第八話 試験開始
無駄に広々とした大広場。
普段は演習場や模擬決闘などに使われているらしい。
そこそこの規模の農場がすっぽり入ってしまいそうな大きさだ。
俺とアレクが到着した時には、もうかなりの人数が集まっていた。
その数、ぱっと見で約500人。
こんなに貴族血縁者がいたのか。
と思ったが、この数もそうおかしくはないか。
王都だけでなく、辺境貴族の次男坊とかも受けに来てるんだから。
とりあえず腰を落ち着けられそうな所を探す。
キョロキョロ辺りを見渡していると、アレクが俺の肩を叩いた。
「ん、どうしたアレク」
「我輩は少し馴染みに挨拶をしてくる。
嫌いな奴の方が多い場所じゃが、少しは卒業者としての役割を果たさねばな」
「ああ、行ってらっしゃい」
「汝も試験を頑張るのじゃぞ」
嫌じゃのー、と肩を落としながらも、アレクは関係者の詰所に歩いて行く。
それを見届けて、俺は辺りの散策を開始した。
ここに集まった面子の歳は、18から23くらいが多いな。
最低限の年齢が15なだけで、
本当に下限年齢で受けてくる奴がいないということだろう。
何やら一回の試験にかなりの金がいるらしいし。
シャディベルガが少し金の工面に頭を悩ませていたからな。
その努力を無駄にしないためにも、一発で合格を決めないといけない。
アレク曰く、俺の場合は相当頑張らないと不合格から逃れられないらしい。
対策も何にもしてないから、当然といえば当然なんだけど。
演習所の端の端。
そこに行くにつれ、底辺貴族たちの顔が多くなってくる。
何というか、眼が死んでるな。
合格を最初から諦めてる感じだ。
上層貴族が圧倒的有利な試験と聞いたが、
アレクもウォーキンスも詳しくは教えてくれなかった。
これくらい、自分で突破しろということだろう。
燃えてくるな。
辺りを見渡していると、ある人物を発見した。
演習所の端っこに、一本の木が生えている。
そこの根本に、一人の少年が転がっていたのだ。
目当ての人物を発見。
俺は滑りこむようにしてそいつの元に行った。
「よおエリック」
「……チッ」
俺の顔を見て、エリックは舌打ちをした。
そして俺から目を背けるように寝返りをうつ。
何というか、予想通りすぎる反応だ。
しかし、俺は諦めない。
隣に腰を下ろし、話を続ける。
「昨日は本当にありがとな。お陰で文無しに成らずに済んだ」
「こんなことなら、助けるんじゃなかったぜ。
ウゼェよ、俺みたいな庶民相手にしても金にならねえぞ」
「金なんて幸福を生む手段の一つだろ。
俺はそんな物より、友達が欲しいと思っててな」
「……友達ぃ?」
心底バカにしたような眼で見てくる。
こいつめ、さては友人が多すぎてその有り難みを忘れてやがるな。
許せん。
実に許せん。
前世の話だけど。
俺はあまりに友達がいなさ過ぎて、
クリスマスに靴下の中へ『友達が欲しいです』、
って紙を書いた紙を入れて、ワクワクしながら寝てた過去があるんだぞ。
靴下を居間に置いたものだから、翌日には焼却処分されてたけどな。
懐かしい話だ。
あの時はグレてたからな。
落書きスプレーってどこに置いてるんだろうと真剣に思いつめた程だ。
結局諦めて部屋に引きこもり直したけど。
「ああ、友達が切実に欲しい。物凄い勢いで欲しい」
「そんなこと言ったって、現時点で何人いるんだよ」
はて、そう言われると困るな。
少し数えてみるか。
シャディベルガ、セフィーナは除外。
ウォーキンスも使用人という扱いだから悲しくも除外。
エドガーとイザベルは文句なしのはず。
と言うことは――
「二人、かな」
「……ちょっとお前が悲しすぎて、直視できなくなっちまったよ」
不意に目頭を押さえるエリック。
意外と涙脆い奴め。
俺に友達がいると聞いて、嫉妬のあまり涙が出てきたか。
大丈夫だ、お前にもいつかできるって。
そして俺がなってやるって。
いやごめん、訂正。
友達になってくださいお願いします。
靴だって磨きますから。
「そういうエリックは何人いるんだよ」
「あ?」
「友達だよ」
「……いねえよ。そんなもん」
「一人もか? 今までの経歴を含めてだぞ。ほら、昔とか」
「……昔の、こと」
エリックはボソリと呟き、遠い目になった。
晴れた空を見ているのだろうか。
いや、違うな。
眼の焦点が明らかに定まっていない。
怪訝に思ってみていると。
いきなりエリックの眼から一筋の涙が流れ落ちた。
唐突に流れた雫に、自身も驚いている。
エリックは慌てて涙を拭う。
「……んだよ、これ」
「あッ……悪い。嫌なこと思い出させちゃったか?」
「そんなわけ、ねえだろ。
それにこれは、ゴミが目に入っただけだ。
この歳になって泣くわけえねえだろうが」
とっさに顔を背けるエリック。
どうやら、何か辛い過去を持っているようだな。
あまり刺激するのも良くない。
俺は慌てて話題を変えた。
顔を隠すエリックに向かって、明るい声で訊く。
「ところで。エリックって何歳なんだ?」
「……十五だ」
「おお、一緒だな。てか、下限年齢で受けるって凄いじゃん。
あの魔法なんて、一回も見たことなかったし。
どこで覚えたんだ? あれ」
「教えたらますますオレがゴミ扱いされる。教えねえよ」
そっけなく拒絶されてしまう。
なかなかデレてくれないな。
こういう奴はどうやって攻略すればいいんだ。
思い出せ。
ツンデレ系を陥落させるために、
俺はPCゲームでどのような選択肢を選んだのかを。
やっぱり褒めて褒めて褒め殺すのが一番か。
そこで照れた所を、更に褒めちぎる。
こうやれば大抵のツンデレヒロインは落とせるはずだ。
そこまで思い至って、俺は大切なことを思い出した。
こいつ、男じゃん。
どうやって仲良くなるかを考えるあまり、
PCゲームに重ねて考えてしまってたけど。
ダメだ、とてもエリックに適用はできそうにない。
ならば、こいつの魔法について考えてみよう。
今エリックは俺に詳細を教えることを拒否した。
つまり、こいつが修得しているのは相当貴重な魔法なんだろう。
カラクリや成り立ちがバレたら、不都合になるほどに。
なにやら他の可能性も隠されてそうだけどな。
「……チッ、興が冷めた。場所を変えて寝る。ついてくんなよ」
「あ、おい――」
俺が止めるのも聞かず、エリックは立ち去ってしまった。
最後まで、涙を流した顔を隠していたな。
気丈っぽく見えたのだが、繊細な面もあるようだ。
仕方がない。
もう一人の待ち人に挨拶をするか。
でも、会場の中に人が多すぎて探しきれない。
早く見つけないと。
そう思った瞬間、耳に嫌な声が響いた。
「――時間になりました。
これより第三百八十回、王都魔法学院入学試験を開始します」
◆◆◆
説明しよう。
結果から言って、イザベルと会うタイミングを逸してしまった。
主に俺がぶらつき過ぎたのが原因だな。
面目ない。
開始前に会う約束を交わしていたのに。
まあいい、そのうち会えるだろう。
試験によって、受験者は厳しく選抜されるのだ。
有象無象は勝手に転げ落ちてくれるはず。
人が少なくなってきた所で、イザベルを探せばいいのだ。
それに、試験の方式によっては、試験最中に会えるかも知れない。
言い訳を脳内で繰り広げていると、厳然とした声が届いてきた。
「――第一試験項目は、『基礎魔力試験』です」
来たな、アレクが『王国の腐敗』と唾棄した試験。
いったい何が問題なのかは分からない。
上層貴族を除く全ての受験生が、良くてCランクまでしか取れないという噂だ。
基礎魔力を計るんなら、普通に探魔石を使うはずなんだけど。
いや、王都の魔法学院なんだから、『同職連盟』の水晶だって揃えられるはずだ。
にも関わらず、最悪の試験と忌避される原因は何なのか。
真剣に考えていると、アナウンスで説明を開始された。
「これから皆様には、無属性魔法で特殊な水晶を攻撃して頂きます」
そう言って運ばれてきたのは、重厚な水晶球。
受験生の視線がそこへ集まる。
見た限り、同職連盟の水晶ではない。
あれを使えば、魔力を数値化して確認できるらしいのだが。
でも、この水晶は作りからして違う。
「魔法攻撃後の、水晶の破損度で評価をつけます。
またお断りしておきますが、攻撃に使用できる魔法は『無属性』のみです。
何らかの属性の力を借りたりするのは、問答無用で失格となります。
ご注意ください」
「……なに?」
疑問が思わず声に出てしまった。
無属性魔法?
それって、アレだろ。
才能が殆ど無くても、魔素を魔法に作り替えれるなら、誰でも発動できる魔法――
だったか。
魔法書の入門編の端にちょろっと書いてあって、
中級編からは存在すら抹殺されてる超低級魔法。
使う価値もないので、完全に忘却していた。
だってあれ、あまりに幅が狭すぎて専用の魔法書すら出てないんだからな。
その上、習得のためには超高額な修行道具がいる。
無属性魔法の起源を知れば、誰だって辟易することだろう。
昔々、どこかの富豪が、ドワーフ鉱山という大陸一の鉱石地帯で石を発見した。
何の色にも染まらず、土魔法の魔素すら纏っていない稀有な鉱石。
富豪は興味を持って、その石から水晶を錬成させた。
するとまあ、水晶の光ること光ること。
富豪はその水晶を研究者に調べさせた。
すると、石が妙な魔素を内部に含んでいることが発覚した。
それにより、『無属性』という未知の魔法型が確認された。
水晶に触れながらイメージや詠唱を続けていると、
徐々に無属性魔法に向いた魔力が形成されていく。
そして出来上がったのが、『無属性魔法』だ。
その効果たるや、驚く無かれ。
まさにゴミの一言。
属性の加護を受けていないため、魔力の伝導率がかなり悪い。
三年きっちり修練を積んでも、物を壊せる程度の威力にしかならず。
それ以上は威力も精度も頭打ちで、全く旨味のないゴミ魔法だ。
しかも訓練をしなければ、マトモに発動させることさえ難しい。
唯一の利点といえば、魔法の才能がからっきしの奴でも使えるということくらい。
ちなみに修行道具である水晶は、お値段がなんとディン家の運営予算数年分。
原石がドワーフ鉱山で年に二、三個しか取れないせいだな。
誰が買うんだよ、そんなガラクタを。
最初に無属性魔法の話を聞いた時、そう思ったものだ。
しかし、そこまで思い至って、この試験の真意に気づいた。
才能のない貴族が合格するには、どういう試験が最適なのか。
やっと理解した。
これは、相当タチが悪いぞ。
急激に焦りがこみ上げてくる。
「……汚ないな、おい」
なるほどな。
例えば、魔法の才能がなくて、入学試験を突破できない貴族の御曹司がいたとする。
家が裕福であれば、無属性魔法の修行に特化した設備も揃えられるだろう。
頭のおかしい水晶とか水晶とか水晶とか。
金に物を言わせ、ひたすら無属性魔法の修行に時間をつぎ込めばどうなるか。
答えは簡単。
才能に関係なく一定の結果を出せる。
それに対して、他の一般魔法師達はどうだ。
覚える価値もない無属性魔法なんかに、わざわざ取り組みたくもないだろう。
しかも修得には専門の道具が必要で、とんでもなく高額の出費を必要とする。
ゆえに、普通の人は無属性魔法の修得を最初から視界に入れていない。
なるほどな。
ウォーキンスやアレクが、なぜこの試験の詳細を教えてくれなかったのか。
やっと理解できた。
こんなもん、たとえ事前に下調べしていたとしても、下級貴族には対策のしようがない。
どれだけ実力があっても、金を持っていないと苦労することになるわけだ。
逆に裕福な貴族は、まず無属性魔法を幼い頃に修行させ、
A評価を安定して取れるようにしておけば圧倒的優位に立てる。
そこから普通の魔法を成長とともに教えれば、試験対策は簡単に終了。
うむ、人を舐めきってやがる。
何という上層優遇システムだ。
反吐が出るな。
「では皆様、順にお並びください。試験を開始いたします」
その瞬間、あちこちで気合を入れるような声が発せられた。
水晶球が5個用意されている。
その前に試験官が立ち、受験者を5列に並ばせた。
あまり待たされるのも嫌なので、少し前の方に並んでおく。
すると一人目の受験者が前に出た。
明らかに下層から中層くらいの中堅貴族。
あれでは無属性魔法対策なんてしてないだろうな。
純粋に、自分の体内に眠る魔力をぶつけるしかない。
無属性の修行をしてないから、伝導率が目も当てられない程酷いのは必至だろうけど。
一人目の受験者は、静かに詠唱を開始した。
水晶に手を当て、ボソリとつぶやく。
「――ハァッ!」
更に気勢を上げる一声。
無属性魔法を、やはり一つも覚えていないようだ。
つまり、基礎の魔法量で勝負するしかない。
結果、水晶はびくともしなかった。
少し光が灯るだけで、ヒビすらも入らない。
受験者の目に焦りの光が宿る。
「……ぐっ」
魔力の放出が辛いのだろう。
持続が不可能になったようで、大きく息を吐きだして魔法をキャンセルした。
すると、審査員が水晶球を丁寧に検分し始める。
よーく見れば、ほんの少しヒビが入っているようだ。
一ミリ程度っぽいけど。
水晶球を睨め回した審査員は、冷たく評価を言い放った。
「D判定」
「……そ、そんな。くそ、くそぉ!」
悔しがる受験生。その眼には涙が浮かんでいた。
そんな彼をあざ笑うかのように、隣に一人の人物が歩み出た。
豪奢な服装に、華美な紋章が入った篭手をつけている。
周りの反応を見てみると、下層貴族は明らかに嫌悪の視線を向けていた。
それらを無視して、その人物は魔法を詠唱した。
「――『ロック・スロー』」
すると、手のひらから凝縮された魔力が迸った。
無属性魔法を修得しているようだ。
塊となった魔力は、石のような形になる。
そしてそのまま、勢いを落とさずに水晶へとぶつかった。
激しい音がして、破片が飛び散る。
魔法を解除して、その人物は乾いた笑い声を上げた。
審査員がすかさずチェックし、損傷具合に応じた評価を出す。
「B判定!」
周囲からどよめきの声が漏れる。
注目を背に受けながら、その貴族は髪を掻き上げた。
そして、今しがたD判定を食らった下級貴族を嘲笑する。
「帰れよ、下等貴族。家の名前に泥を塗りたくないならな」
「……ぐ、畜生ッ!」
中堅貴族は、そのまま泣きながらどこかへ行ってしまった。
試験放棄か。
問答無用で不合格になりそうだけど。
そんなに簡単に諦めていいのだろうか。
俺の思考をよそに、次々と受験生が第一試験を受けていく。
悲喜こもごもな声が大広場に響き渡る。
その内訳を言うと、七割が悲しみと憎悪で、三割が喜びと嘲笑だった。
凄いな、これだけ差別が明らかになってるのに。
審査員含め、職員たちは何も言わない。
制度自体もおかしいし、運営の仕方自体も違和感がバリバリだ。
きっと大量の金を掴まされているのだろう。
「次ー、次。あなたですよ」
不意に職員から声をかけられた。
おお、もうあれだけの人がもう受け終わったのか。
もっとも、俺の列の奴は、九割がたが涙をのんだようだけど。
ショックのあまり、何人か姿を消した受験生もいる。
俺は小さく返事をして、前へ歩み出た。
すると、周囲の高位貴族達から低い声が飛んでくる。
押し殺された侮蔑の声が、耳元に鳴り響いた。
「……出たぞ」
「……没落貴族筆頭のような家めが。どうせ対策もできておらんだろう」
「……当然だろう。せいぜい恥を晒すがいいさ」
おお。熱い声援だな。
そんなに言われると、是が非でも期待を裏切りたくなってしまう。
俺としてもそれが望ましいのだが。
この状況では厳しいかな。
とりあえず、アレクにはC判定を取れと言われた。
だけど、どんな理由があれ、こんな貴族どもに負けるのは嫌だ。
気分が穏やかではない。
「早くしてください。次が詰まっておりますので」
冷たく審査員が言ってくる。
さっきの上位貴族相手には、平身低頭だったのに。
随分と対応を変えてくるんだな。
別に気にしないけどな。
俺は水晶に手をかざすと、そのまま魔力をぶつけた。
詠唱をするまでもない。
無属性魔法なんて一つも習得してないんだから。
どれだけ頑張っても一緒だ。
「ふぁいあー」
とは言え、一応掛け声だけは出しておいた。
イメージは火魔法を打ち出すときの感じ。
実際に出ている魔力は、くたびれたホースから出る水みたいになってる。
三十年ものの風呂場のホース並の勢いだ。
泣けてくる。
あれって、水の調整間違えるとビタンビタン攻撃してくるんだよな。
脳内の想像では、クロスブラスト級くらいの魔力をつぎ込んでるんだけど。
属性の恩恵を全く受けれてないので、威力が弱すぎる。
とは言え――少しづつ効果が現れてきたな。
水晶球が小さく震え、その体に亀裂が入っていく。
それを見て、上位貴族が冷や汗を流した。
「……おい、今ヒビが入らなかったか?」
「……見間違いだろう。ゴミから出る汚い魔力だ。見ていると目が穢れるぞ」
「……女っ気もない”童貞”が。注目を浴びようと必死か」
最後の言葉。
それが、俺の耳に入った刹那、額に青筋が浮かんだ。
今こいつ、俺になんて言った?
俺がこの世で一番嫌悪している暴言を、俺に浴びせかけたか?
童貞。
女性と性的接触を持ったことがないこと。
またその人。
そんな侮蔑を俺に投げかけてきたか?
ダメだ、それだけはダメだ。
俺はどれだけ侮辱されようとも、それを耐え切る自信がある。
一ヶ月毒舌ツアーなんてものを開催されても、最終日までピンピンしていることだろう。
だけどな、その言葉。
その言葉だけは、看過出来ないんだ。
怒りで全筋力が収縮する。
それに呼応して、身体から多くの魔力が流れ出してきた。
絶対に許さん。
俺は勢いのまま、全魔力を打ち出した。
「童貞って、決め付けんなやぁアアアアアアアアアアア!」
痛い目に遭わせてくれる。
童貞って言った奴、後で死ぬほど後悔させてやる。
あの世への片道切符を用意してやろう。
停留所なしのノンストップだ。
自分の発言をよく考えろ。
童貞?
なんだその呪詛の文言は。
それだけはな、絶対に言っちゃいけない禁句なんだよ。
話してやろうか。
その言葉が遥か昔、どれだけ俺を苦しめたかを。
お前にとってはただの悪口だったのかもしれない。
口走ってしまっただけの失言なのかもしれない。
だけど、それでも世の中には絶対に口にしてはいけない、禁忌の言葉がある。
俺にとっては、童貞がそれだ。
発言した輩を睨みつける。
すると、奴はピンポイントで目をつけられたことに驚いたのか。
ビクンと身体を震わせた。
そんなことで萎縮するなら、初めからそんなことを言うんじゃねえよ。
確かに俺はお前らの言う通り、性方面には疎い。
だけど、それを馬鹿にされる言われなんてどこにもない。
絶対にないんだ。
トラウマをほじくり返される怖気がする。
憤怒の心が沸き上がり、遂に臨界点を迎えた。
「これが童帝の実力じゃあああああああああああああ!」
本気の絶叫。
もはや恥も外聞も関係あるか。
認めよう、俺に性的接触経験はない。
だがな、俺はただの童貞では終わらん。
俺は誇り高き童帝だ。
それに。その風潮だけは。
経験がないことを悪とするその風潮だけは。俺は許すことができない。
冗談抜きでな。
いくら冗句が過ぎても、それだけは言っちゃいけなかった。
収束しかけていた魔力が、急速に勢いを増す。
全ての魔力を撃ち出さんばかりの暴圧。
莫大な魔力が、水晶球に強烈な衝撃を与えた。
――ビキッ
水晶球の右側面がごっそり欠けた。
それは破片となって周囲へと飛散する。
爆竹のような弾け方だ。
その直後、うまい具合に俺の悪口を言った連中の悲鳴が聞こえた。
どうやら破片が突き刺さったらしい。
狙ってなかったんだけど。
やはり天罰が下ったか。
これに懲りたら、二度とその言葉を口にするな。
俺が汗を拭っていると、審査員が目を見開きながら言った。
「……び、B判定」
その一言に、下級貴族から歓声が沸き起こった。
無属性魔法を知らない限り、絶対に出ないはずのB判定以上。
それを見事に打ち破った。
ただし、手段はありえない程に原始的だったけどな。
無属性魔法を覚えていなければ、魔力を飛ばしても最低の威力しか出ない。
伝導率が圧倒的に劣ってしまうのだ。
だが、そんな伝導効率を無視出来るだけの魔力を注ぎ込めばどうなるか。
答えは簡単。
何の小細工もなく、正面から水晶を破損させた。
最初はC判定が出るかも怪しかったのだが。
これだけの結果が出れば大金星だろう。
しかし、下位貴族は何かが不満だったようで。
俺に対して援護の声が次々と飛んでくる。
血気盛んな地方貴族が、眼の前の審査員に噛み付いた。
「ふざけるな審査員! 今のは確実にA判定並みの壊れ方だったろうが!」
「貴族の格で差別するのは、良くないと思われます!」
「そうだ! 試験だけでなく審査員も腐ってるのか!」
高まってくる糾弾ムード。
試験官たちの制止も聞かず、評価を下した審査員に詰め寄っていた。
確かに、ちょっと評価が厳しかったかもしれない。
さっき高位貴族が水晶球の一部を吹き飛ばしてたけど、ちゃんとA判定が出てたからな。
しかし、それに劣らぬ破損をさせた俺の力技は、あまり評価されなかったみたいだ。
不満を持っていた下級貴族たちが、次々と罵声を飛ばす。
上位貴族もとばっちりを食うのは嫌なみたいだ。
暴徒から離れて、仲間内で下位貴族の品のなさを嘆いている。
職員も困ったようで、
『学院関係者を?』
『馬鹿か。第一試験は私達に任されている』
『それに、連中を呼ぶと適切な評価をしてしまうだろう』
とヒソヒソ話している。
壇上に上がってる俺には丸聞こえなんだけどな。
てか今、言っちゃダメな言葉が出てきたろ。
適切な評価をしてしまうってなんだよ。
お前ら全員金掴まされてやがるな。
学院本部も文句を言わないのか。
いや、腐敗上層貴族が圧力をかけてるから、これだけの非道試験がまかり通るのか。
王都三名家も大だって反対していないみたいだし。
底辺が騒いでも、もみ消されるだけだろう。
「黙れ貴様ら! 失格にするぞ!」
「やってみろよ。
俺達が失格になって次の連中がちゃんと評価されるなら、喜んで礎になってやるよ!」
「そうだそうだ!」
いよいよ試験官たちの顔が苦しくなってくる。
仕方がない、学院関係者を呼ぶか。
そういう雰囲気になりつつあった。
だが、それを打ち破る存在が現れる。
突如、轟音が大広場に響いた。
結晶質のモノが砕け散る音。
欠けるとかヒビが入るとか、そんな小さな話ではなかった。
超凝縮された魔力が、水晶を粉々に破壊する。
パラパラと破片が舞い散る中で、そいつは皮肉げに笑っていた。
「蝿がうるさいせいで、少し無粋な壊し方になってしまいましたか。
しかし、A判定が欲しければ、これくらいしてもらわないと。
――そうですよね、皆さん?」
その言葉を受けて、まず王都出身の下位貴族が声を上げるのを止めた。
もはや脊髄反射に近い。
小さい時から『逆らってはいけない存在』として教えられてきたのだろう。
俺が一度シカトした男。
そして満を持して試験を受けに来た、大貴族の姿がそこにはあった。
「じ、ジーク殿。A判定ッ!」
この大広場に絶望が渦巻いた。
そう。鎮圧に学院関係者なんて最初から必要なかった。
魔法学院は、最初からこいつと一部の人間を中心に回っているのだから。
ジークは壇上に俺の姿があるのを見つけ、挑発するように近づいてきた。
「やっぱり来ていたんですね。没落貴族君」
「当然だろ。俺はこの学院を卒業する必要があるからな」
「卒業、ですか。それにはまず、入学しないといけないのですよ?」
ジークは俺をニヤニヤと見下しながら、優越感に浸っていた。
どうやら、俺より上の成績が出せてご満悦のようだ。
器が小せえな。
俺はそうやって誰かと比較されるのが大嫌いだ。
反吐が出る。
男に絡まれても全く嬉しくないんだよ。
性転換して出直して来い。
ジークが乱入したことにより、完全に反逆の火種は消えた。
ここで騒げば、問答無用で失格にされてしまう。
しかもその後、どのよう咎めが待っているかわからない。
下位と中堅に位置する貴族は、完全に戦意を失ってしまっている。
第一次試験の結果。
下級貴族は軒並みC以下の判定が出たのだった。
多くの若者が涙を飲み、会場から逃亡した。
魔法学院のシステムにケチをつけたことが、バレたくなかったみたいだ。
そんなに呆気なく逃げるんかい。
それなら最初から野次を飛ばすなよ。
そう思いつつ、俺は試験官からもらった紙を眺めていた。
スタンプラリーはあと6つ。
試験で言えば、あと2つ。
いい滑り出しが出来たとは思うが。
問題は次だな。
適性ナッシングの俺が、どれだけ肉薄できるかだ。
第一試験にB判定が押された紙を手に、俺は空を眺めていた。
気分は泣きゲーの主人公である。
感動を誘いながら難関を突破するアレだな。
それを真似するように、俺は無駄に爽やかな雰囲気で空を仰いだのであった。
――見ていてください。俺がこの試験を突破する所を。
受験表。※再発行不可。
受験者名……レジス・ディン
出身地……王国西部辺境地域ガリディクト
年齢……15
試験結果↓
基礎魔力試験……B判定
属性別魔力適性試験・火……未判定
属性別魔力適性試験・水……未判定
属性別魔力適性試験・土……未判定
属性別魔力適性試験・雷……未判定
属性別魔力適性試験・風……未判定
総合魔力試験……未判定