第十二話 風呂場が修羅場
「あれ、セシルちゃん。お風呂入るのはこの時間なんだね」
「今日はちょっと早めなのです。早い風呂も粋なものだと、お爺ちゃんも言っていました」
「ふん、その歳で粋を語るとは。片腹痛いのじゃ」
湯気の向こうで、三つの人影が揺らめいている。
憮然とした立ち姿のアレクと、セシルの頭を撫でるイザベル。
その三人が、和やかな雰囲気で身体を洗い始めていた。
目を凝らせば、何とか表情まで察することができる。
彼女たちは湯船から桶で湯をすくい、適度に冷ましながら浴びていた。
それを確認して、俺は反対側へと湯の中を移動する。
浴槽が広くて助かったな。
狭い場所だったら一瞬で見つけ出されて火炙りにされるところだ。
落ち着かないセシルは、イザベルとアレクの間を行ったり来たりしていた。
「わー。アレクサンディアお姉ちゃんの身体、すごい綺麗ー」
「当然じゃ。完成された肉体とは我輩のことを言うのじゃ」
「胸はないけどね」
「あ゛?」
イザベルの一言を受けて、アレクが底冷えのする声を出す。
そういえば、アレクは意外と自分の身体にコンプレックスを持っていたな。
貧相な体型をしていることに触れると、烈火のごとく怒るのだ。
「汝も平均の域を出ておらんじゃろうが。
我輩は呪いさえなければ、豊満な身体を持つ長身魔法師だったじゃろうがな」
「言ってて虚しくならない……?」
イザベルは若干の毒舌を交えながら、身体を清めている。
てか、アレクの成長が止まってるのは、やはり呪いのためだったのか。
となると、大陸の四賢が不自然に長命なのは確実にそれの副作用と言える。
聞き捨てならない事実が発覚したが、今はそれどころではない。
今にも息が限界を迎えそうだった。
さすがにこれ以上の潜水は無理だ。
土左衛門になってしまう。シャコの餌食になってしまう。
こうなったら、上手く口と鼻を出して呼吸するか?
しかし、あまり水面近くに留まりたくない。
一瞬だけ息を吸い、また底の方に沈んでおくとしよう。
「セシルちゃん、頭洗ってあげるね」
「あ、泡が、泡が凄いです」
イザベルがセシルを膝に乗せて、頭を優しく撫でたりしている。
楽しそうで何よりです。
俺は今にも窒息しそうだけどな。
「イザベルよ。汝は子供の相手に慣れておるのじゃな」
「小さい子が好きだからね」
「……やはり幼年偏愛者」
「し、失礼なことを言わないでよ」
イザベルが動揺したように洗う手を止める。
その反応を見て、アレクは更なる追撃を飛ばした。
「ほぉ、否定するか? レジスに親愛の体液を付着させておったじゃろう」
「あ、あれは別に……相手がレジスだったからなわけで。年齢は関係ないよ」
謹直たる態度でアレクを突き放す。正しい対応だな。
そうか、イザベルは子供が好きだったか。
同感だな、俺も小さい子は嫌いではない。
何てことを言うと、曲解されて捉えられそうなのが怖いけども。
「そういうアレクサンディアは好きじゃないの?」
「いや……あまり接点がなかったからのぉ。
嫌いというわけではないのじゃが、どうしても戸惑ってしまうのじゃ」
そりゃあ、子供に接する機会なんてないだろうな。
かつては魔物を打ち破りまくった英雄で、以降は魔法を研究する魔法師なんだから。
逆に、俺はガキ大将や小さい女の子と遊ぶのは好きだぞ。
前世でも、公園に繰り出した時は悪ガキとミニカーで対決したものだ。
大人の財力を駆使して類まれなる改造を施した結果、地元では負けなしだった。
――勝負の世界では、大人も子供も関係ない。
その信条に則り、手加減抜きでレースを勝ち抜き、子どもたちを号泣させたこともある。
不審者が子供を泣かせているということで通報されたらしく、決死の思いで逃走したっけな。
なんというしょぼい結末だ。
色んな経験もあり、とかく子供には甘くなってしまう。
ロクに身内すら守れなかった俺だけど。
いや、違うな。だからこそ、か。
無意識に儚げな存在である子供を、特別視してしまうのかもしれない。
幼い子の扱いに慣れないアレクを、二人は安心させようとする。
「すぐに慣れるよ。ね、セシルちゃん」
「はい、です! 安心するのです、アレクサンディアお姉ちゃん!」
「……お、お姉ちゃん?」
アレクがぽかんとした声を出す。
あまり経験したことのない呼ばれ方だったようだ。
しかしあまり悪い気はしないのか、アレクは照れ隠しに小さく咳をしている。
まかり間違ってBBAと呼んでしまったら、一体どうなるのかな。
絞首刑に処されそうだ。不穏なことを考えるのはやめよう。
「はい! アレクサンディアお姉ちゃんは、凄い人だと爺様から聞きました!
柱をへし折る『きをたがえたひと』であると。
よく意味は分かりませんが、とにかく凄い人なのだと思います!」
無邪気な声でとんでもない事を言うセシル。
しかし、彼女に悪気はないのだ。
責めるに責められないだろう。
アレクが暗い笑みをこぼす。
「小僧めが……後で灸を据えてやるのじゃ」
アレクに火をつけてしまったな。
ざまあみろジャックル。俺を見捨てていった天罰だ。
後で恐ろしい制裁が下ることだろうよ。
内心で笑みをこぼしつつ、再び浮上して息を吸う。
それにしても。
いつまでこんなことをしなければならないのだろうか。
てか、熱いんだけど。
45度の湯なんかにじっくり浸かれるわけないだろ。
誰だ馬鹿みたいに温度を上げたのは。出てこいよ。
今になって後悔してきた。
「さて、そろそろ湯に浸かりたいのじゃが……」
「熱いです。火傷してしまいます!」
セシルが湯をぱちゃぱちゃと手ですくっている。
そうだよな、とても熱いよな。
でもお兄さんは今、火傷を負いそうな状態で潜水してるんだよ?
どうしてこうなった。
「むぅ。水魔法さえ使えれば、土魔法と組み合わせて氷魔法をぶち込めるのじゃが」
「あ、私が使えるよ。でも、湯に魔素を混ぜることになるけど……」
「飲まん限り大丈夫じゃろう。浸かる分には問題ないのじゃ」
「まあ、そうだね。じゃあ行くよ――『アイシクルアロー』」
イザベルが軽い調子で詠唱した。
すると、彼女の頭上に何十本もの矢が現れる。
……ちょっと待とうか。
もしかして、それを湯の中に投げ入れる気か。
確かにこの浴槽、特殊な作りをしてて頑丈っぽいけど。
そういう問題じゃないだろう。
しかし、イザベルは躊躇なくそれらを投擲した。
逡巡なんてそこにはなかった。
氷の矢が湯船に次々飛来する。
ズガガガガガ、と水中で激しく火花を散らした。
……アカン、これは死ぬ。
目を凝らして弾道を読み切り、範囲外へ逃げる。
湯の底を平泳ぎはかなり難易度が高い。
そんなことを思っていると、目の前に氷矢が突き立った。
「――ひっ!」
危ないところだ。
もう少しで脳天に直撃するところだった。
落ち武者でもないのに、頭から矢を生やしたくない。
それにしても、どこに逃げても矢が飛んでくるな。
まんべんなく冷ますつもりか。
このままでは洒落じゃなく生命の危機だ。
湯が冷める前に俺の身体が冷たくなってしまう。
少しだけ身体を浮かして、息を一瞬だけ吸っておく。
結果から言って、十秒ほど地獄が続いた。
ひときわ大きな氷矢を最後に、魔法は打ち止めとなった。
それを確認して、俺は急いで湯の底に舞い戻る。
どさくさに紛れて大きく息を吸えたので、呼吸についてはむしろ楽になった。
引き換えに、身体が急に震えてきたのが難点だが。
「乱暴な手を使うのじゃなー」
「氷魔法はあんまり得意じゃなくて……まだ制御しやすいのがこれだったんだよ」
「ふむ。まあ別に、適温であれば問題ないが……」
ちゃぷり、とアレクが足で湯加減を見る。
一秒ほど浸けて、彼女は無表情で足を上げた。
ゆっくりと首を横に振って、イザベルに告げる。
「水じゃな」
「……水だね」
当然だ。
あれだけ大量の氷を叩きこんで、冷めないわけがない。
そのキンキンに冷えた水に潜伏してる俺に身にもなってみろ。
湯気が消えかけてるから、見つかる可能性が急上昇だ。
何とか姿を隠すため、浴槽の底に張り付いている。
残存した氷が各所にあたって非常に冷たい。
しもやけになったらどうしてくれる。
「はぁ……ダメダメな奴じゃの。氷魔法の制御もできんのか」
「くっ……。もう一回火魔法で温めればいいでしょ! ダメといわれる筋合いはない!」
「信用ならんのじゃ。ここは我輩に任せよ。
先人として、正しい魔法の制御法というものを見せてやるのじゃ」
そう言って、今度はアレクが前に出てきた。
よし、あいつなら難なくこなしてくれるだろう。
早く温めてくれ。このままだと確実に風邪を引く。
「んー、そうじゃのー。最適なのはこれじゃな。――『イグナイトヘル』」
先生、最適ってなんでしたっけ。
――次の瞬間。
目の前で大爆発が起きた。
湯が盛大に飛び散り、天井にまで達する。
浴槽がギシギシと悲鳴を上げ、俺の身体が湯船の端にクリティカルヒットした。
全身に鈍い痛みが広がる。
……ぐぉおおおお、背中が。
背中に甚大なダメージがッ。
海老反りになって激痛をこらえる。
魔法の効果は絶大だった。
湯温が一気に上がり、湯気が立ち込める。
俺が悶絶しているのをよそに、セシルが冷や汗をかきながら驚嘆した。
「こ、これが正しい魔法の制御法、ですか」
「うむ、一瞬で風呂を沸かす大魔法師の妙技じゃ」
「そんなわけないでしょ! セシルちゃんに間違った知識を教えるな!」
「文句を言うでない。これで多分適温じゃ」
イザベルが叱責するものの、アレクは悪びれない。
こいつらに湯加減を任せてると、浴場がぶっ壊れるのではないだろうか。
俺にとっても地獄だが、ここを管理するジャックル族長も苦しむことになろうて。
本当に逃げ去ってよかったのか、とジャックルに問い詰めたい。
こいつらは単体だと大人しいし暴走も少ないが、セットにした瞬間いきなり凶暴になるんだぞ。
水とカリウム並みの爆発力だ。実に恐ろしい。
「というわけで、一番乗りじゃー」
威勢よく声を上げて、アレクが湯船に入ってくる。
いかんな、発見されやすくなってしまった。
しかし、同時にチャンスでもある。
全員が浴槽に浸かっていれば、入り口は手薄そのもの。
隙を見て逃げ出すことも可能だ。
アレクが浴槽に入ったのを見て、イザベルとセシルも続く。
しかし、二人はすぐに眉をひそめた。
「……何か、冷たくないかな」
「冷たいよー……。あれ、でも、こっちは温かいよ。というより、熱い!」
セシルは慌てて湯船から上がった。
一方は熱くて、片方は冷たい。
氷の残り具合もあるため、適温といえる場所が一箇所もないのだ。
これでは入れたものではない。入ってるけど。
そんな湯に、俺はずっと入ってるけど。
「アレクサンディアが大雑把に沸かすから、偏りができちゃったみたいだね」
「我輩の魔力の恩恵に預かっておいて、何じゃその言い分は」
いかん、湯加減をめぐって、再び二人が対立しかけている。
ハブとマングース並みの相性の悪さだよ。
セシルも可哀想に。
いつもなら仲裁に入るんだが、怒りの矛先が2つとも俺に向いてしまうのは避けたい。
むしろ、2人の意識が互いに向いているため、今こそ脱出の好機……!
ひっそりと入口側のヘリに近づいていく。
争え……もっと争え。
お前らの不和を利用して、俺は華麗なる退出を決めさせてもらおう。
「私が火魔法を使えばこうはならなかったよ。
まったく、これだから自己顕示欲の塊は……」
「へ、へくちっ」
セシルが寒そうに肩を抱いている。
熱い湯に浸かれずに放置されているため、身体が冷えてしまったのだろう。
セシルの窮状を見て、イザベルがジト目になる。
「ほら、セシルちゃんまで苦しめて。大陸の四賢が得意なのは他人を害することなのかな?」
「うるさいのぉ……混ぜればいいんじゃろう、混ぜれば」
やめるんだイザベル、そんなふうに煽っちゃいけない。
せめて俺が逃げ出すまで待ってくれ。
しかし、願いは届かず。
アレクがふてくされたように魔法を詠唱した。
「――『ライトストリーム』っ!」
軽めの風魔法で、湯全体をかき混ぜていく。
いや、かき混ぜるというより、もはやシェイクに近い。
渦潮のような流れが形成され、思うように進めない。
く、苦肉の策だ!
手を水中から出し、浴槽のヘリをがっしりと掴む。
ちなみにイザベルは、何かに掴まろうとしたものの失敗したようで。
荒れ狂う湯の中で溺れかけていた。
「――ガボッ、ガボガボっ! 死ぬ、死んじゃう! やめるんだ!」
「クククク、よく見ておくのじゃセシルよ。
これぞ処刑……ではなく、湯をかき混ぜる最適な方法じゃ」
「ま、混ざるのかな……と言うより、イザベルお姉ちゃんは大丈夫?」
「大丈夫じゃろう。この程度でどうにかなるエルフではない」
アレクはあっさり言い捨てる。
セシルはイザベルを心配しつつ、手持ち無沙汰な様子で佇んでいた。
しばらくすると、湯の流れが収まってくる。
くそ、脱出はかなわなかったか。
次の好機を待とう。
俺は再び湯の底へと舞い戻った。
そんな中、イザベルはゆっくりと立ち上がり、アレクを睨みつけていた。
「湯が半分なくなっちゃったじゃないか!」
「追加すればいいじゃろう? ほれ、汝の得意な水魔法を見せてみよ。」
「……い、言わせておけば勝手なことを。もう我慢の限界だ! 『ヘルブロー』!」
イザベルが真空波にも似た一閃を放った。
しかし、アレクはそれを見事に受け流す。
行き場を失った刃の風は、積んであった桶を粉砕し、壁にヒビを入れる。
浴場崩壊のカウントダウンが始まった。
「やりおったな?
たとえ戦いを挑まれたのがどこであろうと何時であろうと、我輩は逃げも隠せもせぬ。
喰らうのじゃ、『ゲイルブレス』!」
アレクが盛大な突風をまき散らした。
四方八方に小さな竜巻を発生させ、周辺の物を削り取っていく。
高そうな香木は切り刻まれ、一瞬で木くずへと変わった。
おいたわしや……そこら辺の松の盆栽より、確実に価値高いよあれ。
そんな高級品を、チェーンソー並みの風で破壊してしまうとは。
続いて迫り来る魔法を、イザベルは何とか回避した。
すぐさま立ち上がり、次なる詠唱を行おうとする。
だが、二人は完全に失念していた。
この場には、巻き込んではいけない非戦闘員がいることを。
「き、きゃあああああああ!?」
消滅しかけの竜巻に巻き込まれ、セシルの身体がふわりと浮く。
端の方に逃げようとしていたが、広範囲の風魔法に巻き込まれてしまったのだ。
そして、石造りの天井へと叩きつけられそうに――
「こんの、馬鹿どもがッ!」
俺は一気に立ち上がった。もはやバレても構わん。
ただ、今考えることは一つ。高く跳躍することだ。
全身の力を込めて、思い切り浴槽の縁を蹴った。
「……レ、レジス!?」
「なぜここにおるのじゃ!」
今は二人の声に構ってられない。
近くなる天井。
今までで最高の到達点へと手が届く。
そして、間一髪でセシルを抱えた。
よし、あとは華麗に着地するだけだ。
いざ舞い降りようと――
「へぶッ――!?」
したのだが、俺の顔面が見事に天井へ叩きつけられた。
殺人シュートを顔面ブロックで迎え撃ったかのような衝撃。
どうやら次なる竜巻に遭遇し、上昇気流に巻き込まれたようだ。
しかし、セシルはしっかりと離さず抱え込む。
床に落ちる際も、俺が下になって衝撃から庇った。
何度も背中を強打したからか、意識が朦朧としてくる。
だが、まだだ。
まだ休むわけにはいかない。
こいつらに説教をくれてやらなければ。
ちぎれた堪忍袋の緒を鞭のように振り回してくれる。
俺はセシルを放し、アレクとイザベルの前に仁王立ちした。
「アレクッ、イザベル! 暴れるにしても限度があるだろう!」
俺の怒声を受けて、イザベルとアレクが俺に意識を向ける。
しかしバツが悪いのか、何故か俺と目を合わせようとしない。
こいつら……反省してないのか?
何度も何度も、周りを巻き込みやがって。
その度に迷惑を被る人がいるというのに。いい加減我慢ならんぞ。
「無理に仲良くしろとは言わんが、少なくとも武力衝突は避けろ!
俺がいなかったら、セシルが大怪我を負っててもおかしくなかったんだぞ!」
セシル、という言葉が出た瞬間、本人の肩がビクついた。
いや、別に彼女を叱ってるわけではないんだけど。
勝手に暴走し、周りを更地にしかねない阿呆者たちを糾弾してるんだ。
「くだらない事でいちいち争いやがって。
巻き込まれるこっちの身にもなってみろ!
神殿の柱は折るし、空屋敷はぶっ壊すし。
どれだけ建造物その他に迷惑をかけるつもりだ!」
そりゃあジャックルの爺さんも泣くわ。
俺が奴の立場だったら、気苦労でやせ細る自信がある。
滔々と諭していくが、アレクとイザベルは頷きもしない。
硬直している、と言えばいいだろうか。
本当に聞いてるんだろうな。こいつらは。
妙に俯いたようにして、何処かを注視している。
いちいち反応してられないので、構わず続けた。
「お前らも子供じゃないんだから、譲歩の心を身に付けろ!
争いそうになったら一歩引くんだ。
混ぜるな危険、って書いてある薬品を混ぜちゃダメだろ?
自分から混ざりに行って爆発を引き起こすなんて言語道断。恥を知れッ!」
今までは決定的な被害がなかったから、黙認したり流してきたけど。
セシルという犠牲者が出そうになった今、見逃す訳にはいかん。
いたいけな幼女を危険に晒して、何を悪びれず突っ立ってるんだ。
「がむしゃらに暴れるんじゃない!
迷ったら自分の立ち位置を確認する癖をつけろ!
己がもたらす影響を少しは考えて、それから行動するんだ」
壮絶なブーメランな気がする。
どの口でそれを言うと万民の非難を受けそうだ。
だが、こいつらの誤りを指摘しちゃいけない理由にはならん。
俺は吐き捨てるようにして二人を叱る。
「まったく、せっかく隠れてたってのに。
下らんことで引きずり出しやがって……俺は出るぞ。
お前らはもう少しここで反省しておけ」
頭をかきつつ、俺は出口へと向かう。
まったく、とんだ災難だった。
さて、風呂から出て爽やかな一日を始めるとするか。
いざ戸を引こうとした瞬間――両肩を誰かに掴まれた。
「ちょっと待つのじゃ」
「なんで何事もなかったかのように出て行こうとしてるのかな?」
右肩をアレクに。
左肩をイザベルに。
それぞれ強い力で掴まれている。
どさくさに紛れて脱出を計ったのだが、ごまかしきれなかったか。
「……あ、バレた?」
俺が引きつった笑みを浮かべると、二人は輝くような笑顔を返してくれる。
まずい。力を入れた説法が、逆に白々しさを出してしまっていたか……!
急に肩にかかる圧力が増加した。
「……え、いや。ちょっと待て、誤解だ。まずは落ち着こう――」
「安心するのじゃ。汝の言うことにも一理あった。
魔法を使わぬ折檻というものも、なかなか楽しそうじゃしの」
「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。ちょっと事情を聞くだけだから、ね?」
俺の言葉を無視して、アレクとイザベルが腕に力を込める。
およそ抵抗しきれない膂力。
必死に両足でターボを利かせようとするが、湯船へと引きずられていく。
「待て、まず俺の話を聞け。
ひょっとしたら深遠なる事情があったのかもしれないだろう?
お前たちの主観で断罪しようとするのは間違ってる。
冤罪は法社会における重大な罪であって、
それを未然に防ぐためには綿密な体制整備と偏見を捨て去る心が必要であって――」
そこまで口走った瞬間、アレクに手で口をふさがれる。
一旦俺を引きずるのを止め、にこやかに俺の顔を覗きこんできた。
「長いのじゃ。一言でまとめよ」
「……た、助けて?」
「うむ、却下じゃ」
アレクの素敵スマイルと共に、俺の処遇が決まったのだった。
◆◆◆
気がつくと布団の上にいた。
軽く失神していたらしく、全身が妙に重かった。
いや、精神的によるものが大きいな。
心が疲労骨折を起こしかねない修羅場だった。
途中で気を失ったらしく、ほとんど記憶が残っていない。
ただ、怖かった、ということだけは覚えている。
先ほどの浴場で起きた一連の動きを思い出す。
ドロップキックをかましてくるアレク。
それを奇跡的なタイミングで避ける俺。
更にカウンターとしてラリアットを繰り出す。
すると、石鹸で足を滑らせたアレクが珍しく回避に失敗。
俺の渾身の力を込めた首破壊技が直撃。
直接攻撃を喰らうのは予想外だったらしく、激昂するアレク。
そこから先は……覚えていない。
襲い来るアレクに対し、正拳突きやローリングソバットで応戦した記憶はあるんだけど。
途中から動きを追い切れず、敗北を喫してしまったようだ。
まあ、一矢報いただけでも奇跡だと思うよ。
俺だってやられっ放しなわけじゃない。
それが証明できただけで十分と言えるだろう。
とりあえず気絶から回復した俺は、先ほどの事件を回想する。
そして、両脇で俺を看病していたバカ二人に事情を説明し、何とか誤解を解いたのだった。
セシルはおずおずとイザベルの後ろで丸まっている。何あれ可愛い。
事実確認を済ませると、アレクは居心地が悪そうに頬をポリポリと掻いた。
「しかし……紛らわしいことをするのぉ。
一番風呂を取られるのは確かに嫌じゃけども。
別に、既に入っておるんじゃったら諦めるし、無茶も言わんぞ」
「嘘をつけ。あの時報告してたら、さっき以上の死闘が待ってただろうが」
「ご、ごめんねレジス……そんな事情があっただなんて」
「別に気にしてない。この程度の災難で凹む程やわじゃない」
イザベルは何だかんだ言って、ほとんど俺に何もして来なかったしな。
裸身を見られるのが恥ずかしかったのか、アレクの背後に控えていたし。
かいま見える優しさにグッときそうだよ。
だが、俺はまだアレクを許してはいない。
「楽しかったかアレク。無実の被疑者を虐げるのは」
「い、いや……我輩も、いきなり汝が出てきたから動転しただけじゃし。
その後は確かに悪乗りが過ぎたところはあるけども……」
「辛かったよ本当に。これは訴訟モノだよ。冤罪を許さんぞ俺は」
文句を言いつつ、俺は溜息をつく。
先ほど身体を確認したが、特に変なことはされていなかった。
まあ、二人ともその方面に関しては不得手なようなので、そっちの心配はないだろう。
だが、アレクにはエドガーと共謀した前科があるからな。
俺の太ももに妙な記号を書いたんだ。あの恨みは未だに忘れていない。
一応確認しておくか。
「……気絶してる間に、何かしてないだろうな」
「無抵抗の者を襲うほど鬼畜ではないのじゃ」
「無抵抗の者を湯船に放り込む鬼畜性は持ってるみたいだけどな」
ジャイアントスイングみたいな技で俺を湯船に帰還させやがって。
トラウマになったらどうしてくれる。
一つ一つ整理して糾弾するものの、アレクも往生際が悪い。
「別に隠れずとも、出てくればよかったのじゃ。
そうしなかった汝にも悪いところはあるじゃろう」
「れ、レジスお兄ちゃんは悪くないよ!」
その時、セシルがアレクと俺の間に割り込んできた。
両手を広げて、目の前に立ちふさがる。
それを見て、アレクが凄まじいガンを飛ばした。
「……なんじゃ小娘。引っ込んでおれ」
「ひっ!?」
「アレクサンディア! 恫喝するなんて、大人気ないよ」
「べ、別に少し睨んだだけじゃろう……なぜ泣きそうになっておるのじゃ」
セシルを前にしては、アレクの唯我独尊っぷりも歯切れが悪い。
やはり幼女の力は大きかった。
セシルはアレクの鋭い視線を受けてなお、俺の擁護をしている。
眼には涙が溜まっており、必死さが10割増しだ。
「レジスお兄ちゃんは、私を助けてくれたんだもん!
悪いことなんて、絶対してないよ! し、して……ない、よ。してないもん……」
「な、泣くことはないじゃろう」
アレクもおろおろと動じ始める。
本当に子供の扱いが苦手みたいだな。
セシルも頑張ってくれるのはありがたいけど、辛いなら下がってていいんだぞ。
これはもとより、俺とこいつらの問題だ。
イザベルはセシルの頭を撫でつつ、アレクに告げる。
「今回は私たちの早とちりがあったし。反省すべき点がいっぱいあるよ」
「……むぅ、そうじゃな」
アレクは目を瞑って唸っている。
何か身体が武者震いで震えてるんだけど。
いきなり爆発したりしないだろうな。
一見するに、内部で己の矜持と戦っているようだ。
もう一押しだな。
「とにかく、俺を信頼してくれ。
お前らの嫌がるようなことなんて基本しないんだから。そんなに俺が信用ならないか?」
「そんなことはないのじゃ。……うむ、我輩が悪かった。
この通り、謝ろう。――すまんかった」
アレクは渋々ながら頭下げた。
これは新鮮な光景だ。
恐らくこれは、アレクの初めての謝罪。
以前に読んだ伝記によれば、確か彼女は一回も謝ったことがなかったはず。
500年以上に及ぶ不敗伝説を、俺が打ち破る結果になったのだった。
風呂の覗き犯として扱ったことを謝するという、双方ともに情けない幕切れだったけど。
まあ、誰であろうと増長のし過ぎは良くないし。
いいストッパーになったのではないだろうか。
別に俺も怪我はどこにも負ってないから、恨む要素もない。
水に流すとしよう。
そう思って深々と頷きかけたが、とある違和感に気づいた。
「……あれ?」
俺の服が、なんか寝間着みたいなのに変わっている。
着慣れた貴族服はどこへ消えた。
とっさにアレクとイザベルを見る。
二人とも入浴前と同じ服を着ているので、洗濯中ってことはないだろう。
アレクは俺と目が合うと、いきなり口笛を吹き始めた。
イザベルにいたっては、唐突に伸びをし始める始末。
怪しい、どうみても不審だ。
気絶したんだとしても、普通に元の服を着させればいいはずだ。
では、なぜ俺の一張羅が姿を消したのか。
可能性は一つしかない。
「怒らないから正直に言え。俺の服をどこにやった?」
二人は一斉に部屋から逃げ出した。
残念、しかし俺に回りこまれてしまった。
その後、一時間にも及ぶ説教をくれてやったのは、言うまでもない。
油断の隙もない奴らだよ、本当に。