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ディンの紋章 ~魔法師レジスの転生譚~  作者: 赤巻たると
第十章 大陸の落日編
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第五話 覚悟はあるか

そろそろいいかな


 新たなる国王の誕生と、因縁に満ちた帝国への宣戦布告。

 その二つが滞りなく終わり、王都はかつてなく活気に満ち溢れていた。

 

 この機に名を上げようと前線部隊に志願する傭兵。

 戦火から逃れるため故郷に戻ろうとする市民。

 形は異なれど、王国民の一人一人がこの現状を飲み込み始めていた。

 屋敷に戻ってきた俺は、帝国との戦争が始まることをウォーキンスに告げた。


「やはりそうなりましたか……」


 俺の言葉を聞くと、彼女は静かにため息を吐いた。

 少し感傷に浸っているように見えたウォーキンスだが、俺の視線に気づくと柔和な笑みを浮かべる。


「ご安心を。レジス様に刃が向けられた時は、このウォーキンスが身を挺してお守りいたします」

「ありがとうな」


 その言葉は嬉しい。

 けれど、俺もいつまでもウォーキンス頼りではいられない。

 自分の身は自分で守らないと。


「では、私がそのウォーキンスさんを守りましょう!」


 ここで割り込んでくるエドガー。

 開戦の兆しがあるという話を聞いた傍から、ディン家の戦力として動きたいと志願してきたのだ。

 そんな彼女の決意を聞いて、ウォーキンスはくすくすと笑う。


「心強いですね。戦となれば極限の状態が続きますので、エドガーさんもお気をつけて」

「大丈夫です! 帝国兵なぞ一刀の下に切り伏せます!」


 意気揚々としているエドガーだったが、対してウォーキンスは少し微妙な表情をしていたように見えた。

 そんなウォーキンスの表情には気づいていないであろうエドガーは、懐から酒瓶を覗かせて言った。


「ささ、ウォーキンスさん。もしお時間があれば少しお話をしませんか。私もレジスもすごく暇をしているので」

「勝手に俺を暇人にするな」


 今日の訓練は一通りこなしたので、余暇があるのは確かだが。

 エドガーと一緒にされるのは俺に残された僅かばかりの矜持が許さなかった。

 とはいえ、時には優雅に歓談をする時間も必要だろう。

 特に、今のような状況にあっては。


「まあ俺はいいけど、ウォーキンスは大丈夫なのか?」

「はい。今日のお勤めはだいたい終わりましたので、ぜひご一緒させてください」

「やったあああああ!」


 戦争の足音で重く沈んでいたディン家内の雰囲気。

 それらを吹き飛ばすかのように、エドガーの魂の叫びが轟いた。


     ◆◆◆



 歓談というのは嘘だった。

 いや、正確に言うと嘘ではないのだが。

 話を始めるやいなや、エドガーはひたすらウォーキンスを称賛していた。

 それはもう、止めるに止められない勢いで。


 ウォーキンスの話8割、俺の話1割、エドガーの話1割。

 その全てがエドガー一人から繰り出されていた。

 もうこいつ一人でしゃべらせてればいいんじゃないか。

 しかしウォーキンスもさすがの反応だ。押しの強いエドガーの話を受け止め、

 さらっと話を広げていた。


「ふふ、そういえば私とエドガーさんは共に戦ったことはありませんね」

「いやあ、お恥ずかしい。

 私がウォーキンスさんの勇姿を見たのは何も知らぬ小娘だった時……

 その時のウォーキンスさんの活躍たるや! バッタバッタと敵をなぎ倒し、

 帝国軍を一撃のもとに粉砕! あれは痺れ……あ、お酒注ぎましょうかウォーキンスさん!」

「頼むから会話のキャッチボールをしろ」


 酒も入っているせいか、エドガーはこの調子である。

 

「私は夜半に最後の見回りがありますので」

「そんな、じゃあこの行き場を失った酒はどうすればいいんだ……決まっている、私の腹の中だ!」


 なんだこいつ無敵か。

 7歳の頃、最初に会った時はもっと頼れるお姉さんって感じだったはずなのだが。

 歳を重ねるにつれ、どんどんキレを増してないか。ダメになっているとも言う。


「まあ要するに、帝国軍を相手に大立ち回りをするウォーキンスさんを見ていたいという話だ。

 開戦はいつだろうか。今日か? 明日か? このエドガー、いつでも準備はできているぞ」

「一ヶ月後だ」


 正確に言うと29日後か。

 しかし今回の戦いを前にして、エドガーはずいぶんとワクワクしているように見える。

俺にとっては全力で回避したい出来事だというのに。

 

「簡単に言うけどな。お前戦争が怖くないのか?」

「レジスこそ何を言っている。私は元傭兵だぞ?

 それで稼いで飯を食い、今日の私があるわけだ」

「稼がれた金も、まさか酒のために消えるとは思ってなかっただろうよ」


 多少の揺さぶりをかけてみたがビクともしない。

 戦争そのものを前向きに捉えているフシさえある。

 傭兵ってのはこんなものなのだろうか。

 今まで注目したことはなかったが、改めてエドガーのスタンスに驚かされる。


 己の気持ちを整理したかったのか、俺は無意識にありきたりなことを口にしていた。


「エドガー、戦争ってのは人が死ぬんだぞ?」

「当たり前だ。戦争じゃなくても人は死ぬぞ。戦争はその機会がちょっと多いというだけだ」


 やべえ、価値観が違いすぎる……。

 いや、最初から腹をくくっているというべきか。

 冷や汗をかく俺を見て、エドガーはおちょくるように言ってくる。


「んー? レジス、もしかして怖いのか?」

「……」


 まさかのカウンターが飛んできた。

 沈黙でやり過ごそうと思ったが、そこにエドガーが重ねて聞いてくる。


「怖いんだろう?」

「いや……そりゃ怖いに決まってるだろ」


 俺にとって、戦争なんてのは教科書の中にある出来事だった。

 そりゃあ妹にイタズラをした連中と事を構えたことはあったが、あんなのは子供の遊びだ。


 人が人を殺すための大型規模の戦い――戦争。

 実感はわかないが、多くの命が失われるということくらいは分かる。

 それを意識すると、今までにない恐れのようなものが湧いてくるのだ。


「エドガーは怖くないのかよ」

「ふっ、何を決まりきったことを。当然私だって怖いさ」

「怖いのかよ」

「もちろんだ。でも、死ぬ怖さ以上に守りたいものがある。勝ち取りたいものがある。

 だから戦争は起きるし、だから人は戦うのさ」


 ちょっとかっこいいと思ってしまった。

 ここまで覚悟を決めていれば、あの反応も頷ける。

 しかし、俺にはとても辿り着けそうもない領域だ。


 エドガーの話を聞いて、ウォーキンスもパチパチと拍手する。


「エドガーさんはすごく達観していますね。さすが元傭兵さんです」

「ウォーキンスさんに褒められた!? これほど嬉しいことはない!」


 戦争。

 エドガーは前向きに捉え、俺は忌避する対象。

 しかし、ウォーキンスはどうなのだろうか。

 どこか掴みどころのない彼女であれば、違った答えが出てくるかもしれない。


 俺の視線に気づいたのか、ウォーキンスはくすりと笑った。


「でも、私もエドガーさんに近い考え方ですよ」


 そうなのか。意外だ。

 ウォーキンスは胸に手を当ててしみじみと言う。


「戦うこと、死ぬことは怖いですが、それで膝を折ってはいられない。

 このウォーキンスには守りたいものがある。だからこそ、私はレジス様を守るため刃を磨くのです」

「レジス、わかるか。これが“傭兵”だ」


 いつの間にかウォーキンスの肩に腕を回しているエドガー。

 ウォーキンスのいい話が台無しだ。

 誰の許可を得てその手を回しているんだ。距離が近すぎやしないか。


 それに――


「ドヤ顔で言ってるけどウォーキンスは傭兵じゃないだろ」

「無論だ。しかし私が思うに、ウォーキンスさんはどこかで従軍した経験があるんじゃないか?」


 まずい。

 エドガー、そのウォーキンスの領域かこは俺でさえ踏むのが怖いところだぞ。

 しかしウォーキンスは首を傾げて反応が鈍い。


 もしかして……この流れなら普通に聞けるのか?

 俺が間合いを計っている間に、エドガーはずけずけと聞いていく。

 俺も乗ってみるか、この流れに。


「腕前といい肝の座り方といい……うむ、まるで歴戦の将軍のようだ」

「それは俺も同感だ。どうなんだウォーキンス」

「どうなんですか、ウォーキンスさん!?」


 エドガーは目を輝かせながらウォーキンスに尋ねる。

 しかし次の瞬間、エドガーは恐怖の表情を浮かべた。


「――」

「ひっ!?」


 酒瓶を巻き込みながらウォーキンスから離れる。

 エドガーを見る彼女の目は、赤と金色がないまぜになった色をしていた。

 踏み込むことを許さない危険信号。いつものアレだ。

 勢いに任せてとか、そんな甘い考えで揺らぐものではない。


 数秒後、ウォーキンスはハッと首を横に振ると、少しイタズラっぽく微笑んだ。


「まったく、真面目な話かと思えばこれなんですから」

「……す、す」


 エドガーは口をパクパク開けて震えている。

 何かを言おうとしているが、言葉になっていない。

 ウォーキンスは小さく息を吐いて、頬を膨らませた。


「お二人とも、今考えるべきは迫りくる戦です。

 私のことを思ってくださるのは大変嬉しいですが、人の過去を考えている暇はありませんよ」

「わ、悪かった……」


 流れ自体は戯れたものだったが、俺は決してエドガーの問いに便乗したわけではない。

 ウォーキンスの過去を知りたいと願うのは仕方のないことだと思う。

 しかし同じ志を共にしたエドガーは、

 

「……は、はッ」


 過呼吸を起こしてのたうち回っていた。

 信じられないものを見たかのような目だ。

 ウォーキンスはそんな彼女の頬を控えめに撫で、スッと立ち上がった。


「夜ふかしはお体に障ります。お二人とも今日はどうかお早めにお休みください」

「あ、ああ。おやすみ」


 ウォーキンスは一礼して居間から去っていった。

 夜の見回りに行ったのだろう。

 話に熱が入りすぎてしまった。気づけば既に就寝時間を回っている。


 ウォーキンスに撫でられて呼吸を整えたエドガー。

 彼女はとてつもない勢いで俺に泣きついてきた。


「レジス! 私、何か変なこと言っちゃったかなあ!?

 ウォーキンスさんを怒らせることしちゃったかなあ!」

「いや、まあ。俺もたまにあるよ。ああいうこと」


 なだめたつもりだったが、エドガーはこの世の終わりを前にしたように絶望していた。


「ウォーキンスさんに嫌われてしまったら、私の人生の大半が消滅してしまう!」

「残りの半分はなんだよ」

「お前と酒だ!」

「昭和にまみれた歌みたいなことを言ってる暇があったらさっさと寝ろ。就寝時間だ」


 なんとか引き剥がそうとするが、まだ平静を保てないのか食い下がってくる。


「ショウワ? ショウワとはなんだレジス!」

「我らが平成という最先端に取り残された歴史だよ。分かったら寝ろ」

「いいや分からん、どこの国の歴史だ。気になって夜も眠れんぞ!」

「寝ろ」

「レジスうううううううううう」


 酔いにやられた怪物を振り払い、俺は自室に戻った。

 ベッドに倒れ込むと、ここ数ヶ月の出来事が脳裏をよぎっていく。

 一つの石版を連合国に届け、同盟を結んだこと。

 帰りの道中で新たな側面が判明したウォーキンスのこと。

 帝国と王国に起きた不可解な事件のこと。


「そして、これからのこと……」


 これからの、出陣、戦争。

 人が死に、両国のどちらかが倒れるまで続くであろう闘争。

 どこか幻想の中でのみ存在してほしいと思っていた、圧倒的な現実。

 多少の戦いはこなしてきたつもりだったが、今までのものとは明らかに異なる。


 俺は何を怖がっているのか。

 自分の喉元に迫るであろう刃や魔法か。

 それとも多数の人の命を預かる身としての慄きか。

 恐らく両方、いや、もっと多くのものが混ざり合っている。


 考えないようにする。

 それでも、胸を衝くように湧き上がり、頭にこびりついて離れない。


「……くそ、眠れねえ」


 覚悟完了、とは簡単には言わせてもらえないようだ。



     ◆◆◆



 ――同時刻・ディン家の屋敷内


「セフィーナ。僕を殴ってくれ」


 寝室の中で、正座をしたシャディベルガは呟いた。

 近くに座るセフィーナは困惑したように夫を見ている。


「……なんで?」


「いいから!」

「……えっと、じゃあ」


 困惑しつつも、セフィーナは張り手を繰り出す。

 ぺしっと軽い音がしそうな手加減に満ちた勢い。

 しかし、そこは武人として鳴らしたセフィーナからの一撃。

 衝撃に見舞われたシャディベルガは水平に身体が持っていかれる。


「ぐはっ」

「……とりあえず叩いてみたけど」

「ありがとう」


 なぜか礼を言われてしまった。

 被虐体質だとは思っていたが、夫の豹変にセフィーナは首をかしげる。

 もしかして、時折行っていた折檻で壊れてしまったのだろうか。

 いつの折檻が原因だろう。やりすぎてしまったか。セフィーナは熟考して考える。


 そんな妻の心配を他所に、シャディベルガはワナワナと震えていた。

 しかしそれも臨界点を迎える。突如、溜めていた感情を爆発させる。


「レジスが! 大切な息子が戦場に行くというのに、僕には従軍命令さえ出なかったんだ!

 僕も行くと奏上したが即座に却下だ! 当主なのに!」


 渾身の力でベッドに拳を叩きつける。

 しかしボスッ、ボスッと弱々しい音が響くだけだ。


「すまなかった、セフィーナ」


 シャディベルガは自嘲するように笑う。


「それもこれも、陛下や王都貴族に弱いと思われている僕が原因だ。

 誰かに裁いてもらわないと気がすまなかった」

「……実際、シャディは弱いし」


 歯に衣着せずセフィーナは指摘する。

 そしてシャディベルガの隣に座り、ベッドへの攻撃をやめさせた。


「……は、はは。分かってはいたけど、いざ突きつけられるとしんどいね」


 シャディベルガは力なくうなだれた。

 自身の無力さに辟易しているのか、絶望しているのか。

 しかし、セフィーナに止められてようやく冷静さを取り戻したのだろう。

 ポツリと深刻そうに呟いた。


「――陛下は、王国は本当にやるんだね。あの国との戦争を」

「……王国がこういうところなのは、シャディだって知ってるはず」


 王国。

 決して帝国と交わらぬ南の大国。

 ここ数十年は対外的に平和を保っていたはずの国。

 しかし、それは常に綱渡りの状態だった。


「そうだね。いつだってこの国は王と貴族の闘争に満ちている。

 でも、それはあくまでも王国の中だけで――」

「……国同士の戦争が起きるなんて、思わなかった?」

「ああ。少なくとも僕たちが生きている間にはね」

「……そうね」


 シャディベルガが生まれた年、王帝血戦という国境付近での戦争が終結した。

 数年にも渡る戦役が続いたが、結局国境線は動かず、ただ死者と荒れた土地が増えただけだった。

 互いに疲弊と損害の残る結果となったため、両国は痛みを知り向こう100年は戦争をしないだろうと吟遊詩人に歌われたほどだ。


 しかし、その戦から50年。

 かつてとは比べ物にならない大規模な戦争が始まってしまう。


「こうなってしまった以上、損害を最小限に抑えることを考えてるんだ。

 どうすればレジスを守れるかって」

「……シャディに何かできるの?」

「僕にできること……できることは……」


 指を順に折っていくも、不可能なことに気づくたび指は元の位置に戻る。

 そして指を折ることをやめ、ワナワナと体を震わせた。


「――ない」

「……私もないわ」

「なんて無力なんだ!」


 頭を抱えるシャディベルガ。

 息子が新しく王位についた女王から評価され、

 官位を持った家の将として戦場に出るというのに。その父は何もしてあげられることがない。

 悔しさに歯を食いしばっているが、まだその目は諦めていない。


「待て、無力にうちひしがれるのは早い。僕はまだ必死に考えられるはずだ」


 何をしてあげられるだろう。

 少ない私兵を息子につける以上に、何ができるだろう。

 もっとレジスの無事を保証できるような何かがないものだろうか。

 必死で考えた末に、一つの光明が迸る。


「そうだ、アレクにお願いしよう!」

「……他人任せ?」

「そうだ、僕にできるのはしょせん他人任せだ。あらゆることを考えたが、これくらいしかない。

 でも、レジスや領民を守るためにはこれ以上のものはないはずなんだ」


 大陸の四賢。アレクサンディア。

 レジスに魔法を教え、学院や旅においてもレジスを導いてくれた。

 彼女が今回の戦いで助力してくれるなら、これほど心強いことがあるだろうか。


「アレクは大陸の勢力争いへの介入だけは嫌だと言っていた。

 でも、それでも、お願いをしないと……」

「……アレクサンディアのことをよく知っているみたいね」


 ジッと冷ややかな目を向けるセフィーナ。

 シャディベルガはとっさに首を横に振る。


「ち、違うよ。昔馴染みの友達だというだけだ。セフィーナだって知っているだろう?」

「……まあね」


 セフィーナとてアレクサンディアとは知己である。

 彼女のことは少なからず分かっているつもりだ。


「……私にだって分かるわ。きっとアレクサンディアは力を貸してくれる。

 それも、シャディが土下座なんてしなくてもね」

「土下座するかはまだ決まってないだろう!?」


 夫は土下座までするだろうか。多分する、絶対するだろう。

 セフィーナはある種の確信を持っていた。

 そんな横で、シャディベルガは嘆息していた。


「しかしアレクがレジスに力を貸すって断言するだなんて……よく分かるね」

「……分かるわ。生きた時間は違えど、同じ女だもの」

「よくわからないよ」

「……はぁ。愚鈍ね」

「愚鈍!?」


 純粋な罵倒に驚くシャディベルガ。

 セフィーナは小さくため息を吐いて、部屋の扉を見つめる。


「……シャディ、いいことを教えてあげる。ねえ、いるのでしょう? ウォン」

「はい、ここに」


 扉の向こうに声をかけると、清らかな声が響いてきた。

 ウォーキンスの声だ。


「ええ!?」

「見回りで巡回しておりました。決して聞き耳を立てていたわけではありません」

「そう言われるとますます怖いよ!」


 見回りは本当なのだろうが、心臓に悪い。

 セフィーナとウォーキンスが組んだ時、シャディベルガは常に手球に取られてきた。

 もっとも、セフィーナ一人を相手にしている時も変わりはないのだが。

 セフィーナはすぅっと目を細め、懇懇と語りかけた。


「――ウォン。レジスのこと、よく見ててあげて」

「もちろんです。このウォーキンスの命に代えても」


 即答。

 それでいて、決意のこもった声であった。

 セフィーナはさらに続けて問う。


「今回の戦場に私は必要?」

「いいえ。回復したばかりのセフィーナ様に万が一のことがあってはなりません。

 それにレジス様一人であるからこそ、私もすべてを集中してお守りできます」

「……ん、わかった。信頼してる」


 コクリと頷き、セフィーナ満足気に答えた。

 そして健気に日課の見回りをこなす従者に優しく声をかける。


「ウォン、貴方も寝なさい。貴方の時間も大切にして」

「もったいなき厚意を……では、お言葉に甘えて」


 声が遠ざかっていく。

 終始気配のしなかったウォーキンスに、シャディベルガは恐ろしいものを感じていた。

 凄腕の従者がいることは頼もしいが、いざ敵に回すと恐ろしい。

 このディン家内において、嫌というほど分かってきたつもりだ。


 冷や汗をぬぐうシャディベルガに、セフィーナはジッと視線を向ける。


「……あなたがやろうとしてるのは、これと同じこと」

「ああ、さっき僕が言っていたことか」


 ウォーキンスはきっとレジスに力を貸してくれるだろう。

 それこそ、先程セフィーナが念押しなどをしなくとも。


 セフィーナは、アレクサンディアとレジスも同様の間柄なのではないかと言いたいのだ。

 わざわざシャディベルガが苦心せずとも、きっとアレクサンディアはレジスを導いてくれる。


「でもそうなると、本当の意味で僕たちにできることって――」

「言ったでしょう。ないの」

「……く」


 なんとか絞り出した案すらも潰えた。

 無力感に満たされていくシャディベルガだったが、セフィーナはその手を握る。


「……新しくやれることはなくても、続けてやれることはあるわ」

「というと?」

「……簡単よ」


 夫の手を握る力を少し強め、セフィーナは歌うように告げた。


「いつも通りに接して、いつも通りに過ごし、見送りの時だけちょっと特別に」


 これから過酷な場所に赴くであろうレジス。

 そんな彼に、力なき親としてしてあげられることは何か。


「……ここに戻ってきたいと思わせてあげられるようにする。

 帰ってきたい日常を作るのは、私達の大切な仕事」


 そう言って、シャディベルガの肩に頭を預ける。

 その頭を優しく撫で、シャディベルガは嘆息して呟いた。


「本当、セフィーナにはかなわないな」


 病床で長年苦しんでいたセフィーナ。

 シャディベルガよりずっと、レジスと触れ合える時間が少なかったはずなのに。

 どこかフワフワとしていて、それでいて核心を捉える。

 それこそがセフィーナ・ディンだ。

 

 妻がここまで決意を固めているのだ。

 当主たる自分が下を向いていてはいけない。

 シャディベルガは窓の外を見つめる。


 暗闇に覆われた夜空を、輝く星々が照らしている。

 自分たちにできることは、いつもの日々を過ごすこと。

 だが、それでもシャディベルガは思ってしまうのだ。

 全てが終わった後に、後悔しないようにしたい。常に全力を尽くしたいと。

 故に彼は祈るのだ。


 神よ、精霊よ、四賢よ。

 レジスに安寧と無事がもたらされますように、と。




 ◆◆◆




今宵、誰かが空を見上げた。


夜を支配する空には、二つの極星が輝いている。

この天空を支配する星を決めようと、今にもぶつかりそうだ。

しかし人々は、未だ気づかない。


双星の間に、赤く禍々しい星が煌めいていることを――。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 復活待ってましたっ!!!!!
[一言] 生きとったんかワレェ!
[良い点] めちゃめちゃ久しぶりやないですかい!おかえり!
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