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第六話 スリと魔導書

 

「じゃあエドガー。行ってくる」

「頑張ってきてくれよ。お前がいなければ、あたしの店の移転はご破算だからな」

「俺ありきの移転ってのはどうなんだろうな……」


 翌日。

 俺は早起きしていた。

 開始時刻までは十分に時間はある。

 遅刻はないな。

 かつて遅刻魔人として名を馳せた俺にしては、いい起床だ。


 エドガーに見送られ、中央街方面へ行く。


 この八年間で、大分潰れた店も多い。

 俺が暗殺者を撃退するのに一役買ってくれたナイフ。

 ジルギヌス家のナイフに似ていた品を扱っていた店は、跡形もなく潰れていた。

 他のテナントも入らず、古びた『雑貨店』という看板がぶら下がっているだけ。

 仕方ないけど、物事の廃りはやっぱり悲しいな。


 王都魔法学院は、王城に程近い場所にある。

 そこに行くまでは、しばらく歩かなければならない。

 失念していたけど、どこかでアレクと合流しないといけないな。


 試験のシステム自体は聞いているが、やはり不安は拭えない。

 プロフェッショナルと行動しておくに限る。

 ぼんやりと考え事をしていたからか、ふと正面から来た通行人にぶつかった。

 当たりが強く、一瞬ふらついてしまう。


「……っと。すいません」


 反射的に謝ってしまう。

 間違いなく前世の癖だ。

 卑屈さが全く抜けない。


 しかし通行人は、俺に脇目もふらず走り去った。

 こんな朝早くから、ずいぶんな急ぎだな。

 呑気に思考していると、背後から鋭い声が飛んできた。


「待てよ、テメェッ!」


 若い少年の声。

 後ろを振り向いてみると、新品のローブを着た少年が立っていた。

 いや、走っていた。

 獣を思わせる敏捷性で、男に向かって疾走していく。


 年のほどは俺と同じくらい。

 赤い瞳に銀色の短髪。

 がっしりとした体格で、身長も高かった。


 少年はローブの中から魔法書を取り出すと、目の前の男に狙いを定めた。

 俺にぶつかった男は、少年の姿を認めて逃走の足を早くする。

 なんだ、何かやましいことでもあるのか。


 人混みに紛れようとする男。

 それを見た少年は、舌打ちをして魔法書を広げた。


「――開け、万魔の門」


 その瞬間、少年の身体から爆発的な魔力が溢れた。

 ローブの下から、闘気がひしひしと伝わってくる。

 男が停止しないのを見て、少年は魔法を詠唱した。


「罰を受けるは人の理。

 受けざる者には断罪が必然。

 愚石の戒めあれ――『ジェイド・ザジム・スペルミン』」


 言い切った瞬間、男の頭上に何かが現れた。

 魔力で超圧縮された大石だ。

 それが男の頭頂部に襲いかかる。


「ぎゃあッ!」


 空からの不意打ちに、男が転げ回った。

 そこへ少年が走りより、胸元を締めあげる。

 傍から見ればチンピラにしか見えない行動だ。

 しかし、次の一言で場の空気を一変させた。


「盗った物、出せよ」

「わ、分かった! 分かったから!」


 男は慌てて懐から何かを取り出した。

 大量の財布に、アクセサリ。

 男の風体は明らかに貧民街のもの。


 しかし、出てきた物品は、全て黄金色に輝く貴金属ばかりだ。

 身の丈に合っていない高級品。

 明らかに盗品だな。

 ジャラジャラと落ちてくる獲物に、少年はため息をつく。


「……貴族専門か。

 北の貴族街付近で仕事するなよ。失敗したら死ぬぞ」

「弟達が腹空かせて待ってんだよ!

 やらなきゃどっちみち死ぬんだ! ほっといてくれ!」

「……そうか」


 そう言って、少年は懐に手を入れた。

 チャカでも出すつもりか。

 一瞬そう思ってしまったほど、彼が男に向ける視線は凍てついていた。


 しかし、少年が取り出したのは決して物騒なものではなかった。

 彼が手に握っているのは、それなりに厚みのある革財布。

 それを男に放り投げ、ただ一言呟いた。


「行け」

「み、見逃してくれるのか?」

「別に。詰所に突き出してもオレは一向に構わない」

「くっ、畜生!」


 憎しみと感謝がない混ぜになった男の瞳。

 仕事を妨害した少年が、なぜか恵みを与えてくれる。

 矛盾の中で混乱しつつも、男は路地裏に消えていった。

 少年はその中から一つの財布を取り出し、俺の方へ歩いてきた。


「ほらよ、お前のだろ」

「……ぬお、いつの間に」


 差し出された財布。

 それにはディン家の徽章が縫い付けられていた。

 間違い無く俺の物だ。

 あの男にスられてたのか。

 今の今まで気づかなかった。


 こいつは逆に、見てたっていうのか。

 俺が盗まれる所、そして何がスられたのかまで。

 凄まじい動体視力だな。


 それに、さっきの呪文も気になる。

 独特の韻が踏まれた詠唱は、今までに聞いたことのないものだった。

 最後には魔法名を添えて、魔力を増幅するのが普通なのに。

 こいつは人物名を叫んでたな。


 『ジェイド・ザジム・スペルミン』。

 確か、古代の哲学家だったか。

 帝国の圧政に嫌気が差し、諸国をめぐって学問を開いた人だ。

 最後は王国にひっそりと暮らし、そのまま死んだらしい。

 政界への進出を嘱望されていたが、きっぱり断ったそうだ。

 当時の国王はそれに敬意を評し、

 本来は功績が高い地方貴族に贈る『ザジム』姓を彼に名乗らせたとか。


 聞いたこともない呪文に、全く異なる詠唱形式。

 興味が募るばかりだった。


「ありがとう、助かったよ」

「礼は結構。ぼさっと歩いてんなよ」

「それでさ、さっきの魔法――」

「じゃ、精々気を付けるんだな。

 あんたらが害を被ったら苦しむのはオレたち平民なんだ」


 俺が歩み寄ろうとした瞬間、少年はそっけなく後ろを向いた。

 話したくない。

 そんな意思表示にも見える。


 まずい、不愉快なことを言ってしまっただろうか。

 友達の少ない俺のことだ。

 人との付き合い方に未だ慣れないし。

 何か失言や不手際があったのかも知れん。


「悪い。なにか気に触ったか?」

「そうじゃねえよ。

 オレはな、貴族っていう人種が死ぬほど大嫌いなんだ」


 少年の顔に影が差す。

 彼はため息を吐くと、忠告するように言ってきた。


「頼むから、これ以上奪わないでくれ。

 オレにはもう、何も残ってないんだから」


 淡々とした口調。

 それでいて、凄まじい怨嗟の念がこもっていた。

 明らかに異常。


 思わず一歩後ずさってしまう。

 そんな俺の反応を見て、少年はこちらに背を向けた。


「様子から言って、学院入学希望の同輩みたいだな。

 会場でオレを見ても、放っておいてくれよ」


 そう言って、そのまま歩き去ろうとする。

 これ以上、話したくもないといった様子だ。

 しかしその瞬間、俺は無意識に名前を尋ねていた。


「お前、名前は?」

「……エリック。エリック・ヘイトリッド――」


 エリック。

 やはり聞いたことのない名前だ。

 エリックと名乗った少年は、振り向きもせずに脇道に消えていった。


 何か礼をしたかったんだが。

 あっという間に消えてしまったな。

 残念。


 言ってることが暗い割に、やってることは人助けだったという。

 どこかのダークヒーローみたいな雰囲気を漂わせていた。

 妙な奴だ。


 しかし何となく、あいつとは気が合いそうな気がした。

 変人同士だから波長が噛み合っている、というわけではなく――

 簡単な意味で、もっと話してみたいと思うような相手だった。


 格好から見て、恐らく彼も入学志望者なんだろう。

 しかし、平民を名乗っていたな。

 入学資格はあるのだろうか。

 案外、俺と同じ手法なのかもしれない。

 どこかの研究者の推薦でも受けてるのかな。


 まあ、縁があればまた会うだろう。

 一人で納得して、歩を進めようとする。

 しかし、なぜか背後が騒がしい。

 野次馬が通報でもしているのか。

 そう思って確認してみると、貴族が複数人駆けつけてきていた。


 路上に放置された金品を慌てて拾っている。

 続いて到着する私兵たち。

 犯人を探しているのだろう。

 あたりの通行人を捕まえて、喚き散らしている。


「……っと、まずい」


 巻き込まれるのも面倒だ。

 あの勢いじゃ、強制的な職質を始めかねない。

 末恐ろしさを感じつつ、俺はこっそりと走り去ったのだった。

 

 

 

      ◆◆◆

 

 

 

「……ゲホッ、ゴホッ。

 久しぶりの快走で肺がヤラれたか。

 ちょっと運動してないだけで、ごらんの有様だよ」


 文句を言いつつ、深呼吸をする。

 中央街まで一気に走り抜けたので、体力がゴリゴリ削れた。

 ここで余力を削るのは本意ではないというのに。


 まあ、時間内に辿り着けそうなので良しとしよう。

 汗を拭っていると、頭上から声が降り注いできた。


「何をアホみたいに走っておるのじゃ」


 人を小馬鹿にしきったロリ声。

 間違いない。

 俺の推薦人、アレクサンディアだ。


「アレクか。おはよう」

「うむ」


 アレクは空中に浮遊していた。

 腕を組んだまま俺を見下ろしている。

 高位魔法師の自覚だろうか。

 アレクはいつも人を上から見下そうとする。


 しかし、こいつのローブは丈がとても短い。

 当然そんな空中浮遊をしながら俺の上にいれば、パンツが見え……ない。

 いや待て、違う。

 この娘……まさか。

 穿いていない、だと?


 次の瞬間、俺は体内からありとあらゆる体液を吐き出した。

 そのまま地面に倒れ伏す。


「ぐぼろはいやぁッ!」

「なんじゃいきなり。……おお。鼻血が、凄い鼻血が」


 止めどなく溢れてくる血潮。

 手で抑えるものの、止まる兆しを見せない。

 朝から刺激的なものを見せるなよ。

 心が乱れて試験に落ちたらどうしてくれる。


「お前、下着は?」

「そんな物を穿いたら、我輩から溢れ出る魔力が遮られてしまうじゃろう。

 もっと我輩の偉大さを、下賎な者に知らしめてやらんといかんし」

「溢れ出るってお前、普段は魔力を全部隠してるじゃん」

「その通り。じゃからこそ、開放する時に一層際立つじゃろ?」

「……ろ、露出狂や。ホンマモンの露出狂がここにおる」


 自慢げに、ふふんと鼻を鳴らすアレク。

 何か崇高なワケがあって、穿かない主義なのかと思ったのに。

 下着を付けない理由がかなり酷かった。


 魔力を人に見せつけるために薄着だと?

 俺の場合、副産物として他のものが見えそうになってるわけだが。

 まあ、成長したらいつか羞恥心が芽生えるだろ。


 こいつも生物学上は女なんだから。

 時間が解決してくれるさ。

 ん、待てよ……成長?


「アレク、お前今いくつだっけ」

「んー、歳を聞くか。もう面倒臭くて数えておらんぞ。

 とりあえず大陸が十六国だった時にはもう、バリバリ前線に出とったかの」


 ああ、ダメだ。

 そう言えばこいつは、存在が古文書みたいな奴だったっけ。

 今更矯正なんて無理か。

 てことは何だ。俺は露出狂の変人研究者に推薦されているわけか。


 すげえ、全く嬉しくないのはなんでだろう。

 同類と思われたら血の涙を流しそうだ。


「とりあえずお前、他人の前であんまり浮遊するなよ」

「んん? なんじゃ、嫉妬か。嫉妬しとるんか?」

「安心しろよ。未来永劫そんなことは絶対にないから」

「くく、大丈夫じゃ。我輩は下僕と認めた者の上にしか行かんからな」

「……そうかい」


 俺は下僕その一ってか。

 大陸の四賢様の考えることはよく分からん。

 無駄に長い時間生きやがって。


 いや、違うな。

 こうも考えられるか。

 発想の転換だ。亀の甲より年の功。

 こいつの見識なら、俺の悩みを解消する情報を知っているかもしれない。


「なあアレク。お前エリック・ヘイトリッドって奴を知らないか?」

「知らんな」

「やっぱり……か」

「ただ、ヘイトリッドという名前は聞いたことがあるかの」

「本当かっ!? どこで聞いたんだ」

「覚えておらん」


 しれっと答えるアレク大魔法師。

 耄碌もいい加減にして欲しい。

 エリックが抱いている貴族への敵対心について、何か分かると思ったのに。


 まあいい、思い出したら話してくれるだろう。

 溜め息をつきながら、歩を進めていく。

 すると、前方に長大な建物が見えてきた。


 天を衝くような巨大建築物。

 その周りを取り囲む数多の大講堂。

 さらに周囲には宿舎が立ち並び、荘厳な雰囲気を放っている。


 ここが開設されたのは、四世紀も前。

 それ以来、400年以上に渡り国を守護する人材を養育してきた。


 ――王都魔法学院。

 そこは俺が思っていたものよりも、三倍の規模を誇っていた。

 圧倒的な迫力に、首が疲れるのも忘れて見上げてしまう。


「……なんじゃ? 早く入らんか」

「いや、大きいんだな。学院って」

「何を言っておる。ここは入り口じゃぞ。

 奥の方に行けば、更なる巨大施設が山のようにある」

「な、なんだと……」


 この建築物たちが、氷山の一角だと?

 一体どれだけの敷地に建てられているんだ。

 俺が抱いていた学院像っていうのは、こう……。


 垢抜けた男女が楽しそうに青春を謳歌し、

 その背後でボッチが寂しく日常を消化する場所。

 そんなイメージだったのに。


 まあ、大学に行けなかった俺が語るのもおこがましいんだけど。

 とりあえずこの学院は、俺の予想を大きく超える組織ってわけだ。

 震えが止まらん。

 こんな場所に、伯母さんやウォーキンスたちは通っていたのか。


「圧倒されてどうするんじゃ。さっさと行くぞ」

「あ、おい! ちょっと待てよ」


 どこ吹く風で壮大な門をくぐるアレク。

 俺を置き去りにして、スイスイ進んで行きやがる。


 頼むから、俺を一人にしないでくれ。

 ウサギ並みの寂しがり屋なんだぞ。

 ふてぶてしさで格付けをすればクリムゾンラビッツ級だけど。

 誰か見知った人が近くにいないと、公共の場にいるのも辛いんだ。


 本当は闘技場で挨拶したりした時も、かなり精神的に参ってた。

 あの時は暗殺者との対決に酔っていて、なんとか誤魔化せたけど。

 今はそうも行かない。


「おい、ちょッ。この、待てっての!」


 足の早いアレク。

 その背中がどんどん遠ざかっていく。

 この野郎、俺の存在はお構いなしか。


 ならば見せてやろう。

 かつて最寄りのコンビニへ行く途中に疲労骨折を成し遂げた――俺の健脚を。

 俺は学院の門をくぐり、慌てて後を追ったのだった。

 

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