第七話 蒼ざめた馬
「……うぉお」
帝都の街並みはそうそうたるものだった。
市場を見れば、そこには溢れんばかりの商人がひしめく。
往来には、真っ直ぐ歩けないほどの通行人。
酒場に目をやれば、酒盛りをする男女の姿でいっぱいだった。
特に一際でかい『迷鳥の止まり木』という酒場は、中に人が入れないほど繁盛していた。
すごい熱気なことで。
エドガーが見たら喜びそうな光景だね。
ただ歩いているだけで、圧倒されてしまいそうだった。
俺の嘆息に、ウォーキンスがクスリと笑う。
「歴史、発展度、全てにおいて大陸一の街ですよ」
「ああ……そうみたいだな」
神聖国と並んで、大陸最古の国だもんな。
帝国からすれば、王国や連合国など新参に過ぎない。
さすがに古代から大陸の盟主をやっているだけのことはある。
視線をあちこちに移していると、ウォーキンスがちょいちょいと袖を引いてきた。
「王国では手に入らない書物や雑貨が取引されています。
気になるようでしたら、見ていきますか?」
「いや、いいよ。遊びに来たわけじゃないからな」
帝国でしか手に入らない魔法書もあるので、本音では物見遊山をしてみたい。
だが、あくまでも今は帰還の真っ最中。
わざわざ危険度を上げるわけにはいかない。
ただまっすぐに、目当ての施設を探していく。
大通りの突き当たりで、ウォーキンスが立ち止まる。
「あ、ありました! 馬貸屋です」
意外と早く見つけられたな。
しかし、馬の気配がしないのが気になる。
それはウォーキンスも同じのようで、不思議そうな表情を浮かべた。
「聞いて参ります、少しお待ちを」
彼女は店に入り、店員らしき人に声をかける。
そして二言三言話した後、残念そうに戻ってきた。
「どうだった?」
「やはりダメですね。帝室の命令で、馬を出せるのは一箇所だけのようです」
封鎖されてたか。
帝国軍の根回しが思ったより早い。
しかし、完全にルートが潰されたわけではない。
唯一残ったところから馬を出そう。
「ちなみに、どこにあるんだ?」
「帝宮の近くです。ひとまず行ってみましょう」
頷くと、俺とウォーキンスは早足で帝宮に向かった。
帝宮、すなわち帝王の住まう御所である。
用があるのは近くの馬貸家だが、警備が厳重であることは覚悟しておかないとな。
◆◆◆
帝宮の場所は商域エリアから離れた場所にある。
そこそこの距離があるので、普段は馬車を使う人もいるそうだ。
なお、移動する途中、少し違和感を覚えた。
街を行く人が、俺を見ると血相を変えて道を開けるのだ。
いや、俺だけではない。
貴族らしき身なりをしている人々を、明らかに恐れているのだ。
王国でもこの風潮はあったし、ここに来るまでに薄々感じていた。
しかし、本当に貴族は怖がられてるんだな。
これも厳格な身分制度が根付いているからかね。
そんなことを考えていると、帝宮近くの馬貸屋に到着した。
「ここですね」
「……これはまた、ずいぶんとでかいな」
先ほど見た店とは根本からして違う。
ゴテゴテとした装飾などはなく、質素さすら感じられる。
しかしその規模は屋敷と言えるほど大きく、商売気のなさが不気味だった。
恐らく商人ではなく、国が保有している馬貸屋なのだろう。
その証拠に、敷地内には多くの衛兵が溢れている。
門の前には、藍色の甲冑を着た騎士が立っていた。
長身で赤髪の男。
年は40代後半と言ったところか。
それに、見覚えがある格好だな……遊撃の馬蹄か。
一番偉そうな風体をしているので、あの男に話を通すのが吉だろう。
「レジス様、少しお耳を」
「ん」
ウォーキンスは想定される男との会話を洗い出し、対応する返事を告げてきた。
下手なことを喋らないようにとの配慮だろう。
耳打ちによって準備は万端。
ウォーキンスに合図をした後、俺が先頭になって話しかけた。
「頼もう。西部に向かいたいのだが」
「――――」
俺の声掛けに、男は視線だけを寄越してきた。
しかし、どこか挙動が緩慢である。
その顔を一言で説明するならば――面倒臭そう。
明らかに俺の訪問を歓迎していない様子だった。
返答がないので、俺は改めて聞き返す。
「もしや、便が出ていないのか?」
「出ているし、私は夜便の管理を仰せつかっている」
おっと、初対面の貴族に向かってタメ口か。
遊撃の馬蹄は実動部隊ゆえ、
帝宮の外にいる外勤騎士は対して身分が高くないらしいのだが。
少しだけ意外だった。
もしかして、単に統制がなっていないだけなのか?
ハハ、その気持ちは分かるよジョニー。
俺も敬語は反吐が出るほど苦手なんでね。
とまあ、冗談は置いといて。
もっと単純に考えると、この男はシャドレイア以上の官位を持つ貴族である可能性が高い。
男は俺の全身を睨め回すように見て、淡々と告げてきた。
「この厳戒の最中に、何用で西進するつもりだ?」
「西部の辺境護民官・カーネルとの懇談のためだ」
ウォーキンスから教えられた通りの用件を告げる。
なお、俺はカーネルさんとやらが誰かなど知らない。
きっと白ひげのあるチキン売りおじさんなのだろう。
俺の返答を受けて、男は眉をひそめた。
「……カーネル? ならば、貴様は――」
「シャドレイア家のジョンドゥだ。
使節として本家より派遣されている」
身元を明かす一言。
見破られないかと、心臓が悲鳴を上げる。
男は頭をボリボリと掻くと、猜疑の目でこちらを見てきた。
「シャドレイア……? あの家に男児がいたか?」
「そう言われると思ってな。宝剣も預かっている。確認してくれ」
俺はシャドレイアの宝剣を男に見せた。
すると、男は用心深く剣の柄を眺める。
刻印の縁をなぞる程の徹底ぶりだ。
「……本物のようだな」
数十秒に及ぶ検査の後、男はそう断言した。
やっぱり、マジモンのお宝であるらしい。
こんな物をどうやって入手したんですかねぇ、ウォーキンスさん。
胸を撫で下ろした俺だが、男はこちらの予想を叩き斬った。
「だが――ならん。日を改めるんだな」
「……なぜだ?」
ここまで来て断るのはないだろう。
非難の目を向けると、男はきっぱりと言い放った。
「貴族階級の者であろうとも西進は認められん。他ならぬ帝室よりの勅令だ」
「そこを頼む。本家に顔向けができないのだ」
「ならん」
そんな殺生な。
お役所仕事みたいな塩対応だ。
仕方がない、少し冒険しないといけないが発破をかけてみるか。
俺は男にグッと顔を近づけ、低い声で告げた。
「貴殿とて、知っていよう?
我が家がどのようなところなのかを――」
すると、男はゾワッと鳥肌を浮かべた。
しかし、顔を一瞬背けただけ。
そのまま深い熟考に入ってしまう。
数秒後、男は舌打ちをして頷いた。
「――少し待っていろ。交通官に確認を取る」
そう言うと、男はダッシュで帝宮の方へ走っていった。
なんだ、機敏に動けるんじゃないか。
しかし、感触はずいぶん悪かったな。
俺を警戒している様子だった。
ウォーキンスは顎に手を当てて呟く。
「かなり疑っていますね。ちょっとまずいかもしれません」
「……どうする?」
このまま続ければ、発覚するリスクは高まるばかりだ。
もし偽物であるとバレたら、その場で袋叩きにされてしまう。
指示を仰ぐと、ウォーキンスはさらりと告げてきた。
「もし窮地に陥った時は、馬を強奪して進みましょう。私が追手を引き受けます」
「……そんなことして大丈夫なのか?」
追手を引き受けるって。
下手したら帝都中の兵が出てくる可能性があるんだぞ。
王都奇襲の時のような、少数での襲撃とはわけが違う。
そんなことになったら、いくらウォーキンスでも――
「レジス様に逃げていただくことが前提なので……そうですね。
生存率は非常に低くなると言わざるを得ません」
「……非常に低い、ね」
ウォーキンスは俺に対して、楽観的な見解を示す傾向がある。
無論、それは俺を不安にさせたくないからだろう。
しかしこの場合、『生存率が非常に低い』とは、『ほぼ確実に死ぬ』と言い換えられてしまう。
冷や汗を拭う俺に対し、ウォーキンスは帝宮の方を一瞥する。
「帝都には”帝撰魔法師”という、常軌を逸した一団が在駐していますからね」
聞き覚えのある名前だ。
帝都防衛の切り札である魔法師集団だっけか。
「やっぱり強いのか……?」
「5人程度までなら余裕で勝てます。
しかし、ここは帝都――数十人は出てくると見たほうがいいでしょう。
無傷どころか、深手を負わされる可能性が高いですね」
戦ったことがあるかのような口ぶりである。
ここで、ウォーキンスは連中について知っていることを話してくれた。
それは学者から聞いた話とは別角度の、内情を含めた知識だった。
帝撰魔法師。
邪神大戦の後に発足した組織である。
設立目的は、帝国独力で邪神に挑めるようにすること。
言い換えれば、大陸の四賢抜きで神と渡り合えるようにするための部隊だ。
帝撰魔法師の育成計画はいたって単純。
全盛期時代の四賢が残したデータを参考に、強力な魔法を研究。
それを扱うために、尋常でない魔素を人に移植した。
魔素中毒による即死などを一切無視し、四賢レベルの魔法師を再現しようとしたのだ。
もちろん、計画には無理があった。
500年前の段階では、満足いくような魔法師は誰一人として生まれなかったらしい。
しかしある日、頓挫した計画に悪魔の手が差し伸べられた。
「――ラジアスの遺産。
初代ラジアスが遺した設計図を併用して、
ついに帝国は常人にあらざる魔法師を生み出したのです」
王国を創始した、初代国王の親友。
そして空前絶後の発明家である初代ラジアス。
彼が持っていた設計図を奪取し、魔法の研究を進めたのだ。
それにより、人智を超えた魔法適性を持つ魔法師が誕生した。
それこそが――帝撰魔法師。
指定した魔法を数発撃たせるだけで自滅する脆さだが、
魔法師としての”素材だけ”なら大陸の四賢に匹敵するという。
完全に使い捨ての破壊兵器というわけだ。
「……こっちの国が巨大戦車なら、帝国は生物兵器かよ」
タチの悪いものを使ってくるな。
しかし、帝撰魔法師はあくまでも対邪神用兵器。
運用が難しいため、決して帝都の外に出すことはない。
逆に言えば、今この帝都にはしっかりと人外魔法師がスタンバっているということである。
恐ろしい話だ。
話を戻し、ウォーキンスは敵に発覚した時の想定を進める。
「まあ、”今の私”でも、帝撰魔法師を壊滅させることはできると思います。
しかし、本当に苦戦する理由は他にあるのです」
「……それは?」
「魔奪装置です。
この都には、いざとなれば魔法を使用不可にする機構が備わっています。
それを発動されてしまうと、恐らく物量で押し負けますね」
専守防衛のため、帝国が真っ先に再現した発明品らしい。
ラジアスさん、なんちゅうもんを遺してくれはったんや……。
というか、そんな大事な設計図が他国に渡ってどうする。
バレた時点でウォーキンスの命がないことを自覚し、俺は深い溜息を吐いた。
「……わかった。強行突破だけはナシだ」
「しかし、それでは対策の立てようが――」
ウォーキンスが困ったように告げてくる。
しかし、その言葉は最後まで紡がれなかった。
早足でこちらに戻ってくる人影があったのだ。
「――待たせたな」
先ほどの男だ。
護衛のためか、後ろに三人の魔法師を率いている。
背後の魔法師達を見た瞬間、背筋に悪寒が走った。
生気のない顔、意志の失われた瞳。
それでいて、肌を刺すような威圧感あふれる魔力。
その正常にあらざる姿に、本能がおぞましい何かを感じ取った。
まさか、あれが――
「…………」
無言でウォーキンスに確認。
すると、彼女はコクリと頷いた。
なるほど、あれが帝撰魔法師とやらか。
普通の魔法師が着る藍色のローブではない。
豪勢な魔法陣で満ちた、漆黒のローブを着ている。
しょっぱなから切り札を見せてくれるなんて、この男も親切だな。
「ジョンドゥよ。
貴様は交通官と対面の上、調印してもらう。
証拠を残しておかねば、私の首が飛ぶのでな」
「……調、印?」
待て、ちょっと想定外の話が飛び出してきた。
本人確認はこの宝剣で十分なんじゃないのか。
俺が首を傾げると、男は鬱陶しげに目を細めた。
「各家にひとつ下賜される印鑑だ。
一つは当主が、もうひとつは帝室が保有する。
使者であれば当然持ってきているのだろう?」
「…………」
持っていない。
そんなものがあれば、ウォーキンスが渡してくれているだろう。
なんだ、どうすればいい。
正直に持ってないと言うか?
しかし、それでは馬に乗ることが絶望的になる。
その上、シャドレイア本家に確認を取られてチェックメイト。
そもそも拘束される時点で一巻の終わりだ。
すさまじい焦燥が胸中を駆け抜ける。
しかし、男は一秒とて待ってくれなかった。
「そこの女を待たせてついてこい。帝宮に案内する」
「し……使用人の随伴を許可してもらいたい」
精一杯絞り出した声。
ウォーキンスのいないところで発覚するのが一番まずい。
しかし、男は断固として首を横に振った。
「従者が廷内に入ることは認められん。
はるか昔、陛下の命を狙った不届き者がいたのでな」
「ですが――」
そこをなんとか。
俺は意地でも食い下がろうとした。
だが、男は冷たい視線で睨みつけてくる。
「従者がいなければ、なにか都合が悪いことがあるのか?」
「……いや、特にないが」
仕方がない。
怪しまれてしまっては元も子もないのだ。
俺は男に付いていこうとする。
するとその瞬間、帝撰魔法師三人が俺とウォーキンスの間に割り込んだ。
「……なっ」
「見張っていろ。妙な真似をすれば処分してかまわん」
男は淡々と宣告した。
俺とウォーキンスを物理的に引き剥がしにかかったのだ。
囲まれたウォーキンスの顔から、薄い微笑みが消える。
すると、彼女が右手をすぅっと上げかけたのが見えた。
(――やめろ、ウォーキンス!)
俺はとっさに、テレパスで彼女に言い放った。
すると、ウォーキンスは無言で手を下ろす。
危ないところだった。
ウォーキンスは今、完全にこの場で暴れようとしていた。
もはや交渉は無意味と判断し、強行突破に出ようとしたのだ。
しかし、認められん。
もしかすると、彼女には勝機があるのかもしれない。
だが、それでも、まだ最終手段を使うときではない。
(――安心してくれ、すぐに戻ってくる)
それだけ告げて、俺はテレパスを解除する。
すると、目の前で男が剣を抜いていた。
彼は切っ先を煌めかせ、威圧するように聞いてきた。
「いきなり魔力を使って、どうした?」
ああ、俺の魔力の発露を看破したのか。
テレパス程度の魔法ならバレないかと思ったんだが。
魔素への嗅覚がいいらしいな。
俺は肩をすくめて余裕の笑みを返す。
「お気になさらず。定期的に魔力を排出しないと鈍ってしまうんでね」
「……魔法をかじった程度の田舎貴族が、私に勝てると思うなよ?」
ギロリと怨嗟の目を叩きつけられる。
刺激するのは避けたほうが無難だな。
歩き出す男の後を、俺はゆっくりと付けていく。
その際、俺はふと後ろを振り返った。
魔法師に囲まれたウォーキンス。
彼女は心配した瞳を俺に向けていた。
……大丈夫だ。
俺はもう、彼女に頼りっきりじゃない。
このくらいの窮地、独力で脱出してみせる。
そう決意して、俺は前を向いた。
すると、男がボソリと呟いてくる。
「――自己紹介がまだだったな」
そういえば、まだ素性を聞いてなかった。
シャドレイアに対し高圧的な態度を取れる男。
いったい、どんな輩だというのか。
「私の名は――ロベスペルリ・ダントン・マラータ。
帝室から重用される”帝認三大公”第一位の当主であり――」
彼は胸に手を当てた。
甲冑の刻印を見ろと言いたいらしい。
胸に輝く紋章は、”蒼ざめた馬”。
それを指で示しながら、ロベスペルリは不敵な笑みを浮かべたのだった。
「――遊撃の馬蹄の団長だ」
次話→7/9(21時更新予定)
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