第十七話 狂人の焦り
「さぁ、どこまで楽しませてくれますかね。期待していますよ」
舐めた口を叩いて、ジークは炎鋼車を走らせる。
目標は、やはり俺のようだ。
その車輪でひき潰そうと、一気に突進してくる。
だが、この狭い敷地内で、そこまでスピードは出せない。
俺は前転しながらスレスレで回避した。
すぐそばを車体が通り、火炎が俺の肌を焼く。
「……くっ」
やっぱり、熱いな。
こりゃあ猪もこんがり焼けるはずだよ。
直接攻撃も不可能ってわけだ。
だけど、俺はそんなことを狙っていはいない。
苦手分野だが、上手く発動してくれるだろうか。
俺は魔力を練り、水魔法を詠唱した。
「流水は堅きを流し、土を蝕む。
出でよ奔流――『ベリアルシャワー』ッ!」
これが実践で使う初めての水魔法。
慣れていないためか、反動もかなり強い。
側頭部が軋み、指に痺れを引き起こした。
魔力の渦を空に作り、土砂降りの雨を降らせる。
その勢いは、視界が遮られるほどだ。
空から降り注ぐ水の音で、炎鋼車の駆動音すらかき消される。
数十秒かけて、足元がぬかるむほどの流水を注いだ。
雨が止んだ時、炎鋼車は依然として燃え盛っていた。
やはり、燃える炎鋼車は単純な水じゃ消火できないか。
あれだけの水をかぶっても、全く火の勢いは衰えないって鬼畜だよ鬼畜。
「滑稽ですねぇ!
燃料結晶を動力源としている以上、外から水を被せられても、全く効きません!」
あざ笑うかのように、ジークは俺に向かって火魔法を打ち込んでくる。
下腹部に直撃し、嫌な痛みと熱さが走る。
俺の熟練を撃ち抜いて来るか。
やっぱり、相当適性も高いんだな。
炎鋼車が俺に攻撃を加えようと走り出した瞬間。
今度は逆側から詠唱が聞こえてきた。
「我ただ水を追い求め、水の理を突き止めん。
其が水は、大地を侵す天の落涙――『ローランド・グリザイア』」
それはかつて、帝国と王国を区切る大河の、治水に取り組んだ英傑。
水を好み、水と共に生きた研究者だ。
彼の水魔法は空を割って水を降らし、乾地を湿地に変えたという。
エリックは英雄の力を引用し、大規模な水魔法を唱えた。
「うぉらあああああああああああああああ!」
エリックの咆哮を受けて、空から大きな水玉が落ちてくる。
一粒一粒が砲丸並の大きさだ。
それらは炎鋼車に降り注ぐと、纏っている炎を弱めていく。
だが、やは炎鋼車から噴き出す火炎は強力。
これほどの魔法を浴びせても、その炎は決して消えることがない。
「効かないと言っているのが、分からないのですか?」
ジークが意地悪げに微笑む。
そして、詠唱後のエリックに向かって疾走していく。
だが、あまりにも動きが緩慢だ。
車内から、ジークの驚いたような声が響いた。
「……なるほど、そういう意図でしたか」
どうやら、気づいたようだな。
だが、余りにも遅すぎる。
俺が得意でもない水魔法を放ったのは、地上を水で満たすためだ。
しかも、水魔法にかけてはエリックの方が更に強烈だぞ。
圧倒的な水量に加え、水の特性をいじってるんだ。
一瞬で水が土に浸透し、沼地のような状態に変えていく。
車輪が泥に絡まり、思うように動けていない。
よし、これで炎鋼車の動きがかなり鈍る。
どれだけ機動性があろうとも、
立地が悪ければ実力を発揮することは出来ないのだ。
「よし、第一段階終了ッ!」
俺が叫ぶと、エリックが炎鋼車から一気に離れた。
あとは、装甲の弱い部位を一気に叩くだけだ。
破壊なら、俺に任せてもらおう。
一気に詠唱しようとした時、炎鋼車の頭頂部が開いた。
同時に、車内から冷徹な声が飛んでくる。
「――燃料結晶、発火準備」
「――風魔法での後押し、用意完了」
「――燃料結晶、発火完了」
「――よく狙ってください。目標は彼です」
炎鋼車がエリックの方を向く。
どうやら、これ以上妙な魔法を使われない内に、エリックから叩くつもりらしい。
そして燃料結晶の発火は、超強力な火魔法の発動を意味していた。
まずい。この敷地内だと、避けきるのは難しい。
「エリック、逃げろッ!」
疾走するエリックに叫ぶ。
それと同時に、炎鋼車から凄まじい炎風が迸った。
風魔法を起爆剤に、暴風に乗った獄炎が舞い散る。
「――『炎鋼の光矢』、発射」
燃料結晶から放たれる死の一閃。
それが目にも留まらぬ速さで、エリックに射出される。
だが、受けるのは復讐を誓った少年。
エリックだ。
今までに、どれほど炎鋼車を研究してきたか。
それは本人が一番分かっているだろう。
だから、エリックは炎の矢が放たれた瞬間、思い切り加速した。
照準をずらし、一気に前転する。
すると、エリックのすぐ後ろの地面に矢が突き刺さった。
途端に地面が爆砕し、衝撃波がこっちまで到来する。
「……くッ」
なんつう威力だ。
まさに、兵器としか言いようがない。
エリックは照準を上手くずらして何とか回避した。
だが、飛び交う豪炎を受けて、凄まじい火傷を負っていた。
近くで爆発した影響だろう。
荒い息をつき、エリックは片膝を折る。
一歩間違えれば、死んでいたのだ。
それを自認して、急に疲労が出てきたのかもしれない。
だが、ジークはそれを見逃さなかった。
再び頭頂部が怪しく光り、エリックに照準を向ける。
そして、燃料結晶から更に強い熱が発生した。
まさか、あれは――。
「――とどめを刺してください」
「――了解。『炎鋼の天爆』、準備」
それは、炎に耐性を持つ竜すらも殺す獄炎。
リングを歪め、壁に大穴を開ける爆裂魔法だ。
そんなものを生身で受けて、生きていられるはずはない。
消耗しているエリックは、回避行動を取ることが出来ない。
どうするべきか。
悩むよりも前に、俺は走り出していた。
詠唱をしながら、エリックの前に疾走していく。
「強靭たる気高き炎の英霊。
其が身を護り、邪炎を祓い給え――『ファイアーシェル』ッ!」
俺の身体と、エリックの身体を魔法障壁で包む。
これを実戦で使ったのは、八年ぶりだな。
エリックの前に立ちふさがり、両手を広げた。
さあ、来いよ。
炎鋼車最強の攻撃を撃ってみろ。
竜の耐性を打ち破る致死攻撃。
確かに強力だ。
だが、なぜ人の耐性が竜に劣ると断言できる。
しかも、相手が俺ならば尚更だ。
そう言えば。
その昔、妹に訊かれたことがあるな。
あれは確か、妹が高所から転落しそうになった時だったか。
珍しくはしゃいでいた妹が、足を滑らせてベランダから落ちかけたのだ。
俺は慌てて妹を引っ張り、落ちることを回避させた。
しかし、いかんせん俺がどんくさかった
慣性の法則が『やあ』と素敵な挨拶をしてきてくれたのだ。
物理法則に従い、俺は前に引っ張られて2階から落ちた。
下の屋台をぶち抜いて、見事に病院送りになったという黒歴史だ。
そして、後に妹がお見舞いに来てくれた時。
真面目な顔で訊いてきたのだ。
――『どうしてそこまで、痛みに耐えることができるの?』
と。
まあ、耐えれるから耐えれるんだ、って答えたかったんだけど。
よく考えたら、痛いのは嫌だし、
耐えられるって言っても死なないだけなんだから。
その質問に対しての答えにはそぐわない。
だから、あの時俺は、妹を見て答えたんだ。
――『誰かを失う痛みに耐えるくらいなら、自分を失う痛みに耐えた方がマシだ』
目を焼く光。
五感を苛む刺激を受けて、意識が強制的に戻される。
すでに、炎鋼車の頭頂部が強烈に発光していた。
あとは、風魔法で着火するだけだ。
指示一つで、俺に向かって最強の攻撃が放たれる。
それを確認して、俺は思い切り地面に足を突き立てた。
グリグリと、ぬかるんだ土に足を突っ込む。
でも、それでも足が震えてしまう。
やっぱり俺は、どこまで行っても臆病で。
ヘタレなんだな。
だけど、弱音は吐きたくない。
俺は炎鋼車を――中にいるジークを睨みつけた。
「さぁ、来いッ――!」
奮い立たせるために、思い切り叫び散らした。
だが、妙に意識したのは逆効果だった。
途端に、思考が混濁する。
恐怖に呑まれ、全身から嫌な汗が吹き出す。
怖い。
痛そうだ。辛そうだ。熱そうだ。
死ぬかもしれない。今度ばかりは、耐え切れないかもしれない。
ただの馬鹿な行動なのかもしれない。
傍から見れば、犬死に見えるのかもしれない。
痛いのは嫌だ。
死ぬのは嫌だ。
別れるのは嫌だ。
だけど。
それでも。
ここで誰かを守れない事の方が、絶対に嫌だ――ッ!
「『炎鋼の天爆』――発射ッ!」
炎鋼車から緊張した声が響いた。
風魔法の力を受け、圧倒的な質量を持った炎が吹き荒れる。
視界が赤い世界に染まり、何も聞こえなくなった。
ピキ、ピキ、と。
ファイアーシェルの障壁にヒビが入る。
熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い。
いや、熱いを通り越して痛い。
痛いを超越して何も感じない。
狂犬のように暴れる炎。
その勢いに負け、後ろに下がっていってしまう。
だが、背後で跪くエリックに、踵が当たる。
ああ、そうだったな。
ここで俺が倒れたら、同時にエリックも倒れてしまう。
逆に言えば。ここで俺が耐えれば、こいつを守ることができる。
だったら、俺がするべきことは一つだ。
「がッ、ぁああああああああああああああああああああ!」
身体から追加の魔力をひねり出す。
強い反動が、側頭部と臓物を直撃する。
気持ち悪くて胃液がこみ上げる。
視界が赤い血管で埋まり、何も見えなくなる。
しかし、それでも。
俺は後ろに下がらずに障壁を張り続けた。
すると――
「……なあ、レジス」
後ろからエリックの声が聞こえてきた。
疲弊しているようで、聞こえてくる声も弱々しい。
獄炎を全身に感じながらも、俺は返事をした。
「……どうした?」
すると、エリックは少し複雑な顔をして言った。
「こんな状態で訊くのは、明らかにおかしいんだろうが。答えてくれ」
「……ああ、いいぜ。言ってみろ。俺の意識が途切れない内に」
ベキベキ、と障壁が剥がれていく。
壁を突破してきた灼炎が頬を焦がす。
そんな中で、俺はエリックの言葉に耳を傾けていた。
意識が、飛びそうだ。
「――どうしてレジスは、そこまでして人を守ろうとするんだ?」
エリックの問いは。どこまでも真剣だった。
しかし、つい笑ってしまう。
その質問は、いつか妹にされたものと酷く似ている。
エリックは俺が覚えてるだけで2,3回、その問いを投げかけてきた。
要するに、純粋に疑問なんだろう。
どうしてそこまでして体を張るのかと。
さっきフランチェスカの頼みを聞いた時に、
なおさら疑念が強くなったのかもしれない。
だけどなエリック。
お前が何度も同じことを訊くように――
俺は何度でも同じことを言うだけだ――
「――好きだからだよ」
「……どういう意味だ?」
エリックが首を傾げた、ような気がする。
思考が遠い。
外からの炎熱の圧迫で肺が焼かれていく。
その中で、俺はなんとか言葉を喉から絞り出した。
「俺は大切な人の、笑顔が好きなんだ。
楽しくしてるとやっぱり幸せで、生きてるって思えるようになる。
馬鹿なことをしてヘラヘラ笑ってる時が、一番充実してるって思えるんだよ」
「……笑顔が、好き?」
「ああ。俺って一回、死んだような人生を送ったことがあってさ。
それがすげえ悔しくて。何でもっと真面目に生きなかったのかって。
今でも後悔することがあるんだ」
焼きつくされた網膜が、かつてのトラウマを投射する。
落ちこぼれてどうにもならなかった人生。
妹の厚意を完全に無駄にした過去。
彼女を除いて、誰からも愛されることがなかった俺の、
一人ぼっちは嫌だという寂しい我儘だ。
それらがあって――いや、それらがあったからこそ。
俺は変われたんだ。
「だから、俺は人を守ろうとするんだよ。
俺を愛して欲しい。好きになって欲しい。笑顔が見たいんだ。
誰の悲しい顔も見たくないんだ。幸せがいいんだ――」
だから、俺はこの身体が朽ち果てようとも。
この手が届く範囲の大切な人くらい、守ってみせる。
崩壊しかけた意識の中で、俺はエリックに語りかけた。
「だからエリック。
もし嫌じゃなければ、お前も俺を守ってくれ――」
「ああ、任せろよッ!」
しばらく考え込んでいたエリックが、即答した。
後ろから肩を掴まれる感触がする。
誰も守ってくれなかった背中を、誰かが守ってくれる感覚がある。
もう、そろそろ障壁が破れそうだ。
まずい、早く張り替えないと。
崩れゆく意識の中、詠唱しようとした瞬間。
「支えてやるから、魔力を貯めとけ。レジス」
エリックが、俺の眼の前に立った。
あっという間にエリックの身体の障壁が砕けていく。
そして、炎鋼の天爆の脅威にさらされる。
だがエリックは、それらを意に介することなく、万魔の書を開いた。
その上で、覚悟を決めたように吼えた。
「砕キ壊セ殺セ穿テ叩ケ斬レ下セ突ケ討テ落トセ。
我ガ貶メ汝ラガ享受ス。
我ガ墓標コソ狂王ナリ――『バルバロス・アポロナイザー』……」
エリックの身体から膨大な魔力が湧き出る。
俺の後ろで、ずっと精神を集中させていたようだ。
以前に見た時よりも、はるかに濃い魔力が結集している。
それは、積年の恨みを晴らすため。
そしてきっと、俺を守るために、反動を無視して引用魔法を使ったのだろう。
エリックの顔が苦痛にゆがむ。
よく見れば、肌が硬質化して灰色になっていた。
エリックの髪が逆立ち、ドラグーンとしての荒々しさがにじみ出る。
だが、引用魔法の反動も凄まじいようだ。
身を焼くような反動で、内臓が引っ掻き回されていることだろう。
古代の狂王から、魔力を引用しているのだ。
その反動は計り知れない。
だが、その状態で、エリックは堅い守りの体勢に入った。
先ほど俺がそうしたように。
後ろへ攻撃が漏れないように、一心不乱に立ちふさがっていた。
俺とエリックが、力を総結集して耐えていると――
ついに炎の勢いが弱まった。
しばらくすると、燃料結晶から吹き出す火種が、ついに消失した。
「――くそッ、燃料結晶が」
「――熱暴走か。早く取り替えろ」
炎鋼車の中から、焦ったような声が聞こえてくる。
どうやら、燃料結晶の酷使で動かなくなったようだ。
今の炎鋼車からは、噴き出る炎すらも消えていた。
それを見て、エリックが走った。
凄まじい加速をして、一気に炎鋼車に迫る。
だが、内部から魔法師があざけってきた。
「――ハッ、馬鹿が!
どれだけ身体を強化しようが、この炎鋼車の装甲は打ち抜けねえよ!」
もっともだ。
エリックの一撃が鉄を粉砕するものであろうとも。
炎鋼車の装甲はそのすべてを受け止めてしまうだろう。
窓から見えるジークの顔も、愉悦で歪んでいた。
ああ、底辺が馬鹿なことをしている――と。
そう思っているのだろう。
だが、エリックはそれら全てを叩き返すかのように笑った。
「馬鹿はてめえらだッ!
俺の狙いは最初っから、こっちだぁあああああああああああああああッ!」
エリックが炎鋼車の背後に先回りする。
その上で、拳を高く振り上げた。
攻撃しようとしているのは、炎鋼車の外面ではない。
エリックは凄まじい叫びとともに、激しく地面を殴りつけた。
「バルバロス、アポロナイザァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
凄まじい衝撃が地面に走る。
泥が巻き上がり、辺りの建物の屋上にまで達した。
ぬかるんだ地面に大きなクレーターが発生し、炎鋼車の車体が吸い込まれる。
脱却するため、魔法師達は炎鋼車を加速させた。
だが、車輪が泥に絡まって動けない。
完全に、泥の中に車体の下部分が埋まってしまった。
「――バ、バカなッ」
「――頭頂部だ! 燃料結晶で焼き払えッ」
「――燃料結晶の入れ替えはまだかッ!」
「――水魔法で冷却していますが、間に合いません!」
「――どいてください。僕がやりましょう」
車内では、慌てたように敵が動いていた。
燃料結晶を冷やそうと、ジークが加勢しているようだ。
エリックは、全ての魔力を込めた一撃を放ったからだろう。
追撃する余力が残っていない。
ただ、邪魔になるのを嫌って屋敷の陰に隠れた。
よし、よくやってくれたな。
あとは、あとの全ては、俺に任せろ。
俺は炎鋼車に向かって激走した。
炎鋼車の頭頂部は、普通では届かない位置にある。
だが、泥に埋まっている今なら、ジャンプすれば届く。
俺は一気に飛び上がり、炎鋼車の上を取った。
すると、中から魔法師が魔法を撃ってくる。
しかし、それを無視して近づいた。
そう、燃料結晶がある頭頂部に。
普段は魔法障壁を張って、頭上からの攻撃に備えている。
その堅固な結界で、星魔法だろうと防いでしまうだろう。
だが、燃料結晶の冷却に人が割かれている今なら。
小窓から襲撃をかけることも可能だ。
ちょうど水で冷やし終わって、燃料をつめ替えたのだろう。
車体から再び炎が噴き出してきた。
だが、これはせいぜい火魔法の中級程度の威力しかない。
熟練で押しつぶしてやる。
俺は熱さを無視し、腰元のナイフを構えた。
「やっと、この状態に持ち込めたな」
そう言って、ナイフで窓を突き破った。
そして、中の燃料結晶にナイフを突き刺す。
そこまで見て、何をしようとしているのかに気づいたのだろう。
今まで焦りを見せなかったジークが、声を荒げて指示した。
「――振り落としてください! 早く!」
「――しゃ、車輪が依然回りません」
「――くそッ、俺が直接吹き飛ばしてやる」
魔法師の一人が、狭い車内の中で剣を抜いた。
だが、俺相手に接近戦を挑む時点で間違ってる。
俺は窓から足を突っ込み、思い切り魔法師の側頭部を蹴りつけた。
「――ぐぁアッ」
炎鋼車の奥にまで吹き飛んでいく。
さすがアレク直伝の回し蹴り。
効果は抜群だ。
気合を入れて、思い切り燃料結晶にナイフを差し込む。
内部が火魔法に巻き込まれないよう配慮されているのか。
燃料結晶は頭頂部の外側近くに配置されていた。
だがそのおかげで、中へ侵入しなくても外から燃料結晶に攻撃できる。
ディンの紋章が、ラジアスの燃料結晶を完全に貫く。
慌てる敵を尻目に、俺は意地悪く笑った。
「さっきの強力な火魔法、風魔法で起爆してるんだってな?
窓を全部割って、守りを担当してる魔法師を蹴り飛ばしたんだ。
もうこれで、魔法障壁も期待できないな」
「――ば、馬鹿な! 貴様も死ぬぞ!」
「心配してくれてありがとう。
でも、お前たちがどうやって生き延びるかを先に考えろよ」
叫んでくる魔法師に、冷たく言い捨てた。
俺だって、一つくらい風魔法を覚えてる。
燃料結晶の射出口を蹴飛ばし、車内側に向けた。
その上で、俺は静かにつぶやく。
「終わりだ――『ウィンドバースト』ッ!」
風魔法でナイフを後押しして加速させた。
刀身の内部で風が渦巻き、暴発の時を待っている。
俺はナイフを再び強く握った。
「うぉらあああああああああああああああああああ!」
思い切り叫び散らし、一気に燃料結晶に突き刺した。
風の爪が燃料結晶に突き刺さる。
次の瞬間、そこから激しく風が荒れ狂った。
そして、燃料結晶が大爆発した。
炎鋼の天爆を凌ぐ規模だ。
あちこちに爆風が乱反射し、装甲を内側から破砕していく。
ついに爆発のエネルギーが、炎鋼車の外に漏れる。
鼓膜を打ち破るかのような爆音。
とんでもない風圧が直撃し、俺は宙を舞った。
爆風によって数十メートル吹き飛び、屋敷に植えられた木に叩きつけられる。
畜生。痛……くない。
おかしいな。痛覚が麻痺でもしたか。
いや、違うな。
もはや痛覚を維持する力も残っていないということだろう。
近くにあったオブジェが、まとめて吹き飛ぶ。
荘厳な屋敷の窓は、全て粉砕していた。
扉も吹き飛んで、屋敷を取り囲んでいた塀も、完全にクラッシュ。
激しい土煙が上がる中で、俺はなんとか立ち上がった。
数十秒して、煙が晴れる。
すると、そこには跡形も無い炎鋼車の残骸が残っていた。
砕けた装甲。
折れた車輪。
車体は焦げて黒煙を上げている。
やっぱり、内部からの爆発には耐えられなかったな。
地上最強の兵器も形無しだ。
無残に崩れた炎鋼車を見て、俺は静かに笑ったのだった。
◆◆◆
王都において最強の兵器を、ついに破壊した。
その事実を噛みしめようと途端。
突如、平衡感覚が狂った。
あれ、なんだこれ。
すごいフラフラする。
吹き飛ばされた拍子に頭でも打ったか。
早く、体勢を立て直さないと。
だが、視界が歪んで胸の不快感が暴れ狂う。
くそっ、魔力を込めすぎたか。
汲み出しの反動で、身体が痺れてる。
だが。
今にも倒れそうな俺の肩を、ガシッと掴む者がいた。
朦朧とした意識の中で、その人物を見上げる。
ああ、エリックだ。
「大丈夫か?」
「……ああ。エリックも無事だったみたいだな」
「まあ、な。だが、まだどうやら――敵は残っているみたいだ」
そう言って、エリックはある地点を睨みつける。
よく見れば、魔法陣がキラキラと輝いていた。
そして、その魔法陣から6人の人影が出てくる。
満身創痍の集団。
ジーク達が、酷い有様でそこに膝をついていた。
上手いこと逃げてやがったか。
だが、俺と同じく、もう戦える魔力も体力も残っていないようだな。
奴らは火傷にまみれ、炎鋼車の破片があちこちに突き刺さっていた。
俺はジークに近づきつつ、嘲笑する。
「魔法陣に逃げ道を用意してたのか。
伝令のためにしか使わないんじゃなかったのか?
コソコソと、土の中から夜逃げですか。
どっちが虫だから分からねえな、これじゃあ」
すると、ジークの表情が一変した。
今までのニヤけた笑いが消え、目が血走る。
そして、唸るような声を発した。
「なぜ、なぜ……」
「何だ。王国に反逆した大罪人。
もうお前は貴族なんかじゃない。
たとえ王都三名家だろうが、今回の一件で完全に処刑だ。
これでラジアス家は――」
「なぜ、僕の邪魔をしたあああああああああああああ!」
俺の言葉を遮って、ジークが吼えた。
今までの、取って付けたような丁寧語が吹き飛んでいる。
そして、全身から敵意と狂気をにじませ、俺を睨みつけてきた。
「あと少し、あと少しで完璧だったんだ!
王都で大虐殺を敢行!
王宮を粉砕し、王都三名家と王族を殺戮!
そして北方から到来する帝国軍と合流し、帝国に寝返る!
この完璧な計画を、君が、君が台無しにしたぁああああああああああ!」
ガリガリと、頭をかきむしるジーク。
爪が突き立ったところからは血が吹き出し、端正な顔を赤く染めていく。
周りの魔法師ですら、冷や汗をかいて引いていた。
だがな。
狂ってるからといって、何をしても許されるわけじゃない。
確かに、お前には狂気があったのかも知れん。
だが、それを押さえつける理性だってあったはずなんだ。
それを疎かにして大事件を引き起こしたお前には、もう言い訳の余地はない。
「台無しにした? ふざけるなよ。
人の陰謀を横から掠めとって自分の手柄気取りか」
「はッ、ハハハハハハハ!
これから死にゆく人の言葉なんて、聞いても仕方ないでしょう」
「……なに?」
ジークが急に自信を取り戻した。
しかし言っていることは支離滅裂で、相変わらず情報が汲み取れない。
だが、なんだろう。
どこか引っかかることがある。
この計画を実行したのはジークだが、立案したのは百戦錬磨のクロードだ。
あの老獪な男が、王都内の反乱だけで済ませるだろうか。
もっと国を根本から動かすような、保険じみた手を打つはず。
そこまで思い立って、ジークの言葉が脳裏に蘇った。
――『北方から到来する帝国軍と合流し、帝国に寝返る』。
……まさかッ!
帝国軍は、この王都にいる連中だけじゃないのか。
1000人も動員しておいて、まだ増援がいるのか。
俺の焦りが表情に出たのだろう。
ジークは小馬鹿にするように嘲ってくる。
「そう。国境を超えて、今8000の帝国兵が王都に迫って来ようとしています!
父上が連携のために要請していたのですよ!
王都がこの有様では、国境の突破も時間の問題でしょう!」
「は、8000? なんつう無茶苦茶な……」
「これが、帝国と王国の圧倒的な物量差です!
こうなった以上、僕も帝国に亡命させてもらいましょうか。
王国の牙城を崩した功労者として、
また向こうでも虐殺の愉悦に浸るとしましょうか!」
挑発するように、ジークが煽り立ててくる。
8000という超大軍。
王国の総兵力を結集しなければ、まず太刀打ち出来ないだろう。
だが、王都はこの有様で混乱状態。
地方貴族への伝達は遅れ、兵は集まっていない。
このままだと、王国そのものが陥落してしまう。
それを確信しているからか、ジークはとても嬉しそうだ。
俺は話しつつも、少しづつ魔力を回復させていた。
なんとか、あいつだけは仕留めておかないと。
エリックも同じ意図なのだろう。
俺が言葉を交わす傍ら、静かに瞑想して魔力を練っている。
魔力が枯渇していなければ、すぐにでもとどめを刺してやれるってのに。
その時。
焦燥に駆られる俺をあざ笑うかのように、衝撃波が飛び込んできた。
同時に耳を穿つ爆発音が響き渡る。
ジーク達一行を含め、この場にいる全員が吹き飛ばされた。
俺はなんとか受け身をとって、音の方向を見据える。
あの方角は、王宮方面のはず。
まさか、王宮が一斉砲火で壊滅したのか?
そうでなければ、今の大規模爆発の説明がつかない。
俺と同じように吹っ飛んだジークは、壊れたように哄笑した。
「く、クククク。ハハハハハハハハハッ!
王宮は吹き飛び、帝国兵は刻一刻と迫り来る!
王都内の帝国兵は鎮圧されたようですが、王宮は制しました。
帝国が王都を制圧するのも、時間の問題でしょう」
芝居がかった身振りで、己の勝利を確信するジーク。
奴は楽しげ喉を鳴らし、力強く宣告した。
「――終わりです。王都も、君たちも」
ジークは断言する。
先程までの爆発音がやみ、辺りが急に静かになる。
炎鋼車の砲撃が止んだ。
つまり、もう目標を破壊したということか。
ふと、俺はエリックの方を振り返った。
彼はあくまで無表情を保とうとしている。
しかし、圧倒的な劣勢を実感したのだろう。
エリックの膝は震えている。
だが、その目から闘志は消えていない。
静寂の中、俺とジークは睨み合いを続ける。
すると、この場に動きがあった。
いきなり魔法陣が煌めき、帝国兵が転移してきたのだ。
その兵の身体はボロボロで、顔は真っ青になっていた。
予想外の来客に、ジークが眉をひそめる。
だが、そんな彼を無視して、帝国兵が声を絞り出した。
「で、伝令ッ! 国境近くの『境界線上の大橋』が大崩落!
兵が多数転落し、進路が消滅したとのこと!
進軍不可能と判断し、今より退却を始めるとのことです!」
その報告に、魔法師たちが呆けた表情で首を傾げた。
ジークは無表情のまま、言葉を咀嚼している。
俺も、何がなんだかよく分からなかった。
境界線上の大橋。
大河によって区切られている王国と帝国の、国境に掛けられた橋だ。
ルートは3つあり、西側に一本。東側に一本。
そして、今回使われたと思われる中央の一本。
邪神封印を祝して建設され、500年以上も両国をつないでいた大橋だ。
それが崩落したのだと、今この兵は伝えたのだ。
ジークは冷たい目で伝令を見つめる。
「冗談は終わりですか? あの規模の橋が落ちるわけ無いでしょう」
「じょ、冗談ではありません!
この目でしかと、橋が崩落するのを見ました!」
ガチガチと体を震わせる伝令。
どうやら、世にも恐ろしい光景を目の当たりにしたようだ。
伝令の様子を見て、ジークが舌打ちをした。
「まあ、いいでしょう。
この王都に炎鋼車がある限り、王国が滅亡する未来は不動です。
ご苦労、帝都に戻って休んでいてください」
「はッ――!」
傷だらけの帝国兵は、また転移でどこかへ消え去った。
ジークはため息を付く。
予定が狂ったことが、いたく不満のようだ。
だが、もう一度魔法陣が光ったのを見て、ジークは顔をひきつらせた。
またしても、違う兵が魔法陣から現れる。
そして伝令は、驚愕の一報を告げるのだった。
「き、緊急の伝令ッ! お、王宮に向かう炎鋼車が――」
その報告を聞いて、ジークの余裕がついに崩れた。