間話・邪悪なる眷属
次話の更新時に、今までのあらすじを掲載予定。
アニエス神山という山岳がある。
帝国西部に位置し、数多の伝説を持つ聖地である。
800年前に初代帝王が建国を宣言した場所であり、
帝国にとっては始まりの地とも言える場所である。
神々しい霧をまとった山の中腹には、藍色の帝国旗がたなびく。
そして、アニエス神山の頂上――
そこに”終焉の祠”はある。
アニエス神山は始まりの地であると同時に、
とある混沌の終わりを示す場所でもある。
その理由こそ、神山の頂上にひっそりと位置するこの祠だ。
”終焉の祠”。
ここには、かつて大陸全土で忌み嫌われた神が封印されている。
大陸の民であれば、国を問わず畏怖されている存在。
その名も邪神。
500年前に大陸を恐怖に陥れた最悪最凶の神である。
この邪悪なる存在を決して復活させぬよう、
帝国は血道を上げて終焉の祠を守護してきた。
常に見張りの魔法師が動員され、洞窟内はいつも松明で照らされていた。
しかし今、この祠に異変が起きていた。
洞窟の明かりはほぼ全てが掻き消えている。
また薄暗い祠の壁に、魔法師たちの血がべっとりと付いていた。
祠の最奥部に横たわっているのは、数十人の帝国魔法師。
みな一様に首を落とされ、赤き血潮をぶちまけて絶命している。
今この地は、濃厚な死の匂いに満ちていた。
そんな中で、祠の奥に二人組が立っている。
その人物たちは、地面を這いずる魔法師たちに視線を落とした。
「守兵はこれだけですか? あっけないですね」
「帝国は開戦の準備にかかりきり。
むしろ、これだけ兵を固めていたことを褒めるべき」
禍々しい鎧を着込んだ女がため息を吐き、
ローブ姿の少女がそれをたしなめる。
他に人影はいない。
つまり、祠にいた帝国魔法師を二人で惨殺したことになる。
淡々と喋るローブの少女は、相方に指示の確認をしていた。
「拠点はここ。偵察が来たら生きて返さないこと」
「はーい。でも、私が手を下さなくても、
どうせあなたが病気で皆殺しにしてしまうんでしょう?」
「無論。病魔は常に飢えている」
それだけ告げて、少女は上を見上げた。
祭壇の頂上。
本来であれば、尊い存在が祭り上げられている場所。
そこには、殺伐とした光景が広がっていた。
まず目に入るのは、おびただしい数の鎖。
一本一本にすさまじい魔力が込められており、
何かを包むように祭壇の上へ伸びている。
さらに、鎖の合流地点――
何かを封じている場所には、何重にも結界が張られていた。
そこに込められた魔力量は尋常でなく、魔素が暗い祠を煌々と照らしている。
「これが例の”大結界”ですか?」
「そう。術者が死んでも残り続ける強固な障壁。
これに囚われれば、破ることは不可能」
「なんてひどい……人の子は卑劣なことを考えますね」
感極まったのか、女は目尻に涙を溜めている。
何かに同情しているのだろう。
彼女は取り憑かれたように結界へと近づき、その中身に触れようとした。
その瞬間――
バヂィッ、と閃光が迸った。
「――ッ」
結界に触った刹那、大きく弾かれたのだ。
その上、指先は魔力の侵食で壊死しかけていた。
だが、女は特段気にした様子はない。
隣りにいる少女にそっと指を差し出すだけだ。
「……なるほど、これは父上でも無理ですね」
「余計な仕事を増やすべからず」
ローブの少女が、変色した女の指を口にくわえる。
そして舌先で転がすと、怪しげな魔力を照射した。
「病因――『再臨肉叢』」
すると、おぞましい音が少女の口内からこだました。
ジュグジュグと、肉片をかき混ぜたような異音がする。
数秒後、少女はペッと指を吐き出す。
すると、壊死していた指先はすっかり元通りになっていた。
「ふふ、ありがとうございます」
「礼は不要」
少女は軽く息を吐く。
その上で、女の接触を拒んだ結界を見上げた。
「この障壁は、大陸と同化して魔力を凝縮している。
これを壊そうと思えば、この大地を消し飛ばす他にない」
「正攻法では、神や精霊でも無理というわけですか」
祠に張られた障壁――大結界は、大陸の魔力を利用している。
この大地に魔力が満ちている限り、大結界は中にいるモノを封じ続ける。
これこそ『大陸の四賢』サリアが、命を賭して作り上げた結界である。
「ちなみに、経年による劣化はどうです?」
「激しい。あと数十年もすれば結界は自壊すると断定。
されど、どこかで上書きされてしまえば、また数百年――」
少女の言葉に、鎧の女は不満気に口をとがらせる。
慇懃無礼な口調だが、感情が表に出やすいのだろう。
女は忌々しげに結界を睨みつけた。
「はぁ……大結界の補修をしたがる者がいるとは思いませんが」
「油断は禁物。それに、これを破るなら好機は今」
少女は断言するように呟いた。
この鉄壁の結界を崩す自信があるようだ。
「大陸の魔力を逆手に取る、でしたか?」
「そう。一次決壊さえ終えれば、大陸は死ぬ」
「そうなれば、あとは父上が力を取り戻すのを待つだけ、というわけですね」
女の確認に、少女はコクリと頷いた。
この祠に封じられているのは邪神。
それを父と仰ぐとなれば、この女は――
「あぁ……父上、待っていてください。
すぐにリルファが解き放って差し上げます」
鎧の女――リルファは恍惚の笑みを浮かべるのだった。
「む」
ここで少女が背後を振り向いた。
すると、そこには一人の男が立っていた。
帝国本軍の魔法師のみが着用を許されるローブをまとっている。
祠に入ってきた男は、眼前に広がる惨状に目を剥いた。
「ひ……っ! なんだこれは」
薄暗い祠に充満する死臭。
そして積み上がった同志たちの遺骸。
だが、この狂気をもたらす場において、少女たちだけは冷静だった。
「あれ、まだいたのですか?」
「持ち場を離れていただけと推測」
そう言うと、二人は生き残りに向かって歩き出した。
しかし、魔法師は逃げない。
その脚は震えていたが、瞳に宿る闘志は健在だった。
「き、貴様ら……ここがいかなる場所か分かっているのか!」
「世界を掌中に収めるべき、我が父上の寝所です」
答えながら、リルファは身幅の広い剣を抜いた。
グラディウスのような形状をした凶器。
その刀身は濃厚な魔力で揺らめいており、見る者を威圧していた。
リルファの異様な風体に、魔法師は身構えながら叫ぶ。
「父上だと……? 貴様ら、何者だ! 名を名乗れ!」
真名を表わせとの要求。
これに対し、リルファは恭しく一礼し、少女はボソリと呟いた。
「邪神の眷属――”盗魔将”リルファと申します」
「大精霊……”疫王”タリム。」
邪神、眷属、大精霊。
いずれも書物の中にしか出てこないような縁遠い言葉。
平時であれば、神話の存在を騙る狂人としか思わない。
しかし、魔法師は察した。
この女達から感じる魔力の量は、常軌を逸していると。
たとえ奇跡が起きようと、万に一つを引き当てようと、己が敵う相手ではないのだと。
ふと、魔法師は大きく息を吸い込んだ。
それは注意を逸らすためか、
あるいは純粋な名乗りへの返礼だったのか――
「よ、よくぞ名乗った……! ならば神妙に聞け! 我が名は――」
「あ、それはいらないです」
リルファの声に遮られた刹那、魔法師の肉体から鮮血が迸った。
呼気が口ではない所から漏れる。
「か、はッ……」
リルファの剣が腹部を刺し貫いていたのだ。
すさまじい吐血。
桜吹雪のように舞い散る血肉を見て、リルファは艶然と微笑んだ。
「生きるはずであった時間の簒奪。これに勝る悦びはありませんね」
なすすべもなく、魔法師は絶命した。
仲間たちと同じ骸となり、祠の床を濡らすモノとなる。
リルファは何事もなかったかのように剣を引き抜き、血を払って鞘に収めた。
「それで、決行はいつになりそうですか?」
「結界に揺らぎが生まれるのは、大陸で最も魔力が消費される時」
「つまり――巨大国家による戦争、と」
「然り」
巨大国家。
この大陸で力のある国は4つ。
即ち、帝国・王国・連合国・神聖国。
それらが正面衝突するとなれば、放出される魔力は尋常ではない。
もっとも、実現すればの話であるが。
「私の方はうまくいきましたが、タリムさんはどうです?」
「問題ない。国王は逝った」
「くす。王国と帝国の覇者が両方とも死亡。もはや避けられませんね」
全ては自分たちの掌上。
リルファの口角は歓喜で吊り上がる。
だが、ここでタリムがそっと目を細めた。
「油断は禁物。まだ大陸の四賢を封じる準備が残っている」
大陸の四賢。
かつて邪神による侵略を食い止めた英雄たち。
その言葉を聞いて、リルファは少しだけ眉をひそめた。
彼女にとっては因縁の相手になるのだろう。
「四賢……ですか。まだ生きてるんでしょうかね」
「存命を前提として動く。異論は?」
「ないですよ。悲惨に殺してさし上げましょう」
優しいようで、その実は殺意に満ちた口調。
淡々としたタリムとは正反対である。
リルファは息を吐いて、小さな相棒に尋ねた。
「しかし、四賢対策というのは、”アレ”の覚醒ですよね?」
「然り」
「たかが一人の人間、戦力になるのですか?」
「奴は大陸の四賢を最も憎む存在。必ず役に立つ」
覚醒させれば、大陸の四賢を封殺できる人材。
秘蔵の切り札があることを確認し、リルファは快く頷いた。
「でしたら、一次決壊の後に起こしに行きますね」
「よきにはからえ」
それだけ言って、タリムは祠の外へ歩き出した。
話すべきことは済ませたということだろう。
終始、その少女は感情を表に出さなかった。
相棒が去り、静寂に満ちた祠。
その中で、リルファはもう一度大結界を見上げた。
「父上。すぐに起こしてさし上げます」
波乱に満ちた光を瞳にたたえ、邪神の娘は静かに嗤うのだった。
「大陸の終焉と共に――新たな世界を創りましょう」
次話→12/7
次話から10章開始。
ご意見ご感想、お待ちしております。
【作者近況】
更新が遅れてしまい申し訳ありません。
また活動報告の方にも書きたいと思いますが、
現在、就職活動の準備に追われ、執筆時間の確保が難しい状態です。
ですが、なるべく更新日に仕上げられるよう努力します。
がんばります!