第十話 試験終了
エリックが呟いた瞬間。
ぞっとさせるような魔力が、身体から解き放たれた。
エリックの豹変に、周りの高位貴族もうろたえる。
そんな喧騒も気にせず、ページをパラパラめくっていく。
数秒後、後半の位置で手が止まった。
壁をじっくり見て、詠唱を開始する。
「堅きを攻めるは愚者の毒法。
堅きに斬りこむ賢人の一言。
剥がれ落ちるは偽りの装鎧。
人これを剥防の策と呼ぶ――『エドワード・アルヴィン』」
その声とともに、本を閉じる。
すると、エリックの身体から湯気のような魔力が生じた。
それは力なく漂っていき、壁へ張り付く。
明らかに威力がない魔法だ。
それを見て、周りの貴族が大笑いする。
「はははッ、平民! 平民らしい!」
「面白い余興じゃないか。最後まで見てやろう」
「薄汚れた下民が。その正体は売れぬ大道芸人か」
それらの声を一蹴して、エリックは湯気の操作を続ける。
ゆっくりと魔力を壁に浸透させていき、満遍なく塗りたくる。
そして、エリックがボソリと何かを呟いた途端、妙な音が響いた。
――ゴトンッ
重厚な音が、大広場に轟いた。
呆気にとられる観衆。そして審査員。
俺すらも、何が起きたのかを把握するのに数秒かかった。
「……おい、あれ」
貴族の一人が何かを指さす。
その方向を見てみれば、壁の表面が、ごっそり剥がれ落ちていた。
一メートルくらいの厚みがある大壁。
その30%くらいが、綺麗に剥離して地面に崩れ落ちている。
ヒビどころではない、圧倒的な破壊。
それも、無駄な力は加えずに。
大口を開けて停止していた審査員が、呆けた声を上げた。
「……え、A判定」
どよめきが沸き起こった。
見たこともない魔法に加えて、異常なまでの高評価。
普通なら、罵詈雑言が飛び交うことだろう。
しかし、エリックから溢れ出す雰囲気が余りにも凄まじかったからか。
誰も口を開くことが出来なかった。
エリックは圧倒的な憎悪を、周囲に向けている。
そのまま歩き去ろうとすると、一人の人間が立ちふさがった。
イライラするエビス面。ジークだ。
エリックは舌打ちをしながらも、迂回しようとはしない。
「すごい魔法ですね。素直に感服しましたよ」
「…………」
「溝鼠のような人間が修得できる魔法だとは、思えないのですけどね」
「…………」
「自覚してますか? 場違いですよ。
ここは未来ある貴族の健児を魔法師に育成させる場所です。
下賎な民の遊び場ではありません」
「…………」
次々毒舌を浴びせかけるジーク。
しかし、エリックはただ立っているだけだ。
あいつからしてみれば、この程度の悪口は日常茶飯事なんだろう。
だけど、傍から見てるとすごくイライラする。
俺はエリックの隣に立って、ジークと相対した。
「どけよ。次は俺の番だ。
邪魔になるから、二人とも離れてろ」
仲裁に入らないと、事が一向に進まない。
二人の距離を遠ざけ、俺が間に入った。
おお、妙に誇らしい立ち位置だ。
見てるか。前世でお世話になった警官。
前世でコミュ力0だった俺が、今や調停役になっているんだぞ。
あの時はひたすらカツ丼を平らげる役だったもんな。
後で請求が来てビビったのを覚えてる。
税金おいしいれす、と邪念を燃やして飯を掻き込んだのが悪かったな。
誰がカツ丼が有料だと思うよ。
1杯1000円の高級カツ丼なんて取り調べに出すなよな。
5杯食べ終わった後に絶望したんだぞ。
あの時に比べると、今の俺が際立つ。
人間変われるもんだな。
自己陶酔に浸っていると、それを邪魔する言葉が続けられた。
「ああ、そう言えば。今思い出したのですけどね」
口の端を歪め、ジークは喉を震わせる。
そして、周りの人間の位置を確認する。
小声で話せば、周囲には聞こえない。
その状態で、ジークは挑発を続けた。
エリックと俺にだけ聞こえるように。
爆弾を投下した。
「エリック・ヘイトリッド。
どこかで聞いたことがあると思ったんですよ。
聞いてますよ、父上がよく愚痴をこぼしていましたから。
なるほど、禁忌の研究で王都から追放された賊の子息でしたか」
「…………ッ」
ギリ、とエリックが歯を軋ませた。
今まで耐えていたエリック。
しかし、触れてはいけないことに触れてしまったようだ。
射抜くような視線をジークに向けた。
まずい、完全に目が座ってる。
「――開け、万魔の門」
エリックの古びたローブが蠢動する。
抑えきれない魔力が、風圧となって顕現した。
凄まじい怒りだ。
魔力はとかくメンタルに左右される。
ゆえに冷静であれば的確な魔法が放てる。
激高していれば精度は下がるが、爆発力は格段に増加する。
エリックは計り知れない怒りを纏いながら、本を取り出した。
それを見て、ジークは嘲笑する。
「いいのですか? ここで暴れたら入学は無効ですよ」
「…………」
もっともな脅しだ。
この場において、ジークに逆らうのは死を意味する。
社会的な意味でも、物理的な意味でも。
普通だったら、ここで土下座して謝るべきなのだろう。
だけどエリックは、奴の声が完全に耳に入っていない。
危ない雰囲気だな。
剣呑な態度を示すエリックに、周囲の高位貴族が反発する。
「ジーク殿をどなたと心得ている! 控えろ凡俗!」
「だから推薦制度での受験は嫌なんだ!」
「この場において、己の立場をわきまえろ!
それが出来ないのなら、さっさと消え失せてしまえッ!」
声のでかい連中が、口をそろえて罵声を浴びせかけた。
エリックの手の震えが一層大きくなる。
一度付いた火種に、油が注がれている。
周りを味方につけたジーク。
とどめを刺すべく、奴はボソリと言った。
恐らくエリックが一番触れて欲しくなかった、最悪の言葉を。
「罪人の息子はやはり愚図ですね。
身寄りもなく、泥の中で生きた溝鼠。親の顔が見たいものです」
「……テ、メェ。それ以上、それ以上言ってみろ。
この場で殺されようが、テメエを道連れにしてやる!」
ついに、我慢が効かなくなったようだ。
髪を逆立てたエリックが、ついに本を開いた。
己がどれだけ責められようとも構わない。
しかし大切な人を貶められると、言いようもない怒りがこみ上げてくる。
俺の身近にもいるよ。
そういう気質の奴が。
ていうか、俺もそうなんだけど。本当に。
本音として、俺はどれだけ悪口を言われても平気だ。
慣れてるから。
痛む心なんて、もうとっくの昔に壊れてる。
折れた心の導くままに、俺は自堕落な一生を過ごした。
でも、それでも。
譲れない意志くらいはあった。
下らない人生を過ごしてきた自覚はある。
でも、そんなクズでも、確かに大切だと思える奴がいたんだ。
言うまでもなく、俺はそいつが大好きだった。
どれだけ落ちぶれようとも、彼女は俺を決して見捨てなかった。
嬉しかった。
涙がボロボロ出た。
俺とあいつは、根本的に違う。
言ってみれば、あいつは女神のような存在。
俺にとっては、彼女こそが大切な家族だった。
あいつのためならば、本当に何だってしてあげたい。
常々そう思っていたんだ。
目の前の光景を見ていると、脳に焼き付いた記憶が蘇ってくる。
喪失して初めて世情の厳しさを知ることになった、嫌な事件。
俺が彼女を、家族を守れなかった、嫌なトラウマを――
あれは、俺がニートになりたての頃だったか。
久しぶりに外出した時、街中で妙な光景を見た。
妹が大切にしていた、特徴的な自転車。
かわいい兎のペイントがされた、微笑ましい一品だ。
一目見た俺は、それがすぐに妹の物だと分かった。
忘れるはずもない。
あの絵を描いてあげたのは俺なのだ。
あいつが高校入学時に買ってもらった、ピカピカの自転車。
妹はそれが届くやいなや、俺に絵を描いて欲しいと言った。
もちろん快諾した。
あいつの望むことなら、何でも叶えてやりたかった。
ニートだから時間だけはあったからな。
三日三晩かけて描き上げた兎は、酷くいびつだった。
これ何てクリーチャー?
筆を入れた俺の第一声が、自虐だった程である。
しかし、サドル付近の兎は、どこか誇らしげな表情をしていたように思う。
そして、それに楽しそうに乗る妹。
彼女の姿を見ていると、俺も幸せな気分になれた。
だから、すぐに理解した。
今この状態は、非常に面倒くさいことになっているのだと。
というのも。
妹が大切にしていて、親に触らせたこともない自転車。
それを無遠慮に乗り回している女がいたのだ。
しかも、見るからに不良。
『てゆぅーかーぁ』
や
『マジ意味分かんないしぃ』
とか
『ぎゃはは、死んじまえばいいのによぉ』
など、
謎の言語を発する奇妙な生命体に見えた。
冗談抜きにして、明らかに発言が妹に釣り合っていなかった。
だから、一目見て分かった。
DQNだ。
そいつが数人の男を連れて、繁華街をブラブラしていた。
まさか。
俺の脳内に嫌なビジョンが見えた。
もしそうなのだとしたら、今すぐ取り返さないと。
だけど、当時の俺は、そこから一歩も動くことが出来なかった。
怖かった。
その女も、隣のゴツい男も。
俺とは人種が違うように思えた。
あんな奴らに立ち向かったら、どんな目に遭うか。
しばらく戸惑っていると、その二人は人混みに消えていった。
止める暇もなかった。
……まあいい。
次のチャンスがあるさ。
脳天気な言い訳を盾にして、俺はそのまま繁華街を歩いた。
その夜。
俺が繁華街で買ったフィギュアを、抱えて帰った時のこと。
玄関で、妹が目の周りを腫らしていた。
それを見て、俺は瞬時に理解した。
喉が引きつったことを覚えている。
まさか。
やめろ、違うだろう。
違ってくれ。
俺は思わず購入物を取り落とした。
そして、分かりきったことを訊く。
『どうした?』
と。
――馬鹿が。
分かっているだろう。
お前が見逃したんだ。
怖いからという、臆病極まりない感情で。
免罪符のつもりか。
自責の念の中が溢れてくる。
分かりきっていた答え。
それを妹の口から直接聞かされた。
妹は、高校から帰宅しようとしていたそうだ。
その時自転車がなくて、必死に探したのだという。
そのまま数時間、駅の近くをさまよっていたらしい。
そして夕暮れ、ついに妹は愛車を発見した。
繁華街の外れでの事だったらしい。
ストレス発散の手段にされたのか。
自転車は、バットのような物で完全に破壊されていたそうだ。
スポークはどこかへ行き、サドルは砕け、兎は塗装ごと剥げていたらしい。
膝から崩れ落ちて、唇を噛み締める妹。
彼女は泣きながら、ポツリと呟いた。
『ごめんね』
なんで謝る。
お前は何も悪いことをしていないだろう。
いきなりの謝罪を受け、狼狽してしまう。
あの時の俺のツラは、どれだけ情けなかったのだろうか。
もっと、うまくやれたはずだった。
そうなる前に、止めることもできたはずだった、
『ごめんね。……せっかくお兄ちゃんに描いてもらったのに』
やめてくれ。
本当は俺が悪いのに。
まだ間に合ったはずなのに。
俺の弱い心が、全てを台無しにしてしまったんだ。
『本当に……ごめんね――』
泣き崩れた妹。
その姿を見て、俺は頭が真っ白になった。
そこからの行動は断片的でよく覚えていない。
ただ、靴も履かずに家を飛び出したことは覚えてる。
繁華街に一直線に向かって、連中を血眼で探したんだったか。
そして、見つけた。
例の女と、その連れが数人。
奴らは路地裏で野良犬に爆竹を巻きつけ、火花パーティーをやっていた。
破滅的なことをする連中だった。
当然、平和的な解決なんて望めそうにない。
俺は自転車の件で食って掛かった。
すると、DQN共は品のない笑い声を上げて、俺を指さした。
しかし、それでも俺は無表情を貫く。
つまらなくなったのか。
それとも、俺を玩具にでもしようと思ったのか。
男たちが鉄拳で返事をしてきた。
思い切り顔を殴られ、嫌な音が脳天に響いた。
だが、俺は一歩も後ろに引かなかった。
今までお前らが虐げてきた奴は、その一発で戦意を喪失していたのだろう。
でも、俺に痛みで何かを強いるのは間違っている。
すぐに殴り返した。
同じように。鼻面に向かって。
思い切りテレフォンパンチを繰り出した。
怒りに任せた一撃は、愚直に相手の身体を打ち砕いた。
素人同然の攻撃だが、骨折を恐れなければそれなりの威力にはなる。
俺の反撃に、冷静さを失う男たち。
そこから凄惨なリンチが始まった。
殴り、殴られ。
蹴り、蹴られ。
蹴って蹴られて蹴られて。
殴って殴られて殴られて殴られて――
そして、正気に戻った時。
いつの間にか、俺の身体はゴミ捨て場に転がっていた。
肺に穴が開いたようで、呼吸をすると変な音がした。
あの時の血の味は、今でも不快な感覚として覚えている。
でも、負けたわけじゃない。
復讐できなかったわけじゃない。
俺は妹を泣かせた連中を、ちゃんと道連れにした。
多対一の劣勢の中、倒れるまで暴れまわった。
汚い路地裏に、数人の体が横たわる状況を形成するまで。
一心不乱に暴走したのだ。
全てを終えた俺は、貧血で意識が朦朧としていた。
人を殴って砕けた拳が、妙に熱い。
誰も勝者がいない路地裏の角。
そこへ通報を受けた警察がやってきたのだった。
後日。
妹の自転車をオシャカにした奴らは、
私怨で犯行に及んだことを自白した。
自転車をメッタ打ちにしたのは、
妹に告白して振られた奴だったらしい。
それに付き添っていた女は、妹に嫉妬していたようだ。
醜い感情に巻き込まれ、妹は被害にあった。
そして、俺も馬鹿をやってしまった。
俺は病院で、全治1ヶ月の診断を頂いた。
そんな俺の前に、オヤジが現れる。
肩を怒らせ、ゴミを見るような目で。
警察の世話になった俺を、オヤジは本気で絶縁しようとした。
『一族の末席にも置いておけん』らしい。
最もだと思った。
俺に相応しい結末だ。
大切なものを守れなかった。
その上、連中と同レベルな暴力によって、事を強引に終わらせたのだ。
どこに言い訳の余地がある。
しかし、後で俺は妹が必死に動いてくれていたことを知った。
怒り心頭な親父を、泣きながら止めてくれたらしい。
それを後で知って、なおさら情けない気分になった。
全て、全て俺が悪かった。
本当に、どうしようもない。
そして、俺は教訓として学んだ。
迷って取りこぼしたものは、後から絶対に回収できない。
救える時に救っておかないと。
物事は手の届かない所まで進行してしまう。
だから俺は、あの日願ったんだ。
もう二度と、同じ失敗を繰り返さないように。
――誰かを救える人間になりたい、と。
今しがた目の前で繰り広げられている、一方的な暴言。
それに対して爆発しそうになっているエリック。
それは、いつか俺が見た日々に酷く重なる。
そうだ、止めないと。
俺みたいな気分を味わうのは、俺だけでいい。
無力感なんて、感じない方がいいんだ。
続きの言葉を言わせまいと、大声で遮ろうとするエリック。
しかし、ジークは止まらない。
奴は蔑み笑っているだけだ。
ジークはあくまで、エリックの心をへし折りに行く。
俺とエリックにだけ、聞こえるようにして。
「私の知る限りだと、君と父親は少し『特殊』な『人』でしたよね。
あまり反抗的ですと、その事を暴露してもいいんですよ?」
「……だ、ま、れ」
エリックの目が血走った。
禁句を口走ったようだ。
ジークはトドメを刺すためか、あえてエリックの怒りを無視した。
その上で、肩をすくめてあざ笑う。
「その上、君の母親は娼婦でしたか。つくづく終わった血筋ですね」
「……テメエ、いい加減に――」
「醜悪としか言いようがありません。
この王都に足を踏み入れる資格すらありませんよ」
「いい加減に、いい加減に、イイ加減ニ――」
「消えてください。穢れた一族の末裔」
「――ッ、――――ッ!」
耐え切れなくなったエリックが、一心不乱に何かを叫んだ。
もう魔法での攻撃も思いつかないらしい。
今までそうやって生きてきたように。
エリックはジークに殴りかかる。
だが、その寸前で。
俺の魔力が爆発した。
「――『イグナイト・ヘル』」
形容するとしたら、それはまさに爆縮。
炎神の怒りを具現化したかのような、業火。
俺の手から撃ち出された放射状の火焔が、二人の間を通過した。
空気が灼け、一瞬で目標物へと到達する。
魔法の守護を受けた壁が、とんでもない大爆発を起こした。
長大な壁が崩壊し、ブロックが辺りへ弾け飛ぶ。
「……ひぃ!?」
「な、何が起きたんだ!?」
「か、壁が、壁が壊れてるぞ!」
土煙が辺りに立ち込める。
しばらくして、大広場一帯の視界が良くなった。
魔力の残り香。
それが俺の手から、煙のように漏れ出していた。
エリックとジーク。
その間を通ったせいで、二人は相当な熱を受けたようだ。
エリックは服が捲れ、素肌が奥深くまで見えていた。
すると、彼は凄まじい勢いでそれを隠す。
そんな光景が目の端に移った。
ジークはローブに火が点いたらしく、水魔法で消火していた。
なんらかの守護効果があったみたいだ。
肌に傷はない。
しかし、代償と言うか何というか。
ジークのいかにも高そうなローブは、目に見えて色あせていた。
俺の火魔法が、守護を打ち砕いてしまったようだ。
だが、警告はした。
どかなかったのは、こいつの失態に過ぎない。
だから、俺は容赦なく責め立てた。
「そこまでにしとけよ」
「……今のは」
素直に驚いたような顔をするジーク。
エリックは今の衝撃で目が覚めたのか、冷静に戻った。
瞳に浮かんでいた憎悪の念が、ゆるやかに収まっていく。
「怒ってるのがエリックだけだと思うな。
見てると虫酸が走るんだよ。まずその軽口を止めろ」
「おやおや。爵位で言うと遥か下の家の者に、そんなことを言われてしまうとは」
「お前の人望の無さが原因だな」
「逆ですよ。僕は反抗する虫の方が好きですから。
何も言わず潰すのと、反抗されて潰すのでは、こちらも感触が違います」
なるほど。
こいつは俺達を虫けら同然だと見ているわけだ。
権力によって一方的に蹂躙する、単なる社会的弱者にすぎない、と。
怖いな、権力は。
俺にはもう、こいつが欲に取り付かれた悪魔にしか見えない。
あまり刺激するのも得策じゃない。
放置が一番か。
俺は跡形もない壁を見て、審査員に告げた。
「アレ、壊れたんだけど」
「……ひょえッ!? あ、ああ。そうか。では、つまり――」
何かに気づいたのだろうか。
審査員の顔色が青ざめていく。
彼はおもむろに懐から書物を取り出し、慎重に見ていく。
どうやら、評価基準を確認しているようだ。
彼の手がある一点で止まり、ガタガタと震える。
しかし、言わないと話が始まらない。
審査員は震えたような声で、俺の結果を宣言した。
「え、S判定……。つまり、6点換算……」
それを合図にして、会場全体が沸き立った。
罵詈雑言の嵐と、少数の称賛。
鼓膜が悲鳴を上げるほどの声だ。
俺は連中の発狂を無視して、得点を計算していた。
15足すことの……6か。
よし、21点だ。
最初は2点が取れるかも怪しかったのだけれど。
うまくいったようでよかった。
10倍だぞ10倍!
俺は静かにエリックに振り向く。
そして、無言のままハイタッチを交わした。
今までにこの全体の試験を通して、S評価を叩きだしたのはわずか2人。
一人目が400年前。
二人目が200年前。
そして、この度200年ぶりに、S判定を俺が頂いたのだ。
金色の文字が、受験票に浮かび上がる。
刻まれるのは、『6』という評価点。
それを眺めながら、俺は静かに狂喜乱舞していた。
ちなみに使った魔法は上級炎魔法。
それを詠唱省略で放つという暴挙だった。
すると当然、反動も凄まじいわけで。
この後、強烈な反動に襲われた。
アストラルファイアの比ではない。
嘔吐感が腹に百烈拳乱れ打ちを放ってくる。
ハート様の痛ぇよぉ状態だ。
ちょっと待て、これマジでやばい。
肩慣らしもせずに上級魔法を使うのは失策だった。
準備体操なしで、ヒマラヤ登頂並みの愚挙だ。
気持ち悪い。
ひたすら内臓が気持ち悪い。
酔いを超越した不快感。
地面にうずくまり、胃からせり上がったものを吐き出す。
周囲の連中が悲鳴を上げる。
俺を中心にして、全員がバックステップ気味に遠ざかった。
ドン引きだ。
いくらでも非難するがいい。
そしてザマァ見やがれ。
底辺貴族にSランク取られるってどんな気持ち?
頭のおかしい試験ばっか作りやがって。
だが、腐りきった試験体制も、俺の前では塵も同然。
辺りから一斉に激しいブーイングが飛んでくる。
ククク、笑うがいい。
今さら恥も外聞もあるものか。
だけど、俺も鬼じゃない。
ほら。ちょっと一つだけ。
ワガママくらい言っていいだろ。
簡単なお願いだ。
誰か……酔い止め持ってない?
結果から言って、誰も持ってなかった。
当然だ。
フラフラしながら歩き、壇上から降りようとする。
すると案の定、足を踏み外して落下した。
階段転げ落ちは人生で、二度目である。
トラウマが蘇るな。
エリックが肩を貸してくれたので、俺は立ち上がることが出来た。
だがその後、エリックも俺の嘔吐にはドン引きしていたことを思い出し、
俺はいたく傷心したのであった。
テメェこの野郎。
――第四百二十回、王都魔法学院入学試験。
【合格者一覧】
……………………――22点獲得
ジーク・ハルバレス・ラジアス――34点獲得。
…………………………――26点獲得。
……………………――24点獲得。
レジス・ディン――21点獲得。
エリック・ヘイトリッド――23点獲得。
………………――25点獲得。
イザベル――33点獲得。
………………
…………
……
…
全124名。
以上の者達の、当学院への入学を認める。