第三話 職務質問
隣の街まではそこまで離れていなかった。
さすがに夜になったが、余裕をもって貸し馬屋のある隣街に到着できた。
規模は先ほどの街より少し小さいくらいである。
「――――」
しかし、どうも街の様子がおかしい。
雰囲気がピリピリとしていて、往来も少なかった。
その代わり、あちこちに甲冑をまとった帝国の兵士が立っている。
「やはり、警戒していますね」
「……さっきの街より衛兵の数が多いな」
貴族の身なりをしていなければ、確実に声を掛けられていただろう。
隣にウォーキンスがいるのも良い牽制になっている。
衛兵とてしょせんは人間。
わざわざ藪をつついて蛇を出したがる物好きはいない。
このまま貴族の体裁を保っているとしよう。
周囲の目を気にしながら、俺は嘆息した。
「しかし……まさかこの服が帝国で効果を発揮するなんてな」
「さすがです、レジス様!」
「いや、この服作ったのお前じゃん。
ひょっとして、こうなるのを見越してたのか?」
「ふふ、偶然ですよ」
妖しげに謙遜してくるウォーキンス。
本当に、底の知れない奴だよ。
このように、王国の貴族服は権威の証として帝国でも通用する。
というか、そもそも王国の貴族文化の多くは帝国から流用しているのだ。
王国独自の発展を見せている分野も多いが、上層階級の文化は帝国のそれと非常に酷似している。
ウォーキンスの話だと、俺が幼少期から着ている赤い貴族服は、
帝国北部の高位貴族が好む衣装と一致しているらしい。
そのため、この服を着て堂々と街を闊歩する人は限られる。
ある程度の地位を持った帝国貴族か、それに憧れて真似をする大商人くらいのものなんだとか。
どちらにせよ、高貴な印象を与えるので、衛兵にも変な絡み方はされないようだ。
しばらく歩くと、厩舎の匂いがする建物が見えた。
「ここですね」
「でも、閉まってないか?」
扉は客人を拒むかのように固く閉ざされている。
まだ営業終了には早いはずだが、嫌な予感がするな。
「すいません、店の主はいますか?」
扉を叩いて呼びかけてみる。
すると、中から物音が聞こえた。
数秒の後、慌てたように応対へ出てくる。
「何用でしょう」
扉を少しだけ開けて、壮年の男が顔をのぞかせた。
どうやらこの人物が店主であるらしい。
俺は早速、用件を切り出した。
「帝都に赴くための馬をお借りしたいのですが」
「ああ、そりゃ無理だ」
即答である。
有無も言わせぬ断言。
油断していると、そのまま首を引っ込めて扉を閉めかねない勢いだった。
「この辺りの街は今、馬を貸すなって命令が出てんだ。
それに、馬そのものが取り上げられちまってる」
「……ふむ」
これは予想外。
単なる禁止令なら店主を買収する手もあったのだが。
馬そのものがいなくては仕方がない。
俺の横で、ウォーキンスは納得したように小さく頷いていた。
どうやら、彼女の懸念がピタリと当たったようだ。
「ったく、領主様もむごいことしやがるぜ」
「稼ぎ時でしょうからねぇ」
店主の愚痴に対し、俺はうんうんと頷く。
すると、店主は不思議がるように目を丸くした。
む、なにか会話に齟齬があっただろうか。
「いやいや、営業停止の間は金が出てるんだ。馬の補償金もバッチリ。
むごいってのは俺たちじゃなく、旅人や商人が辛いだろうなって意味だよ」
「……ああ、そういう」
思ったより、領主のアフターケアがきっちりしていた。
店主もあまり不都合には思ってないらしい。
彼は涼しい顔でアドバイスをしてくれる。
「ただ、もう一つ西の街では馬の徴発もなかったはずだ。
そっちまで行けば、普通に貸してもらえると思うぜ」
「では、そちらで借りましょう」
「そうだな」
これはいいことを聞いた。
このまま最西端の国境まで歩きです、なんて言われたら、
その場で膝が砕け散ってしまうところだ。
丁重に礼を言って、俺たちは店を後にした。
「それでは、宿を探しましょうか」
「ああ、今日はひとまず休もう」
さすがに歩き詰めで疲れた。
この壮絶な疲労感――今夜は爆睡できる自信がある。
さあ。いざ旅立とうではないか、心地よき夢の世界へと――
意気揚々と、宿探しの第一歩目を踏み出す。
しかし次の瞬間、後ろから声をかけられた。
「そこの二方、止まられよ」
辺りにうようよといる衛兵。
その中でもひときわ目立つ甲冑を着た騎士二人組が背後に立っていた。
この甲冑は、ちょっと前に見たことがあるな。
「遊撃の馬蹄、巡廻第7小隊の者だ。少し話を聞かせてもらおう」
やはり、帝国の騎士だった。
てっきり街の外を見回るだけかと思っていたが、街にまで目を光らせているのか。
貴族の身なりをした人にも声を掛けているあたり、ちょっと警戒した方がいいな。
「今、そこの店で馬を借りようとしていたな?」
「ああ。長旅で疲れていたからな」
俺はあえて口調を強気にし、ぞんざいな態度をとる。
この対応で確信したのか、騎士たちは姿勢を改めた。
非常に恭しく身元確認をしてくる。
「北方貴族……もしくはその真似をする商人とお見受けするが。名を名乗っていただきたい」
「ジョンドゥだ」
逡巡があってはまずい。
俺は頭に浮かんだ偽名を即答した。
前世でこの名前を名乗ったら「ふざけるな」と頭をしばかれてもおかしくはない。
しかし、この帝国においては確実に通用するはず――
「……は?」
騎士の一人が冷めた目で見てきた。
うわべだけとはいえ、先ほどまで向けられていた敬意がごっそり消えた。
まずい、地雷を踏んでしまっただろうか。
「家名を名乗れと言ったのだ。
そんな身なりをしていて、まさか家名なき三等市民ではなかろうな?」
ギロリと凄まじい視線を向けてくる騎士。
どうやら、貴族の家名を一つも知らない輩だと思われたらしい。
しかし、俺は内心でほっとしていた。
名前そのもので怪しまれたわけではないようだ。
俺はウォーキンスに目配せをした後、改めて名乗りを上げた。
「我が名はジョンドゥ。シャドレイア家の男児だ」
「しゃ、シャドレイア……!?」
騎士がビクンと肩を震わせた。
その顔には急速に脂汗が湧いてくる。
しかし、もう片方の騎士は、あくまで冷静だった。
「……落ち着け。アレは”北伐五本槍”の一家だぞ。こんな辺境にいるはずがない」
疑われてるな。
ならば奥の手を出すとしよう。
俺は訝しむ騎士を睨みつけ、低い声で尋ねた。
「ほお、我が家名をアレ呼ばわりか?」
同時に、ウォーキンスから手渡された宝剣を掲げた。
赤い正円を禍々しい剣が貫く紋章。
魔力が込められているようで、怖気のする感覚が手元から伝わってきた。
「…………なっ、本物!?」
これを見て、冷静だった騎士の顔が引きつった。
最初の上辺のみの敬意ではなく、先ほどの疑ってかかる物腰でもなく、
純粋なる畏怖をもって俺たちを見据えてくる。
「た、大変失礼いたしましたっ」
「多大なるご無礼、お許しください……!」
これだ。この異常な怯え方。
いったいシャドレイア家の何が、ここまで人を怖がらせるんだ。
隣のウォーキンスの顔をちらりと見るが、上機嫌にニコニコしているだけである。
なにその表情、かわいくて胸が苦しい。
「まあ、忍びの行楽とはいえ、事前に伝えていなかった私にも非はある。気にするな」
「……か、寛大なご差配、ありがとうございます」
こちらの表情をビクビクと窺っている。
この分だと、つつけば色々と情報が拾えそうだな。
「それより、なぜ馬を取り上げた上で、貸し出しを禁じているのだ?」
「陛下の意向を受けた、辺境伯ゲロルグ卿の出した下命のようです」
辺境伯ゲロルグ。
初耳だが、恐らくは辺境地帯の領主なのだろう。
「我らは帝都よりの駐留隊ゆえ、詳しくは知りませぬが……。
恐らく、戦力の確保と、連合国より逃れてくる輩を以西に向かわせない計らいかと」
「……ふむ」
情報封鎖をしたい帝王が、領主に勅令を飛ばしているようだ。
やはり、連合国の使者を潰すために手を打っていたか。
と、ここで騎士たちは恐る恐る提言してきた。
「しかし、シャドレイア家の頼みとあらば、ゲロルグ卿も首を縦に振るでしょう。
よければ書状をお届けいたしますが――」
ここの領主に許可を取れば、あっさりと馬を借りられる。
しかし、あくまでも俺は王国の人間。
帝国貴族としてアクションを起こせば、ボロが出てしまうだろう。
「不要だ。ゲロルグ殿も考えあっての事だろう。
もう少し、従者との歩き旅を楽しむとするさ」
「さ、左様でございますか」
俺が首を振ると、騎士たちはホッとした顔になった。
すぐにでも話を切り上げたそうにしているな。
これ以上はやめておくか。
そう思った刹那――
「ただ、ここ最近は盗賊が暴れておりますので、お気を付けを」
騎士の一人が興味深い呟きを発した。
俺はとっさに反応する。
「盗賊?」
「”無奪の盗賊”という、反帝政を唱える新興勢力です。
貴族とみれば問答無用で襲い掛かる連中で、非常に危険です」
危ねぇ……なんだよそのゲリラ勢力。
今の俺は、貴族に見える格好をしているわけで。
旅の途上でそいつらに出会ったら、攻撃される可能性が高い。
「遊撃の馬蹄でも抑え込めないのか?」
「他部隊は戦場に出向くのが常でして。
我らだけでは潜伏する連中を鎮圧できないのが現状です」
まあ、当然といえば当然か。
ゲリラの恐ろしさは隠密と突発的な暴動にある。
その両方を併せ持った勢力を叩き潰すのは用意なことではない。
「それに、今のワイルドナイツは、指揮を執る団長が……」
「――よせ!」
ボソリと呟いた騎士に、相棒が鋭い声を飛ばした。
それにより、騎士はハッとした顔になる。
相棒の騎士は辺りを見渡すと、静かに耳打した。
「伝わったら俺たち、”帝撰魔法師”に……」
「あ、ああ。そうだよな……」
そう言うと、騎士二人は重い沈黙を保った。
どうにもきな臭いな。
部隊の中で何か問題でも起きているのだろうか。
そんなことを思っていると、騎士たちはペコリと謝ってきた。
「失礼しました。大声を上げる無礼、お許し下さい」
「我々はそろそろ行かなくてはなりません。
それでは、どうか良き旅を――」
そう言って、騎士たちは会話を切り上げた。
これ以上話すのを恐れているかのようだ。
彼らは足早に詰所らしき建物へと向かっていく。
「職務、大儀であった」
一応、騎士の背中に声を掛けておく。
ここにいても仕方ないので、俺とウォーキンスも足を進めた。
騎士のいる厩舎近くから離れ、宿場方面へと歩いて行く。
ここまで来れば大丈夫だろう。
俺は深い溜息を吐いた。
「あ、危ねぇ……死ぬかと思った」
魂まで抜け落ちそうな深呼吸。
とんでもなく緊張した。
安堵していると、ウォーキンスが嬉しそうに褒めてくる。
「レジス様、名演技でしたよ!」
「そ、そうか。そりゃよかった」
ウォーキンスが差し出してくれた宝剣のおかげだ。
シャドレイア家を僭称すれば、帝国の人が忌避してくれるのも改めて分かった。
「ところで、ジョンドゥというお名前には、何か由来があるのですか?」
「いや、適当に思いついたのを言っただけだよ」
「なるほど、勉強になります……」
ならないから。
ペドロペレスとどっちにしようか迷ったほど適当な偽名だよ。
ひとまず、違和感のある名前には聞こえないようだ。
帝国にいる間はジョンドゥを名乗るとしよう。
「ここで馬は借りられませんでしたが、
もう少し行った先の都市で借りられるようですね」
「ああ、大した距離じゃなくてよかった」
一つ西の都市だったか。
ヒットルフという名の大都市らしい。
これに関しては名前だけチラっとだけ聞いたことはあるが、詳細は全然知らないな。
ともかく、徒歩で行軍するのもあと少しである。
「今日はもう遅いので、宿に泊まりましょう」
「そうだな」
警備こそ多いが、国境地帯は抜けている。
昨夜ほど神経をすり減らす必要はないだろう。
ひとまず、明日の朝に街を出発することにしたのだった。
◆◆◆
裏通りにある庶民用の宿屋。
そこが俺たちの宿泊場所だった。
万が一、貴族に鉢合わせしようものなら不都合が生じる。
ゆえに、雑多でありふれた宿屋を選んだのだ。
夕食を摂り、俺達は早めにベッドへ入った。
部屋を分けると緊急時の動きに支障が出るので同室。
ある程度くつろげるベッドが二台備わった部屋である。
早く寝ないと、体力が回復しない。
すぐさま消灯し、俺は瞼を閉じようとした。
しかし、どうにも緊張してしまう。
人に寝顔を見せたくない癖があるからか。
それとも、静かとはいえウォーキンスの息遣いが聞こえてくるからだろうか。
寝付けないまま、ゴロゴロと寝返りを打っていた。
布団に入ってから――どれだけの時間が経ったのだろうか。
ふと、隣から涼やかな声が聞こえてきた。
「バドさん、怒っているでしょうか」
ポツリと、返事を求めているのかすら曖昧な呟き。
少しだけ、その声には迷いが見られた。
俺は横を向き、ウォーキンスに尋ねる。
「まだ考えてるのか?」
「はい。私が原因で離散してしまいましたので」
どうやら、思った以上に責任を感じているらしい。
ウォーキンスは珍しく曇った表情をしていた。
上手く対応すれば、あそこまで決裂はしなかった。
そんな想いがこみ上げてきたのかもしれない。
だが、それは結果論だ。
俺は噛みしめるように告げた。
「あれは、仕方なかった。
どっちが悪いとか考え始めたらキリがないよ」
確かに、脅しかけたウォーキンスにも非はある。
しかしそれ以前の段階で、バドが殺意を持って剣を抜いていたのだ。
いわばあれは、バドの脅迫に対する反抗。
どちらかを一方的に咎めることはできない。
また、俺も仲裁が不十分だったのは事実。
根本的に、誰か一人の責任ではないのだ。
「それに、さ――」
俺は別れ際のバドの表情を思い出す。
使命に駆られ、感情を押し殺した、辛そうな顔。
仮面に覆われていたため、完全な表情はわからなかった。
しかしそれでも、付き合いの中で、
想いの端緒は察することができるようになった。
だからこそ、こう言えるのだ。
「あいつも、離脱するのは不本意そうだったからな。
きっと……また会えるさ」
あれで終わりなわけがない。
そんなのは、悲しすぎる。
帰った先の王国か、帰り道にある神聖国か。
その辺りで再会できることを祈ろう。
俺の言葉を受けて、ウォーキンスはしばらく沈黙。
しかし数秒後、クスリと微笑みかけてきた。
「ふふ。そう言っていただけると、心が楽になります」
布団の端から見える、ウォーキンスの顔。
それはあまりにも愛くるしく、魅力的だった。
「レジス様」
名前を呼ばれる。
眠気を感じながらも、俺はすぐに返事をした。
「ん?」
「――ありがとうございます」
唐突な礼。
それだけ言うと、ウォーキンスは仰向けで天井を向いた。
俺に顔を見せたくない、そんなようにも見えた。
いったい、何に向けての礼なんだか。
よく分からんが、立ち直ってくれたようなので良しとしよう。
「いけませんね。
なんだか、私も眠くなってしまいました」
「寝ようよ。明日も早いんだからさ」
隣の都市に行き、いよいよ馬を借りる。
今度はたらい回しされることもないだろう。
確実に、足を確保する。
そして、王国に帰還するのだ。
決意を固めていると、ウォーキンスがまどろむように目をこすった。
「申し訳ありません。
使用人として不忠極まりないですが、お先に失礼します」
「そんな大仰な……まあ、おやすみ」
そう言って、俺も目を瞑った。
ゆっくりと意識を水面の底に沈ませていく。
すると、無音の空間で感覚が研ぎ澄まされる。
結局、俺が入眠するまで、
ウォーキンスは寝息を立てず見守ってくれていた。
本当に、律儀なやつである。
慣れない敵国での初日は、こうして終わりを告げた。
そして、いよいよ怒涛の中央突破が始まる――
次話→6/30
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