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ディンの紋章 ~魔法師レジスの転生譚~  作者: 赤巻たると
第四章 エルフの峡谷編
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第八話 決死の抵抗

 

 

 

 俺の反撃を受けて、アレクが素っ頓狂な声を上げる。

 見た目が十一、二歳の少女。

 俺は今、その尻を一心不乱に揉んだことになる。


 我が生涯が、いっぺんに台無し。

 来いよ巡査長。

 貴様ら如きに、全てを超越した俺を止められるか。

 全身の力を振り絞り、固めからの脱出にかかる。


 アレクの絡まった脚を引っ剥がし、一気に身体のバネで跳ねあげた。

 すると、体重の軽いアレクはいとも簡単に宙へ投げ出される。

 強力な拘束は、今ここに解けた。


「はッ、甘かったなアレク。

 俺の言葉に耳を貸した時点で、お前の野望は終わっていた。

 そして言わせてもらおう。俺は尻と同じくらい胸が好きだ。見事に騙されたな」

「……く、ぅうううう。……思い切り掴みおって。腫れたらどうするのじゃ」


 アレクが涙目で睨みつけてくる。

 その顔は羞恥と悔しさで真っ赤になっていた。

 瞳には殺意の光すら見える。


 ……これは、下策だったんじゃなかろうか。

 離れるにしても、もう少し穏便なやり方があったんじゃないだろうか。

 今になって悔恨の念が湧いてきた。

 だって、アレクの目が完全に本気になってるもの。

 殺りに来てる眼だもの。


「そうか……汝がそんなことをするんじゃったら、我輩も少し体術を駆使させてもらうぞ」

「さっきの押さえ込みの時点で使ってたんじゃないのか?」

「押さえ込み……? ああ、『封動封殺』のことか。

 あれは我輩が酔っておる時に考案した弱っちぃ技じゃぞ。本来の体術とは言えぬ」


 自信満々に胸を張ってくる。

 なんだよ封動封殺って。技名だけはかっこいいな。


 しかし、冷静に考えれば不利どころの話ではない。

 さっきの時点で脱出不可能に近かったのに。

 本来の技を使われたら、為す術もなくジ・エンドだ。

 俺は覚悟を決め、拳を握りしめる。


「舐めるな。俺の体術も、かつての比じゃない」

「ほう? それは楽しみじゃのぉ。

 二度と小癪なことを言えぬよう、完膚なきまでに叩き潰してくれる」


 アレクは舌を出し、挑発的な視線を送ってくる。

 完全に犯罪者の発言だよ。世紀末のヒャッハーな方々だよ。

 百烈拳を使えないのが残念でならない。


 だが、俺を簡単に屈せると思ったら大間違いだ。

 俺とてこの数ヶ月、体術の修練を欠かしたことはない。

 叩きのめして小一時間、本当の愛とは何かについて説教をくれてやる。

 俺が気合を入れると同時に、アレクが徒手空拳の構えを取った。


「3秒持ったら褒めてやるのじゃ。それでは、行くぞ――」


 アレクの輪郭がブレる。

 くそ、相変わらず動きが速い。

 加速時のイザベルほどではないが、視認不可能な瞬発力だ。


 しかし、予測でその速度を無力化することも可能。

 俺を地面に押し倒そうとするなら――脚を狙ってくる可能性が極めて高い。

 下半身に注意を払う。


 すると、アレクは何の小細工もなしに突進してきた。

 一瞬呆気に取られる。防御もなしで、何がしたいんだこいつは。

 罠の有無を疑ったが、考えれば俺が有利なだけである。

 バカめ、回し蹴りの餌食だ。


「――せぁッ!」


 穿つような一閃を放つ。

 狙いはアレクの脇腹。

 タイミングもドンピシャだ。

 その柔らかい腹部に、餓狼のような脚が直撃――しようとした瞬間。


 俺の視界が揺れた。

 体のバランスが崩れ、地面に倒れそうになる。


「……は?」


 よく見れば、アレクの足が俺の軸足を綺麗に払っていた。

 回し蹴りを読んでいたようだ。

 だが、俺もこの程度は予想済み。


 倒れこむ寸前に、空中で半回転して拳を突き出した。

 しかし、アレクはその一撃をパシリと掴む。

 更に俺の腕を脇にはさむと、そこを支点にして床に叩きつけてきた。


 受け身すら取れずに、背中から落下してしまう。

 衝撃が肺を侵し、意識が遠のいていく。

 くそ、肺から空気が強制退去させられたか。

 これはキツい。


「……くそッ、調子に乗るな!」


 すぐに蹴りを飛ばそうとするが、アレクが俺の腹部に乗っているため届かない。

 マウントポジションを取られ、完全に身動きを取れなくされる。

 するとアレクは、いきなり俺の服を脱がしにかかってきた。

 首の辺りのボタンを外し、上着を奪い去ってしまう。


「駄目だッ、やめるんだ。こらッ」

「暴れるでない。脱がせにくいじゃろう」

「やめろやめろやめろッ! そんなことをしてみろ。

 キャノン砲が起動して、確実に後悔することに――ッ!?」


 真実の愛を前倒しで語ろうとした瞬間。

 俺の首元にアレクが噛み付いていた。

 いや、噛み付くというにはあまりに微弱な力。

 頸動脈の辺りを舌で舐められ、唾液をすり込まれる。犬歯が肌に沈み込み、痛痒い快感が生じた。


「お前ッ。まさかそれ、親愛の体液か!」

「ん? 意識して出したつもりはないんじゃが。

 知らぬ内に唾液に混ざっておったか。

 我輩に反抗した勇気に対する褒美じゃ。受け取れ」


 客観的な解説はいらねえ。

 唾液もいらねえ。

 しかし、これ以上の抵抗は難しい。

 ……ここまでだというのか。


 いや、待て。

 落ち着くのだ俺よ。

 まだ敗北が確定したわけではない。

 なにか手はあるはず。考えるんだ。


 まず、両腕は封鎖されてて使用不可。

 テレパスで助けを求めようにも、発動前に潰されてしまうことは確実。

 力でアレクを跳ね飛ばすことも不可能。

 あれ、これは詰んだんじゃなかろうか。

 俺の心中に諦観の念が急速に広がる。


「さあ、冗談は終わりじゃ。いざ、共に高みへ――」

「それじゃあ、昇天して天の国に行ってみる?」


 冷たい声。

 遠回しな死刑宣告が薄暗い部屋に響いた。

 今の発言は、俺のものでもアレクのものでもない。

 誰が部屋に入ってきたのかを、即座に理解した。

 俺は慌てて己の潔白を証明する。


「助けてくれ! 発情娘に犯される!」


 そう、そこに無表情で立っていたのは、食料袋を抱えたイザベルだった。

 彼女は手に持っていた袋を取り落とし、静かに俺とアレクを見つめている。

 怪しい雰囲気の部屋で、アレクが涙目の俺にまたがっている状況。


 勝てる、これは裁判でも勝てる!

 冤罪になりようがないもの。

 明らかに加害者はアレク。被害者は俺だ。

 領事裁判権を握られていてもひっくり返せまい。


 だが、決め手を作らねば。

 俺は今にも泣き出しそうな様子を振るまい、アレクを指弾した。


「こいつがいきなり襲ってきて……。

 俺も激しく抵抗したんだが、組み伏せられて、こんな状態に……!」

「うん、レジスが悪くないっていうのは分かってるよ。

 だけど今、私はそういうことが言いたいわけじゃないんだ」


 イザベルは優しく微笑んでくる。

 しかし、その目の焦点はどこか怪しい。 

 よく見れば――

 イザベルは俺じゃなくて、今にも服を剥ごうとしているアレクを注視していた。

 二人の目が合う。


「…………」

「…………」


 イザベルは無言。

 アレクも無言。

 俺だけが冷や汗をかいて事の顛末を見守っている。


 ふと思った。

 このままでは、取り返しの付かない決裂を迎えるのではあるまいか。

 恐ろしい大戦争の前兆を本能で感じた。


 俺が仲裁に入るべきか。

 いや、いたずらに事態をかき回してしまうだけだ。

 ここは当事者たちの出方を見よう。

 イザベルが少しの黙考の後、静かに刀を抜く。

 そんな彼女を一瞥して、アレクも遂に沈黙を破った。


「……あー。その、なんじゃ」


 アレクは頬をポリポリと掻く。

 どうやら弁解をしようとしているらしい。

 この気まずい状況を打破するため。

 大陸の四賢として、もっとも道徳性に満ちた一言を――



「……汝も混ざるか?」




 イザベルがアレクに斬りかかった。




 

     ◆◆◆


     


 結果から言おう。

 空き屋敷が崩壊した。

 乱痴気騒ぎが主な原因だな。


 今まで耐えていたイザベルが、完全にキレてしまったんだもの。

 仕方ない。アレクもアレクで悪びれてなかったし。

 両者が一歩も譲らず激闘を繰り広げ、見事屋敷の大黒柱がへし折れた。


 まさかアレクの空中回し蹴りが決め手になろうとは。

 つくづく柱をへし折るのが好きらしい。

 何事かと思って見に来たジャックルが卒倒していたからな。


 乱闘のせいで、寝る場所がなくなってしまった。

 そこで、仕方なくジャックルに頼み込み、屋敷と別の空屋敷を貸してもらうことになった。

 俺が族長の屋敷、アレクとイザベルが少し離れたところにある空屋敷という構成だ。


 そして現在、先ほどの騒ぎの原因を、ジャックルに説明し終えたところである。

 彼は終始渋い顔をしていたが、

 『アレクサンディアなら仕方あるまい……』と言って納得してくれた。


 さすがアレクだ。

 人に理不尽を慣れさせるとか、中々できる芸当じゃないぞ。

 俺とアレクとイザベルに対し、ジャックルは釘を刺す。


「まあよい。勝手に使うがいいさ。ただし――」


 指を立てて、これだけは守れと警告してきた。


「儂の屋敷を崩したら許さんからな……」


 いや、警告と言うよりは頼み込みだな。

 涙目になってるもの。

 屋敷を一つぶっ壊されたんだし、その動揺もあってのことだろう。

 代表して、俺が反省の意志を見せる。


「了解だ。実際、止められなかった俺も悪い」

「……まったく、年寄りをいじめてくれるなよ」


 そう言って、ジャックルは早めに布団に入った。

 邪魔するのも悪いので、俺たちは貸し与えられた部屋に移動した。

 アレクとイザベルは他に寝所が用意されているのだが、興味半分で視察したいのだそうな。


 大屋敷の中を歩くこと数十秒。

 俺が休息をとる部屋に辿り着いた。

 なかなか立派な作りだな。

 部屋の調度品を見るに、客人用の寝室らしい。


 少し狭いが、一人で寝る分には問題ない。

 最初からこっちを貸してもらっておけばよかった。

 腰を下ろして、とりあえず一息つく。

 横を見ると、イザベルがアレクをジト目で睨みつけていた。


「もう、さっきみたいなことはさせないからね。見つけたらその場で粛清してやる……」

「はっ、汝に我輩が斬れるか。いいじゃろう、少しばかり相手を――」

「この屋敷を崩壊させるつもりか」


 俺はアレクの首元を掴んで、イザベルから引き剥がしたのだった。

 

 

 

 

      ◆◆◆

 

 

 

 就寝前。

 イザベルとアレクはまだ俺の部屋にいた。

 イザベルは部屋の端で考え事。

 アレクは部屋のど真ん中で研究のまとめ。


 少し離れた所で、俺は眠気の到来を待っていた。

 すると、アレクが何かを思い出したように訊いてくる。


「レジスよ。竜神の匙は使ってみたか?」

「いや、まだだけど……別に怪我してないし」

「登山時に枝で腕のあたりを切っておったじゃろう」

「あー、そう言えば」


 二の腕を一瞥する。

 本当だ、少し深めに切っちゃってるな。

 多少ヒリヒリするだけだから、別に放っておいていいけど。


 竜神の匙でどうにかなるものなのか。

 俺は匙を懐から取り出す。

 その刹那、アレクが鋭い動きでそれを掠めとった。


「お、おい」

「案ずるでない。誰も盗ったりせぬ」


 そう言って、アレクは竜神の匙を興味深げに眺める。

 何となく、懐古の雰囲気が見て取れた。

 そう言えば、竜神の匙を作ったのは、アレクを含む大陸の四賢なんだよな。

 やはり昔の味方に、思うところがあるのだろうか。


「懐かしいのぉ。

 他の役立たずな四賢を尻目に、我輩が8割がた制作したものじゃ」


 酷い言いようだ。

 全くロマンティックさを感じないぞ。

 まあ、さすがに冗談なんだろうけど。


 しばらく眺めた後、アレクは懐からおもむろに草を取り出した。

 あれは、治癒効果を少し高める薬草だったか。

 もっとも気休め程度で、自然治癒とほとんど効果は変わらないはずだ。

 彼女は薬草を匙に乗せると、俺の眼前で魔力を開放した。


「よく見ておれ。使い方は簡単じゃ。

 まずこうやって魔力を匙に込める――」


 彼女の手から、徐々に匙へと魔力が伝導していく。

 すると、質素な色をしていた匙が、少しづつ変色していった。


 まずは、風を象徴する緑色、水を象徴する水色。

 続いて、土を象徴する茶色。更に、火を象徴する赤色、

 最後に、雷を象徴する黄色に色を変えていった。


 なるほど、四賢がそれぞれ得意魔法で強化してるみたいだな。

 そう思うと豪華に思える。実際、国宝なわけだし。

 鮮やかに色を変えた匙は、最後に純白となって輝きだした。


「込められた魔力を使い、薬草を任意の形状に変えることもできる。

 この辺りは、魔法のイメージとポーズのコツが分かれば難しくはない。

 あとは、魔力を切らさないように集中しておくだけじゃ」


 アレクの言うとおり、強い煌めきを放つ匙の上で、薬草が姿を変えていく。

 徐々に粉末状になり、ペースト状へと変わり、最後に塗り薬に変貌した。

 全く手を加えていないのに、匙の魔力が独力で薬を作ってしまったのだ。


「すごいな……」

「さて、これを塗ってみよ」


 匙を突き出してくる。

 俺は恐る恐る指で軟膏をすくい、傷口に塗布した。

 すると、瞬く間に傷が塞がった。

 傷跡も残さず、痛みも完全消滅させてしまう。


 ただの薬草を、こんなに強力な薬品に変えてしまうとは……。

 圧倒的な治癒性と、即効性を合わせ持ってたぞ。

 思わず感嘆してしまう。


「これが……竜神の匙か」

「見ての通り、薬品の効果を最大限に高める物じゃ。

 これにエルフの妙薬を乗せたら、確かに治せぬ病はないじゃろうな」


 単なるしょぼい匙もどきだと思っていたが。

 なるほど、これは宝物といっても差し支えない。

 どこにでもありそうな薬草を、ここまで強化してしまうんだからな。


「以上で使い方は終わりじゃ。この手順を覚えておくように。

 あんまり変な薬を載せると耐久度の消耗が早いからの。

 使用する場合は、正確に調合した薬を選ぶのじゃぞ」


 そう言って、アレクが返却してくる。

 口ぶりからするに、あんまり回数は使えないのか。

 しかし、素晴らしいことには変わりない。


 誰かが重傷を負った時にでも使えそうだな。

 是非とも有効活用させてもらおう。

 とりあえず、竜神の匙の使い方講座についての礼を言っておく。


「ありがとう。大事に使うよ」

「うむ。何か困ったことがあれば、我輩に頼むが良い。

 そこのポンコツよりは確実に役に立つはずじゃ」


 ふふん、とイザベルを挑発するように言う。

 だから、いちいち煽るんじゃない。

 イザベルもアレクに侮辱されるのだけは我慢ならないのか、嫌そうな表情を見せる。


「節操もなく襲い掛かる痴女に言われたくないよ。

 嫌がる相手に同意なく迫るのは、エルフが忌み嫌う悪徳貴族の所業とどこが違うのかな」

「積み上げてきた功績と感情の差異じゃな。その程度もわからぬか?」


 場の空気が、張り詰めたものへと変わる。

 ついさっき注意したばかりなのに、また一触即発状態だ。

 先程からの対立もあり、イザベルもキレやすくなっているらしい。

 彼女は怒りの感情をあらわにしながら、アレクを指弾する。


「今までは同族のよしみで見逃してきたけど、もう限界かな。

 ――思い上がるな、戒律への背徳者。

 レジスを押し倒そうとしていた時の貴方は、欲望のままに略奪を行う下衆にしか見えなかった。

 それでいて悪びれず謝罪もないとは、レジスを自分の人形か何かのように思ってるのかな?」


 イザベルの言いたいことは分からんでもない。

 ちょうど竜神の匙についての話が終わったら、俺も言おうと思ってたんだ。

 少しばかり、アレクの自由勝手さは目に余るところがある。

 でも、彼女の過去を中途半端に知った今、あまり強くは言えないのが本音である。


 アレクは恐らく、誰かに行動を注意された経験が少ないだけなんだ。

 もっと言えば、存分に叱ってくれる人がいないまま成長したというべきか。

 基本的には理知的で、知識もあって、精神は十分に成熟している。

 しかし、倫理や道徳、世間での常識といったところで、アレクは少しずれているんだ。


 俺はまぶたを閉じて、アレクについての情報を思い出す。

 彼女は両親を幼いころに亡くし、直後に修行に打ち込み、邪神に立ち向かった。

 そして、邪神討伐後は英雄として君臨し、誰からも行動を咎められることはなかった。


 国王ですらも、アレクに対しては及び腰だったからな。

 止める存在がいなければ、増長はとどまることを知らず、傲慢が当たり前の価値観になる。

 彼女の勝手気ままな性格は、過去に起因するものだと感じていた。


 だから、俺もあまり直接的に忠告はしてこなかった。

 下手に注意をしたら、一緒にデリケートな過去という地雷まで踏み抜きそうだったからな。

 アレクの過去を余すところまで知った上で、倫理の違った見方を伝えるつもりだった。


 しかし、イザベルが思い切り地雷を踏みに行ったな。

 グリコポーズ状態で地雷原に特攻したに等しい。

 アレクも心穏やかではないのか、髪を払いつつイザベルを睨む。


「……我輩を相手に訓示を垂れるとは、いい度胸じゃな。

 我輩が親愛の体液をレジスに塗りつけたのが、そんなに不服か?」

「別に。私個人の嫉妬は、この場では関係ないからね。

 でも、レジスの意志も聞かないままに襲おうとしたことについては、見逃すことは出来ない」


 ものすごく胃が痛いんだけど。

 胃液が胃壁から染み出してくるような錯覚すら生じる。

 本当にストマックホールを開通させる気か。

 鉄道開通カーニバルが刃傷沙汰の喧嘩とか洒落にならんぞ。


 とはいえ、二人とも力に訴えようとはしないな。

 先ほど俺とジャックルが言い放った諫言が見事に効いているようだ。

 忘れられても困るので、韻を踏んで覚えやすく諭したのである。


 暴れるな。

 屋敷を壊すな。

 殿中だ。


 そう、抜刀なんてもってのほか。

 柱を蹴ってへし折るのもダメである。

 俺の本気の忠告、ジャックルの半泣きの懇願。

 その2つが合わさったためか、アレクとイザベルも論戦だけでカタを付けようとしている。


 しかし……なんだな。

 双方に双方なりの言い分はあるんだろうが、このままじゃ平行線だ。

 ここは俺が仲裁に入り、場を鎮めるべきか。


「二人とも、少し落ち着け」


 俺は腰を上げると、二人の間に割って入った。

 すると、すぐさま鋭い視線が俺に向けられる。

 ずいぶん剣呑だな。下手に手出ししたら逆に起爆してしまうかもしれん。

 しかし、前よりは二人の扱いには慣れたつもりだ。


「まずイザベル。アレクを悪徳貴族や下衆呼ばわりするのはやめてやれ」

「……で、でも」

「ククク。調子に乗るから言われるのじゃ」

「――お前もだよアレク。と言うよりは、今回の場合お前が元凶だ」


 まさか責められるとは思っていなかったのか、アレクは意外そうな顔をする。

 というより、絶望的な表情になった。

 先ほどまでの余裕はどこへやら。

 彼女は不安そうに俺を見上げてきた。


「わ、我輩が悪いのか……?」

「有り体に言えばそうなるな。

 少なくともイザベルが怒るのも当然だと思うし、本音では俺も似たようなことを思ってた」

「そ、そうなのじゃ、な……」


 アレクは声をつまらせながら頷いた。

 そういえば、彼女の肩を持たなかったことは、今までになかったな。

 だからこそ、俺が一方的にイザベルの味方をしていると心配になってるのかもしれない。


「いきなり言われても難しいかもしれんが。

 これをしたら、相手が嫌がらないかなー、とか。

 周りから見たら、これはダメなことなんじゃないかなー、とか。

 まめに考えながら行動してれば、もっと良くなると思うぞ」

「……ふん、我輩がなぜ劣等共の心境を鑑みねばならんのじゃ。

 そういうのは一番の苦手じゃというのに」


 後半に関しては同感だ。

 俺も客観的に自分を見るのは少し不得手である。

 でも、さすがに超えちゃいけない一線というか、その辺りは熟知してるつもりだ。

 頭ごなしに言っても何だ。俺は人に道を説けるほど偉くないしな。

 むしろ、公的権力の方々に『人生は何か』を切々と説かれたことがあるレベルだ。


 俺が人に何かを教えるなんて、とてもとても。

 いつ手が後ろに回らないか、ヒヤヒヤしつつ過ごす毎日だというのに。

 とりあえず、最後にフォローを入れて、再度釘を刺しておくか。


「まあ、多少わがままなのもアレクの魅力というか、一応長所になってる所もあるし。

 さっき言ったことさえ気をつけてたら、俺も嫌いにならないと思うぞ」

「……別に。汝に嫌われても、我輩は困りはせんし……」


 アレクは強がるようにつぶやく。

 素直じゃない奴め。最初から分かってたけども。

 俺はため息をついて、アレクを冷たく見下ろす。

 

「分かった。ならば距離を置くとしよう。明日から俺に近寄らないように」


 俺がそう言うと、アレクが寂しそうな、曖昧で微妙な表情を浮かべた。

 いかん、俺の心も痛くなってきたぞ。そんな顔をするんじゃない。

 彼女はすぐに首を横に振って、訂正するように微笑んでくる。


「じょ、冗談じゃ。我輩も無茶なことはせぬ。安心するのじゃ」

「そうか、約束だぞ。ヒートアップする前に、互いが衝突しない方法を探ってくれ」


 俺にしては強く忠告したほうだし。

 アレクも少しは大人しくなることだろう。

 複雑そうな顔をして会話を見守っていたイザベルにも、声をかけておく。


「とりあえず、今回の話はこれで終わりだ。それでいいよな?」

「まあ……レジスがそう言うのなら。わかったよ」


 イザベルも素直にコクリと頷いた。

 よしよし、これで仲裁は一応成功だ。

 決裂したら両者から火のような非難を喰らうところだったぞ。

 胸をなでおろして、大きく息を吐く。


 それにしても、疲れたな。主に精神的な方だけど。

 少し早いかもしれんが、部屋の端に積んであった布団を敷く。

 ふと外を見たが、既に日は落ちて真っ暗になっていた。


 そろそろ、こいつらも寝た方がいい時間かな。


「早く空屋敷に戻れ。イザベルも睡眠を取っておけよ。

 半日以上も先導してくれてたんだ。疲れが明日に響くぞ」

「うん、ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えて」


 こうして、イザベルとアレクは空屋敷へと帰っていった。

 数分後、テレパスがつながるかどうか試してみた。

 しかし、環境の問題か、あるいは魔素の問題か。

 平地ならば届きそうな距離であるのに、アレクとイザベルにはつながらなかった。


 まあ、魔法は心的要因もかなり関わってくるし。

 万能ではないので、致し方ない。

 ただ、緊急時に連絡がつかないのが痛いな。

 何事もなければいいのだけれど。


 さて、この長旅の疲れを、少しでも取っておくか。

 布団で寝るのは何日ぶりだろう。

 ここ数日、牛車に揺られての移動だったからな。

 今夜ばかりは安眠できそうな気がする。


 それにしても、喧嘩の仲裁は心がすり減るな。

 二度とやりたくない役回りなんだが、この先経験せずに済みそうかな。

 無理かな、無理だな。


 益体もないことを考えつつ。

 俺は蓄積した疲労に誘われて、睡魔に身を任せたのだった。



 

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