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第十一話 亀裂

 


 学院食堂。

 ここは学院における憩いの場だそうだ。

 学院校舎の一階に位置しており、利用するものも多い。


 非常に広いこの空間は、

 数百人もの大所帯が同時に食事を取れるようになっていた。

 しかしまあ、妙に食堂内は快適だな。

 外は暑いのに、ここはかなり涼しい。

 何か理由があるんだろうか。


 とりあえず、食堂の端付近に座る。

 あとはエリックを待つだけだ。

 眼の前に置かれているのは、パンと豆のスープ。

 定食関連はどうも好き嫌いが多い。

 野菜は苦手なのだ。


 どうやらエリックは、相当な大食漢のようである。

 未だにトレイを持って右往左往していた。

 盛りつけられた食材は、とにかくカロリー重視なものばかり。


 無料で利用可能ということで、好きなだけ食うつもりのようだ。

 使った魔力はリラックス状態だと回復も早いからな。

 飯でも喰ってまったりしてれば、すぐに溜まっていくだろう。


 知り合いには酒を呑んで魔力を回復する化け物がいるけどな。

 エリックが選び終わるのに、あと数分はかかりそうだ。

 先に頂いておくか。


 俺が食器に手を伸ばした瞬間、目の前にちょこんと誰かが座った。

 顔を上げると、そこには意外な人物がいた。


 いつか見た美しい少女。

 少し尖った耳に、金砂のような短髪。

 肩の辺りで切った不揃いな金髪が、見る者を魅了する。


 実に数年ぶりの再会。

 しかし、やはり見た目は変わらない。

 少し装飾品が特殊なだけで、彼女は八年前と変わらぬ姿だった。


「よお、イザベル。久しぶり」

「久しぶり。それにしてもすごかったね。ビックリしちゃったよ」

「何がだ」

「あの火魔法だよ。私でもA判定までしか取れなかったのに」

「ああ、アレか」


 俺としても、なぜあんな爆発力が出たのか疑問だ。

 怒りで魔力が膨張していた、っていうのも理由の一つなんだろうけど。

 純粋に、総魔力をぶつけたのが効果的だったのかもしれない。


「で、お前はどうだったんだよ」

「え? 何のことかな」

「大事な任務を負ってたんだろ。昔言ってたじゃん」

「あー、うん。アレね。

 一応の解決は見えたから、もう大丈夫」


 ほほぉ。

 もう重要案件は終わったのか。

 これは天啓。


 これで、卒業後にエルフの峡谷に案内してもらえるな。

 よし、約束は未だ破られず。

 この調子で、早く両アイテムを獲得しなければ。


「てかお前、そのティアラどうした」

「うん?」


 そう。

 イザベルは頭に、妙な装飾品を付けていた。

 黒を基調とした、銀のティアラを乗っけている。

 その側面からは布が垂れ、うまい具合に側頭部一帯を覆っていた。


「種族がバレたくないからだよ。

 レジスは平気だけど、貴族にこの耳を見せる気にはなれない」


 ああ、なるほど。

 エルフであることを隠してるのか。

 そうだよな。ここはエルフにとって見れば、虐待者の巣窟。

 他種族を人と思わない連中が、数多くいるのだ。


 よっぽど実力があっても、秘匿しておくのが一番か。

 でも、アレクは堂々と耳をさらけ出してたよな。

 絡まれるのが怖くないのだろうか。


 いや、違うな。

 あいつは恐らく、ちょっかいを出してきた貴族を無言で消滅させる。

 人がエルフを人と思わなければ、エルフも人を人と思わないのだ。

 やはり、両種族に出来た溝は深い。


「なあイザベル。アレク……アレクサンディアって知ってるよな」

「知ってるけど。エルフの長老たちは彼女を毛嫌いしてるよ」

「え? なんでだよ」

「王国創始者である人物と手を組んで、邪神を討伐した大英雄――

 今エルフが、どれだけ人間に憎しみを燃やしているか知ってるよね」


 ああ、そういうことか。

 アレクは異常なまでに人間社会に馴染んでいる。

 しかし、それに難癖をつける奴がいるのだろう。


 でも、主張していることは最もだ。

 開けっぴろげにエルフであると主張し、魔法に寄って正体だけは隠している状態。

 下心を持った奴が近づいたら、間違いなく塵にされるんだろうけど。

 人間を憎んでいるエルフから見ると、裏切りに感じるんだろうな。

 難しい問題だ。


「……それに、あの人はエルフかどうかも怪しいしね」

「どういう意味だ?」

「長く生き過ぎなんだよ。化け物かと疑いたくなるほどに」


 アレクが、長く生き過ぎているだと。

 むしろ逆に思えるんだけど。

 どう考えても内面の成熟度は、俺より下っぽい。

 しかしイザベルからしてみると、彼女は異形な存在らしい。


「普通、エルフの寿命は長くて400歳。

 そこから20年くらい差し引きがあったりするんだけどね。

 500年以上も生きてるエルフなんて、今まで一度も生じ得なかったんだ」


 エルフの寿命が、約400歳。

 それは初耳だった。

 しかも、それは生存が可能か疑うレベルの長寿での話。

 人間で言うと120歳くらいだろうか。


 そうなると、アレクの500年以上ってのは何なんだ。

 あいつもまた、ただのエルフじゃないってことか。

 俺の推薦人ながら、謎の多い幼女だな。


「気味の悪さで嫌悪されてるからね。

 それに、やっぱり人と密接に関わっているから、反感を買っているみたい」

「俺の領内は大丈夫だぞ。エルフやドラグーンが来ても、排他性はそこまで無い」

「知ってるよ。仲間から話は聞いてる」


 この数年間で、ディン領は他種族が多く来訪するようになった。

 人身売買組織は、シャディベルガが真っ先に潰しにかかったからな。

 その上で、当主自ら他種族に対して友好的な態度を示した。


 そこからジワリジワリと、他種族に対する認識が変わっていきつつある。

 シャディベルガを慕う領民は、彼らに邪険な態度を持つことが少なくなった。

 ――シャディベルガの知己に、悪い奴はいないだろう。

 いい意味での偏見が、有効に働いたようだ。


 それでも中にはシャディベルガを見て、『偽善の愚図が』と吐き捨てるエルフもいる。

 悲しいことだが、そう簡単に関係の修築は上手くいかないらしい。

 どれだけ長い間、虐げられていたかがよく分かる。

 とかくこの大陸では、人と他種族の仲が悪い。


 この争いが、いつか解決する日は来るのだろうか。

 人間側が歩み寄らない限り、それは絶対に無理な気がする。


「エルフやドラグーンも数は多い。

 今に人が押さえつける体制は変わっていくんじゃないか」

「だといいけどね」


 この大陸には多くの種族が存在するからな。

 人による支配も、微妙な均衡があって成り立っている。

 勢力の中で最も数が多いのは、俺たち人間。


 そして、次点で魔力の適性に絶対の自信を持つエルフ。

 エルフは人と衝突すれば、かなりの確率で勝てるほどに強く、賢い。

 だが、魔力を無効化する術を開発されて、人間に虐げられてきた歴史を持っている。


 そして、次に多いのがドラグーン。

 竜に乗って縦横無尽に駆け回るのが得意な竜騎兵だ。

 本来は竜をパートナーとして、傭兵として活躍する種族である。


 竜は屈強で肌も固い。

 そして鱗や牙は、装備の素材として重宝される。

 前に対決したシュターリン兄弟。

 あいつらが着ていた装備も、竜から剥ぎ取った物から作られていたはず。


 過去の歴史においての話なのだが。

 はぐれ竜や身寄りのないドラグーン達を、人は次々と虐殺していった。

 パートナーを無惨に殺され、皮を剥がれるところを眼の前で見てきたドラグーン達。

 彼らも人に対して凄まじい恨みを持っている。


「エルフとドラグーンは仲いいんだっけ?」

「普通かな。でも、エルフは他種族を知能の低い劣等種と見る傾向があるから。あまりこっちから歩み寄ることはないんじゃないかな」


 ふむ。

 虐げられている者同士、友好的だと思ったのだけれど。

 そう言えば、ドラグーンも相当プライドが高いんだっけ。


 彼らは生まれた時から、多種との差別化を行う。

 他の種族と間違えられないよう、胸に竜の刻印をするらしい。

 竜の赤い血と爪で描かれた文様で、かなり目立つのだとか。


 大陸のどこを探しても、竜とコミュニケーションが取れるのはドラグーンだけ。

 それ故に、竜を飼い慣らしたい貴族の標的にされたりもするらしい。

 ドラグーンの素の身体能力の高さも相まって、貴族は彼らを非常に欲しがる。


 しかし、ドラグーンはただでやられるような種族ではない。

 過去の歴史の中で、何度も反逆を繰り返してきた。

 そのことも相まって、人はドラグーンに野蛮な印象を持っている。


 力で押さえつけておいて、勝手な言い分だと思わないでもない。

 人間社会の中にドラグーンがいたら、問答無用で殺されることもありえる。

 唯一、見た目が普通の人間と変わらないのが救いなのだとか。

 俺が思案していると、横の席が引かれた。


「よっと。お前、そんな量で足りるのかよ。てか、こっちの女は誰だ」


 エリックが割り入ってくる。

 彼はトレイから零れ落ちんばかりの皿を乗っけていた。


 やめろよ。

 俺もう腹一杯になってきたんだぞ。

 そんな時に、俺の暴食ヘルモード状態な物持ってくるんじゃない。

 吐くぞ。本日二度目のゲロ行くぞ。

 何とか吐き気をこらえ、目の前のイザベルと引きあわせた。


「ああ、こっちはイザベル。知り合いだよ」

「そうかい」


 そう言うと、エリックは座ってそのまま飯を食い始めた。

 挨拶もせず、ひたすら口に肉を詰め込んでいく。

 香辛料が効いているのだろう。

 スパイシーな匂いが嗅覚に浸透していく。


 美味そうだな。

 今はもう胃に空きはないが、次に来た時に頼んでみるか。

 もっしゃもっしゃと、皿に積まれた食材を崩していくエリック。


 そんな彼に対して、イザベルは少し鼻のあたりを押さえた。

 そして、プイと顔を背ける。

 何か気に触ったのだろうか。

 そう思っていると、エリックが小声で呟いた。


「なんだよ、エルフか」

「えっ……」


 イザベルが意外そうな顔をする。

 そして、隣の俺に向けて視線を送ってきた。

 いや、俺は別に教えてないぞ。

 エリックが自力で見抜いたんだろう。


「……な、何のことかな」

「香辛料程度で顔を背けてしまうほど鋭敏な嗅覚。

 その上、ピリピリしながら周囲の貴族と従業員を異常なまでに警戒。

 トドめに耳付近を隠してるんだ。それだけ材料が揃えば間抜けでも分かる」


 どうでもいいけどな、と吐き捨ててエリックは口に焼き魚を詰め込む。

 エルフがいることについて、何も騒がないんだな。

 アレクは幻惑魔法……だっけ。

 それで認識を狂わせてるみたいだけど。

 普通にエルフが町にいたら、それだけで鬼の首を取ったように叫び散らすものだが。


 イザベルはエリックの洞察眼に肩をすくめた。

 その上で、悩ましげな目をして言う。


「もし口外したら、新入生から早速死人が出ちゃうかな」

「やってみろ三流。脅しに屈すると思うんじゃねえぞ」


 おおぅ。

 いきなり険悪になってきたぞ。

 どうすればいいんだ。

 本当にどうすれば。


 俺にはまず友人が二人以上いる状態で、雑談に興じた経験がないんだぞ。

 こんな所でコミュ力の弊害が。

 俺がオロオロしていると、二人は無言で視線を切った。


 そしてそのまま、各々黙って食事に没頭する。

 ……俺が仲裁に入るべきだったんだろうか。

 でも怖い。

 未知の領域に踏み入るのは、いつだって勇気がいるのだ。


 ニート時代に、一時引きこもりになりかけたことがある。

 その時も、一歩外へ足を踏み出すのに苦労したものだ。

 ある日、アニメを見た影響で一気にアウトドア派にクラスチェンジしたけどな。


 (オヤジから)盗んだバイクで走り出し、自損事故を起こした時の記憶は今でも新しい。

 ハンドルをカマキリみたいに曲げて遊んでたのがダメだったな。

 ブチ切れたオヤジに首を取られそうになった忌まわしき記憶だ。

 同じ失敗は繰り返すべきではない。 


「そう言えば二人共、得意魔法は何なんだ?」

「私は風かな。種族的に、風と水が得意なことが多いね」

「エリックは?」

「……教えねえよ」

「そうか、ならまた後日に頼む」


 拒否されたか。

 まあいい、いずれ聞きだしてやる。

 魔法もそうだけど、ちょっとエリックの素性が気になった。


 俺が最終試験で炎魔法を放った時。

 エリックの身体に妙なものが見えたのだ。

 見間違いでなければ、恐らくそれは火種を招くであろうモノ。


 あんなものを見たら、俺も動かざるを得なくなってしまう。

 少し神経を尖らせておくか。

 完食し終えると、目の前のイザベルが目に入った。


 彼女は控えめにパンと水を口に運んでいる。

 しかし、その数秒後。

 いきなりイザベルの顔がひきつった。

 急いでパンを口に詰め込み、水で流し込む。


「どうした?」

「ごめんレジス。後でまた会おう。

 これ、ついでに片付けておいてくれるかな」

「……いいけど」


 急な早口に、言いよどんでしまう。

 イザベルは俺にトレイを預けると、脱兎のごとく食堂から出て行ってしまった。

 ティアラを目深にかぶって、逃げ去るように。


 何だったんだろう。

 手洗いにでも行ったか。

 そう思っていると、俺の後ろの席からガチャンという音が聞こえてきた。

 トレイを置く音。

 それに加えて、周囲からの視線が強くなっていた。


「入学おめでとうございます。レジス・ディン、でしたっけ?」


 いきなり声をかけられる。

 振り向くと、そこには高貴な姿をした少女がいた。

 スカートの裾をつまみ、優雅に一礼してくる。


 毅然とした態度。

 圧倒的な気品。

 ひと目でシャルクインの人間だと分かった。

 彼女は確か、ミレィだったか。


 なるほど。

 こいつが接近してくるのが分かったから、イザベルは席を外したのか。

 この女も目聡そうだしな。

 エルフとバレる危険性もある。

 ミレィは挑発的な声と共に、俺に詰め寄ってきた。


「これで対等の立場ね。

 だから、貴族として……いえ、魔法学院の学生として。

 ――貴方に模擬決闘を申し込むわ!」

「拒否する」

「な、なんでよ! すぐ背を向けて、恥ずかしくないの?」

「だってお前に勝っちゃったら、ますます俺の肩身が狭くなるだろ」


 伯母さんの一件を未だに引きずっている連中だ。

 リベンジを返り討ちにでもした日には、確実に憤死するだろう。

 終いには周りの高位貴族を引き連れて、暴動を起こすかも知れん。

 これ以上の面倒は御免だ。

 下手な戦闘は、避けるに越したことはない。


「……その言葉は、私への侮辱に同じよ。

 まだ始まってすらいないのに、貴方に何が分かるのかしら」

「お前が頑固で人の話を聞かないところかな」


 ミレィの瞳孔が開いた。

 直情的だな。

 ここが学院内だからか、物々しいボディーガードもいない。


 俺が皮肉を言っても、責めてくるのは本人と周囲の連中だけ。

 ならばこの機会に、鬱憤を晴らさせてもらおう。

 ラリアットを決められて、従者に暴言を吐かれて。

 流石に腹が立っていたのだ。


「もし私に勝てば、シャルクイン家が貴方の後ろ盾になってあげる。

 貴方の家からしてみれば、これほど良い条件はないでしょう」


 いや、別に後ろ盾なんていらないんだけど。

 しかも、当主がそんなことを一存で決定していいのか。

 まあ、負けない自信があるからそんな事が言えるんだろうけど。

 てか、ボディーガードはどうした。

 いきなり抜刀して来た連中はどこへ行った。


「お前、従者がいないみたいだけど」

「あれは兄上と叔父上よ。

 当主である私が外を出歩く時だけ、護衛で付いてくるの」

「え、あれ親族だったの?」

「そうよ。少なくとも、ディン家の当主よりは立派な爵位を持っているわ」


 なるほどな。

 いきなり剣を抜いてきたのは、個人としても俺を格下に見ていたからか。

 ただの従者にしては、ずいぶん前に出てくるんだなとは思ったけど。

 シャルクインに連なる高位貴族だったか。納得納得。


「ありがとう、疑問が解消したよ」

「そう? じゃあ、私と決闘を――」

「それは断る」

「何でよ!」

「俺に利益がない」


 きっぱりと断るものの、食い下がってくる。

 何度でも、何度でも。

 まるで怨鬼だ。

 執念だけで動いている。


 とは言え、相手も年頃のレディーだ。

 貞操を賭けて勝負しろと言ったら、諦めてくれるだろうか。

 いや、それも微妙なラインだな。

 素直に断っておくのが一番か。


 俺が返事を返そうとした瞬間。

 いきなり、横から轟音が響いてきた。

 ズガンッ、と鉄を素手で殴ったような音。


 正直、俺は何が起きたのか分からなかった。

 なぜ、と最初に思った。

 気軽に聞き返そうともしたが、そんなことができる雰囲気はもうどこにもなかった。


 エリックが。テーブルに拳を叩きつけたのだ。

 彼はテーブルにヒビを入れた手を引っ込め、俺を睨んできた。

 そして、氷より冷たい声で、問いかけてくる。


「……なあ、レジス。お前、そいつと馴れ合うつもりか?」

「ど、どうした。急に」

「訊いてるんだよ。

 そこの王都三名家と、なあなあで仲良くなるつもりなのか?」

「別に、そんなこと言ってないだろ」


 なんだ。

 なんなんだ。

 つい今まで、和やかに飯を食ってたじゃないか。

 どうして、いきなり敵意をむき出しにするんだ。


 ……まずい。

 なぜエリックが怒っているのか、理解できない。

 俺が何か失言でもしたか?

 いや、してないはずだ。

 だとしたら、何でエリックは激高しているんだ。


 俺と全く同じ感想を抱いたようで。ミレィも少し困惑していた。


「あなた、今はわたしがレジスと話しているのよ。

 所用があるのなら、後からに――」

「うるせえよ、黙ってろ。この場で口を封殺しやろうか」


 殺意のこもった目。

 そう言えば、エリックは以上なまでに貴族を毛嫌いしていた。

 それも、特に王都三名家に対しては、特別な憎悪を持っている。


 理由はわからない。

 だけど、エリックをそこまで走らせるだけの訳が、過去にあったのだろう。

 あまり刺激しないように、場を収めようとする。


「俺はあまり人間関係の構築に積極的じゃない。

 成り行きで友人になる奴もいるし、敵になる奴もいるだろう。

 だから現時点で、ミレィとどうなるかは分からない」

「……そうかい。つまり、そいつらのお仲間になる可能性だってあるわけだ。

 それが聞ければ十分――」


 エリックは椅子を思い切り蹴飛ばした。

 弾け飛んだ備品が、壁にぶち当たって軋みを上げる。

 周囲の貴族がどよめいた。

 しかしそんなことも気にせず、エリックは出口へ向かっていく。


「おい、待てよエリック」

「……分かり合えそうな気もしたが、気の迷いだったみたいだな。

 ――二度とオレに話しかけるな。悪行貴族の同類に用はねえ」


 ピシャリとそう言って、エリックは去って行く。

 無性に腹が立ったのか、途中で何度も椅子を蹴り飛ばしていた。

 エリックが去った後、食堂は静寂に包まれる。


 最初から最後まで、あそこまで高ぶったワケが把握できなかった。

 俺が王都三名家と接触したから、激怒したのか?

 それとも、俺が貴族だから拒絶したのか。


 いや、それはないな。

 あいつは初対面の時点で、俺が貴族だと知っていた。

 それが嫌悪の原因になったとは考え辛い。


 現に、さっきまでは一応相手をしてくれていたのだ。

 それが急に……。

 どうしてこうなった。


 いつもは茶化し気味に使う言葉。

 それすらも、今は歯切れが悪かった。

 俺は背後で戸惑っているミレィに、ボソリと告げた。


「悪い、ちょっと一人で考えたいことがあるから。後にしてくれるか」

「……う、うん」

 

 ミレィも気勢が完全に削がれたようだ。

 大人しく俺を通してくれた。

 吹き飛んだ椅子を元に戻し、イザベルから頼まれた食器を元に返す。


 こういう時、どうすればいいんだろう。

 教えてくれよ、助けてくれよ。

 思わずそう願ってしまいたくなる。


 俺は食堂の外に出てからも、どうしてエリックが怒ったのかを考えていた。





 ――エリック視点――



 酷い別れ方だ。

 あれじゃあ混乱させるだけだろうが。

 今になって後悔してきた。

 もう少し、穏便な突き放し方があったんじゃないかと。


 いきなりキレ出して、一方的に絶交。

 オレがあいつだったら、間違いなく殴り飛ばしてる。

 でも、あれ以外に奴を引き剥がす方法は、どうしても思いつかなかった。


 お陰で、ずいぶん破綻した行動をとってしまった。

 まあいい。元々オレは破綻している。

 今さら何を恐れることがあるんだ。


 オレは今まで、こうして一人で生きてきたじゃねえか。

 色々心残りはあった。

 しかし、これであの物好きも、諦めてくれるだろう。


 10年前の一件で、貴族はただの腐敗集団なんだと確信した。

 幼い時に見た風景のはずなのに、脳裏にへばりついて離れない。


 ――オレをかばおうとする男。

 ――その背中に槍が生え、その妻が泣き崩れる。

 ――しばらくして目を開けると、そこには絶望が広がっていた。

 ――血だまりの池。その中で狂気の笑いに浸るラジアスの一族。


 あの事件で、俺は全てを喪失した。

 もう、信じてなるものか。

 あれ以来、俺は復讐心を腹に溜め込むようになったんだ。


 レジスは、恐らく知らないだろうが。

 オレはあいつを、以前に見たことがあるのだ。

 実験の億劫さから逃げ出して、闘技場へと足を運んだ時。


 8年前に、目の前で繰り広げられた高位貴族への制裁。

 オレにはあいつの行動が、不思議に思えて仕方なかった。

 どうして同類である貴族を倒す。

 どいつもこいつも、顔に笑みを浮かべて、腹じゃ汚いことを企んでいるくせに。

 それが貴族のはずなのに。


 でも、少し心の氷が溶けたのもあの時だ。

 貴族にも、色々な奴がいる。

 どうやっても相容れない奴もいるけど、分かり合える奴もいるんじゃないか。

 そんな希望を抱くようになった。


 最初にレジスを町中で見た時、こいつなら話せるかもしれないと感じた。

 ひょっとすれば、貴族にも話のわかる奴がいるのかもしれない。

 ラジアスと並ぶあのゴミを、片付けていた奴なのだから。


 でも、ついさっき見た光景。

 それで全てが台無しになった。

 何故ヘラヘラ笑う。

 どうして立ち向かわない。


 ラジアスじゃないとは言え、そいつは王都で威張り散らしてる三名家だろうが。

 どれだけの人間と種族が、高位貴族の餌食になったと思ってる。

 レジスなら、スカッとした解決をしてくれるはず。

 あの8年前のように。

 勝手にそう信じていた。


 でも、違った。現実はアレだ。

 結局、貴族は馴れ合いの中に身を置く自己愛の塊。

 貴族への敵対心が、今まで以上に燃え上がった。


 最後に残った糸が途絶える。

 もう、やめよう。

 貴族を信じるのは。

 だから、突き放したんだろう。

 全てを決別するために、あいつらから逃げるようにして、学院の端に走って来たんだ。


 研究棟が程近い一角。

 そこまでたどり着き、荒い息を吐く。

 無性に腹が減った。

 皿に盛りつけるだけ盛りつけて、ほとんど手を付けず放置。

 あまり満足に食えなかったので、腹の虫が鳴る。


「……くそ、情けねえ」


 誰とも接触せず、孤独に目的を達成する。

 最初にそう誓って、試験を受けにきたってのに。

 こんな事なら、スリを暴くんじゃなかったか。


 レジス・ディン。

 聞けば、辺境の没落貴族だという。

 妙に余裕に満ちた顔をしていて、内心で何を考えてるか分からなかった。

 でも、何というか。


 レジスと話した時、一瞬変な気分になった気がする。

 アレは、母親と遊んでいた時に感じたのに似ていた。

 ひょっとして、『楽しい』って思ったのか?


 まさかな。バカかと。

 オレには、そんな感情を持つ権利すら無いのに。

 身分不相応だ。


 もう感情を受容する器官まで奪われている。

 楽しいなんて、もっての外だ。

 色々あって、一部予定が狂ってしまったな。

 これから決行する事を前にして、それは致命的だというのに。

 しかし、良かった。


 最終試験でローブがまくれた時。

 服の中をレジスに見られたかと思った。

 それを心配して、ずっとあいつの表情を窺っていたのだが。


 見る限り、レジスはオレの正体に気づいていない。

 もしバレていたら、命を消す必要があった。

 運がいいんだろう。オレも、あいつも。


 予期せぬ出来事はあったが、とりあえず潜入には成功した。

 ジーク・ハルバレス・ラジアス。

 現当主の息子だけあって、オレのことは聞かされていたようだ。

 てことはだ。

 オレの正体を知っていて尚、懐に入れたってことか。


 バカが。

 虫けら一匹では何も出来ないと、高をくくっているのだろう。

 あるいは、オレが襲いかかったとしても、返り討ちにできると?

 そう確信しているのか。


 私たち貴族は羽虫の挑戦を拒みません。

 だって心が広いですから。

 ってか。反吐が出そうだ。

 上っ面だけ飾った外道共め。


 まあいい、あいつらが朝日を拝めるのも今日までだ。

 死ぬその瞬間まで、せいぜい弱者を虐げてろ。

 10年前の、あの時のようにな。


 その前に――

 まずは要らなくなった推薦者を片付けるとするか。

 今までオレをこき使ってくれたんだ。

 しっかりお礼をしないといけないだろう。


 研究棟へ入り、実験室へ。

 するとそこには、オレを推薦した男が一人で待っていた。

 奴は王都出身の貴族で、厭世家にかぶれて研究者になった経歴を持つ。

 金に物を言わせ、いつも被験体を大量に仕入れてくる。


 試験時の推薦は、推薦者側にとっても非常に大きな意味を持っている。

 名もなき庶民の中から逸材を掘り当て、それを学院に入学させる洞察眼。

 矜持の高い研究者たちは、推薦によって名を上げることを良しとするらしい。


 それが奴らの、非研究時における唯一の楽しみなのだという。

 そして、それは推薦者にも当てはまる。

 オレの知る限り、3人のエルフと4人のドラグーンと――

 奴は7人もの他種族を実験に使ってきた。


 その内で生きているのは、たった一人だけ。

 今日の予定は、雷魔法を頭に当てての耐久テストだったか。

 こいつは、その被験体であるオレを待っていたのだ。

 反逆しないという、虚妄に浸りながら。


 中へ入ると、ひどい匂いがした。

 薬品と廃棄物と、濃厚な酒の芳香。

 部屋の真ん中で椅子に座っていた男が、叫び散らしてくる。


「遅い!」

「…………」


 酒が入っているのだろう。

 足取りがおぼついていない。

 到着が待ち切れず、酒に溺れたようだ。


 終わってるな。

 唯一の取り柄が人体実験だというのに、研究に不誠実でどうする。

 だから違法実験でしか、結果が出せないんだ。

 オレが肩をすくめると、奴は目を血走らせた。


「なんだその面ァ……」


 手元にあった酒瓶を投げてくる。

 それはオレの横を通過し、背後の壁にあたって砕け散った。

 破片のいくつかが、オレの頬の肉を裂く。


「身寄りのねえテメエを育ててやったのは、誰だと思ってるッ!」


 笑わせるなよ劣等。

 育てててやった、だと?

 生きるために、オレは下働きして自分で稼いでただろう。

 しかもお前は、そんなガキから小銭を掠め取ってたんだ。

 少なくとも、お前に育てられた記憶は全くない。


「戦うしか能がねえ野蛮種族が!

 大人しく俺の言うことを聞いときゃいいんだよ!」


 そうだな。

 確かに今まではそうしてきた。

 この学院に入る必要があったからな。


 そのために、地獄のような日々に耐えてきたんだ。

 泥だって飲料水としてきたし、草を主食にまでした。

 そこまでして、この狂った奴についてきたのは、一つの目的のためだ。

 そして、その準備は調おうとしている。


 もうこいつに用はない。

 ここに至った以上、奴は情報を漏らす可能性のあるただの害毒だ。

 同時に、親父と母さんを殺すのに加担した外道でもある。


「御託はいいんだよ! さっさと頭出せ! こっから一週間の電流天国だッ」


 そうだな。

 御託はもう結構。

 お前とはもう喋る気もしない。


 オレの両親を殺す原因を作った奴に、言うことなんて何もない。

 第三者から見れば、共犯という形になるんだろう。

 でも、オレからしてみれば立派な事件加担者だ。

 しかし一応、施された物に対する礼くらいは言っておこう。

 少しづつ男に近づいていく。


「毎日痛覚がなくなるまで実験してくれてありがとう。

 身寄りのなかったオレを傍に置いてくれてありがとう。

 飯も水も与えず被験体にしてくれてありがとう。

 ドラグーンを相手に隙を見せてくれて、ありがとう」

「あぁ? テメエ、何を――」


 言った瞬間、オレの蹴りが奴の側頭部を捉えていた。

 研究室の端まで吹っ飛び、壁へ直撃する。

 バウンドして床にずり落ちた男は、口から滝のように血を流す。

 オレはそれを無視し、実験台の上にある『装置』を見つけ、砕いた。


「これでオレを押さえつけられなくなったな」

「テメェ、何しやがる!」


 今粉々にしたのは、人が他の種族を従えるために開発した魔兵器である。

 原理はとても簡単だ。

 攻撃魔法を閉じ込めた鉄片が一つ。

 それを操作する機械が一つ。


 鉄片を急所に埋め込み、装置で操作する。

 すると奴隷などが反抗的な態度を取ろうとした時に、すぐに無力化することが可能。

 貴族や研究者が下の者を言い聞かせる際に使用するものだ。


 しかし、今その機械は壊れた。

 そう言えば、連中の家は『炎鋼車』なんて物を開発していたな。

 アレへの対策も考えなければいけない。


 でも、正直言って装甲を撃ち抜ける気もしない。

 最善策は、炎鋼車を使わせずに勝つことか。

 だけど、今はまず目の前のことに集中しねえと。


「――開け、万魔の門」


 ローブから本を取り出す。

 憎しみを糧に、日夜魔力を磨いてきた。

 瞑想によって会得する熟練と、魔法の大量使用によって開発する適性。


 その二つを血反吐が出るまで修行してきたんだ。

 研究者崩れを殺すのに、『種族能力』を使うまでもない。

 オレが本を広げると、奴は目を見開いた。


「な、なんだそれ。俺は、お前にそんな魔法を教えた覚えはない!」

「当然だろう。これはオレが元々覚えてたもんだ」


 ある貴族様は、この学問を異端扱いしてくれたな。

 おぞましき引用魔法として。

 万魔学と、その研究者たちを滅殺した。


 見ていろ。

 お前らが禁じた魔法が、どれほどの威力を持っているか。

 そして、思い知らせてやる。

 親父と母さんが味わった、悲しみと苦しみを。


「……ま、待て! 分かった、被験体から解放してやろう!

 だから、だから、殺すのだけはやめてくれ!」

「当然だろうが。死ぬ程度の苦痛ごときで罪を精算できると思うなよ?

 ちゃんと死より苦しい痛みを与えた後、断頭台送りにしてやる」


 研究結果と、雇用主がラジアスであるという証拠。

 それを証明するのに必要な男を、そう簡単には殺さない。

 だが、ここで制裁を加えるのは、もう決まったことだ。

 オレは断罪のごとく、指を振り下ろす。


「――咎人裁くに凶刃はいらぬ。

 罪に満ちた心臓を、潰せ真の復讐歌シンフォニア――『ポール・エルトマイド』」



 誰もいなくなった研究棟に、絶望の叫びが響き渡った。



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