第二十一話 謁見の間
「これが……王宮か」
衛兵が駐留する門をくぐること5回。
ついに王宮へたどり着いた。
荘厳な門構え。
天を衝くような高さの塔があたりに乱立している。
いやぁ、歴史を感じますな。
結婚式場のプレハブを見て、
『ふむ、分かりますぞ。これは英仏の両方より技術を取り入れたバロック建築ですな』、
とか舐めたことを言って大恥を掻いた記憶が蘇る。
うむ、やめよう。
無知を晒して恥をかいたトラウマは、的確に俺の精神ゲージを削ってくるからな。
リムリスが衛兵と挨拶を交わし、中へ入るように促してくる。
「歓迎の準備もできず申し訳ありません。
王、大臣を含む全役人が急務で立て込んでいますので。
王は周囲の諫言もお聞きにならず……休まず執務に取り込んでおります。
もう2日あまり寝ていないようで」
ほぉ。どこかの苦労人領主みたいな献身ぶりだな。
良君だとは聞いていたが。
自分の体力を削り切ってまで国を守ろうとしているのか。
感心だな。
隣で欠伸をしている幼女に、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
「まあ、こんな未曾有の事態じゃからの。
頂点がぐーすか寝ておる場合ではなかろう。
我が弟子は訓練中に寝る怠け者じゃがの。
気付けで蹴りを入れてすぐに起こすから、特に問題はないのじゃが」
「それはきっと失神だな。つまりは戦闘不能だ。
気づいたならその時点でやめてくれ」
通りで途中で意識が飛んでると思ったよ。
裏拳を喰らった後、起きて踵落としが視界に入った時はどうしようかと思ったよ。
ゴキブリのような回避で逃げ回った記憶がある。
逃避が得意な俺には簡単すぎる技だ。
お陰で、体術の前転回避が驚くほど上達したぞ。
幼女の足技はもう、脊髄反射で避けられる自信がある。
「泡を吹いて脱力するのは『よし、もっとやれ!』、
という意思表示じゃと思っておったのじゃけども」
「アレク、それを人は鬼畜と言うんだ」
天性の嗜虐性を持ってらっしゃいますわよ、この娘。
国家権力で拘束できんものか。
ああ、きっと国王でも無理だな。
何となくそんな気がする。
なんてこった。
現時点でこいつにブレーキを掛けられる存在が思いつかない。
アレクよ、お前がすべてを超えし者だったか。
「こちらです」
リムリスが堂々たる大門を示した。
ここが国王が鎮座する部屋か。
謁見の間、ってやつだな。
厳しい門は歴史を感じさせ、周りの黄金が一層壮観さを際立たせる。
あまり芸術を解さない俺だが、
とりあえず小市民をビビらせる迫力があることくらいは分かる。
ただ、アレクは装飾を見てボソリとつぶやいた。
「やれやれ、趣味の悪い金ピカじゃの。こんな品のない装飾の何がいいのやら」
「あんまり愚痴るなって」
「ふん、我輩は昔から貴族や王族というものが大嫌いじゃ」
吐き捨てるように、床を蹴りつけた。
ズドン、という音と共に地面が震える。
おいおい、敵襲だと思われたらどうするつもりだ。
それ以上、リムリスの目の前で暴言を吐くなよ。
刺激しないよう、穏便に尋ねる。
「嫌いなのは、エルフを虐げるからか?」
「まさか。500年前はエルフ差別もなかった時代じゃぞ。
その時代から既に、我輩は国家権力を嫌悪しておる」
「そうかい」
どうやら、生来の権力嫌いのようだ。
もしくは、昔に何かがあったか。
この毛嫌いの仕方から見て、両方かもしれないな。
「ここが謁見の間です。国王、臣下一同が控えております」
リムリスが扉を開く。
徐々に向こう側の景色が広がってくる。
それを見て、俺はアレクに耳打ちした。
「おいアレク……悪印象を持たれたらディン家も困るんだから。穏便に頼むぞ」
「横柄な物言いをされぬ限り、我輩も悪態をつかぬよ」
そう言うと、アレクは無遠慮に謁見の間を踏みしめた。
ずらりと並ぶ重臣たち。
ただ、一大事が起きたばかりだからか。
全員、顔に疲労の色が見られる。
あっちこっちで処理に追われているのだろう。
こんな状態で、よく呼び出しをかけてきたな。
いや、逆か。
面倒臭い案件から先に片付けておく算段なのかもしれない。
疲労感溢れる部屋。
その一番の要因は、やはり最奥に位置する人物だろう。
シャルナック・オルブライト・エリストリム。
王国の現国王だ。
徳に満ちた君主として名高い。
若い時から統治の手腕を発揮し、王国の交通・流通を開拓した人物だ。
戦争下手という弱点はあるが、そこは部下や王都の大貴族の力を借りて補っている。
基本的に弱点のない理想的な統治者だ。
シャディベルガも賛同できることが多くて、尊敬してるって言ってたな。
「では、私はこれで――」
リムリスは先導を終了し、臣下の列に加わった。
かなり国王に近い位置だな。
やっぱり重職の要だったか。
初対面の印象として。国王は普通の人と大して変わらなかった。
まあ、服装とかはもちろん王族のものなんだけど。
物腰は柔らかで、にじみ出る雰囲気も優しい。
健康的な金色の長髪に、達観した瞳。
50は過ぎているはずだが、年齢よりもずいぶん若く見えた。
『仕事が大変だから、老けてなんかいられない!』。
を地で行っているのかもしれない。
ただ、リムリスの2日寝てないらしい情報は正しいみたいだ。
国王の顔色、物凄く悪い。
この場にいる面子の中で、疲労感が一番溢れだしている。
だが、姿勢だけは不動を保っているのが凄いな。
俺ならきっと、座り心地のよさそうなソファを探して爆睡だもの。
俺は一歩前に出ると、臣下の礼を取る。
人に頭を下げるのは好きじゃないが。
ここは我慢するとしよう。
幼女相手になら土下座してもいいんだけどな。
おっさん相手に下手に出るのは何となく嫌だ。
まあ、こんなことばかり言ってたから、
俺はいつまでたっても就職できなかったんだろうけどな。
俺が地面に膝をつく一方。
アレクは腕を組んだまま佇んでいる。
そして態度を変えずに、無表情のまま国王を見据えていた。
そんなアレクに、周りの臣下が嫌な顔をする。
普通なら怒鳴り散らしてきそうなものだが。
特に爆発しないな。
あらかじめ、アレクがそういう対応を取る者だと伝達しているのかもしれない。
そんなアレクを気にせずに、国王は爽やかに声をかけてきた。
「よく来てくれたな。レジス・ディン。顔を上げてくれ。そして――」
「アレクサンディア、と呼ぶがいい。
我輩は大陸の四賢が一人。
何者の指図も受けぬし、他人からの頼みは引き受けぬ」
認識を狂わせる魔法を解除しているためか。
とっくにアレクの正体は知れ渡っていた。
まあ、書物を漁れば簡単にアレクについての文献が出てくるからな。
それほどまでの有名人なのだ。
むしろ、既知の認識を妨害するアレクの古代魔法がやばすぎる。
ていうかそれ以上に、アレクの尊大な物言いにヒヤヒヤするんだけど。
「おいおいアレク……」
「なんじゃ?」
ギロリ、と俺を睨みつけてくる。
ああ、どうしても臣下の礼は取りたくないんだな。
これ以上強制すると俺に被害が及びそうだ。
静観しておくとしよう。
「いや……なんでもない」
そう言って、目の前の権力者を見る。
国王は静かに頷くと、両手を広げて話し始めた。
「では改めて礼を言わせてもらおう。レジス、そしてアレク殿――」
「待つのじゃ凡愚」
その一言を誰が言ったのか。
国の最高の統治者に対して、あまりにもひどい暴言。
それを発した人物を特定するのに、周囲の人間は苦労したことだろう。
国王相手に、誰もそんなこと言わないもんな。
だが、俺はすぐに分かった。
今の発言は誰のものかも。
そしてアレクが何故怒ったのかも。
「誰が我輩を『アレク』と呼んで良いと言った?
その名で呼んでいいのは我輩が認めた者だけじゃ。呼び直せよ劣等」
劣等。
礼を欠くどころか、完全に敵意を向けている。
さすがに、この言い方には耐えられなかったようだ。
血気盛んな臣下が、列から一歩出てきてアレクに怒鳴った。
「貴様ッ、功績の人とはいえ、王への不忠とは何事だ!」
「はぁ? 何で我輩が人間の王を崇めねばならんのじゃ」
「大陸の四賢とは言え、節度というものがあるだろう!」
臣下の言葉に、その場の殆どの人間が頷く。
だが、アレクはそれを鼻で笑った。
臣下を挑発するように、笑い混じりの声で反論する。
「我輩は昔から王や貴族といったものが大嫌いじゃ。
王宮で肩肘をついて執務を行うのが偉い証拠か?
その程度では、辺境に住む没落貴族の貧弱当主にも劣るぞ」
「言わせておけば!」
更に臣下が一歩前に出ようとする。
あー、やめとけ。やめときなされ。
指一本アレクに触れてみろ。
殺されるぞ、本人に。
一触即発の状態。
それを止めたのは、国王の一言だった。
「――やめよ」
熱した石に、液体窒素を吹き掛けたような即効性。
我に戻った臣下は、歯ぎしりをして元の位置に戻った。
すると、国王はアレク柔らかな口調で語りかける。
「失礼した。失言を詫びよう、アレクサンディア殿」
「分かればいいのじゃ」
「王、なぜこのような者に……」
なおも納得がいかないようで、臣下が国王に問いかけた。
それに対し、国王は諭すように説明する。
分かりやすく、当然のことであると言わんばかりに。
「王家の始祖は、大陸の四賢に数えられていた。
そして四賢は大陸を守護してきてくれた英雄だ。
四賢への不義は始祖への不義に同じ。
大陸の守護者に対し、敬意を払うのがおかしいか?」
「……いえ」
見事な正論だな。
でも、四賢が偉いことと、暴言を許すことについては別だと思うんだけど。
アレクなんて基本、傍若無人の極みだし。
まあ、臣下が納得してるみたいだからいいや。
国王は最後に、指を一本立てて言葉を締めくくった。
「それにな。我が王家にも、初代の言葉が残っているのだ。
『大陸の四賢への礼を欠くな』と。これを忘れたか?」
「心得ております。……くっ。
あ、アレクサンディア殿、礼を逸したことを謝ります」
臣下が頭を下げた。
だが、アレクはそれを一瞥もしない。
視界に入れることすら面倒臭いようだ。
アレクと二人きりで会うことが多いから、気づかなかったけど。
アレクですら、人間と距離を置いてるんだな。
もちろん、エルフの中では人間に最も近しいと言えるだろう。
人間社会に馴染んで生きている辺り、それは言うまでもない。
人間と距離が近すぎて、同族に煙たがられる程だと聞く。
だが、やっぱりどこか人間とエルフは心が離れてるんだな。
俺やシャディベルガに対しては、気さくに声をかけてくるけど。
普通の人間に対して――特に権力者付近に対しては、
ここまで敬意を消滅させた話し方をするのか。
アレクの思わぬ一面に、俺は少し驚いた。
国王は場が静まったのを見計らって、再び話し始める。
「では、改めて。レジス、そしてアレクサンディア殿。
まずはこの王都防衛に、多大な力を貸してくれたことを感謝しよう」
「いえ……王国貴族として、当然のことをしたまでです。
それに、犠牲も出たので喜んではいられません」
俺は限界まで悲しそうな顔をする。
別に機嫌を取りたいといった意志はないのだが。
ここでどんちゃん騒ぎをする奴の方が、むしろ常識を疑われるだろう。
あくまで貴族らしく、シャディベルガの息子らしく振舞わねば。
「ああ、罪なき民が命を落とすのは悲しいことだ。
王都三名家のシャルクイン、ホルトロス。
その二家も当主が重傷を負った。
そなたらのお陰で何とか命は拾ったようだが……。
血を流す結果になったのは残念でならない」
おお。何とか助かったんだな。
ホルトロスの当主……ノーディッドだったか。
あの人に至っては、瀕死だったからな。
一命を取り留めただけで奇跡と言っていいだろう。
イザベルに無理を言って、搬送してもらったのが効いたな。
それよりも、俺は気になることがあった。
国王を糾弾するわけではないが。
少し今回は、国の動きが鈍かった気がする。
俺はそのことを切り出した。
「ところで陛下。ラジアス家が野望を抱いていたことを、知っていましたか?」
「分かっていたよ。王都転覆までのことをするとは思わなかったが。
警戒はしていた。だから可能な限り見張りもつけていたし、動向も探っていた」
だろうな。
暗躍する王都貴族は海千山千。
それらを上手く押さえつけてきた国王のことだ。
王国を支える重要な骨であり、
同時にすべてを腐らせるラジアス家の対策を、しなかったわけがない。
だが、あの男。
一世一代の賭けに出たあの男が、あまりにも老獪だっただけだ。
「となると、クロードの隠蔽がその上を行っていたのですね?」
「心苦しいが、そうなるな。炎鋼車という強力な兵器。
それに頼っていた王家、そして大貴族の内部。
そこに失態があったことは認めざるをえない」
残念そうに顔をしかめる国王。
心から遺憾といった感じだ。
だが、国王は瞳に強い意志を宿した。
積み上がりつつある不安をかき消すように、強い口調で主張する。
「ゆえに余が今すべきことは、一刻も早くこの反乱を過去のものとすることだ。
此度の虐殺は、決して民衆の記憶から消えまい。
中枢の怠慢に対する非難も永劫に残るだろう。
だが、いや……だからこそ。
王都を元の姿に戻し民を安心させることが、この王家の責任だ――」
ほぉ、良いことを言うじゃないか。
国のトップとしては、それ以上の優良発言はあるまい。
しかし、それを実践できるのかは別な気もする。
俺は不興を買うことを承知で質問を重ねた。
「責任、と申されますが。
具体的な方法を聞いてもよろしいでしょうか」
周りの雰囲気が重くなる。
臣下が俺を睨んでるな。
没落貴族風情が王に何をほざくと。
そこらの腐敗貴族とは違い表立って敵視はしてこない。
しかし、他者を見下す時特有の感情がにじみ出てる。
と、ここで国王が口を開いた。
「いいだろう。
まず第一。今回事件に関わり、王国に仇なした組織を貴賎問わず完全に叩き潰す。
第二。潰した家から没収した財産、領地を全力で国力回復に充てる。
手に余る領地は、王都三名家の二家に預けるとしよう」
大胆な方針だな。
でも、間違ったことは言ってない。
王国をダメにする温床を駆逐。
そして、そいつらから奪ったものをフルに使って、収束に務めるわけだ。
余った物資や領地は、信頼できる大黒柱に預ける。
ラジアスは王都三名家の中で、権力と不忠がずば抜けてたけど。
他の2つは絶対に裏切らないと言っていいだろう。
共に忠義の塊だ。
どんなに領地をホイホイ預けても、
それを使って暗躍しようとはしないだろう。
素晴らしきかな信頼関係。
やはり、持つべきは腹心の友だな。
「第三。特殊兵器から脱却した戦力増強を目指す。
連合国のみならず、北西の神聖国からも質の良い武具を大量に仕入れる。
魔法書も王国最高の物を用意しよう。
そして王都に配備する兵量を今までの倍にする。
兵力の差はひっくり返せないが、十分に炎鋼車が抜けた戦力程度は補えるだろう」
確かに、炎鋼車を失ったのは手痛い。
だが、取り返せないほどじゃない。
元々王国は量より質の勝負だからな。
魔法師のレベルは帝国に決して劣らない。
時と場合を選べば、若干上といっても差し支えないほどだ。
それらを総動員して軍備を整えれば、確かに戦力は一瞬で回復可能だろう。
人材が為す妙だ。
腹案を出しきった王は、初めて疲れたような表情を見せた。
少し上体が揺れたので、周りの臣下が心配そうに近寄る。
働き過ぎだ。
しかし国王はそれを制して、話を続行した。
「王都を散々に嬲られた結果になったが、悪いことばかりではない。
犠牲の上に成り立った成果もある。
国力増強の邪魔になっていた貴族を、一掃することができた。
一番の腐敗原因の大本だったラジアス家を、駆逐できたのだからな」
国防の要でありながら、国内で一番危険な癌だったラジアス家。
それを切り捨てた今、確かに国は動きやすくなるだろう。
「だが、やはり余は争いを好まぬ。
今後二度とこのようなことを起こさぬよう、英霊と民草――
そして、この王家が持つ宿命の血に誓おう」
国王は胸に手を当て、固く拳を握り締める。
決意を結ぶ時の作法なのかもしれない。
聞いたことないけど。
しばらくして、国王が語調を緩くした。
そして、俺とアレクを称えるように言葉を紡ぐ。
「首謀者一行を壊滅させ、炎鋼車を打ち払ったのは紛れもなくそち達の功績だ。
そのことに対し、褒賞を与えたい」
「身に余る光栄、嬉しく存じます」
最大限の一礼をした。
この流れになるのを待っていたのだ。
俺からにじみ出る物欲を感知したのか、国王は釘を刺すように告げてきた。
「王家のしきたりとして、褒美は一人につき一つと定められている。
ただ、その一つは王家が責任を持って、全力で持って準備して見せよう」
国王は力強く宣言した。
王国の風習はここでも効果抜群みたいだ。
せめて3つまで叶えてくれないものだろうか。
まあ、言っても詮無きことか。
「その一つは、何でもいいのですか?」
「ああ、領地でも。宝物でも。人材でも。
文字通り、余が用意できる物ならば、何でもいい」
よし、言質は取った。
言い出すのは今しかない。
俺は頭を下げると、重々しく要求をした。
「ならば――『竜神の匙』の、一年間の借り受けをお願いしたく存じます」
「竜神の匙……というのは、王家に伝わる宝だったな。
確か、薬の効果を倍増させる魔法が掛けられたものだったか」
よく知ってるな。
王家の宝は腐るほどあるって聞くけど。
その全部に目を通しているのだろうか。
「そうです。他には何も望みません。
領地も金もいりません」
「そうか。しかし――」
「ダメでしょうか? 本来なら、王都魔法学院を主席で卒業。
そうすることで、初めて貸与されるものですから」
若干引いてみる。
へりくだって、もう一度確認した。
すると、国王は困惑するように首を傾げる。
「いや、余が言いたいのはそういうことではない。
だが、そんなものでいいのか……?」
「と言いますと?」
「確かに王都の魔法学院を、主席で卒業した者に貸すのが原則だが……。
この王都には予備を含めて三本もある。
正直、一本程度売りに出した所で支障はないのだ。
もちろん、竜神の匙が望みなら与えよう。貸与ではなく、譲渡だ」
おぉ。何という太っ腹な決断。
名君ゲージが俺の内心で振り切れてるぞ。
俺は国王の言葉を聞いて、コクリと頷いた。
だが、国王は何だか心苦しそうな様子だ。
「一つだけしか与えられないのだぞ?
もっと価値があるものを言っても構わん。
ラジアス家が外に持っていた領地、財産などは欲しくないのか?」
「それは王都の復興に充ててくださると嬉しいです。
このレジス・ディン。欲しいものはただ一つ。
竜神の匙です。いえ、竜神の匙でないとダメなんです」
俺は言い切った。
とにかく竜神の匙だ。
何が何でも竜神の匙だ。
俺の気迫が伝わったのだろうか。
国王は少し気圧されたように、首を縦に振った。
「……分かった。用意させよう」
国王はすぐに大臣の一人に指示を出す。
すると、慌てたように臣下が走って行った。
それを尻目に、国王はいたわるように提案してくる。
「王都魔法学院はしばらく使い物になるまい。
だが、修復魔法の使える魔法師を総動員すれば、半年で学院を再開できよう。
それまで王都に留まっていればよい。
望むのであれば、王家で用意した施設を使っても――」
そこで、俺は首を横に振った。
せっかくの好意だ。感謝したいところだが。
もう俺は王都での目的を達したのだ。
別に、学院に通いたかったから王都に来たわけじゃない。
俺にはまだ次の仕事が残ってるんだ。
「いえ、お言葉はありがたいのですが。
私は竜神の匙を頂いたら、すぐに王都を出ます」
「……驚いたな。あの魔法試験を乗り越えたというのに。
それを棒に振ることになるが……?」
「もう学院で得ることはありません。
あったとしても、周りの人から学ぼうと思っています」
俺の言葉に、王や臣下の全員が驚嘆していた。
だが、隣のデリカシー皆無なアレクだけは違った。
『周りの人というのは、我輩のことか?』と、
全く話に関係ない所を掘り下げようとしてきた。
笑顔で頷きつつ無視したので良しとしよう。
俺の様子を見て、国王は静かに了解した。
「そうか……本気なのだな。では何も言うまい」
そして、国王は次のステップに踏み出した。
今決定しようとしているのは、俺とアレクに対しての褒美。
あと、アレクに対しての一件が残っている。
「あとは――アレクサンディア殿。何か欲しい物はあるかな?」
国王からの尋ねに、アレクは首を傾けた。
思案している様子だ。
俺は爆弾発言だけはしないように、必死に祈っておいた。
ええ、結果から言って、もちろん無駄でしたとも。
「そうじゃのぉ。
まずは王都の名産品である『蜂蜜たっぷりの二倍巻きトースト』を200年分。
そしてラジアス家の遺産を全て。
それを我輩とエドガーという娘に折半で――」
言葉を半ばにして、再び先ほどの臣下が飛び出してきた。
おお、仕事が速いな。
俺がアレクの口を塞ぐよりも先に反応したか。
側近の鑑だな。
「待て待て待て! 貴様、一体いくつ要求するつもりだ!?」
「まだ半分も言っておらんのじゃが。別にいいじゃろう?
8年前の決闘の際、汝らは馬鹿みたいな要求を承認しておったではないか」
「……ぐッ」
なんと、アレクは8年前のことまで持ち出し始めた。
俺が例外を作ってしまったあの一件だ。
やっぱり、例外は一回作っちゃうと、こういう時に利用されちゃうんだよ。
気をつけないとな。
元凶の俺が言っても説得力はないけど。
「かなり削って調整を図っただろう! それに、あれは特例だ!」
「ならこれも特例ということでいいのではないか?」
「……ぐぬぬ、傲慢なことを」
いかん、アレクの無茶が通ってしまうぞ。
ここはやはり、俺が師匠殺しのチョークスリーパーを決めるべきか。
本気でそう思いかけた瞬間、国王が助け舟を出した。
「アレクサンディア殿。
非常に申し訳ないが、それは余と大臣が決議し、
大臣の名の下に通した特別案件だ。
此度は王の名の下に褒美を与える。
王家の決定として、特別扱いはできないのだ。
心苦しいが、了承して欲しい」
王としては認めることが難しいのだろう。
まあ、当たり前だ。
俺だったら光の速さで断るもの。
アレクは国王の言葉を聞いて、しぶしぶ了承した。
「はぁ、屁理屈ばかりこねおって。まあいいのじゃ。
それでは、エドガーという娘に『不自由することの無い金』を与えてやるのじゃぞ」
「構わないが。それでは、アレクサンディア殿が得をしないのではないか?」
エドガーという、国王が聞いたこともないであろう人物名。
その人物に、アレクは褒賞をくれてやれと言っているのだ。
国王も当惑するだろうな。
「人間の権力から、施しなど受けぬよ。
分かったらさっさと褒美を用意して解放して欲しいのじゃ。
この万年暇男と違って、我輩は忙しくてな」
「おい、誰が万年暇男だ露出狂が」
さすがに今のはカチンと来たぞ。
半ニートな研究者が何をほざきやがる。
アレクの催促を受けて、国王は朗らかに了承した。
「分かった。では、後ほど部下に持たせよう。
急ぎのようだな、引き止めはすまい」
「あ、すいません。なら、竜神の匙は出発までに届けて頂ければいいです」
「分かった。それまでに用意させておこう」
「ふんっ、行くぞレジス。そこな小娘、道中まで案内せよ」
アレクがリムリスに命令する。
その直後に、国王が『頼んだ』と小声で口走った。
すると初めて、リムリスも先導を開始した。
何というか、面倒臭いな大人社会の構図は。
王都にいると、切にそのことを感じる。
「では、このリムリス。中央街付近まで案内させて頂きます」
リムリスが髪をなびかせて出口を示す。
俺とアレクは、その後を追っていく。
こうして、俺達は収穫を得て王宮を後にしたのだった。