第五話 旧制五軍
街中の中央にある酒場。
ここには身分を問わず多くの人が集まっていた。
観戦に来ていた商人や町人。
そして、演説を聞いても逃げなかった剣闘士たち。
今日の闘技イベントが潰されたため、みんな退屈そうにしていた。
ぼんやり周囲を眺めていると、頬に鋭い感覚が走る。
「ぬぁッ……!?」
すわ敵襲かと思って身構えた。
しかし、ウォーキンスがグラスを頬に当ててきただけである。
ひんやりとした感覚に驚いてしまった。
「ふふっ、油断は禁物ですよ」
「不意打ちはやめてくれよ」
のんきなウォーキンスに苦笑してしまう。
まあ、無駄に張り詰めても精神を消耗するだけだ。
「お水です」
「ん、ありがとう」
ウォーキンスから受け取ったグラスには、なみなみと水が入っていた。
喉の渇きを癒やすため、グビグビと飲んでいく。
水の冷たさが気持ち良い。
「ふぅ……うまいなこの水」
「そうですか? では、私も失礼して」
ウォーキンスは軽やかな手つきで水をコクコクと飲んでいく。
おくびにも出さなかったが、彼女も喉が渇いていたようだ。
喉を潤したところで、ウォーキンスが酒場の中を見渡す。
「さて、それでは話を聞いてまいります。
最低限、帝都の現況だけでも知りたいところですね」
「ツテはあるのか?」
「んー」
ウォーキンスは小首を傾げる。
そのまま考えること数秒。
何か閃いたようで、彼女はひょいっと席から飛び降りた。
「ここでお待ちください」
そう言って、ウォーキンスは酒場の人混みの中へ消えていった。
人混みの切れ目から、冒険者らしき女性に声をかけるのが見える。
なるほど、知ってそうな人を狙い撃ちして尋ねるつもりか。
「お、ここ空いてるじゃん」
と、俺の隣に男二人組が座った。
ごろつきかと危惧したが、二人とも痩身でおとなしそうだ。
俺の姿は目に入っていないようで、彼らは愚痴を吐き始める。
「ふぅ、散々だったよ」
「まったくだ。無奪の盗賊のせいで楽しみがなくなっちまったぜ」
ちらりと横目で見たが、学者のような格好をしているな。
この近くに学院はなかったと思うが、研究所でもあるのだろうか。
二人は闘技場を観戦していたらしく、無奪の盗賊に恨み言を吐いている。
この二人からは、何か聞き出せそうだ。
俺は二人組に声を掛けた。
「無奪の盗賊について、詳しいのか?」
下手に出るよりは、立場の優位性を活用した方が有効だろう。
二人は今になって、俺の姿が目に入ったようだ。
彼らは俺を見ると、椅子ごとひっくり返りそうになった。
「ひっ……!? 貴族様……!」
「お、俺達……な、何も悪いことは……!」
それは悪いことをしてる人がよく使うセリフなんだよなぁ。
しかし、怯えられていては話が聞けない。
「いや、すまなかった。
委縮しないでくれ、単に話が聞きたいだけなんだ」
聞きこみをしているウォーキンスとは違う方向性の情報を仕入れたい。
その足がかりとして、俺は二人に尋ねた。
「で、無奪の盗賊っていうのは何なんだ?」
「ああ、一年近く前から急激に出てきた抵抗者ですよ」
一年前?
結構最近なんだな。
ここ数年単位で暴れているのかと思った。
「三等市民の解放と、特権階級への反逆を目的にしています。
今、貴族や商人が最も恐れている内乱分子です」
三等市民。
いわゆる奴隷階級の人達か。
ずいぶんと革命的な解放軍であるらしい。
ちなみに、この帝国は昔から階級制度が成り立っている。
貴族や王族は特等。
騎士や大商人は一等。
一般市民と多くの移民は二等。
敗戦国の民や一部の移民は三等。
という、計4つのクラスに分けられているのだ。
この階級制はかなり厳格で、上の階級の者に逆らうことは許されない。
当然、三等市民たちは不満を抱いていることだろう。
「ちなみに、無奪の盗賊っていう名前は?」
「あー……なんだっけ、お前知ってる?」
学者が相方に話を振った。
すると、相棒と思われる男がコクコクと頷く。
「奴らは貴族だけでなく、帝国の宝物庫や書院にも襲撃をかけてましてね。
その割には、何も奪うことなく去っていくんですよ」
「ああ、なるほど……それで”無奪”の盗賊か」
何やら不気味な集団だな。
普通、そのへんの施設を襲うってことは、略奪が目的ではないのか。
攻めこんでおいて何も盗らず去るのは不可解だ。
しかし、一般の人からすれば、そんな些細な事はどうでもいいらしい。
「三等市民が酷使されてるからこそ、
二等市民以上が楽に暮らせるっていうのになぁ」
「ほんと、衛兵と遊撃の馬蹄は何やってるんだ」
ここでその名前が出てきたか。
この機会に、その部隊についても情報を仕入れておこう。
何かの役に立ちそうだ。
「遊撃の馬蹄っていうのは、普通の帝国兵とは違うのか?」
「ええ。帝国の正規軍とは分離してて、めちゃくちゃ歴史ある部隊なんです」
正規軍とは仕事が違い、主に国内の治安維持を担当しているらしい。
その歴史は古く、かつて帝国に存在した”旧制五軍”という軍隊唯一の生き残りなのだそうな。
他の軍隊は邪神大戦を経て消滅したが、
遊撃の馬蹄だけは現代まで引き継がれているとか。
ちなみに、”旧制五軍”の構成は次のようになっていたらしい。
”甌穴の工槌”……工兵部隊。邪神大戦で壊滅、不忠により廃止。
”征伐の雌牙”……突撃部隊。邪神大戦で壊滅、不忠により廃止。
”帝城の護盾”……守備部隊。邪神大戦で壊滅。不忠により帝都防衛軍に改組。
”破魔の軍杖”……魔法部隊。邪神大戦で壊滅。不忠により帝都攻城軍に改組。
”遊撃の馬蹄”……治安維持部隊。邪神大戦で大打撃。功績により現存。
廃止、廃止、改組、改組、現存。
……なにこれ。
こんな悲惨な軍隊、見たことないよ。
見事に軒並み壊滅してるじゃん。
邪神がどれだけ強かったかを物語ってるな。
一国で相手にするのを諦めて、大討伐軍を編成したのも分かる。
「今の帝国は、帝都攻城軍、帝都防衛軍――
そして遊撃の馬蹄の三部隊によって成り立ってるんです」
「へぇ……」
やっぱり、その中だと遊撃の馬蹄だけ浮いている。
それに、不忠が原因で改組や廃止をされたっていうのは気になるな。
改組や廃止なんてせず、旧制五軍を使い回せばよかったのに。
「どうして遊撃の馬蹄だけ存続して、他の四部隊は解散させちゃったんだ?」
すると、学者の片方が苦い顔をした。
何やら含みがあるらしい。
ソワソワしていると、その理由を説明してくれた。
「……邪神大戦で、見苦しい敗北をしたからと言われてます」
「ああ。特に甌穴の工槌と征伐の雌牙だろ? 話を聞く度に情けなくなるよ」
彼らの話によると、旧制五軍の結束はバラバラで、
邪神大戦でも活躍に大きな違いが出たらしい。
遊撃の馬蹄は邪神軍を押し返すほど奮戦。
しかし他の四部隊は簡単に逃げ出してしまったそうな。
特に甌穴の工槌と征伐の雌牙は戦う前から一目散に逃走したという。
結果、背中を向けた彼らに邪神の軍勢が襲いかかった。
帝城の護盾と破魔の軍杖は隊長と幹部が討ち死にし、隊士が散り散りになった。
また、敵前逃亡をした甌穴の工槌と征伐の雌牙は無惨なもので、
隊長から一兵卒に至るまで皆殺しにされたという。
これを聞いた当時の帝王は、
邪神の恐ろしさと旧制五軍の脆弱さに卒倒したとか。
「そういうわけで、最後まで勇敢に戦った遊撃の馬蹄が残され、
他は終戦後に改組と廃止の処分を受けたんです」
「なるほどなぁ」
部隊で格差が激しすぎるな。
でも、抜本的改革なんかしちゃって、帝国の軍事力は大丈夫なのかね。
部隊数も減って、防備がスカスカになりそうなんだけど。
そのことを指摘すると、学者はすぐさま首を横に振った。
「終戦から”帝撰魔法師”が養成され始めたので、
現在の我が国には軍事力の憂いはないと言われています」
帝撰魔法師。
前の街で出会った騎士が一回名前を出していた気がする。
特筆すべき連中だったのか。
「名前だけ聞いたことがあるが、どういう連中なのだ?
私は田舎の出ゆえ、あまり詳しくは知らなくてな」
あまりに無知を晒すと怪しまれそうだ。
田舎から出てきたお上りさんを装い、ワンクッション置く。
「邪神大戦後、帝国が密かに選抜したエリート達です。
あらゆる魔法を研究し、体得し、実践する人外クラスの魔法師。
時代が違えば、彼らが大陸の四賢になっていたとさえ言われています」
なに、その裏四天王みたいな連中。
胡散臭さが尋常じゃないんだけど。
ちなみに、その魔法師たちが帝都防衛の切り札になっているらしい。
しかし、四賢に匹敵するとは大きく出たな。
アレクが聞いたら鼻で笑いそうだが――
……いや。
帝国の真価については、底が知れない。
邪神大戦後の歴史の中で、帝国が首都防衛戦で負けたことがないのも事実。
舐めてかからないほうがいいだろう。
「ま、貴族様が知りたがってるのは、恐らくこんなところじゃないかと思います」
「ああ、助かったよ」
初耳の話が盛りだくさんだった。
特に邪神大戦の情報は貴重なので、得をした気分である。
ひとまず、聞いておきたいことはあらかた聞けた。
学者に丁重に礼を言って、ふと背後を振り返る。
すると、ちょうどウォーキンスが人混みを縫うようにして戻ってきていた。
「お待たせしました」
「帝都はどうだった?」
俺は立ち上がり、酒場の出口に向かいながら尋ねる。
彼女も十分な収穫があったようだ。
「どうやら、帝室内の権力争いで少し混乱しているようです。
指揮系統もかなり乱れてしまっているとか。これは幸運ですね!」
「……権力争い?」
帝室ってことは、帝王の一族だよな。
内部でなにか起きているのだろうか。
ウォーキンスも、突っ込んだところまではわからないらしい。
まあ、状況が知れただけでも十分だ。
「ところでレジス様は、何を聞いていらっしゃったのですか?」
「無奪の盗賊について少しな」
学者に聞いてるところを見てたのか。
ひとまず手に入れた情報を共有してもらったところで、
こちらからも無奪の盗賊などについて説明する。
「そういえば、帝国の旧制五軍についても聞けたよ」
「……旧制五軍、ですか?」
ウォーキンスがピクリと反応した。
俺が何について聞いたのか気になるようだ。
ウズウズしている彼女に、俺は率直な感想を述べた。
「いやぁ、昔の遊撃の馬蹄ってすごかったんだな。
他の四部隊が逃げて死んでいく中で、最後まで戦ったんだから」
神相手に食い下がるなんて、なかなかできることじゃないよ。
俺は感心の頷きを見せる。
しかし、ウォーキンスの返答がない。
おかしいな、食いついてきそうな話題だと思ったのに。
違和感を覚えたので、上目遣いでちらりと確認した。
「――――」
赤色と、金色。
その二色が綯い交ぜになった瞳。
恐怖を掻き立てるような双眸が、俺を捉えていた。
「……ウォーキンス?」
静かな無言が焦燥を煽り、背筋に寒気が走る。
すると、次の瞬間――
「――――あっ」
ウォーキンスはハッとして首をブンブンと振った。
すると異様な圧迫感は消え、瞳の色も元に戻る。
鮮やかで美しい、艶のある銀色だ。
「申し訳ありません。懐かしい話を聞いたもので、つい」
呆然としている俺を見て、彼女は慌てて謝ってくる。
どうやら、先ほどの異変は無意識なものだったらしい。
正直、失神しそうなくらい怖かったんですが。
極稀に、ウォーキンスはこんな感じになる。
もしかすると、発作的な昂ぶりなのかもしれない。
「……大丈夫なのか? もしかして熱とか――」
「ご心配ありがとうございます。でも、平気ですよ。この通りです!」
ウォーキンスはその場で舞踏のような動きをした。
くるくると回り、軽くウインクしてくる。
思わず心臓が跳ね上がった。
う、うむ……どうやら不調ではないようだな。
ウォーキンスの謎ダンスによって、周りの酔っぱらいが歓声を上げた。
どれだけ暇なんだあんたら。
辟易していると、ウォーキンスが口元に指を立てて言った。
「ですが、レジス様。伝わっている話や噂というのは、
案外アテにならないこともあるのですよ?」
口調はいつもどおり優しめ。
しかし、その言葉を発するウォーキンスの目はマジだった。
「ああ……そうだな」
どうやら、彼女の前で遊撃の馬蹄を褒めるのはよくないらしい。
地雷がどこに埋まってるのか分からなくて怖いな。
ひとまず、目的を達成したので酒場を後にする。
隣を歩くウォーキンスはいたって平静。
先ほどの、怖気すら覚える威圧感はどこにも感じない。
しかし、まあ。
本当のところ、ウォーキンスは帝国のことをどう思ってるのかね。
そんなことを考えながら、俺は酒場を出たのだった。
◆◆◆
時は夕暮れ。
やうやう暗くなりゆく街中、少しビビりて。
微笑みだちたる隣の従者に、優しく手を引かれなう。
平安時代であれば、鞠を顔面に叩きつけられるであろう。
そんな一句を読んでいる内に、馬貸屋へと到着した。
ごった返すような人の波。
恐らく100人以上はいるだろう。
貴族服を着た者も多く、大半は身なりのいい商人で占められている。
出発直前のようだが、少し店の前でトラブってるな。
店主に対して貴族の男が不平を言っている。
「個別に馬車は出せぬのか? 下民と同車するなど怖気が走る」
「帝王様直々のお達しでしてね。あたくし共に言われやしても――」
しかし、店主もさすがは商人。
最上位である帝王の名を持ち出し、うまくなだめていく。
埒が明かないと思ったのか、貴族も渋々了解した。
しばらく待っていると、重々しい車輪の音がした。
同時に、太い声でいななく馬の声。
それは圧倒的な光景とともに、目の前に現れた。
「お待たせしやした!
領主様からお借りした最高級の馬で、皆さんを帝都にお連れしやす!」
店主が目の前の馬車を紹介する。
二十人は乗れるであろう、巨大な車体。
車輪も非常に太く、安定性の良さが外面に表れている。
そして、一番目を引くのは、その車を引く馬だった。
「……あれは」
見上げるような背丈。
暴れ狂牛を思わせる、常識離れした巨躯。
通常の数倍も大きい馬が、二頭も屹立していた。
この馬はつい先日にも見たな。
「御覧ください!
本来、遊撃の馬蹄しか乗ることが認められない、ライオット・ホースです!」
やっぱりそうだったか。
巡回中の騎士たちがこれに乗っていた。
しかし、よく部隊から貸し出してもらえたな。
領主の太い人脈パイプが見て取れる。
「他の弱国にはない、極寒の地でしか育たぬ俊馬!
ライオット・ホースを以て、皆さんに旅路をお約束しやしょう!」
巨大な馬を見て、他の乗客もどよめいている。
俺としては、揺れさえ控えめならなんでもいい。
ただ、この分だと速度にも期待が持てそうだな。
「これならすぐに着きそうだな」
「そうですね。迅速に帝都まで参りましょう!」
ここにいるライオットホースは全部で10頭。
合計で5つの馬車に分かれて出発するようだ。
「休憩を除き、一週間以上もの間、止まることなく走り続けやす。
その点はご注意を」
ずいぶんハードな旅路になるな。
他の貴族や商人が騒がなければいいが。
乗客の振り分けが始まると、ウォーキンスが耳打ちをしてきた。
「レジス様、少しお耳を……」
「ん?」
どうやらオフレコの話があるらしい。
首を傾けると、静かに囁いてくる。
「……帝都には転移魔法陣が残っております。
使用可能な距離になりましたら、転移魔法で帝都に入りましょう」
「ああ、分かった」
途中で下車して、転移魔法で帝都入りをするということか。
真意を尋ねようかと思ったが、すぐ答えに行き当たった。
俺はヒソヒソと確認する。
「……目をつけられるのを避けるためか?」
「……そのとおりです。さすがはレジス様……!」
もちろん、途中で転移した方が早いから、というのもあるだろう。
しかし、一番の目的は帝都の警戒網に突っ込まないため。
馬車や徒歩で帝都に入った日には、確実にマークされてしまう。
外部から帝都内に飛べるなら願ったり叶ったりだ。
「――では、貴方たち二人は第四号車に」
「はい」
振り分けに従い、ゆっくりと馬車の中に乗り込む。
だいぶ狭いが、衝立があり個室のような空間になっていた。
二人掛けの席が奥まで連なっている。
なるほど、これは我慢の利かない人には苦行だな。
まあ、深夜バスなんていう現世に舞い降りた地獄を経験した俺だ。
あれと比べれば、この程度は余裕である。
一番の敵は窮屈さでなくエコノミー症候群よ。
「そんじゃお客さん方、お気をつけを」
その言葉とともに、馬車の扉が閉まった。
そして、高らかに鞭打つ音が聞こえてくる。
「それでは第四号車――出発致します!」
いよいよ、帝都行きの馬車が出発したのだった。
次話→7/4(21時更新予定)
ご意見ご感想、お待ちしております。