第七話 呼び出し
「レジスー! 待っていたぞ!」
「よし、そこまでだ。手を頭の後ろで組んで止まれ」
入店早々、飛びついてきたエドガーを冷静に静止する。
だが、彼女は全くスピードを緩めない。
仕方なく、俺はひらりと避けた。
すると当然、エドガーは頭から商品棚に突っ込むことになる。
とんでもない轟音を響かせながら、棚が崩壊した。
購買ストリートの通行人が、覗きこんでくるほどである。
だが、さすがはエドガー。
すぐに立ち上がり、光の早さで商品の位置を直した。
やはりこいつ、商人としても相当レベルが高いな。
そんな彼女は、さっそく部屋の奥から茶を取り出して淹れ始めた。
よしよし、もう酒を出してくることはなくなったな。
酒癖を改善できたようで嬉しい限りだ。
「ほら、レジス」
「ありがとう」
エドガーは茶の入ったカップをテーブルに置いた。
俺も座り、静かに茶をすする。
うむ、何の変哲もない茶だ。
だが、少し味が引き締まっている気がするな。
高い茶なのかもしれない。
しかし、ここで少し問題が出てきた。
匂う、匂うぞ。
独特のアルコール臭が。
俺のカップからではない。
発生源は……そう、エドガーのカップからだ。
「エドガー、それは何だ」
「茶葉に酒を注ぎ込んだ新商品だ」
「商売まで酒に侵されたというのか」
「や、やめてくれ。照れるじゃないか」
「褒めてねえよ」
エドガーは頬を赤らめてカップの縁を指でなぞる。
非常に可愛いと思うのだが、飲食物で常軌を逸してるのがマイナスだな。
西部劇でもこんな大酒飲みは見たことがない。
これがあれか、水の代わりに酒を飲むタイプの人か。
酒を飲まないよう律してる俺からしてみれば、対極に位置する人種だ。
「それで、今日はどうしたんだ」
「レジスに会いたかったんだ」
「アレクに診てもらうか?」
「あたしは正常だぞ」
「で、用件は本当にそれだけか?」
「そうだ!」
「そうか。じゃあこれで」
茶も飲んだしな。
非常に美味しいお茶だった。
それだけ礼を言って、さっさと寮に戻って一休みするとしよう。
席を立ち上がりかけた所で、エドガーがしがみついてきた。
「う、うわぁああああ! 頼むから、帰らないでくれレジス!」
「ええい、放すがいい」
「さ、寂しいんだ。ちょっと一緒にお茶に付き合ってくれるだけでいいから!」
腰に手を回して、嫌だ嫌だと首を振っている。
やっぱり酔ってやがったなこいつ。
いつもの毅然とした態度はどこに行った。
非常に鬱陶しいから帰ろうと思ったのだが。
これは置いて帰った方が後々めんどくさそうだな。
仕方ない。
ちょっとだけ話を聞いてやるか。
幽鬼のごとく密着してくるエドガーをひっぺがし、俺はテーブルに着いた。
「ったく、俺だって暇じゃないんだぞ」
「すまんすまん。実は、本当はレジスにはちゃんとした用があるんだ」
「ほぉ、言ってみろ」
「今日は、レジスに注意をしようと思っている」
「注意? なんだそりゃ」
なぜ俺が注意なんて受けなきゃならない。
注意されるべきはむしろお前だエドガー。
俺がお前の主治医だったら、黙って首を横に振るレベルだぞ。
最初に会った時の凛々しさが欠片も感じられない。
まあ、これがエドガーの本当の姿なんだろうけど。
現に彼女は、親しくない人と接する時は素っ気ない態度を取る。
ちょうど、俺と初めて魔法商店で会った時のように。
今の彼女は、俺を信頼してくれているがゆえの接し方なのだろう。
それを責める気にはなれない。
ただ、残念感がストップ高になるだけだ。
今回の注意というのも、どうせ無駄話の域を出ないものだろう。
そう思いながら話を聞く姿勢をとる。
すると、エドガーは急に神妙な表情になった。
「ここ一ヶ月、基礎魔法の授業でレジスを見ていて気づいたことなのだが。
授業中にレジスから目を離さず注視していた結果、発覚したことなのだが」
「なぜ全く同じ事を二度言うんだろうな」
俺が指摘すると、エドガーはハッとした表情になった。
一つ咳払いをして、言葉を続けてくる。
「レジスの魔法の撃ち方を見ていると、どこか違和感があったんだ」
「……違和感? まあ、そりゃあな。
授業でも浮きまくってるからな俺は。色んな意味で」
殺意の視線が、尋常じゃないくらい飛び交ってるもの。
入学試験でジークと対立し、その後も自重せず授業で好成績を残してきた。
ウォーキンスとの修行があったので、
学院の授業で習わずとも既に身に着けていた魔法が多い。
今思えば、ウォーキンスは俺が学院に入った後のことを見据えていたのだろう。
その上で、日々の勉強に付き合ってくれていたのだ。
そう推測してしまうほど、
授業の内容が俺にとって当たり前のことばかりだったのだ。
大事なことだが、俺は勉強というものが大嫌いだ。
現実逃避のために、テスト直前は室内において半裸で雨乞いをしていたほどだ。
『神よ、暴風雨を呼び出し給え!』って半狂乱で叫んだ所を妹に見られた時は、死にたくなったな。
しかもその翌日。
暴風警報が出て休みになったはいいけど、俺の部屋の窓が突風で砕け散るし。
つくづく俺は、勉強関連に運がないし実力もない。
だが、何度も同じ事をやらされれば、嫌でも覚えるというものだ。
学院から支給された学術書を見る限り、
魔法知識に関してはもう8割程をカバーできていた。
さすがウォーキンス御大。
卒業して実家に帰った暁には、何でも願い事を叶えてやろう。
菩薩のような心構えで、エドガーの言葉に耳を傾ける。
何の話をしてたっけ。
俺の魔法に違和感を感じるって言ったんだったか。
エドガーは俺の挙動を見つつ、続きを話し始める。
「そういうんじゃない。
ただ、レジスは他の人に比べて、明らかに反動が大きすぎるんだ」
「反動が、大きすぎる? そうかな、普通だと思うんだが」
「八年前の時点で少し疑問に思っていたんだけど。
恐らくレジスは、打ち出す魔法量が常人の比じゃない」
「そんなことはないだろ。ちゃんと微調整して手加減もできるぞ」
魔法を使う際の調整くらいは、幼少時にマスターしていた。
ガンファイアとかを山賊に撃ち込んだ時だって、ちゃんと手加減もできてたんだからな。
そのことを話すと、エドガーは難しそうな顔をして首を横に振った。
「それは単に、打ち出す時に魔法量を少なくしてるだけなんだと思う。
通称『撃ち出し』って言うんだけど。今言ってるのは別なんだ。
今言いたいのは、身体から魔力そのものを取り出す時の話だ」
「要するに、その『撃ち出し』っていうやつの更に前のステップか?」
小難しい話をするな。
俺の頭は既にパンクしそうだ。
抽象的な表現を使われても困るものがある。
「そうだ。魔法を使う時には、まず魔素を身体から絞り出すんだけど。
これを通称『汲み出し』という。
その汲み出しの時に、レジスは不必要な分まで引き出してしまっているんだ。
だから、普通の人に比べて反動が大きくなる」
ちょっと内容が難しく聞こえた。
だが、整理してみればそんなことはない。
良い例えが何かないものか。
そんなことを考えながら、適当に返事を返す。
「つまり、魔法の使い方に無駄があるってことか?」
「うーん、単に無駄ってわけじゃないんだ。
どれだけ魔法総量を上げても、汲み出しで搾り出せる魔法量は変わらないから」
なるほど。
ようやく理解できた。
要するに、こういうだろう。
まず魔法を使うために、身体から魔力を絞り出そうとする。
その際、魔力を汲み出すポンプの太さが、人によって異なっている。
たっぷり魔力を貯めていても、組み上げるポンプが小さければ、多くの魔力を絞り出すことはできない。
『汲み出し』は、魔法に注ぎ込める魔力を決める時に、大きな役割を持っているわけだ。
なるほど、それを考えたら色々と話がつながるな。
魔法の破壊力が決まるのは、単に『適性』だけだと思ってたけど。
『汲み出し』という、魔法に使用出来る魔力量でも左右されるんだな。
以前、俺よりどう考えても適性が上の奴と魔法を撃ち合ったことがあるけど。
その時に何度か競り勝てたのは、そういう理由があったのか。
「で、何で魔法を絞り出す力が鍛えにくいかって言うと。
純粋に反動が『苦しい』からなんだ」
「苦しい?」
「そう。反動を受けると、個人差はあれ身体に異変が及ぶ。
身体が反動を恐れてしまって、汲み出しの力は上がってくれないんだ」
「あー……なるほど」
確かに、俺は痛みにはかなり強い自信がある。
人の3倍くらい怪我や病に遭ったからな。
しかもその一つ一つが死にかけるものだったし。
そういう前世での経歴もあって、俺は痛みに対しては相当な耐性があるんだ。
というより、俺の数少ない特技といってもいい。
面接で、『僕は、僕は痛みに強いです! 強いんです!』
って必死に主張したこともあったっけ。
あまりにも熱く語ったせいか。
二度とそこの面接を受けさせてもらえなくなったけど。
反吐が出そうなほどに素敵な思い出だ。
「そこで行くと、レジスが絞り出している魔法量は桁違いだな。
今は更に成長していると思うけど、入学時点での火魔法の適性はBだったっけ」
「ああ。あの時に撃てる最高の魔法は、火属性に依存してたから」
「普通、適性がBなだけで砕けるほど、あの壁は柔らかくないんだ」
あの壁、というのは最終試験で俺が木っ端微塵にした障壁のことだろう。
トップの成績で入学したジークでさえ、揺らすことが精一杯だったな。
あれは本気じゃないみたいだったけど。
とは言え、俺だってこの二ヶ月で適性を底上げしたんだ。
図らずも、エドガーから適性の効率の良い修行法を教わっていて、
同時にアレクからも適性を重点的に上げる稽古を受けてるからな。
基本的にこの二ヶ月間、寮を出て帰ってくる頃には大体死にかけている。
アレクの治癒魔法でドーピング染みた回復をしているため、何とか続いているが。
もしアレクが『今日は治癒魔法なしじゃが、頑張るのじゃぞ』とか言い始めた日には、間違いなく過労死する。
朝はアレクの体術訓練。
昼はエドガーの個人授業。
夕方はアレクの個人授業。
明らかに人を壊すことを目的にしたスケジュール組みがなされている。
いつか死ぬんじゃないのか俺。
何が何でも主席で卒業しないといけないから我慢してるけど。
努力、って一言で片付けられたらブチ切れるレベルだ。
エドガーは壁を壊すに至った経緯を、分かりやすく絵に描いていく。
その上で、俺がやらかしたことがどれだけ異常なのかを説明する。
「あれは原則、放った魔法の適性がSでないと、壊せないようになっている」
「それを、適性Bランクの俺が壊したってことは――」
「汲み出し、そして撃ち出し。それらが共にずば抜けているんだ」
「その代わり、高位魔法を打つ度に死にかけるんだけど」
今思えば、確かに俺は反動が他人よりも大きい気がする。
俺が反動で転げまわってる間に、他の奴が素知らぬ顔でクールタイムを決めてる事が多いからな。
でも一回だけ、エリックが反動を受けてるのを見たことある。
だけどそれは、身体を蝕むような上位魔法を使った時だけだ。
俺は下手をしたら、下位魔法でも頭が痛くなって吐き気を催す。
明らかに他の人よりも割を食っているのだ。
「そう、あたしはそのことで注意をしたいんだ。
レジスは今指摘されるまで、この概念を知らなかったな?」
「ああ。そんなの魔法本に書いてあったか?」
「書いてない。つい最近になって解明されたことなんだ。
それまでは、魔法の強さを決めるのは『適性』と『熟練』だけだと思われていたからな」
「ほぉー、研究者も日々頑張ってるんだな」
魔法が成立して遙かなる時が経ったと聞くが。
数百年越しの発見とかが普通にあるんだな。
未開拓の分野を切り開いていく学者は、純粋に凄いと思う。
俺もブルマとパンストに関しては学者並みの知識を有しているが。
お巡りさんに目を付けられそうだから表沙汰にはしない。
「それで、レジスに気をつけて欲しいのは、反動による魔力の暴走なんだ」
「魔力の暴走ってあれか?
打ち出した魔法の制御が効かなくなって、
暴発しそうになること、だっけ」
「そうだけど、何やら体験したかのような口ぶりだな」
「はは、まさか……」
実はあるんだな。
生まれて数ヶ月の頃、アストラルファイアをぶっ放して暴発したことが。
でもそれ以降、魔力の操作に人一倍気をつけるようになった。
そのことを考えると、勉強になる失敗だったと思う。
ウォーキンスがいなかったら屋敷は全焼してただろうけどな。
歯がゆい話だ。
「……これは興味からくる疑問なんだけど。
レジスは多分、かなり痛みに強いんじゃないか?」
「ああ、そうだな。俺の唯一の取り柄といってもいい」
「そうやって反動を恐れないから、
汲み出す力が天井知らずで上昇していったんだ」
「なにかマズいのか?」
エドガーの語調からは、どこか叱責するような印象を受ける。
いや、違うな。心配するような感じか。
エドガーは指を立てて、注意点を説明していく。
「今のところは大丈夫だと思う。
だけど、この先強い魔法を覚えていくにつれて、必要な魔力も上がっていく。
その時に汲み出しの調節が下手なレジスが、暴走しないか心配なんだ」
「何だ、そんなことか」
「そ、そんなこと?」
エドガーがポカンと口を開けた。
ぶっきらぼうに答えたから、バッサリ切り捨てたと思われたのかもしれない。
でも、それは誤解だ。
単に俺は、その程度で支障が出るようなことはないと言いたいのだ。
「俺はなエドガー。
あんまり人に勝ってるところはないし。頭だってあんまり良くないし。
戦闘術だって努力してやっと使い物になりそう、ってレベルなんだ。
でもな、俺が誰よりも勝ってると思うことは、実は二つある」
「それは?」
「どんな痛みにも耐える変態性と、絶対に諦めない執着性だよ。
この二つがある限り、絶対にお前の心配しているような事態は引き起こさない」
言い切った。
別に痛みが好きというわけでもない。
というか、極力避けたい。
でも、いざ苦痛を我慢しないといけなくなった時。
俺は誰よりも強く心を持てる自信がある。
身体がそれに追いついてないことがザラだけどな。
だからこそ、周りの人を心配させてしまうのかもしれないけど。
エドガーは俺の言葉を聞いて、脱力したように微笑んだ。
「そうか。信じていいな? レジスに何かあったら嫌だぞ」
「一回誓ったことは裏切らない」
「……それでこそレジスだ」
エドガーは俺の頭をくしゃくしゃと撫でてくる。
恥ずかしさで振り払いたくなった。
だがまあ、久しぶりにエドガーの良い顔が見れたし。
よしとしておこうか。
「それじゃ、俺はそろそろ授業だから。
今日はエドガーの授業もあったっけ」
「ああ、模擬決闘をやる予定だ。
楽しみだな、胸が踊って今にも抱きつきたくなる」
「自分に抱きついてろ。……それで? 何でそんなに上機嫌なんだよ」
エドガーが嬉しそうにしている時は大体ロクなことがない。
ウォーキンスへの愛を語っている時には火玉が店の中に飛び込んでくるし。
酒樽転がしてたら暗殺者に殺されそうになるし。
後者はまあ、俺が原因に噛んでるんだけど。
だが、こうもエドガーの機嫌が良いと、裏があるのかと疑ってしまう。
「今日の模擬決闘は、志望者がいなければレジスと手合わせしてみたいと思ってる」
「却下だ」
「即答!? 言っておくが、学院ではあたしの方が立場は上だからな」
「この野郎。職権乱用するつもりか」
職権乱用。
その恐ろしさは、今までにプレイしたPCゲームにおいて経験済みだ。
女子生徒に迫る変態教師。
そういう作品をいくつかプレイしたことがあるからな。
大体ゲス教師の思考回路は把握してるつもりだ。
うむ、こんなことばかり考えてたから、鉄骨で死んだりしたんだろうな。
意外と俺の人生、自業自得な面が多々あるのかもしれない。
戦慄する俺を見て、エドガーは嬉しそうに笑う。
「ふ、ふ、ふ。なんとでも言うがいい。
このエドガー、目的のためなら手段を選ばない!」
「すごい小物っぽい台詞になってるぞ」
「冗談だ。とにかく、今日の授業は覚悟しておくんだな!」
「はいはい……」
今日もエドガーが楽しそうで何よりだ。
こいつが酔っ払って馬鹿なことをやってるのを見ると、すごく和むからな。
俺は席を立ち、出口へ向かう。
「じゃ、後でな。呑み過ぎるなよ。午後に差し障るぞ」
「安心しろ。地下の酒樽を半年で全て空にした酒豪だぞ。あたしの戦いはこれからだ」
「いや、始まる前から終わってるからなそれ」
飲み過ぎて、いつか倒れなきゃいいんだが。
とりあえず、午前の授業が始まりそうなので外に出る。
来る時は晴れていたんだが、少し雲が出てきてるな。
っと、遅刻したら目も当てられんな。
急いで準備をしないと。
俺は寮に向かって一直線に駆け出したのだった。