第九話 ちょいデレ
俺は今、非常に落ち込んでいる。
この悲しみを、どう表現すればいいのだろうか。
自信喪失ここに極まれり、といったところだ。
対策不足だったのは否めないが、
まさかここまで苦しめられることになるとは思わなかった。
あえて言おう。
俺の不合格がほぼ確定になったと――
「血の涙が出てんぞ」
「……はっ!?」
大広場の端で寝っ転がっていると、上から声が降り注いできた。
エリックだ。
鬱陶しそうな顔をしながら、落ち込む俺を見下ろしている。
エリックの方から話しかけてくるとは珍しい。
何か用でもあるのだろうか。
そう思ったが、単に俺がエリック御用達の昼寝場所を確保したから、
邪魔だと思っているのだろう。
しかし、ここは日当たりがいいな。
惰眠をむさぼるのも分かる心地よさだ。
今は泣きたい気持ちでいっぱいだけどな。
さっきの属性別魔力適性試験の結果が、あまりにもひどすぎたのだ。
「どうした? B判定を出して、気分上々だったんじゃねえのか」
「そういうお前は、どうだったんだよ。基礎魔力試験の結果は」
「Cだ。あんなお遊戯試験なんかで、点を稼ぐ必要なんてねえ」
「それは俺も思ったけどさ」
一次試験の結果が悪くても、余裕を残している者。
そういう奴は一番得点率の高い属性別の試験に自信を持っている。
しかし、俺の場合はそうもいかない。
準備不足で挑みことを強いられたため、
この属性別の試験対策が間に合わなかった。
つまり俺からすれば、この第二試験こそが最大の鬼門だったのだ。
属性の得意不得意に偏りがあり、
その上適性の修行なんて全くしていなかった。
当然、試験は非常に微妙なものとなり、次のような結果になった。
俺は評価が下された紙を眺める。
属性別魔力適性試験・火……B判定
属性別魔力適性試験・水……D判定
属性別魔力適性試験・土……E判定
属性別魔力適性試験・雷……C判定
属性別魔力適性試験・風……E判定
どんな修行をしたらこんな穴ぼこ判定が出るのだろうか。
俺が出した結果とはいえ、思わず聞きたくなってしまう。
いや、もちろん原因は分かっている。
ウォーキンスは、俺が勉強する魔法を火と雷に絞っていた。
その上で、全ての修行は『熟練』を上げるものばかり。
最初から高得点を望めるはずもなかった。
しかし、流石にこれはひどい。
土と風がE判定って何だよ。
ほぼ素人同然ってことか。
使いまくっていた火と雷は、辛うじて少し高めの評価が出たけど。
そんなものは慰めにもならない。
俺の結果を見て、エリックは眉をひそめた。
「酷いなこれ。どんだけ偏った魔法勉強してたんだよ」
「俺もそう思う」
「というかお前……今までの得点が低すぎて、
もうどうやっても21点に届かないんじゃないか?」
エリックが容赦のない指摘をしてきた。
あえて触れないようにしてたというのに。
彼は一つ一つ足し合わせて、俺の合格の難しさを解説していく。
「今の時点で総計が15点だろ。
てことは、次の試験でA判定を出しても20点で失格じゃねえか」
「そうなるな」
ここにきて21点の壁が立ちふさがるとはな。
楽に超えられるとは思っていなかったが、
ここまでの苦戦も予想していなかった。
『熟練』を評価に加味してくれれば、確実に合格できたのに。
上層貴族の怠け者に合わせて、『適性』ばかり重要視した結果がこれだよ。
試験システムがあまりにも鬼畜すぎる。
話を変えるため、エリックの方に話を振る。
「ちなみに、そういうお前はどうだったんだよ」
「あ? 全部C判定で合格圏内だ。
最後の総合魔力試験でもBは確実に出せるだろうしな。まず落ちねえよ」
オールC判定か。
悪くない評価だな。
バランスよく、点を拾いに来ていたのだろう。
きっちり対策している辺り、こいつも本気で合格しに来てるんだな。
俺が感心していると、エリックは顔に暗い影を落とした。
「……それに、オレは合格しなきゃいけねえんだ。
どれだけかっこ悪くても、惨めな目に遭ってもな」
そう言って、エリックは拳を握り締める。
とんでもない力で、爪が皮膚に食い込んでいた。
しかしその決意じみた行動の反面、エリックの顔はどこか悲しみに満ちている。
「さて、そろそろ最終試験だ。
お前はどうするんだ? 不合格が決まった今、尻尾を巻いて帰るのか?」
エリックは意地悪げに訊いてくる。
俺が諦めると思っているのだろうか。
俺が反駁しようとした瞬間、横から声が飛んできた。
「おやおや、あれだけ威勢がよかったのに。もう息切れですか」
出たな、陰湿野郎。
王都三名家筆頭、ジーク・ハルバレス・ラジアス。
この王都魔法学院において、重要な意味を持っている人物だ。
表立って悪事を働いているわけではないので、
こいつの家はホルゴスよりも敵が少ない。
ラジアス家と張り合っても、非難されるのは俺だろう。
あまり貴族の家関連でゴタゴタを起こしたくない。
事を構えたら、シャディベルガ達に迷惑がかかるからな。
だから敬遠してたってのに。
向こうから寄って来られたんじゃ避けようがない。
「ジークか。次の試験が近いぞ。準備してなくていいのか?」
「いいんですよ。僕はもう合格が決まりましたから」
「なに?」
「最初の試験でA判定。
属性別試験は、全ての項目でA判定。
現時点で30点を獲得していますので、もう休んでいてもいいくらいですね」
「……ほぉ」
こいつ、やっぱり根本からして他の貴族とは違うな。
最初に会った時に分かってたけど。
ウザいことを言ってくるが、身体から溢れ出す魔力は上質のモノだ。
試験対策をしているのもあるんだろうが、天性の才能を持っているんだろう。
でないと、そんな高得点は取れやしない。
「温い試験でしたね。
どうやら隣のご学友も、合格点に達しそうな様子ですが」
「…………」
ジークはエリックに粘ついた視線を送る。
しかし、エリックは黙って目を瞑って、それを無視していた。
完全な無反応に、ジークは喉を震わせて笑う。
「ふふ、言葉も未習得な下民は困りますね。
喋らない人間というのは、さして獣と変わりませんよ」
「…………」
「なぜ下等な庶子がこの学院を受けているのか、少し疑問だったのですが。
どうやら誰かの推薦を受けているようですね」
「…………」
一貫したリアクションだ。眉一つ動かさない。
なるほど、エリックの対応は有効みたいだな。
俺も無口キャラになれば、人に絡まれることも少なくなるやもしれん。
エリックが釣れない反応を取るので、ジークは俺に矛先を変えてきた。
「不合格お疲れ様です。滑稽でしたよ。
そろそろ時間なので行きますが、それではごきげんよう。
――人生の転落者殿」
恭しく辞儀をして、ジークは踵を返した。
奴の姿が消えると、目を瞑っていたエリックがようやく動きを見せた。
そんな彼に、俺は素朴な疑問を投げかける。
「エリックさ。腹が立たなかったのか? 冷静に聞き流してたけど」
「あんなもん、悪口でもねえよ。
人のいる所に俺が行けば、それだけで他人は石を投げてくる。
言葉なんかでヒビが入る心なら、俺もどれだけよかっただろうな」
自嘲的に笑うエリック。
暗い過去が、見え隠れしては消えていく。
なんだよ、苦しむくらいなら話してもいいんだぞ。
俺が解決してやれることじゃないのかもしれない。
でも、辛い経験を聞いてもらうだけで、心が楽になったりすることもある。
俺の心配を他所に、エリックはもう一度訊いてきた。
「で? お前は帰るのか。あのお偉い貴族の言う通りに」
その言葉を受けて、俺はしばらく考える。
確かに、ここに至ってしまった今、足掻くのも難しい。
だが、本当にこんな所で引き下がっていいのか。
悪どい試験とはいえ、そんなモノに屈していいのか。
それ以上に、セフィーナの病気を直す物品への足がかりから、
あっさりと撤退していいのか。
答えは否だ。
それに、その選択は俺の信念に反する。
俺は、怠惰に生きないと決めたんだ。
こんな中途半端な所で管巻いててどうする。
確かに俺は冗談で人生を送って来た。
これは前世からの悪癖だ。
今さら直しようもない。
だが、俺は本気を出さないなんて、一度も口にしたことはない。
そろそろ力を入れていくとしよう。
「冗談言うなよ。行くに決まってるだろ。俺の合格は確定事項だ」
「ははッ、嫌いじゃねえよ。そういう鋼の精神はな」
「てか、エリック。お前普通に話しかけてきたよな。
鬱陶しいんじゃなかったのか?」
「なッ!? バ、バカ言え。
俺は試験に落ちた貴族のアホ面を拝みたかっただけだ」
「そうか」
俺はゆっくりと立ち上がる。
ここから挽回するのは不可能かもしれない。
それこそ、奇跡が起きないとあり得ないだろう。
だけど――俺は前世でプレイしたゲームの内容を思い出す。
奇跡はそう簡単に起きない。
起きないから奇跡と言うのだ。
眼と脳にしみる言葉だ。
これが世間一般における普通の認識だろう。
俺だって一時は共感したものだ。
でも、それに異を唱える観念を、俺はある日知ったんだ。
奇跡は存在しないとほざく人間には、二人のタイプがいる。
一人は、奇跡が偶然の絡まりあった一つの必然であるということを理解しようとしない者。
そしてもう一人は、奇跡を起こそうと努力しなかった者だ。
認識しろ、そして存在を信じろ。
それが奇跡への第一歩になる。
俺はエリックに向かって声を発した。
「――レジス・ディン」
「あ? どうしたいきなり」
「合格者名簿に並ぶ名前であり、俺の名前でもある。覚えといてくれよ」
「……チッ、捻りのない名前だな。分かったよ」
エリックは頬をポリポリと掻く。
どうやら覚えてくれたようだ。
俺は苦笑しつつ内心で決意を反芻していた。
不合格だと誰が決めた。
まだ俺の試験は終わっちゃいない。
諦めない限り、何度でも立ち上がって挑んでやる。
俺はエリックに並んで、最終試験に向かって歩き出したのだった。
◆◆◆
最終試験はとても簡潔だ。
審査員が耐久度の非常に高い壁を召喚する。
それに対して、受験者が一発の魔法を放つだけ。
結果として、壁にヒビが入れば儲けもの。
というか、ヒビが入る時点でA判定が確定らしい。
それほどまでに異常な硬度なのだとか。
中堅の魔法師なら、壁を揺らすだけで大金星だろう。
試験場所に行くと、すでに多くの受験者が全力を尽くしていた。
一人ずつ壁の前に立ち、自分の修得している最強の攻撃魔法を放つのだ。
現に今、一人の貴族が壁の前に立っていた。
「回る独楽は踊りて狂う。飛び出す小刃、其が身を刻め――『スピンアトップ』ッ!」
中堅くらいの貴族が魔法を放った。
魔力で強化された独楽が、門を蹂躙していく。
しかし、門は揺れもしない。
独楽の刃は次々と折れ、ついには動きを止めてしまった。
魔法自体は悪くないんだけどな。
込める魔力が圧倒的に足りてない。
ちなみに俺は逆だ。
無駄に内在する多くの魔力が、時々暴発して俺を苦しめてくる。
汗びっしょりになった貴族に向かって、審査員が冷酷に評価を下す。
「D判定」
すると、貴族の顔が悲壮一色になった。
ガクリと膝から崩れ落ち、その場で涙を流し始める。
「くっそぉおおおおおおおお! あと一点、あと一点だったのに!」
「邪魔だ、試験が終わったら去れ」
「第一試験でCまでしか出ないのが悪いんだ!
どうして必死に勉強してきたのに、ここで落ちなければならない!
なぜ私より実力が下の貴族が合格して、私が不合格なんだ!」
泣き崩れた貴族が地面を叩いた。
おそらく、真面目にこの試験を突破しようと苦慮してきたのだろう。
多少不平等な面があっても、必死に頑張れば突破できると。
だが、そんな淡い願いを無惨に崩すこの試験システム。
審査には一定の基準があるらしく、それに反する判定は流石にできない。
しかし今みたいに微妙な動きをした場合、
上納金を納めてないと不利になるみたいだな。
よく見たら、最後に少し壁は揺れていたように思う。
だが、それでも審査官はD判定をつけた。
これは、上層貴族じゃない奴は相当頑張らないと突破できないぞ。
前の順番が終わり、俺達の番が近づいてくる。
その時、ある男が最終試験に挑もうとしいるのを見かけた。
俺達より少し早く出発したジークだ。
奴は壁の前に直立し、静かに魔法を詠唱した。
「聖なる星は天を満たす。
力に惹かれし彼の月は、魔石となりて大地に落ちる――『メテオストライク』」
あたりの人々がどよめく。
あれは修得が難しい『星魔法』。
俺も実物は初めて見た。
属性的には無属性に近い。
しかし、扱いの難しさも可能性も天井知らずだ。
重力を一時的に支配する魔法も、星魔法に分類される。
高位魔法師が使う、格好いい魔法の代名詞的存在だ。
それをこいつは、苦もなく詠唱してみせた。
やはり、威張り散らすだけの実力は持っているようだな。
詠唱が終了した途端、ジークの魔力が遥か頭上に集結する。
とんでもない密度で凝縮された魔力は、凶暴な月へと姿を変えていく。
それは数秒後、神速をもって地面に落下していった。
目標は壁へ。
一気に加速した星が、門にクラッシュする。
とんでもない轟音。
壁が激しく揺れ、反対側へ倒れそうになる。
しかしそこは異常な硬度を誇る守りの壁だ。
何とか元の位置へ戻った。
だが、焼け焦げた表面が浮き彫りになっている。
「……すごい」
「さすが王都三名家。私達とは根本から違う」
「……あれでまだ発展途上? どれだけの魔法師になるのやら」
次々と称賛の声が飛び交う。
俺とジークは黙って壁を眺めていた。
明らかに魔力が足りてなかったな。
あれは星魔法の真の威力ではない。
恐らく修得には成功しているが、扱いはまだ初心者といったところか。
属性の補正だけで殴った感じだ。
そこに魔法に見合った魔力が込められてないと、
使いこなせたということにはならない。
審査員も一応それは分かっているようだ。
基準に照らし合わせ、苦い顔をして宣告する。
「B判定!」
辺りから落胆の声が漏れる。
『オールAまであと少しだったのに……』と本気で落ち込んでいる者もいた。
素敵な取り巻きだな。
大樹に寄って甘い蜜をすってる連中か。
前世にもいたよ、お前たちみたいなのがな。
グループで結束して、派閥に属さない輩は徹底的に排斥してきて――
一人で青春を過ごす覇道を歩んできた俺は、よく連中のカモになったものだ。
まあ、後でピザの配達にかこつけて仕返ししてやったけどな。
玄関にパルメザンチーズを塗りつけてやったりもした。
トロトロのチーズが塗りつけられて、さぞ嬉しかったことだろう。
どこから足がついたのかは知らんが、翌日学校でリンチされたけどな。
やっぱり人間、復讐なんて考えるものじゃない。
しかし、壁もかなり頑丈なんだな。
ヒビが入ってたらAだったのに。
星魔法の本来の力なら、余裕だったんじゃないだろうか。
それは本人が一番分かっているようで、
ジークは少し残念といった様子で頬を掻いていた。
「……ふぅ、無理せず得意な火魔法で勝負するべきでしたね。
この魔法で安定してAを取るのは、まだ難しいようです」
あれで、本気ではない。
その実力を間近で見せられた中堅貴族は、がっくりとうなだれた。
ジークの乱入前に落胆していた貴族は、ショックでそのまま失神にまで至る。
すぐさま担架らしきものが運ばれてきて、その場からどかされた。
また来年どうぞってことか。
受験料として大量の金を毎年搾り取られたら、とても敵わないな。
「次はオレだ。あの壁を壊せばいいんだろ」
「おや、先ほどの下民ですか。
絶望に沈む様を、ゆっくり見させて頂きましょうかね」
「…………」
エリックの無視戦法は再開された。
さすが一貫している。
エリックが取り合わないのを見て、ジークはゆっくりと彼から離れた。
それに呼応して、エリックも前へ進み出る。
平民出身というのが見て分かるのか、審査員は明らかに嫌そうな顔をした。
大丈夫かエリック。心象は最悪みたいだぞ。
これは相当に文句なしの結果を出さないと、
D以下の判定を喰らう可能性がある。
しかし、エリックの表情は落ち着いたものだ。
彼は安物で傷みきったローブに手を入れ、
古びた魔法書を引っ張り出したのだった。
「――開け、万魔の門」