第十四話 師匠の弁舌
アレクの登場で、エルフ達は一気に窮地に立たされた。
強行手段が使えなくなったわけだ。
まあ、俺一人でも連中に負ける予感なんて微塵もしないが。
アレクは意外にも口が強いので、任せておいて良いだろう。
しかし、口が強いという評価はいささか違うような気がするな。
そう、アレクは重箱の隅をつつくような舌戦が大好きなのだ。
さすが師匠。性格の悪さと傲慢さでお前に敵う奴なんていないよ。
口に出したら光の早さで粛清されそうだからやめておこう。
エルフは動揺していたが、アレクを前にしてすぐに表情を引き締める。
「失せろ。人間に迎合した俗物めが。峡谷のことに口を挟むな」
「おや、我輩の助力を拒むのか?」
「当然だ。了承するとでも思ったか」
ふん、とエルフ達はアレクを睨みつける。
張り合うのは得策ではないと思うんだけど。
アレクと口で勝負しちゃいけない。
案の定、アレクは怒涛のごとく皮肉を繰り出しはじめた。
「別に。汝らが竜の餌になろうと、我輩は一向に構わんのじゃけども。
そうなると、阿呆が馬鹿みたいに騒ぎ立てるのが目に見えておるからな」
「何が言いたい?」
「他人に頼ることしかできぬ汝らは人間にも劣る、と言いたいのじゃ。
もし汝らが竜に食い殺された時、汝らと一族は我輩にこう言うのじゃろうな。
『それほどの力を持っていながら、なぜ手を貸してくれなかった』と。
自分から助けを断っておきながら、怨嗟の目で我輩を見る汝らが容易に想像できるのじゃ」
恐ろしい予言だ。
彼女は射抜くような視線を叩きつけ、エルフ達に反論した。
もし間違ったことを言ってたとしても、
威圧感で納得させてしまいそうな安定感がある。
アレクの言葉を受けて、エルフ達は苛立ったように反駁した。
「そ、そんなことを言うはずがないだろう!」
「いいや、言う。絶対、確実に言うじゃろうな。
汝らの都合の良さは天井知らずじゃ」
アレクは一歩も譲らない。
争点を徐々に移動させ、向こうの統合意見を崩しにかかっている。
末恐ろしい弁論術だ。
こいつにセールスマンをやらせたら、全部商品を売り切ってくるんじゃなかろうか。
ノルマを達成できそうにない時は、顧客にドスを聞かせた声で「買え」とか言いそうだし。
うむ、間違いなく訴訟が起きるな。
こいつに仕事を与えるのは自殺行為としか言えん。
もっとも、この場面において、アレクは誰よりも力を発揮してくれる。
そういう意味では、何よりも頼りになる存在だ。
アレクは口の端に癖のある笑みを浮かべ、エルフ達に迫る。
「あと、これは散歩した時に気づいたことなのじゃが。
汝らは峡谷の整備をほったらかしにしておるじゃろう」
「……それがどうした? 別に困ったことはない。何か問題があるのか」
そう言えば……。
小川を歩いた時も、あんまり綺麗じゃなかったな。
草も伸びまくってたし。
下手したら峡谷内で迷いかねないほどだった。
エルフ達の返答に、アレクはため息をつく。
「はぁ……そう言うと思ったのじゃ。
あちこちの障壁は剥がれ放題。近場には魔獣が繁殖し放題。
しかし、不思議と峡谷に害は出ておらぬ。疑問に思わぬのか?」
「回りくどい、はっきり言え」
外堀から埋めるような口調に、エルフ達も苛ついているようだ。
でもお前ら、さっきジャックルに対して息を吐くように暴言を繰り出してたよな。
似たようなことをされてキレるなよ。底の浅さが見えるぞ。
「この峡谷が守られておるのは、
誰かが必死に雑事を代行してくれておるからではないか?」
「私たちは危機の際に出撃するという使命を負っている。
そういう仕事は、他の誰かの役目だろう」
やっぱりこいつらは、守衛を仕事にしてるみたいだな。
アレクが峡谷に入ってきた時も、真っ先に迎え撃ってたし。
戦闘による防衛より下の仕事として見ているのか、雑事代行を鼻で笑うエルフ達。
しかし、アレクはそんな彼女たちに冷たい視線を浴びせる。
「全員がそう思うから、峡谷の防護は徐々に廃れていくのじゃ。
そこの小僧が普段から障壁を直し、魔獣を掃討していたのを知っておるのか?」
「なっ、族長が!?」
傍観しているジャックルの肩が震えた。
しかしそれ以上に、エルフ達の驚愕っぷりが尋常でなかった。
鳩が軽機関銃を食らったかのような状態である。
「その反応じゃと、知らんかったようじゃな。
まあ、それも当然。何故か知らんが、
そこの小僧は汝らの腐りきった矜持を傷つけぬよう、嫌味にならぬよう、
こっそり事をなしておったのじゃからな」
「そ、空言を言うな!
私たちでも知らないことを、昨日来たばかりの貴様に何が分かる」
エルフ達が苦しげに抗弁する。
族長であるジャックルが、面倒臭い事を全て引き受けていた。
自分たちに文句言わず、ただ黙々と――。
エルフ達はそのことが信じられないようだ。
いや違うな。信じたくない、って感じだ。
でないと、自分たちが怠惰に過ごしていた凡愚になってしまうからな。
するべきこともしていないで、ジャックルを責めるなど見当違いも甚だしい。
アレクは疑念を持つエルフ達を叱責する。
「障壁の修復場所や魔獣の墓地から、
小僧の魔力の匂いがしておったからな。
この程度、エルフの嗅覚を使えば誰でも分かるはずじゃぞ?
小僧の整えてくれた環境に甘え、微塵も手伝わず、挙句の果てに文句までつける。
――エルフの誇りとやらは、敬意をドブに捨てることじゃったのかな?」
「だ、黙れ! 全て嘘に決まっているだろう! どうなんだ族長!」
エルフの一人が、我慢しきれなくなってジャックルに詰め寄った。
どうか否定してくれ――そんな思いが裏に見える。
淡い自己愛だ。
しかし、ジャックルの苦しげな一言で、脆い期待は打ち砕かれてしまう。
「……アレクサンディアの言う通りだ。
一日視察しただけで、見破られるとは思わなかったが……」
「なっ!?」
「小僧も本来なら引退する歳じゃろう。
なのに、なぜ無駄に体を鍛えておったのか。
答えは簡単、独力で魔獣に後れを取らぬためじゃ。
もしや汝ら、それすらも気づかんかったのか?」
ジャックルの意図は何となく分かってたけど。
……そのことには俺も気づかなかったと言ったら、しばかれるだろうか。
てっきり趣味で鍛えていたと思ってたんだが。
まさかそんな裏事情があったとはな。
エルフ達は普段から身近にいるんだから、尚更気づかなきゃダメだろうけど。
泡を食ったように、エルフ達はジャックルに詰め寄る。
「くっ……族長、なぜ言ってくれなかった!
伝えてくれれば、全員が手伝ったというのに!」
「自ずと気づいてくれることを期待していたのかも知れん……。
これは儂にも非があろう。
しかし、誇りの高いお前達を、頭ごなしに叱責したくなかったのだ」
優しさゆえの腐敗。
そんな言葉が脳裏をよぎった。
確かに、ジャックルの行動方針に問題がなかったとは言えない。
一見薄弱にも見えるその非戦方針は、周囲の不興を大いに買うことだろう。
だが、その優しさに甘えながら、
自分では基本的なことすら疎かにしていたエルフたち。
少なくとも、そんな連中がジャックルを責めることはできない。
棚上げもいいところだ。
「ぬるま湯につかりきった、腐りかけの誇りじゃがな。
どうせ言ったところでも変わらんかったじゃろう」
「……言わせておけば」
エルフの一人が、刀を抜きかける。
しかし、すぐに隣にいたエルフが制止した。
「よせ……私たちが間違っていた。
部分的ではあるが、アレクサンディアの言っていることは正しい」
「……ちっ」
渋々エルフは刀を収める。
まあ、もしアレクに襲いかかっても、一秒後には地面に這いつくばることになりそうだけど。
どちらにせよ、穏便に済むのはいいことだ。
「話は戻るのじゃが。
竜に挑もうとしておるのは、族長に雑事を押し付けて胸を張るような連中じゃぞ。
そんな阿呆どもが、敗北した際に我輩を責めぬと言い切れるのか?
我輩の見立てじゃと、間違いなく周囲のせいにするじゃろうな」
「き、貴様は結局、何が言いたいのだ!
どれだけ私たちが悪いとしても、竜の脅威が迫っていることは事実!
野放しにしておけというのかッ!」
アレクの追及に対し、ついにエルフ達が激高した。
しかし、あくまでアレクは挑発をやめない。
「そうじゃ。汝らが竜に特攻しても、餌になるのがオチじゃからな。
味をしめて峡谷付近に巣を作られたら敵わぬ」
「はっ、おかしなことを言う!
凶暴な竜を攻撃するな、か。
死者が出ようとしているのに、四賢様はずいぶんと悠長だな」
唾棄するようにエルフ達は吐き捨てた。
怒髪天を衝くとはこのことか。
俺が仲裁に入る余地もない。
声が枯れてきてるエルフもいるし。
ここは唐辛子入りの茶でも差し入れてみるか。
双方ともに、少し落ち着いたほうがいいと思うんだ。
もっとも、配膳した瞬間、俺の顔にぶちまけられそうだけども。
飛空石を喰らった王みたいになるのは遠慮願いたい。
「勘違いするでない。
昨日の時点で、我輩が竜を討伐することは決定しておる。
出発は明日の昼頃じゃ」
「初耳だな。
で、それを私たちに援護して欲しいのか?
――どの面下げて助けを乞うつもりだ」
エルフの一人が底冷えのする声を出す。
そう言えば、他のエルフ達にはまだ言ってなかったのか。
ジャックルも話を通してくれれば良かったのに。
もっとも、エルフが聞く耳を持ってくれたとは限らないけど。
アレクを毛嫌いしてる連中が、そんな行動を容認するはずもない。
「人の話を聞いておったか?
我輩とイザベル、そしてレジスで全て片付ける。
汝らは指をくわえて見ておれ。部外者が峡谷の危機を救う様をな」
「ふざけるなっ! エルフの恥をこれ以上積み重ねるわけにはいかん!」
「既に恥しかない汝らが言っても、滑稽な戯言にしか聞こえんのじゃがな」
それを言ったらお終いだよ。
無益な論争やってる時点で、そんなレベルはとうに超越してるんだから。
もっとも、恥だらけでも感情の筋が通ってる方が、俺は好きだけど。
アレクが竜討伐の意志を示すと、エルフ達は対抗するように叫んだ。
「貴様が翌日に出るというならば、私たちは今すぐにでも出陣する!
誰が貴様に任せるものか!」
「好きにせよ。
しかしその時は、ちと医療所に担ぎ込まれる者が増えるじゃろうがな。
我輩も極力同族を制圧したくないのじゃけど、そこは仕方あるまい」
アレクが鋭い視線を飛ばす。
勝手に動いたら叩き潰す、と。
遠回しにそう言っているのだ。
アレクの身体から漂う魔力に混じった、圧倒的な威圧感。
それに気圧されてか、エルフ達も冷や汗を流す。
「貴様……脅迫するつもりか?」
「声がでかいだけの無能は動くな、と言っておるのじゃ。
もし竜の巣に向かおうものなら、両足をへし折ってでも止めてくれる」
「……ッ。おい、どうする?」
エルフの一人が、背後の仲間に意見を仰ぐ。
それをきっかけに、さざなみのように相談の輪が広がった。
ヒソヒソと、身も蓋もない弱気発言が聞こえてくる。
「……アレクサンディアと戦うのか?」
「……昨日叩きのめされたばかりじゃないか」
「……勝てない。挑まないほうが無難だ」
あれだけ威勢よく言っておいて、アレクとは戦いたくないんかい。
まあ、昨日さんざんボコボコにされてたし。
向こう50年は、アレクに喧嘩を売る峡谷のエルフは現れないだろう。
数十秒後、どうやら意見がまとまったらしい。
女性のエルフが舌打ちをしてアレクを見据える。
「ちっ、いいだろう。
ならば、明日の昼頃に行ってこい。
逃げ帰ってきても峡谷に入れると思うなよ。
貴様らが失敗するようなら、その日の夕刻に出撃するからな」
「安心せよ。我輩が動く以上、失敗はないのじゃ」
話がまとまったようだ。
さすがアレク。エルフ達の出陣をすんでのところで食い止めたか。
暴走機関車と化してたから、阻止するのは難しいと思ったけど。
彼女にかかれば不可能ではなかったらしい。
確かにエルフたちは、竜を倒すために気勢を上げていた。
事実。これだけの面子がいれば、討伐には成功していたかもしれない。
もっとも、その際に尋常でない犠牲者が生まれていたことだろうけど。
とは言え、先ほどエルフたちは戦闘による被害を度外視していた。
死者が出るのを覚悟で、打って出ようとしたに違いない。
しかし、竜の前にアレクが立ちはだかれば話は別だ。
勝てない決闘に、わざわざ自分から挑む奴はいない。
アレクは自分をエルフ達の緩衝材にして、この場を乗り切ったのだ。
さすがは大陸の四賢。
海千山千の場しのぎだな。
俺にはとても真似できそうにない。
心穏やかではなさそうだが、エルフ達は踵を翻した。
彼女たちは族長に一礼して、部屋を出て行こうとする。
その時、アレクが彼女たちに声をかけた。
「ああ、そうそう。瀕死と言っておった者を連れてくるのじゃ」
「は?」
エルフ達が首を傾げる。
瀕死っていうのは、さっきエルフ達が言っていた者のことだろう。
竜に襲われて死ぬ寸前なんだっけか。
酷い傷で、もう助からないと聞いたけど。
エルフ達としても同じ心境のようで、一斉にアレクを見やる。
全員から視線を一心に受けながら、アレクは自信あり気に微笑むのだった。
「まだ助かるかも知れんぞ?」
◆◆◆
溺れる者は藁をも掴む。
そんな格言が似合いそうな勢いで、エルフ達は走り去っていった。
何だかんだで、アレクの言葉を信じているらしい。
心象的には嫌悪しているが、実力だけは認めてるのか。
これから重傷者を担ぎ込んでくるようだ。
それにしても、気の張り詰める舌戦だったな。
見ててヒヤヒヤしたぞ。
寿命の縮むようなことは御免被りたい。
深い溜息を吐いていると、背後のジャックルが立ち上がった。
「すまぬな、アレクサンディア。レジス」
「気にするなよ。それに、俺は何も大したことはやってない」
文字通り、突っ立ってただけだしな。
アレクが乱入してきてからは、ほとんど空気だった。
学級会の劇における木っ端役レベルだよ。
功労者であるアレクは、いつもの3割増しくらい胸を張っていた。
「ま、我輩の華麗なる舌戦で事を収めたわけじゃし。
もっと敬っていいのじゃぞ?」
「はっはっは、ほざけ」
俺が即座に斬り捨てる。
すると、アレクがヘッドロックをしかけてきた。
予測していたので、一足飛びで回避。
アレクは悔しそうな顔をする。
はっ、いつまでも同じ手を食うと思うな。
俺がアレクと益体のない小競り合いをしていると、ジャックルが重々しげに何かを呟いた。
そして、神妙な面持ちでアレクに頭を下げる。
「衝突を避けられたのは、紛れもなくアレクサンディアのお陰だ。
礼を言おう」
「別に。あのエルフ達が気に入らんかったからの。
この聖地において、図に乗っていいのは我輩だけじゃ」
「すごい暴論だな」
どこの専制君主制の国王だお前は。
まあ、確かにエルフ達の増長ぶりも目に余るものがあったけど。
得意げに笑みを浮かべていたアレクだが、何かを思い出したらしい。
誰に向けてでもなく、寂しげにつぶやく。
「……それに、我が先祖に言われておるからの。
峡谷の者を守ってやってくれ、と。
面倒じゃが、遺言くらいは聞き届けてやらねばな」
「…………」
その言葉に、俺は何も言い返せなかった。
先祖っていうのは、恐らく両親のことだろう。
エルフと人間の共栄を目指して、志半ばで死んだ肉親。
俺もあまり詳しくは知らない。
でも、時折アレクが見せる人恋しそうな顔。
そんな彼女見ていると、少し心が痛む。
少しの沈黙の後、アレクが俺の袖を引いてきた。
「レジスよ。汝の持っておる竜神の匙を貸すが良い」
「これか?」
内ポケットから竜神の匙を取り出す。
何重にも巻きつけた布を解き、アレクに渡した。
「うむ、それじゃそれじゃ。
安心せよ、我輩が調合したものであれば耐久度の消耗はない。
さて、薬草はどこに入れたんじゃったか」
アレクは無造作に、ローブの中を探り始めた。
そう言えば、そのローブの中はどうなってるんだろう。
暇な時、アレクは読書をしていたりするけど。
本や日用品などが、全部その中に入っているんだろうか。
ポイポイと、彼女は軽やかに薬草や粉末袋を目の前に放り投げていく。
紅色の刺がついた葉っぱ。
紫色で粒が粗い粉末。
怪しい薬屋にしか見えないラインナップだな。
ガサ入れが入ったら一発でアウトかも知れん。
次々と薬品が積み上がっていく中、アレクの懐から何かがこぼれ落ちた。
チャリーン、と金属の音がする。
「……ひ、ひにょぁッ!」
アレクが素っ頓狂な声を出してパシッと掴む。
いそいそと懐へ入れなおし、ちらっと俺の方を見てきた。
「なんだよ。今のは金か?」
「気にするでない! あれじゃ、登山口で拾ったのじゃ!」
「そんなのが落ちてるか普通。まあいいけど」
ネコババは感心しないな。
金に頓着はないと言っていた気がするけども……はて。
銭の一枚や二枚を大切にするような奴だったかな。
金への執着はないと思ってたんだけど。
まあ、アレクのポリシーなのかもしれないし、気にしないでおこう。
その時、部屋の前がドヤドヤと騒がしくなった。
どうやら、エルフ達が怪我人を伴って到着したらしい。
「連れてきたぞ!」
「今にも心臓が止まりそうだ……ッ」
「出血がひどくなるばかりで、余命幾ばくもない……」
重篤者をベッドごと運び込んできたようだ。
戸が狭くて通れないらしく、蹴飛ばして外している。
豪快な緊急搬送だな。
アレクの前に患者を下ろすと、女性のエルフが冷や汗を掻きながら説明した。
「腹部に致死性の裂傷を負っている。
出血量が酷く、いつ絶命してもおかしくない」
「……うっ」
思わず目を背けたくなってしまう。
重傷を負っているのは、俺と外見年齢の変わらぬ少女だ。
痛々しい傷が横一文字に刻まれ、血が溢れ出している。
どう見ても、手遅れな致命傷だ。
しかし、アレクはけろりとした顔で言った。
「なんじゃ、大した傷ではない。この匙を使えば、造作も無いのじゃ」
「そ、それは竜神の匙……! 実在していたとは」
「実在も何も、我輩たちが作ったものじゃぞ」
そう言って、アレクは積んでおいた薬草を一つ一つ手に取る。
指先ですりつぶし、量を調節して次々に匙へと乗せていく。
全種類を混ぜた所で、アレクが強い魔力を込めた。
匙が強い輝きを放ち、多様な色を発する。
「うわッ!」
「なんという光だ……!」
発光に伴い、固形だった薬品が徐々に形を変えていく。
半流動なものから、水気のある液体状へと。
それをビーカーみたいな容器に移し、再び薬品を乗せる。
三往復した頃には、立派な塗り薬が完成していた。
「こんなものじゃな」
アレクはそれを指ですくい、少女の傷口に塗布していく。
皮膚の裂傷が酷いところは、特殊な糸で縫合を施す。
薬を塗り終わり、傷口を無理やり塞いだ頃には、出血が完全に止まっていた。
少女の土気色だった顔色も、少しづつ改善していく。
「……おお」
「傷が、一瞬で塞がって……」
「これが、大陸の四賢が生み出した至宝……」
周りのエルフが感極まったように、少女の顔を覗き込む。
そして、先ほどの論争で一番アレクに食って掛かっていた女性。
彼女は床に臥せた少女の額を撫でている。
その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
アレクは自信満々な顔で、女性に声をかける。
「さて、これで懸念は解決じゃな?」
「くっ、悔しいが……助かった。礼を言う」
女性はアレクに深々と頭を下げた。
それに応じて、周囲のエルフもアレクに謝辞を表す。
素直ではないようだが、根は悪くないみたいだな。
単に、竜に身内がやられたのが悔しくて、怒りをぶつけまくってただけか。
すれ違いで仲間同士が傷つくのは、なんとも虚しいことである。
やはり決裂する前に、何度も話し合いをして心の氷塊を溶かさないとな。
ともあれ、死人が出なかったのは良かった。
「汝らはもう休め。くれぐれも、我輩たちの邪魔をせぬようにな」
「こ、心得た」
その言葉を受けて、エルフ達は出払って行く。
あっという間に、この場は俺とアレク、ジャックルだけになった。
それにしても。
珍しくアレクが頼もしげに見えたな。
いや、いつも頼もしいといえば頼もしいんだけど。
今日は精神的な面を含めて、すごく立派な人に見えた。
何だかんだ言いつつ、手を差し伸べてくれる。
案外、エルフで随一の良心なのかも知れない。
そんなことを思った瞬間――
「あっ、ぁあああああああああああああああ!」
アレクがいきなり叫び散らした。
不意打ちだったため、俺の鼓膜にダイレクトアタック。
耳が死にかけた。
「な、なんだよいきなり」
「王都で購入した、バカ高い薬草を調合してしまったのじゃ。
あれ無しでも十分に回復できたのに!
さっきの怪我人、戻ってくるのじゃーッ!」
「無茶言うなよ……」
訂正だ。こいつは良心なんかじゃない。
傲慢な上に意地悪で。
すぐに手が出て足が出て、生来の敵を作る性分で。
でも、それ以上にお節介で諦めの悪い、ただの立派な師匠だ。
思わず苦笑してしまう。
さすが、アレクだな。
俺は彼女をなだめつつ、不思議な安心感を覚えたのだった。