第十九話 狂気の終わり
――レジス視点――
伝令の報告は、とても簡潔だった。
『炎鋼車50両が、王宮へ向かう道中で壊滅』。
現実に起きたことだとは、とても思えないのだろう。
ジークは先程のように、顔を引きつらせていた。
しかし、冗談であって欲しいと思ってか、伝令を鼻で笑った。
「あ、貴方の見間違いでしょう。
先祖が数百年かけて積み上げてきた切り札が、まさか、そんな――」
「……真実で、ございます」
伝令の顔は、やはり青ざめていた。
先ほど橋が落ちたと報告した人物と、全く同じ反応だ。
てか、ちょっと待て。
炎鋼車を壊したのはアレクでいいんだろうけど。
境界線上の大橋は、一体誰が壊したんだ。
冷静に考えると、そんな疑問が湧いてくる。
まさか、帝国に抵抗する人物が、内部抗争でも起こしたのか?
今のこの王国みたいに。
あの馬鹿でかい橋を落とすなんて、正気の沙汰とは思えない。
俺は必死に考えつつも、精神を集中して魔力を練る。
その時ですら、ジークは見苦しく首を横に振っていた。
「ありえません。ありえませんよ。
ラジアス家500年の歴史が、一瞬で消滅することは……」
その時だった。
往生際の悪い狂信者にとどめを刺す一言。
馬鹿でかい声が、俺を含めた全員の耳に響き渡った。
『レジスよ、炎鋼車は完全に駆逐した。
中央街の帝国兵も倒した。あとは、汝だけじゃ。
――終わらせるのじゃ、レジスッ!』
キーン、と耳が一時的に遠くなる。
俺やエリックは、頭に直接響いて乱反射する声に悶絶していた。
ああ、素晴らしい報告が入ったな。
やっぱりお前がやってくれたのか。
うん、それはいいんだ。
だけど、1つだけ言ってやりたい。
感覚が鋭敏なエルフのくせに、どうして聞き手のことを考えてやれないのか。
お前以外のエルフが今のを聞いたら、確実に失神しかけるぞ。
特に敏感なイザベルは大丈夫なのだろうか。
目覚ましにテレパスを使われた経験があるので、俺はまだ耐えれる。
だから、静かに言い返す余裕もあった。
「分かってるっての」
届くわけがない小声だ。
まあ、普通に反応してやれる辺り、俺は頑丈な方なのだろう。
だけど、エリックとジーク、そして魔法師一行は顔をしかめていた。
さすがアレク師匠。
伝達する魔法で人にダメージを与えるなんて凄いぜ。
さすが大陸の四賢だな。またの名を鬼畜ともいう。
俺が耳抜きをしていると、ジークが発狂したように吼えた。
「な、ぜだぁあああああああああああ!
アアアァアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
発作が起きたとでも言うように、首のあたりをかきむしっている。
目は血走っており、完全に据わってしまっていた。
炎鋼車の完全壊滅という、信じられなかった伝令の一報。
だがそれは、敵からの勝利宣言によって信じざるを得なくなった。
アレクの言葉は、ジークの心を折る代物だったんだろう。
膠着したかのように見えたこの場の雰囲気を、完全に払拭した。
「認めない! 認めない認めないッ!
なぜ失敗する!? 間違いは犯さなかったはずだ!
父上が進めていた計画は、こんなにも脆弱だったのか!?」
「黙れよ。それに、何で失敗したかも分からないのか?」
「なんだと……?」
「クロードの計画は確かに完璧だったよ。
王都の戦力を分析した上での炎鋼車の配置。
一気に王都を攻め落とすための援軍要請。
策士として、謀略家としては一流だったろうな」
そう。
クロードの陰謀は、とてつもなく緻密だった。
この王都で、他を蹴落としながら上り詰めたやつだからな。
その集大成とも言える王国転覆の計画は、特に注意を払って組んだことだろう。
「だけど、クロードには2つ誤算があった。
1つはお前に反逆されて死んでしまったこと。
そしてもう1つ――それが分かるか?」
「知ったことか! 僕は、そんな詭弁を信じたりはしない!」
「もう一つは――俺達が王都にいたことだよ。
俺やアレク、エドガー、そしてイザベルやエリック。
俺達がいなければ、お前の謀略も上手く行ってただろうな」
敬語が剥がれて、敵意をむき出しにしているジーク。
そんな奴に対して、俺は敗因の分析結果を告げてやった。
だが、ジークはあくまでも認めようとしない。
脂汗を掻き、瞳孔を震わせ、それでも否定しようとする。
見苦しいんだよ。
ここに来て、まだ己の失策を自覚しようとしないのか。
「でもな、一番の失敗要素は他ならぬお前だったんだ。
ジーク、お前がクロードの腹案を奪わなければ、きっとこの王都は落ちていた。
恐らくクロードなら、この状況でも逆転の一手を導き出せただろうな」
「……そんなはずがない。父は、そんな大層な人間ではない!」
「少なくともお前よりは大器だったのは確かだ。
お前は親の残したものがなければ、ロクに狂うことも動くことも出来ない。
中途半端で三下の狂人なんだよ」
「だ、黙れぇえええええええええええええええええ!」
喉を切りながら、絶叫するジーク。
ああ、こいつはきっと、最後まで自分の過ちを認めないだろう。
失敗したのは親父のせい。
上手く行かなかったのは、周りの人間が無能だから。
そう思ってるんだろうな。
狂っていても、そのメッキが剥がれた姿から漂ってくるんだよ。
自分が愛しいだけの、劣悪な穀潰しの匂いがな。
俺はいくら邪険に扱われようとも、
親に反逆しようなんて一回も考えたことはない。
もちろん、俺だって我慢のきかないキレる若者だ。
前世でも衝動的に拳を振るいそうになった。
だけど、近くにいる大切な妹のことを思えば。
そんな姿は見せられないと思った。
だから、俺は家でも耐えることにしたんだ。
内面では嫌っていても、親には敬意を払うことにしたんだ。
別に、親を殺したジークそのものを責めているわけではない。
全てを親や周りの人間のせいにして、指弾を免れようとしているその姿。
救えない責任転嫁に、反吐が出ると言ってるんだ。
「もういいだろう。終わりにするぞ」
俺は思い切り拳を握り締める。
先程までの戦闘で、かなり魔力を消費してしまった。
だけど、会話をしながらも、魔力を増幅させるために精神統一をしてたんだ。
この一撃を繰り出すだけの力は、回復している。
そしてそれは、エリックも同じらしい。
彼は万魔の書に手を伸ばしていた。
だが、俺達がこの時間で回復したということは、
向こうも多少の魔法が使えるほどには回復しているだろう。
その証拠に、数人の魔法師が一斉に魔法を詠唱した。
「転移の魔法陣よ。我が求めに応じて距離を超越せよ――『テレポーテーション』ッ!」
足元にうっすらと展開されていた魔法陣が、一気に光を放つ。
どこに飛ぶつもりかは知らないが、このまま退却するつもりか。
この時を待っていた、とばかりにジークは最後の抵抗を見せた。
俺たちを蔑むように一瞥して、毒を吐き捨てた。
「帝国に逃れた後、君たちに必ず報復します!
僕は帝国でも上り詰め、君たちに制裁を与える!
ハッ、ハハ、ハハハハハハハハハハハ! その時が楽しみですよ!
それでは、敵首領を逃した悔しさを噛み締めつつ、死ぬ時を待っていてください――」
そう言って、ジークが魔法陣の中へ入ろうとする。
既に魔法師たちは、いつでも飛べる状態になっていた。
その時、ついに俺達がスタートを切った。
まずは、転移魔法を邪魔するために、俺が一発を放つ。
「――喰らえ、『アストラルファイア』ッ!」
発生した火玉を、魔法陣の中に向かって投入した。
当然のごとく燃え広がる獄炎。
凄まじい熱が、陣に入ろうとしたジークを分断する。
「くそっ、小賢しい真似を!」
「僕が消しましょう。転移の魔法を切らさないでください!」
ジークが慌てて水魔法を詠唱する。
魔法陣の縁で燃え盛る炎を、なんとか消そうとしていた。
だが、火の勢いは全く衰えない。
当然だ。
アストラルファイアは、そういう魔法なんだからな。
焦るジークを追い立てるように、低い声が響いた。
「やっと、やっとこの拳が届くぜ。
見ててくれ親父、母さん。この一撃に全てを込めてやらぁ!
我が拳は天覇の神器。唸れ五指よ、猛れ拳よ。
其が一撃で邪を打ち払わん――『ディープインパクト』ァッ!」
ジークが怯えたような目をする。
初めて、背後に忍び寄った人物に恐怖した。
エリックが、輝くような闘気を胸に秘めて、拳を振りかぶっていた。
積年の恨み。
両親の無念。
実験体に身を落としてまで誓った、復讐への決意。
そして、これからの未来――
その全てを拳に込めて、エリックは一撃を放った。
「喰らいやがれ! この一撃をぉおおおおおおおおおおおお!」
「う、うわぁああああああああああああああああ!」
とっさに振り向き、身体をかばうジーク。
同時に、エンチャント魔法で身体を強化しようとしている。
だが、水魔法を使った直後の詠唱は、反動が大きくて難しいのだろう。
嫌なことや苦しいことに、耐える覚悟もしてこなかったお前だ。
甘い環境で育った報いが、今ここで発現したな。
「せぁあああああああああああああああああああああああああああ!」
エリックの拳がジークに直撃する。
まずはガードしたジークの腕を粉砕し、骨を完膚なきまでに砕く。
そして、筋を断った上で、その胸部に強烈な一閃を届かせた。
肋骨が粉砕する音が響き渡る。
ああ、俺の時は上手く防いだから良かったけど。
下手をしたら、ああいうことになってたんだな。
ジークの血走った目から、光が失せる。
エリックはそのまま、打ち払うように拳を振りぬいた。
吹き飛んでいくジーク。
だが、悪運の強いやつだ。
飛んだ方向には、見事に魔法陣があった。
魔法師はすぐに転移を発動しようとする。
だが、その前に俺が魔法を詠唱した。
吹き飛んでくるジークに最後のとどめを刺すため、俺は全力で魔法を打ち出した。
「――『イグナイト・ヘル』ッ!」
ジークを中心にして、空間が爆発する。
辺りの魔法師をも巻き込み、今俺が放てる最高の魔法をぶち当てた。
ジークの顔が苦痛に歪み、あちこちから血が溢れる。
初めて『死にそうな痛み』を経験したのだろう。
だけどなジーク。お前はそれを、何人もの人間にやってきたんだ。
無抵抗の人間を相手に、一方的にな。
この炎を味わって、自分が何をしでかしたのかを自覚しろ。
「――が、ぁあああああ! て、転移魔法、発動ッ!」
吹き飛んでくるジークを受け止め、他の魔法師がついに魔法を詠唱する。
その時に見たジークは、完全にぐったりしていた。
あちこちを複雑骨折。
内蔵にまで達する一撃もあっただろう。
その上、両腕は筋を含めて完全に打ち砕かれた。
もう二度と、魔法師として動くことはできないだろう。
逃したのは正直残念だが――
再び襲いかかってきた時に、返り討ちにしてやる。
今回に限っては、退却させるだけで十分だ。
赤い光が迸り、魔法陣が収縮する。
そして、バシュッ――という音とともに奴らは消え去った。
魔法師数人、そしてジーク。
連中は、どこか安全な場所へと逃げ去っていった。
パラパラと、破片だけが落ちるこの場に、静寂が満ちていく。
この王都から、害悪を排除したのだ。
それを実感すると、無限の達成感が湧いてきた。
ふと後ろを振り向くと、エリックの様子が変だった。
彼は己の拳を見ている。
そしてその後、空を見上げて、ボソリとつぶやいた。
「――親父、ごめん。オレ、倒しきれなかったかも知れない。
まだまだ、未熟なんだと思う。だけど、だけどさ……」
エリックの声が震える。
今までにない声調で、自分の思いを吐露していた。
「許してくれるかな? もう、復讐はこれで、終わりに、したいんだ」
よく見れば、エリックの目からは涙が流れていた。
一生届かないと思っていた宿敵に、復讐の一撃を打ち込んだ。
仇討ちまでは行かなかったけど、それは確かに反逆を示す証だった。
「不思議……なんだけどさ。
オレ、なんだか急に虚しくなったんだ。
俺は、あんな奴のために今まで牙を研いできたのかって。
殴っても、意味なんかなかったんじゃないかって。
そう、思えてきたんだ」
拳で殴ってみれば、それはただの狂人だった。
そのことに気づいた瞬間、虚空のような面持ちになったのだろう。
エリックは脱力した。
その姿を見て、俺は少し焦燥を覚えた。
2ヶ月前に恐れていたことが、起きてしまうかもしれない。
復讐を遂げた後、急に無気力になって、生きる目的を失ってしまうのではないか。
半分予想していただけに、俺も慌ててしまう。
だがエリックは、涙を目尻に溜めながら、爽やかに笑った。
「オレさ、友だちができたんだ。
すっごい世話焼きで、でも淡白で乾いたところもあって。
よくわからない奴なんだけど――」
独白を続けながら、エリックは今までにない笑顔を浮かべる。
その瞳からは、とめどなく涙が湧き出ていた。
「オレを助けてくれた、大切な友人なんだ」
ゴシゴシと、エリックは目尻に溜まった涙を拭いた。
でも、それでも。
後から際限なく溢れてしまっている。
拭い切ることは諦めたのだろう。
赤くなった目の周辺を晒しながらも、
エリックは空に向かって語りかける。
「これからは、幸せのために生きても……いいかな?
オレだって、数えきれないくらい罪を犯してきたけど。
償っていきながら……なら、幸せを求めてもいいかな?」
すると、先程まで曇っていた空から、急に陽の光が降り注いできた。
新たに決意をしたエリックを祝福するかのように。
空に行ってしまった人が、愛する人を見守るかのように。
エリックを温かい陽光で照らしていた。
俺はしばらくその姿を黙って見ていた。
すると、エリックが俺に声をかけてくる。
泣いた後を恥ずかしそうに隠しているのが、何ともおかしいけど。
茶化すのはやめておこう。ぶん殴られそうだ。
「なあ、レジス。
オレもお前の生き方を見習いたい……って思いがあるんだ。
大事な人を守りながら、オレが何をすべきなのか、
一生かけて探して行きたい。
だから――これからも今まで通り、友達でいてくれるか?」
エリックが手を差し出してくる。
それを確認すると、俺は即座にその手を握った。
力強く、力の限り握り締める。
「当たり前だろ。とっくの昔に、俺とお前は友達なんだから」
俺がそう言うと、エリックはまた涙が出そうになっていた。
目の前で泣くのは憚られるのか。
慌てて後ろを向いてしまった。
その姿を眺めながら、俺は苦笑していた。
そして、アレクがいると思われる方向。
そっちを向いて、俺は静かに報告したのだった。
噛み締めるように、一気に抑圧を爆発させる。
「言われた通り。ちゃんと勝ったぜ、アレク――」
◆◆◆
王都近郊。帝国兵の潜伏場所近くで、ジークは目を覚ました。
帝国兵に肩を貸され、引きずられるように移動している。
「……すみ、ませんね」
帝国の若い魔法師に、言葉で謝辞を述べた。
すると、大怪我を負った魔法師は無言で会釈する。
ここから帝国に行くには、もう一つ段階を踏む必要がある。
この先にある荒地に、帝国直行の転移魔法陣を張った一団が待っているのだ。
何とか王都から逃げ延びた兵も、集合しているに違いない。
とはいえ、9割近くが捕縛されてしまったようだ。
圧倒的敗北を経験しながらも、ジークは喉を震わせて笑う。
「……いつか、必ず」
自分の陰謀の邪魔をした二人。
レジスとエリックに、復讐を果たしてやろう。
そう胸に誓うと、虐殺の愉悦を予感して哄笑してしまった。
己の前で屈服させ、絶望の中で息の根を止めてやる。
密かに野望を膨らませるジークを見て、魔法師たちは冷や汗を流した。
もう少しで、この退路である森を抜けられそうだ。
ジークを支える若い魔法師は、自分を奮い立たせるため独り言をつぶやく。
「もう少し……もう少しだ」
迫ってくる太陽の光。
この暗い森林を脱出し、早く帝国に戻らねば。
一行がついに森林を踏破する。
目の前に広がる荒地。
だが、そこには信じられない光景が広がっていた。
臨時で建設した拠点が、無残に大破している。
あちこちの地面が割れて、深い深淵の谷が作られていた。
明らかに異常。
魔法師たちは狼狽した。
「な、なんだこれは!」
「中継地点が、壊滅している……?」
「誰の仕業だ!」
仲間の魔法師が、どこにもいない。
ただ荒れ果てた高原に、虚しく建物の残骸が転がっているだけだ。
ジークを含め、全員が戦慄する。
すると、目の前の地面にヒビが入った。
「う、うわっ!?」
とっさに全員が後ずさる。ヒビはどんどん大きくなっている。
そして、突如地面から腕が突き出てきた。
褐色の細腕。
そして、なおも地面は割れていき、中から一人の人物が姿を表した。
身長は女性にしては比較的高い。
銀色の長髪が腰まで伸び、起伏の激しいスタイルが妖艶さを際立たせていた。
瞳は左目が赤色で、右目が銀色。
腹部や太ももを完全に晒す、扇情的な格好をしている。
ただ、局部局部に装着された防具は、どんな金属よりも輝いていた。
明らかに、人間が入手できるようなものではない。
若い魔法師は、すぐに種族を判別した。
「貴様……ドワーフか!」
すると、女性は不機嫌そうな声を出した。
地の底から響いてくるような低音。
だが、大いなる大地のような安心感さえ与えてくる。
もっとも、人間の言葉に慣れていないのか。
あるいは他の要因があるのか。
女性は語尾で特徴的な韻を踏んでいた。
「ほォ。地を司る我を種族でくくる気カ?
さえずるナ劣等。誰の許可を得て我を仰ぎ見ル?」
路傍の石を見るような目。
女性はジーク達を舐めきっているようだ。
反抗的な態度を取ろうとする若い魔法師。
だが、その前に熟練の魔法師が待ったをかけていた。
若輩を押しのけ、老練な魔法師が前に出てくる。
「貴様、『アース・クイーン』だな?
帝国が金を出して、今回の傭兵として雇っていたはずだが」
「ほウ? 我に直接声をかけるとはいい度胸ダ。
その通リ、我は金を何よりも愛シ、金を何よりも尊ブ。
ゆえニ、今回限り帝国の指示で動いてやっているに過ぎなイ」
そう、この正体不明の女性。
二つ名だけが有名になり、滅多に表舞台に出てこない人物だ。
ドワーフとしては最上位の傭兵として有名である。
今回の王都転覆に際して、帝国から目付役として派遣されていたと聞いていたが。
なぜここにいて、何もしなかったのか。
熟練の魔法師は苛立ちを抑えて訊いた。
「かなり前から、尖兵として動くよう命令が出ていたはずだ。
にも関わらず、貴様はここで何をしていた?
金の分も働かぬ傭兵だったとはな。あきれ果てたよ」
「思い違いをするなヨ下等。
そもそも我に指図をすること自体が間違イ。
少し個人的な仕事をしていたのダ。
まったく、山に引きこもった竜を殺すのは骨が折れル」
女性は芝居がかったため息を吐く。
眼の前にいる魔法師達を挑発するような態度だ。
彼女は肩をすくめて、胡乱な目を向ける。
「それに、ずいぶん悪く言うが、我とて何もしていなかったわけではないゾ?
帝国上層部の意向通り、ここで全ての敗残兵を処分していたのだからナ」
「……なッ、貴様正気か!?」
女性の発言を聞いて、魔法師たちが一気に身構える。
重傷のジークを除き、全員が戦闘態勢に入った。
「ああ、そうそウ。幹部からの伝言だヨ。
『帝国に負け犬はいらない。ジークというゴミもろとも冥界へ失せろ』らしイ。
そうだよなァ。炎鋼車の製造法も知らないガキなんて、何の価値もないヨ。
フハハハハハハハハハ、用済みってわけだよお前らハ。
厳しい国に仕えるからダ。己の選択を呪って、そして逝ネ」
「……くッ、ふざけるなッ!」
魔法師たちが一斉に魔法を詠唱しようとする。
見る限りにおいては、敵は一人。
一斉にかかれば、駆逐できないことはない。
こんな無駄死にだけは、絶対に嫌だ。
たとえ主となる帝国から見限られようと、命運が尽きたとは思いたくなかった。
全員の心が一致した。
だが、心が一致したからといって、強くなるかは別問題だった。
魔法師たちが、詠唱省略で魔法を発動させる。
だが、それより先に女性が超速で魔法を唱えていた。
「――『エクステンド・クレバス』」
ビキッ、とそれぞれの足元の土にヒビが入る。
そして、一気に全てが繋がり、巨大な裂け目になった。
唐突な地面の喪失に、ジークを除く全ての魔法師が吸い込まれていく。
足一歩分だけ後ずさったジークは、何とか免れていた。
だが、ジークは圧倒的な感情が湧き上がるのを感じた。
――これは、明らかに人智を超えた化け物だ。
狂っていても、本能が麻痺するほどに感じる恐怖。
圧倒的な絶望。
女性はジークを見て、意地悪げに微笑んだ。
「ム、良い反応だナ。見る限リ、魔力も量だけなら一流のものダ。
血筋による賜物カ?」
「……さぁ。ただ、僕はここで死ぬわけには行きません
あなたを殺してでも、生還させていただきましょう」
「ほォ? 言うじゃないカ」
「とある人物の絶望した顔を見るまで、僕の野望は止まりませんよ」
「あー、無理無理。死ぬよお前ハ。
しかも特別ダ。永遠の苦しみを得られる死に方を選ばせてやろウ」
そう言うと、女性は凄まじい魔力を身体から練り出した。
その上で、ジークに指を向け、一気に詠唱する。
「愚カナル人畜ニ土ノ苦シミヲ知ラシメヨ。
永劫ニ味ワエ土ノ生贄ヨ――『マッド・ドレイン』」
すると、突如ジークの足元に変化が起こった。
先ほどのように割れたのではない。
ジークを中心にして、広範囲が高熱を持った泥に変わったのだ。
反応できない速さで変化する大地。
皮膚を焼く灼熱の泥に、ジークは絶叫する。
「ぎッィ、ァアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
抜け出そうとしても、泥沼に沈んでいくばかり。
どれだけもがいても、余計泥に全てを絡み取られてしまう。
苦しむジークを見て、女性は口の端を釣り上げた。
「安心しロ。失神しないギリギリの温度にしてあル。
これから一ヶ月懸けテ、泥の中に沈ミ、激痛と灼熱の中で魔力を搾り取られル。
土の養分になる気分はどうダ?
干からびて抜け殻になり、土に還るまで永久の苦しみを味わうのだナ。
フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
人の苦しむさまを見て、愉悦に浸る女性。
反論しようとしたジークは、声が出ないことに驚いた。
魔力とともに、生命力も吸い取られているのだ。
完全に全身が泥に沈む。
目が焼け、粘膜に泥が流れこみ激痛が走る。
熱いということがこれほどまでに苦しいことを、ジークは今まで知らなかった。
なまじ息ができるようにしてあるのか、酸欠直前で気絶できないのが苦しい。
ゴボゴボと沈んでいき、ゆるやかに死を迎えていく。
その姿を、女性は喉を震わせて見ていた。
「栄養は魔力が尽きるまで強制的に供給さレ、水も泥から吸い取れル。
死ぬに死ねない生き地獄というわけダ。
魔力が尽きればその施しも消え、緩やかに死へ近づいていク。
干からびた死体となリ、大地の糧になることを嬉しく思うがいイ。
フハ、ハハハ、フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
ジークは初めて感じた。
自分に匹敵――いや、
それ以上の狂気を持った人物が、この世にいるのだということを。
既に抵抗する力を奪われ、地表から遠ざかった深淵に沈んでいく。
死にたいのに死ねない。
気絶したいのに気絶できない。
そんな地獄を味わいながら、
土に吸収されて本当の死を迎えるまで死に切れない。
真実の意味での地獄を知りつつ、
ジークはこの世界から消滅することになるのだった。
しばらくすると、女性の顔から笑みが消える。
彼女は表面の泥だけ固め直して、王都の方を眺めた。
何か気になることがるのだろうか。
じっ、と端正な顔を王都に向けている。
「さて、邪神の気配がしたナ?
復活したとは聞いていないガ。
と言うことは、あいつの仕業……カ」
この禍々しい魔力が誰のものであるのか。
女性はすぐに見ぬいたようだ。
そして、唾棄するように吐き捨てた。
「邪神の残り香にすがるとハ、堕ちたものだナ。
大陸の四賢の恥さらしメ。
今回は機会がなかったみたいだガ……ようやく見つけタ。
この分だと、竜殺しは必要なかったナ。まあいイ」
嬉しそうに、彼女は相好を崩す。
ずっと探し求めていた何かを発見した時のような。
純粋な喜びを瞳に湛えていた。
しかし、その感情にはあまりにも欲望と邪気が混じりすぎている。
「次に会った時は――比類なき絶望をくれてやろウ」
旧知の人物との蜜月を夢見て、女性は楽しげに笑うのだった。
全ての後始末を終え、土に潜っていく。
最後の生存者が消えたこの荒地には、何も残らない。
ただ、帝国が敗北したことだけを知らしめる、拠点の跡があるだけだった。
――この日。
夜明け前に国を揺るがす反乱が起きた。
だが、王国の抵抗は凄まじく、帝国の侵略は頓挫。
双方に激しい犠牲を出しながらも、王都の帝国勢は鎮圧されたのだった。
そして、その立役者となった人物たち。
数日後、彼らは王家から招集がかかることになる――