第二話 地獄の日課
――レジス視点――
闇夜の激闘から二ヶ月が過ぎた。
まあ時が過ぎるのは早いもので。
この学院での立ち位置も大方つかめてきた。
注目すべきは、俺の浮きっぷりだ。
入学式へ出席できなかったからか。
はたまた上位貴族に嫌われているからか。
俺はこの二ヶ月で、さらなる友人を作ることはできないでいた。
これはアレだな。
前世の高校時代を彷彿とさせる。
まあいいさ、ぼっちには慣れてるつもりだし。
だが、厳密に言えば俺はもう一人ではない。
孤独に誕生日ケーキをもしゃもしゃ喰うような男ではない。
俺には今、ちゃんとした友人がいるからな。
「んー……」
思い切り伸びをする。
朝日が登ろうとする時間帯に起きるのが、とても健康的に感じる。
まあ、早起きした所で今日は授業がないんだけど。
その代わり、とんでもなく面倒な予定が入っている。
今の時刻は、前世の時間で表すなら5時20分。
ニート時代の俺にはまだ早い時間だが、悠長に寝ている暇はない。
そう、暴虐幼女大魔法師――
もとい、アレクに呼びつけられているのだ。
「エリック、起きてるか?」
部屋の反対側を見ると、カーテンが開け放たれていた。
ここは二人部屋で、薄いカーテンで仕切られている。
ベッドの上にエリックの姿はなかった。
俺が起きるよりも先に外出したらしい。
何か用事でもあるのだろうか。
疑問に思うものの、急いで服に着替える。
ここの学生は、授業中にローブを着る奴が多い。
だが、俺は基本的にディンの屋敷と同じ服装のままだ。
着慣れて動きやすい服が一番。
ウォーキンスが見た目と機能性を充実させるべく、
以前に手作りしてくれた服である。
こんな物を受け取って、市販品を着るわけにはいかないだろう。
感謝するばかりだ。
この学院には、いわゆる制服というものがない。
公序良俗に反しなければ、好きな服を着て良いのだそうだ。
とは言え、たいていの貴族は守護魔法を掛けたローブを着用している。
授業中の事故とか、普段の安全性を考慮してだ。
エリックも一応ローブを着ているな。
だけど、特に魔法はかかってなかったはずだ。
扉の施錠をして、部屋を出る。
鍵は階下の管理人に預けておいた。
ふと、アレクに渡された砂時計を見る。
指定された時間まで、あと数分というところだった。
急がないと小言を言われてしまう。
いや、下手をしたら暴言よりも恐ろしい折檻が待っているやもしれん。
まだ見ぬ恐怖に震えつつ、俺は急いでアレクのもとに走って行った。
入学試験が行われた大広場。
その一番最奥に、アレクは仁王立ちしていた。
奴め、すでに来ていたようだ。
走ってきた俺を見て、アレクは不機嫌そうに一喝する。
「遅いのじゃ!」
「悪い。
あと5分という抗いきれない魔法が、奇跡の13連鎖を起こしたんだ。
まったく、困ったもんだ。これは悪いことの前触れに違いない」
「悪いのは汝の頭じゃろう」
ギロリ、とおっかない目で睨んでくる。
背筋にゾクリと、嫌な感覚が走った。
精神的ブラクラなんて敵じゃないな。
恐ろしや恐ろしや。
「はぁ……この崇高なる我輩が、貴重な時間を割いてやっておるのに」
「悪かったって。今度また甘い物でもおごるから。勘弁してくれ」
「本当か? 我輩は王都名産、蜂蜜たっぷりの二倍巻きトーストしか食わんぞ」
「なんだその地雷臭のするスイーツは……」
まあ、別に構わないけどさ。
こちらは教えてもらっている身だ。
授業料だと思えば安いものかも知れん。
そして、なぜ俺がアレクの元にやってきたかというと。
理由は至極簡単。体術の稽古をつけてもらうためだ。
これは俺も驚いたことなのだが。
実はこいつ、魔法だけでなく、体術も人間離れした技量を修めているのだ。
俺は2ヶ月前、アレクの魔力を使った際に、力尽きて倒れてしまった。
原因は筋力不足による体力切れ。
すると、それを聞いたアレクが、
『体力切れー?
よもや我輩を前にして、そんな言い訳が通用すると思ってないじゃろうな。
まあ良い、一から鍛え直してやるのじゃ!』
と猛火のような勢いで息巻いてしまった。
正直、適当に理由をでっち上げておけばよかったと、心底後悔している。
そして、その日から俺の訓練地獄が始まった。
そう、地獄である。
地獄以外に、名状のしようがない。
朝早くからこの広場で、アレクに体術の稽古をつけてもらう。
魔法はウォーキンスから学んだ経験と、学院の授業に任せている。
そしてナイフ捌きも、ウォーキンスの指導を思い出しつつ、毎日練習してきた。
だが、アレクが言うには『それだけでは甘い』らしい。
魔法師たるもの、詠唱抜きでも敵を滅殺できるようになって一人前なのだとか。
体術で敵をなぎ倒すって、それもう魔法師の意味があるのか。
そう主張しようと思ったが、指導内容を怒涛の勢いで語るアレクの前に沈黙した。
ちょっと逆らうには俺の発言力が足りなかったな。
あと怖いし。
結局押し切られてしまい、地獄の訓練が幕を開けてしまったのだ。
さすがはノーと言えない俺だぜ。
幼女の頼みはもっと断れない。
警察の職質は光の早さで断るがな。
どうして俺の人生の有益な時間を、公僕のために捧げなければならない。
だけど幼女警察ならどうしよう。
と退廃的な思考をし始めた所で、アレクに睨まれてしまった。
残念。
「さて、それじゃあ早速始めるのじゃけれども。
まずは、昨日のことが身についておるかじゃな――」
突如、アレクの目が見開かれる。
昨日やったことは、足払いとその対策法。
俺は即座に身構え、足元に視線を移した。
アレクはこうやって、修行が身に付いているかを、チェックしてくるのだ。
しかも、不意打ち気味に攻撃して。
この手法で、俺は何度もボロ雑巾のように叩きのめされてきた。
うわ幼女強いとか、そういう問題ではない。
悪鬼羅刹の如く、嬉々として俺を虐げてくるのだ。
アレクの身体捌きはもう尋常じゃない。
いつから無想転生が三次元の世界に出てきたのか疑うほどだ。
だが、そんな動きもこれで数十回目。
もう引っかからんぞ。
言っただろう。一流のプロは同じ失敗を二度としないと。
足払いを仕掛けてきたら、その脚を引っ掴んでジャイアントスイングしてやる。
死の回転遊戯とでも言おうか。
俺が今現在持てる最凶の必殺技だ。
そして、体格の利で俺に分はあるはず。
勝てる、間違いなく勝てる。
今日こそは地面に這いつくばらせてくれよう。
目で追い切れないアレクの動き。
そんな彼女は、一足飛びで懐に潜り込んでくる。
だが、その動きは捉えられないほどではない。
よし、ここで伸びてくる脚を――
「どこを見ておるのじゃ」
ズゴンッ、と尋常でない音が聞こえてきた。
発生源は俺の顎。アギトである。
視界が揺れて、上空に投げ出された。
どうやらアッパーカットをされたようだ。
俺は背中から地面に落ちる。
メキメキ、と上半身が素敵な音を立てた。
朝の準備運動にしては、随分とハードな内容だな。
一歩間違えれば致命傷である。
さすがに、今のは痛かったぞ。
「……こんの、汚い真似しやがって」
「動きを推測に頼りすぎじゃ。
いつも我輩が同じ行動を取ると思ったら大間違いじゃぞ」
「うるせえ、お返しだぁあああああああ!」
幼女に向かって思い切り殴りかかる男。
もとい少年。
前世なら明らかに通報沙汰なことだろう。
おまわりさん俺です、な状態と言っても過言ではない。
だが、こいつを相手にするとなればこれでも不十分。
阿修羅を相手にしていると思い込まないと、まともに戦うことが出来ない。
容赦はするな。
全力でねじ伏せろ。
俺は自分に言い聞かせ、一気に正拳突きを繰り出す。
だがアレクは、それを片手で受け流す。
その上で、内臓が詰まった位置に回し蹴りを放ってきた。
細く綺麗な脚が、俺の脇腹を確実に捉える。
「ぐぉ、はッ!」
だが、手加減したのだろうか。
それほど痛みはない。
バカめ、力の調節すら出来んとは笑止。
すぐに勝負を決めてくれる。
俺は即座にその脚を掴み、もう片方の脚を払う。
ふわりとアレクの身体が浮き上がる。
よし、ここで押さえ込めば勝てる。
そう思った時だった。
「ふむ、一応昨日の技は飲み込めておるようじゃな。
では、今日の部に行くのじゃ。
この技を覚えるまで、絶対に帰さんからの」
そう言って、アレクは俺の首を片脚でロックしてきた。
空中で、しかもとんでもない態勢のままで。
なんつう無茶苦茶な動きだ。
いきなり血流がストップしたので、思わず全身の筋力が緩む。
すると、アレクはもう片方の脚を拘束から引き抜いた。
そしてその両足で持って、俺の首を挟んでくる。
アレクの太ももが俺の首にガッチリとはまった。
細いからジャストフィットしてきやがる。
そして、アレクはそのまま思い切り身体を捻った。
すると、空中にいるはずのアレクに釣られて、俺の身体が浮き上がる。
そのまま脚だけの力で、彼女は俺を地面に叩きつけた。
まさかの顔面からの着地。
全身に広がる鈍痛。
準備運動なしでの関節圧迫。
結果。
受け身も取れずに、地面を舐める結果になった。
そんな俺をよそに、アレクは余裕ありげに着地していた。
余裕げに微笑み、すぐに治癒魔法をかけてくる。
「くく、どうじゃ?
これは空中で相手の首に脚を回し、
全身の捻りと脚のしなやかさを使って地面に叩きつける技じゃ。
いけるな? さあ、次は実践じゃぞ」
「こんなもんができるかぁ! どこの雑技団だ俺は!」
即座に立ち上がって文句を言い放つ。
何だ今の奇想天外な舞空術は。
プロレスでも見たことねえよ。
アレクは俺の不平を受けて、めんどくさそうな顔をする。
「できるじゃろー。もう体術を叩きこみ始めて2ヶ月じゃぞ」
「こんなのができるのは、人間の枠を超えた超人だけだ。
頼むから実戦で使える技を教えてくれ」
それは俺みたいな体格の男が使うもんじゃない。
せめて一般人でも使いこなせるものにして欲しい。
俺の言葉に、アレクはしばらく考え込む。
しかし、すぐに何かを思いついたらしく、ポンと手を打った。
「そうじゃのぉ。ならば基礎ではあるが、効果的なものを教えてやろう。
打ち込んでくるのじゃ」
アレクは拳闘の構えを取る。
だがそこに真面目さといったものは一つもない。
まったく腰が入っておらず、半目でうつらうつらしている。
研究が忙しくてマトモに寝てないんだろう。
しかも片脚で地面に絵を描いて遊んでやがる。
なんて礼儀のない奴だ。
明らかに舐めきっているな。
だが、見ていろ。
大陸の四賢だからと言って、俺が勝てない道理なんてどこにもない。
すぐに泣き面を見せてやる。
お前が内面まで純真無垢な幼女であれば、俺も加減をしただろう。
だが、今さらアレクに遠慮なんていらん。
ノックアウトする勢いで攻め込んでやる。
弟子に打ち倒されたらどんな顔をするんだろう。
内心で淡い期待を込め、打ち倒した時の姿を思い描く。
俺は思い切り踏み込み、アレクの間合いに入る。
即座に鋭い蹴りが飛んでくる。
だが、重心を手前に残していた俺は、奇跡のマトリックス避けを敢行。
足は側頭部付近を掠めたが、有効なダメージにはなりえない。
そして、蹴りを放ったアレクは体勢が崩れている。
俺の頭蓋を穿たんとする大振りだったため、まだ戻りきっていない。
今だ、今しかない。
「もらったぁああああああああああああ!」
間合いに躊躇なく侵入し、一気に拳を振るう。
この溜まりに溜まった恨みつらみを喰らうがいい!
いつも人をしごき倒しやがって。
たまには弱者の制裁を受けてみやがれ。
俺の拳がアレクの腹に迫る。
強烈な腹パンで一回泣かせてくれる。
そう勢い込んだ瞬間、下腹部にズドンという衝撃が走った。
予想外な攻撃に、一瞬思考が止まる。
「……え?」
「我輩が得意とする技。隙のある技で敵を誘ってからの『割り込み』じゃ。
敵の攻撃と入れ違いに致命傷を決める。効果的な技じゃぞ」
要するにクロスカウンターか。
異常なまでに綺麗に決まったから驚いたけど。
でも、もっと驚愕したことがあるよ。
お前、一体どこを殴ってくれてるんだ。
アレクは打ち出した拳を引き、元の構えに戻った。
同時に、俺の喉から声にならない悲鳴が漏れる。
「……か、ハッ」
凄まじい鈍痛。
ズッキンズッキンと、脈打って危険を知らせる痛覚。
これは、これはダメだ。
恐らく男が一番攻撃されたらマズい部位。
そこを思い切り殴りやがったぞこいつ。
思わず地面に倒れ込む。
すると、アレクがまずったような顔をした。
「おや、レジスー? 何を寝ておるのじゃ」
「ど、どど、どこ、どこを――」
「何じゃ 聞こえんぞ」
「どこを殴ってんだ、バカやろぉおおおおおお!」
俺は力の限り叫ぶ。
この部位はな、内臓を直接殴ってるのに等しい痛みが来るんだぞ。
鍛えようのない、神聖と不浄が同居する重要器官だ。
間違っても、訓練で攻撃して良い箇所ではない。
叫びを聞いたアレクは、困ったような顔をして治癒魔法をかけてくる。
同時に、心配するような声で謝ってきた。
「悪かったのじゃ。わざとではないぞ?
単に体格差の問題でその部位に攻撃が当たっただけじゃ。
決してレジスが苦悶する表情を見て楽しもうなんて思っておらんぞ?」
「そう言われると怪しさが倍増するんだが」
「冗談じゃ。何はともあれ、今度から気をつけよう」
治癒魔法が効いてきて、少しづつ痛みがなくなってくる。
すぐに治らないから、治癒魔法は不便だ。
普通回復系の魔法って言ったら、すぐに傷が塞がるものじゃないのか。
かなりの上位魔法でも、自然治癒の促進くらいしか効果がないなんて。
「さて、今の技なら修得できるじゃろう?
瞬間を見極めるのに失敗すれば窮地に陥るが、上手く決まれば必殺の一撃じゃ」
「おお、必殺技と言っても過言ではないな。頑張るぜ」
お前にお返しの一撃をくれてやるためにな。
いつまでも俺がやられっぱなしだと思うなよ。
まだ下半身が痛むが、動作に問題はない。
となれば、その技をものにして復讐してくれる。
覚悟しろや性悪魔法師め。
「そいやぁああああああああああああ!」
体術の構えをとった俺は、獅子奮迅とばかりにアレクへ突撃した。
すると、アレクは嗜虐に満ちた光をその瞳に宿し――
◆◆◆
早朝から修行すること2時間。
結果から言おう。
俺はボロ雑巾のような状態で寮に帰ることになった。
惨敗である。言い訳のしようがないほどに、敗北してきた。
いやぁ。
一秒間に数十発も乱打を打ち込むのは反則だって。
結局修行の方も、今日だけでモノにすることは出来なかったし。
てことは、この技を覚える苦行が明日に続くのか。
今日の鍛錬で既に死にそうなんだけど。
生きて帰れるのか俺は。
だいたい、アレクもアレクだぞ。
クロスカウンターを当てられそうになったら、急に本気出しやがって。
変な所で大人げない奴だ。
あの幼女めぇ。
いつか必ず泣きを見させてやる。
俺は不屈の誓いを打ち立てた。
そして近くに落ちていた木の枝を杖代わりにして、ヨロヨロと寮に戻って行ったのだった。