エピローグ
俺たちが飛ばされたのは、王国の北部だった。
境界線上の大橋に限りなく近い、大河沿いの森。
鬱蒼と草木が茂った林の中に、転移門は立っていた。
「……思ったより王都に近いぞ」
徒歩ならさすがに数日かかるが、
ここから南下すれば最短ルートで王都に行くことができる。
祈り子の言う王国の端とはなんだったのか。
現状を確認して、バドは肩をすくめた。
「普通に内側から国境を食い破れる位置だな」
「したたかな方のようですね」
「こんなのが王宮に知れたら同盟決裂だぜ」
バドの言うとおりだ。
どうやって設置したかは知らないが、
王国の許可をもらっているとは思いがたい。
俺たちが告げ口するとは考えないのだろうか。
考えが顔に出ていたのか、ウォーキンスが注意してきた。
「祈り子とは敵対しない方が無難ですよ」
「やっぱりそうなのか?」
「ええ。祈り子は妙な神から神託という名の助言を受けています。
裏を掻こうとしても、逆に陥れられる可能性が高いですね」
妙な神、ね。
表情から察するに、どんな神かはウォーキンスも知らないらしい。
ただ、後ろに凄まじい存在が控えているとなると、迂闊に手は出せないな。
今のところ、王国との同盟意識はあるようだし、
国王に報告して刺激するのは避けたほうがいいかもしれない。
「しかし、不思議です」
「その門がか?」
転移門をペタペタ触るウォーキンスにバドが尋ねた。
「ええ。転移魔法陣ならば探知魔法で発見できます。
しかしこれは、魔素を発していないので捜索不可能です」
なんだそりゃ。
つまり、魔力を使わずして転移させてるってことか。
魔素はこの世の根源にして絶対なものだというのに。
祈り子は底知れない不気味さを持ってるな。
「門も見逃せねえが、まずは国王への報告だろ?」
「そうだな、先を急ごう」
神聖国が奇襲をかけてくれると言っているのだ。
これに乗じて攻め掛かれば、注意を釘付けにできる。
連合国を出てそんなに月日は経ってない。
何とか間に合いそうだ。
希望に胸を膨らませていると、ウォーキンスが高らかに宣言した。
「王都への転移魔法を使います! 覚悟はよろしいですか?」
「「え゛」」
嘔吐患者が二人増えた瞬間だった。
◆◆◆
路地裏のゴミを吹き飛ばしながら着地。
そして魔法陣が消える中、吐き気の処理をする男二人。
その後ろでニコニコしながら待機する使用人が一人。
堂々たる凱旋である。
「もう転移は懲り懲りだぜ」
「帝国の魔法師はこんな重圧に耐えてるのか」
侮りがたし、帝国魔法師。
まあ、俺も1回は耐えられるんだけどね。
2回連続となると、三半規管がノックアウトされてしまう。
ヨロヨロと路地裏から出ると、王宮の近くだった。
通行人は貴族や騎士ばかりだが、どこか様子がおかしい。
暗い顔をしていて、どこか落ち着きがないのだ。
「……なんか妙だな」
「どこか非日常の香りがします」
恐らくウォーキンスの嗅覚は正しい。
こんなにどんよりとした王国貴族たちを見るのは初めてだ。
バドも気になっているようで、適当な貴族を捕まえようとしている。
しかしその寸前、王宮前から声が飛んできた。
「皆様、無事でしたか!」
見れば、リムリスがこちらに走ってきていた。
峡谷から帰還してたのか。
安堵した表情の彼女に、俺は頭を掻いて答える。
「ええ、なんとか」
「まあ、俺様が護衛に付けばこんなもんよ」
バドが胸を張って言い切った。
すべての手柄は俺のものだと言わんばかりである。
見せてぇ、バドが連合国の温泉で撮ったカメラの中身を見せてぇ。
お固いイメージのあるリムリスが見たら、なんて言うんだろう。
眉一つ動かさず「汚らわしい」とか言いそうだが。
そんな想像をしていると、リムリスが書簡と羽ペンを取り出した。
「首尾はいかがでしたか?」
「えっと――連合国に石版は返還。
そして親帝国派は瓦解し、連合国は筆頭商王ソニアさんを中心に団結しました」
しばらくは連合国内で争いは起きまい。
一番大きな派閥争いに決着が付いたのだから。
しかし、リムリスは困惑したような顔になる。
「ソニア……? 筆頭商王はナッシュのはずでは?」
「その娘さんです。ナッシュは親帝国派の陰謀で亡くなりました」
「なっ……」
リムリスは絶句した。
そういえば、ナッシュが死んだ報告は届いてなかったっけ。
国王にとって切り札である親友が死んだのは、リムリスも予想外だったのだろう。
「でも、大丈夫です。ソニアさんはしっかりしている人ですよ」
「……なるほど、承知しました」
リムリスは冷や汗を掻きながら書簡に書き留める。
発言を記録されてるから、下手なことは言えないな。
それ以前に、一番伝えるべきことを話さなければ。
「それより、重大な報告があります。帝国が連合国を侵略しています」
「なんと……こんな時に……!」
焦った時の癖なのか、リムリスは爪を噛んだ。
しかし俺やバドが見ていることに気づき、すぐに手を引っ込めた。
リムリスはあまり感情を表に出さないが、ところどころ人間らしいから安心するな。
「何かあったんですか?」
「いえ、お気になさらず。
ひとまず、すぐさま重臣会議に上げて兵を派遣しましょう」
明らかに言葉を濁したな。
とはいえ、必死にガリガリと文面を書いているので、深く追及できる空気ではない。
だが、ここで沈黙クラッシャーが手を差し伸べてくれた。
「重臣会議? 何言ってんだ、国王案件だろうがよ」
バドはペンを走らせるリムリスの腕を掴み、正面から睨みつけた。
話すまで手を離さないつもりなのだろう。
すると、リムリスは苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
「王は今、謎の病で床に伏せております」
「だからどうした?
さんざん人を使い倒しておいて、ベッドの上だから会えませんってか?」
バドの辛辣な言葉に泣けてくる。
しかし、それよりも――
「陛下が病気で倒れてるんですか?」
「ええ、かなりの重篤です」
それはいかんな。
兵を動かさないといけない時だというのに。
しかし、俺は内心でガッツポーズをしていた。
こんな時のために、竜神の匙を携帯しているんだ。
幸いにして、エルフの妙薬もまだ残っている。
どんな病気かは知らないが――この二つが揃った今、恐るるに足らず。
「でしたら、俺が治しますよ」
率先して立候補した。
国王の病気を治すために。
しかし、返ってきた言葉は意外なものだった。
「レジス様、お気持ちは嬉しいですが――本日はお引き取りください」
「……え?」
今、リムリスは何と言った?
――本日はお引き取りください。
国王が死にかけているというのに?
忠臣と名高いリムリスが、なぜ――
「一国の命運にかかわることですよ?」
無意識に、俺は強い口調で尋ねていた。
しかし、リムリスは悲しそうな顔をするだけである。
このままでは、食い下がっても同じ返事しか返ってこないだろう。
「――リム、もうやめとけ」
ここで、バドが鋭く言い放った。
その言葉で、彼女の張り詰めた表情に迷いが生じる。
しかし、バドは一切の遠慮をしない。
さらなる追撃に打って出た。
「俺に隠し事ができると思ってんのか?」
「……う」
バドが仮面の奥からギラついた目を覗かせる。
それを正面から受けて、ついにリムリスの我慢が潰えた。
「バドだって、何も教えてくれないくせに!」
「それは関係ねえだろ」
おぉ、感情的になるリムリス。
貴重な絵である。
しかし、やはり俺やウォーキンスの視線に気づくと、彼女は我に返る。
コホンと咳をして、リムリスは改めて表情を引き締めた。
「失礼、取り乱しました」
そう告げるリムリスからは、先ほどの迷いが消えていた。
彼女は決意したように、片手を王宮の方へ向ける。
「では――真実をお見せ致します。
しかし、くれぐれもご内密にお願いします」
「ありがとうございます」
ひとまず礼を言って、俺たちはリムリスについていく。
荘厳な雰囲気の王宮も、今日は壁面が曇って見えた。
王宮の入り口を顔パスし、国王の私室がある階へと向かう。
その途中、ドアの前で佇む大臣がいた。
リムリスは書簡を取り出し、その人へと手渡す。
「重臣会議にこれを。私もすぐに出席する」
「ああ、迅速に頼む」
書簡を受け取った大臣は、この世の終わりみたいな顔になっていた。
やはり、ただごとではない。
嫌な予感を抱えたまま、俺たちは王宮の最上階へと向かう。
ここは王族が住まう、王国で一番アンタッチャブルな空間だ。
立ち入っていいのは、許可を受けた一部の重臣だけだと聞く。
国王の私室と思われる部屋の前には、侍従が何人も控えていた。
暗い顔をした側近たちに、リムリスは軽く挨拶する。
「ご苦労。報告のため入室させてもらう」
「ええ……ですがリムリス様――」
侍女の一人がリムリスに耳打ちをした。
すると、リムリスは隠し切れないため息を吐く。
「ええ、連れてきて頂いて構まわない。
あの方にも、現状を知って頂く必要がある」
どうやら、俺たちの他に誰かが来るようだ。
許可を得た上で、リムリスは王の部屋に立ち入った。
それに続いて俺たちも入る。
国王の部屋は、思ったよりも質素だった。
仕事をするための、最低限の設備。
そしてくつろぐためのベッド。
目につくのはそれくらいだ。
嘘偽りなく、王国のために粉骨砕身していたんだろう。
しかし、そんな国王は、ベッドの上に横たわっていた。
――凍りづけになった姿のままで。
「これが王です」
「んー……ご臨終ですね」
ウォーキンスが淡々と検分結果を告げる。
一瞬、氷で殺されたのかと思ったが、そうではない。
肉体の腐敗が進まないよう、氷魔法で安置しているのだろう。
もはやこれ自体が天然の棺桶だ。
「2週間前。痛みを訴えることなく、脱力感の中で息を引き取りました」
理解した。
いくら竜神の匙やエルフの妙薬でも、死者を蘇らせることはできない。
肉体を治癒する魔法はあっても、蘇生できる魔法は存在しないのだ。
「2週間前……か」
恐らく、最短ルートで戻ってきても間に合わなかっただろう。
というより、俺たちの辿った道こそが、現状での最短経路だったのだ。
旅を振り返っていると、ウォーキンスが眉をひそめた。
「もしや”永劫の不治”……?
血縁発症はゼロではありませんが、この歳で……?」
永劫の不治。
かつて大陸を震撼させた最悪の病気の一つだ。
ほぼ痛みのない状態のまま、力だけが抜けて死に至る。
どれだけ処置を施しても、一週間ほどで息絶えてしまうという。
ウォーキンスの言った血縁発症というのは、よく分からない。
遺伝でもするのだろうか。
しかし確信を持てないのか、ウォーキンスはそれ以上何も言わなかった。
「これが、皆様にお引き取り願おうとした理由です」
「ま、重臣たちは引き延ばそうとするだろうな」
リムリスの言葉に、バドはしみじみと頷く。
国王が死んだという事実。
これは、未曾有の危機ではないのだろうか。
じわじわと、嫌な未来が頭をよぎってしまう。
「今のまま発表しても、民が混乱するだけです。
葬儀と戴冠の準備が終わるまで、
王都の各紙には『闘病の中で政務執行中』と報じさせています」
なるほど、それで隠し通してたわけか。
しかし、バドは気だるげに口の端を吊り上げた。
「病に倒れながらも、最後まで国のことを案じた国王――って筋書きか。
いやぁ、感動は作れるとはよく言ったもんだ」
「バド! 茶化してる場合じゃないんだ」
皮肉を呟いたバドを、リムリスが叱責する。
彼女も疲労が蓄積しているのか、かなり参ってるようだな。
しかし、聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。
「ちょっと待ってください。戴冠ってことは……」
次の国王が就任するということか?
そう尋ねようとした時――
「父上ぇえええええええええええ!」
悲痛な声が、扉の方から聞こえてきた。
身なりの良い少女が、部屋の中に飛び込んでくる。
俺たちはとっさに横へ避けた。
すると、少女は氷の中にいる国王に駆け寄る。
「こ、氷……なんで……父上ぇ……」
涙をボロボロと零す少女。
年は俺と同じか、少し下くらいだろうか。
ふわふわとした金髪を、首のあたりでくくっている。
初めて見たが、そうか。
これが、国王の溺愛していた娘なのか。
「どうして、こんな姿に……」
「ナトレア様、手を火傷してしまいます」
氷に素手で触れて泣きつく少女。
ナトレア姫を、リムリスは遺体から離そうとする。
「……死なないと、ずっと余を見守ってくれると、言っていたではないか……!」
父の死に、ショックを隠し切れないようだ。
ナトレアはリムリスの制止を振り切ろうとした。
しかし、氷魔法で作られた氷の表面は、ドライアイスのように冷たい。
それにしがみつくナトレアの手は、凍傷寸前になっている。
「ナトレア様、そろそろ……」
「――なぜ」
キッ、とナトレアは目つきを豹変させた。
そして猜疑と怨嗟に満ちた瞳をリムリスに向ける。
「なぜだ! リムリス! 偽りなく答えよ!」
どこにも向けられない怒りの矛先を、リムリスに変えたのだ。
彼女は内大臣であるリムリスを必死で糾弾した。
「守れていたであろう!?
お前が……さっさと帰ってくれば、父上は……!」
「申し訳ございません」
それに対し、リムリスはただ頭を下げるだけだった。
しかし、ナトレアの癇癪は治まらない。
今にもリムリスに掴みかかりそうだ。
これを見て、なんとバドが間に入った。
「落ち着きな、姫さんよ。
リムは国王の課した任務を遂行したまでだぜ? 恨むのは筋違いだ」
すると、ナトレアはバドの胸を叩き始めた。
痛くも痒くもなさそうだが、悲痛な声が無意識に良心を抉ってくる。
「うるさい、うるさいッ! だいたい、そちは誰だ!」
「王臣護衛官のバド・ランティス。王宮の警護を司る者だ」
自国の姫に敬意の一つも払わないバド。
相変わらず一貫してるな。
不遜な態度を見て、ナトレアはさらに爆発してしまう。
「そちが……そちが死ねばよかったんだ!」
「あぁ?」
「なにが王宮の警護だ! なにが王臣護衛官だ! この役立たず共め!」
そう言って、バドとリムリスを責め立てる。
リムリスは軽く流していたが、バドは――
「クソガキが……」
拳を固く握りしめていた。
そうだった。
バドは子供との相性が悪いんだった。
相手が相手なので抑えが利くかと思ったが――
ナトレアの癇癪と同じで、彼の子供憎悪も発作的なものなのだ。
今にも鉄拳を振り下ろしそうなバド。
そんな彼を見て、リムリスが姫様を抱きかかえた。
「バド!」
「…………ッ、分かってらぁ」
リムリスの叱咤を受けて、バドは我に返る。
これ以上は危険と判断したのか、リムリスはナトレアを他の部屋に連れて行った。
「ふぅ……とんでもねぇ姫様だ」
「まあ、こんな状況だ。冷静にはなれないだろ」
自分の大切な人が、無残な死を遂げたのだ。
あれくらい動揺しても、おかしいとは思わない。
妹の自転車がアレされた時は、俺もすさまじかったからね。
人間、パニックになったら取り乱すさ。
「しかし、ナトレア様の姿は初めて見ましたね」
「ああ。表に顔を出すのは国王だけだったもんな」
国王が年を取って、ようやく生まれた愛娘。
万が一のことがあっては困ると、箱庭の中で育ってきたらしい。
つまり、彼女にとっての世界は、国王である父と、周りの侍女だけだったのだ。
その主柱が崩れたとなると、まあそうなるか。
「お待たせしました」
ここで、リムリスが部屋に戻ってきた。
かなり息を乱している。
暴れる姫様を大人しくさせるのに苦労したのだろう。
そんな彼女に、バドは神妙な顔をして尋ねた。
「そういえばリム、他の暁闇の懐剣はどうした?」
「――抹殺されたよ」
「は?」
バドは取り出しかけていた葉巻を床に落とした。
衝撃的な事実だったようだ。
彼は慌てたようにリムリスの肩を掴む。
「ちょっと待て!
シュターリン兄弟と渡り合ったドッズラは?
帝国の暗殺者を返り討ちにしたサロメは?」
「……だから、一人残らず死んだよ」
バドの他にも、手練れの暗殺者殺しが在籍していたのだろう。
しかし、全滅。
王都に帰ってくるまでの間に、殺されてしまったらしい。
バドは卒倒しそうになっている。
「どういうわけだ……単なる王様の病死じゃねえのかよ」
「その話と関連するんだけどね――」
ここで、リムリスは懐から一枚の書状を取り出した。
「こんなのが届いてたんだ」
俺たちはその文面を覗きこむ。
するとそこには、赤い血文字でおどろおどろしいことが書いてあった。
『我は帝国の牙。穢れた王家の血に終焉をもたらす者』
同時に、リムリスはことの概況を説明してくれた。
俺たちが旅立っている間に、王宮へ侵入した輩がいたらしい。
見たことのない魔法を使う女だったそうだ。
その女が手をかざすと、近衛兵は次々にと倒れてしまった。
暁闇の懐剣が迎撃に向かったが、歯が立たず虐殺される始末。
しかし犠牲の甲斐あり、王のいる階までは侵入させずに撃退したそうだ。
「しかしその直後、王の容態が急変しました」
「……触れてないのに罹患、ですか。毒魔法ではありませんね」
ウォーキンスは淡々と推測を続けている。
しかし、心当たりのある犯人はいないようだ。
己の所属する部隊が壊滅したと聞いたバドは――
「どうなってやがる……」
ギリッと歯を噛み締めた。
考えたくはないが――
もしバドが俺たちに付いて来てなかったら、
その暗殺者の相手をしていたことになる。
戦力が分からない以上、断言はできない。
しかし、バドも致命傷を負わされていた可能性が高い。
どちらにせよ、苦難が待ち受けていたのだ。
話し終わった後、リムリスは重々しく告げた。
「――帝国は、決して許されないことをやったのです」
自然と、王の私室に沈黙が流れる。
突然に訪れた国王の死。
そして、王宮の守護神であった暁闇の懐剣の消滅。
俺たちのいない間に、王都では転変が起きていたのだ。
と、ここで扉が静かにノックされた。
「――リムリス」
「姫様?」
「……先程は取り乱して済まなかったな」
扉を開け、ナトレアが入ってくる。
目のあたりが涙で腫れているが、先ほどと違い落ち着き払っている。
しかし冷静かと言われると怪しい。
「聞くが良い――余は決めたぞ」
復讐の光が宿った瞳。
ああ、その目は見たことがある。
復讐鬼として暴れていた頃の、エリックの瞳にそっくりだ。
彼女はぎゅっと拳を握りしめて、呻くように宣誓した。
「絶対に……許せぬのだ。余が討つべきは帝国。
その一族、貴族、民……一人残さず、なで斬りにしてくれる!」
やっぱり、ショックが尾を引いてるな。
考えることが過激で極端になってる。
バドはドン引きしており、小声で俺に告げてくる。
「……あのバカ殿が次の国王か?
冗談きついぜ。適当な親族引っ張ってこいよ」
「おい馬鹿やめろ」
姫様に聞かれたらどうする。
俺もお前も首が飛ぶぞ。
リムリスは聞こえていたようで、諭すようにバドへ告げる。
「平時は聡明な方なんだよ、本当に。
誰よりも親しかった王が死んで、平気でいられるわけないよ」
しかし、バドはどうもその考えに納得がいかないらしい。
説得しようとするリムリスに、嘲るように言い放つ。
「はっ、戦場に出たことのねぇ甘ちゃんだからだよ。
心が脆い奴ほどすぐに壊れちまう。そんなのは単なる足手まといだ」
それを聞いて、リムリスの表情が曇った。
そして不安そうに、内大臣ではなく、
一人の人間リムリスとして、バドに語りかけた。
「じゃあ、バドはさ――」
「あん?」
「――バドは、私が死んでも悲しんでくれない?」
それは、リムリスに取ってみれば単なる疑問だったのだろう。
しかし、それは何かの引き金だったらしい。
「――――ッ」
次の瞬間、バドは顔を押さえた。
仮面の内側をガリガリと引っ掻き始めた。
自傷行為で衝動を抑えようとしているのだろう。
「バ、バド……?」
明らかに苦しんでいる。
そんなバドを見て、リムリスが顔に触れようとした。
その誰も見たことのない、仮面の下に――
「痛っ!」
しかし、バドはその手を振り払った。
その上で、先ほどの問いに対する答えを返す。
「――テメェは俺を、そんな人間だと思ってんのか?」
すさまじく低い声だった。
当事者でない俺までもが震え上がってしまう。
ここで、リムリスは失言をしたと気づいたのだろう。
珍しく慌てた姿を見せ、バドに弁解しようとする。
「別に、そういうわけじゃ――」
「余の面前で何をやっておるか!
はよう、戦の準備をしろ! 弔い合戦ぞ!」
その一声で、両者とも争うのをやめた。
互いに「悪かったな」「いや、私こそごめん……」と謝っている。
緊迫した状況なのだが、二人の仲を見て感じ入ってしまった。
そうか。
幼馴染っていうのは、そんな感じなんだな――と。
ここで、正気に戻ったようで戻ってない姫様に、リムリスが応対した。
「ナトレア様、ご安心ください。すぐに帝国に向けて兵を出します」
「本当か? 父上の仇を、無念を晴らしてくれるのだな?」
一転、ナトレアは目を輝かせた。
頭の中は帝国への逆襲でいっぱいらしい。
でも悲しいな。
リムリスの言う出兵は、帝国を潰す大掛かりなものではない。
連合国を救うための陽動にすぎないのだ。
しかし、嘘も方便。
リムリスは胸を張って言い切った。
「ええ、このリムリスにお任せください」
「よし、内大臣リムリスを帝国撃滅の都督に任ずる!」
ととく……?
都督とはなんぞや。
まあ、アレか。
きっと将軍みたいなアレなんだろう。
リムリスは内大臣なので、軍事は専門じゃないんだが。
思い切った抜擢に、バドが苦言を呈する。
「……王位のねえ奴に任命権はないんだがな」
「なにか言ったか!? そこの能なし!」
「なんでもございませんよ、ヒメサマ」
うむ。
確実に言えることは、ナトレア様とバドは相性が悪いな。
火花を散らす二人に辟易したのか、再びリムリスがナトレアを外に連れて行った。
そして数分の後、迅速に部屋へ舞い戻ってくる。
なるほど、こりゃリムリスも憔悴するわけだ。
「――というわけで。
まずは後処理をしながら、連合国の救援をすることになります」
最初に国王の葬儀の準備。
そして戴冠式の用意。
それが済み次第、王の死を国内に発表。
それと並行して、直ちに帝国へ兵を送るというわけか。
「なにか手伝うことはありますか?」
「いえ、まずは領地に戻ってお身体を休めてください」
「はぁ……了解です」
俺は頷いた。
ウォーキンスはというと、考えこむように天井を眺めている。
そんな中、バドは葉巻を取り出して一服していた。
「キナくせぇことになってきたし、俺は王都にいるぜ」
「リムリスさんを守ってあげてくれよ」
「ふん、テメェに言われるまでもねえよ」
彼は照れを隠すように、もう一本の葉巻に着火した。
二本吸いか、豪勢だな。
リムリスと仲違いしたようなので心配したが、この分だと問題なさそうだな。
あれくらいの喧嘩は日常茶飯事らしい。
しかし、俺は気になったことを訊く。
「ていうか、ここで葉巻吸っていいのか?」
「バド!」
「いちいちうるせぇなぁ!」
リムリスに葉巻を取り上げられ、バドは面倒臭そうに叫ぶ。
やはりこの部屋は禁煙だったか。
渋々葉巻をしまったバドは、改めて俺に視線を注いできた。
「そんじゃ、まあ――ひとまずお別れだ」
「そうなるな」
バドは王都に。
俺はディン家の屋敷に。
旅を共にした仲間と離れるとなると、少し寂しく感じた。
バドはどうなんだろうか。
せいせいした、と胸を撫で下ろしてるんだろうか。
その辺りを探るため、俺は大きく息を吐いた。
「……正直、辛かった」
「同感だ」
「……死ぬかとも思った」
「同感だ」
「――でも、楽しかったよ」
「まぁ、悪くはなかったぜ」
バドは白い歯を見せて笑った。
どうやら、俺との旅を後悔しているわけではないようだ。
彼は目をそらし、照れくさそうに告げてくる。
「テメェみたいなガキが増えれば、俺も心穏やかに過ごせるんだがな」
「俺が増えたらって、どんな恐怖話だよ」
「はっ、違いねえ」
それなりに別れの挨拶も済ませた。
もう思い残すことはない。
先に部屋を出ていこうとするバドに、俺は最後の声を掛けた。
「じゃあな、親友」
「あばよ、仕事だけの関係」
「おい!」
「冗談だ。風邪引くなよ」
そう言って、バドはリムリスを伴って出て行った。
あいつらしい別れ際である。
次に会った時は、こっちから茶化してやらねばな。
ここで、今まで黙り込んでいたウォーキンスに声をかける。
「どうした? ウォーキンス」
「いえ。少し気になりまして……」
「ん、なにがだ?」
彼女は引っかかるような表情をしている。
うーんと唸りながらも、彼女は疑念を教えてくれた。
「いえ、単独で国王の暗殺ができる魔法師が、帝国にいるとは思えないので」
「ああ、それで考えこんでたのか」
確かに。
単独でとなると、帝撰魔法師にも成し得ない。
シャンリーズが頭をよぎったが、時期も使用魔法も合わない。
それに、そもそもあいつは帝国を見限っていたはずだ。
「まあ、わからないことに悩んでいても仕方ないですね」
「そのとおりだ」
証拠が足りないなら、出揃うまで待てばいいさ。
無理に断定して、混乱を招くことはない。
それに、せっかく長旅を終え、こうして帰ってきたのだ。
ホームでくらい頭を空っぽにして過ごしたい。
「それじゃあ、帰るぞウォーキンス!」
「はい!」
こうして――俺とウォーキンスは、意気揚々と王都を後にした。
思えば、色んな国を巡った。
連合国、帝国、神聖国。
この大陸にある主要国家を横断してきたのだ。
長かったようで、少しだけ短くも感じた。
仲違いもしたし、新たな出会いもした。
そんな不思議な旅は、ディン領への帰還によって幕を閉じたのだった。
しかし、俺は――レジス・ディンは予感していた。
国王の逝去した王国が、これから最大の渦中に巻き込まれることを。
その中で、俺はウォーキンスという人物と、正面から向き合う時が来ることを。
そして、大いなる存在が、
この大陸に近づいているのではないかということを――
しかし、構わない。
これから始まるのが、波乱を呼ぶ休息なのだとしても。
俺は駆け抜けるだけだ。
祈り子と会ってから、妙な光を宿し始めた――この紋章と共に。
王国帰還編・完
次章『大陸の落日編』→11月中に投稿予定
多忙につき少々時間がかかりそうです。
ご意見ご感想、お待ちしております。
【以下、コマーシャル】
書籍版ディンの紋章4巻が8月25日に発売されます。
――あの感動を、もう一度(どの感動かは不明)
何卒、よろしくお願いします。