第十一話 立ち塞がる壁
食事を終え、俺達は宿を出発した。
その途中、通行人が慌ただしく話をしているのを聞いた。
街は遊撃の馬蹄団長・ロベスペルリの死去の話で持ちきりである。
治安維持軍のトップが逝っちゃったわけだからな。
町人としても不安になるのだろう。
しかし、厄介な相手が消えたので、こっちとしては好都合だった。
馬に関しては、エルンベリアが手続きをしてくれているはず。
恐れることなく利用させてもらおう。
俺達は意気揚々と帝宮近くの厩舎へと向かったのだった。
◆◆◆
指定された時間より早めに到着した。
厩舎の奥には、遊撃の馬蹄が乗りこなすライオット・ホースが多数繋がれていた。
辺りを見渡して、俺はあることに気づく。
「やっぱり、利用客が全然いないな」
「この情勢の中ですからね」
俺たち以外に馬車を使おうとする人はいないようだ。
まあ、これだけギチギチに厳戒態勢だものな。
交通官とやらへの許可がいる時点で、好き好んで乗ろうとする人はいない。
「しかし、来ないな」
「ロベスペルリ氏の逝去で宮中が忙しくなっているとか」
「その可能性大だな」
緊急事態なんでやっぱ馬出せません、とかならなきゃいいが。
心配していると、遠くの方から一人の男が近づいてきた。
ここ数日で何度も見た藍色の甲冑。
帝国騎士、それも遊撃の馬蹄の団員だ。
男は俺達の前に来ると、恭しく声をかけてきた。
「お待たせしました。
遊撃の馬蹄、兵站課騎士の私――アインがご案内致します」
鋭い三白眼の瞳。
しゅっと背の高い風貌は、圧倒的なシャープさを感じさせた。
そんなアインさんとやらに、気になっていたことを尋ねる。
「ロベスペルリ殿は?」
「ひどいものです。
なぜわざわざこんな時期を選んで死ぬのでしょう。
葬式の準備だとかで、金にも名誉にもならない労働が追加されてしまっています」
やれやれ、とアインは露骨にめんどくさそうな顔を擦る。
自分のとこのボスが死んだわけだが、全然堪えた様子はない。
むしろ死んでせいせいしているかのようだった。
「葬式の準備、手伝わなくていいのか?」
「ええ。実は私、あの団長は嫌いでしたので」
言っちゃったよ。
なんとなく態度で分かっていたけどさ。
すると、アインは悪びれずに一つ咳をした。
「失言失礼。
騎馬の管理をする者がいりますので、こちらの職務に専念しているだけです」
要するに、ここの仕事を引き継いだらしい。
帝宮がドタバタしてるのは間違いないようだな。
「ちなみに、ロベスペルリ殿を嫌っていた理由っていうのは?」
「本来ならば、私は翌週に左遷が決まっていました。
縁もゆかりもない、北東の紛争地域へとね」
「ああ、やっぱり……」
帝都に来る途中で出会った騎士のようになりかけていたわけだ。
気に入らない奴を飛ばしまくるとは、上司の風上にも置けんな。
育成ゲームで大器晩成型を育てられないタイプだ。
アインは厩舎の門を開け、改めて深々と一礼してきた。
「陛下に、そして姫様にお仕えする騎士として、お二方を西端の国境まで送り届けます」
「……国境? 街じゃなくて?」
「国境越えをなされる、と姫様から聞き及んでおりますが、違いましたか?」
「……いえ、まあ」
口軽すぎぃ。
いや、合ってるけど、合ってるけどさ。
完全に王国の使者ってバレてるじゃないか。
内心でエルンべリアを恨んでいると、アインは擁護するように告げてきた。
「たとえ敵国の者であろうと、姫様のご意向は絶対。
裏切りはもちろん告げ口などもしませんので、何事も気になさらず旅路をお過ごしください」
断言してくれるのは嬉しいが、それでいいのかね。
明らかな利敵行為だというのに。
首を捻っていると、ウォーキンスが耳打ちしてきた。
「信じて大丈夫だと思います」
まあ、ここは信じる他に手はない。
エルンべリア姫の紹介だし、大船に乗ったつもりでいよう。
「姫様より、餞別だそうです」
と、ここでアインは一枚の紙を渡してくる。
丁寧な包装だ。
なんだ、俺への愛を綴った手紙でもくれるのか。
しかし、破ってみれば中に入っているのは小さな紙切れだった。
レシピのメモ帳に使われてそうな紙質である。
「……えー、なになに」
『王国の使者ジョンドゥへ。
こいつはベルの部下だから、好きに使い倒してやってね』
以上である。
裏返してみても、他には何も書いていない。
まさかあぶり出しってわけじゃないだろう。
「ちょっと姫様、自由すぎやしませんかね……」
「我が主です」
アインはキメ顔でそう言った。
愉快な人だなこの人も。
淡々としているので、もっとおかたい人かと思っていた。
安堵した俺は、昨夜から考えていたことを切り出す。
「あ、もし馬の管理ができるなら、一つ頼んでもいいですか?」
「私が命じられたのはお二方の移送のみですが――なんでしょう」
アインはさっと手帳を取り出した。
本当にマメな男である。
「仮面の男が来たら、俺達と同じように馬を出してやって欲しいんです」
「仮面の男に、馬を?」
「ええ。きっとあいつも帰れなくて困ってるでしょうから」
街道には騎士が溢れ、馬を貸してくれるのは公営の厩舎でだけ。
これでは足を確保することなどできまい。
「レジス様……バド様のことを」
「あいつには無事でいてほしいからな」
俺は別に、バドを嫌いになったりはしない。
彼の臆病さと警戒心は、共感できるものだったからだ。
ただ、少しすれ違ってしまっただけ。
また会いたいというのが――俺の本音だった。
「わかりました。交通官に書状を送っておきましょう」
「ありがとうございます。その時が来たら、仮面の男に伝言を」
「ふむ、なんと伝えますか?」
アインは怪訝そうにじっと見つめてくる。
そんな彼に、俺は情感を込めて告げたのだった。
「――『始まりと同じように、終わりを共にしよう』と」
「承知しました、部下に必ずや伝えさせます」
そう言って、アインは指をパチンと鳴らした。
すると、鎖が地面に落ちるような音がする。
重低音とともに、厩舎の中から巨大な馬が出てきた。
遊撃の馬蹄御用達のライオットホースだ。
「車体は頑丈さを第一にしており、馬にも軽装の鎧を着せております。
並みの敵襲であれば跳ね返すことができます」
「へぇ……それは心強い」
まあ、帝国騎士の乗った馬車を襲う輩なんていないだろうがな。
強いて言えば、無奪の盗賊を警戒するくらいか。
アインの部下らしき騎士は、馬を慎重に車体と連結させる。
そして、出発後のことを指示し、部下を下がらせた。
「では、出発しましょう。お乗りください」
こうして、ついに俺たちは帝都を出発したのだった。
◆◆◆
1日が経過。
早くも道のりの3割近くを消化していた。
分かってはいたが、ライオット・ホースの脚力たるや尋常ではなかった。
景色が線となり後ろへ消えていくほどだ。
また、操縦者のアインの存在も大きい。
商人の雇っていた操り手とは一線を画す乗りこなし。
絶妙のタイミングで休憩を挟むなど、人馬の効率を最大限に引き出していた。
さすがはプロの騎兵である。
この分だと、あと数日ほどで帝国を脱出できそうだ。
連合国が徹底的に立てこもれば、さすがの帝国といえども攻めあぐねる。
少なめに見積もって、攻め落とすのに2ヶ月近くは掛かるだろう。
この帰還ペースであれば、十分に間に合いそうだ。
しかし、油断は禁物。
スムーズに動けるよう、俺はウォーキンスに確認を取る。
「ウォーキンス。神聖国に入った後のことは考えてるのか?」
席に腰を預けるウォーキンス。
彼女は異次元から取り出した本をパラパラとめくって読んでいた。
しかし俺の言葉を受けると顔を上げる。
「ええ。祈り子のいる聖都へと向かいます」
「また歩くのか……?」
「いいえ、国境を越えればすぐに着きますよ」
なんと。
聖都は帝国との国境からそう離れていないのか。
そんな場所に国家の元首たる祈り子がいて大丈夫なんだろうか。
まあ、帝国と共に800年前に成立して以来、
領土を他国に譲ったことのない稀有な国家だ。
なにかしらカラクリがあるんだろう。
「ちなみに、神聖国の知識や土地勘は?」
「多分、レジス様とそう違いはありませんよ。
恥ずかしながら、神聖国には立ち入ったことがありませんので」
神聖国での案内人はなしか。
まあ、すぐ聖都にたどり着いてしまえば問題ない。
祈り子様とやらに庇護を求めて王国へ移送してもらおう。
「ここから国境まで岩場が多くなります。非常に揺れますのでご注意を」
「あ、了解です」
手慣れたもので、アインは快調に馬を操っていた。
一応警戒していたが、裏切って刃を向けてくることはなさそうだ。
純粋に、エルンベリアの指示を貫徹しようとしているのだろう。
そんな彼に、仕えている主のことを尋ねてみる。
「アインさん。エルンべリア姫はどういう人なんです?」
「どういう人、と申されますと?」
「帝王にとってみれば、俺たちの存在は邪魔のはず。
そんな兄の意向に背くなんて、大丈夫なのかなと」
なにせ、帝国軍を撤退させるために援軍を呼ぼうとしているのだ。
もし俺たちの動向を知れば、帝王も全力で潰しに来るだろう。
しかし、エルンべリアは俺たちを見逃した。
何か、特別な理由があるのだろうか。
「……私にも、分かりかねます」
アインは困ったように頭を掻いた。
部下である彼でさえ、エルンベリアの考えは読めないらしい。
「叔父であるジャンポル卿との敵対は当然として。
仲の良い陛下のご指示に対しても、姫様は苦言を呈されているのです」
ほう、現在の帝王に苦言をねぇ。
政策の方向性で仲違いでもしてるのだろうか。
「そのご指示っていうのは?」
「他国への侵略です」
「それはまた……帝国っぽくないですね」
思わず苦笑が漏れてしまう。
帝国という国は、古来から大陸統一を悲願にしている。
その目標達成のため、代々の帝王は侵略を繰り返してきた。
当然、手段も選ばない。
厳格な階級制を敷き、他種族とすら協定を結び、圧倒的な物量で領土を広げてきた。
王者の風格漂う、大陸一の軍事国家なのだ。
そんな自国の歴史を否定するとは、帝室らしくない姫様である。
「もっとも、無茶な攻撃は陛下とて望んでおりません」
「……ん、帝王も?」
それはちと違うだろう。
王国から見れば、現帝王こそ歴代最大レベルの好戦家である。
なぜなら、ここ二十年を取り出しただけでも、
王国は帝国からすさまじい攻撃を受けているのだから。
大陸線上の大橋近くでの小競り合いに始まり、王国輸送船の軍事的襲撃。
そして極めつけは、この間の王都内乱だ。
完全に王国を潰しに来ていたというのに。
そのことを告げると、アインは苦々しく呟いた。
「そのほとんどは、老父卿ジャンポルが裏で動いています」
「……なに?」
「帝都貴族を通じて兵を集め、後に引けない状態を作り出す。
そうやって、陛下にとって不本意な侵略を繰り返してきました」
正直、眉唾な話だった。
帝国の侵略のほとんどは現帝王ではなく、その叔父の所業だというのだから。
責任逃れの風説ではないのかとすら疑ってしまう。
しかし、ウォーキンスは腑に落ちた様子だった。
「なるほど、そんな理由が……」
「心当たりがあるのか?」
「ええ。帝国は50年近く前の”王帝血戦”の後、
しばらく他国への進撃を止めていましたからね」
王帝血戦。
前に聞いたことがあるな。
帝国と王国は何度も戦争を繰り返してきたが、その中で最も死者を生み出した最悪の戦いだ。
「王帝血戦に臨んだのは四代前の陛下ですね。
粗野な方で、大変戦を好んだと伝えられています」
ちなみに、その帝王は王帝血戦の最中に負った傷が悪化して死去。
彼の跡を継いだ帝王は打って変わって、平穏な治世を好んだという。
それからは小競り合いこそあれ、両国の間で大きな戦は起きずに済んでいた。
先代の帝王が即位する、20年前までは――
「それが、なぜこの20年で再び侵略を繰り返したのか。
その理由がようやく分かりました。
帝王の裏で、ジャンポル卿が暗躍していたのですね」
先代の帝王が即位したのは20年前。
その前後からジャンポルの干渉が始まったと見ていいだろう。
そして、帝王の代が変わった現在においても、その影響は及んでいる、と。
なるほど。
エルンベリアが危険を冒してまで貴族に釘を刺していた理由がはっきりした。
納得したところで、俺は一つのことを問いかけた。
「ちなみに、アインさんはどれに賛成なのですか?」
もし究極的な場面になった時に帝王に着くのか、
あるいはエルンべリアに着くのか。
この問いに対して、アインはふっと笑って即答した。
「私は姫様の剣刃となる者。
意見などなく、あったとしても持ち手に沿わせ、ただ主の願いを遂行するだけです」
それが聞けて安心した。
すさまじい騎士道精神である。
その生き方、息苦しくないのだろうか。
しかし、俺の隣にいるウォーキンスは全力で共感していた。
無言のまま、うんうんと頷いている。
そんな彼女に、俺はこっそり耳打ちした。
「……ウォーキンスは別に、自分の意志を優先していいからな?」
「ええ、自分の意志でレジス様のお傍にいるのですよ」
嬉しいことを言ってくれる。
とはいえ、可能な限り彼女の想いを尊重したい。
ホワイトな職場を作るのも主の役目なのだから。
まあ、前世でロクに働けてなかった俺が言うのも片腹痛いがね。
そんなことを考えている内に、車内での2日目も終わった。
◆◆◆
出発して一週間近くが経過。
道の険しさもマックスになり、ついに国境地帯へと到着した。
最後の中継地となる田舎街も先ほど通過。
今走っている谷を突破すれば、神聖国が設置した関所が見えてくる。
いよいよ、帝国にサヨナラバイバイする時間が近づいてきた。
「神聖国とは関所で隔絶されてるのか」
「ええ。堅固な門に加え、祈り子の呪符が張ってあります。
侵略しようとする軍にとっては厄介でしょうね」
呪符て。祈り子は陰陽師か何かなんですかね……。
詳しく聞くと、永続的に魔法陣を発生させる魔法具であるらしい。
それに手を触れると魔力が回復する上、攻撃魔法の起点としても使える。
攻守揃った対帝国兵器の一つであるらしい。
怖や怖や。
帝国民と見なされたら雨のように魔法が降ってきそうだ。
「関所の人に事情を伝えて、聖都まで連れて行ってもらいましょう」
「それが一番安全そうだな」
ウォーキンスの打ち出した計画で行こう。
祈り子様とやらのパワーで王国へ送り届けてもらうのだ。
さあ、この谷を抜けていざ参ろう。
王国と盟約を結び、大陸を愛する宗教国家へと――
「――敵襲です!」
悲鳴のような大声が轟いた。
とっさに前を向く。
すると次の瞬間、車体が大きく傾いた。
急ブレーキに伴い、顔面を壁に打ち付ける。
思わず昏倒しかけた。
しかし、既に俺の身体は動いていた。
「ちぃ――ッ!」
扉に蹴りをかまし、ウォーキンスの手を引く。
そのまま二人で馬車の外へ飛び出した。
一拍遅れて、アインも飛び降りたのを視界の端で確認。
すると次の瞬間、車体に次々と氷の槍が突き刺さった。
「なッ……!?」
アインが目を剥く。
車体の壁を軽々と突き破る、その槍の破壊力に。
「馬鹿な……鋼鉄の外壁だぞ」
頑丈さを売りにしていた馬車。
その後部座席は、鋭い氷柱で剣山のようになっている。
あと少し避難が遅れていれば危なかった。
「平気か、ウォーキンス」
「ええ、ひとまずは第二波に備えましょう」
俺とウォーキンスは立ち上がり、魔力を整える。
それよりも早く、アインは動いていた。
彼は馬車の御者席から大槍を取り出し、倒れこんでいたライオットホースに飛び乗る。
そして土煙に浮かぶ黒い影に向かって咆哮した。
「貴様ら、帝室の認可を受けた馬車を襲うとは何事だ!」
しかし、煙の先にいる連中は答えない。
しびれを切らしたアインが突進していこうとする。
だが、その前にウォーキンスが魔法を詠唱していた。
「――『シャビーウイング』ッ!」
強力な風圧で土煙を晴らそうとしたのだろう。
しかし、煙の向こうから同じ質量の風魔法が飛んできた。
ギャリッ、と嫌な音を立て、風が相殺される。
その余波を受けて、アインは足を止めた。
今の詠唱で、場所が知られてしまった。
それならば――
「広がり渡れ、蒼穹の天空。
其が慟哭は大地を濡らす――『テミスクライ』」
俺は広範囲の水魔法を詠唱した。
これはイザベルから教わった魔法。
本来は地形を変えるために使うのだが、こういった応用もありだろう。
たちまち魔素が風雲を生み出し、豪雨を巻き起こす。
今度ばかりは阻止されず、襲撃者の姿が明るみになった。
「なッ、貴様らは――」
アインが驚愕のあまり目を見開く。
目の前に立っていたのは、予想だにしない連中だったらしい。
帝国魔法師であることを示すローブ。
しかし黒く塗りつぶされたその色は、特別な意味を表す。
帝都防衛の切り札であり、最強の魔法師集団と世に名高い――
「帝撰、魔法師……!」
アインは歯噛みしていた。
帝国が誇る最強の魔法師たちが5人。
連中は禍々しい魔力を纏い、こちらに向かってきていた。
完全に殺す気で来ている。
そのあまりに純度の高い殺意に、苦々しい笑いがこみ上げてきた。
「……ここに来て、こいつらかよ」
なるほど、簡単には帝国から出させてくれないらしい。
次話→7/23(21時更新予定)
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