃーッ!」


 立ち上がって回し蹴りを放ってくる。

 甘いんだよ。

 その程度、このマトリックス避けを前にしては児戯に等しい。

 俺は脚が頭上を通過した所で、高らかに哄笑した。


「ふはははは、奇跡の回避!」


 しかし次の瞬間。

 アレクの脚がピタリと止まり、そのまま下降してきた。

 いきなりの軌道変化には対応できない。

 アレクの踵が俺の下腹部にクリティカルヒットする。


「ごぶふぉぁ!」


 超弩級の鈍痛が到来。

 ゴロゴロと地面を転がってしまう。


 お、おのれぇ。

 なんつう所を蹴ってやがるんだ。

 俺は今にも死にそうな声で抗議した。


「……か、踵落としは反則。股間を狙うのは反則……」

「す、すまぬ……狙ったわけではないのじゃ」

「ったく、不能になったらどうするつもりだ」


 何とか痛みをこらえて立ち上がる。

 俺の苦しむ様を見て、アレクはため息を吐きつつ切り返してきた。


「汝なら不能になっても、問題なく復活しそうじゃがな」

「まあ否定はしない」

「……おかしなやつじゃ。くくっ」


 クスクスと、少女らしい笑みを浮かべた。

 いつもの皮肉げな、アレクらしい微笑みだ。


「お、笑ったな。その顔が見たかった」

「い……いちいち反応するでない!」


 その怒った顔も、なんだか可愛らしい。

 とか言ったら、また蹴りが飛んできそうなので自重しておく。

 昨日に思い切り大爪を喰らったばかりなのだ。

 これ以上ダメージを受けると、流石に身体が壊れてしまう。


「だいたい、邪神の話をしておる先にすべきことがたくさんあるじゃろう」

「そうだな。でもとりあえず、竜の討伐完了は大きな前進だった」


 峡谷に振りかかる難題の片方を解決できたのだ。

 残す所はあと一つ。

 そう思うと、明るい希望が湧き上がってくる。

 アレクは大きく頷くと、峡谷の遠方を眺めた。


「うむ。これでようやく、妙薬の方に手を付けられる。もう一息なのじゃ」

「そのためには、帝国兵をどかさないとな」

「ククク、目にもの見せてくれるわ。帝国の雑魚どもめが」


 何やら不穏なことを口走っているな。

 何か帝国に恨みでもあるのか。

 アレクと帝国。

 両方歴史は古いわけだし、何らかの因縁はあるのかもしれない。


「さて。それじゃあ、そろそろ戻るか?」

「そうじゃな。腹も減ったことじゃし、何か食べるとするのじゃ!」


 そう言って、アレクは凄い勢いで戻って行く。

 空腹に釣られてしまうとは。

 相変わらず、欲望には素直なんだな。

 そういう所は見た目相応で、微笑ましい限りだ。

 俺はさっき飯食ったばかりだけどな。


 それにしても。

 あいつ、飯も食わずに墓参りをしてたのか。

 困った師匠だよ本当に。

 俺は振り向いて、アレクの両親が眠る墓の前に行く。

 その場にしゃがみこみ、柄にもなく墓標に語りかけた。


「……アレクのことは任せてください。

 何があっても、絶対俺が守ってみせますから」


 実力的には守られる立場なのが悲しいけどな。

 まあ、土壇場での行動には自信があるし。

 出来る限りのことをやるだけだ。

 墓に一礼して、俺は立ち上がる。


 さて、残す所はあと一つ。

 エルフの妙薬を手に入れるとしようか。

 どんな弊害が立ち塞がろうとも、全力でぶち破ってやる。


 そう決意して、アレクの後を追ったのだった。

 



 

 第四章・完


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