第十六話 正面対峙
翌朝。
まだ外が白みきらぬ内に、俺は起床した。
昨日は遅くまで綿密に作戦を練ってたからな。
どこに竜の巣があり、どういう手段で倒すかまで。
きっちり対策済みだ。
それゆえ、就寝したのが深夜になってしまった。
この時間に起きたのは奇跡とも言える。
アレクとイザベルもまだ寝ている時間だろう。
今起こしに行ったら、寝起きのアレクに頭突きをされかねん。
寝起きだと何をするか分からん奴だからな。
ところで、早起きは三文の徳という先人の言葉がある。
『早く起きれば少し得する』といった意味に解釈することが多いみたいだ。
しかし、俺は常々この格言に疑念を持っていた。
それに、あの二人も言っている。
『良い子の諸君! 早起きは三文の徳という言葉がある。
しかし、三文は今のお金にすると数十円くらいだ。寝てたほうがマシだな!』と。
三次元ですら殺法を使えない俺だが、その言葉に受けた衝撃は大きい。
だいたい、小金のために早起きする気力がないし。
そんなことを就職浪人時代に考えて、一日を潰していたな。
あの時間こそが一番の無駄だったと、心底反省する次第だ。
「まぁ……何だかんだで早起きしてしまったわけだが」
関節を鳴らして、布団から這い出た。
まだ日も昇らぬ早朝だ。
決戦は昼なので、まだまだ時間はある。
外で水魔法の修行でもしてくるか。
重い足取りで、ジャックルの部屋の前を通過する。
しかしその瞬間――とんでもない大声が炸裂した。
「セシルッ! どこだ、どこへ行ったのだ!? セシルッ!」
まさか――胸の中を一抹の不安がよぎった。
俺は戸を蹴破らん勢いで、ジャックルの部屋に入った。
殴られたらその時はその時だ。
果たして、部屋の中央にはジャックルがいた。
寝巻き姿で荒く息を吐き、錯乱したように頭を掻きむしっている。
彼は明らかに焦燥に駆られていた。
「ジャックル、何があったんだ」
「セシルが……セシルがおらんのだ。儂の部屋で寝ていたはずなのに」
「外に散歩しに行ったってことは?」
「儂もそう思ったさ。この棚を見るまではな!」
そう言って、ジャックルは背後の棚を指し示した。
そこは、色々な武具が設置してある場所。
槍やら刀やら、多種多様な武器が収められている。
しかしその中には、一際目立っていた短刀の姿がない。
切れ味は鋭く、見た目も美しかった覚えがある。
俺の記憶によれは、昨日の時点では確かにあったはずだ。
ジャックルは肩を震わせて叫ぶ。
「ここにあった短刀を持って、どこかに行ってしまったのだ!
昨日の一件からするに――竜の巣に行ったとしか思えん!」
恐れていたことが、起きてしまったのか。
昨日、ここで大論争を繰り広げた時のことを思い出す。
『子供の冗談に付き合っている暇はないんだ。
今は峡谷の危機。力なきエルフに、口を挟む権利はない!』
『つ、強くなるもん! 竜……くらい、私にだって倒せるんだから……』
『もういいかな。出て行ってくれ。消えろ』
『う、うわぁあああああああああああん!』
あの後、ジャックルが連れ戻して慰めたと聞いた。
だが、無力と断言されたセシルの負けん気が、悪い方向に働いたのだとしたら。
大切な人を馬鹿にされたことが、悔しかったのだとしたら。
竜を倒そうと一人で飛び出しても、おかしくはない。
相手が熟練の戦士を屠る危険な魔獣なのだとしても。
まだ程度がわかる年頃ではないだろう。
実力差の把握なんて、できるはずもない。
くそッ、だから子供に変なことを言うなとあれ程……!
ジャックルも彼女が妙なことをしないよう、目を光らせていたみたいだが。
注意をするにしても、限界があるに決まっている。
俺が状況を整理していると、ジャックルが鎧を着ようとしていた。
「待てジャックル。なにしてるんだ」
「竜の巣に行くッ! 止めてくれるな」
「無茶だ。あんたじゃ勝てないだろう」
竜は強力な魔獣だ。
弱点を上手く突けなければ、一蹴されて終わりな相手である。
引退間近のジャックルでは、太刀打ちできないだろう。
しかし、肉親の危機とあっては、そんなことも忘却の彼方。
ジャックルは予備の槍を手に取り、大きく吠えた。
「既に竜と邂逅しておるかも知れぬ。
儂の命が消えようとも……セシルだけは救いだしてみせる!」
凄まじい眼光。
どうやら、本気らしい。
下手に止めようとしても、俺を踏み越えて突撃することだろう。
だからといって、死地に向かうのを看過する気はない。
俺はジャックルの肩を掴み、目を見据えた。
「――ジャックル。
あんたの言う通り、確かに時間がない。
だから、細かい説明なしで言うぞ」
「なんだ……」
ジャックルが怪訝な瞳で見てくる。
見下ろすような視線だ。
邪魔をするなら容赦はしない――そんな思いが見て取れた。
思わず足が震えそうになる。
しかし、この一言だけは。
物怖じすることなく口にできる。
本能のままに、誰かを守るために。
かつて失う恐怖に苛まれたからこそ、こうして言い切れる。
俺は力強く断言した。
「――俺に託してくれ」
セシルを心配する気持ちは、痛いほどよく分かる。
だが、セシルもジャックルが傷つくのは望んでないだろう。
どちらかが痛手を負えば、両方が傷心する。
それよりは、まだ俺が危険に晒されたほうがマシだ。
目の前で、誰かが苦しむのは見たくない。
俺の力が及ぶ範囲である限り、大切な人を守り通してみせる。
俺の言葉を受けて、ジャックルの表情に迷いが生じた。
しかし、どうしても踏ん切りがつかないようだ。
「……しかし、やはり儂も――」
「俺を信じろッ、ジャックル!」
もう一度、掴みかかるような勢いで言った。
まるでチンピラだ。
しかし、今さら風評なんぞ気にしてられるか。
説得できるならば、いくらでも汚れ役を負ってやる。
気迫に折れたのか、ジャックルがゆっくりと首肯した。
「……分かった。
ただし、お前もアレクサンディアと一緒に向かうのだ。一人で向かっても死ぬぞ」
「いや、俺が先行して向かう。もちろん一人でな」
「なっ!? 馬鹿なッ、何を考えておるのだ!」
正気を疑うように俺を見てくる。
だけど、その目は違うだろう。
さっきお前がやろうとしてたことじゃないか。
竜の巣に一人で向かうという愚行。
峡谷に来てから、一つも良い所がなかったんだ。
その程度のことくらい、率先してやってやる。
俺はジャックルの肩から手をどかし、机の上の地図を手に取る。
「これ、借りて行くぞ」
さすがに道案内なしで霊峰内を移動するのは死ねる。
もちろん、地図があっても危険なことには変わりない。
だが、その程度は覚悟でねじ伏せてやる。
俺は駆け足で出口に向かう。
「あいつらを待ってたら手遅れになるかもしれない。
俺が出たらすぐ、アレク達を起こしてくれ」
「なッ、無茶だ! やめ――」
「じゃあ、行ってくる」
最後の言葉を聞かずに、俺はジャックルの部屋を飛び出した。
貸してもらっていた部屋に戻り、装備をつける。
このナイフで、竜の鱗を貫けるかどうか。
まあいい、どうせ考えても始まらない。
魔力が切れたらナイフで。
ナイフが折れたら拳で。
拳が砕けたら頭突きで。
命の灯火が消えない限り、どこまでも食らいついてやる。
準備を終え、一気に屋敷を飛び出す。
その時、ジャックルが玄関から檄を飛ばしてきた。
「生きて帰ってくるのだぞ! 死んだら許さんからな!」
嬉しいことを言ってくれる。
大丈夫だ、俺も死ぬつもりは毛頭ない。
深く頷いて、峡谷の外へ猛進した。
エルフと違って土地勘がない。
道は完全に地図任せだ。
しかし迷わない限りは、速攻で目的地にたどり着けるはず。
それこそ、アレクたちを起こして向かうよりは、確実に早く。
あとは時間との勝負だ。
セシル……頼むからこれ以上の無茶はしてくれるな。
間に合うことを祈りつつ、俺は全力疾走したのだった。
◆◆◆
うねるような獣道。
迷わせるために形成されたかのような山道。
毒草が生え、触れただけで皮膚がただれるような茂み。
それらを踏破し、何とか霊峰の頂上付近にたどり着いた。
途中で足をくじいたり魔獣に遭遇したりしたが、何とか突破した。
良いタイムで到着できたのではなかろうか。
もともと、峡谷自体が標高の高い位置にある。
ゆえに一時間も全力疾走をすれば、山頂近へと辿りつける。
セシルもまだ子供だ。
どれだけ早く出発していたとしても、そろそろ追いつけると思うのだが。
もしかすると、本当は竜の巣には向かっていないのかもしれない。
それなら逆に言うことなしだ。
ゆっくり引き返して、後続のアレク達と合流すればいい。
今は太陽が登り切っていない早朝。
夜行性である竜が、まだ活動しているかもしれない。
しばらく先を行くと、巨大な洞穴を見つけた。
強い風の流れを感じる。
奥まで続いているようだ。
精神を集中させ、探知魔法を詠唱する。
「我に仇なす害たる敵を、明き魔網で炙り出せ――『ハイディテクション』」
前にシュターリンの尾行を見破った魔法だ。
危険な場所に踏み込む前に、是非とも詠唱しておきたい。
一方向に探知範囲を絞れば、かなり先まで魔力の把握が可能だ。
洞穴の奥から強力な魔力の波動を感じる。
間違いない。
どうやら、ここが竜の巣らしい。
入り口に近づくと、あることに気づいた。
地面が妙にぬかるんでいる。
視線を落とす。
大量の血液が撒き散らされていた。
水浸しになりそうなほど、辺りに広がっている。
「……ひッ!」
思わず叫んでしまう。
いや待て、まだ分からん。
落ち着いて、その液体を検分する。
確かに、これは血だ。
しかし、人の血液量はこんなに多くない。
少し舐めてみたが、人の血液とは違うようだった。
前に口内炎を潰してしまった時、
嫌というほど血の味を経験したから間違いない。
あの不良品歯ブラシだけは絶対許さん。
恐らく、狩った獲物を巣に引きずり込む時に付着したんだろう。
ひとまず胸を撫で下ろす。
するとその時、視界の端に妙なものが映った。
濡れた地面が、妙に凹んでいる。
「――これは」
足跡だ。
獲物が運ばれた後に、ここに誰かが訪れたようだ。
子供のものと思われるサイズの跡が、点々と奥に続いている。
間違いなく、これはセシルのものだ。
「……やっぱりか」
セシルがここにいると分かった以上、事は一刻を争う。
どれだけ急いで突撃したんだか。
その歳にしてその山越え速度。非常に末恐ろしい。
俺も風の如く疾駆したいのだが、地面の血がまとわりついて難しい。
なんという走りにくさだ。
暗い洞窟な上に、足場の悪さで俊敏な動きができない。
今襲われたらひとたまりもないな。
明かりをつけるべきだろうか。
いや、あまり魔素を使用するのは良くない。
竜に感づかれる可能性もある。
結果から言って、灯りに関しての懸念は杞憂だった。
しばらくすると、ドーム状の大きな場所に出たのだ。
天井はなく、太陽の光が徐々に差し込んできている。
そして、この広場の中央に、少女の姿を見つけた。
セシルだ。
彼女は地面にへたり込んで、動けなくなっている。
「――セシルッ、大丈夫か!?」
「は、はい」
すぐに駆け寄って、怪我がないことを確かめる。
頭、首、胸、腹、背中、腰、足……腰、背中、腹、胸、胸、胸、胸、胸……。
よし、どうやら無事のようだな。
巣の中に入ったと気づいて、心臓が止まるかと思った。
ひとまず、強く注意をしておく。
「セシル。どれだけ皆が心配してると思ってるんだ。
ジャックルなんてショック死しそうな勢いだったんだぞ」
「……お、お爺ちゃんは臆病者なんかじゃないもん。
レジスお兄ちゃんも、酷いことを言われて……。だから……だから……」
セシルは今にも泣き出しそうだ。
ここで泣き声を上げるのはまずい。
とりあえず、まず一旦ここから出るべきか。
セシルに向けて背を向け、しゃがみ込む。
「ほら、掴まれ。ジャックルの爺さんは臆病じゃないよ。
俺もアレクも、イザベルもよくわかってる。
ジャックルのこと、好きだもんな。そりゃあ悪口を言われたら怒るさ」
「うん。お爺ちゃんのことは、好きです。
あと、レジスお兄ちゃんも、とっても大好きです!」
やったー、幼女に告白されてしまった。
職務質問待ったなしだ。
巡査長の野郎がいないだろうな。
前世の癖で、つい確認してしまう。
セシルを背負い上げ、いざ来た道を戻ろうとする。
しかしその刹那――足元に暗い影が出来た。
「……は?」
空を見上げる。
どこまでも続く、果てしない大空。
そこを、一体の竜が飛んでいた。
光りに照らされて輝く銀色の鱗。
力強く羽ばたく、大きな両翼。
突き出した牙は、万物を貫いてしまいそうなほど鋭い。
竜は徐々に下降してきて、地面に降り立つ。
そして、俺達に向かって凄まじい咆哮を上げた。
「――ガ、ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「きゃっ!」
「くっ――!」
ビリビリと、大気を震わせる一喝。
魔法修練場で見た時の竜とは、まるで違う。
大きさも、その強さも。
見ているだけで、足がすくんでしまいそうな圧迫感だった。
「――グルゥッ、ルルルル」
小さく火炎を吐きながら、こちらに接近してくる。
……どうすればいい。
鉢合わせするのは予想していたが。
まさかセシルと一緒の時に来やがるとは。
どの選択肢が最適なんだ。
急いで考えろ。
来た道を引き返して逃げるか?
不可能だ。
背を向けて本気で走っても、竜を振り切ることは難しい。
セシルを背負っているなら尚更だ。
背負ったまま戦う?
これも論外だ。
セシルの身体が戦闘に耐えられるはずもない。
ならば、セシルだけを逃して、俺が足止めをすべきか?
これも確率は五分五分で、安全とは言えない。
もしアレクたちより先に、入り口から他の竜が帰ってきたら致命的だ。
ここは、現時点で安全な位置で下ろし、一人で戦うべきだ。
注意を俺に引きつけていれば、セシルも襲われないはず。
ただ、これは他の竜が乱入してきたら水泡に帰する。
速攻で目の前の竜を片付ける必要があるか。
一つ息を吐いて、壁の方に下がった。
そして、セシルを下ろして注意を飛ばす。
「ちょっと待っててくれ。
この竜をすぐに排除するから。我慢できそうか?
「は、はい! セシルは、強い子なのです! できます!」
「良い返事だ」
俺は立ち上がり、竜を睨みつけた。
守りながらの戦いは、あまり経験したことないな。
あえて言うなら、ドワーフと戦った時と似ているか。
しかしあの時とは違い、セシルは一切戦力に数えられない。
俺一人で、庇いながら相手をする必要がある。
できるだろうか。
いや、やらなきゃだめなんだ。
俺はナイフを抜いた。
注意を引きつつ、セシルから遠ざかっていく。
竜も俺が脅威であると認めたようで、素直についてきた。
「来いよ魔獣」
「ガアアアアアアアアアアアアア!」
竜が身体を半回転させ、尻尾をしならせてきた。
鞭のような一撃が、俺の身体に迫る。
「うぉおおおおおおおおお!」
何とか地面に這いつくばって回避。
頭上スレスレを、ぶっとい尻尾が通過していった。
あんなものをまともに食らえば、複雑骨折は免れない。
地虫のように地面を這いずったまま、ナイフをくわえて接近する。
周囲から回りこむように近づき、可能な限りセシルから離れた。
ゴキブリもかくやというような、低姿勢での疾走。
もはや曲芸の域だ。
俺の動きを見て、竜は大きく息を吸い込む。
あれは、ブレスの予備動作か……!
すぐに立ち上がり、横っ飛びをして竜の照準をずらす。
「グルァアアアアアアアアアアアアアアッ!」
激しく吼えて、竜が灼熱の火炎を吐き出した。
セシルと反対方向にいてよかった。
炎は壁にまで達し、岩を焦がしていく。
さすが獄竜炎との異名を戴くことはある。
骨まで溶けかねない熱さだ。
何とか炎の射程範囲から逃げ切り、続けざまに接近する。
よし、ここだ!
「――疾駆す雷撃、地を穿つ。魔にて迸る天の審判――『ボルトジャッジメント』ッ!」
弱点である下顎に向けて、一気に雷魔法を叩きこむ。
火魔法が一番得意なのだが、竜も同じく得意な属性なので相性が悪い。
集約した雷撃が下顎を直撃した。
「ガ、ァアアアアアアアアアア!」
苦しげに大爪を振るう。
だが、痛みでロクに狙いが定まっていない。
爪撃をかいくぐりながら、強力な魔法を詠唱する。
「我が体内に巣食う不屈の底力よ。背水の魔力にて湧き上がれ――『ガードハンマー』!」
身体に魔力が満ちていく。
筋肉の隅々まで魔素が染み渡る感覚。
手頃な身体強化のエンチャント魔法だ。
メテオブレイカーは、一発で全魔力を持っていかれそうになるからな。
継続して動きたい時に使う魔法だ。
「喰らえ――!」
一足飛びで踏み込み、下顎にナイフを打ち出す。
ここが、弱点なんだろ。
柔らかい肉を貫通し、一気に骨まで達する。
さらに、ナイフを掴み直して、更に押し込んだ。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!」
「ぎ、ギギュギァガァ、アアアアアアアアアアア!」
竜は苦しそうにヘッドバンキングする。
だが、意地でも離さん。
思い切り地面を蹴って駆け上がり、腕がめり込むまでナイフを突き進めた。
あの魔法を使う時は……今。
火魔法に耐性があるといっても、それは鱗ありきでの話。
内部まで侵入してしまえば、火魔法も有効に通る。
「――『クロスブラスト』ッ!」
目の前で火花が散る。
竜の身体が、一瞬数倍にも膨らんだように見えた。
体内を火炎が蹂躙したのだ。
全ての器官を焼きつくし、致命傷を与える。
だが、相手は魔獣の中でも有数の強さ。
この状況においてもなお、俺の息の根を止めようとしてくる。
狙い澄ました牙が、俺の左腕に突き刺さった。
ずぶりと、嫌な音がして鮮血が飛び散る。
「いッ、痛ぇええええええええええええ!」
筋は痛めていないようだが、深く突き立っている。
早く外さないと、噛み千切られる――!
ナイフを回転させ、顎の骨を削るように振るいまくる。
すると、苦しさのあまり竜が絶叫した。
「ギガギッ、ギァアアアアアアアアアアア!」
口が開く――その一瞬。
そこで、一気に腕を牙から抜いた。
そして、ナイフを持つ右手に添える。
この魔法は、反動が尋常じゃない。
トドメとしては十分だが、こっちも消耗してしまう。
だが、絶命させるために使わせてもらう。
「うぉおおおおおおおおおお! 『イグナイトヘル』ッ!」
次の瞬間。
竜の鱗が内部から弾け飛んだ。
竜の体内で炸裂する大爆発。
クロスファイアで弱った身体に、止めのイグナイトヘル。
完全にオーバーキルだ。
巨躯が支えを失って倒れこむ。
地面を揺らすような振動が、辺りに響き渡った。
「……くッ、痛ッ」
左腕を手痛くやられたか。
まあいい、何とか勝てたのだ。
俺は倒れ伏した竜を一瞥する。
下顎が弱点というのは、本当だったみたいだな。
他の部位を狙っていたら、攻めあぐねて負けていたかも知れん。
情報をもらっておいて正解だった。
しかし、魔力の消費が予想以上に大きい。
連戦は避けたいところだ。
さっさとセシルを連れて戻るとしよう。
彼女の方へ、微笑みながら歩いて行く。
無理やり笑ってないと、表情が痛みで歪みそうだ。
セシルは俺の左腕から血が滴っているのを見て、心配そうに駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫!? レジスお兄ちゃん!」
「なぁに。見ての通り楽勝よ」
ボタボタ血を垂れ流しながら言うことじゃないな。
ただ、あまり心配させたくない。
この程度なら、止血しておけばそのうち塞がるだろう。
自作しておいた止血帯を取り出し、左腕を縛っておいた。
「さ、行こう」
「は、はい……」
俺がしゃがみこむと、セシルは戸惑うような表情をする。
その状態で背負えるのか。
そう言いたいんだろう。
だが、心配無用。
セシルのような可愛い子を背負うのであれば、全く苦を感じない。
これがアレクだったら文句の一つも言うだろうけど。
セシルを背負い直し、来た道を引き返そうとする。
だがその瞬間。
ドーム状の広場を埋め尽くすような影が、地面に覆いかぶさった。
「……は?」
頭上を見ると、そこには5つの影。
たった今倒した竜より更に巨大な竜が、5体同時に下降してきていた。
……嘘だろ。
一体で手一杯だったというのに。
なんで、こんな一気に到来するんだ。
勝てるビジョンが見えない。
もしかして。
ちょうど巣に睡眠を取りに来た所に出くわしたのか。
最悪のタイミングだ。
「……運悪すぎだろ」
一体が道を塞ぐようにして降り立ったため、逃げることが不可能になった。
俺たちを囲むようにして、放射状に着地する。
前、右前、右、左、後ろ。
どこを見渡しても隙がない。
落ち着け。
最適の解を導き出せ。
俺ならできるはずだ。
五体を同時に相手取る?
無理だ。
一体でも危なかったのに。
五体に勝てる道理がない。
来た道を塞ぐ一体を瞬殺して逃げる?
これも下策だ。
速攻で倒せる確信もないし、倒したとしてもその先が問題。
追いつかれて食い殺されるのがオチだ。
結論が出た。
俺が置かれている境遇は、解なしの絶望的状況らしい。
こうなったら、正面からやるしかない。
多少天運に引っ張られるが、仕方あるまい。
セシルを上手いこと逃がして、5体の注意を引き付けなければ。
しかし、まずセシルをどうやって逃す?
そんなことを考えている内に、竜たちがジリジリと迫ってきていた。
狭まる包囲網。
焦りが頂点に達しそうになった、その時――
「――『サイクロン・スピア』!」
入り口へと続く道を陣取っていた竜の身体に、風穴が空いた。
反応すらできず、竜はそのまま倒れ伏す。
さらに、何者かが盛大な踵落としを頭蓋に決め、絶命させる。
あっという間に出来上がった竜の亡骸。
それを踏み越えてやってきたのは、やはり彼女だった。
「――レジスよ……」
ゆらり、と身体を揺らしながらアレクが現れる。
彼女は俺の姿を認めると、業火のように叱責してきた。
「このたわけ、ドたわけ、大たわけ。
何を勝手に突っ込んで窮地に陥っておるのじゃ」
見事な三段活用を駆使しながらの説教。
スタイリッシュすぎるだろう。
彼女は足元の竜を踏みつつ、広場に入り込んできた。
「悪い。でも結果的に助かったんだ。
そう思うと、無理した甲斐があるだろ?」
「竜の巣に一人で行く阿呆に、甲斐なぞないのじゃ」
ピシャリと言われてしまう。
アレクは凄まじい魔力を放出して、周囲の竜を牽制していた。
圧倒的な存在感。
他の竜も、迂闊に手を出せないようだ。
その隙を見逃さず、俺はアレクの元へ走った。
すると、彼女の背後にいた人物たちが目に入る。
一人が躍り出てきて、俺を叱咤してきた。
「レジス……本当に無茶はやめてよ。起きてびっくりしたよ」
「悪かった。でもちゃんと、こうやって目的は達成できたぞ」
背負っているセシルを見せる。
どうやら、イザベルも来てくれたようだな。
水魔法の使い手が入るだけで、ものすごく心強い。
俺の肩口からセシルの顔を見せた刹那――馬鹿でかい声が俺の耳を襲った。
「うぉおおおおおおおおおお! セシル、無事だったか!」
俺の鼓膜が無事じゃないんだけど。
鼓膜と耳小骨をぶちぬいて、ユースタキー管がのたうちまわってるんだけど。
ジャックルは今にも泣きそうになっている。
「セシルよ。お前が無事なだけで……儂は、儂は……」
俺を無視して、セシルの頭を撫でていた。
しかし、イザベルならまだしも、ジャックルも来てたのか。
案外、アレクあたりに「来るな」と言われてそうだったけど。
孫娘を助けるためなら何とやら、ってことか。
彼にセシルを渡して、俺も竜に向き直る。
これで自由に動き回れるな。
「ジャックル爺さんよ。
俺とイザベル、そしてアレクで竜の巣を撤去する。
だから、一足先に無事な所へ避難しててくれ」
「大丈夫なのか……?」
「ふん、弱い者がおっても邪魔なだけじゃ。
それに、死なれても寝覚めが悪い。しっかり抱えて、離すでないぞ」
おお、珍しくアレクが他人を心配している。
しかし、もっと素直に言えばいいのに。
何だかんだで、彼女もセシルを心配していたようだ。
アレクの言葉を受けて、ジャックルは頷く。
「すまぬな。行くぞ、セシル」
「はい、お爺ちゃん。みんな……気をつけてね」
そう言って、二人は洞窟の出口へと走り去っていった。
一つ懸念なんだが、外に竜はいないんだろうな。
まあ、いたとしたらアレクが気づくだろうし。
何も言わないってことは、ここにいるので全部なのだろう。
つまり、こいつらを片付ければ、竜の巣問題は解決ってわけだ。
そう思うと、並々ならぬ気力が満ちてくるな。
「ふむ、我輩が正面の2体を相手しよう。
レジスは右、イザベルは左の竜を相手するのじゃ。
死にそうになったら我輩の背後に下がるように」
「分かったよ」
「了解」
俺とイザベルは即座に返答する。
こっちも頭数は揃ったことだし。
本格的な竜の討伐を開始するとしよう。
俺は拳を握りしめ、目の前の竜に突撃したのだった。