第十五話 儚い強さ
「へー……私が外に出てる間に、そんなことが」
エルフ連中との一悶着があった後。
ジャックルはセシルを探しに行き、俺は部屋へ戻った。
色々と作戦を練るため、アレクは俺に追随してきている。
それにしても、無駄に濃密な午前の時だったな。
胃壁がゴリゴリ音を立てて削れそうだった。
ジャックルが半泣きのセシルを連れ帰ったのと同刻。
イザベルが顔見せと個人的修行から戻ってきた。
エルフ達との揉め事を外で知ったらしく、怒涛の勢いで帰ってきたそうだ。
一連の話を俺とアレクから聞いて、彼女は頷いた。
なんだか、非常に申し訳なさそうにしている。
「ごめんね。私がもう少し早く来てたら、穏便に事が済んでたかも……」
「まったくじゃ。ただでさえ役に立たんというのに。
重要な場においても不在とはどういうことじゃ」
「し、仕方ないじゃないか! 私だって必死にやって来たんだよ?」
「まあ、平和的に解決したんだからいいじゃないか」
あと少しで血なまぐさい戦いになってたけど。
そういう意味では、アレクの登場は本当に助かった。
イザベルは頭の中で話を整理し終えたのか、案件を切り出してくる。
「それで、明日の昼に竜の巣を攻撃するんだね?」
「うむ。竜は大勢で相手しても、犠牲がいたずらに増えるだけじゃ。
少数精鋭で挑むのが一番であろう」
「だから、俺とアレク、そしてイザベルで向かうわけか」
正直、俺に竜が倒せるかは微妙なんだけど。
下手をしたら、サポート役しか出来ない可能性もある。
まあ、その時は俺にできる事を全力でやるだけだ。
「さっき霊峰の中を見回ってきたけど。
帝国兵は、相変わらず入口付近で採集をしてたよ」
「エルフ達は知らんじゃろうが、
霊峰には帝国では手に入らぬ草も生えておって、帝国兵からすれば宝の山なのじゃ。
まあ、いい目眩ましになるじゃろ。連中を片付けるのは、竜の巣を撤去した後でよい」
エルフ達からしてみれば、神経を逆撫でする以外の何物でもないんだろうけど。
多角的な面から見れば、峡谷奥地に来ない分だけマシだとも言えるな。
ここは一度迷ったら生きて帰れない秘境なのだ。
帝国の連中も慎重に行動することだろう。
「入口付近にいるのなら、横槍も入りそうにないな。竜の攻撃に専念できそうだ」
「うむ、それで聞いておきたいのじゃが。
汝らは竜についてどれくらい知っておる?」
おっと、ここで質問か。
今までに書物で得た知識を披露する時が来たようだな。
俺は記憶を探りつつ、知っていることを放出した。
「えっと……山岳地帯や乾地を好む『魔獣』だろ。雑食で凶暴。
ドラグーンが使役してて、大陸東の連合国からは根絶命令が出てるほど影響力がある。
理知的な竜も数多くいるけど、それはドラグーンが調教しているからであって、
元々の竜は他の種を全て餌と考える程に好戦的。このくらいか」
「たわけ。そんなことくらい、そのへんの町人でも知っておるわ」
たわけとか言われたんだけど。
まあ確かに、竜に関しての造詣はあんまり深くないよ。
でも、バッサリ切り捨てることはないと思うんだ。
しかも、その辺の町人は絶対知らないことだからな。
興味のない本を、金を払って読破するはずがないだろう。
竜について知識を持ってる奴なんて、ドラグーンや学者、あとは暇人くらいしかいないだろう。
俺がどれに当てはまるかは言うまでもない。
「訊いておいてそれはないだろー……」
「習性や戦闘方法などを訊いておるのじゃ。
連合国とかドラグーンとか言われても、今は関係ないじゃろう」
まさに正論。
そうか、そっち方面の話だったか。
となると、ますます俺の手持ちの情報では対応できないわけだが。
確か、生態についてを詳しく書いた本もあったと思うけど。
今度また読まなきゃいけないな。
アレクが隣に視線で説明を促す。
すると、イザベルが一つ咳をして解説してくれた。
「竜は基本的に夜行性だね。
昼間は動きが鈍くて、巣にいる事が多い。
鋭い爪と牙、そして尻尾と強力な火魔法を主軸に獲物を狩る。
奥の手として吐いてくるブレスは、並の魔法師では即死――だったよね」
ほぉー、意外と攻撃技が多彩なんだな。
恐らく接近戦では爪と牙。
中距離から遠距離は尻尾とブレスで迎撃。
と言った風に、戦法を使い分けて来るのだろう。
やはり侮れないな。
イザベルの的確な講義を受けて、アレクが一つ頷く。
「ま、及第点といったところじゃな」
「人を評価できる説明もせずに、ずいぶん偉そうだね」
「偉いからの。これは傲慢ではない。当然の誇りじゃ」
イザベルの皮肉を、一笑に付している。
どう見ても傲慢だよ。
七つの大罪でトップを張ってそうな奴だ。
しかし、自尊だけで終わるアレクではない。
不足した情報を、ちゃんと補ってくれる。
「加えて言うなら、奴らの弱点は下顎じゃ。
攻撃をくぐり抜け、その部位に魔法やら体術やらを叩きこめば、倒せぬ相手ではない」
「俺たちに倒せる相手なのか?」
「我輩なら2体同時でも余裕じゃ。
汝らは……どうじゃろうな。不安なら残っても構わんぞ?」
アレクは顎に手をやって考えた後、そんなことを提案してきた。
しかし、俺はすぐにその考えをぶった切る。
「冗談。お前を一人で行かせるかよ。
多少無理してでもついていくぞ。俺を置いていったら永遠に恨むからな」
「そうだね。アレクサンディアを一人にしておくと、峡谷が砕けかねない」
アレクが必死に戦ってるのに、俺は膝を丸めて待機。
そんな情けない逃亡は、絶対に嫌だ。
危険な地に行くというのなら、俺が隣で守ってやりたい。
たとえ、俺の身体がズタボロになったとしても――
こいつらだけは守り通してみせる。
それが、俺なりの責任と願いなのだから。
「お前だって一人よりは複数人といた方が頼もしいだろ?
永遠のぼっちは辛いぞ。放置される苦しみは尋常じゃないんだから」
「……放、置? 永遠?」
……なんだその疑問形は。
アレクが舌足らずな口調で聞き返してきたので、思わず困惑してしまう。
新しい芸風なのだろうか。
それとも俺の言葉を疑ってるのか。
勘弁してくれよ。
俺は基本、嘘なんて滅多につかないんだから。
アレクを安心させるように続ける。
「任せろって。
もし邪神が復活したとしても、俺が可能な限り抵抗してやるからさ。
勝てそうなら一緒に戦って打ち倒してもいい。
一人だと勝算も薄いだろうからな」
「……邪神? ひと、り?」
またしても、アレクが断片的な内容を拾って聞き返してくる。
……本当に大丈夫なんだろうな。
考えすぎて知恵熱でも発症したんじゃないのか。
若干目がぼんやりしてるし。
いや……待てよ。
アレクが茶化してきている可能性も否定できない。
案外、
『え、邪神倒すとか何夢見たこと言ってるのこいつ。童貞じゃない?』
って意味で返答しているのかもしれない。
邪神の強さを一番知ってるのはアレクだろうし。
邪神の姿形さえ見たことない俺が気を張っても、説得力は皆無だろうな。
まあ、実際に邪神が息を吹き返した時は、身近な奴くらいは身を挺して守るさ。
そんな決意を内心でこっそりした瞬間。
――明らかに場の空気が変わった。
アレクの身体が、不自然にドクンと跳ねたのだ。
彼女の金色の瞳に、暗い光が宿る。
溌剌として好戦的なアレクの表情が、急に悲壮じみたものへと変わった。
その急変ぶりに、俺とイザベルは当惑を隠せない。
「お、おい。どうした?」
尋ねるものの、今度は復唱すらしない。してくれない。
からかっているのかと思ったが、どうも様子が違う。
そして――アレクは胸に手を当てて呻き始めた。
冗談でなく、本当に苦しんでいるのだ。
「――う……ぅうぅううう」
「お、おい! どうしたんだ?」
「ちょ、ちょっと。アレクサンディア?」
俺とイザベルが慌てて尋ねる。
しかしアレクは苦しげに虚空を見るだけで、何の反応も返さない。
どうやら、俺たちの声が聞こえていないようだ。
彼女は自分の肩を強く抱いて、小さな身体を震わせている。
「……じゃ」
「ん、なんて?」
「……一人は、嫌じゃ。永遠に孤独なのは、嫌なのじゃ」
ギリッ、とアレクが歯ぎしりをして呟く。
絞り出すかのような痛ましい声。
どうやら……何か地雷を踏んでしまったようだ。
そこで思い出す。
さっきの妙な返答は、突っ込んではいけない記憶の扉を開ける鍵だったんじゃないか?
誰にでも、秘匿しておきたいトラウマの一つや二つはある。
そんな過去を、何かの言葉で引きずり出してしまったのかもしれない。
さっきの会話から察するに、
『一人』、『永遠』、『放置』、『邪神』
あたりが引き金になった可能性が高い。
誰だ、そんな不躾な話題を提供したのは。
焦る内心を無理やり押さえつけて、アレクに声をかけ続ける。
「おい、返事をしろ。アレク!」
「……ひぅ、う、うぅぅぅぅぅ」
「大丈夫……じゃないよね。ずいぶん顔色が悪いよ」
肩を揺さぶるが、アレクは返事をしない。
何かに耐えるように目を瞑り、嗚咽しているだけだ。
明らかに、俺達の姿が見えていない様子だ。
苦痛な経験をした時の光景が、
目の前にフラッシュバックしているのかもしれない。
過去の苦痛な記憶は、時に悪夢やトラウマとなって人を苛むのだから。
アレクが苦しんでいる様子。
その姿は、どこか不安定さを感じさせて――
……待てよ。 不安定?
俺は先日に読んだ、四賢についての書物を思い出した。
――『大陸の四賢は神様でもなく、ましてや英雄でもない』
大陸の四賢を、蛇蝎のように嫌っていた人物が書いた本。
あの中に、どうにも気になっていた記述があったのだ。
それは、大陸の四賢の絶対性を危惧するもの。
……思い出せ、確かあれは――
――『圧倒的な強さを持った、ただの魔法師だ。
精神面も強いとは思えず、些細な事で簡単に発狂することだろう』
そうだ、思い出した。
大陸の四賢の内面には、呪いと邪神への恐怖が未だに根付いている。
そんな危機感あふれる過去をダイレクトに刺激すれば、どうなるか。
神ではない彼女たちは、間違いなく悶え苦しむだろう。
……わかっていたことじゃないか。
だが、仕方ないといえば仕方ない。
例えそのことを知っていても、根本的な解決は成し得なかったのだから。
記憶の刺激を避けようと思っても、触れ合い話す以上、いつかは必ず地雷を踏んでしまう。
だから今は、彼女の心をどう落ち着かせるか。
そこに重点を置くべきだ。
「……寂しい、心が痛い。胸が、苦しいのじゃ。
誰か……誰か我輩の隣に……」
焦点の定まっていない瞳。
アレクは虚ろな目で、何か掴まれるものを求めていた。
それを見て、俺はすぐさまアレクの手を握ってやる。
彼女の手はびっしょりと汗ばんでいた。
明らかに動揺している。
やはり過去の自分の姿がチラついているのか。
幻影は現実で消し飛ばさなければ。
俺はアレクの肩を掴み、ゆっくり顔を覗き込む。
「アレク、落ち着け。ほら、俺たちが見えるよな?」
「……どうして、我輩を残して先に逝く。
嫌じゃ、嫌じゃ……嫌なのじゃ」
俺の声が届いていない。
激しく不快感を催す記憶を揺さぶられているらしく、顔色は悪くなる一方だ。
今にも泣き出しそうな顔で、ガチガチと震えていた。
「無理じゃ……もう。
こんな長い時間を、孤独に過ごすのは……耐えられ――」
「――アレク!」
不意に、アレクを抱きしめていた。
ほとんど無意識的な行動だった。
落ち着かせるために、背中を擦ってやる。
そして、アレクの耳元で強く励ました。
「俺はここにいる。アレクにそばにいる。
俺は絶対、何があっても、お前を一人にしたりしない」
「……う、うぅうぅぅう。
母上、父上。どうして……死んで……」
両親の記憶が蘇ったのか。
アレクはケホッコホッと涎を垂らしながら咳き込んでいる。
強烈なトラウマを刺激されたらしく、大粒の涙をこぼし始めてしまった。
「……っ」
思わず絶句してしまう。
アレクが、泣いた。
涙を流している。
出会ってかなりの時間が経つが、彼女の泣き顔を見たのは初めてだった。
……俺が泣いてるわけじゃないのに。
何でこんなにも、胸が苦しいんだよ。
アレクにはいつも笑ってて欲しいというのに。
彼女の苦しむ顔を見ていると、胸が張り裂けそうだった。
「……嫌じゃ、もう先立たれるのは……うぅううう」
何をどうしたらいいのかわからない。
しかし、それでも。俺はひたすらアレクを強く抱きしめ続けた。
急に力を込めたからか、彼女は反射的に蹴りを入れてくる。
手加減が働いていないのか、脇腹から妙な音がした。
……ヒビが入ったか。
がむしゃらな一撃なのに、よくそこまでの力が出せるものだ。
いや、逆か。
普段は手加減をしてくれていたからこそ――
無茶な技を掛けられても、怪我をしなかったんだ。
そして逆に言えば、今のアレクには手加減する余裕さえないのだ。
腕を通して伝わってくる彼女の身体は、ひどく細く、儚く感じた。
アレクが暴れる度、脇腹にじんわりと痛みが広がる。
しかし、俺はそれでもアレクを掻き抱いた。
その細い身体が折れそうなくらい、強く抱きしめてやる。
俺の心臓の音が聞こえるように。
一人じゃないことを教えるために。
傍に誰かがいることを、感じさせてやるために。
しばらく嗚咽が続いていたが、徐々に収まってくる。
少し力を緩めてアレクの顔を見ると、彼女はすぅすぅと寝息を立てていた。
どうやら、もう悪夢に苛まれてはいないようだ。
一つ息を吐いて、イザベルに向き直る。
「イザベル……今のは?」
「……分からない。こんなに苦しそうな彼女は、私も初めて見たよ」
だろうな。俺だって今まで見たことない。
いったい、決定的な引き金は何だったんだ。
候補は色々と思い浮かぶが、それらは全て憶測でしかない。
俺がアレクの顔を眺めていると、イザベルが不確かな口調で言った。
「でも……何で爆発しちゃったのかは分かる、気がする」
「というと?」
「アレクサンディアは知っての通り、峡谷に数十年周期で来るんだけど。
その目的は、大抵いつも両親のお墓参りなんだ」
「ふむ」
肉親には律儀な奴だからな。
それに、普段の言動からも両親への敬意は窺えた。
きっと、家族を大切にしてやれる奴だったんだろう。
アレクは抜けてるように見えて、やるべきことはやるからな。
イザベルはアレクの顔を心配そうに覗き込みつつ、説明を続けた。
「彼女は墓への挨拶を終えると、すぐに帰っちゃうらしいんだけど……。
しばらく滞在するとしても、峡谷の外で過ごしていたみたいなんだ」
「その理由って……」
「多分、峡谷に辛い記憶が多いんだと思う。
しかも人恋しい性分だし、数百年の時の流れで死んだ仲間が多かっただろうし。
色々と記憶を蘇らせる峡谷に長居するのが、いたたまれなかったんじゃないかな……」
「そうか……そうだったのか」
シャディベルガ等の例外を除いて、アレクは殆ど他の者と接触を持たなかった。
それはなぜか。
単に厭世家なだけで、人嫌いだと言えばそれまでである。
しかし、アレクは違う。
かなり人懐っこくて、身内には世話を焼く。
基本的にこいつは、誰よりも仲間の温もりを求めているんだ。
それに。
もし彼女が仲間に愛着を持っていないのだとしたら――。
俺が学院の魔素供給所に忍び込んだ時、助けになんて来てくれなかっただろう。
帝国の魔法師が攻め込んできた時、俺やエドガーを守ろうと手を貸してはくれなかっただろう。
アレクに助けられたことを思い出しつつ、彼女の顔を見やる。
「お前も、寂しかったのか……」
いつも傲慢で、上から目線で、不敵で、無敵で。
弱みなんてないと思っていた。
大陸の四賢だから、何よりも強く、何者にも傷つかないと思い込んでいた。
でもそれは……違う。
少し考えれば分かることだったじゃないか。
「当然だよな……500年だもんな」
彼女は恐らく、邪神の呪いで永久にも近い時を生きている。
寿命の概念にとらわれて、次々と死に絶えていく友人たち。
共に思い出を培った仲間がいなくなっても尚、死なずに生き続けなければならない。
それは、何よりも苦痛な生き方なんじゃないだろうか。
もし俺がその境遇に置かれたら、数年で発狂して廃人になる自信がある。
アレクはよく耐えている方だろう。
「それに、蘇るのは単なる辛い記憶だけじゃないんだと思う。
彼女は四賢の中で最もと言っていいほど、邪神に随分と苦しめられたらしいし」
「……さっきの恐れ方を見たら分かるよ」
「エルフの峡谷は邪神との決戦で、何度も重要な拠点になったからね。
ここに来ると、邪神への耐え難い恐怖が、蘇っちゃうのかもしれない」
なるほど。
確かに、ここはエルフにとっては聖地に相違ない。
しかしアレクからすれば――
両親の没した故郷であり、同時に邪神の脅威を思い出してしまう場所。
長居したくない気持ちは分かる気がする。
「ちょっと待てよ。
ジャックルを虐め倒した時も、アレクは一週間は峡谷にいたんだよな?
その時は大丈夫だったのか」
「峡谷に出没はしたけど、寝泊まりは外でしてたらしいよ。
今回は、ほら……四六時中、峡谷にいるから」
「……ああ」
そうだったな。
アレクは面倒を頼まれて、ここまで来てくれるんだ。
俺の護衛のために、峡谷から離れるわけにはいかない。
その上、常に外敵がいないか神経を尖らせているのだ。
心が張り詰めて、摩耗してしまってもおかしくない。
急に申し訳なさを感じてきた。
「……悪かったな、アレク」
アレクの髪を少しだけ撫でる。
普段ならアッパーカットでもされそうなものだが。
今は見た目相応の寝顔を晒していた。
そのあどけない表情は、全てをかなぐり捨ててでも守ってやりたくなるほどに――
儚く、淡く、それでいて可愛らしかった。
俺はアレクが目覚めるまで、ずっと背中をさすり続けていた。
そして、数十分後。
突如として、アレクの身体がピクリと跳ねた。
そして、うっすらと目を開ける。
彼女は俺の顔を見ると、すぐさまいつもの暴君フェイスに表情を変えた。
よかった、意識を取り戻したようだ。
……また苦しむ顔をされたらどうしよかと。
目を覚ましたことを、盛大に喜ぼうとした刹那――
「な、何を抱きついておるのじゃ。離れよ!」
「ぐぼァッ」
アレクの蹴りが脇腹に直撃した。
俺は数メートル吹き飛んで、そのままゴロゴロと転がる。
今度は手加減……ならぬ足加減をしてくれたようだが。
当たった位置が悪かったな。
俺は脇腹を抑えてのたうちまわった。
「……ぐ、ぐぬぉおおおお」
「な、なんじゃどうした。そんなに強く蹴ってはおらんじゃろう」
アレクが慌てたように駆け寄ってくる。
心配するなら最初から蹴るなと。
得意のチョークスリーパーでまた眠らせてやろうか。
そう思ったのだが、アレクは本気で心配したように俺の脇腹を撫でてくる。
そして、手触りに違和感を感じたのだろうか。
彼女は愕然とした顔で冷や汗を流した。
「な、何でヒビが入っとるんじゃ……」
「いやいや、お前がやったんだろう」
「今の一撃で骨に衝撃が行くはずあるまい。
で、でも実際に損傷しとるわけじゃし……」
オロオロと慌てたように原因を探っている。
こいつ……まさか。
彼女の記憶をなるべく刺激しないよう、それとなく尋ねた。
「お前、さっきのこと、覚えてないのか?」
「何の話じゃ」
「いや……ほら、寂しいとか言ってたじゃん」
「はぁ? そんなことを言うはずがあるまい」
何言ってんだこいつ、といった表情で見てくる。
やだ、鋭い眼光。背筋が震えちゃう。
冗談はさておき。
やはり、先ほどの苦痛を自覚していなかったか。
あるいは、あまりに刺激が強すぎて、防衛本能が記憶を消したか。
どちらにせよ、無意識下で暴走していた説が有力だな。
「俺と話してた内容を記憶してるか?」
「馬鹿にするでない。
竜の討伐に関しての作戦を決めて、それから――」
アレクが自信満々に説明しようとする。
しかし途中で言い淀み、首をひねってしまった。
「おかしいのぉ。その後、急に眠くなって……むぅ」
「やっぱり記憶にない?」
「うむ。珍しいこともあったものじゃ」
やはり、意識の底に潜んだトラウマが蘇っただけみたいだな。
覚えていないのならむしろ好都合。
もし記憶していたら、確実に引きずっていたことだろう。
竜討伐を目前にして、コンディションが最悪なのは避けたい。
俺の意向を汲み取ってくれたらしく、イザベルが自然な流れで告げてくる。
「とりあえず作戦も決まったことだし、まずレジスの治療をしようか」
「そ、そうじゃな。しかし……力加減に失敗したんじゃろうか。
弟子を傷つけてしまうなど、師匠失格じゃ」
どうやら本気で落ち込んでいるらしい。
適度にからかったりはするが、実害を出すのは好まないらしいな。
アレクはいそいそと道具を取り出し、薬品を混ぜていく。
数分後、骨を急速に回復させる薬を調合してくれた。
さすがエルフの代表格。
薬草とかの取り扱いに関して右に出るものはいないな。
「ほれ、竜神の匙をよこすのじゃ」
アレクの言葉に従い、竜神の匙をパスする。
彼女の弁だと、変な薬を強化すると匙に負担がかかるらしい。
きちんとした調合に基づいた薬品を載せないと、いつか砕け散ってもおかしくないのだとか。
うっかり下手な使い方をしないよう、俺も気をつけないとな。
せっかく手に入れたのに破損、だなんて事態は避けたい。
「さて、これで明日には治るじゃろ」
アレクが薬を傷口に塗布してくる。
単純骨折みたいだし、支障は出ないはずだ。
竜神の匙を包装に包み、懐に入れておく。
その時、イザベルが深い溜息をついた。
「ふぅ……レジスも大変だね。助けようとして骨を折られたり――」
「なんじゃ、まるで我輩が情緒不安定であるとでも言いたげじゃな」
物凄く言いたい。
言い切りたい。
しかし、治りかけた脇腹がまたクラッシュしては困る。
先ほどの一件があるからか、イザベルも強く言い返さない。
すると、アレクは物足りなさそうに聞き返してきた。
「なんじゃ、急に黙りおって。
では、我輩をどのように思っておるのじゃ?」
放置してたらチラチラ戦法を取ってきやがった。
何だかんだで毒舌を待ち望んでいたのか。
ならば遠慮はいるまい。
俺とイザベルがほぼ同時に断言した。
「露出狂」
「傲慢の化身」
……あれ。アレクの顔から笑みが消えた。
静かな怒りが燃え始めている。
いや。だって本当のことじゃん。
お前から露出癖を取ったら何が残るというんだ。
イザベルの傲慢の化身という言い回しも、まさに真実。
返答を求めておいて、微笑みを消すとは何事だ。
しかし、彼女からしてみればそんなことは関係ないらしい。
痛いところを突かれて、アレクが魔力を解放する。
「根も葉もない事を言うでない! 消し炭にしてくれるっ!」
「うぉあああああああああ!」
俺とイザベル、決死の制止。
間一髪でアレクの詠唱をキャンセルさせたのだった。
怒りつつも、嬉々として魔法を詠唱するアレク。
その姿から、いつもの日常を感じ取ることができた。
そのことに心底安堵したことは、内緒にしておこう。
少し気恥ずかしいし。
苦笑しつつ、俺はアレク、イザベルと共に一日を過ごしたのだった。