エピローグ
翌日。
俺は朝早い時間から起床していた。
まだ傷の痛みがあるものの、動きに支障はない。
窓の外を見ると、情報屋がバタバタ走り回っていた。
そう、情報のエキスパートが貴族街に来てまで騒いでいるのだ。
彼らは口々に昨日の事件を叫び散らし、号外を配っている。
風に乗って、この屋敷の二階にも紙キレが入り込んできた。
それを拾って、内容を眺めてみる。
『西国の雄、没落貴族に決闘で負ける』
『奇跡の勝利、ディン家。
身の程を知らぬ強欲な要求で国を揺らすか』
『国王が要求を吟味して許可を出す異例の事態』
『ホルゴス家が暗殺者を雇っていたことが判明。
直臣の襲撃事件もドゥルフ卿の差し金か。身柄を拘束して取調べ中』
『要求の一部許可によって、ホルゴス家の収入源が激減』
まあ、予想通りというか何というか。
昨日の時点で情報は聞いていたので、特に驚かない。
北の貴族街の連中――
特にホルゴス家に依存していた貴族は、今頃歯軋りをしていることだろう。
ここ、南の貴族街は上層貴族に反発する人達が多い。
特に、地方貴族であるにも関わらず、
王都で傍若無人に振舞っていたホルゴス家は、かなり毛嫌いされている。
故に、ここを闊歩する人物たちは、ここぞとばかりに晴れがましい顔をしていた。
俺は一階へ降り、執務室へ。
もう起きてるかな、と思って扉を開ける。
そこには案の定シャディベルガがいた。
「親父、おはよう」
「お、起きたのか。
僕は昼までここにいるから、先に帰りの準備をしていてくれるかな」
彼はそう言って、再び書類に目を落とす。
難しい顔をして、色々と考えこんでいる様子だ。
「ホルゴス家から転がり込んできた領地の整理か。難しい問題だな」
「……レジスもやってみるかい?」
「やめとく。俺にはきっとまだ早い」
まあ、大人になってもやりたくないのが本音だけど。
俺みたいな内政経験ゼロ男に任せていい仕事じゃなさそうだし。
俺の返答に、シャディベルガはがっくりうなだれた。
昨日国王と従者を前にして、さんざん論戦を繰り広げたのだ。
彼も疲れているのだろう。
でも、その一歩も引かない交渉の結果、素晴らしい結果が出たのだ。
国王が下した結論で、ディン家がホルゴス家から頂いた物は次の通りである。
『一、ホルゴス家の金山及び銀山の九割をディン家に譲渡』
これらの鉱脈資源は、ホルゴス家の大事な収入源である。
しかし連中は、他の独占貿易などでも金を儲けているため、
容赦なく削り取られた。
川を挟んだ向こう側の山は、
さすがに管理が難しいためホルゴス家のままになったが。
国内の利益を考えると、
残りの一割はホルゴス家が管理した方が良い、ということだろう。
まあ、これだけガッツリ持っていかれたのだ。
奴らもしばらく動けないだろう。
次だ。
『二、ホルゴス家の領地――特に平地部の三割をディン家に割譲』
ここは大きく要求が変えられたな。
多くの領地を手に入れても、しっかり統治できなければ意味が無い。
人員に乏しいディン家は、それほど広大な土地は扱い切れないのだ。
そのため、ディン家の領地を中心として、
辺りの平野部のみが貰えることになった。
そして、領地内の人の決定権などもディン家に一任されている。
ディン家としても、あんまり領地が大きすぎるのも困りものだしな。
これくらいで丁度いい。
次だ。
『三、ホルゴス家の財産の五割をディン家に譲渡』
この場合の財産は、内政費などを除いた貯蓄のことを指す。
貯めに貯め込んでいた金を吐き出したホルゴス家。
西を治める巨大な家がいきなり崩壊したら国が困るので、この金額になった。
とは言え、連中からしたら嫌過ぎる出費だ。
今頃悔しさで布を噛み締めていることだろう。
ちなみにこの金は、拡大した領地の整備や格差の改善に全額充てるらしい。
シャディベルガはその配分で今悩んでいるのだ。
昼までに決まるみたいだけどな。
その次、ラストだ。
『四、エドガー氏が経営していた魔法商店を完全再建』
これはそのまま通った。
爆発した店、及びその商品も全部弁償してくれるらしい。
ここをケチられたらどうしよう、と不安になったのだけれど。
とりあえずこれで、エドガーも癒されることだろう。
主に金銭的な面で。
俺が昨日あったことを思い出していると、屋敷の入口が開いた。
そこからステップを踏みつつ入ってくるのは、ハイパー使用人。
ウォーキンスだった。
様子を見るに、どこかに行ってたんだな。
まだ朝早いのに。ご苦労なことだ。
「お帰り、ウォーキンス」
「おはようございます、レジス様」
「どこか行ってたのか」
「はい、朝の市で色々と購入を」
色々と、ねえ。
ウォーキンスが抱えている袋からは、
色々と物騒なモノが溢れ出している。
アレだ。
俗にいうバールのような物だ。
「それ、何に使うんだ?」
「発掘する時に使います」
「発掘するって、どこをだよ」
「主に書庫などをですね。
そこにある二重扉などの小癪な仕掛けを、まとめて打ち壊したいと思います」
その瞬間、奥の執務室からシャディベルガのくしゃみが聞こえてきた。
大変だな、終わらないイタチごっこだ。
セフィーナからの指示は未だに出ているらしい。
その争いに巻き込まれないように、注意しないとな。
シャディベルガはご愁傷様だけども。精々生きて帰ってくれ。
「いやー、困りましたよ。
北の貴族街付近を歩いたら、貴族様に『常識知らず』って罵られちゃいました」
「……陰湿だな。後で闇討ちしてやろうか」
ウォーキンスに暴言を吐くなど、俺にとっては女神の冒涜に等しい。
二度とそんなことを言えなくしてやる。
俺が着々と復讐計画を立てていると、ウォーキンスが首を横に振った。
「それには及びません。
しかし、あの無茶な要求を国王様もよく聞いてくださいましたよね」
「逆だよ。無茶な要求をしたからこそ、これだけ要求が通ったんだ」
俺の言葉に、ウォーキンスが首を傾げる。
矛盾した物言いだと思ったのだろう。
しかし、言っていることは間違っていない。
要求するものは一つまでという、暗黙の了解を破った甲斐があった。
そのおかげで、貴族連中から『没落強欲非常識貴族』、のレッテルを貼られたけどな。
語感がまだ悪いから、もっと接続する熟語を増やしたいな。
増やす度にシャディベルガの胃に穴が空きそうだけど。
「最初から現実的に、地を這う没落貴族らしく
『金山銀山の5%が欲しい』
なんて言っても、それが叶えられて終わりだろ。
国王としても、北の貴族街に凝り固まってる連中の力を削ぎたいはずだし。
最近、連中の増長が酷いらしいからな。
そこで、俺達が決闘を機会に、無茶難題をふっかければ――」
「……決闘法補足条規によって、要求内容が国王の裁量に任されるわけですか。
そして国王も、王都内で暴れているホルゴス家の動きを鈍らせるために、
弱小貴族であるディン家に力を分配すると」
「まあ一語で言うなら、時勢が味方をしたってやつだな」
最初に北の貴族街の話を聞いた時に、この手法を思いついた。
上手く行けば、ホルゴス家の力を奪うことが出来ると思っていたんだけど。
見事に成功したな。
これでホルゴス家も、今までみたいに威張り散らせないだろう。
ひょっとしたら、『ザジム』姓の剥奪もあるかもしれないな。
あれは権力者にだけ与えられる称号だから。
「そうそう。昼ごろにはここを立つらしいから、準備したほうがいいかも」
「了解しました。では、支度を整えてきますね」
二階に上がっていくウォーキンス。
しかし、いつ見ても可愛いな。
挙動の一つを取っても愛くるしさで満ち溢れている。
胸が高鳴るな。
そうだ、ドゥルフのその後だが。
まずシュターリン兄弟は迅速な治療を受けて、命に別状はなかった。
ただ、あれだけ盛大に失敗した上に、尋常でない傷を負ったのだ。
二度と暗殺なんて出来ないだろう。
それ以前に、二つの事件の実行犯として、国に拘束されてるしな。
その二件は、シャディベルガの殺人未遂と直臣の襲撃事件だ。
犯した罪から考えて、生きて牢獄から出て来れるのかは知らない。
ちなみに今回、『怪我が酷かったで大賞』を獲得したのは、
意外にドゥルフだったりする。
全身に大火傷。
肋骨が肺に突き刺さったりして、内臓がいくつも破裂したそうだ。
複雑骨折があちこちに発生し、治療しても直しきれない箇所があったとか。
要求を承認する時に、
担架で抱えられたドゥルフがシャディベルガと会ったそうだ。
その際、ドゥルフは彼の顔に俺を思い出し、震えて気絶してしまったらしい。
俺とあまり顔が似てないシャディベルガとですら、その有様なのだ。
俺が再び会ったらどうなるんだろう。
まあその様子だと、もう二度とディン家に関わろうとしないだろうけどな。
俺としてはありがたい。
今回の王都での決闘で、ディン家は財政的に非常に潤うことになった。
このチャンスをモノにして、何とか没落状態から脱したいものだ。
上層を腐敗した貴族が占めているので、まだまだ時間は掛かりそうだけども。
今回の勝利は、その足がかりといったところか。
まあいい。
遠い未来のことを考えても仕方がない。
それよりも今の飯だ。
俺は朝食を取ろうと、二階に向かったのだった。
◆◆◆
さあさあ、やって参りました。
俺への拷問の時間です。
ディン家の一行を乗せた馬車が、王都を出発しようと走りだした。
ちなみに、馬車に乗り込んだ途端、俺は震えが止まらなくなった。
そう言えば、以前シャディベルガの顔が真っ青だった時に、
ブルーオーシャンとか言って茶化したことがあったな。
あの時はごめんな。反省してる。
だって、今の俺の顔色はそんなレベルじゃないから。
限りなく藍に近いドドメ色だもの。
シャディベルガとウォーキンスは両隣に座っている。
そして、二人とも俺の背中をさすってくれていた。
「……本当に、お前は酔いに弱いな」
「弱々しいレジス様も素敵ですよ」
「う、うるさいな。あまり刺激しないでくれ」
もしこれ以上馬車を揺らしたりしてみろ。
この中が俺の体液まみれになるぞ。
それでいいのかお前らは。
痛みの我慢などには絶対の自信がある俺なのだけれど。
酔いには前世の頃から弱いのだ。
電車に乗り込めば魔のスプリンクラー男と化し、
自転車で思い切り酔って、
事故多発交差点をS字ドリフトで曲がったこともある。
ちなみに後者の時は、
トレーラーに突っ込まれて全治三ヶ月の重傷を負った。
どれ程の激痛にも耐えてきた俺は、結局鉄骨一本に殺されたんだけどな。
まあ、とにかく俺にとって酔いは永遠の天敵なのだ。
「しかしレジス、お前かなり強くなったんだな。
あんな暗殺者を打ち倒すなんて、つい我が目を疑っちゃったよ」
「何だ親父、俺が負けるとでも思ってたのか」
「い、いや。そういう意味じゃないよ。
ただ、全盛期のセフィーナみたいな圧倒的強さだったから……」
そういえば、セフィーナは剣と魔法で身を立てた貴族だったな。
身体さえ崩さなければ、今でも国内屈指の技量を誇っていたらしい。
結局権力に握り潰された家だけど、個人技は凄いんだっけ。
だけどシャディベルガ、その疑問は野暮ってものだろう。
「当然だよ。俺は王都魔法学院に行くつもりなんだからな」
「……え」
そこで、シャディベルガは呆けた声を出した。
そう言えば、彼にはセフィーナへの回復薬のことを言ってなかったな。
俺からの魔法学院へ行きたい発言を受けて、シャディベルガの顔が硬直した。
「魔法学院に、行きたいのか?」
「そうだけど、何だよ」
「ウォーキンス、君はレジスの話を聞いていたのかい?」
「バッチリ聞いておりましたよ」
「だったら、身分差別の話も――」
「シャディベルガ様なら、何とかしてくださいますよね?」
シャディベルガが核心に迫ろうとした瞬間、
ウォーキンスが言葉を圧殺するように尋ねた。
有無も言わさぬ問いかけ。
それに対して、シャディベルガは冷や汗を掻きながらうなずいた。
「……そ、そうだね。
レジスが行きたいって言うんなら、僕も出来る事は全てやってみるよ」
どうやら、王都魔法学院に入るには色々と障害があるらしいな。
俺は聞いたことがないなので、後で調べておく必要があるか。
新しい案件が増えたからだろう。
シャディベルガが頭を抱える。
「……なら、あいつに頼むしかないか。
嫌なんだよな、この前僕を裏切ったし」
はて、誰のことだろうか。
シャディベルガは妙な人脈を持っているので、特定が難しい。
しかしこの雰囲気だと、その人物こそが障害打破のキーになるみたいだな。
「まあ、最低入学年齢は十五なんだろ。
今の俺にできることは、可能な限り魔法の基礎力を上げておくことだ」
「そうですね。このウォーキンスも、全力を尽くしてサポートしますよ」
「うん。とりあえず、入学の壁に関しては僕に任せてくれ。
みんなそれぞれ、出来る事から始めていこう」
おお、たまには良いことを言うな。
俺が素直に称賛しようとした瞬間、馬車がふわりと浮いた。
たった今、荒地に突入したようだ。
いきなり揺れが激しくなったので、俺の感覚器官が悲鳴を上げる。
「……ぐぉ、やばい。もう、無理――」
いかん、このままでは確実にゲロる。
急いで窓を開けようとした瞬間、ウォーキンスが俺の頭を抱えてきた。
頭を引き寄せて、胸に押し付ける。
いきなりの奇行に、俺は呂律が完全に麻痺した。
「……ウォ、ウォーキンス?
やばいから、俺から身体を離せ。このままじゃ――」
吐きそうだ。
そう言おうとした瞬間、彼女は更に強く抱きしめてきた。
ぎゅー、っと音が発生しそうなほど、胸元に掻き抱いてくる。
結果として、深く胸に顔を沈めてしまう。
焦りと驚きと甘い匂いで、
平衡感覚どころか全理性がクラッシュしそうになった。
だめだ。
このショックがダメ押しとなり、最高潮に達した吐き気が…………。
「……ない」
「落ち着きましたか? レジス様」
ウォーキンスの胸に顔を埋めていると、
吐き気が急激に引いていった。
内部で暴れ狂っていた不快感が、一気に消え去る。
淀んでいた肺の空気が、ウォーキンスの甘美な芳香で上書きされた。
すると、途端に体調が通常状態に戻った。
「……魔法でも、使ったのか?」
「いいえ。レジス様は首を揺らす癖があります。
ただでさえ酔いやすい体質にそれが重なると、吐き気を催すのも当然です」
な、なんだと。
俺にそんな癖があったのか。
気づかなかった。
でも実際に、こうして首を固定されていると吐き気が全然襲ってこない。
この心地よさで、酔いの入り込む余地がないだけかも知れんが。
「この前、パリングの練習をしていた時に気づいたんです」
「す、凄い観察眼だな……」
これでともあれ、酔いに苦しめられることはなくなった。
窓外の風景が横目で確認できる。
先程までは鑑賞する余裕なんてなかった。
しかし、今なら外の絶景が見える。
荒野のあちこちに、エアーズロックみたいな巨大岩が乱立している。
そこから生える控えめな植物が、日光を反射してキラキラと輝いていた。
美しい、見ていて心が洗われるようだ。
顔全体に感じる柔らかい感触も相まって、
天上世界にいるような気持ちよさだった。
何だ、馬車旅も楽しいものなんだな。
俺が納得してうなずいていると、隣から不穏な音が響いてきた。
「……うっぷ、ダメだ。
僕も酔いに強い方じゃないんだ――」
シャディベルガが今にも泣き出しそうな顔で、俺たちに助けを求めてくる。
王都に来る時は我慢できていたのに。
疲れが重なって、酔いやすくなったか。
彼は俺の酔いを見事に治したウォーキンスに、助けを求めるような視線を送った。
何だ、シャディベルガも首を固定して欲しいのか。
だったら、後ろの馬車に乗ってる小間使いに頼んでみてはどうだろうか。
奴は男で胸板が厚いから、安定性だけはありそうだぞ。
シャディベルガにそう進言しようとした瞬間、ウォーキンスが冷たい声を出した。
「あ、私は嫌ですよ。私のこの位置は、レジス様専用ですから」
「僕がやってくれと頼んだか!?」
「うるさいですね。そこの窓から吐くか、全部飲み込んでください」
「何という扱いの差ッ! ……あぅ、もうダメだ」
我慢できず、シャディベルガは窓から思い切り嘔吐した。
何というか、王国西部は荒野地域が多いんだよな。
地方貴族は王都に行くだけで重労働だ。
結局、来る時と打って変わって、到着まで幾度もシャディベルガが苦しむことになる。
よし。これから馬車に乗る時は、
必ず首を固定するギプスを装着しないとな。
じゃないと、絶対死ぬから。
シャディベルガの苦しげな表情を見て、俺はそう心に誓ったのだった。
第一章・完