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第十二話 記憶の簒奪者

 ――時は、少しだけ遡る。



 レジスが国境へ出発した日の夜。

 一人の男が、帝都へと到着していた。


「……はぁ、これでようやく半分かよ」


 男の名前はバド・ランティス。

 暗殺者を葬る『暁闇の懐剣』に所属する戦士である。

 彼は疲労の息を吐きながら、懐の水をグビグビと飲んでいた。


「もう騎士は勘弁してもらいたいとこだが……」


 思い出すのは単独行動を始めた直後。

 部隊からはぐれた騎兵に襲いかかり、血を体内に仕込んで脅迫した。

 死にたくなければ帝都まで運んでいけ、と。


 見たことのない巨大な馬。

 そして、それを悠々と乗りこなす男。

 彼らのお陰で、帝都近くまで来ることができた。


 しかし、それは騎士の仕込んだ最後の罠だった。


「……チッ、まだ痛みやがる」


 なんと騎士は、駐屯していた仲間のもとに、道連れ覚悟で突っ込んだのだ。

 自分が死んだとしても、バドを通さないつもりだったのだろう。

 そこから屈強な騎士3人による猛攻が始まり、死闘の末にここまで逃げてきた。


 退却時に大打撃を与えたが、絶命までは至らず。

 じきに追手が来るだろう。

 この帝都にも長くはいられない。


「まあ、馬飼い騎士の頭が死んだのは朗報だな」


 先ほど、号外のビラに面白いことが書いてあった。

 自分を苦しめた騎兵の頭領が、つい早朝に遺体で発見されたそうなのだ。

 おかげで帝都は慌てふためいており、警備も緩くなっていた。


 バドが怪しまれることなく帝都に入れたのも、その事件のおかげである。

 この機会を逃す訳にはいかない。


「……水分補給。それと、干し肉だな」


 かつてなく巨大な都市であるため、何度も迷った。

 しかし、店が立ち並ぶ場所は分かる。

 そこに行けば、文字通り何でも揃った。


 騎士から奪い取った金で旅に必要な物を揃える。

 保存用の物資を買ったところで、バドは今の喉の渇きを癒やすことにした。


 繁華街を歩いていると、非常に賑わっている酒場を発見する。

 ”迷鳥の止まり木”。

 ずいぶん賑わっているようなので、人混みに紛れることができるだろう。


「ここでいいか」


 バドは酒場の中に入ると、カウンターの端に座った。

 棚には古今東西の銘酒が並んでいる。

 王国ではお目にかかれない北部特有の地酒もあった。

 目を奪われていると、マスターが声をかけてくる。


「いらっしゃい。お客さん、何にする?」

「…………」


 バドは積極的に酒は飲まない。

 酒のなじむ舌ではない上に、思考が鈍ってしまう。

 しかし、嫌なことがあった時だけは、少しだけ嗜むことにしていた。

 鬱屈とした気分を、酔いで緩和するのだ。


「そこの一番上の列から、適当なのを一つくれや」

「あいよ」


 注文を終えると、すぐに酒瓶が目の前に置かれた。

 注文システムが王都の酒場とは違うらしい。

 一杯しか飲まないつもりだったのに、これでは無駄にしかならない。


「はぁ……やってられねぇ」


 グラスに酒を注ぎ、チビチビと飲んでいく。

 ずいぶん強い酒であるらしく、喉に絡みつくような熱さを感じた。


 それに加え、ひどく辛い。

 舌がピリピリと痺れ、思わず咳き込んだ。


「どうかしたかい、お客さん」

「この酒、なにか変なもん入ってんのか? 辛すぎるだろ」

「それ……だいぶ甘い酒なんだけどなぁ。

 あ、もしかして、酒を飲むのは初めてかい?」

「んなわけねえだろ」


 鬱陶しくなり、バドは会話を打ち切った。

 そして再び酒に口をつける。

 やはり、ひどく辛い。

 焼けるような痛みすら感じる。


「……なんだってんだ」


 バドは深々とため息を吐いた。

 すると、ぼんやりと先日の一件が脳裏に浮かぶ。


 非難するような目を向けてくる少年。

 そして、追及を逃れようと脅迫してくる女。

 あの場では、自分が異質なものとして扱われていた。

 異常なのはお前だ――と言わんばかりに。


「あの女がヤベェ奴だって、分からねえはずねえだろうがよ」


 本当に、鈍い。

 心がざわめくほどに鈍い。


 人間であれば、直感的に分かるはずなのだ。

 あのウォーキンスという女の危険性に。

 いや、それを知った上で傍においているのか。

 だとすれば、なおさら――


「……救えねえ」


 バドはグラスを置いた。

 辛いだけではなく、非常に度数が強い。

 少し嚥下しただけで、頭がぼうっとする。


 落胆のせいか、あるいは悔恨のせいか。

 酒への耐性がなくなっているようだ。

 そのせいで、気づかなかったのかもしれない。


 すぐ右隣に、いつの間にか見知らぬ女が座っていたことに。


「――――ッ!?」


 バドは反射的に椅子から飛び退った。

 段差で転びそうになりながらも、視線は逸らさない。

 いきなり動いたバドを周囲が奇異の目で見ているが、

 そんなことを気にしている暇はない。


 この街にいる間は、最大の警戒をしていたはずだった。

 たとえ酒に浸っていたとしても、不意を突かれることはない。

 暗殺者を葬るものとして、そこだけには確実な自信を持っていた。


 しかし――


「どうかしましたか?」


 目の前にいる女は、気づくことなく隣席に座っていた。

 緑と紫がまだらに混ざり、腰のあたりまで伸びた髪。

 年のほどは20代の半ばといったところだろうか。


 仰々しい装飾が施された、見たことのない鎧を着込んでいた。

 あまりにも圧倒的な存在感。

 しかし、周りにいるたくさんの人間は騒がない。

 彼女に対して一瞥もくれない。


「くすくす。こんな酒場で、跳躍の鍛錬ですか?」


 わざとらしい笑い方で、バドに声をかける。

 心底馬鹿にしたような嘲笑だった。

 バドは武器を構えかけたが、周囲を見渡して断念する。


 ここは酒盛りをする客の坩堝。

 暴れたくはないし、この女が敵だったとしてもこの場で無茶はしないだろう。


「何でもねえよ、気安く声掛けんな」


 毒を吐き、バドは再び席に戻った。

 ほとんど意地である。


 椅子に座った途端、肘が女の手に当たった。

 むしろ、女の方から当ててきたようにも見えた。


 その瞬間、鋭い魔力が流れ込んできた。



「――――」



 一瞬、思考が止まる。

 先程から感じている妙な酔いが、再び頭の中に広がった。

 ぼんやりと視界が歪み、冴えた思考ができなくなる。


 しかし、攻撃されたわけではない。

 それだけはおぼろげに分かった。

 身体接触による、ただの魔力感知だ。


 フラフラと頭を揺らすバドを見て、女は媚びたような声を出す。


「飲まないようなので、これもらいますね?」


 そう言って、女はバドのグラスをかすめ取った。

 飴色の酒を、許可なくチビチビと飲んでいく。

 それを見て、バドの瞳に再び光が宿った。


「…テメェ! なにを勝手に――」

「なぜ、怒るのですか?」


 女の人差し指が、バドの額を軽くつつく。

 それだけでバドの反抗は止まった。

 平衡感覚がぐらつき、酩酊した時のような状態になる。


「この世の物は、私に盗まれるために存在しているのに。意味がわかりませんよ?」

「……何言って」

「その真っ黒な服も、面妖な仮面も、懐に仕込んだ短剣も――

 みんなみんな、私が盗むまで他人が預かっているだけ。

 まさか、それすらもご存じないのですか?」


 バドの言葉を封殺し、女は一方的に喋りかけた。

 そして喉が渇いたところで、奪いとった酒を飲み下す。

 すると女はうっとりしたように目を細めた。


「ただ、この甘いお酒は好みです。

 今日はもう、盗むのはやめにしときましょうかね?」

「……いちいち俺に聞くのはやめろ。癪に障る」


 女の尋ねるような口調に、バドは苛立つ。

 しかし、女性はまるで動じない。


「――迷っているようですね。私が聞いてあげましょうか?」

「いらねえよ、帰れ」


 バドは門前払いにしようとした。

 すると、女はバドに顔を近づける。


 その瞬間、バドの頭の中が再び霞みがかった。

 宙に浮いたような感覚に、意識がとびかける。

「話して、くれますよね?」


「…………」


 妙な高揚感に支配され、バドは首を横に振れなかった。

 危機本能が、機能しない。

 骨抜きになっている。


 しかし、それを自認しているにも関わらず、

 バドの脳裏に『断る』という選択肢は浮かばなかった。


「……笑いやがったら、承知しねえぞ」

「ええ、聞く時は真面目ですよ、私」


 バドは渋々と話すことにした。

 いや、話すよう誘導されてしまった。

 酒を呷る女に、バドはぽつりぽつりと話し始める。


「……俺はな、生まれつき鼻が良いんだ」

「確かに、そんな感じの顔をしてます」


 仮面を被っているはずのバド。

 そんな彼に対し、女は同意の頷きを返す。

 しかし、仮面の内側が見えているわけではないだろう。


 一言発した途端、バドは自分の舌が自然と回り出すのを感じた。


「胡散臭くて、どう考えても裏切りそうな奴ってのは匂いで分かんだ。

 ヘラヘラ笑って何も話しやがらねぇ。

 そんな女がどういう輩かなんて……一発で判別できる」


 バドは、ぼんやりと感じていた。

 口が回るのは、目の前の女の雰囲気にアテられているのだろう。

 しかしそれ以上に、溜め込んでいた不満を吐き出す場を、

 無意識に求めていたからかもしれない、と。


 冷徹に暗殺者を葬らねばならないというのに。

 女に対して悔恨の言葉を吐く自分に苛立ちすら覚える。

 そんなバドの言葉を受けて、女は興味深そうに身を乗り出してくる。


「ほうほう、裏切りそうな奴ですか。私はどうです?」

「聞くなら黙って聞け」

「はーい」


 屈託なく席に着く女。

 それを見て、バドはこの女が誰かに似ていることに気づいた。

 見紛うはずもない、今まさに議題に上っているウォーキンスだ。


 風貌や背丈は違えど、どこか同じような雰囲気を感じた。

 彼女はバドの注文した酒を飲み干す勢いで嚥下する。

 そんな行動を横目で非難しながら、バドは天井を見上げた。


「それでよ……ちょっと気を許した奴がいたんだ。

 まあ、ちょっとだけ死んだ友人に似てたガキでよ」


 妙な黒髪の少年。

 貴族らしさがまるでない、凡俗で打たれ弱そうな雰囲気をしていた。

 だが、彼と話していると、子供を相手にしている気がまるでしなかった。


「本当なら、ガキなんて蹴り飛ばしたくしかならねぇ。

 だが、そいつは不思議と心の中に入ってきたんだ」

「男の友情……? いいですねぇ」


 友情。

 そんな安っぽい言葉でくくってほしくない。

 片付けてほしくない。


 そう思ったものの、バドは否定しきれないでいた。

 職務の執行中だというにも関わらず――

 あの少年とは話していた時は、悪くなかった。


 親しみさえ覚えたし、初めて腹の立たない子供が現れてくれたとさえ思った。

 しかし――


「それが、だ。そのガキは側に置いてる胡散臭い女を庇いやがった」

「おっと、ドロドロしてまいりましたね」

「茶化すなよ。その女が怪しいのは決定的なんだぜ?

 なんで俺が異常な目で見られなきゃいけねえんだ」


 今でもあの視線を思い出す。

 黒髪の少年から向けられた、非難の瞳を。


 ――何をしているんだ。

 ――なぜお前が怒っているのか理解できない。

 彼の表情は、そう語っていたように思えた。


 きっとこっちが失望の目を向ける以上に、

 少年はこちらに幻滅の目を向けていたのだろう。

 結果的には、少年の身を案じたためでもあったというのに。

 本当に、馬鹿なやつだ。


「なるほどですね。それで腹が立っていたと?」

「それだけじゃねえよ」


 バドは給仕の女のことを思い出す。

 ウォーキンスといったか。


 常に柔和な表情をしていて、警戒心を解かせようとする姿勢。

 裏のある人間の典型的な仕草だった。

 あれを疑うなという方が無理だ。


 バドは蓄積した苛立ちを乗せて、ディン家の使用人を糾弾する。


「身の上話を好まねえ俺ですら……最低限のことは話した。

 背中を向け合って動く以上、それは譲れねえ義務なんだよ」

「まあ、得体のしれない何かに命は預けたくないですもんね?」


 バドは頷く。

 初めて目の前の女が、まともな合いの手を打ってきたように感じた。

 こちらの欲しいところに、最適のタイミングで相槌が打たれる。


 だからこそ、ボロボロと、素性の知れない女に話してしまっているのだろう。


「ところがその女……問い詰めても何してもだんまりだ。

 ガキも怒鳴りつけて吐かせりゃあいいのに、甘やかしやがる。

 俺からすりゃあ、気持ち悪い関係でしかねえよ」


 バドの目には、ウォーキンスという女が少年を誘導し、

 バドの脅威から守らせているようにしか見えなかった。


 しかし、少年はまるで気づこうとしない。

 いや、分かった上でかばっていたのか。

 それなら、なおさら救われない。


「その二人の間にあるのは信頼関係ではない、と言いたいわけですね?」

「利用しようとする女と、それを疑わず心酔してるガキ。

 そりゃあ互いにかばい合うさ」


 二人の間で完結した、素晴らしい人間関係だ。

 たかだか長期の旅を共にした仮面男の言うことなど、聞き入れるはずもない。

 それが分かった瞬間、バドは急速に熱が引いたのを覚えている。


「そんな腐りかけの関係に俺が巻き込まれる筋合いはねえ。

 それに……昔、なあなあで付いて行って痛い目見たんでな」


 あの二人について行くのは、ダメだ。

 合理的や安全性以前に、バド・ランティスとしての在り方を脅かす。

 あそこで折れて同行するのは、死んだ親友に対して侮辱にしかならない。


 だから、選んだ。

 単独での帰国という道を。

 居心地の悪くない少年の元から離れ、道無き道を進んだのだ。


 過去を思い出したのか、バドは無意識に手を固く握りこんでいた。

 それを見て、女はボソリとささやいてきた。


「なるほど、そのせいで”キルク”さんが死に、

 リムリスさんは悲しみ、バドさんは子供が嫌いになっちゃったんですね?」


「――――ッ!?」


 バドの瞳孔が見開かれる。

 死んだ親友の名前を、この女が口にしたからだ。


 なぜ、子供に殺意が湧くようになってしまったのか。

 なぜ、仮面をかぶり始めたのか。

 なぜ、リムリスの世話を焼こうと決意したのか。


 全ての始まりとなった朋友の名を、この女は告げてきたのだ。


「……なんで、その名を」

「え、バドさんがさっき自分から言ってましたよ?

 バド・ランティスの名前と一緒に、大切な親友の名前を。

 なんで覚えてないんですか?」

「……そう、だったか?」


 バドは必死で思い出そうとする。

 軽々しく親友の名前を口にするはずがない。

 あの少年にさえ、このことは話していないのだから。


 しかし、思い出せない。

 霞がかかったかのように、直前の会話の内容すらおぼつかなくなる。

 そんなバドを見て、女は締めの持論を展開した。


「なるほどなるほど?

 つまり、バドさんは少年と仲良くすることはまんざらではない。

 しかし、従者の女性が怪しすぎて同行したくない。

 なぜなら過去の経験が警鐘を鳴らしているから。――そういうことですね?」


 乱暴なまとめ方だと、バドは思った。

 まるでそれでは、自分が理屈のない我を通したみたいじゃないか、と。

 しかし、それが真実なのかもしれない。

 周りから見たら、そう思えてしまうのかもしれない。


 バドはぐらつく意識の中で毒を吐いた。


「……言っただろ、下らねえ話だって」

「いえいえ? 興味深い話でしたよ、本当に。

 暇つぶしの種には持って来いでした。

 はー、俗世に浸かるのも悪くないものです」


 女はわざとらしく肩を回す。

 バドの頼んだボトルは完全に空になっていた。

 締めの水を注文すると、女はバドに向き合った。


「では、お礼と言ってはなんですが、

 長く生きる先輩として一つだけ助言をして差し上げましょう」

「先輩……?」


 どう見ても自分のほうが歳上であるのに。

 バドはうつろな目で女性を見つめなおす。

 すると、女は顔を覗きこんできた。


「信頼できる仲間が信頼している人を、

 もっと尊重してあげたほうがいいですよ?」


 しけた啓蒙家が口にしそうな言葉。

 そういう戯言は、バドがもっとも好まないものだった。

 しかし、不思議と反発する気概が湧いてこない。


「信頼されるのは難しい。

 その難しいことを成し遂げるには、それだけの理由があります。

 バドさんはそれを洗脳と言っていましたが、本当にそう思っているのですか?」

「…………」


 バドの内面に、思い切り踏み込んできた。

 お前は自分に、嘘をついていたのではないか?

 口調から、そんな思念が伝わってきた。


 バドが反論しようとした寸前、女はかぶせるように告げてきた。


「都合のいい逃げ道を探しただけですよね? ダメですよ、それじゃあ」


 都合のいい――逃げ道。


 平時ならば、馬鹿なことを言うなと切り捨てることができた。

 しかしバドは、その言葉が腹の奥にズンと響いてくるのを感じた。


「自分の気に食わないものは、全て悪い。

 それを肯定する奴は愚かだ、ゴミだ、掃き溜めだ。

 そんな思考に陥ってしまうのは、世界の狭い人の考えですよ?」

「……知ったような口を利きやがるな」

「ええ、事実として、っていますから」


 答えになっていない一言。

 しかし、その重みは否定しがたい。

 否定できない何かを、この女から感じた。


「自分の気持ちには正直になるべきです。

 少なくとも、私に盗まれるまではね?」


 そう言って、女は運ばれてきた水に口をつける。

 反駁するのであれば、ここしかない。

 バドは脳内に広がる陶酔感を押し込め、女を睨みつけた。


「……説教はやめろ。結局、俺にどうしろってんだ?」

「さあ? それはバドさん本人が分かっているはずですよ」


 焦らすような態度。

 自然、バドの胸中に苛立ちが渦巻き始める。

 しかし、この苛立ちは、女に対してのものではなかった。

 その矛先は、他ならぬバド自身に向いているのだ。


 本当は、最初から分かっていた。

 折り合いをつけるのは、レジスではなくこちらの方だったのだと。

 ただ、それを素性の知れない女に正面切って指摘されるまで、認めようとしなかった自分。

 往生際の悪い己に対して、バドはひどく情けない気持ちになったのだ。


「信頼できないとか、怪しいとか、経験則で危険だとか、故人に失礼だとか、

 そういった偏見を抜きにしたら、バドさんの根源たる想いは一つのはずですよ?」


 滔々と語る女。

 ある結論に誘導させようとしていることは、今の状態でも見抜けた。

 しかし、だからといって反発しようとは思わない。

 この女が言わせたがっている結論こそ、バドが望む答えなのだから。


「好きになれない人と遠ざかるより、

 心を通わせられる人の下に行きましょう?

 仲間と過ごした日々というのは、

 その長短にかかわらず、とても素晴らしいものなのですから」


 宗教家のような口ぶり。

 そんな女に対し、バドは――


「……知ったような口を利くんだな」


 不機嫌そうに答えた。

 だが、この女のいうことは完全に当たっていた。


「人の子の思考というのはひどく単純です。簡単に予見できますよ?」


 気に入らない者のために離脱して危険を冒すより、

 まだ許容できる人に目を向けて我慢する。

 それが実情的にも、思想的にも、バドにとっての最適解だったのだ。


 しかし、それをこの女に的中されたのは癪だった。

 肩をすくめるバドに、女は最後の答えを迫っていく。


「それで、バドさんの出した結論は?」

「さあな、教えねえよ」


 バドは即答した。

 わざわざ言わなくても、この女は分かっているはずだから。

 バドの返事を受けて、女は満足気に頷いた。


「いい顔です。ゆめゆめ、その想いを忘れないようにしてくださいね?」

「それで……テメェは結局なんだったんだ?」


 得体のしれない女。

 普段のバドならば、声を掛けられた時点で追い返していたはず。


 しかし、話してしまった。

 相談して、眠っていた本心を揺り動かされてしまったのだ。


 バドの問いに、女は答えない。

 ゆっくりと席を立つと、恭しく一礼した。


「ではでは、愚痴を聞かせていただいたのは、この盗魔将リルファでした」

「……とーましょう? リルファ?」


 やはり聞き覚えのない名前だった。

 バドはゆだった頭の中で反芻する。


「ええ、タリムよりは確実に雄々しい名前でしょう?」

「……かもな」

「えへへ。かっこよさで相棒に勝つと、名乗った甲斐があります」


 どうやら、誰かと一緒に行動をしているようだ。

 その相棒はこの酒場にはいないのだろうか。

 ぼんやりと考えるバドに、リルファと名乗る女は微笑みかける。


「さて、それでは私は行きます。ここで盗むべきものは全部盗み終えましたので」

「……盗むべきもの?」

「あれ、号外読んでないんですか?」


 ニヤニヤしながらリルファは訊いてくる。

 恐らく、号外の記事について言っているのだろう。

 そういえば、帝都に来た時、妙に街中騒がしかった。


 その原因は、確か――


「……なんだ?」


 思い出せない。

 しっかりと号外を読み、頭に入れたはずなのに。

 なぜ街が騒がしかったのかを回想しようとすると、砂利のようなノイズが走るのだ。


「……なんだっけ、外が騒がしかったのは覚えてるがな」

「ふふ、肝心なところが思い出せませんね」


 リルファは意地悪げに呟き、残った水を一気に飲む。

 そしてグラスを机の上に置くと、バドに優しく語りかけた。


「じきに思い出しますよ。

 私に関する記憶は、なくしたままになりますけどね」

「……どういう」


 そのまま出口へ向かおうとする女。

 バドは慌てて引きとめようとする。

 しかし、身体に力が入らなかった。


 先ほどから感じていた頭の痺れが、全身に広がったのだ。

 妖しい陶酔感に包まれ、意識が薄くなっていく。


「それではさようなら、バドさん。

 万物が塵の価値と化すまで、余生を楽しんでください?」




 それが――バドの聞き取れた最後の言葉だった。




     ◆◆◆




 夕暮れの酒場で、バドはゆっくりと目を覚ます。

 どうやら完全に寝ていてしまったらしい。


 長旅の疲れのせいだろうか。

 バドは寝る直前のことを思い出そうとする。

 しかし――


「……っ」


 ズキリと、激しく頭が痛んだ。

 何があったのかも思い出せない。

 確か自分は、喉を潤すために酒場に入ったのだ。


 そこで酒を注文して、隣に誰かが座って、それから――


「思い……出せねぇ」


 すっぽりと記憶が抜け落ちている。

 酔い潰れたわけでもないのに、意識を失ってしまったらしい。


 酒場を出たバドは、足元に落ちているビラに気づく。

 それを拾い上げると、あることを思い出した。


「……そうだ、遊撃の馬蹄の団長が死んだんだっけか」


 この帝都に来た時、最初に知ったことだったはず。

 なぜ今まで忘れていたのだろう。

 もっと言えば、なぜ酒場に入った後から記憶がなかったのだろう。


 逡巡しつつも、バドは大急ぎである場所へ向かった。


「まだ、間に合うか分かんねえが……」


 帝宮近くには、帝国の管理する厩舎があったはず。

 当然、そこには馬がいるはずだ。

 それの世話をしている騎士も、同伴している可能性が高い。


「……この好機、利用させてもらうぜ」


 バドはビラを投げ捨てた。

 団長ロベスペルリが死んだということは、通常業務などできようもない。

 少なくとも、昨日の今日で機能が回復しているとは考え難いのだ。


 今ならば、厩舎にいる騎士を脅して馬を走らせることができるかもしれない。

 手が回る前に、カタを付ける。


 そう思って厩舎に到着したバドを待っていたのは――


「止まりな、そこの仮面男」


 全てを悟ったような顔をした帝国騎士の出迎えだった。

 まだ若いにも関わらず、肝の据わった出で立ち。

 露見していたかと、バドは内心で舌打ちをする。


 懐の中でナイフを握りしめ、己の素肌に押し当てようとした。

 しかし、騎士は何を思ったか馬車の扉を開いた。


「早く乗りな。他の騎士に見られると庇いきれん」


 そう言って、彼は御者席に乗り込んだ。

 そしてキョロキョロと辺りを見渡している。

 それを見て、バドは怪訝な顔になった。


「……どういうことだ?」

「俺だって敵兵の護衛なんて御免だぜ?

 だが、お役所勤めである以上、命令は絶対なんでね」


 やれやれ、と騎士は自嘲するように肩をすくめる。

 敵意がないことを全力でアピールしてきていた。

 バドは馬車に近づいていきながらも、牽制を飛ばす。


「テメェ、俺の正体を知ってるんだろ。なんでこんな真似しやがる」

「敬愛する上司の指示に従ってるだけさ。

 仮面の男がここに来たら、西部国境へ連れて行けってな」

「……誰の差し金だ?」


 少なくとも、帝国には知り合いなどいない。

 王国から潜伏している諜報員もいるとは思うが、

 数年前から連絡が取れずにいるので除外。


 不審に思っていると、騎士が伝達書を読み上げる。


「えーと、ジョンドゥって奴の頼みらしいぜ。伝言も預かってる」

「……ジョンドゥ?」


 ますます知らない。

 聞いたこともない奇妙な名前だ。


 しかし、バドも愚昧ではない。

 すぐに真意を理解することができた。


 ジョンドゥというのは、明らかに偽名。

 恐らく、バドに助力するよう頼んだ人物は――


「それで、そいつはなんて言ってるんだ?」

「――『始まりと同じように、終わりを共にしよう』と」


「……はっ、甘ちゃんが」


 その言葉で確信し、バドは乾いた笑いを発した。

 同時に、歯を噛み締めてこみ上げるものを抑える。

 まさか、あれだけのことがあって、よくも、まあ――


「なんだ、そのツラ。ニヤついて気持ち悪い」

「感慨に浸ってる時くらい、放っといてくれや」


 そう、仮面の上からでも、表情を読み取られてしまうくらい――

 今のバドは、ある感情で満たされていた。


「ったく……悪態ついて別れた奴に、よくそんなこと言えたもんだ」


 決別した少年の姿が脳裏をかすめる。

 そしてバドは、心底思った。

 恐らく彼は、見捨てるということができない人間なのだろう、と。


 それは皮肉でもあり、心の底から湧き上がる歓喜の発露でもあった。


「本当に、救いようのねぇお人好しだよ」


 バドは馬車の座席に飛び乗った。

 ウォーキンスという女は気に入らない。

 現状で信用することは不可能だ。


 しかし、あの少年がいるのなら――


 久しぶりに抱いた、実直な想い。

 ここまで自分の感情を出すのは十年ぶりだろうか。

 しかし、後悔はない。



 たとえ追いついた先で何が起ころうとも、受け入れることができるだろう。

 自分の選んだ道として、きっと――



「それじゃあ、出してくれや」

「しっかり掴まっときな。

 振り落として怒られちゃたまんねえ」


 軽口を叩いて、騎士は馬に鞭打った。

 ライオットホースの咆哮と共に、帝国を出る馬車は走りだす。


 仮面の男が見詰めるのは、はるか遠方。

 この道の先にいるであろう少年に向け、バドは真摯に言い放ったのだった。




「呼ばれたからには、駆けつけてもいいんだよな? ――なあ、レジス」






次話→8/1(21時更新予定)

期末恒例の行事のため、少し更新がゆっくりになります。

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