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第四話 王都へ

 

「由々しき事態じゃな」

「マジで?」


 俺は今、屋敷で一息ついている。

 まだ日も暮れていなかったので、昼寝でもしようと目論んでいた。

 そんな時に、データをまとめ終わったアレクから召集がかかった。


 ちなみにシャディベルガは、吹き飛んだ研究所の一部の補填作業に追われている。

 あんな異空間で研究なんてしてたら、そりゃあ爆発くらいするよな。

 それぞれの研究員が納得行く結論を出す時には、

 鉱山が更地になっているんじゃないだろうか。


 目の前でアップルティーらしき茶をすするアレク。

 彼女は憮然とした態度で俺を叱責した。


「学院の入学には普通10年がかりで対策をするものなのじゃが。

 汝はまず、入学試験がどれほど厄介なのかすら理解しておらんようじゃな」

「いや、聞いたことくらいはあるよ。得点獲得式の試験だろ。

 種目が大きく3つに分かれてるんだっけ」


 その種目で獲得した総合点で、合格の是非を決めるのだ。

 審査項目は全7つ。

 それらにAからEの5段階評価で点をつけるらしい。

 一見簡単で、裏もないように見える。


 しかし、王都三名家の一つであるラジアス。

 そこが300年くらい前に、とんでもない改革を施した。

 それによって、試験は上位貴族を優遇する、差別的なものになった。


 猛威を振るっていた名家の決定に、他の二家も反論しなかったという。

 と言うより、パワーバランス的にラジアスに異議は唱えられなかったはずだ。


 改革が行われた結果。 

 システム自体は変わらないものの、

 上層貴族は少し魔法の素養があれば、

 少し努力すれば入れるようになったらしい。

 無論、下位貴族は死ぬほど努力しても、合格できないことがザラ。

 恐ろしい話だ。


 詳しいことは、手持ちの資料では調べられなかった。

 色々と抜け道があるといいんだけど。

 俺のような没落貴族は、一体どうやったら合格できるんだろうか。


「汝がどれほど危機的状況にあるか。

 それを我輩が教えてやろう。心して聞け、レジス」

「お、おお。ばっち来い」

「まず一つ目。汝が最初に受ける試験であり、

 王国の腐敗が目に見えて明らかになった証。

 ――『基礎魔力試験』じゃ」


 おどろおどろしく言ってくる。

 だけどそれを聞く限り、別におかしなところは感じない。

 基礎魔力だろ。

 単に、魔力を多く秘めている奴が有利な試験じゃないのか。


「まず言っておこう。

 汝はこの試験、どれほど頑張っても絶対にCまでしか点を取れん」

「どういうことだよ」

「教えても面白くない。己の眼で見て確かめよ。

 次に、この試験最大の合否の分かれ目。

 ――『属性別魔力適性試験』じゃ」


 俺の疑問を一蹴して、次の試験の話に移ってくる。

 属性別、魔力適性試験。

 さっき研究所で、属性別の探魔石でさんざん計測されたな。

 アレはこのためだったのか。


「これがまた才能を潰す試験でな……。

 知っての通り、属性魔法には『適性』と『熟練』の、二つの成長余地がある」


 ああ、それは知っている。

 適性が高ければその属性魔法自体の威力も上がり、詠唱に伴う反動が減りやすい。

 熟練が高いと、その属性魔法に対しての防御力が上がり、詠唱速度も格段に早くなる。


 この二つは修行法が全く違い、特に経験を積みにくいのは後者の熟練だ。

 俺が予備知識を持っていることを確認して、アレクは冷たく告げた。


「汝の魔法進捗状況を見るに、熟練を超重視しているようじゃな」

「ああ、そうだよ」


 ウォーキンスの指導で、熟練の底上げを最重要課題にされている。

 高位魔法師同士の戦いだと、防御力の高い奴が勝負を制するらしい。

 一撃で敵を倒せるかもしれない状態と、致命傷の危険がない状態。

 実戦では後者が断然有利になるらしい。


 いかに攻撃を最小限に抑えつつ、魔力を切らさず敵の体力を削り取れるか。

 対人戦を考えた場合、熟練を上げておく修行が重要なのだそうだ。


 それ故に、俺は日夜瞑想を繰り返し、極限まで熟練を高めていた。

 おかげで、多少の下位魔法――特に火属性と雷属性ならば、

 眉一つ動かすこと無く受けきる自身がある。

 でも、アレクはそれに不満を持っているみたいだ。


「これにどこか問題があるのか?」

「最、悪ッ、の修行内容じゃ。指導者に難ありじゃな。

 魔法の修行をさせるなら、将来魔法学院へ進むことを念頭に置いておくはずじゃ。

 確かに数百年前の試験であれば熟練さえ高ければ試験が突破できた。

 しかし今の試験体系じゃと、むしろ適性が重視されておる。

 我輩を越える年寄りの考えた育成方法じゃとしか思えん。

 ……レジスよ、一体汝の師匠は何歳じゃ」

「いやぁ、さあ?」


 とりあえずごまかしておく。

 師匠の年齢? んなもん俺が教えて欲しいわ。

 てかそう言えば、ウォーキンスがなかなか帰ってこないな。

 散歩にしては長すぎると思うんだけど。


「まあ、まとめるとな。

 腐敗貴族が己の子息たちを入学させるために、

 比較的短期で上昇が見込める『適性』を重視する試験にねじ曲げたのじゃ。

 我輩の見立てじゃと、汝の魔法適性は凡人並みに低いッ!」

「な、なんだと!?」


 納得行かない。

 なんだよそれ、試験で重要視するのは適性?

 俺がこの十五年間積んできた修行は、ほとんど熟練を上げるものなんだぞ。

 勝手に試験内容を自分好みに改正しやがって。

 私欲で国の制度を動かすなよ。


「熟練はもはや異常なまでに高いようじゃが。

 この『属性別魔力適性試験』において、熟練など全く役に立たぬ」

「や、役に立たない?」

「言うなれば穀潰しじゃ」

「穀潰し!?」


 そこまで貶めるか。

 しかもその言葉、前世で俺が受けた罵声回数No.1にランクインしてるからな。

 地味に心が痛んでくるぞ。


 しかし、ウォーキンスが試験の改正を知らないってことがあるか?

 あいつの穴の無さは折り紙つきなんだぞ。

 明らかに、何らかの意図があるはず。

 だけど、何の理由があってあいつは教えてくれなかったんだ。


「最後じゃ。汝が高得点を取れそうなのはこれしかないの。

 ――『総合魔力試験』。

 これは学院創始以来、一回も手を加えられず君臨する試験方法じゃ。

 やることは簡単。己の持てる力すべてを持って、指定された物を打ち壊す」

「おお、それなら何とかなりそうだな」

「しかし、じゃ。基礎魔力試験は出せてもC判定。

 属性魔力適性試験は目も当てられんことになるはず。

 この二つの弱点を埋めるのは少々難しいぞ」

「い、今から適性を上げるのは不可能なのか?」

「無理じゃな。熟練に比べて上げるのが簡単というだけじゃからの。

 数日でひゅんひゅん上がっていけば、誰だって高位魔法師じゃ」

「……だよなあ」


 なんてこった。

 血の滲むような修行で、魔法の基礎力を鍛えてきたっていうのに。

 『基礎魔力試験』なんて冠してるくせに、熟練は一切評価に関係ないだと?


 そりゃあ、普通の奴は適性と熟練をバランスよく上げて行ってるんだろうけど。

 俺はただの熟練馬鹿なんだぞ。

 一体全体、どうしてくれる。


 しかし、一杯食わされたな。

 お兄さんめちゃくちゃ熟練に自信あるのに。

 そこらの魔法師に負けないくらい魔法詠唱早いのに。

 強烈な一撃を受けても耐え切れる自信あるのに。

 でも、入学試験に応用できないんじゃ意味ないよな。


「はぁ……。

 我輩はあまり俗世間に手を貸すとマズいのじゃが。

 しかし、腐敗貴族の思惑に踊らされるよりはマシじゃろう。

 シャディからの期待もあるしの。無下にはできん。

 喜ぶのじゃ。我輩が汝でも合格できそうな、素晴らしい戦略を立ててやった」

「さすがですッ、アレクサンディア先生!」


 光の早さで丁寧語をつけた。

 さすがにシャディベルガが満を持して呼んできただけのことはあるな。

 空から飛来するだけの偏屈ロリ野郎かと思っていたが、何のことはない。

 頼り甲斐のある、優しい年上さんじゃないか。


「まあ、先に言っておくのじゃが。

 まず汝は自分のことをゴミと思え」


 すごい発言が出てきたんだけど。

 ちょっと待ってよ。前言撤回だよ。

 どこにも優しさなんてなかった。

 大体、俺がゴミ野郎だなんて事くらい、とっくに理解してるっての。

 それこそ、前世からな。


「ゴミにはゴミなりの合格への道があるってことじゃ。

 早い話、試験はそれぞれC判定を出せば合格できる基準になっておる」

「お、思ったより簡単なんだな」

「得意不得意があるからの。そう簡単にはいかんじゃろう。

 まあ、AからE判定を1から5点と置くとじゃな。

 7項目あるから、合格点は21じゃ。このギリギリの点を取る算段を立てるぞ」

「了解だ」


 身分の差を乗り越えたと思えば。

 今度やってきたのは、試験内容の鬼畜さか。

 しかし、こんな所で躓くわけにはいかない。

 俺は食い入るようにしてアレクの説明を聞いた。


 その結果、俺の合格プランは次のようになった。

 まず、第一試験である基礎魔力試験は、意地でもCを取る。

 なぜC以上が取れないのかは、頑として教えてくれなかった。

 『何でも人に聞けば解決すると思うな』、って怒られてしまう始末だ。

 睨まれた瞬間、身体の至る所が縮み上がった。

 ひゅんっ、ってなった。恐ろしい。


 続いて、一番配点が高い『属性別適性試験』だ。

 これはもう、気合で一つでも上のランクを取るしかないらしい。

 熟練しか修行してきてないなんて言っても、試験の内容は変わらない。

 言い訳はせず、ひたむきに頑張ってみるか。


 ちなみにここまでで6項目。

 それらで16点を取れとの話だ。

 これ以下の点を取った瞬間、不合格が確定するのだと言う。


 最後の、『総合魔力試験』。

 これはもう、純粋に実力勝負だ。

 溜め込んだ魔力を好きな属性でぶちかませばいいだけ。

 俺の総魔力を結集すれば、Aが確実に取れる試験と言われた。

 わーい、アレクのお墨付きだ。

 当てにならねえ。


 説明が終わると、アレクはティーカップを置いた。

 そして、警告するようにして言う。


「周りの貴族――とくに汝よりも明らかに実力が劣る連中が、

 次々と高得点を取ることじゃろう。しかし、気にするでない。

 もともとこの試験が、上層貴族に圧倒的有利な作りをしておるのじゃから」

「分かった。俺も全力で試験を乗り越えるよ」

「その意気じゃ」


 たとえ俺のように権力もなく、

 適性の修行なんて殆どやってなかったボンクラでも、

 合格くらいは出来るはず。

 いや、出来ないといけないんだ。


 絶対に、首席を獲得してやる。

 俺の心中は、猛々とした熱気で燃え盛っていたのだった。



 

      ◆◆◆

 


 

 二週間後。

 アレクは寝泊まりを鉱山の研究施設でしているため、

 フラフラしていても出会うことはなかった。


 しかし、いざアレクが屋敷に来ようとすると、

 ウォーキンスはいつの間にか姿を消していた。

 何か因縁でもあるのだろうか。


 アレクの方は、あまりウォーキンスのことを気にしていなかったけど。

 ていうか、面識がないのかもしれない。


 ちなみに、今日はもう出立の日だ。

 試験はまだ数日先であるが、移動時間を考えると、もう行かないとまずい。

 荷物を詰め込み、脇に抱える。

 そして、隣で見守っているシャディベルガに挨拶をした。


「じゃあ、親父。行ってくる」

「ああ、気をつけろよ」

「一年だ。一年で竜神の匙を持って帰ってきてやるからな」

「無茶はしないようにね。元気な顔をまた僕に見せてくれ」

「はいよ」

「……レジス、その前に」


 その時、シャディベルガの顔が張り詰めた。

 言い難いことを、言おうか言わまいか迷っている時の表情だ。

 俺は肩をすくめて聞き返した。


「どうした」

「セフィーナなんだがな。今日はもうすっかり意識がない」

「……そうか」

「今までお前はセフィーナに会って来なかっただろう。生まれたとき以来、一度も」

「そうだな」


 そう。

 俺は生まれたとき以来、セフィーナの顔を一回も見たことがない。

 しかも自我が芽生えたのは、生後一ヶ月後くらい。


 だから、俺はセフィーナの姿を一回も見たことがないのだ。

 もちろんそれには理由がある。

 彼女は常に喀血する姿を俺に見せたくなくて、赤子の時は会うのを遠慮していたらしい。


 そして俺が修行を開始してからは、

 弱った姿を見て動揺させたくなかったから、会うのを禁じていたそうだ。

 どうしてそんなに不器用なんだ。

 そう思ったりもした。


 だけどシャディベルガは、『セフィーナは昔からそうだったよ』と苦笑するだけ。

 どうやら彼女は、自分の好意を上手く表現できない人だったみたいだ。

 俺の邪魔をしたくないあまり、自分を縛ろうとしている行動。


 だけどな、それは俺にとって見れば寂しいことだ。

 親の顔が見たくない子供だっているだろう。

 だけど、親の顔を二度と見たくない子供は、少ないはずだ。

 となると、大好きな親の顔を見たくない子供なんて、それこそ希少だろう。


 何が言いたいかって言うと――俺はセフィーナに会いたい。

 だけど、それは俺が胸を張って、自分を誇れるようになってからだ。


「レジス。セフィーナは今寝ているから、こっそり入れば気づかない。

 出発前に一目見ておくか?」

「……いや、遠慮しておくよ。母さんの配慮を無駄にしたくない」

「彼女の身体の衰弱度は、かなり危ない状態に迫りつつある。それでもかい?」

「だからこそだ。

 その病を完全に治せる方法を手に入れてから会うのが、一番で印象的で素敵だろ」

「……言うな、お前も。

 確かに、セフィーナもそっちの方が嬉しいだろう」


 ふっ、とシャディベルガは肩の力を抜いて笑う。

 セフィーナを助けるために、俺はこれから学院に行く。

 俺の目的を邪魔する奴がいたら、容赦なく叩き潰してやる。


 色々と約束も溜まっているし、王都で一気に果たしてしまいたいな。

 そして、まだ見ぬ友人作りに胸を躍らせている。

 あまりがっつくとボッチさがにじみ出てしまうので、あくまで冷静に。

 たっぷりと余裕を持って、右手は添えるだけだ。


 いざ外へ出ようとする。

 しかしその瞬間、俺はあることを思い出した。


「あ、やばい」

「ん? どうした」

「参考書を一冊詰めようとして置いてたのがあるんだよ。忘れるところだった」


 いかんいかん。

 合格するつもりで行くというのに。

 教材を忘れたらお終いだろう。

 書庫の端に積んでいたはずなので、一直線に向かう。


 その時窓の外を見たら、

 馬車の前で退屈そうにアクビをするアレクの姿が見えた。

 推薦人として、彼女も同行してくれるらしい。


 階段を駆け上がり、書庫へ。

 目当ての物を見つけたので、すぐに脇に抱える。

 するとその時、背後から声が聞こえてきた。


「レジス様」


 聞き慣れた透明感のある声。

 ウォーキンスだ。

 見送りに来てないと思ったら、ここにいたのか。


「おお、行ってくるぞウォーキンス」

「はい、お待ちしております。

 私の教えたことでは対応しきれない試験もあるかと思いますが、頑張ってください」

「任せとけよ。師匠に恥は欠かせないって」

「……レジス様」


 彼女は俺の名前を呼んでくる。

 まるで儚くて、大切な物であるかのように。

 不審に思っていると、ウォーキンスの表情が少し曇った。

 彼女は少し熱っぽい吐息を吐きながら、不安そうに尋ねてくる。


「私がレジス様に適性のことを教えていなかったのには、理由があります」

「分かってるよ。信頼してるからな。

 特に突っ込んだことも訊いたりしない。俺は俺の出来る事をするだけだ」


 いつも一方的に教えてもらっている側なんだからな。

 文句を言うなんておこがましい。

 大体、教えなかった理由だってあるはずなのだ。

 それを責めるような人間にはなりたくない。


 俺の言葉を受けて、ウォーキンスがいきなり身体を預けてきた。

 ただし、いつものような安心感が、少し淡い。

 何というか、いつもの彼女とは少し違った。


「……ウォーキンス?」


 体調でも悪いのだろうか。

 シャディベルガと同じで、いつも働き詰めなのだ。

 たまにはゆっくり休んで欲しい。

 そう思っていると、ウォーキンスは耳元で何かを囁いてきた。

 その言葉は酷く妖艶で、脳を直接揺らす怪しさを持っていた。


「――もう少しで万物が塵の価値と化す世界になります」


 ボソリと。

 それだけ言って、俺から離れた。


 彼女の瞳は、いつもは銀色。

 その髪と同じ、美しい鉄の色。

 しかし今は、赤と金色を綯い交ぜにしたような色になっていた。

 前にも一度感じたことがある。


 ――喰われる。


 そう直感させる本能的圧迫。

 妙にウォーキンスの言葉が頭に残っていて、離れない。

 何だ、この感覚は。


 それが、俺に適性を上げる修行をしてくれなかった理由なのか?

 それにしては、妙に含みがあった。

 しかも、今の言葉を聞いた瞬間、背中一帯に鳥肌が立った。


 何だったんだろう。

 俺がウォーキンスに対して、安心感以外を感じるなんて。

 よく解らない。

 だけど、とりあえず俺が今するべきことくらいは分かる。

 その証に、外から催促の声が聞こえてきていた。


「レジス、早く来るのじゃ! 置いていくぞ!」


 お転婆娘が、馬鹿でかい声を飛ばしてくる。

 あれのどこに大陸の四賢の風格があるのか。

 知れば知るほど疑わしくなっていくな。


「そういえばウォーキンス。アレクとは面識があるのか?」

「ないですよ。全く、一片も、微塵もないです」

「そっか」

「……でも、他の縁はありますけどね」

「え?」

「何でもないです。行ってらっしゃいませ、レジス様」


 スカートの裾をつまんで、敬礼をするウォーキンス。

 最後の言葉は何だったのだろうか。

 あんな500年以上生きてる化け物と、縁があるだと?


 いや、特に意味は無いのかもしれない。

 深く考え過ぎだな。

 ウォーキンスはディン家の使用人であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 俺の杞憂グセは、どうにかならんものか。


「ああ、行ってくる」


 後ろを振り向いた瞬間、彼女の気配が急に希薄になった。

 驚いて振り向くが、ウォーキンスの姿はそこにある。

 どうやら、人に気づかれにくい魔法を使っているみたいだ。

 アレクに会いたくないからだろうか。

 どうしてあいつから隠れるんだ。


 まあいい、今考えても仕方がない。

 階段を再び降り、セフィーナの部屋の前へ。

 『不起の病み床』を発症して十五年。

 長い間激痛に耐えてきたセフィーナも、ここ数日は意識を飛ばすことが多いらしい。


 起きていても喀血ばかりで、激痛で四六時中うめいているのだという。

 そう、彼女の時間は十五年前で止まってしまっている。

 俺を産んで、体調を崩した所に罹った――死の病。

 彼女の時の流れを正常に戻せるかは、俺の行動にかかっている。

 俺は扉に額を預けて、ボソリと呟いた。


「待っててくれよ、母さん」


 当然返事はない。

 彼女の声を聞くのは、彼女を見る時でいい。

 早く二つのアイテムを揃えなければ。


 外に出ると、灼熱の太陽が空を照らしていた。

 前世で言うと、夏にあたる季節なのだろう。

 出立にはちょうどいい。

 目の前でふんぞり返っているアレクに挨拶をする。


「悪い、待たせたな」

「これから蹴落とし合いの戦争に行くというのに。

 至高の魔法師である我輩を待たせるとは何事じゃ」

「次はもっと待たせるから勘弁してくれ」

「我輩を舐め切っておるな」


 二人で馬車に乗り込み、御者に『出してくれ』と指示をする。

 それと同時に、俺は不敵に笑う。


 ある哲学者は言った。

 人は折れた分だけ成長すると。


 俺が何の対策もなく、馬車に乗り込むはずがないだろう。

 吐瀉物のスプリンクラーマッシーンになるのはもう御免だ。

 懐から丈夫な布と縄を取り出す。

 それを馬車の天井部を経由して、座席まで通していく。

 これで布の部分に頭を預ければ、頭が固定されて酔うこともない。


「……何をしておるのじゃ汝は」

「くくく、崇めよ讃えよ奉れ。俺は同じ失敗を二度と繰り返さん」

「……頭の足りぬバカに見えるぞ」


 何やら、物理学を解せぬ小娘が騒いでいるようだな。

 だが、俺の計算に穴はない。

 『鉄球地獄』と称された物理を、三年間学んだ俺だぞ。

 世界史で骨は折るわ、現国で肉離れを起こすわ、

 物理で鉄球を足の上に落とすわと。


 俺の高校生時代は楽しかったな。

 よく不登校にならなかったと思うよ。うん。

 その後数年、半引きこもりになるんだけどな。


 御者が馬車を出すと、それに比例して馬車が揺れた。

 アレクは姿勢がよく、まったく体幹がブレていない。

 俺は下半身はがくがく揺れるが、首付近はゆったりと安定している。

 これが物理学の勝利だ。

 思わず笑みがこぼれる。


「……くくく、ハーッハッハッハッハ」


 なんだ、前世で散々俺を苦しめた酔いめが。

 貴様の力はこの程度か。

 俺が優越感に浸っていると、馬車が大きく揺れた。


「……っと」


 その拍子に、座席部分を通していた金具が外れた。

 それはもう、バキャッと。

 絶望的な音を響かせながら。


 縄が収縮を始める。

 すると、当然縄は俺の首を絞めるわけで――


「ゲォエハァッ、ぎぶ。ギブギブギブッ! 助けてくれアレクッ!」

「何をしておるのじゃ汝は……」

「ぐおっ!? おい、それ逆に絞めてるから!

 縄が、すごい、すごいよ!?

 ボンレスハムのように食い込んでほわぁああああああああ!」


 それ以降、俺の意識は途絶えた。

 結局。

 到着寸前で意識を戻すまで、白目をむいて気絶していたという。


 もう二度と物理学を信用しない。

 ガチガチの文系である俺は、この機会に固く誓ったのだった。



 縄はもう、トラウマです――

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