第二話 畏怖されし宝剣
岩肌に覆われた地面。
明かり一つない暗黒の空。
そんな道程を、俺とウォーキンスは進んでいた。
食料や水は十分にある。
休憩を挟む必要も今はない。
しかし、無意識に暖かな光を求めてしまったのかもしれない。
俺は前を行くウォーキンスに声を掛けていた。
「あそこに街があるけど、寄らないのか?」
遠くにぼんやりと浮かぶ帝国の街。
明るく優しい光が煌々と照らされている。
国境近くとはいえ、賑わっていることが遠目にも分かった。
「難しいですね。大量の帝国兵が駐屯していると思われます」
「なるほど……迂闊にうろつけないわけか」
連合国に差し向けた軍の後詰がいる可能性もある。
国境ギリギリの街に立ち入るのはリスクが高すぎるな。
「まずは西に進み、この国境地帯から離れましょう」
どうやら、帝国兵が街に溢れているのは国境近くの街だけらしい。
もう少し先に行けば、腰を落ち着けられる街も見つけられるとのことだ。
「ずっと徒歩で行くのか?」
「いえ。途中で早馬を借ります」
だよな。少しだけ安堵した。
徒歩で横断するのはさすがに厳しい。
しかし、その交通手段はあまり喜べなかった。
「……早馬か」
「ええ、とびっきり揺れますよ」
ウォーキンスはいたずらっぽく呟いた。
その言葉は俺にとっては死刑宣告にも等しい。
吐瀉物スプリンクラー選手権の金メダリストになってしまう。
「大丈夫です、酔わないようにして差し上げますので」
「ああ、頼むよ」
そういえば、ウォーキンスは酔いをごまかす魔法が使えたな。
今回も期待しておこう。
交通手段を定めた上で、彼女は遥か遠くを指さした。
「馬を確保したらそのまま帝都へ至り、馬を替えて帝国の西端へと向かいます」
「帝国西端……?」
適当なところで南下して、境界線上の大橋を使うのかと思っていた。
橋さえ渡ってしまえば、王国へ至ることができるのに。
「帝国のことです。
連合国征伐に使わなかった兵力を、境界線上の大橋に集中させているでしょう」
ウォーキンスは断定するように言い切って見せる。
見てきたわけでもないのに、かなりの自信だな。
「なんで分かるんだ?」
「帝国にとって一番怖いのは、王国の援軍。
もし連合国の窮地が伝わっても、兵を出せないよう外圧を掛けると予想されます」
「……なるほど」
もし何らかの手段で、連合国の援軍要請を王国が知ったとする。
無論その時、王国は兵を動員しようとするだろう。
しかし、帝国軍が国境付近に待機していると知れば、出兵をためらってしまう。
そのへんは帝国側も理解した上で、
兵を動かしていると思ったほうがいいな。
「そのため、兵の薄い西側の国境線を超え、神聖国を経由して帰国します」
「神聖国か……」
この大陸には小国を含めれば数十もの国が存在する。
しかしその中でも、4つの大国がずば抜けているのだ。
その4国こそが、帝国、王国、連合国――そして神聖国だ。
「レジス様、神聖国についてはご存じですか?」
「うっすらとした知識があるだけだな」
神聖国。
帝国と並んで最古参の国家だ。
この大陸で唯一、他種族に対する差別がない国である。
その理由は神聖国が崇める国教に由来する。
神聖国の教義は”大陸信仰”と呼ばれ、この大陸で生きとし生けるもの全てを愛している。
その徹底した博愛は、他国から異常なものと恐れられているとか。
そしてこの知識は、確か幼少期にウォーキンスから教わったものである。
「おお、さすがレジス様……! 覚えていてくださったのですね」
「あれだけ熱心に教えられたらな」
「こほん、それでですね。
付け加えますと、神聖国は教祖を頂点とした指導によって成り立っています」
神聖国を率いているのは、”祈り子”と呼ばれる祈祷師であるらしい。
長い歴史の中で、他の権力者が頂点についたことは皆無。
祈り子は”大陸の声”とやらを聞くことができ、その託宣によって国を救済に導いてきたという。
合議制や独裁制が多い中で、ひときわ異色を放つ宗教国家である。
「王国とは古くから盟約を結んでいますので、
神聖国を通過しても嫌な顔はされないでしょう」
「……なるほどな」
なんとか帝国を抜け、神聖国を通り、王国へ帰還する。
それが今回の旅の帰還ルートだ。
やはり帝国脱出が難関になりそうだな。
「ともかく、まずは馬ですね。ここから西の街まで少し歩きます」
「大丈夫だ。徒歩には慣れてる」
目の前に広がる闇。
怖がりの俺からすれば恐怖以外の何物でもない。
しかし、目的が定まったことで、安心感が湧いてきた。
それに、隣にはウォーキンスがいる。
大船に乗ったつもりで帝国を突っ切ろう。
そう決意した刹那――
「お待ちください」
ウォーキンスが行く手を遮った。
「どうした?」
「帝国兵です。岩陰に隠れて、通り過ぎるのを待ちましょう」
驚いたな。
俺には音すらも聞こえないのに。
ウォーキンスに手を引かれ、俺たちは近くの大岩に背を預けた。
すると、遠方から光が近づいてきた。
それに伴い、軽い地響きが伝わってくる。
ここで俺は、目に入ってきたものに絶句した。
「……っ、めちゃくちゃ速いな」
接近する光の速度が尋常ではない。
あっという間に俺たちがいた場所まで到達してしまう。
目を凝らすと、巨大な馬が見えた。
その上には鎧を着た兵士も確認できる。
騎馬隊だったのか。
それにしても軍馬の巨躯と速度が異常だ。
「なんだあの馬……でかすぎるだろ」
「”遊撃の馬蹄”ですか。越境者の警戒をしているようですね」
ウォーキンスが少し眉をひそめた。
厄介な相手だということが表情から読み取れる。
「強いのか……?」
「練度はそれなりですが、群れているのが面倒です」
本当だ。かなりの数で見回りをしている。
見つかったら全ての相手をしなければならない。
しばらくすると、騎馬隊は国境方面へと消えていった。
「……ふぅ、やり過ごせたか」
「闇夜に行動して正解でしたね」
「あぁ、昼間なら見つかってたかもしれない」
帝国ではあんなのがパトロールをしているのか。
これでは盗賊も悪いことはできそうにないな。
戦慄しながら、俺はウォーキンスの後を追ったのだった。
◆◆◆
歩くこと半日。
日が高く昇った頃、俺たちは街に到着した。
途中で何度も帝国兵とすれ違ったが、
忍者もかくやという隠密によって切り抜けることに成功。
いよいよ、国境から離れた街へたどり着いたのだ。
中規模程度の街で、市場はまずまずの盛況ぶり。
色々な店が立ち並ぶ通りを、俺とウォーキンスは歩いていた。
「この街で馬を借りるんだっけ」
「いえ、馬に乗るのはもう一つ西に行った街です」
なに、ここじゃないのか。
だとしたら、なぜ一つ手前の街に入ったのだろうか。
「休憩でもするのか?」
「お金の調達をします」
ああ、なるほど。
馬を借りるのもタダじゃないもんな。
むしろ、一般の旅人では利用できないほどの高額サービスだ。
馬の希少性から、利用層は商人や貴族が多いと聞く。
かなりの金を用意していないと、あっという間に尽きてしまうだろう。
どこから出したのか、ウォーキンスは見たこともない硬貨を握っていた。
そして硬貨を懐にしまい、彼女は小さく溜息を吐く。
「ご足労をかけて申し訳ありません。
私の持っている帝国通貨は廃止されているようでして」
「いや、別にいいよ」
どうやら時代の流れで貨幣に変更があったらしい。
いつの硬貨なのかは知らないが、市場で使うのは難しいのだろう。
と、ウォーキンスは大きな店舗の前で立ち止まった。
金貸し屋のようで、その中でもひときわ大きい。
ウォーキンスは店頭に立っている人に躊躇なく声をかけた。
すると店の人が急いで中に入っていく。
そこで俺はウォーキンスに耳打ちした。
「ここの店で借りるのか?」
「ええ。かなり儲かっているようですので」
自信満々に言い切るウォーキンス。
と、ここで店の奥から身なりのいい商人が出てきた。
この人物が店の主らしい。
「今日はどんなご用件で?」
ウォーキンスを見て、店主は少し顔をしかめた。
なんだ、ちょっと妙な雰囲気だな。
しかしウォーキンスは気にした様子もなく、さらりと目的を告げた。
「お金が入用でして。30万アペルをお貸しください」
「……一括でずいぶん借りますねぇ」
ここで、店主は露骨に怪訝そうな顔になった。
なんだ、まさか王国民だとバレたのか。
店主はウォーキンスだけでなく、後ろにいる俺にも視線を注いできた。
頭の先から靴の先までじっくりと見つめてくる。
まるで融資を検討する銀行員のようだ。
「その赤服……貴族ですか」
「はい、由緒正しきお方です」
ウォーキンスが晴れがましい笑顔で頷いた。
しかし、店主は相変わらず訝しんでいる。
「でしたら、身元を証明するものをご提示ください」
「……え」
俺は思わず言葉を詰まらせた。
ディン家のナイフによって、王国貴族であることを示すことはできる。
しかし、ここは帝国。
そんなものを見せた日には、衛兵を呼ばれてしまうだろう。
俺の逡巡を汲んでくれたのか、ウォーキンスが店主に確認する。
「しなければなりませんか?」
「ええ。最近は貴族を騙って金を借りようとする不貞者が多いんでね」
世に跋扈する不貞者のおかげで疑われているのか。
釈然としないが、認めるしかないな。
そもそも、どこの誰とも知れない人に大金を貸すわけがないのだから。
「特に、女が共犯になって従者のフリをする手口が主流なんですよ」
「なるほど、あくどいことを考える人もいるのですね」
軽く受け流すウォーキンス。
しかし、提示を躊躇った俺を見て、店主は確信したのだろう。
彼は嘲るようにウォーキンスへと告げた。
遠まわしに、詐欺ではないかと探りを入れているのだ。
「ま、あなた方がそうだと疑ってるわけじゃありませんさ。
ただ、ウチを利用する方には貴族もいましてね。
店の格を保つためにも必要なんですわ」
証明できないなら帰れ、と言わんばかりである。
しかし、ここでウォーキンスがついに動いた。
ゆらりと体を揺らし、懐から一本の短剣を取り出す。
「これでよろしいでしょうか?」
「へぇ、拝見させてもらい――」
ウォーキンスの見せた短剣。
それに刻まれた紋章を見た瞬間、店主の表情が急変した。
「なっ……あ……ああ、あ……」
顔をひきつらせ、口をパクパクと虚ろに開閉させている。
そして怯えたような目で、俺に頭を下げてきた。
「し……失礼しました。
まさか、こんなところに……あなたのようなお方が……」
なんだ。なぜ店主は焦っているんだ。
全身から冷や汗を流し、目に涙を浮かべて謝っている。
そんな彼に対し、ウォーキンスは優しく微笑みかけた。
「おや、どうされました?」
「お、お金は返さなくていいです……ですから、家族は……家族だけは……」
息も絶え絶えに、店主は金を持ってこさせた。
30万アペル、帝国の通貨を震える手で渡してくる。
借用書を書きましょうかとウォーキンスが告げたが、店主は全力で首を横に振った。
そんな彼に、ウォーキンスは柔らかく言い添えた。
「ご安心ください。必ずや返済はするとのことです。
期限が来ましたら、請求の書状をお送りください」
「は……はい、こちらが、覚えていたら……その時は……」
この様子だと、借金の請求すらしてこないだろう。
この世に非ざる者を前にしたかのような反応だ。
金を懐にしまうと、ウォーキンスは俺の袖を引いた。
「それでは行きましょう」
「ま、またのご利用を……」
店主は青い顔で一礼してきた。
それを尻目に、俺たちは外へ出た。
そして次の目的地へ向かうため、市場を通り抜けていく。
「ウォーキンス、何を見せたんだ?」
「帝国貴族であることを示す物品です」
ウォーキンスはさらりと答える。
つまりさっきの短剣は、どこぞの貴族しか持ちえない宝物だったわけだ。
俺はジト目でウォーキンスに確認する。
「お前、そこの貴族だったのか?」
「違います。ただ、少し縁のあるところだったので、名前を使わせてもらいます」
びっくりした。
てっきりウォーキンスが帝国随一の貴族だったのかと。
否定しきれないのが恐ろしいな。
まあ、ウォーキンスとは縁のある家であるようだ。
「というわけで、レジス様は帝国にいる間、『シャドレイア家』の人間を名乗ってください」
シャドレイア。
聞いたことのない家名だ。
帝国では有名なのだろうか。
「名前まで聞かれた場合は、適当な偽名でお願いします」
「……さすがにバレるんじゃないか?」
王国貴族が帝国貴族のフリをするのは無茶があるような。
しかしウォーキンスは「大丈夫です」と頷いた。
「追及してくる命知らずさんはそうそういませんよ。
それに、シャドレイアの関係者と鉢合わせることもないので、ご安心ください」
「そうか、分かった」
そこまで言うなら信じよう。
このハイパー使用人ウォーキンスを。
そして商人を震え上がらせる貴族・シャドレイア家さんとやらを。
「さて、お金も手に入りましたので、次の街に向かいましょう」
もうちょっとで歩き詰めの移動から解放される。
そう思うと足が自然と軽くなった。
しかし、ウォーキンスは微妙な顔をしていた。
「なにか気になるのか?」
「いえ、馬を借りられればいいのですが……この分だと微妙かもしれません」
ウォーキンスは周りをうろつく衛兵たちを見て、少し眉をひそめた。
どうやら懸念があるようだな。
帝国を徒歩で横断する事態にならないよう祈るしかない。
ウォーキンスは街の出口へ至ると、地平線の彼方を指さした。
「どちらにせよ、次の街で一泊することになります。
まずは当たって砕けてみましょう!」
「……お、おう」
当たって砕けろて。
ウォーキンスは砕けても自己再生しそうだけどさ。
俺は骨まで粉々になって終わりそうな気がする。
慎重に頼むぞ、慎重に。
金は調達できたので、もはやここに用はない。
次はここより西にあるという街だ。
馬にはあまり期待せず、宿を探しに行く腹積もりで行こう。
こうして俺たちは、足を確保するため次の街へ向かったのだった。