第十話 ミツケタ
帝宮近くに戻ると、そこにはウォーキンスがいた。
その周りには警戒するように三人の魔法師。
そして、苛ついた挙動で直立するロベスペルリの姿もある。
もう戻ってきてたのか。
俺は堂々と姿を表し、ロベスペルリに告げた。
「さて、俺達を解放してもらおうか」
「貴様……調印は済ませたのだろうな?」
間髪入れず尋ねてくるロベスペルリ。
どうやら調印してないことはバレているようだ。
しかし、恐れることはない。俺は肩をすくめて尋ね返した。
「姫様のことを聞いていないのか?」
「それは別件だ。私は真っ先に調印をしろと命じたはず」
確かに、本来なら帝宮に入るのが無難だったのだろう。
しかしこちとら、少女を保護したら次代の帝王だった、なんていうウルトラCをかました後なんでな。
彼女の行動は、当然お前の命令に優先する。
「ついでに話を通しておいた。
姫様が手続きをしてくれているはずだ」
「……おい、交通官に聞いてこい」
ロベスペルリは面食らったような顔になる。
そして魔法師の一人を中へと向かわせた。
疑り深いやつだ。
しばらくして、魔法師が走って戻ってきた。
耳打ちで情報を受け取ったロベスペルリはつまらさなそうに頷いた。
そして確認するかのように見据えてくる。
「なるほど、夜の便に乗るというので間違いないな?」
「いや、朝出発のはずだが?」
「……チッ」
舌打ちしやがったよ。
何食わぬ顔で鎌かけやがって。
一応、ホラを吹いていないか確かめたかったのか。
どうやら、エルンベリア姫は約束を守ってくれたようだ。
彼女のお陰で、こいつの目論見は完全に破綻した。
ふふ、悪は滅びる運命よ。
「それで、まだ何か用があるのか?」
「……ふん」
俺の問いに、ロベスペルリは顔を背けた。
部下を引き連れ、帝宮の中へ戻っていこうとする。
しかし、最後に振り向かぬまま脅かしてきた。
「北の蛮族が……いつかその首を切り飛ばしてやる」
どうやら、シャドレイア家に対してずいぶんと敵意があるようだ。
田舎貴族と馬鹿にしながらも、その力を無視はできない、といったところか。
まるでセフィーナが当主をしていた時のジルギヌス家みたいだな。
嘆息していると、ウォーキンスが横から飛びついてきた。
「レジス様! 素晴らしい機転でした!」
頭を抱えられ、そのまま高速撫で撫でをされる。
年齢にそぐわぬ仕打ちだが、その心地よさは異次元だった。
しかし、今の俺はロベスペルリとの騙し合いで疲弊の極み。
そのねぎらいを甘受する余力は残っていなかった。
俺は魂が抜けそうな勢いで脱力する。
「……はぁ。すげえ怖かったよ」
敵地で別人を演じるのが、こんなにもヒヤヒヤするとは。
二度と経験したくない緊張だった。
そんな俺に後ろから抱きつきながら、ウォーキンスが囁いてくる。
「……ちなみに、姫様というのは?」
「ああ。帝王の妹に助けられたんだ。
おかげでさっきの追及も切り抜けられたよ」
あの暴君姫様には感謝せねばなるまい。
まあ、先に助けたのは俺の方だったのだけれど。
「そういえば、その姫様から聞いた話なんだけど――」
危険の見返りと言っては何だが、色々と収穫があった。
俺はエルンベリア姫から聞き出した話を、ウォーキンスへと伝えた。
帝王の叔父と思われる人物が帝室で暗躍していること。
その歯止めを掛けるために、対立する帝王の妹が釘を刺していたこと。
これらを話すと、ウォーキンスは顎に手を当てて頷いた。
「なるほど……帝室内での権力争いが見えてきましたね」
情報が加わったことで、推理がはかどったのだろう。
探偵ウォーキンスの考察力やいかに。
しばらくの熟考の後、彼女は答えを出した。
「端的に申し上げまして――
帝国は継承戦争が起きないよう、十全の注意を払っています」
「……なのに、内部で抗争が起きてるのか?」
「恐らく、先代の帝王が後継者を決めないまま崩御したのでしょう」
「なるほどな」
継承の詳細に関しては、帝国民にも伝わっていない。
帝室でのゴタゴタなど、外部に知られれば大打撃だ。
必死で隠したくなる理由もわかる。
「ウチの国王に話したら喜びそうな話だな」
「ですね。喜び勇んで侵攻計画を立てると思います」
帝国内部で争いが起きているのなら好都合。
その混乱に乗じて攻め滅ぼせばいいだけだ。
しかし、ここで俺は考えてしまった。
帝国を潰すということは、つまり――
「どうしました? レジス様」
ふと、額に手を当てられる。
気がつけば、嫌な汗を掻いていたらしい。
「いや……ちょっと、考えちゃってな」
「エルンベリア姫のことですか?」
俺はコクリと頷いた。
帝国を打倒した場合、火種になる王族は生かしてもらえないだろう。
エルンべリアは、前世で言えば中学生になるかならないかの娘だった。
握れば砕けそうな手、掴めば折れそうな首。
真の意味で、ガラス細工のように儚い肢体だった。
「最初はさ……その娘、シャドレイア本家の人だと思ってたんだ」
でも、本当は違った。
彼女は帝室の人間。
それも次代の帝王になる人物だったのだ。
つまり、いつかは俺たちの敵となって立ちはだかる存在。
根本的に、敵対する運命にある人間なのだ。
「もし、彼女と二人きりの時に、王族だと分かってたら――」
俺は腰元に手を伸ばす。
そこにあるのは、敵を斬り裂く紛うことなき凶器。
その表面を撫でながら、俺は呟いた。
「俺は……このナイフに手を掛けたんだろうか」
「――いいえ、掛けてないと思います」
頭の端にこびりついた迷い。
しかし、ウォーキンスはその戸惑いを一刀両断した。
「……それは、戦力的な意味でか?」
「いいえ、心情的な意味でです」
心情的。
つまり、内心で思いとどまるってことか。
本当かと思う内心の俺がいる一方、
ウォーキンスの言うことには素直に頷くことができた。
「そうだな。多分……怖気づいちゃって、殺そうとはしなかったと思う」
途中で少女の正体に気づいていたら、俺は次のように考えたはずだ。
どうすればこの少女を、殺さずに済むだろう――と。
人の生死には、積極的に関わりたくないのだ。
ふと、ウォーキンスが俺の髪を撫でてきた。
褒めるような、称えるような、優しげなタッチだった。
「ふふ、そんなレジス様だからこそ、
ウォーキンスはお慕い申し上げているのですよ」
迷っていた俺を、正面から肯定してくれる。
どこかが欠けていても、突き放さず、親身に受け入れてくれる。
前世では決して覚えたことのない、噛み締めたくなる嬉しさだった。
「それに古来より、暗殺で大事を為した人はいません」
「別に、暗殺しなくても大事は為せそうにないけどな」
そろそろ、うつむくのは終わりにしよう。
苦笑しつつ、俺は前を向いた。
すると、視界にウォーキンスの顔が飛び込んできた。
その距離、指一本分。
不良のガンの飛ばし合いでもここまで接近はしないだろう。
気恥ずかしさを感じ、俺は光の速さで目をそらした。
なんつうピンポイントなところに立ってるんだ。
たじろぐ俺を見て、ウォーキンスは小悪魔っぽく微笑む。
「おや、どうしましたレジス様。お顔が赤いですよ?」
「なあに、気にすることはない。夕日のせいだ」
お茶を濁しながら、俺は辺りを見渡した。
夕日が出ているのは嘘ではない。
辺りは鮮やかなオレンジ色に染まり、夜の訪れを予告していた。
「これで、帝都における難関も突破できましたね」
「かなりギリギリだったけどな」
ようやく、帝国の国境に続く道筋へ至ることができた。
疲弊こそしたが、達成感もひとしおである。
クタクタの俺に対し、ウォーキンスのテンションは最高潮だった。
「ひとまず今日は戦勝祝いに、良い宿に泊まりましょう! えい、えい、おー!」
「……おー」
とりあえず声を抑えようか。
めちゃくちゃ目立ってる。
しかし、ちゃんとした宿に泊まれるのはありがたいな。
ウォーキンスの案内で、
俺たちは貴族街近くの宿屋に宿泊することになった。
夕餉を楽しみ、風呂で冷や汗を落とし、
綺麗サッパリな状態でベッドに倒れ込む。
俺が眠るのは角部屋で、
すぐ隣りの部屋をウォーキンスが押さえてくれている。
安心して眠れようというものだ。
気を緩ませた途端、急激に瞼が重くなった。
……なんだ、疲れのせいか?
疑問を挟む余地すらもない。
意識を抜き取られるようにして、
俺は深い深い眠りについたのだった。
◆◆◆
肌寒い。
そして薄暗い。
ぐるりと辺りを見渡せば、広がっているのは果てしない廊下。
どこにも扉はなく、ただひたすらに道の続く回廊。
そんな場所に、俺は所在なく立っていた。
おかしいな、俺は布団に入って寝ていたはずだが。
湧き上がる焦燥と共に感じる、リアルな感触。
俺の五感が、今の状態は錯覚ではないと主張していた。
回廊のあちこちには、瞳をかたどった装飾がところ狭しと並んでいる。
赤、青、金、銀……毒々しさを放つカラフルな眼、眼、眼。
もはや回廊というより、瞳でできた建築物だ。
ひどく、気味が悪い。
立っていても仕方ないので、俺はゆっくりと歩き出した。
コツコツと、静謐な回廊は足音を反響させる。
最初の角を曲がった。
しかし、代わり映えのしない回廊が続く。
「……なんだってんだ」
背筋に言い知れぬ寒気が走った。
だが、歩いていれば必ず出口があるはずだ。
俺は次の曲がり角を目指した。
『――けた』
ピタリと、足が止まる。
人の声のようなものが聞こえたのだ。
『ようやく――見つけ――魔眼の――げだね』
やはり気のせいではない。
発信源は、曲がり角の先だ。
姿は見えず、途切れ途切れに声が聞こえるだけ。
その声は歓喜に満ち溢れていたが、縋りつくような執念も感じた。
『――が迫ってる――早く――ぼくと――』
何かを、言っている。
しかし、聞き取れない。
得体も知れない。
俺は立ち止まったまま、一歩も動けずにいた。
『――あれ?
もし――して――声が――聞こえ――のかい?』
今のは、聞き取れずとも言っていることがわかった。
俺が反応を示さないことを疑問に思っているのだろう。
しびれを切らしたのか、声の主は接近してくる。
しかし、その足音は俺と一線を画していた。
ズルズル、と粘ついた何かを引きずるような音。
声の主は、歩きながら深い息を吐いていた。
『そっか――封印――てる迷宮――
離れてるから――届きにく――だね』
生理的に嫌悪を覚える異音。
粘ついた音を立てながら、こちらに近づいてくる。
『でも――返事は――るでしょ?
ほら――目を――せて――れよ』
距離が、詰まる。
薄暗い曲がり角に、怪しい影が落ちる。
俺はナイフを抜き、全ての神経を張り詰めさせた。
すると、影はズルズルと音を立てて角の向こうへ消える。
そして、訪れたのは沈黙。
一欠片の気配もしない。
諦めて、どこかへ行ったか。
小さく息を吐き、気を抜いた瞬間――
『やっぱり――聞こ――てる――じゃないか』
背後に、それは立っていた。
おぞましい何かが、密着するように背後にいる。
そして、振り向かずとも分かった。
後ろに立つそれは、狂喜した笑みを浮かべているのだということが。
『ねえ――××××くん?』
告げられた一言。
それは、俺にとって特別な意味を持つ言葉。
レジスに成る前、確かに持っていたモノ。
予想外のものを突きつけられ、俺は――
おれは――
お、れ――は――――
◆◆◆
「――――ッ」
身体が飛び起きた。
ぐらつく視界を、頭を揺さぶって元に戻す。
恐怖に駆られ、慌てて周囲を見渡した。
「……はぁ、はぁ」
おぞましい何かはいない。
ズルズルとした音も聞こえない。
窓の外からうっすらと光が差し込んでいるだけだ。
時間は早朝。
どうやら相当な早起きをしてしまったらしい。
「……夢か」
最悪の悪夢だった。
感触や五感がリアルだったので気味が悪い。
しかし、ある事柄だけでアレが夢だと確信できた。
得体のしれない者から告げられた、ある名前。
それは、この世で、俺だけが知っているものなのだから。
「ったく……朝から縁起が悪い」
「――レジス様、大丈夫ですか?」
コンコン、と扉をノックされる。
先ほどの恐怖が残っていたので、思わずビクついてしまう。
「ど、どうした?」
「悲鳴をあげていましたので。もしや何かご気分でも」
「いや、大丈夫だ。足をつっただけだよ。寝相が悪いと困るな」
適当にごまかしておく。
雑談には持って来いな夢だったが、
心配させてまですることではない。
「もう起きる時間か?」
「いえ、まだ大丈夫です。もう少し寝られますよ」
ふむ、出発は早朝だと思っていただけに。
落ち着かないな。
ウォーキンスがいるので寝過ごすことはないが、
果たしてこのまま二度寝をしていいものか。
「――号外! 号外! 号外だよぉおおおおお!」
「な、なにごとですか!」
すさまじい声が外から響いてきた。
そしてなぜかウォーキンスも部屋に転がり込んでくる。
何をしとるんだお前は。
しかし、今注目すべきなのは外の人間だ。
貴族のうろつく通りで大騒ぎするとは勇気があるな。
いや、それすら関係なくなるほどに重大なことが起きたのか。
外を見ると、ビラが舞い散っている。
窓を開けた瞬間にヒラリと舞い込んできた。
それを拾い上げ、見出しに目を通す。
『訃報――遊撃の馬蹄団長”ロベスペルリ氏”、死亡』
「……なに?」
つい最近聞いた名前だ。
というか、昨日にさんざん話した男だ。
そんな人物が死んだと聞いて、驚きを隠せない。
「むむ、このウォーキンスにも見せてください」
ウォーキンスが肩越しに覗きこんできた。
首元にかかる吐息にドキリとするが、今は読むのが先だ。
俺は記事のあらましに目を通す。
『見回りをしていた官吏が、帝宮内でロベスペルリ氏の遺体を発見。
外傷は一切なく、毒魔法などの魔素も検出されなかった。
まるで魂を抜かれたかのように事切れていたという。
急遽、老父卿ジャンポル閣下が指揮を執り、原因を究明している』
自殺か他殺か、それすらも分かってないのか。
相当に不可解な死に方をしたらしい。
「病気……ってわけじゃないよな」
このタイミングは、偶然ではありえない。
何者かの意志が働いているように思える。
「ウォーキンス」
「なんでしょう」
「これ、お前じゃないよな?」
「はい、違います」
即答された。
あまりの早さに二度見してしまう。
だが、彼女はきょとんとした顔をするだけだ。
まあ、嘘はついていないだろう。
「しかし、外傷が一切ないというのは気になります」
「単なる心臓発作だったりしてな」
「そうですね、悪いことをした罰を神様が下したのかもしれません」
ジョークもほどほどに、この話は終わりにした。
死因がわからない以上、追求のしようがない。
厄介な敵が倒れたとでも思っておこう。
「ふぅ……目、覚めちゃったな」
さすがにこの状態から二度寝できるとは思えない。
朝日も昇ってきているので、大人しく起きるとするか。
すると、察したのかウォーキンスが気を利かせてくる。
「そろそろ朝食を取りますか?
よろしければ部屋までお持ちしますが」
この宿屋は一階にたくさんの個室があり、
そこでまったりと食事ができるようになっている。
ウォーキンスの言うとおり、宿泊部屋でも食べることはできるが――
「いや、下で一緒に食べようぜ」
「はい!」
俺はウォーキンスと食事を摂りたかった。
先ほど見た夢を、彼女といることで忘れたかったのだ。
聞くとは思わなかった名前を聞いてしまったため、胸焼けがする。
これを鎮められるのは、朝食を置いて他にあるまい。
俺は深いため息を吐く。
「朝食をとったら、いよいよ帝都もおさらばか」
「つまり、最後の晩餐というわけですね……!」
「さすがに朝からツッコミは入れんぞ」
まったく、縁起でもないことを。
まあ、適度にからかってくるのはいつものことだ。
俺は苦笑しながら、ウォーキンスと階下へ向かったのだった。
次話→7/18(21時更新予定)
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