第九話 隠密の継承者
眼前にそびえ立つのは、立派な屋敷。
少女の家というわけでもなく、本日の宿というわけでもない。
一言で表すなら……そう、見知らぬ帝国貴族の家である。
今ここにいるのは俺一人。
しかし、少女から解放されたわけではない。
俺は空を見上げながら、先ほどの会話を脳裏に描いた。
『ここで待ってなさい』
『うす』
『逃げたら首を屋敷の置物にしてあげるから』
『うす』
『まともな返事は?』
『はい!』
この世の理不尽さを知った次第である。
下手にバックレて通報されてはたまらない。
だからこうして、他人の邸宅前で無為な時間を過ごしているのだ。
「おまたせ、もういいわ」
と、ここで少女はやりきった顔で玄関から出てくる。
もう終わったのか。
思ったより早かったな。
周りの目を気にしてか、彼女はいそいそとフードを被った。
「なにしてたんだ?」
「帝王への反乱分子に釘を刺してたの」
反乱分子か。
腐敗貴族の台頭する王国と違い、
帝国は帝王を頂点に統率されてるイメージだったが、その実態は違うらしい。
「その話、詳しく聞いても?」
「帝王が今、連合国へ遠征に行ってるのは知ってるわよね?」
「…………ああ」
一瞬、返事をするか迷った。
しかし、連合国への出撃で大軍が動いているのは事実だ。
一部の諸侯には伝達があったものと見ていいだろう。
その証拠に、少女は追及してこず、そのまま反乱分子の概況を述べた。
「帝王の目が届かないのを良いことに、反帝王の派閥を作ってる輩がいるの。
だから、唆された貴族に警告してたのよ」
「派閥……? 誰がそんなことを――」
「帝王の叔父、”老父卿”ジャンポルよ」
俺の疑問に、少女は苦々しくつぶやいた。
心底うんざりした様子だ。
老父卿ジャンポル――さっき聞いた名前だな。
親族ながら帝王に喧嘩を売るとは、すさまじい野心家と見える。
と、ここで疑問が湧いてきた。
「でも、お前はシャドレイアの当主か何かなんだろ?
なんで帝都に来てまで活動をしてるんだ?」
「はぁ……?」
え。なにか的はずれなことを言っただろうか。
心中で震えていると、少女は呆れながら告げてきた。
「ベルは、別にシャドレイアの関係者じゃないわよ?」
「……なら、どうして俺がそこの人間じゃないって分かったんだ」
「だって、シャドレイア家には男がいないもの」
さらりと爆弾発言をする少女。
男がいないってのは、どういう――
「いえ、これだと語弊があるわね。
確かに、シャドレイア家に男児はいる。
でも、そいつは領地の外には絶対出ない気弱男。
下民みたいに機転が利いたりもしないわ」
一応、シャドレイアの一族に男はいるらしい。
なにぶん異常性が際立つ家なので、男が生まれたら間引く風習でもあるのかと。
考えただけで恐ろしい。
「それに、シャドレイアの一族は貞淑で誠実な戦乙女。隠し子なんてまず作らないわ」
「ずいぶんな自信だな」
「ええ、ベルには人を見る目があるから」
少女はドヤ顔で答えた。
なんという自画自賛。
見た目の割に、かなり肝が据わっているようである。
カミングアウトにより、この少女がシャドレイアの人間ではないことがわかった。
しかし、そうなると疑念が湧いてくる。
この少女は一体――
「ここの通りか!」
響き渡る大声。
遠くの通りから、誰かが接近してきている。
思考するのをやめ、とっさに身を隠す。
「はい! 不審な二人組が通ったとの報せが!」
「間違いない! 草の根分けても探しだせ!」
角から曲がってくる騎士たち。
なんとライオットホースに騎乗している。
あんな巨大な馬を街中で乗り回すなど、正気とは思えない。
「話は後よ、処刑されたくなければ付いてきなさい」
しかし、少女はあくまでも冷静。
俺の腕をとって、裏道へと進んでいったのだった。
◆◆◆
その後、隠れながら数件の屋敷を回った。
名乗っていないこともあり、貴族は奇異な視線で俺をもてなしていた。
しかし、少女は扱いが違う。
どの貴族も、彼女の顔を見た途端に青ざめたのだ。
刑の執行を待つ死刑囚のような表情。
対して、やり遂げて満足気な表情で出てくる少女。
その対比だけで、中で行われた会話の恐ろしさが想像できてしまう。
「はい、ここでの用事は終わり。帝宮前を通って次の場所へ行くわよ」
「いいのか? 見つかるぞ」
「ベルが命じてるんだから、下民は従うだけよ」
なにこの女王様。
俺は自動勤務マッシーンじゃないんだぞ。
将来のためにも、誰か躾をしてやれよ。
そんなことを思っていると、少女がさらりと告げてきた。
「そういえば、下民の正体を聞いてなかったわね」
心臓が一足飛びで跳ねた。
鼓動が早くなり、血圧が天より高く昇っていく。
しかし、俺はなるべく動揺を顔に出さないよう努めた。
「俺か? 俺は貴族の名前を騙ってる、ただの平民だよ」
「嘘はやめなさい。どうせ王国の使者でしょ?」
「…………さあな」
視線を逸らして肩をすくめる。
思ったよりダイレクトに的中させてきた。
勘が鋭いのか、それとも最初から分かっていたのか。
沈黙する俺を見て、少女はため息を吐く。
「認めても、別に告発なんかしないのに」
「どうして、俺が王国の人間だなんて思ったんだ?」
ひとまずカマをかけた。
当てずっぽうで使者と言ってみただけかもしれない。
すると、少女は自信満々に答えた。
「帝国の人間なら、シャドレイアを騙ることの恐ろしさを十分に分かってるからよ」
「残念ながら、田舎上がりでその辺は詳しくないんでね。
有名な貴族の名前を適当に使っただけだよ」
「――馬車の申請」
言及から逃れようとした瞬間、少女はボソリと告げた。
そして確信の笑みを浮かべ俺を見上げてくる。
「……なに?」
「この厳戒態勢の中、帝都から出る馬車を使う輩なんていないわ。
しかも、貴族として身分証明を求められるのにね」
少女の言うことは全て当たっている。
実際に馬車の手続きをしようとする人は見当たらなかったし、
ワイルドナイツの団長からも身分の確認をされた。
「そんな危険を押してまで、わざわざ申請をするなんて――
自分が他国民だと名乗り出てるようなものよ」
まあ、疑われるとは思っていた。
しかし、馬車に乗ることこそが帰還への最短ルート。
どうせすぐに帝都から消え失せるんだ。
その辺のリスクは、もちろん加味していたさ。
と、ここで少女が柔らかい微笑みとともに見上げてきた。
「認めなさい、王国の使者であると。
そしたら馬車を棺桶じゃなく、王国への片道切符にしてあげるわ」
なんと、何やら取り計らってくれるらしい。
今だ、言い出すならこのタイミングしかない。
俺は少女が撤回する前に頷いた。
「ああ、認めるよ。
俺は連合国から救援要請を預かっている使者だ」
「ふぅん……やっぱり? でも、私には関係ないわね」
俺としては、かなり敵意ある名乗りをしたつもりだった。
しかし、少女は興味なさげにあっけらかんとしている。
答え合わせが済んで、どうでも良くなったかのようだ。
「……俺の正体を暴いて、殺されるとは思わないのか?」
「下民という人間を見て判断したに決まってるじゃない」
「さっき会ったばかりのはずだが?」
「ベルは人を見る目はあるのよ。それに、人を従わせるカリスマもね」
自分でカリスマがあると宣言するとは。
ずいぶんな自信家のようだ。
少女は胸を張って言い切ってみせる。
「もし殺されるようなら、ベルはこんなアホ面の王国民に討ち取られる暗愚だったという話よ」
「割り切ってるな……」
「ベルを暗愚に、しないでね?」
ボソリと呟く俺を無視し、少女は眼力を込めて見上げてくる。
気品を感じさせる瞳には、超然たる覇気が宿っていた。
小心者なので、あまり目を合わせたくない。
俺は視線を逸らしながら尋ねた。
「王国の使者だと分かっておきながら、なぜ俺を見逃す?」
「うーん……なんでかしら」
正直、また即答して来ると思っていた。
しかし、予想外にも少女は考えこんでしまう。
「なんでそこで迷うんだよ」
「自分でも分からないのよ。
ちょっと待ちなさい、今理由を探してるから」
なんというか、アレだな。
今までに会ったことないタイプの自由人だ。
貴族のような高慢さだけでなく、もっとこう……別次元の何かを感じる。
脳内検索中の少女は、しばらくして指を鳴らした。
「あ、そうだ。先日、ジャンポルのグズが悔しがってたわね。
なんでも、連合国の館でラジアスの遺産を浪費してしまったとか」
「そんなこともあったな」
俺とウォーキンスで怪鳥を焼き払った件か。
どうやら敵幹部――ジャンポルさんとやらは、ずいぶんと歯噛みしてくれていたらしい。
ちょっとだけ爽快な気分だった。
「あの怒りに歪んだ醜い顔が見れて、すっと胸が空いたの。
それに、今日はベルの下僕としてそこそこ働いてくれてるし。
下民を告発しないのは、その礼とでも思っておいて」
ずいぶん適当な動機付けだった。
本当の意味で、気まぐれだったのかもしれない。
「……突き出す気はない、ってことでいいんだな?」
「ええ。下手な真似をしない限りね」
よかった。
それだけ聞ければ十分だ。
さっさとこの少女を満足させて別れるとしよう。
そう思った瞬間、少女が意気揚々と右手を突き上げた。
「さあ、次の貴族で最後よ。
しっかりついてきなさい、ジョンドゥ!」
ラストということで、気分が舞い上がっているらしい。
彼女は俺の手を乱暴に握ると、道連れにする勢いで走りだしたのだった。
◆◆◆
衛兵をやり過ごすこと数回。
なんとか少女を最後の屋敷まで護衛した。
途中で何度もフードを剥ぎ取られそうになり、
シャドレイアの威名をフルに活用するハメになってしまった。
「疲れた……心がすり減った」
俺は盛大なため息を吐いた。
ここまで存在が広まったのなら、長いこと滞在はできない。
まあ、最初から即座に出発するつもりだったのだ。
問題はない。
「さて、これで釘は刺し終わったわ」
青い顔をした貴族に見送られ、少女は屋敷から出てきた。
ずいぶん高貴な官位を持っているはずなのに、少女に頭が上がらないのか。
先程から、俺は強烈な違和感を覚えていた。
この少女はシャドレイア家の人間ではない。
だとすれば、今までの貴族は違う意味でこの少女に畏怖していたことになる。
考察していると、少女が腰をポンと叩いてきた。
「付き人ご苦労様。
ずいぶん頼りなかったけど、最低限の仕事はできたんじゃない?」
すさまじい棒読み。
とてもじゃないが労力に釣り合うねぎらいではない。
俺は盛大なため息を吐いた。
「お前なぁ……あちこち引きずっといて、その言い方はないだろ」
「なに? 文句があるの?
このベルに対して、下民ごときが――」
生意気な返事。
しかし、俺は動じない。
このくらいの年頃にはよくある反抗だ。
こんなのは前世でいくらでも経験してきた。
こういった悪ガキに対して、大人が取る行動は一つ。
「ていっ」
「……あ痛っ!」
少女の頭上に軽いチョップを落下させた。
聞き分けのない子には、百の言葉より一の肉体言語である。
もちろん、その後のアフターケアも忘れずに。
理屈なき体罰が一番いけない。
あまり舐めてくれるなよ。
俺はこの躾で、何人もの悪ガキを矯正してきたんだ。
その実績はご近所でも噂になっていたものよ。
ここで、少女は「信じられない」といった顔になる。
「このベルに対して……触るどころか暴力を働くなんて。
兄上にも叩かれたことがないのに!」
今までの余裕が一気に消し飛んでいる。
歳相応の少女らしい表情だ。
垣間見えた人間味にほっとしたが、聞き捨てならないことが聞こえた。
「なに? 妹が世間ズレしないよう説教するのも兄の努めだろうに。
ちょっと兄を呼んでこい、兄貴学を開講してやる」
「あなたみたいな暇人と違って、兄様は忙しいの!」
ひ、暇人……だと?
この高慢少女め、なんて酷いことを。
世の中にはな、真実でも言っちゃいけないことがあるんだ。
「お前なぁ……あんまり横暴にしてると、友達いなくなるぞ」
「あ、大丈夫。下民よりは確実にいるから安心して」
「急に冷静になった!?」
見れば、もう少女には自信が戻っていた。
俺を見下すような覇者の余裕が見て取れる。
全然反省している様子はない。
もう少し灸を据えておくべきだろうか。
しかしここで、耳をつんざく大声が轟いてきた。
「エルンべリア様ァアアアアアアアアアアアア!」
見れば、大通りの方から騎士が数人走ってきていた。
フードをかぶり直す前に素顔を見られてしまったのだ。
「また勝手に抜けだされて!」
「ジャンポル様が心配しておりますよ!」
男の声に釣られ、おびただしい騎士の群れが接近してくる。
こんなに動員して探してたのか。
「……残念、時間切れね」
少女はめんどくさそうに肩をすくめた。
しかし、見つかった焦りは感じていないようだ。
既に目的を達成しているからだろう。
したたかな娘である。
思わず感心していると、騎士たちが俺を睨みつけてきた。
「誰だ貴様は!」
「その御方から離れろ!」
屈強な騎士たちは、一切の躊躇なく抜剣した。
おいおい、こっちが貴族なのは見て分かるだろうに。
まあ、それすら考慮に入らないほど、少女の身柄を確保したいんだろう。
牙を向く騎士たちに対し、少女はため息を吐いた。
「この男はシャドレイアの旅客よ。
せっかく隠れて散歩してたのに、早く帝宮に戻れって、ここまで連れて来られたの」
やれやれだわ、と少女は辟易する。
俺を庇ったのだということはすぐに察せた。
少女の言葉に、騎士たちは顔を見合わせる。
「……なに?」
「あなたがエルンベリア様を引き止めてくださったのか」
「シャドレイア家のご協力、感謝する」
ガシッと俺の手を握ってくる。
なんという手のひら返し。
しかし、騎士たちの目はひとつも笑っていない。
「まったく、いきなり姿を消してしまって……」
「帝王陛下の御妹なのですから、もう少し自覚を持たれてください」
下手に出ながらも、騎士たちは少女を連行していこうとする。
こんな時でも怒りを出さないところにプロ意識を感じるな。
まあ、それもそうか。
無礼があっちゃいけないものな。
なんてったって、相手は帝王の妹――
「……………………」
「どうしたの? 死にそうな顔してるわよ」
少女はきょとんとした顔で見てくる。
硬直した俺は、ギギギと首を動かしながら尋ねた。
「……帝王の、妹?」
正直、途中から半ば勘づいていた。
この少女が、シャドレイアを超える高貴な存在であることに。
しかし、それでも、せいぜいが重鎮の孫娘か何かだと思っていた。
間違っても、帝室の人間だなんて考えてもなかったのだ。
冷や汗を滝のように流す俺に、少女は正式に名乗ってきた。
「ええ。私の名前はエルンベリア・ハルブライト・オスティミリア。
帝王の実妹にして帝位継承者の第一席。
まあ、簡単に言えば――次代の帝王よ」
…………死んだかもしれない。
帝位継承者に対して、色んな無礼を働いちゃった。
しかもチョップまで叩き込んじゃったよ。
告げ口されてしまえば最後。
俺の首は断頭台の添え物になってしまう。
すれ違いざま、俺の動揺を見透かしたかのように少女エルンベリアは微笑んだ。
「耳を貸しなさい」
思わず息を呑む。
しかし、囁かれた言葉は意外なものだった。
「朝に出発すること――馬車の手配はしておいてあげるわ」
「……信じていいのか?」
「ええ、同行してくれたお礼よ。借りを作るのは嫌なの」
そういえば、言っていたな。
最後まで付き合ったら馬車に手心を加えてくれると。
正直、躾チョップの影響で反故にされるんじゃないかとビビっていた。
しかし、約束を守ってくれるようだ。
「それじゃあね、ジョンドゥ――」
ひらひらと手を振り、少女は帝宮の方角へ消えていく。
屋敷の手前で、俺一人が取り残される形になった。
思わぬところで出会ってしまった、未来の帝王。
実感が湧かず、俺はその場で立ち竦んだ。
しかし、それもつかの間――
「そうだ……迎えに行かなきゃ」
頼れる同行者を待たせたままだった。
それに、ロベスペルリの動きも気になる。
ここで立ち尽くしている場合じゃない。
俺は気合を入れると、全速力でウォーキンスの元へ戻ったのだった。
次話→7/15(21時更新予定)
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