第六話 たどり着いた街
出発から2日が経った。
ウォーキンスの魔法で酔いを感じなくしてもらったため、快適な旅路を過ごせていた。
しかし、普段から広々とした馬車に乗っている人たちは不満らしい。
少しずつ、車内に鬱屈とした雰囲気が漂い始めていた。
夜の寝る時間になっても、激しく振動する車体。
だいぶ抑えているようだが、時たま浮遊感が胸を突き抜ける。
そしてこの時、ついに車内に大声が上がった。
「ええい、狭い! 狭すぎる! もう限界だ!」
「き、貴族様……動かれないでください」
「黙れッ! 誰に向かって口を利いているのだ!」
次の瞬間、人を殴りつけるような音が響く。
同時に、押し殺したような絶叫が聞こえた。
どうやら、俺たちの三つ後ろの席で誰かが騒いでいるらしい。
俺は頭を掻きながら後方を確認。
するとそこには、出発前にさんざんゴネていた貴族の姿があった。
一緒の四号車に乗ってたのね。
彼は制止してきた男を殴り飛ばし、隣の席にまで絡み始めた。
「どけ、そこの商人らよ!
我こそは西獅公・モルーネル家の次男であるぞ!」
鞘に入った剣を見せつけ、隣席の商人を威嚇する。
貴族の名乗りを受けて、商人のみならず他の貴族までも顔を青ざめさせた。
触らぬ神にたたりなしの姿勢を貫徹しようとしている。
どうやらあの男、下位の貴族ではなさそうだ。
「……西獅公?」
ウォーキンスにこっそり尋ねる。
すると、彼女は涼しげに解説してくれた。
「官位のようなものです。地方の中では割と高めですね」
「ふむ」
どうやら、帝国西部でも上位に入る家らしい。
周りの貴族が萎縮しているのはそれでか。
モルーネルと名乗る男は、従者と二人がかりで商人を立たせようとしている。
狭い車内でよくやるよ。
「我の言葉に逆らうか!?
父上に言って二度と商売ができぬよう――」
と、ここで車体が大きく傾いた。
ゆったりと座っていた俺たちは全員上半身の揺れで済んだ。
しかし棒立ちになっていた貴族は振り子の要領でつんのめる。
そして、ウォーキンスの座る座席へと直撃してきた。
「――――」
俺はとっさにウォーキンスを引き寄せる。
その頭上を貴族の腕が通りすぎた。
固い腕輪などを着けていたので、当たっていれば打撲は免れなかった。
「ありがとうございます、レジス様」
柔和に微笑んでくるウォーキンス。
しかし今は、彼女の表情に見惚れている暇はない。
「貴様ァ! 早く譲らんからだッ!」
「そ、そんな……」
貴族は車内に頭をぶつけたようで、商人の胸元に掴みかかっていた。
それを見て、俺はゆっくりと立ち上がる。
正直、多少騒ぐだけなら止めようとは思わなかった。
こちらは姿を隠しての移動中。
下手に目立つことをすれば、自分の首を絞めるだけなのだから。
だが、火の粉が降り掛かってくるなら話は別だ。
ウォーキンスを危ない目に遭わせておいて、まだ続けるつもりか。
俺は怒りを溜めながら、貴族の腕を掴んだ。
「――おい」
「痛ッ……いだだだだ! なんだ貴様は!」
商人に振り下ろそうとしていた腕を捻り上げる。
しかし、暴れようとするので二次被害が発生しそうになる。
仕方ないので、車体の壁に体を押し付けて動きを封じた。
「こ、の……手を離さんか下郎! 我を誰だと思って――」
俺の着物を見て、貴族は一瞬固まった。
同じ貴族という身分であることに気づいたようだ。
しかし、ここが西部地方で、自分以上の貴族はいないと踏んだのだろう。
すさまじい怨嗟の目で睨みつけてくる。
「下位貴族ごときが……我に触れるなよ。
おい! 早くこいつを引き剥がせ!」
貴族は従者に指示を飛ばす。
いかん、このままでは泥仕合になってしまう。
仕方がない。俺はシャドレイアの宝剣を取り出した。
これを見て、貴族は目を見開いた。
「なっ……!?」
しかし、何かの間違いだと思ったのだろう。
目をゴシゴシと擦り、改めて見てくる。
そして、その顔が絶望に染まった。
「そ、その印章……あ、あなたは……」
腰が砕け、図らずも自分の席に着席した。
貴族の従者も俺に敵意を見せていたが、主人の豹変を見て黙りこむ。
家名を察したのか、明らかに萎縮したな。
シャドレイア家はこの貴族の家より格上なのか……?
ここで困惑した姿を見せるのはよくない。
俺は表情を窺ってくる貴族に追撃を加える。
「モルーネル家の次男か。
把握した、お前のことは本家によく伝えておこう」
「そ、そんな……!? も、申し、わけ――」
「嫌なら、大人しくしててくれ」
そう言って、俺は背を向ける。
最後に見た貴族の表情は、畏怖で縮み上がっていた。
これで快適な旅が送れることだろう。
と、戻る途中に商人から礼を言われた。
「……ありがとうございます、貴族様」
「単なる気の迷いだ」
多分、シャドレイアの人ならこんな返事をしそうだ。
そんな予想をしながら、俺は席に戻る。
すると、ウォーキンスが満足そうに微笑んでいた。
「……どうした?」
「いえいえ。お見事でした、レジス様」
彼女は俺の肩に頭を置いてくる。
気恥ずかしく思いながら、俺はその頭を撫でた。
ブチ切れられたらどうしよう。
そんな不安に駆られたが、ウォーキンスは嬉しそうに目を閉じる。
こうして、トラブルはありながらも、帝都への旅路は順調に進んでいった。
◆◆◆
超高速で移動していく馬車の旅。
日程も4日目となり、なかなかに車内はグロッキーになっていた。
こういった旅には慣れていたつもりだが、俺も疲労が隠せない。
休憩の度に外へ出て、軽くストレッチ。
この年で血栓に殺されたくはない。
そんなことを考えながら、昼過ぎを待っていると――
「レジス様、次の休憩所で下りましょう」
ついにウォーキンスが動いた。
どうやら転移魔法の有効圏内に入ったらしい。
「もう使えるのか?」
「はい、ギリギリのところですが、成功させてみせます」
力強い言葉。
彼女が成功させると言っているのだ。
魔法の熟練度を考えても、疑う余地はない。
しばらくすると、休憩所に到着した。
質素で閑散とした街。
すし詰めに辟易した貴族や商人が、死人のような目で外に出て行く。
それを見計らって、俺は御者に声を掛けた。
「すいません、ここで下車します」
すると、御者は首を傾げた。
こんな場所で降りてどうするつもりだ、と言わんばかりだ。
「……まだ帝都まで半分あります。よろしいのですか?」
「はい。この街でゆっくりしていきたいので」
大嘘である。
まず、宿屋があるのかどうかも怪しい街だ。
観光すべき見どころも特にはない。
御者は頭をポリポリと掻き、難しそうに頷いた。
「そうですか。では、乗車賃を。
申し訳ありませんが、帝都行きと同じ料金を頂きます」
む、割り引きはなしか。
まあ、途中で下りるなんて想定してないもんな。
ウォーキンスから金を受け取り、御者に渡す。
その際、俺が事前に持っていた分を追加しておいた。
「……かなり多いようですが?」
「シャドレイア領からお忍びで来ているのでな。
実家に知れると面倒なので、私がいたことは内密にしてもらいたい」
あくまでシャドレイアの人間として振る舞う。
最初からいなかった乗客として扱ってもらうのだ。
御者はしばらく黙っていたが、愛想よく快諾してくれた。
「その程度ならば、お安いご用です」
口止め料が効いたらしい。
同時に、シャドレイアの名前まで出したのだ。
約束を反古にするリスクを考えれば、漏らすことはないだろう。
「ご利用、ありがとうございました」
御者に別れを告げ、俺とウォーキンスは歩き始めた。
すると、ちょうど車内に戻ろうとしていたモルーネル家の次男と鉢合わせする。
探そうかと思ったが、手間が省けた。
彼に近寄ると、ビクンと肩を震わせた。
それに構わず、静かに言い添える。
「私と会ったことは、内緒で頼む」
「……は、はぁ」
「もし大事になった時は――」
「ぞ、存じております! ご心配なく!」
貴族はガクガクと首を振った。
どうやればここまで貴族を怖がらせる家になってしまうのか。
シャドレイアの心配をしつつ、すれ違いざまに忠告した。
「それに、まだ馬車には私の懐刀が乗っている。ハメは外さないことだ」
「は、はい!」
もちろん嘘である。
まあ、常に俺の配下に見張られていると知れば、余計な気も起こさなくなるだろう。
これで他の乗客へ迷惑をかけることもない。
「では、失礼する」
早足で馬車から離れ、街の裏手に行く。
転移魔法を使うのであれば、人気のないところが望ましい。
歩きながら、ウォーキンスに展望を尋ねた。
「で、帝都に行ってからのアテはあるのか?」
「ええ。馬は貸してもらえないでしょうが、国境までの便が出ているはずです」
「ふむ……それで西端に向かうわけだな」
帝都が、この帝国で体験する最後の街になりそうだ。
まあ、手っ取り早く帰国できそうで何よりである。
裏路地に入り、あたりを確認。
人影、気配、ともになし。
「では、参ります」
ウォーキンスは目を閉じて、魔力を解放した。
すさまじい量の魔力が渦巻き、俺達の身体を包む。
同時に、足元にくっきりと魔法陣が現れた。
「――我が魔力の前に、距離の壁は意味を成さぬ」
ウォーキンスが詠唱を開始する。
それに伴い、魔法陣が妖しく輝いた。
「縮まれ空間、捻れろ因果――『ギガテレポーテーション』ッ!」
魔法発動。視界が光に包まれ、宙を舞うような浮遊感を覚えた。
ぐらつく平衡感覚。
どうやら、距離に比例して不快感も強くなるようだな。
胃をひっくり返されたような嘔吐感が弾ける。
しかし、いくらなんでも刺激が強すぎないか?
このままだと、意識が途切れ――
◆◆◆
魔力の収束と共に、視覚と聴覚が戻ってきた。
「……ここは」
強い風が全身を撫でる。
そんな中で、俺はゆっくりと目を開いた。
視界に広がるのは、一面に建造物が広がる俯瞰の風景。
俺がいるのは、時計塔の頂上。
ウォーキンスは、どこにもいない。
そして足元に視線を移せば、気の遠くなるような地面が――
「…………ッ、ぁ――」
足がすくんだところを、風にあおられた。
バランスを崩し、塔の頂上から落ちそうになる。
というか、落ちた。
「ッ、のぁああああああああああああ!」
落ち着け、落ち着け。
前にもこういうことはあった。
そうだ、峡谷で崖下に投げられた時だ。
あの時、イザベルはどうやって着地していた?
風魔法だ。
風を地面から上空へと起こし、落下を食い止めていた。
そうだ、あの要領で――
「…………」
しかし、大事なことに気づく。
あの魔法を、俺は使えない。
エルフ級の適正がなければ使用できないのだ。
ならば、どうなるか。
近づいてくる地面に対し、出せる答えは一つ。
「いやぁあああああああああああ!
潰れるッ! 潰れたトマトになるぅううううううううう!」
無我夢中の絶叫。
自分でも何を言っているのかわからない。
死を覚悟した刹那、上半身に異変を感じた。
強い力で抱きしめられたのだ。
それにより、いとも簡単に着地できてしまう。
「……あれ?」
生きてる。垂直落下でミンチになった俺はいない。
疑問に思っていると、『えへへ』と反省したような声が聞こえてきた。
「申し訳ありません、転移に数秒ほど時間差が出てしまいました」
悠然と地面に立つウォーキンス。
どうやら、俺が足を踏み外したのと同時くらいに転移してきたらしい。
危ないところだった、もう少しで新鮮なケチャップと化していた。
胸をなでおろしながら、あたりを見渡す。
暗い、非常に暗い。
どうやら、時計塔近くの裏路地に着地したらしい。
光の方向に顔を向けると、大きな通りが目に入る。
そこから見えた光景は、未だかつて見たことがない活気だった。
道を行き交う、大勢の人々。
首が痛くなるほどの大建築物。
全てが豪奢、万物が大規模。
今まで目にしてきた街が片田舎に見えるほど、この街は発展を遂げていた。
そんな中で、帝国を故郷とする彼女は笑うのだった。
「着きました。ここが大陸一の大都会――帝都です」
次話→7/6(21時更新予定)
ご意見ご感想、お待ちしております。