第四話 魔法修練場
魔法修練場。
それは、この学院が誇る超巨大闘技場である。
リングは千人近くの人を乗せることができ、
観客席は果てしない広がりを見せている。
その規模たるや、八年前にホルゴス家と決闘した闘技場の比ではない。
エリックと俺は、混雑する人をかき分けて先に進んでいく。
やっぱり、一般の人達もいっぱい来てるな。
普通、学院に関係のない庶民は敷地に入ることが禁止されている。
だが、この公開訓練の時だけは、貴賎問わず入場することが可能なのだそうな。
よく見れば、あちこちに野良の技術者らしき人達が立っている。
炎鋼車を実際に見て、研究に役立てようとしているのだろう。
どうやら俺たちが来たのは、開始直前だったようだ。
何人かの魔法師が既にリングの中で待機している。
その更に奥には、馬鹿でかい鋼の車が鎮座していた。
「……あれが、炎鋼車」
思わず声が漏れる。
小規模な建物であれば、簡単に崩してしまいそうな大きさ。
そして、全体像からにじみ出る圧迫感は、
まるで周囲の人達を威圧しているかのようだ。
まるで鋼の城。
あんなものがマトモに走行できるのかと、若干疑問に思う。
機動性を確保できるのだろうか。
まあ、そのために熟練の魔法師が数人がかりで動かすんだろうけど。
俺たちは観客席を確保して一息つく。
このあたりは庶民の多いエリアのようだ。
貴族調の服を着た俺と、ローブ姿のエリックが浮きまくっている。
だが、周りの一般人は俺たちの姿なんて目にも止まらないようで。
ひたすらに歓声を上げて開始を待っていた。
それを見て、俺はうんざりした声でエリックに不平を漏らす。
「……はぁ、いくら何でも人が多すぎないか」
「一年に一度のもんだからな。
祭りと勘違いしてるのがいるんじゃねえか」
「祭り……ね」
反対側を見てみると、VIP席らしきものが目に入った。
そこに座っているのは、どうやら王都三名家の関係者らしい。
目を凝らしてみると、確かにひときわ異彩を放つ人達がいる。
VIP席のど真ん中に、見覚えのある服を来た男がいた。
ジークが着用しているローブに似た貴族服。
恐らく、あれがラジアス家の当主なんだろう。
「エリック。あの男って――」
「ああ、親父をぶっ殺してくれた謀略家だよ。
今でもあいつの顔だけは忘れねえ」
エリックの目に暗い影が宿る。
拳をぎゅっと握りしめ、こみ上げてくるものを抑えようとしていた。
「……大丈夫か?」
「ああ、暴れたりはしねえよ。安心しろ」
ふぅ、っと息を吐いて肩を回すエリック。
2ヶ月前だったら、問答無用で殴りかかってそうだったが。
負けの見えている戦いを避けて、我慢する術を覚えたようだ。
そうそう、それでいい。
勝負は勝ってこその勝負だ。
負けが実のある経験になる、とはよく言う。
だが、俺はその考えに対して苦言を呈したい。
人生は基本的に、負けちゃいけない戦いがある。
25で死んだ若造が人生を語るか。
なんてことを言われそうだが、あえて言わせてもらおう。
人生は、負けたら詰むのだということを。
勝たないと、人生が破綻する勝負があるのだということを。
しかも、それが不可避で難易度が高い場合もザラだ。
俺はそこで負けて、一度人生の指針を失った。
まあ、俺が負けた戦いは一つや二つじゃないんだけど。
親との信頼関係の構築に失敗。
受験に失敗。
立ち直りに失敗。
その結果が――鉄骨での事故死。
うむ。
正直いってロクなものじゃない。
どれだけ順風満帆に事が運んでいても、
一度の敗北で全て台無しになることがあるのだ。
そしてそれが、致命的である勝負なのか。
はたまた、負けても構わないのものなのか。
それが事前に分からないケースもある。
ゆえに、戦うのであれば勝つことを前提で動くべき。
それが、前世の失敗で学んだ俺の勝負観念である。
ラジアス家の当主を遠目に眺めた。
確か、本名はクロード・ハルバレス・ラジアスだったか。
白髪と茶髪が混じったような、混濁した金髪。
騙し合いの人生を送ってきたからか、あちこちに深いシワが刻まれている。
苦労するとシワが増えると言うしな。
あちこちに刻印された加齢の証で、実際の年よりも老いて見える。
確か、年齢的にはシャディベルガと大して変わらなかったはずだ。
しかし彼と違って、優しさや包容力といったものが全く感じられない。
眼の奥には、野望に満ちた炎が燃え盛っている。
分かりやすく言えば、目が死んでいない。
あの歳になってなお、何かを達成しようと企んでいるかのように。
「なんというか……老獪っぽいな」
「ああ。証拠の隠滅にかけては貴族一だと思うぜ。
学院内で学者の一家を皆殺しにして、それを見事に隠蔽するんだからな」
どこか他人事であるかのように、エリックは言う。
実際、主観で考えたら怒りが抑えられなくなりそうなのだろう。
そりゃそうか。
親父の仇が、あんなに近くにいるんだからな。
王都三名家の当主が揃い踏み。
てっきりそう思っていたのだが、席にいる当主は二人だけだった。
そう、ミレィが来ていないのだ。
そう言えば、さっき話をして反対方向に走って行ってたな。
この訓練に、見る価値を見出していないのかもしれない。
まあ、家の事情とかもあるのだろう。
その点、残る王都三名家の一角、ホルトロス家の当主は来ているみたいだ。
隣に座るクロードよりは若いらしい。
確か、ホルトロス家は傭兵ネットワークの大元締めをやってるんだっけか。
初代国王につき従い、シャルクイン家と共に武力で建国を助けた家だ。
そう言えば、アレクはホルトロス家の研究棟を使用してたな。
あの謎に満ちたアレクのことだ。
意外とホルトロスの当主と面識があったりするのかもしれない。
俺はじっくり反対側の席を観察する。
すると、背後から少しざわついた声が聞こえてきた。
専門的な用語が混じった、仲間内の話。
内容から判断するに、技術者の一行か。
俺は静かに耳を傾けた。
「……どうした。何で一両しかないんだ」
「……残る50両はどこへ消えた。
最低でも10両は訓練に使うはずだろう」
「……話によると、北方で動きがあったとか」
ふむ、何やらいつもとは違う事態なようだな。
エリックもどこか違和感を感じているようで。
浮かない顔をしている。
まあ、単にクロードが同じ会場にいるから、
気分が悪いだけなのかもしれないけど。
俺は静かに耳打ちした。
「エリック。訓練に使う炎鋼車が一両って、少ないのか?」
「みたいだな。どうやら例年だと、10から20両を使用してるらしい」
「なのに一両しかない? 何かおかしいな」
この公開訓練は、いわば出資者に対する説明会のようなものだろう。
あなた達がお金を出してくれたおかげで、こんなにも強い兵器ができました。
その証拠を、実際の戦いで見せたいと思います。
そういう意味が込められているはずなのに。
一両しか用意していないのはどういうことだ。
さすがに研究費を出している連中に対して礼を欠かないか。
そう思っているのは俺だけじゃないみたいだな。
遠く離れた貴族連中が、少し騒いでいる。
「……なぜあんなにも少ないのだ」
「……一両では性能も何もないだろう」
「……金を使い込まれるのは構わんが、説明くらいはしてもいいはずだろうに」
金を出しているのに何事だ。
と思い切り不満を述べている。
ただ、あまり遠くには聞こえないように注意している。
すごい、ものすごく小物っぽいよ。
聞かれたら不都合なことなんだったら、最初からしゃべるなよと。
ざわざわと、会場の一部が騒がしくなっていく。
さて、どうやってこの空気を変えるのだろうか。
俺は静かに視線をクロードに戻した。
すると、クロードは口の端を少し歪ませて笑った――ように見えた。
ここからだと、遠すぎて表情の機微までは分からん。
特徴をつかむのが精一杯だ。
だが、何らかの動きがあったのは当たっているようで。
クロードはおもむろに立ち上がると、側近にある物を持ってこさせた。
アレは確か、声を拡張する結晶だったか。
昔に俺も闘技場で使ったことがある。
クロードは何度か咳をして、修練場全体に声を発した。
「――王都三名家が一。ラジアス家のクロードです」
そう言うと、会場全体の雰囲気が引き締まった。
さっきまで不平を口にしていた貴族も、軒並み口を閉じる。
修練場が沈黙で包まれると、クロードはゆっくりと続けた。
「本日は、皆様に研究の成果を披露するため、
50余両の炎鋼車を用意しておりました。
全車両で大行進を行い、性能を余すところなく披露する予定でした。
ところが――」
クロードは、苦渋の決断だった、と言わんばかりに顔を伏せる。
そしてその後、リングの上の炎鋼車に視線を落とした。
「つい先日、帝国の都より数千の兵が出立したとの一報が入りました」
会場に驚きが広がった。
む、それは俺も知らなかったぞ。
それは周りの貴族も同じだったようだ。
いきなり帝国の影があることを告げられ、動揺が広がる。
中には『帝国……あの帝国?』と半ばパニックに陥る庶民もいた。
どうやら、敵対国としての怖さは十二分に知っているようだ。
大陸で一番大きい国だしな。
「しかし、ご安心ください。
炎鋼車はもとより、この王国を守るための最終兵器。
すぐに50台を国境付近である『境界線上の大橋』に向かわせました。
帝国も愚者ばかりではありません。
警戒をして、軽々に攻めてくることはないでしょう」
全員の不安を煽った所で、炎鋼車がここにないことを説明する。
そして、それが国を守るためのものであること。
帝国がここに攻め込んでくることは、ありえないということ。
それらを順に出していくことで、観衆の不満を一気に称賛に変えた。
クロードの手早い対策に、あたりからは喝采の声が上がる。
ちょろいな。いや、それ以上に話術が巧みなのか。
一日の始まりにフィギュアを見て『おはよう』と言い、
一日の終わりにデスクトップに映る嫁を眺めて『おやすみ』と言っていた俺だ。
平均して、前世では一日二言だったな。
沈黙は金なり、とは言うが、俺の場合その金は腐食していたに違いない。
「心苦しいですが、現在この王都に炎鋼車は一両しかありません。
ただ、性能を示すのには『一両』で十分であるということを、
ここで証明してみせましょう――!」
力強く、クロードは堂々たる態度で宣言した。
それに応じて、魔法師5人が炎鋼車に乗り込んだ。
5人が乗り込んでも、なお余りある中のスペース。
無理やり詰め込めば、数十人くらいは収容できそうだ。
炎鋼車の中から、結晶で拡大された声が響いてくる。
「――装甲、異常なし」
亜人の亡骸を使って強化された、鋼の装甲。
それが徐々に輝きを持ち始めた。
冷たい寒色だった表面が、内部からの魔力を受けて明るく染まる。
一人の魔法師の声を受けて、次の宣告が聞こえてきた。
「――車輪、異常なし」
魔力をまとった車輪が、異音を発して回り始める。
巨大な留め金をはめているのか、今は前に進んだりはしない。
しかし、目を見張る動きをする。
あの車輪……逆回転から順回転への移行が凄まじく早いな。
車輪に問題がないことを確認すると、またしても違う魔法師の声が聞こえた。
「――魔法障壁、異常なし」
内部で結界を張り巡らしたのだろう。
表面に淡い魔力の層が現れる。
あれこそが、弱い魔法を完全に駆逐する障壁。
そこまで準備が整ったのを確認して、
リングの反対側にいる人物が扉を開け放った。
リングに上がってきたのは、3匹の魔猪。
なるほど、魔物を倒して性能をアピールするつもりか。
あの猪は、書物で見た覚えがある。
確かこの大陸で、村消滅の原因として第一位を誇る魔物だ。
体長5メートルを越える巨体が、目の前の炎鋼車に接近していく。
荒い鼻息で、あたりの塵が吹き飛ぶ。
扉を開けた魔法師は、急いで安全なゾーンに逃げた。
そして、さらに魔猪の奥から威圧感を放つ魔物が歩み出てきた。
――竜だ。
ドラグーンが使役する、大地と天空を駆け回る魔獣。
その胡乱な瞳は、見ただけで本能の危機感を煽ってくる。
だが……なんだろう。どこか足りない気がするな。
その時、異変に気づいた。
観客を襲わないようにするためか。羽の筋が断たれているのだ。
これは、空中戦を得意とする竜にとっては致命的。
しかし、それでも地上戦では他の魔物を簡単に蹂躙する。
都合4匹の魔物が、炎鋼車の前に現れた。
圧倒的な威圧感の相対に、観客が息を呑む。
エリックさえも、言葉を忘れてリングに見入っていた。
先んじて、魔猪が臨戦態勢に入ろうとする。
すると、炎鋼車の頭頂部が強い輝きを放った。
同時に、車内から魔法師の声が響いてくる。
「――燃料結晶、点火」
その言葉で、ついに動力源が動き出した。
炎鋼車全体に、強い光が灯る。
徐々に装甲の温度が上がっていき、大気が音を立てて震える。
チリチリ、と鼓膜を灼くような音が修練場に響き渡った。
敵の威嚇行為と判断したのか。
魔猪がついにスタートを切った。
猛然と炎鋼車に突っ込んでいく。
その背後で、竜が体内に息を溜めこみ始めた。
火炎を吐く準備なのだろう。
リング上で、双方の距離が一気に詰まっていく。
すると、炎鋼車の中から鋭い声が飛んできた。
「――炎鋼車、起動」
燃え上がる車体。
王国の守護兵器が、その実力を見せようと起動した。